他人の恐怖を、乗り越えられますか?
━━━━━秘封倶楽部、そのはじまり。
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お久しぶりです。本当にお久しぶりです。タミです。生きてます。一応…覚えてるかな?2年半くらいぶりだね!!!(死)
この作品は現在YouTube、ニコニコ動画にて投稿中(2年半くらい更新してないけどな!!)の作品、"東方蓮黒録〜世界を救ったサイヤ人と勇者が幻想入り〜"の前日譚となります。2年半くらいかけて前日譚書くとかこれもうわかんねえな??
独自解釈、独自設定ございますのでフジャケルナ!チネ!という方はそっ閉じしてZUN's Music Collection買って聴いてブックレット、読もう!
ちなみにお兄さんは蓮台野夜行の少女秘封倶楽部がすきだよ!おら買え
動画のほうは…ナオキです…
いやちゃんと別の新作あるから小説でこれとは違う前日譚書いてるからマジでほんとに信じて
でも、2人の温もりを知った。
そして、彼女を失った。
…また、1人になった。
今の1人と、あのときまでの1人は、何が違うんだろう。
さあ、懐古しよう。宇佐見蓮子という、愚かな人間の転換点を。
近未来。
首都と東の京間を53分で移動できるほどの未来。
季節は冬、年が明けた2月。受験シーズンだ。
「うーん…ダメか…」
少し混雑してきた電車内で1人の少女が静かに唸る。
その手には伸ばした針金と鍵付きの手帳があった。
否、"diary"とあるため日記帳だろうか。
鍵を紛失したのだろう。針金でどうにかピッキングできないか悪戦苦闘しているようだ。
「やっぱり鍵とは別の何かで固められてるのかなぁ」
はぁ、とため息をついて日記帳をしまい、代わりにイヤホンを取り出し装着する。
いつも聞いているプレイリストを再生し、壁際によりかかる。
受験当日に見直しとかしないのか、と自身の中の何かが囁いたが、聞こえないフリをして目を閉じる。
(やっぱ外に出る時はこうしなきゃダメだなあ)
昔から1人が好きだった。
他人に対して興味が湧かないし、特別他人を好きになったこともなかった。
どこにでもある有象無象でしかない他人の喧騒からイヤホンは解放してくれる。
愚かで低俗な外界と己を切り離してくれる都合のいい道具だった。
ずっとおんなじ曲聴いてるけど飽きないもんだなぁと少し感心する。
父親も母親もいることは知っている。しかし幼い頃に上京して以来会っていない。話もしていないし、顔も思い出せない。
毎月生活費と学費が東京から送られてくるだけだった。
毎日毎日学校が終われば夜中まで1人で公園で遊び、家に帰ったら出来合いの合成食料で飢えを満たす、その繰り返しだ。
ときどき親に迎えられて帰っていく同い年くらいの子供を見て、形容し難い気持ちに苛まれたこともある。
初めは仲良くしていたはずの友達もいつの間にかいなくなっていて。
気がつけばずっと1人だった。
それを悲しいとは思わなかったし、疑いもしなかった。
偏屈さは日に日に増大し、オカルトの類に心酔していった。
それが宇佐見蓮子の全てだった。
目を閉じているとだんだんうとうとしてきて、こくりこくりと頭が落ちかける。
いつの間にか車内は鮨詰めになっており、身動きが取れなくなってしまった。
そのとき、昔懐かしい電光掲示板に蓮子の目的地の駅名が表示された。
(やば…っ、もう着いちゃう!)
イヤホンの電源を切り、名残惜しそうにカバンにしまう。
それとほぼ同時に電車は止まり、蓮子のいる場所とは反対側のドアが開いた。
(げっ、いつの間にか反対側まで追いやられてる…)
こんな時声を発しなきゃいけないのはかったるいなぁ、と心で悪態を1つつく。
「すいません、降ります」
蓮子は声をかけ、人混みを通り抜けようとする。
しかし、さすがは朝の首都のラッシュといったところか、なかなか抜け出すことができない。
「ちょっ…あの、降ります!」
蓮子は少し声を大きくするが、うまく通り抜けることができない。
さらに運の悪いことに、発車ベルが鳴り出してしまった。
「いたたたた、ちょっと!降りるって言ってんでしょ!」
カバンが引っかかるがどうにか通り抜けようと無理矢理引っ張ってみる。
しかし、この亀のような速度では到底間に合わないだろう。
「あの、大丈夫ですか?掴まってください!」
すると、ドアの外から声をかけられ、慌てて差し伸べられた手を掴んだ。
蓮子は手に引っ張られるままどうにか電車から抜け出すことに成功した。
「あいてて…」
「よかった、間に合って」
蓮子に手を差し出したのはナイトキャップのような帽子を被り、美しいブロンドヘアーが特徴の女性だった。
「ぁ…ありがとうございます、助けてもらって」
蓮子は女性にお礼を言う。
しかし、女性はぽかんとした表情でこちらを見ている。
まじまじと見つめられることには慣れていない。お礼は言ったんだからさっさと離れてほしい。私とあなたの縁はそこまでだったんだから。
そんな思考を巡らせながら蓮子は女性と離してくれない女性の手を交互に見る。
このままじゃ埒があかない。少々癪だが離してくれと言おう。
そう思って仕方なく言葉を発しようとするが、
「「あの…」」
見事なまでに女性と被ってしまった。
「前に…どこかで会いませんでしたか…?」
え。
急に何を言い出すんだこの女は。
…電波でも飛んでるんだろうな。そうに違いない。
瞬時にそう理解した。
「……人違いじゃないですか?私急いでるんで…手ぇ、離してくれません?」
「あ…ごめんなさい」
蓮子が露骨に嫌そうな顔をしたからだろう。やってしまった、と言わんばかりの表情で女性は慌てて手を離した。
「助けてくれたことには感謝してます、ありがとう。それじゃ」
ああいうのには関わらないのに限る。ヘンなツボとか買わされるに違いない。
そう決めつけて蓮子は踵を返してつかつかと改札方面へ向かっていった。
「やっちゃったかな…ヘンな人だと思われちゃっただろうなぁ」
女性はため息を吐く。
「最近ふらふらしすぎたんだなぁ、人と話すのなんか久しぶりだったから」
あの人も受験生なのかな。そう思いながらカバンを肩にかけて改札に向かおうとすると、こつんと何かが足に当たった。
「あ、これ…もしかしてあの人の…?」
女性は蓮子の持っていた鍵付き日記帳を拾い上げる。
「ただいまぁ…」
返事が返ってくることはない。
それもそうだろう。蓮子は一人暮らしなのだから返事が返ってきたら一大事だ。
「結局どこにもなかった…」
蓮子はぐったりしながら部屋に上がる。
どうやら日記帳をどこかで落としてしまったらしい。
気付いたのは受験会場で試験が始まる前だった。
試験終了後、会話したくない欲求を抑え込んで駅員の人に尋ねてみたがどこにも届いたりはしていなかったようだ。
カバンをその辺に放り投げ来ていた服を洗濯機にぶち込む。
が、洗濯機はここ最近稼働している気配がない。
よく見ると蓮子の部屋はそこらじゅうに読み散らかした本、CD、ゴミ袋などが散乱しており、足の踏み場もないような状況だ。
とても衛生管理ができているとは言えないだろう。
「げっ、もう着回してるやつこれで最後だ」
洗濯しなきゃ、とぼやいて最後の一着になったジャージに着替える。
「お風呂は…いっか今日は」
ぐぅ、と腹の虫が鳴いたが日記を落としたことによるダメージによって食事の準備をする気にもなれなかった。
げこ。
と間抜けな音が響き、そうだったと蓮子は水槽に近づく。
「太郎、軍曹、ただいま」
そう言って蓮子は太郎と名付けられたハムスターと軍曹と名付けられたカエルに餌をやる。
「トイレ換えてやんなきゃ」
と、手慣れた手つきで太郎と軍曹の世話をする。
「あ、軍曹…あんたの水も換えてあげないとね」
「…私の友達はあんたらだけよね」
一通りの世話を終え、またぼやく。
「エアコンつけっぱでいいや」
「じゃあね、また明日」
もう全ての力を使い果たした、と言わんばかりにのそのそと押し入れの方へ向かっていく。
その姿はさながら満腹になり満足げで巣に帰る動物のようだ。
がらがらと押し入れの戸を開けて上の段に引いてある布団に潜り込む。
そしてぴしゃりと戸を閉めた。
枕元に置いてあるパソコンの電源をつける。
「…………」
何かしようか、と思っていたがその"何か"をし始める気力が残っていないことに気づき、パソコンの電源を切って隅っこに押しのけた。
代わりに携帯端末を取り出し、イヤホンを耳につける。
いつものプレイリストを聴きながら眼を閉じる。
こういう狭くて暗い場所が昔から好きだった。
暗い場所で眼を閉じているとだんだん自分という存在が空気中に溶けていくようで。
はたまたどろどろの液体と化し、どこからが自分でどこからが自分じゃないのかわからなくなるような、そんな感覚が好きだった。
自分という"個体"を認識してしまうと嫌でも世界、現実に引き戻されてしまいそうで。
世界の中にある自分が好きではなかった。
何かを動かす巨大な機械の近くに捨てられた、サイズの合わない規格外の歯車にでもなった気分で。
どうしても孤独と疎外感を感じてしまう。
それを直視するのが嫌だった。
目を閉じ、五感のうちの一つをシャットアウトして耳から入ってくる音、リズム、歌詞…それらに心を預けている時間が好きだった。
ちょうど今は日記帳を無くした事実から逃げることに自棄になっている。
………………
毛布を丸め、抱き枕のようにしてぎゅっと抱き締める。
………………
……………………………
…………………………………………
………私、なんで生きてんだろ
授業終了を告げる鐘が鳴る。
学生たちは仲の良い集団を作りどこか遊びに行こう、だとか昨日のテレビがどうとか言っている。
快活そうな女子たちも集まってきゃぴきゃぴ話している。
……………
……くだらない
蓮子はさっさと荷物をまとめ大講義室を後にした。
……ミテ、アノコ…
……アア、アレガウワサノ…
……セイセキトップダカラッテチョウシニノッテルンダゼ
……アタシタチヲミクダシテンノヨ
……ナイシンエラブッテンデショ〜!ウザ〜イ
……スマシタカオシテヤガルゼエラソウニ
……………
蓮子はイヤホンを耳に挿す。
どうでもいい、心底どうでもいい
別にアンタらなんかどーだっていいのよ
何もわかっていないくせに。
何も理解していないくせに。
…解ろうとも、しないくせに。
勝手にレッテルを貼って、勝手に理解した気になって、勝手に嫌って…
…そんなの、私だって、おんなじか
………次、サボろうかな
その後、結局蓮子は次の講義をサボって行きつけの喫茶店に入っていた。
「マスター、いつものお願い」
しわくちゃで白い髭を蓄えた糸目の老人は承知しました、と手際良く準備を始めた。
平日の昼間、休憩に来る人もそれなりにはいるだろう時間だが、店内には蓮子以外の客はいなかった。
いや、普段から人はほとんど入らない。営業できているのかどうかすら怪しくなるような店だ。
なるべく人に会いたくない蓮子にとっては好都合な店なのだ。
「……マスター、アップルパイなんか始めたの?」
机に突っ伏しながら顔だけ傾けてメニューを見ていた蓮子はそのまま零す。
「ええ、試作ですが…注文なさいます?」
「うん…貰うわ」
「かしこまりました」
微笑みながら老人は作業を始める。
「そうだ、ご一緒にレモンティーでもいかがです?こちらも新作ですよ」
「…そう、たまには冒険するのもいいかもね…それもお願いします」
ありがとうございます、とにこやかに笑い老人は準備を再開する。
そのときだった。
ちりんちりんと入口から鈴の音が聞こえてくる。
それは誰かが店に入ってきたことを示している。
「いらっしゃいませ、空いている席へどうぞ」
………
少しずつ戻ってきた蓮子の気分は逆V字に下降してゆく。
ともあれ店主でもないし貸切にしてるわけでもない。帰れなんて言えるはずもない。
いや、仮に言えたとしても言わないだろう。
黙って自分が店を後にすればいいだけだ。
「お待たせしました、コーヒーに、ハチミツです」
「ありがとうございます」
蓮子は姿勢を直し、コーヒーとハチミツのボトルを受け取った。
しかし奇妙なことにコーヒーカップに入っているコーヒーの量が異常に少ないのだ。
すると蓮子はボトルのフタを開けコーヒーにドバドバハチミツを入れ始めた。
先ほど入ってきた女性はよりによって蓮子の左隣、一つ椅子を開けて座った。
ああ、ツイてない…せっかくの蓮子スペシャルがマズくなるわ
心で悪態をつきながらコーヒーかハチミツかよくわからない液体を混ぜて口に運ぶ。
「おや、久しいですね、変わりないようで何よりです」
「ええ、受験が忙しくって…ようやく落ち着いて…講義サボってきちゃったんですけどね」
「それは感心しませんね、学生の本分は勉学に励むことですよ」
えへへ、と恥ずかしそうに笑っている。
結構な常連なのだろうか。少なくとも蓮子には覚えがなかった。
「あ、新作あるんですか?」
「ええ、注文なさいますか?」
「お願いします!」
よりによって女性は自分と同じ新作を頼んでしまった。
何が悪いというわけではないがなんだかモヤモヤしてしまう。
「お待たせしました、アップルパイとレモンティーのセットです」
予め2個分作っていたのかと思えるほど早く蓮子の分と女性の分のセットが出てきた。
なんだよ、私の方が早く頼んだのになんで同じタイミングで来るのよ
蓮子のイライラは募るばかりだ。
2人は全く同じ動作でパイを口に運ぶ。
もぐもぐと咀嚼し喉に押し込んだ。
「ねえマスター…」
「マスターさん…」
そして2人同時に口を開いた。
「はい、なんでしょうか?」
「このアップルパイ…めちゃくちゃ美味しいわね!」
「このアップルパイ…あんまり美味しくないです…」
自分と正反対の意見を述べた女性をキッと見る。
それと同時に女性の方も蓮子を見た。
「………」
「………」
嫌な沈黙が訪れ、今度は2人同時にレモンティーを口に運んだ。
「このレモンティー…死ぬほどマズいわ……」
「このレモンティー…すごく美味しいです!」
「………あんた舌おかしいんじゃないの」
「…あなたの方こそ大丈夫なの?」
ジトっとした目で2人は見つめ合う。
「2つとも失敗ですかねぇ」
老人は微笑みながらそう呟く。
「……あれ、あなた確か…」
むすっとしてハチミツコーヒーを口に運ぶ蓮子に女性は何かを思い出したように話しかける。
「ん?」
「あの電車の…」
そう言われて蓮子も記憶の片隅にあった情報を思い出した。
「あ〜…私を電車から引っ張り出してくれたあの…」
そういえばいたなそんな人、ともう一口ハチミツコーヒーを飲む。
「これ、あなたのでしょ?」
すると女性はカバンから蓮子の日記帳を取り出し差し出した。
「なッ…あんたそれどこで…!!」
女性の手から日記帳をひったくり、中身を開けた形跡が無いか確認する。
「あのときあなたが落として…返そうと思ったんだけど行っちゃったから渡せなくって…ごめんなさい」
いやに素直だな…と思いながら表裏を観察する。開けた形跡は無さそうだ。
「じゃあ駅員さんにでも届けてくれればよかったじゃない。気が利かないのね」
精一杯嫌味を言う。
蓮子の心は嫌悪感で包まれてゆく。
「ごめんなさい…でもどうしても自分で会って返したくて」
「はあ?」
やっぱりこの女、電波が飛んでるわね…
「あなたと会ったとき、初めて会った気がしなくて…同じ大学を受験するみたいだったからどうしても気になって」
「………それ前にも聞いたわ、生憎だけど私あんたみたいな友達なんていないの、人違いでしょ」
イライラした気分を抑えながら言う。
「あ、いや…私も覚えがあるというよりどこかで会った気がするってだけで…」
「私、友達ができなくて…人と話すことも久しぶりで…あのとき実は結構嬉しかったんだ」
「…私も人と話すの久しぶりだけど…嬉しくなんかないわよ、鬱陶しいだけ」
暗いトーンで突き放すように言う。
「どうして?」
「…どうだっていいのよ、別に…私が死のうが生きようが」
「生きてるから生きてるってだけ…明日死ぬってわかっても何にもないし、何も感じない」
…って、なんでそんなことペラペラ話してんだろ
「私、あんたと違うから」
「誰しもがあんたみたいに前向きになんて生きてないのよ、わかる?」
水門が決壊するように溜め込んでいた気持ちが言葉として表出する。
こうなるともう止まらない。
これまで溜めてきた、溜まっていた澱みを吐き出すように、呪いの言葉を吐く。
その標的は目の前のこの女なのか、はたまた自分なのか、もう蓮子にはわからなくなっていた。
「ずっと1人で生きてきたし、今更他人と深く関わろうだなんて思わないわよ…寂しくなんかないし、今までうまくやれてきたのよ」
「あんたらが私を嫌いなように、私もあんたらなんか大ッ嫌い!私を好きにならない奴らなんて、全員死ねばいいのよ…私に必要ないもの」
「…もうね、なにもかもどうでもいいの。あんたのことだってすぐに忘れるわ」
「…嘘ね」
蓮子の独白を黙って聞いてきた女性は割り込むように呟く。
「…何よ」
「本当にどうでもいいんだったら…私にそのこと話す?」
「…………五月蝿いわね、あんたには関係ない」
言い負かされたような気分になり、子供のように言葉を返す。
「きっと私たち、正反対のように見えてよく似てるのよ」
「こうしてまた会えたのも何かの縁だと思わない?」
にこやかに笑い、女性は語りかけてくる。
「…くだらない、スピリチュアルなんか信じちゃいないわよ」
蓮子の気分はどんどん悪くなってくる。
「だからね、あー…その…」
女性は決まり悪そうに頬をかいている。
「…〜〜……!!なんなのよ!何が言いたいわけ?!」
人の心を見透かしたように語るくせに要点を言わない女性に蓮子はついに痺れを切らし、席を立ち悲鳴をあげるように叫ぶ。
「私と友達になって」
思考が止まる。
何を言ってるんだろう。
しばらく放心してしまった。
「ごめんね…私、口下手で…でも、あなたになら話せそうな気がしたんだ」
「…………」
「私、マエリベリー・ハーンっていうの。あなたは?」
女性、マエリベリー・ハーンはそう言って右手を差し出す。
握手を求められていることはすぐにわかった。
「………蓮子」
「え?」
「宇佐見蓮子」
「それだけは言っておく…日記拾ってくれた恩も、一応あるし」
「でも友達は嫌…見た感じあなたは社交的そうだし友達なら私以外の誰かとなればいいんじゃないの?…それに言ったわよね、あんたのことなんか、すぐに忘れるって」
蓮子はレモンティーを飲み干し顔を顰め、代金を支払う。
「こんな死神みたいな女と関わらない方があなたのためだと思うわよ…まあでも、あなたのいう"縁"とやらが本物ならまた会うんじゃないの?じゃあね、マエリベリーさん」
そうして蓮子は手を握り返すことなく店を後にした。
「………」
夜も更けた深夜、廃ビルに人影が見える。
「よし、開いた」
ピー、という音とともに電子ロックが外れる。
このビルは政府によって立ち入り禁止になり、有刺鉄線付きのフェンスが設置されていた。
侵入可能な扉には電子ロックがかけられていたが、何者かによってつい先ほど破られてしまった。
侵入者、宇佐見蓮子はケープを靡かせ帽子を押さえる。
何故蓮子がこのような行為に及んでいるか、その理由は蓮子の趣味にあった。
蓮子はオカルトに心酔しており、かねてより不法侵入などを繰り返し、政府により禁じられている結界暴きを行っていた。
大学生という身分になってからすぐは多少自重していたのだが、好奇心と日々のフラストレーションの吐口になっていたこの趣味をやめることなどできるハズがなかった。
このビルを守っている前時代的なセキュリティなど蓮子の敵ではなかったのだ。
偉くもないくせに偉そうに踏ん反り返っているぶくぶく肥えた政治家や官僚どもが「やってはいけない」と禁じている結界を暴く行為。
好奇心を持つなという方が無理な話だし、普通の生活に辟易している蓮子にとって非常に魅力的な話だった。
探せば探すぶんだけ、こことは違う別の世界に行ける気がして。
欺瞞と虚構に満ちた自分を一新させ新しい世界に生まれ変われるような気がして。
生まれ変われれば、こんな腐った人間の痕跡を綺麗さっぱり無くすことができると思ったから。
汚れた血、汚れた肉、汚れた魂が、洗われるだろうから。
昼間の女、マエリベリー・ハーンは、きっと
捻くれた、拗らせたオーラを全面に撒き散らす私に、何かを期待して、もしくは放っておけなくて、話しかけたんだろう。
それはきっと、善意と呼ぶものだ。
それはきっと、優しさというものだ。
それでも、蓮子には
この世に存在するとも思えなかった。
結局誰しも大切なのは自分だけで、他人は二の次なのだ。
自分の幸せのために、勝手に人を助ける。
自分の利益のために、勝手に人を裏切る。
きっと、人間というものはそういうものなのだろう。この私を含めて。
私が1人なのはきっと、この世界から、この世に生きるニンゲンという生き物に、宇佐見蓮子という生き物は望まれていないからなのだろう。
宇佐見蓮子がいなくても、世界の明日は約束されている。
宇佐見蓮子がいなくても、世界に何ら影響はない。
そう、きっと、無意味なんだろう。何もかも。
だから、何も期待しない。
だって、
叶いもしない幻想を抱き続けるなんて、辛いだけだから。
…それなら、好き勝手やったって、何も困らないでしょう?
今の蓮子の顔は昼間とは別人のように輝いていた。
さて、今回ルートから拾っていたのは…アタリかな
そんなことを考えながらてきぱきと道具を取り出し辺りを調べ始める。
整備もされず崩落した天井からは月明かりが差し込んでいる。
剥き出しになり錆びついた鉄骨が物寂しさを醸し出す。
蓮子は参考文献を片手にチョークで何やら陣のようなものを描き始めた。
「…さて、うまくいくのかね」
ぶつぶつとなにかを呟き、少し陣から離れる。
「…………」
が、何一つ変化は訪れない。
ちっ、ダメか
悪態をつき、陣を足で消す。
それと同時に、警備員が巡回してくる音が聞こえる。
正確には警備用のロボットだ。
ガッカリした気持ちを抑え、荷物を手早く纏めた。
床が崩落し一階の地面が見える穴に向けて走りだし、3階ほどの高さがあるにも関わらず蓮子は躊躇なく飛び降りる。
崩れた瓦礫でできた道とは言えない道を器用に伝って一階へと降りていった。
その動きはさながらパルクールのようだ。
そして難なく一階へと降りた蓮子は足早に廃ビルを後にした。
翌日、お昼時の食堂には学生たちが食事をとるため集まっていた。
蓮子も注文をするため列に並んでいる。
昨夜見せたあの生き生きとした目から一転しどんよりと睨め付けるような正気のない目をしている。
側から見てもわかるほど負のオーラを撒き散らす蓮子に他の学生たちは少し気圧されている。
「はい次の人、どうする?」
と、食堂のおばさんが明るい声で蓮子に尋ねてくる。
「あ…えと…かけうどんに…海老天ください」
予め何を注文するか決めていたとはいえ、いざ言葉にするとなると少し詰まってしまう。
「あ、私も同じのください!」
すると、聞き覚えのある声が蓮子の右隣から聞こえてきた。
まさかと思ってちらりと目線だけ右にやると、そこにはあのブロンド髪の少女、マエリベリー・ハーンがいた。
…チッ
心中で思い切り舌打ちする。
よりによって一番会いたくない相手がよりによって自分の真後ろに並んでいたのだ。
昨日の今日でストーキングでもされてるのではないかという考えが脳裏によぎる。
そういえば大昔の都市伝説であったな、メリーさん…だっけ
この人はそれだな、そうに決まってる
関わらなければいいだけのことだ、と割り切りうどんと海老天をトレーに受け取り、さっさとその場から去ろうとする。
「あら、ごめんねえ、海老天この人で終わりみたい。揚げれば出来るけどどうする?」
と、どうやら蓮子の海老天が最後だったようだ。
当然だが蓮子と同じメニューを頼んだマエリベリー・ハーンが海老天を食べられないことになる。
蓮子の背後では落胆の声が上がり、後ろから刺さる視線を感じる。
面倒臭いことになったと思いながらも、仕方ないので振り返りこう言った。
「私、特に食べたいわけじゃないから、あげる」
我ながらなんとも白々しいセリフだと思う。
まるで今思い出したかのように。
しかし蓮子の思惑通り、マエリベリー・ハーンはぱあっと顔色が明るくなった。
まあいい。このままどんよりしたオーラを出され続ける方が気分が悪い。
足早にその場を立ち去ろうとするが、マエリベリー・ハーンから声をかけられる。
「宇佐見さんだよね?ごめんね、ありがとう!よかったら一緒に食べない?」
嫌な予感はしていたが、案の定だった。
はぁ……と大きなため息をつく。
正直言って、これ以上関わってもロクなことにならないだろうし、無視してもいいのだが、そうすればまたうるさく付き纏われそうだ。
ぴしゃりと断ればいい。そうしよう。
適当に嘘でもついてその場を流せばいいんだ。
「別に気にしてない。一緒に食べる約束してる人いるから。じゃ」
ほとんど目を合わせずそれだけ言い残して足早に蓮子は去っていく。
「あ、待って!」
と止めるマエリベリー・ハーンの声も聞かずあっという間に蓮子はうどんを乗せたトレイを持って食堂の奥の方へ消えていった。
置いていかれたマエリベリー・ハーンはぷく、と頬を膨らませ、
「あの仏頂面、意地でも崩してやるんだから!」
と決意を新たにした。
夕暮れ時、蓮子は電車に揺られていた。
イヤホンを耳に挿し、音楽を再生する。
壮大なハッピーエンドを彷彿とさせる曲調に、絶望と滅びを想起させる歌詞。
これこそ私が望む滅びに相応しい、と心底くだらない思いを抱く。
座席の外から見える夕焼けと京都の街並みを一瞥し、目を閉じる。
外界と己を切り離し、自らの殻の中に籠る。
家に帰り、即席の合成食料で飢えを満たし、太郎と軍曹に餌をやり、寝る。
そして起きて、大学に行く。
ずっとその繰り返しだ。
……いつまでこのサイクルが続くのだろうか
ふとそんなことを考えてしまう。
最近、何度も何度も消えてしまいたい、と思うことが増えてきた。
しゃぼん玉がぱちんと弾けて消えるように、ある瞬間ふっと消えてしまって、宇佐見蓮子という生命体は初めからこの世に存在していない…そんな世界を夢想する。
それは幻想だと分かっていながら、現実にそれが起きるのを願っている自分に気づいて愕然とするのだ。
……馬鹿みたい。
自嘲気味に笑いが漏れる。
すると、自分の隣に誰かが座ってきた。
目を閉じているのでそれが誰なのかはわからないが、蓮子にとってはどうでもいい存在、有象無象でしかない。
すると、急に隣の人物に肩を叩かれる。
ああ、イヤホンから音漏れでもしてたのか、と即座に感じ、イヤホンを外し流していた音楽を止める。
いざこざが起きてしまうと、また不必要な関係が生まれてしまう。
「すみません、音、漏れてましたか」
とりあえず謝っておこう、と隣を見て言う。
しかし、蓮子の視界に入ってきたのはなんとマエリベリー・ハーンだった。
優しい笑顔でこちらを見つめている。
嘘でしょ、と心底思った。
まさかこんなところまでストーキングしてくるなんて思いもしなかった。
本当に"メリーさん"みたいな人だな、と肩を落としつつ思う。
「何の用?」
「んー……」
"友達になって欲しいんだけどなあ" と言い淀む彼女。
蓮子は大きく溜息をついた。
ただただうざいだけだった。
「またそれ?私は別に友達になりたいわけじゃないから…はっきり言って、メーワク」
とイライラしながら言う。
しかし、"メリーさん"は"絶対あなたの仏頂面を笑顔に変えてやるって決めたもの"と鼻を鳴らす。
頭が痛くなる。
こっちは早く帰って眠りたいんだよ、と思いながら、 じゃあ勝手にすれば、と投げやりに答え、再びイヤホンを着けようとする。
しかし、"メリーさん"は待って待って、とイヤホンを外してくる。
「なによ」
と顰めっ面で言う。
友達になったんだから、お互いのこともっと深く知り合わなきゃ、と言って"メリーさん"は蓮子について尋ね始めた。
……もう勘弁してくれ。そう思うものの、一度決めて突っ走るタイプの彼女は止めようとしても止まらないだろう。
……面倒くさいな
はぁ、と大きなため息を吐いて、ぽつりぽつりと語り出す蓮子に満足そうにうん、うんと嬉しそうに相槌を打ってくる。
ひとしきり話し終えた蓮子は一息ついて尋ねる。
「…それで?私のこと根掘り葉掘り聞いたんだから、あんたのことも教えなさいよ、メリーさん」
蓮子がそう呼ぶ名前に、マエリベリー・ハーンことメリーさんは小首を傾げる。
「メリーさん?私のこと?」
「そ。…あんたどこからともなく現れるもん。都市伝説とか怪談とかにあるメリーさんだわ」
それに、あんたの名前言いにくいしと付け加える。
メリーさんは思いの外自分のニックネームが気に入ったようで、それがいい、そう呼んで、と嬉しそうに言っていた。
……そんなに呼ばれやすい名前が気に入るなら最初からそう呼んで欲しい、みたいなこと言え
心の中でツッコミを入れる。
さすがにそれを口に出すことはないが。
「私ね、孤児なんだ」
ふと、メリーさんは語り始める。
「小さい頃から施設にいて、育ててくれた親代わりはいたけれど、なんとなく、私ってひとりぼっちなんだって感じてて…」
さっきまでの明るい雰囲気とはガラッと変わり、重めのトーンでメリーさんは語り出す。
「だからね、あの受験の日に初めて出会って、私とおんなじような雰囲気を纏ってたあなたとどうしても話がしてみたくて」と悲しそうな笑顔でこちらを見つめる。
その笑顔に心のどこかがずきんと痛む。
蓮子はたまらず顔を逸らし、
「私も今までこんなに喋ったの、あんたが初めて」
と零す。
蓮子の言葉を聞いて、メリーさんは少し驚いたように目を大きくする。
そして、満面の笑みで、蓮子ちゃん、と名前を呼ぶ。
「蓮子ちゃん!これからよろしく!」
「…ちゃんはやめて、気持ち悪い」
と、嫌そうに言うと、"じゃあ蓮子、でいい?"と聞いてくる。
いきなり呼び捨てか、馴れ馴れしいヤツ
とまた一つ大きくため息をついた。
「じゃあ私もメリー、って呼んで」
とまたにこやかに笑うメリーさんに、反論する気力を削ぎ取られてしまった。
蓮子は再び大きなため息をつく。
するとメリーは"幸せ逃げるよ"と悪戯っぽく笑いながら言って来た。
余計なお世話だ、と心の中で毒づきつつ、 別にいい、と答える。
2人以外誰もいない車両は夕焼けに染められていた。
いつも長く感じる帰り道も、少し短く感じた。
「…それで?なんで着いてくるのよ」
と、蓮子はアパートの自室のドア前で呪うように言う。
メリーは"お泊まり会で親睦会!"と袋に入れた食材を見せてきた。
「あのさ…」
と恨言を言おうとしたが、どんなに言っても折れないだろうと感じた蓮子は諦めてまたため息をつく。
「言っとくけど、私の部屋汚いよ」
覚悟しとくのね、と軽く脅しをかける。
メリーは大丈夫だよ、と言って蓮子の部屋に上がる。
部屋の中に入ると、メリーは目を丸くしていた。
「ちょっと想像以上かも」
読み散らかされ、床に放り捨てられたオカルト本やCD、ゴミ袋の数々になんとも言えない顔をメリーは浮かべている。
足の踏み場ないじゃない、と横目で蓮子を見る。
「だから言ったでしょ、汚いって」
と、蓮子がため息交じりに返す。
それにしても…… メリーが蓮子に近付き辺りを見渡す。
よく見ると本以外にも雑誌らしきもの、漫画、ゲーム、脱ぎっぱなしの服……と様々な物が散らばっているのがよく分かる。
積み上げられた段ボールに大量に入っている即席合成食品の数々など目も当てられないほど散らかっている。
「蓮子って普段どこで寝てるの…?」
と訝しみと心配を混ぜた表情でメリーが尋ねてくる。
「どこって…ここだけど」
蓮子は押し入れの扉をがらりと開け、そこに敷かれた布団を見せる。
メリーがおそるおそる押し入れの中身を見てみると、布団の上には様々なものが散乱しており、とても寝ることができる環境ではなかった。
ただ唯一、机の周りだけがきれいだったのは唯一の救いである。
蓮子の部屋の有様にメリーは何も言葉を発さないので、
どうしようもなくなった蓮子は"とりあえず客に何も出さないのも失礼だから"と冷蔵庫からお茶を出し、メリーの分を入れてあげた。
そして自分の分のコップにも注ぐとそれを飲み干して一息つき、
「住めば都ってやつよ、家具配置も最適化されてるし欲しいものにすぐ手が届く」
と説明する。
とその時、メリーは蓮子の肩をむんずと掴み、"片付けましょう!"と真剣に語りかける。
蓮子は"えぇ…"と不満げな声を出すが、メリーは蓮子の意見は聞かず、蓮子を座らせ、蓮子の周りのものを拾い上げていく。
蓮子はそれを見て観念したのか、渋々自分の周りにある物を整理していく。
あんまり変なもの触ったりとか余計なことしないでよ、と釘を刺すが、効果は今ひとつだろう。
メリーは蓮子が食べた後の合成食料の空容器をてきぱきとゴミ袋に纏めていく。
そして蓮子の周りに転がっているものを次々と整理していったが、メリーの目にふと止まるものがある。
「ねえ、これ何?」
とメリーは蓮子に尋ねてくる。
それは手のひらサイズの八角柱だった。
面の中心には太陰大極図が描かれている。
「…それには触んないで」
と蓮子は低めに脅す。
するとメリーは少しびくりとして
「ごめんなさい…」
と言ってそれを元の場所に戻しに行った。
「それはあの日記と同じくらい大切なものなの」
と片付けながら蓮子は説明する。
そこでふと蓮子の手が止まる。
そういえばあの八角柱と日記はどこで手に入れたものなんだっけ。
……あれ?私はどうやって買ったんだろう。そもそもなんでそんなものがあったんだろう
と蓮子は不思議に思う。しかし思い出せない。ただ、とても大事にしていたことだけは覚えている。
何故か蓮子の脳裏に煙草の匂いが過ぎった。
どうしたの?とメリーに尋ねられ、蓮子はハッとして何でもない、とぶっきらぼうに言って止まっていた手を再び動かし始めた。
2人が部屋の中にあったものをすべて綺麗に整頓し終わる頃には蓮子の部屋も随分と見栄えが良くなっていた。
本は本棚の中に収められ、CDはジャンル別に、ゲームソフトはそれぞれのゲームディスクにきちんと分類され、ゲーム機の隣に整然と並べられていた。
「はあ、面倒だった」
と精一杯の嫌味を言う。
でも部屋が綺麗になると心もすっきりするでしょ、と言われはいはいそうですね、と適当に返す。
「お腹減った、あんた食材買ってきたんでしょ、泊まるんなら何か作ってよ」
と、蓮子はお茶を飲みながら言う。
じゃあ材料あるし簡単なものしかできないけど、と言いメリーは立ち上がり、食材を持って台所へ向かっていった。
そんなメリーを尻目に蓮子は太郎と軍曹に餌をやる。
太郎は蓮子の手から与えられる食べ物を美味そうに食べていたが、軍曹はいつも通り無表情のままであった。
メリーは台所で調理をしている。
手持ちぶさたになってしまったので、蓮子は日記帳の鍵の解錠に取り掛かった。
今まであれこれ試してきたが、何一つ進展はない。
捻りまくった頭をさらに捻り、あらゆる手段を模索する。
数十分格闘し続けていたが、ぐう、とお腹が鳴ってしまった。
集中の糸はそこでぷつんと途切れてしまい、背中から床に倒れ込んだ。
はあ、疲れた、と独り言を漏らしそのまま天井を見上げる。
目を瞑って寝ようとしたが眠気は一向に訪れない。仕方なしに蓮子は起き上がって台所へ向かった。
「あれ、どうしたの?」
と、包丁を手に野菜を切っていくメリーは言った。そして鍋の中のスープの様子を見つつ火を止める。
「手伝い、しようか」
「ありがとう、ちょっと待ってね」
と言って蓮子にはサラダ用のレタスを渡す。
蓮子は手早くレタスを千切りにしていく。
蓮子、料理上手だね、とメリーは褒める。
蓮子はあまり嬉しくなさそうな顔をして、まあこれくらい普通でしょ、と言った。
そしてまた黙々と作業をし続ける。
2人は協力して料理を作り終えると食卓を囲んだ。メリーが作ったシチューを蓮子は黙々食べる。
なかなかおいしいじゃない、という蓮子の呟きを聞いた瞬間メリーは心底ほっとした顔を見せた。
蓮子がごちそうさまと言うとお粗末様でした、とメリーは食器を持って立ち上がったが蓮子は引き止める。
私が洗うから、と言って蓮子は立ちあがり皿を持って台所へ向かっていった。
蓮子が洗い物をしていると、メリーが本棚に並べられた本の背表紙を眺めている。
その視線の動きは興味を持った本を一冊探すというよりも、何かを探すようだった。
やがてメリーはとある本に目を止めてじっと見つめ出した。
メリーの様子を気にしながら、蓮子は最後の皿を水に浸す。
メリーは手に取った本をパラパラとめくっている。
「境界…」
とメリーはぼそりと呟いた。
それを聞き、蓮子はどきりとする。
そういえば、境界暴きはご法度だった。
そのことを完全に忘れていた。
もし政府にチクられでもしたらたまったものじゃない。
蓮子は慌てて駆け寄り、どうかした?と声をかける。
メリーは少し驚いたような素振りを見せるがすぐに笑顔を取り繕った。
なんでもないよと蓮子に言い、メリーはその本棚をしばらく眺めている。
すると、突然メリーは実は私ね、と始め、
境界が見えるの、とぽつりと呟いた。
…え?
蓮子の思考は一時停止する。
今、なんて……
蓮子の顔はみるみると青ざめていく。
蓮子の様子を見たメリーは、ああ、やっぱり、と悲しげな表情を浮かべた。
メリーは話を続ける。
私は生まれた時からずっと、人とは違うものが見えていた、と。
きっとこんな気持ち悪いものが見えるせいで捨てられちゃったんだろうな、と俯きながらメリーは語る。
しかしそんなことを言ってもしょうがないと思ったのか、それとも諦めたのか、それからしばらくしてメリーは自分の特殊な能力について詳しく話すようになった。
物心ついた頃には既に結界と呼ばれるものの"すきま"が見えていたようだ。
メリーは小さい頃、それを覗き込みたいと思って、よく手を突っ込んでいたらしい。
ある時は塀に、またある時は屋根の梁に。メリーは何度も好奇心から境界線を越えてしまう事があった。
その度に孤児院の周りの人間は大層メリーを心配し、それと同時に気味悪がった。
それもそうだろう。ある時忽然と居なくなったかと思えばいつのまにか帰ってきているのだ。
メリーの事を良く知っている者ですら、メリーがどこへ行っているのか分からなかった。
それはまるで幽霊のように消え失せてしまいそうなくらいふわっとしていた。
「いつか、ふっと消えてしまいそうで、ずっとずっと怖かった。周りの人は誰も信じてくれなくって」
ひとつひとつ、噛みしめるようにメリーは語っていく。
忘れられたくない、認めて欲しい、そんな一心だった、と。
メリーの話を聞いていた蓮子は、ふと"ねえ"と話しかけ
「消えてしまいたい、って…思ったことなかった?」
と、ほぼ無意識にメリーに尋ねてしまう。
しまった、と感じた時には既に遅かった。
メリーは"え?"と不思議そうに首を傾げ、そして答える。
"いつか世界に消されてしまうのが嫌だから消えたい、なんて思うわけ無いじゃない"
蓮子はその答えを聞いて息を飲む。
自分が今何気なく言ったことがどれだけ異常であるかを理解し、震えが止まらなくなる。
「そっ…か、そう…だよね」
蓮子は俯き己に言い聞かせるように呟く。
「分かってくれると、思ったのに」
「…そんなの、分かってたハズなのに」
呪詛のように蓮子は小さく呟く。
「…え?」
メリーは思わず聞き返す。
「…ううん、なんでもない。話、遮ってごめん」
と、蓮子は冷淡にメリーに謝った。
そうやって謝られたことに困惑しながらも、別に大丈夫、気にしてないからとメリーは応える。
蓮子はメリーの方を振り返らず、ただ食器を見つめているだけだった。
……一体何を考えているんだろう。
メリーは少しだけ不安になる。
何かまずいことでも言ってしまったのだろうか。
一瞬こちらに向けられた期待が失望に変わったのを、メリーはなんとなく察していた。
「あの…ごめん、何か気に障ること、言っちゃったかな」
「ううん、いいの、気にしないで」
別に怒ってなんかないから、と冷ややかに返される。
一瞬見えた蓮子の顔からは深い諦念を感じ取れた。
もう、どうしようもないのだ、と言われているような気分だった。
この空気に耐えられなくなったメリーは慌てて話題を変える。
しかし、その努力も虚しく結局すぐに蓮子が会話を終わらせてしまう。
そのあとは何を話しても反応は薄く、 そのまま時間ばかりが無情にも過ぎていくばかりだった。
「布団、埃はかぶってないから使って」
と、蓮子は布団をメリーに渡す。
「……うん、ありがとう……」
メリーは何も聞かず、言われるがままに寝床の準備を始める。
ただただ気まずさが二人の間に流れる中、メリーは蓮子の方を見ることが出来ないでいた。
どうして蓮子を傷つけてしまったのだろうと。
どこで間違えてしまったのだろうと。
そう思考を続けていると、じゃあまた明日、4月だけどまだ寒いからあったかくして寝て、とだけ言い、蓮子は押し入れの中の布団に潜り込みぴしゃりと押し入れの扉を閉じてしまった。
メリーは一声かける間も無く広い部屋にひとりぼっちにされてしまった。
押し入れの扉が蓮子の心の壁のように見えて仕方がなかった。
『消えてしまいたい、って思ったことなかった?』
蓮子に言われたセリフを反芻する。
…どういうことなんだろう。
どうして"死にたい"ではなく"消えたい"という表現をしたのだろうか。
まるで"あなたは自分が最初から存在したくなかったと思ったことがありますか"、とでも言いたいのだろうか。物騒な言い方だ。
自分には生まれてきた意味など無く、自分は誰にも愛されず望まれずに産まれてきましたと言われたようで。
きっと、紛れもない自分自身が消えてしまわないように生きてきたメリーと、消えてしまいたいと思いながら生きてきた蓮子とは、見えている世界は違うのだろう。
『私、あんたと違うから』
『あんたみたいに前向きになんて生きてないのよ』
『生きてるから生きてるってだけ、明日死ぬってわかっても何にもないし、何も感じない』
先日のカフェでの蓮子とのやりとりを思い出す。
あの時垣間見えた蓮子の深い闇の部分に、必要以上に干渉してしまったのかもしれない。
そう気付いた時にはもう遅かった。
物心ついた頃から蓮子は親と離れて1人だった。そう聞いた。
だからきっと、私の身の上を聞いて、自分の孤独を分かってくれるのではないか、と蓮子は期待していたのかもしれない。
期待していた分だけ失望も大きく、蓮子は今までの人生で最も深く傷ついたのだ。
しかしそれは、裏切られたという感情だけではない。
自分には"本当の意味で心を許せる相手がいない"ということを再認識させられたということだ。
1人にされる辛さは、分かっていたはずなのに。
悪気はなかったとはいえ、小さな勇気を振り絞って伸ばされた救いを求める手を結果的に振り解いてしまったのだとメリーは気付いてしまった。
後悔先に立たずとはまさにこういう事を指すのだろう。
そして今、自分のせいで蓮子はまたひとりぼっちになってしまっている。
そう思うと居ても立っても居られなくなり、蓮子の様子を見ようと押し入れを開けると、既に彼女は寝ていた。
「…ごめんなさい、私…」
ふと零れた謝罪の言葉にメリーはハッとして、音を立てないよう再び押し入れの扉を閉じた。
蓮子を起こさないように静かにそっと布団に入り込む。
とりあえず、今日はこのまま寝よう。朝になれば少しは気分が晴れて頭も回る筈だ。
真っ暗になった部屋の中でメリーは目を瞑り、眠りに落ちようとする。
しかし、メリーの意識はなかなか眠ることを許してはくれなかった。
暗闇の中、思考がぐるぐる回る。
消えたい。
消えたい。
きえたい。
きえたい。
言葉が重くのしかかる。
マエリベリー・ハーンは思い上がっていたのだ。
自分の都合だけを押し付けて、相手の想いを無下にしたのだ。
もう少し、違う答えを伝えることはできなかったのだろうか。
そんな後悔と自責の念で寝付けないまま2、3時間が過ぎてしまった。
時刻は丑三つ時あたりだろうか。
すると、蓮子が入っていったあの押し入れの扉ががらりと開く。
メリーは押し入れに対して背中を向けて寝ているため背後の様子は音によってでしか分からない。
何かが床に降り立つ音と振動が届く。
恐る恐る後ろを確認すると、蓮子が押し入れから出てきていた。
慌ててバレないように体制を戻す。
蓮子はメリーが寝ていることを確認し、着替え始めた。
メリーが起きている事に蓮子は気が付かないようだ。
蓮子はケープを羽織り帽子を被って何やら大きなバッグを持って静かに出ていってしまった。
ガチャリと鍵が閉まる音が聞こえる。
その音を聞いて、メリーは上半身を起こした。
どうしようかと考える前に足が勝手に玄関へ向かっていた。
メリーは靴を履いて蓮子の後を追うことにした。
急足で外へ出ると、どこかへ向かっていく蓮子の後ろ姿が見えた。
メリーには蓮子が何処に向かっているのか皆目検討もつかなかった。
ただ追いかけるしかないと思った。
追いつけるだろうか? そんな不安を抱えつつも、メリーは蓮子を追いかけた。
蓮子は人気のない方へどんどん進んでいく。
気付かれないようメリーもそれに続く。
蓮子は一体どこへ向かうつもりなのか。
蓮子はただひたすら歩き続けている。
何をしようとしているんだろう
そんな事を考えている内に、いつのまにか2人は小高い丘にたどり着いていた。
辺り一面に広がるのは、星空。満天の星々だった。
蓮子は手際よく望遠鏡を組み立ててから仰向けに寝転がり、星々を眺め始めた。
メリーも綺麗な星空に思わず見惚れてしまう。
「…え?」
その時、不幸にも視線を外した蓮子と目が合ってしまった。
「…寝てたんじゃなかったんだ」
とジト目で蓮子は呟く。
しかし、先程までのような暗い表情ではないように見える。
「…ごめん、こんな夜遅くに出掛けていったのが心配になって」
とメリーは謝った。
そして、隣に座ってもいい?と尋ねる。
蓮子は黙って場所を空けてくれたので、メリーはその横に腰掛ける。
蓮子は寝転がって空を見上げたまま口を開いた。
まるで独り言のように。
「昔から1人になりたい時はここに来てた」
この辺りは明かりが殆どないから星空がよく見えるの、と。
メリーの方を向かずにそう蓮子は言った。
確かに、周りに光源が何もないせいか、普段より星の光がはっきりと目に届くような気がする。
しばらくそのまま、お互いに口を開かない。
静寂を破ったのはメリーの方だった。
「ごめんなさい」
「…どうしたの、急に」
「あの時、私、あなたのことを何も気にしてなかった」
「…別に、気にしてないって言ったでしょ」
蓮子はメリーに背を向ける。
言葉の意味からは感じられないが、蓮子からは強い拒絶の意志を感じられた。
このままだと、何も変わらない
そう感じたメリーはもっと深く踏み込んでいく。
「どうして…消えてしまいたい、って思ってるの?」
蓮子の表情が少し曇る。
「…私、消えたいなんて言ったかな、あなたに聞きはしたけど」
蓮子は背を向けたまま尋ねる。
その声色は怒りを孕んでいた。
「…たぶん、蓮子はそう思ってる…違う?」
「…そうだって、言ったら?軽蔑でもする?」
蓮子の言葉に、メリーはそんなことない、と叫ぶ。
そして、ただ、と続ける。
「ずっと考えてて、寝られなかった。でも分からなかった。辛いとは思うけれど、知りたいの」
メリーは蓮子の隣で横になる。
「…なん、でだろう、私もよくわかんないや」
ぽつり、と蓮子は言葉を発した。
それからポツリポツリと、途切れながらも話してくれた。
ずっと漠然とした不安感が蓮子の胸中にあること、自分が人と違うことへの恐怖。
他人への恐怖、不信。他人が寄越してくる"善意"というものに疑いしかない。
"善意"の裏にある形容し難い気持ちの悪いもの、それを想像しただけで吐きそうになる。
それ以上に、不可解だった。
何故にこんな人間に優しさを向けるんだろう。
生きる理由も目的もない、世界に対して何の役にも立たない、ただ資源を浪費していくだけの塵屑に。
どう生きていいかわからない。どう死ねばいいのかもわからない。
何故なら、宇佐見蓮子という生き物には価値がないから。
目的もなく、理想もなく、過去もない。ただ日々を浪費し、噛み潰し、惰性で生きていく。
右に倣えと言われて右に倣う、虚勢を張って上っ面を飾る。
そんな骨の髄まで腐っている見て呉れだけの塵は、クソの役にも立たないのだ。
周囲に頼れる人間などいない。当然だろう。こんな人間には頼る価値も、頼られる価値もない。
ただなんとなく生きて、なんとなく死ぬ。
自分で死ぬのも怖いから。
消えたい、なんて言い訳して。
そして事故なんかで早めに死ねたらいいな、なんて思う。
そんな、塵芥。
そして結論付けた。
宇佐見蓮子は生まれてくるべきではなかったのだ、と。
堰き止めていたものが溢れ出すにように蓮子は語り続ける。
その一つ一つが、蓮子がどれだけ苦しんでいるのかメリーに思い知らせる。
そして、 今まで誰にも言わずに秘めていたこと、それを自分にだけ打ち明けてくれているという事実が、更に心を掻き乱していく。
「…あなたには、」
と、蓮子は続ける。
曰く、淡い期待を持っていた。
曰く、初めて理解者と呼べる人間と巡り合えたかも、と思えたことを感謝した。
曰く、悪意はないのは理解している、そう信じたいが、それでも期待は裏切られた。
曰く、歩み寄ってくれたあなたに対して
一通り語り終えた蓮子を見て、メリーは伝えたいことを言葉にする。
「…こんなこと言っても、蓮子の消えてしまいたいっていう気持ちは変わらないかもしれない。でも、言うね」
「…私は、蓮子が消えちゃうと寂しいよ」
初めてできた友達だもの、と己の気持ちを確かめるように言う。
「ねえ蓮子、あなたはそんなことないって思うだろうけれど、私はあなたに出会えてよかったと思ってる」
「これからきっと、沢山楽しい思い出が作れるって信じてる」
メリーは左手を蓮子の右手に重ねる。
「自分に価値がないなんて、そんなこと言わないで」
「私はあなたを頼るし、あなたも私を頼ってほしい」
それが、私があなたに出来る精一杯だからと続けた。
蓮子はメリーの言葉に答えを返さなかった。
しかし、メリーはそれを気にすることなく蓮子の手を握ったまま、再び空を見る。
蓮子はしばらく黙っていたが、不意に上半身を起こした。
「…きっと、怖かったんだと思う」
その顔つきから先程までの悲痛な感情が幾分薄まっている気がして安心する。
ただそれはほんの一瞬だったようで、また元の暗い表情に戻ってしまった。
蓮子は言葉を続けた。
「自分が人から愛されるなんて、信じられない」
自分にそんな資格は、きっとないんだと思う、と膝を抱え呟く。
だから、そこから目を逸らすために、逃げるために、そう気づいてしまって傷つけられる前に、世界を、他人を拒絶する方が楽だった、と。
しかしそんな手段は、結局のところ逃避にしかならず、解決に向かうはずもなかった。
ただ自分の首を絞めていくだけだった。
もしも自分と分かり合える人が現れたとして、普段周囲に見せている"宇佐見蓮子"と、ほんとうの"宇佐見蓮子"は、全くの別人なのだ。
ほんとうの"宇佐見蓮子"を知れば、必ず失望する。
失望して、幻滅して、必ず、見限る。必ず。
そんなの、耐えられない。
本当は欲しかった。
1人でいるのは、辛かった。
「人と関わるのが怖い。
「"おまえのせいで"って、"おまえがいたからだ"って、言われるのが堪らなく怖い」
「…私と居ても、私はきっとあなたを傷付けるだけだよ」
と、悲しそうに蓮子は言う。
……もう限界だった。
メリーは、蓮子を引き寄せて強く抱きしめた。
蓮子は驚いている様子だったがされるがままにメリーに身体を預けている。
少ししてから蓮子はゆっくりと話し出した。
私なんかじゃなくて別の人と一緒の方がいい、こんな暗い私と一緒にいたって、いいことないよ、と呟く。
そして、私はあなたを傷つけるだけ、だから何もしない方がいい、と続けた。
あなただって、傷つくのは嫌でしょう。
死神女と連む変人、と後ろ指を指されるのは、耐えられないでしょう。
なにより自分のせいで傷ついていくあなたを見るのは、私には耐えられない。
「私は、傷付けられたって、構わないよ」
メリーの言葉に、どうして?と、嗚咽混じりに蓮子は尋ねる。
「だって、ヒトって、そういうものでしょう?傷つけて、傷つけられて、それでも一緒に生きていく、人間は、きっとそういう生き物なんだよ」
「他人を知らなければ裏切られる事も、裏切ってしまうことも、互いに傷つくことも、きっとないと思う。でも、寂しさを忘れられる事も、きっとないよ」
「人はずうっと寂しいんだと思う。だからこそ、他人を求めるんだよ、他人の温もりが、人の持つ寂しさを、埋めてくれるから」
メリーは優しく語りかける。
「だから…あなたのその苦しみを、痛みを、私にも背負わせて欲しいな」
2人で持てば、きっと少し軽くなるよ、と続ける。
すると、それまで黙っていた蓮子が静かに口を開いた。
優しいね。私にはもったいないな、とぽつりと呟く。
「じゃあ、メリーが辛い時は、私もメリーの辛さを半分引き受けるよ」
えへへ、と笑い、ありがとうとメリーは返す。
「あ…」
すると、2人の上で星が流れた。
2人同時に流れたそれに驚きつつも声が被ってしまった事に笑みを浮かべてしまう。
「綺麗だねえ」
「うん」
2人は仰向けで満点の星空を仰ぐ。
「…やっと笑ってくれたね」
メリーは顔だけ蓮子の方を向く。
「…うん、久しぶりに笑った気がする」
蓮子は再び星を見る。その瞳は星の光を受けキラキラと輝いていた。
この目が好きだと心の底から感じると同時に、その美しい目が悲しみの色に染まって欲しくないとメリーは願った。
すると、蓮子がねえ、と声をかけてくる。
「…なんで、私によくしてくれるの?」
その問いに対して、メリーは対して考える素振りを見せず答える。
「私の、ただのわがままだよ」
真っ直ぐ蓮子を見つめ、微笑みながら答えるメリーに、蓮子も微笑み返す。
「…そっか」
その時、メリーは何かに気づいて"あ"と声を漏らす。
どうしたの、と蓮子が尋ねる。
「蓮子んちの鍵…持ってないから開けっぱなしで出てきちゃったんだった…」
「あー!!」
蓮子は目頭に残った雫を拭って慌てて飛び起きる。
「そうよ!勝手にここまで追いかけてきて!泥棒入られたらどうすんのよ!」
そうだった、どうしようとメリーはオロオロし始める。
「早く帰るわよ!駆け足!!」
「あっ、待って!」
蓮子とメリーは慌てて丘を駆け降り家路を急いだ。
その後、2人は慌てて蓮子のアパートに戻り部屋を確認した。
幸いにも泥棒に入られた形跡はなく、2人はほっと胸を撫で下ろした。
まったくもう、と蓮子はジトッとメリーを見つめる。
まあ、夜遅くにあなたを置いて外に出た私も悪いんだけど、肩を落とした。
一応女子大生って身分だし、気をつけなきゃね、と自分に言い聞かせて反省しておくことにした。
さっきまで泣いていたせいか、ちょっと頭がぼーっとして、まだ思考がまとまらない。
そういえば、私、泣いてたんだ
思い返すと少し恥ずかしくなってしまう。
時刻が深夜なこともあり、2人同時に欠伸をしてしまった。
それがおかしくて、お互いに小さく笑う。
寝ようか、とメリーは言う。そうね、と蓮子は返した。
蓮子は押し入れの中の布団に潜り込み、おやすみ、ありがとうと笑みを送り、押し入れの扉を閉じた。
メリーも微笑んでおやすみなさい、と返し、電気のスイッチに手をかけた。
………… メリーはその手を止める。
そして少しだけ考えた後メリーは電気を消し、そのまま蓮子が入っていった押し入れの扉を開ける。
……なんだか今日はよく眠れそうな気がするから、今夜はこっちのベッドにお邪魔してもいいかな、なんて思って。
そうして、ゆっくりと蓮子と同じ布団に入る。
……やっぱり狭いなあ……と思いながら蓮子に背を向けるようにして横になる。
「…なんで入ってくるのよ、狭いじゃない」
「…こっちの方があったかそうだった…から?」
何よそれ、と蓮子は笑う。
でもその笑い方からは、嫌悪感などは全く感じられなかった。
メリーはそのまま蓮子の言葉に甘えて彼女の方に向き直り、背中合わせで寄り添いあう形となる。
2人は少しの間沈黙し、やがてどちらからともなく言葉を交わす。
「ねえ、蓮子」
「どしたの」
「また一緒に星を見たいね」
「じゃあ、今度プラネタリウムとか行ってみる?」
「いいかも、行こうね、絶対だよ」
「はいはい、わかったわかった」
約束だよ、と呟いて、メリーの意識は眠りの中へと落ちていった。
その夜、あまりの寝苦しさにメリーは目覚める。
ごつん、という鈍い音とともに蓮子の腕がメリーの頭に振り下ろされた。
「っっ~~~…!!」
と悲鳴を上げることもできずメリーの身体に電撃のような痛みが流れる
「らいでぇん…今すぐゲーム機の電源を切るんだぁ…」
と訳の分からない寝言を言いながら蓮子は穏やかな寝顔を浮かべている。
ただでさえ狭い押し入れの中で蓮子の悪すぎる寝相のせいでメリーはどんどん隅に追いやられている。
(蓮子のばか……)
と内心蓮子を罵るがこの状況では文句すら満足に言えないのである。
もともと蓮子の布団に入り込んだのはメリー本人の意思なのだから。
「蓮子ぉ……」
と涙目になりながら蓮子の名前を呼ぶが返事はない。
蓮子の腕を無理やり動かして脱出を試みる。
しかし蓮子の方が力は強く、メリーの頭には更に蓮子の手が強く叩きつけられる。
「いたっ!」
と思わず声が出る。
たまらずメリーは蓮子から逃れようと身を捩らせるが、蓮子はそれを察知したかのように今度はメリーを抱き枕のように抱き寄せてきた。
もう食べられない、などというテンプレートそのままのような寝言を続けている。
この体勢からどうやって抜け出せと言うのだろうか。
蓮子の寝相の悪さはもはや才能と言えるレベルなのではないかと思う。
このまま朝まで耐えられる自信がなかった。
メリーは蓮子に押しつぶされている腕を何とか抜き出し、這い出るように蓮子から離れる。
しかし蓮子はメリーを引き留めるようにメリーの服を掴み、再び蓮子の腕の中に収まってしまう。
蓮子はメリーを抱きしめたまま、ううん、と小さく身じろぎをする。
メリーは再び蓮子から逃れるためにもがくが、蓮子の腕力によってそれは叶わない。
無意識なのだろうが、凄い力だ。こんな華奢な体でどうやってこんな力を出しているのだろうかと不思議になる。
そんなことを思っているうちに蓮子はメリーを逃さないようにとさらに強い力でメリーを締め付ける。
「蓮子、苦しいってば!起きてよ蓮子!」
と大声で叫ぶと、蓮子は目を覚ました。
「……あれ、私…??」
蓮子は寝ぼけ目でメリーを見つめる。
そして状況を理解したのか"あー…"と決まり悪そうに言う。
「……ごめん」
そう言って蓮子が手を離すと、メリーはようやく解放された。
「まさか蓮子がこんなに寝相が悪かったなんて…」
「無自覚でござんした」
苦笑いを浮かべて申し訳なさそうに蓮子は言う。
「やっぱり部屋の布団で寝たほうがいいよ、押し入れの中だとあんたを圧縮しちゃいそう、いずれ」
蓮子の言葉に、メリーも命の危険を感じたのか、そうするね、と言って押し入れから出て行った。
「じゃあ今度こそ、おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
短く言葉を交わし、蓮子は押し入れの扉を閉めた。
翌日、遅くまで起きてしまっていたせいで、メリーが目覚めたのは昼前だった。
メリーが高くまで昇っている太陽の光を浴び、枕元の時計を見てあちゃあ、と呟く。
すると、押し入れの扉ががらりと開き、そこから顔が髪の毛で隠れた女が這い出てきた。
その女はメリーの視線に気づくと、おはよう、と眠そうに挨拶をした。
髪の毛で顔が全く見えないその様は、さながら呪いのビデオの怨霊のようだ。
貞子は押し入れの上の段から転げ落ち、ごつんと鈍い音が響く。
「いたい…」
「…大丈夫?」
メリーの言葉に貞子、もとい蓮子は涙目であくび混じりに返事をする。
「なんとか……」
蓮子は立ち上がり、頭を撫でながら言った。
「昨日はほんとにごめん、なんか夢見てたみたいで全然覚えてないんだけど……」
「ううん、いいの、気にしてないから大丈夫だよ」
「もう12時近いや…」
寝ぼけ眼を擦りながら時計を見て蓮子はぼやく。
「私は今日は講義ないから大丈夫だけど…蓮子は?」
「私も大丈夫…今日は特に予定、無かったから」
あんたと友達になってなければね、と付け加え、蓮子は洗面所に向かっていった。
メリーは蓮子の後ろ姿を見送り、ふぅ、と息を吐いてから立ち上がる。
窓を開け、換気のために網戸を開けたままベランダに出る。
心地よい風が吹き込み、メリーの髪を揺らした。
外の景色を見ると、いつもより少しだけ綺麗に見える気がした。
「じゃあ、いつまでもお邪魔してるのも悪いし、私はそろそろ帰ろうかな」
とメリーは荷物をまとめ始める。
蓮子はそう、とだけ言って歯を磨き始めた。
蓮子は口を濯いで帰り道気をつけて、と声をかける。
メリーも笑顔を見せてそれに応える。
そして部屋を出る前に、メリーが振り返って口を開いた。
「これ、私のアドレスだよ」
と言って小さなメモ用紙を手渡した。
いつでも連絡してね、とメリーは言って蓮子の家を後にした。
1人になると急に家の中が静かになってしまったように感じる。
蓮子はメリーが出て行った玄関の方を見ながらため息をつく。
しかしすぐに気分を変えるために首を横に振った。
「まあいっか」
蓮子は独り言を呟き、冷蔵庫の中から麦茶を取り出してコップに注ぐ。
「友達、か」
蓮子は昨日のことを思い出し、ぽつりと呟いた。
どうしてだろうか悪い気はしなかった。
今の今までたった1人で生きてきた蓮子にとって初めてできた他人以上の存在だ。
そんなことを考えている自分に蓮子は思わずくすっと笑ってしまった。
友達が出来たことに喜ぶ子供みたいな自分の姿が恥ずかしかったのだ。
蓮子はゲーム機の電源をつけ、ゲームを始める。
「はあ?!まぐれでしょ今の!」
蓮子がコントローラーを放り投げ、大声で叫んだ。
画面の中ではキャラクターが華麗なコンボを決めている。
しかし蓮子のキャラクターは何も出来ずに負けてしまった。
対戦相手はしゃがみを連打し蓮子を煽っている。
「だああああっ!!クソっ!!クソゲー!!二度とやらんわクソゲーめ!!」
蓮子は叫び、再びコントローラーを投げ捨てた。
背中から倒れ込み、大きくため息をつく。
「…………」
「………もっかいやろ」
「………っっ!!しゃああ!!!ざまーみろくそったれーーーっ!!」
蓮子の雄たけびと共に、コントローラーが宙を舞った。
ようやく一勝できた蓮子はホクホク顔でゲーム機を片付けた。
外は既に暗くなり始めている。
「………ご飯作んの面倒だな」
蓮子は床に横になりながらぼそりと言った。
その瞬間、ぐぅ~、とお腹が鳴る音が聞こえた。
蓮子のお腹の音だった。
ぐううう、と今度ははっきりと聞こえる。
蓮子は苦笑いを浮かべ、ゆっくりと立ち上がった。
「…どっか食べに行こ」
蓮子は身支度をして家を出た。
まだ明るい時間帯のせいなのか普段よりも人が歩いているように見える。
すれ違う人たちの顔を見るたびに誰かわからないが何か違和感を感じたような気がしたが、それはただ自分が他人にそこまで興味がないだけなのかもしれないと思った。
蓮子は繁華街から少し外れた場所にある寂れたラーメン屋に入っていった。
「おじちゃん、来たよ」
と蓮子は言いながらカウンター席に着く。
すると奥にいた白髪の男が振り向いた。店主のおじさんだ。
彼は一瞬蓮子を見て驚いた表情になったがすぐに営業スマイルに戻した。
そして手際よく水を出す。
随分と久しぶりだねと言われ、注文を尋ねられる。
「まあね、今日はたまたま」
そう言って、蓮子はいつものようにメニューを見ずに適当に頼んだ。
このラーメン屋の店主は蓮子の数少ない知り合いの1人である。
ボロい店のせいで客もほとんど来ない。蓮子がこの店を好んでいる理由の一つは蓮子が通っている喫茶店と同じ理由だ。
「味美味しいんだから、もっといいとこに店出せばいいのに」
蓮子が言うと、店主は困ったように笑って言った。
いいんだよ。それにここの方がいい思い出もある。穴場ってのもいい響きだろう?
そう言って、彼は昔を懐かしむような顔をした。
「東京にあるんだっけ、店」
「師匠のね、"龍星"。だからウチは"龍星群"」
ランクアップね、と蓮子は笑う。
「師匠の味に追いつけ追い越せ、の精神で続けてるよ」
その時、黒い柴犬が蓮子に向かってきた。
「そういえばこの子、おじちゃんのお師匠さんのお店の写真にも写ってるよね」
蓮子の問いに、店主は師匠の店で飼ってた子の子供だよ、と答える。
「店の中で放し飼いしてるのおじちゃんの店だけだと思うよ」
「はは、師匠の店の真似をしたいってんでやってるだけさ」
だからお客減るんじゃ…と言い放ちそうになるが蓮子は我慢する。
「師匠の店、東京のスラムにあったから」
そういえば、あの大災害からもう十数年経つんだね、と店主は湯切りをしながら言う。
「私、その時の記憶ほぼ全く無いや」
子供だったんだからね、仕方ないさと店主は笑いかけた。
十数年前、地球全土をほぼ同時に大災害が襲った。地震、津波をはじめとした天変地異が世界中で発生。
街が丸ごと消滅した、地面が大きく抉れ途轍もない大きさのクレーターができた、などさまざまな情報が飛び交い、今でも空を飛ぶ人間を見たとか、巨大な積乱雲が割れた、などの都市伝説や陰謀論が囁かれている。
その後日、月にも何かが凄まじいパワーをもって衝突した跡が残っており、隕石が月に跳ね返って地球に衝突したのだ、などの噂も広まっている。
ただ、一つ確かなのは世界中を混乱に陥れるほどの災害だったということである。
「東京に爆弾が落ちて壊滅してからももう100年近い、当時の人はもうほとんど生きていないだろうしね」
災害大国とはよく言ったもんだよ、と店主は丼を渡す。
それを受け取り、蓮子は礼を言って、割り箸を割る。
スープを飲んで、麺を食べる。
「師匠がね、東京で店をやってた頃よく食べに来ていた客のことをよく話してたよ」
「不思議な格好をした客でね、車椅子に乗った女の人と、ハデな色の道着を来た金髪の女の人と、魔法使いみたいな格好をした黒髪の女の子だ」
「毎回同じのを頼んでスープまで飲み干して"美味い"って言うもんだからおかしくて嬉しくて、と楽しそうに話してたよ」
店主の話に蓮子はふうん、と返す。
「彼女らが決まって頼んでたのがそのラーメンだよ、トッピングも全く同じ」
蓮子は店主の話を興味深そうに聞いている。
武術の道着を着てるくせに"探偵だ"なんて言うからよく覚えてる、と教えてもらったと店主は語る。
「いつかその人にウチのラーメン食べてほしいんだ」
「…来てくれるといいね」
蓮子がそう言うと、店主は微笑みながら言った。
「ああ、そうだな」
「で、なんかいい情報入ってない?」
蓮子はスープまで飲み干して丼を返し、水を飲みながら言う。
「また境界絡みかい?あんまり首を突っ込み過ぎるといつか痛い目見るぞ」
蓮子はいいの、と言って催促する。
店主はほら、と言って紙を渡す。
「郊外の廃墟群で妙なことが起きていてね」
蓮子は渡された紙を見る。
そこには地図が描かれており、赤い点が幾つかある。
「なあにこれ」
「いわゆる神隠しが起こった場所、だそうだ」
店主は答える。
「ふーん…神隠しね」
「噂によると廃墟になった研究施設の地下に連れ去られてとんでもない実験をさせられる、とか…まあ噂が噂を呼ぶって奴さ」
店主は冗談混じりに言う。
「へえ、面白そうじゃない、詳しく」
「そう言うと思ったよ、安全の補償はしないからな」
店主はやれやれといった顔で言う。
「神隠し…」
翌日、蓮子は大学の図書館で文献を漁っていた。
神隠し、それは文字通り人が行方不明になることだ。
突然何の前触れもなく居なくなることから妖怪や超常現象の仕業とされている。
神という存在があるのならばきっと人よりずっと気紛れなんだろう、蓮子は思ったりする。
…そもそも蓮子はそんなもの信じてなどいないのだが。
ただ、神か悪魔かわからぬ存在により蓮子の人生は大きく歪められた事は確かだった。
……いや、蓮子だけの人生ではない、あのメリーも同じような境遇だ。
時刻と場所がわかる、そんな不思議な視覚。
そんな不思議な眼を持っている人物が1人ではなかったことに昨日気が付いた。
境界が見える、か…
確かにそう言っていた。
そもそも彼女はどのような生い立ちなのだろうか。流暢に日本語を話してはいたものの髪色を見る限り日本人ではなさそうだったが…
考え事をしながら本をめくっていると後ろからひそひそと話す声が聞こえてくる。
学内では腫物のように扱われている蓮子だ。陰口でも言われているのだろう。
「…………」
蓮子はわざと大きな音を立てて本を閉じる。
周りにいた学生達は蜘蛛の子を散らすように去っていった。
蓮子はその様子を見届け、ふん、と鼻を鳴らした。
蓮子が手元の本を再び開き視線を落としたその時、背後に気配を感じ、蓮子はばっと振り向く。
「わわっ」
後ろに立っていたのはメリーだった。
「…忍び寄ってきて何の用?」
蓮子がぶっきらぼうに尋ねると、メリーは苦笑いしながら答えた。
「ごめんね、集中してるみたいだったから驚かせようと思ってつい…」
えへへと頭を掻いて謝るメリー。
「それにしてもよく気がついたねえ」
自信あったのに、とメリーは口を尖らせる。
「昔からこういうの敏感だから…私をなんらかの感情を伴って意識的に見てる人は私から見えてなくてもなんとなくわかるの」
ふーん、と呟きながらメリーが蓮子の隣に座ってくる。
蓮子はそれをちらりと横目で見るが気にしない素振りをして本を読む。
しかし蓮子には先ほどからチラチラこちらを見て話しかけたがっているメリーのことがわかり、ため息をつく。
「……なに?話したいことあるなら聞くけど…聞くだけね」
蓮子の反応を見たメリーはぱあっと表情を明るくさせ、嬉しそうにうん、と言った。
どうやら当たりらしい。
蓮子はその様子にまた一つため息をつき、本をパタンと閉じた。
すると、メリーは蓮子に耳打ちしてくる。
「ねえ、蓮子って境界暴き、してるんでしょ」
蓮子は思わず眉間にシワを寄せ、メリーを睨む。
しかし、メリーは全く意にも介さず言葉を続ける。
まるで蓮子を試しているかのように。
蓮子はその問いに対して答えるべきか少し迷ったが、結局メリーの瞳を見て言った。
「あのね…一昨日部屋で見た本を証拠に言ってるんだろうけど、あれは研究のために置いてるの、勘違いしないで」
メリーは訝しむ目で蓮子を見つめてへえ、とだけ言う。
「…なによ、疑ってんの」
メリーはその問いにうーんと首を傾げてから答える。
蓮子はその様子を見て更に顔をしかめた。
蓮子はメリーを赤の他人よりは信用しているし信頼している。
ただだからといって触れてほしくない部分にまでずかずか入り込んで触れてほしくはないのだ。
そんな複雑な気持ちでメリーを見るが、当の本人はというとその真意を汲み取る事無く、 蓮子を見て不思議そうな顔でこう答えた。
蓮子にとって予想もしていなかったことを。
いとも簡単に。
なんの前置きも無く。
当たり前であるかのような。
「だって、私もやってるもの、結界暴き」
「…は?」
蓮子の間の抜けた声が図書館に響いた。
蓮子は目の前にいる少女、マエリベリー・ハーンを呆然と眺めていた。
「ここじゃ話しづらいから、よそに行きましょうよ」
そう言ってメリーは立ち上がる。
はっとして我に帰った蓮子が後を追おうとすると、「本、借りるならちゃんと手続きしてきてね」と笑顔で言い放たれた。
そのまま蓮子を置いてメリーが歩き出す。
蓮子はその背中を見て慌てて本棚に向かう。
貸し出し用の機械を操作しながら、蓮子は頭の中で今言われたことを考えていた。
メリーの発言が信じられなくて、しかしそれを否定する証拠は何も無い。
だが自分にそれを話すメリットはないはずだ。
わざわざ"私は犯罪犯してます"と白状するようなものだからだ。
しかし、それならどうしてこんな突拍子もないことを言うのか。
それに、なぜ境界を暴いているのか。
蓮子は様々な思考に頭がいっぱいになりながらも手続きを終え、再びメリーの元へと向かう。
「あ、早かったね、ちゃんとしてきた?」
司書さんに怒られるよ、と笑うメリーに、さっきの話はなんだよと言いそうになる。
だが、蓮子はグッとそれを飲み込み、平静を装って「大丈夫よ、あんまり舐めないでよね」と答えた。
「……それで、さっきの話、本当なの」
食堂にて、列に並びながら蓮子はメリーに尋ねる。
先ほどの話がどうにも引っ掛かり落ち着かない蓮子に、メリーは特に動揺した様子もなく答えてきた。
「ほんとよ」
「…………」
脳が理解を拒む。今すぐにでも頭を抱えたくなった。
「…席、ついてから詳しく聞く」
蓮子のその一言にメリーは無言で微笑んだ。
蓮子達が並んでいた最後尾の順番が回ってきた。
「おまちどうさま、ご注文は何になさいますか?」
そう尋ねられた蓮子は一瞬考え、それからメリーの方を見るが、メリーは既にうどんを頼んでいた。
…じゃあ私もうどんでいいや
「かけうどん…大盛りで、あとかき揚げお願いします」
やはり会話というものは疲れるものだ。
肩を落としため息をつく。
すると、横でメリーは蓮子がうどんを頼んでいたのを見ていたのか、
「すみません、お金私が出しますから、彼女に海老天一個お願いします」
揚げたてで!と元気よく言った。
「このあいだのお返し」
「…ありがと」
にっこり笑うメリーに考える気力が削ぎ落とされてしまった。
「…じゃあ、詳しく教えてよ、境界暴きのこと」
席につき、蓮子はうどんを噛みながらジト目で言う。
しかし対するメリーはその言葉を待っていたかのようにニヤリと笑った。
そしておもむろに懐に手を入れ何かを取り出したのだ。
その手に握られていたものは、綺麗な石だった。
「…なに、それ」
怪しげな雰囲気を出すそれに、蓮子はやや身を乗り出す。
一方メリーはそれを見ると、得意げな表情を更に濃くする。
「これね、境界の"むこうがわ"から持ち帰ってきたものなんだ」
そう言って蓮子に見せつけるように手の中の石を揺らす。
境界のむこうがわ? 蓮子は思わず聞き返した。
境界のむこう側、それはつまり、我々が観測できない世界の向こう側だ。
そんなところに行って帰って来れるなんて、それこそ物の怪の類いのような話ではないか。
いや、実際に目の前にあるのだからそうなのだろう。…メリーが嘘をついていなければの話だが。
やはり蓮子にはそれがどうしても信じられなかった。
この世界とは違う世界にずっと想いを馳せてきた蓮子にとって、境界の向こう側は、夢の果てであり、それこそある種の御伽噺だった。
だが今、その夢物語の世界への扉が開いたかもしれないというのである。
蓮子は混乱していた。
今までに見たこともないような物を見せられ、それを信じるべきか信じざるべきか。
メリーを疑う気持ちよりも、その未知に対する好奇心の方が勝っていた。
だが、もしこれが本物だとしたら、これは世紀の発見どころではない。
世紀の大発見、世界の常識を覆す程のものだ。
蓮子はごくりと唾を飲み込むと、メリーの手の中を覗き込んだ。
「……それで、どうやって行ったの」
「境界の"向こう側"にってこと?」
「…それ以外に何があるの」
蓮子はうどんを咀嚼しながらまたジト目になる。
「話してもいいけど、まずはうどん飲み込みなさい。お行儀悪いよ」
…それはそう、メリーの言う通りだ。
蓮子は再びうどんを箸で掴み、口に運ぶ。
「…ごめん」
蓮子が謝ると、素直でよろしい、とメリーも再び麺をちゅるんと吸い上げた。
「で、どうやったの」
「うーん、私は境界の切れ目…というかなんというか…そういうものが見えるって話、したわよね」
蓮子はうどんを啜りながら頷く。
メリーが言うには、
「その境界の境目を、ちょっとずつ広げていって、隙間を見つける。で、その中に入る。以上終わり」
と言う事だった。
……なるほどわからん
わからないということがよくわかった。
蓮子の眉間には、より一層深いシワが入る。
「……もっとわかりやすく説明してくれるとありがたいんだけど」
「うーん、まぁ簡単に言えば、私達は"境界"を見る事ができるのよ。蓮子が普段見ているものと、私の見るものは違うの」
普段見えているものが普通とは違う。
自分だけが知っている自分の秘密に近しい何かを蓮子は感じた。
「……どういう風に、見えるの」
「蓮子にもそのうちわかるようになると思う。境界の中には、いろいろな世界が広がっているの。その世界の境界を少しずつ開いていくことで、様々な世界を垣間見ることができる。そして、境界の裂け目に潜り込んでしまえば、そこはもう別の世界なんだよ」
メリーは一通り語り終え、表情を曇らせた。
「…でもね」
「私は、私がなんなのかわからない」
「自分がどこから来たのかもわからない。どうしてここにいるのかもわからない。自分が誰から生まれたのかもわからない。何のためにこの瞳が、この力があるのかも…わからないの」
「だから、私は私がなんなのか、知りたい…そんな理由で続けてる」
そう言い終えた後、二人はうどんに手もつけず、暫く無言のまま俯いていた。
……こんな話をしてよかったのだろうか。
メリーの話を信じていいかどうかも定かではないのに。
ただ、メリーの真剣さがひしひしと蓮子に伝わってくる。
(……それに)
やっと見つけた心を許せる人も、自分とはまた別の理由で苦しみ、もがいていることに、今更気付いてしまった。
あのとき、メリーも苦しんでいる最中だというのに、自分はそれに気付こうともせずに、自分だけのことを考えてしまっていた。
メリーの優しさに甘えていたのだ。
…私、最低だ
蓮子は自己嫌悪に陥りそうになるが、それを振り払うようにうどんを一気にすする。
「ねぇ、メリー」
「うん?」
「私たち、これからどうしようか」
「どうしよっか」
「…………」
「…………」
「……とりあえず、食べちゃおうか」
「そうだね、のびちゃうもんね」
蓮子は再び箸を持ち、うどんをつかみ口へと運んだ。
帰り道の電車内、夕焼けが2人を赤く照らしている。
「…ねえ蓮子、私のこと、警察に突き出す?」
「…まさか」
2人は目を合わせず会話を交わす。
蓮子は、あのときのことは黙っている事に決めた。
きっと、メリーはメリーなりに悩み、考え、答えを導き出したのだろう。
それならば口を出すことはしない。
なにより自分も人のことを言える立場にはないのだ。
そう、今の自分達はお互いに何もかもわからない状態でしかないんだ。だからこそ……
…まもなく…〜
車内放送が流れ、二人は同時に立ち上がる。
「…あなたの秘密、教えてくれたから、私の秘密も教えてあげるよ」
蓮子はここで初めてメリーの顔を見つめる。
「結界暴き、私もやってる」
蓮子はそう白状する。
それにメリーはやっぱり、といった表情を返した。
「…じゃあ私たち、共犯者ね」
「…なによその物騒な言い方」
くすりと蓮子は笑う。
それに応えるようにしてマエリベリーも笑顔になる。
二人を赤い陽射しが再び包み込む。
「…これは2人だけの秘密、ね」
メリーは小指を差し出す。
「わかった、じゃあこれは2人だけの秘密」
蓮子も自分の手を差し出し、小指を結ぶ。
夕暮れに染まる街を電車は走る。
「…私今、神隠しについて調べてるの、郊外の研究施設跡地でどうたらこうたら…とか」
電車を降りた2人は、ホームの椅子に座って話を続ける。
「…私としても、人数は多い方が分担できる分嬉しいんだけど…どう?」
尋ねる蓮子に、メリーは"どうって?"と返す。
「一緒に来てくれるかどうかっていうのもあるけど、それよりもまず、この話を信じてくれているのかなー、なんて思ってさ」
蓮子は空を仰ぎ言う。
メリーも同じように茜色の空を見上げて"そうね"と始める。
「信じるか信じないかは…自分で確かめてみてからかしらね」
「それはつまり、私と一緒に行く、ということでいいの?」
「まぁ、そういうことになるわね」
「…じゃ、決まりね」
ここで話すのもなんだし、ウチに来なよ、と蓮子が立ち上がり言った。
「…というわけで、次の休みの夜に決行する予定だったんだけど…なにか不都合なことある?」
「ううん、私も予定合わせとくから大丈夫」
蓮子の家、テーブルを囲んで2人は廃墟の研究施設への潜入計画を練っていた。
蓮子の部屋には、所狭しと様々なオカルトグッズが置かれている。
蓮子にとって、これらの品々はただの趣味や収集の対象であると同時に、れっきとした目的のための道具であった。
例えば、古ぼけた書物。
ページを開くと、そこには文字がびっしりと並んでいた。
しかし、よく見るとそれらは全て手書きの文字ではなく、印刷された活字であることがわかる。
蓮子はそれをパラパラめくっていく。
「神隠しっていったって、原因は様々考えられるわよね、例えば、怪異の類いとか」
メリーが蓮子の持つ本を覗き込みながら呟く。
「その場合だとハズレね、色んな意味で…もしかすると、境界の隙間も見つかるのかもね」
蓮子はメモに走り書きしながら言う。
そして、ペンを置くと顔を上げてメリーを見た。
メリーはソファの上に体育座りをして蓮子を見る。
その視線が妙に気恥ずかしくて、蓮子はメリーから目をそらす。
するとメリーはあのさ、と蓮子に声をかける。
「せっかくだから、私たちのこの活動にさ、名前をつけない?」
「…名前って…結界暴きでしょ、それ以外何があんの」
ジト目で答える蓮子に、メリーは両手を振って違う違う、と否定してみせる。
「ほら、なんとか同好会〜、とかそういうのあるでしょう?サークルって言えるかは微妙だけど、2人でやるのなら名前があった方がいいんじゃない?」
「…安直にいけば結界暴き同好会になるけど」
それはないなという顔で蓮子は言う。
メリーもそれはちょっと…というような表情を浮かべている。
「……じゃあ、こういうのはどうかしら、『超常を解き明かす実践派オカルトサークル』!」
「……長すぎじゃない?絶対覚えられないし覚えてもらえないし…というかいずれ省略されるわよ、"超解研"…みたいな感じで」
蓮子の厳しい意見にそっかあ、とメリーは肩を窄める。
「どーせならカッコいい名前がいいわよね、『東城会直系・宇佐見組』とかさ」
「絶対怒られるしあらぬ誤解を招くから絶対ダメ、というか私それ嫌」
冗談混じりに言う蓮子の意見をメリーは食い気味で否定する。
「冗談だってば」
蓮子はふぅむと考え込むように腕を組む。
「じゃあ『超秘境研究会』っていうのはどう?」
「却下」
「じゃあ……」
「『秘密基地探検クラブ』は?」
「それもなんか子供っぽい気がしないでもないわね」
「うーん、難題だ」
太郎と軍曹の名前考えた時くらい難しい、と蓮子は頬杖をつく。
「ま、そんなに慌てて決めなくてもいいんじゃない?」
逃げたりしないんだしさ、と蓮子はお茶入りのコップを口に運ぶ。
「確かにね、焦ったところでしょうがないか」
でもやっぱり何か考えなくちゃね、とメリーも蓮子と同じようにテーブル上の飲み物を手に取った。
「ま、とにかく次の休みの日にあの日の夜に星を見たあの丘に、集合ね」
蓮子はそう言って、窓から見える夜空を見上げる。
今日は曇っていて月は見えないが、それでも街灯や家の明かりのおかげで、ぼんやりと星の光が見えるような気もした。
「うん、じゃあまた」
メリーはにこりと微笑んで蓮子の家を後にした。
夜の虫が静かに鳴いている。
月明かりに照らされながら、蓮子は星空を眺め誰かを探している。
「やっば、遅刻だ」
時計を見ながら待っていたメリーに、蓮子は駆け寄った。
ごめん、遅れちゃって!と言いながらメリーの目の前で止まる蓮子。
「誘った方が遅刻する?普通」
「ごめんってば」
蓮子がそう言いながら頭を下げた。
その様子にメリーはクスリと笑い、それを見て蓮子は苦笑いを浮かべる。
2人はしばらく笑って、やがてどちらからともなく歩き出した。
「ねえ、本当にこっちであってるの?」
メリーは肩で息をしながら蓮子に尋ねる。
もうかれこれ30分以上歩いているだろうが、まだ目的の場所に着かない。
普段運動していないせいか、体力がないのかなぁとメリーは思いながらも、必死についていく。
一方蓮子の方は全く疲れている様子を見せず、涼しい顔をしてメリーの前を歩いていた。
「…大丈夫?もう少しペース、落とそうか」
蓮子は振り返ってメリーを待つ。
「ううん、大丈夫」
右手で汗を拭い答えるメリーに、蓮子は"ならいいんだけど"と肩掛け鞄を抱え直して再び歩き出した。
「蓮子ってすごいねえ、全然疲れてないんでしょう?」
蓮子はうん、まあ、と曖昧に返す。
「昔から運動は人並み以上には出来てたんだけど、別にそんなにスポーツとか好きじゃなかったから」
それに、と蓮子は付け足す。
人並み以上の身体能力があったとしても、それが役に立つことなんてほとんど無かったし、と。
メリーはもったいないなあ、と言いながら眉を顰めた。
蓮子ならぜったいスポーツとか上手いと思うのにな、とぼやいている。
それを横目で見て、蓮子はふっと笑う。
そして言った。それはどうかしらね、と。
それを聞いたメリーは不思議そうな顔を浮かべたが、すぐに表情を変え前を向く蓮子の隣に並ぶ。
「…あった、これだ」
月明かりを背後に、件の廃墟と化した研究施設が2人の前に現れた。
蓮子はそれを見上げて、感嘆の声を上げる。
まるで映画の世界に入り込んだかのような気分になり、蓮子は胸を高鳴らせた。
この建物の中には何があるのだろうか、と。
一体どんなものが待ち受けているのだろうか、と。
蓮子の表情は今まで見せていたものより煌めいていた。
「蓮子、わくわくしてる?」
メリーの問いかけに、蓮子はバレちゃった?とおどけてみせる。
「蓮子もそんな顔するんだな、って」
蓮子の顔を見てメリーはクスッと笑った。
その言葉を聞いて、蓮子はやや照れくさそうにする。
「でも、楽しいときはワクワクするし、悲しい時は悲しくなるものよ…私だって、人間なんだから」
蓮子の返答を聞き、メリーはそうだよね、と相槌を打った。
蓮子の言葉には妙な説得力があり、そのせいか少しだけ寂しさを感じた。
「ま、さっさと実地検証ね…絶対地下とかで怪しい研究してるからこういうのは」
侵入するよ、とフェンスを破る作業に蓮子は移る。
メリーはその様子を眺めながら、今更だけど不法侵入だよね、と思いつつ蓮子に続く。
フェンスを抜け、敷地内へと入った。
当然と言えば当然だが、外よりもずっと薄暗い。
月明かりが届かない場所は文字通り漆黒の闇が広がっている。
蓮子は辺りを見回しながらハンドライトを点灯させる。
しかし、照らし出されたのはコンクリートの壁だけだった。
何かないかと壁を触り調べるが、特に異常は見られない。
どうしたものかと思案していると、遠くの方で物音が聞こえてきた。
誰かいるのかと蓮子は音のした方へ走る。
「蓮子、どうしたの!?」
メリーも慌てて蓮子に続いた。
しばらく走り続けた蓮子は大きな広間に入ったところで急ブレーキをかける。
「わわっ」
メリーはつんのめってしまい、危うく転びそうになった。
なんとか体勢を立て直すと、蓮子が駆けていった方向に目をやる。
「…地下階段か…下は…暗くてどのくらい深いかわかんないね」
蓮子はカバンをごそごそと探り始める。
「お、あったあった」
「…なにそれ」
怪訝そうに尋ねるメリーに蓮子は鼻を摘んでダミ声で答える。
「爆竹〜」
「なんでそんなの持ってるのよ…」
「他にも色々あるよ、解体用の万能ドライバーとかロープとか…まあ見ててって」
蓮子はマッチで爆竹に火をつけ階段の下に落とす。
随分下の方で爆竹が弾け始めた。
「底はあるみたい。行きましょ」
2人はゆっくりと音を殺して階段を降りていく。
やがて視界が開けるとそこには巨大な空間が広がっていた。
「これって…」
メリーの呟きと同時に天井の一部が崩れ落ちる。
瓦礫は地面に落下すると、鈍い音を響かせた。
「…っと」
蓮子はけほけほと咳き込む。
振り返ると、先程まで降ってきた階段は見事に瓦礫に埋もれていた。
「…あちゃあ」
「ちょっと蓮子!なんなのよあれ!」
突然のことにメリーは混乱しているようだった。
無理もない、と蓮子は思う。
こんな状況に遭遇したら誰だって驚くだろう。
「…うーん、いくら廃墟といってもこんな大きな施設に階段が一つだとは思えないし、この辺りを見て回ったら地上に戻る方法を探そうよ」
蓮子の提案を受け、メリーはコクリと首肯する。
蓮子の予想通り、この広大な施設には地下へと続く道が存在した。
「やっぱりあったね、地下」
蓮子の言葉にメリーはうん、と返す。
上からはわからなかったが、どうやら地下の電力は生きているようで、薄暗いが電気が点いている。
電灯は不要になったので電源を落とす。
……しかし、この地下にいったい何があるのだろうか?と蓮子は考える。
大抵地下に隠すように存在する研究施設なんてロクな研究はしていないだろう。
蓮子は自分の好奇心を抑えられず、地下へと足を踏み入れることを決めた。
「蓮子?」
「うん、はぐれないでよね」
しばらく進んでいると、研究室のような場所に辿り着いた。
さまざまな研究資料が乱雑に散らばっており、目も当てられない。
部屋の中に入ると、埃っぽい空気が鼻をつく。
蓮子は再び咳き込む。
「うえ、不衛生ねえ」
まあ放置されてたんだから当然か、と落ちている資料に目を倒し始める。
蓮子にとってこういうことは慣れっこである。
「なんかあるかなー」
適当に拾い上げ、パラパラとページを捲る。
「……」
蓮子は黙々と読み進めていく。
そして最後のページをめくった時、手が止まった。
「…なんだコレ…」
最後のページは破れていたり汚れていたりでほとんど読めたものではなかった。
「…実験…No.…廃棄について…」
「…わかんね」
蓮子はそう言うと、その本を元の場所に戻した。
これ以上の情報は得られなさそうだと判断し、探索を続けることにする。
「ねえ蓮子、ちょっと来て!!」
すると、メリーが慌てて蓮子を呼びにくる。
「どうしたの慌てて」
蓮子は怪訝そうにメリーを見るが、メリーはいいから、と蓮子の手を掴んで駆け出した。
メリーに連れられて来たのは、先程の大広間よりもさらに広い場所だった。
体育館くらいの大きさはある。
天井からは何かの機械のようなものがぶら下がっており、不気味な雰囲気を醸し出している。
床には何かの培養装置が綺麗に並べられている。
空の培養装置には"discarded(廃棄)"と張り紙をつけられていた。
「怪しい研究、か」
背筋に鳥肌が立つのを感じる。
メリーは最奥の一番大きな培養装置を見つめている。
「ねえ…」
メリーは蓮子のスカートの裾を摘んでか細い声を出す。
メリーの手は小さく震えている。
「え…」
メリーの視線の先の一番大きな培養装置は培養液で満たされており、その中で人型が出来上がり始めている。
「…なにあれ…」
蓮子もメリーに並んで培養槽を見つめている。
そのとき、人型の目のようなものがぎん、と開かれた。
それと同時に、緑色の培養液が血のようなドス黒い赤に染まる。
「…ッ!」
瞬時に危険を察知した蓮子はメリーの手を掴み、慌てて踵を返し走り出す。
蓮子が走り出したタイミングで培養槽に亀裂が入り、血のような培養液が大量に溢れ出してきた。
洪水のように溢れ出す培養液はあっという間に2人を飲み込もうと迫ってくる。
(まずい、逃げられない…!)
蓮子はメリーの手を強く握り締め、ぎゅっと目を瞑る。
そうして2人は血液のような培養液の津波に飲まれてしまった。
次に蓮子の視界に飛び込んできたのは真っ白な天井だった。
「…あれ」
ピッ、ピッ、という音が響いている。
しばらくして、蓮子は自分がベッドの上に寝かされていることに気がついた。
ゆっくりと身体を起こす。
白い壁に囲まれた部屋だ。
蓮子が横になっているのは清潔感のある真っ白なシーツが敷かれたベッド。
そして蓮子の腕や脚には点滴の針が刺さっている。
何故か病院服ではなく蓮子の普段着のままだ。
「……んん、なんだこれ」
上半身を起こし、窓の外を見つめる。
そこには、いつも通りの京都の街並みが広がっている。
「……夢?」
蓮子は呟く。
しかし、先程までの出来事が夢だとはとても思えない。
蓮子は混乱する頭を整理するため、自分の頬をつねってみる。
「痛っ」
きちんと痛かった。
ひりひりとする頬をさする。
四肢についた点滴の管が鬱陶しい。
すると、看護婦が入ってきて声を荒げる。
「ちょっと宇佐見さん!?起き上がったらダメじゃないですか!!」
「え、あ、ごめん…なさい」
蓮子はすぐに謝ると、再びベッドに身を預ける。
「まったくもう……先生!先生!」
そう言って、看護婦は出て行ってしまった。
「なんなんだろ……」
蓮子はぼそりと呟いた。
ここはどこなのか、自分はなぜここにいるのか、そもそも、先ほどまでの光景は何だったのか。
疑問は尽きない。
しかし、今は考えていても仕方がない。
蓮子は考えることをやめ、窓の外に見える空を見上げてみることにした。
窓のそばには花瓶があったが、花は飾られていなかった。
そりゃ私の見舞いに来る人間なんかいないか、と蓮子は思う。
ふと、ドアの向こうから話し声が微かに聞こえてきた。
「あの子、政府のお抱えの…」
途切れ途切れに会話が聞き取れる。
「実験に参加するって…」
「あの子が自ら選んだんだ、止める必要は無い」
実験?私が選んだ?
…どういうことだろう。
蓮子は付けられた点滴の管を外し、立ち上がる。
起き上がったらダメだって言われたけど…まあいいか、体調が悪いわけじゃないんだよね
蓮子はそう思いながら人がいなくなったのを見計らって病室を出る。
病室入り口のネームプレートを見ると、"宇佐見 薫子さま"と書いてあった。
薫子なんて知らない名前だ。人の名前を間違えるのは失礼だって教わらなかったのか。
しかし不思議なのは蓮子の知る限りでは家系に薫子なんて人物居ないはずだ。
「うーん…?」
蓮子は眉を顰める。
やはり、あの研究施設のことは現実に起こった事ではないのだろうか。
蓮子の知っている世界とは違う、別の世界に迷い込んでしまったような感覚に襲われる。
とりあえず、蓮子は廊下を歩き出すことにした。
廊下を歩くと、何人かの人とすれ違う。
その誰もが、まるで人形のように表情が無かった。
蓮子と同じ、入院患者らしい。
コソコソと隠れるように蓮子はロビーにやってきた。
しかし何故かロビーにいつの間にか蓮子以外居なくなっている。
「…あれ」
蓮子は病院の正面入り口の自動ドアをくぐり外に出た。
しかし、そこには誰もいなかった。
先程までは確かに蓮子を覗いていた人々が消えていた。
いや、消えたのではない。人が突然いなくなった。
そんな非科学的な事が有り得るのかという思考より先に蓮子は感じ取ったことがある。
それはこの世とは思えない、奇妙な感覚だ。
それは街が、ビルが、地面が歪んでいることだった。
「…なにこれ」
蓮子は立ち尽くす。
景色が歪み、ぐにゃりと音を立てて崩れていく。
「えっ……ちょ……っと、待ってよ!」
蓮子は必死で叫ぶ。
しかし、蓮子がいくら叫んでも、声は届かない。
玩具箱をひっくり返すように重力が反転を始めた。
そして、とうとう重力は完全に上下逆さまになってしまい、蓮子は何が起こったのか理解することが出来ず、なす術なく空に落ちていく。
蓮子の体は青い空に吸い込まれるように落ちていく。
(あ…私、死ぬんだ)
蓮子の脳裏に死という言葉が過ぎる。
このまま宇宙空間にでも放り出されるのだろうか。
京都の街並みがどんどん小さくなってゆく。
すると、これまで上方向に向かっていた重力が再び反転した。
「…え」
蓮子の体はほんの一瞬ふわりと浮かび、そこから先程までとは反対方向に落下し始める。
見えなくなり始めていた地上がどんどん近づいてくる。
このままだと地面に激突し間違いなく死に至るだろう。
人間、いつかは死ぬものだ。それを避けることは出来ない。
今までの蓮子ならば、別に死ぬと分かったとしても後悔だとか恐怖に苛まれることなどなかっただろう。
ああ、どうせ死ぬのだったら、もっと早くしてほしかったな
蓮子の脳裏に短いながらもメリーとの思い出が浮かんできた。
やっと自分の孤独を埋めてくれる人と出会えたというのに、この仕打ちなのか。
自分が望むには、過ぎた望みだったのだろうか。
神様なんていう存在がいるのなら、きっと気まぐれなのだろう、と思っていたが、まさかここまで意地が悪いとは思わなかった。
こんなことなら、望まなければよかったな
「…なんでよ、私が…何したってのよ」
そういえば、私って一応犯罪者だった
自分で自分に突っ込みを入れて、はは、と乾いた笑みを浮かべる。
こんな状況だというのに、妙に冷静だった。
もうすぐに死ぬ、とぎゅっと目を瞑ったその瞬間だった。
途端に浮遊感が消えた。
「…あれ」
「…生き…てる…?」
蓮子は恐る恐る確かめるように呟く。
蓮子の体は無傷で地面に横たわっていた。
訳がわからないのは蓮子が倒れているのはどこかの屋内の廊下だということだ。
非常灯が蓮子の体を赤く照らしている。
「うーん……」
蓮子は起き上がる。
そこは先程の病院ではなく、また別の建物のようだ。
「どういうこと…?」
蓮子はそう言って辺りを見回す。
先程までの病院のロビーとは違い、こちらは少し薄暗い。
天井に付いている非常灯は点滅しており、壁に取り付けられている蛍光灯は全て消えてしまっている。
「停電……かな」
蓮子はそう言いながら、自分の体に異常が無いかどうかを確かめる。
自分は確かに先程まで落下していた筈だ。それも凄いスピードで。
しかし、今の蓮子に痛みは無い。
それに、落下中に何かにぶつかったような衝撃もなかった気がする。
あんな高さから落下したのだから、助かる筈は無い。
もしかすると、これは夢か、走馬灯の一種なのかもしれない。
そうだとしたら、随分とリアルな夢を見るものである。
蓮子はそう思いながら、もう一度周りを見る。
すると、廊下の奥の方に、小さな人影を見つけた。
「……誰!?」
蓮子は叫ぶ。
その人影はゆっくりとこちらに振り返る。
その人影の正体を見て、蓮子は大きく目を開く。
「…ひっ…!?」
それは、顔の部分にぽっかりと黒い穴が空いていた。
…逃げなければ
蓮子は咄嗟にそう思った。
しかし、足が動かない。
まるで金縛りにあったかのように体が動かなかった。
蛇に睨まれた蛙とはこのことを言うのだろう。
蓮子の目の前にいる謎の人型をした物体はゆっくりと、しかし確実に蓮子へと近寄ってくる。
蓮子の額からは冷や汗が流れ落ちる。
蓮子はそれを拭うことさえ出来ない。
ただただ、恐怖に怯えることしか出来なかった。
そして人型はついに蓮子の前に辿り着く。
人型の顔に空いた黒い穴が蓮子を見つめる。
人型の手が動き、蓮子の頬に触れようかというその時、蓮子の首根っこが何者かに掴まれ、後ろに引っ張られた。
蓮子はどさりと後ろに倒れ込む。
「逃げろ、振り返るな」
声がした方を蓮子は見つめる。
周囲が暗いため容姿はよくわからないが、山吹色の服を着た女性があの人型と対峙していた。
「え、あ、あなたは……?」
「急げ!」
女性の声と同時に蓮子の背中を押す手があった。
蓮子は後ろを振り返ることなく走り出す。
背後からは激しい音が聞こえてくるが、蓮子はそのまま走り続けた。
(……あれ?)
そこで蓮子は違和感を覚えた。
先程蓮子を止めた女性の声に、蓮子は聞き覚えがあるように感じたのだ。
そんな馬鹿な、と思ったところで蓮子は足を滑らせてしまった。
「うわ…っ!」
それと同時に何故か地面が90度傾く。
「…え」
蓮子は何が起こったのか理解する前に意識を失った。
「…ここは…」
メリーはふと、自分が目を覚ました場所を確認する。
……なんだろう
「あら、目が覚めたのね」
唐突に声をかけられ、メリーはビクリと肩を震わせる。
慌てて声の方へ視線を向けると、そこには一人の少女がいた。
「あなたは……」
そこには、メリーと瓜二つな顔をした少女が立っていた。
「え…わた…し…?」
「そう、私はあなた、あなたは私」
そう言って、彼女は笑う。
その笑顔は、どこか狂気を感じさせる笑みだった。
「ねえ、寂しいんでしょう」
少女は言う。
メリーは何も答えない。
しかし、その表情には明らかに動揺の色が見られた。
それは、図星を指された時の人間の反応であると、少女は知っていた。
だから彼女は続ける。
「辛いでしょう?苦しいでしょう?」
メリーは黙ったままだ。
それでも構わない。
彼女に、自分を否定することは出来ないのだから。
否定すれば、今までの自分は何のために生きていたのかわからなくなるから。
だから、肯定もしないし、拒絶もしない。
「…あなた、誰?」
メリーは尋ねる。
その問いに、少女はにたりと笑う。
「言ってるでしょう?私は、あなた」
そうして、少女は再び口を開く。
まるで歌うような口調で、少女は言った。
「寂しいなら、一緒に来て。私と、ひとつになるの…私の心を、分けてあげるわ」
その言葉に、メリーは小さく首を横に振る。
それを見ても、彼女の笑みは崩れなかった。
むしろ、ますます嬉しそうな顔になった。
それを見た瞬間、メリーの背筋には冷たい汗が流れる。
「…私たちは、同じなのに、それでも寂しいの。埋まらないの。だから…誰でもよかったの」
そう言って少女はゆっくりとこちらに向かってくる。
「違う!!」
俯き、悲鳴をあげるようにメリーは否定する。
「違わないわ、1人が嫌だった。孤独と別れたかった。結局は、自分のことしか考えていないの」
少女の言葉に、メリーは必死で首を振る。
そして、涙声で叫んだ。
お願い、やめて。
それ以上言わないで。
懇願するメリーの周りをくるくる回りながら、少女は嘲笑う。
「それが、あなたの心よ。悲しみに満ち満ちている。あなた自身の心」
「あの蓮子って子は、都合が良かったわね。ちょっと優しくしてあげたら、簡単に懐いてくれたんだもの」
「苦しんでいる。喘いでいる。もがいている。それが自分と重なって、どうしようもなく愛おしかったのよ」
少女はくすくすと笑う。
「違う…」
メリーにはもう弱々しく否定することしかできなくなっていた。
その姿を見て、さらに愉快そうに少女は笑う。
やがてメリーの前に立ち止まり、そっとメリーの頬を撫でた。
その手つきはとても優しいものだったが、メリーにとっては恐怖以外のなにものでもない。
その手に、自分の全てを暴かれてしまう気がした。
蓮子の時と同じように、自分の存在理由も、心の奥底にある本音さえも、全部さらけ出してしまうのだ。
そうして、また私は独りになるんだ。
でも、それでいいかもしれない。
本当の自分なんて知りたくもないのだから。
見ないふりをする方がずっと楽だから。
ああ、私はまた、自分を騙して、1人になって、また誰にでも愛想を振りまくんだろう。
それで、また誰かを傷付けるんだろう。
誰かが隣で笑ってくれれば、自分も救われた気になれるから。
━━だって、ヒトって、そういうものでしょう?傷つけて、傷つけられて、それでも一緒に生きていく、人間は、きっとそういう生き物なんだよ
━━他人を知らなければ裏切られる事も、裏切ってしまうことも、互いに傷つくことも、きっとないと思う。でも、寂しさを忘れられる事も、きっとないよ
━━人はずうっと寂しいんだと思う。だからこそ、他人を求めるんだよ、他人の温もりが、人の持つ寂しさを、埋めてくれるから
かつて自分が蓮子に放った言葉を反芻する。
……本当にその通りだと思った。
私も蓮子も、結局は互いを利用し合っていただけだったのだろうか。
「さあ、私とひとつになりましょう。心も、体もひとつになりましょう?ここならどこまでが自分でどこからが他人かなんてわからない。けれど、知る必要もない、幸せな世界なのよ」
少女はくすくすと笑いながらメリーの耳元で囁く。
メリーはぎゅっと目を瞑り、ただ耐えることだけを考えていた。
「あなたは寂しい。私はあなた」
少女はメリーの首に手をかける。
「あなたはひとりじゃない。あなたと私は同じなんだから」
ぐっ……と首にかかる力が増してゆく。
その時、地面が真っ赤に染まり、そこからあの時培養槽から溢れ出してきた赤い液体が溢れ出してきた。
血の色の液体は2人のメリーを足から飲み込んでゆく。
2人を飲み込んだ後、まるで蒸発するかのようにその液体は消えた。
「…ぁ…れ」
蓮子は生暖かい液体の上に浮かんでいた。
蓮子の鼻腔を死臭が刺激する。
けほけほと咳き込み、周りを確認する。
蓮子の真っ白な服は蓮子が浮いている液体の色、真っ赤に染まっていた。
「…ここ、どこ…?」
山吹色の服の女性にあの人型の化け物から助けてもらって、それから…
蓮子は必死に記憶を辿る。
思考を巡らせているうちに、暗闇に目が慣れたのか、周囲の様子がわかってきた。
どうやら蓮子はどこかの廃棄物処理場のような場所にいるようだ。
大きな窪みに溜まった血のような液体の上に浮かんでいたらしい。
周囲を見ても誰もいなかった。
液体には何かが溶けかけた肉片がまばらに浮かんでいる。
この液体は何なのか、そしてここは何処なのかすら分からない。
とりあえず移動しよう。こんな気持ちの悪い液体にいつまでも浸かっているわけにもいかない。
そう思い立ち上がり、どろどろした液体をかき分けどうにか中から脱出する。
「はあ、やっと出れた」
1人呟いてみるが、返事はなかった。
辺りを見渡してみるが、錆びついた機械のような機械がちらほらと置いてある。
遠くの方で、金属が軋むような音が聞こえた。
しばらくあの液体に浸かっていたことが原因なのだろう。ひどく臭う。
生き物が腐ったような臭いだ。
蓮子は吐きそうになるが、何とかこらえ歩き出す。
歩いていると、突発的に酷い頭痛に襲われる。
頭痛に合わせて視界に映る景色も歪んでいく。
テレビにノイズが走るように映像が変わるのだ。
「なん…だ、これ…」
見えている情報は本当に正しいのだろうか。
地下水道や何かの実験室など景色が目まぐるしく変化している。
「私、気でも狂ったの…?」
蓮子は激しい頭痛と吐き気に耐えながらそれでも前に歩みを進める。
「はあ、はあっ……」
呼吸が荒くなる。酸素が上手く取り込めていない感じがする。
意識が薄れていく。
倒れそうだ。だが、ここで倒れたところで誰の助けも来ないだろう。
すると、ようやく吐き気と頭痛、視界のノイズが収まった。
先程までのことが嘘だったかのように、頭の中のモヤが晴れていく。
「今のは…一体何……?それに、ここって……?」
蓮子はあの廃墟になった研究施設の中に再び立っていた。
しかし不思議なのが荒れ果てていたはずの研究室などが綺麗な状態で蓮子の前に存在しているのだ。
「……どういうこと……?」
蓮子は頭を抱え、本当に気が狂ってしまったのだろうかと疑ってしまう。
赤い津波に飲まれたり、空に向かって落ちていったり、人型の化け物に襲われたりと蓮子の精神はとっくに限界を迎えていた。
壁に背中を預け、へなへなと座り込む。
「もう嫌……なにがなんだか分からない…メリーも一体どこに行ったの…」
ふと視線を外すと、床に散乱した資料が目に入った。
「…"スサノオ計画における…識別番号:8B52A1-02について"…?」
「…なにこれ」
資料をかき集めて読んでみる。
「識別番号:8B52A1-01の予備として製造された識別番号:8B52A1-02は兵器としては失敗と判断…」
「行動の抑制が出来ず、遊び相手を求め己の世界に他人の精神を引き摺り込むのを確認、断片的にではあるがコピー元の力を得ている模様…」
「識別番号:8B52A1-02は取り込んだ人間の精神に干渉し、悍ましい幻影を見せる…」
「8B52A1-02が見せる幻影の世界、悪夢の世界を受け入れてしまったら最後、二度と現実には戻ることが出来なくなる」
「以上の観点から運用を困難とし、識別番号8B52A1-02を廃棄することを決定…」
「まさか…ここって…この世界って…」
蓮子の脳内で点と点が繋がってゆく。
「あの時の培養液の中にいたのが…この…8B52A1-02…ってヤツ…ってこと…?」
「あーあ、気付いちゃった、ね」
すると、くすくすと笑いながらなんとメリーが現れた。
「…あんた、誰?」
蓮子は口の中が乾いていくのを感じていた。
「…何を言っているの?私はマエリベリー・ハーン。通称メリー。それ以上でもそれ以下でもないわ」
にこやかに笑いながら蓮子に詰め寄る。
メリーと名乗る少女の顔からは笑顔以外の感情が全く読み取れない。
メリーが近づいてくるにつれて冷や汗が流れ落ちるのを感じた。
「…ふざけないで…あんた、メリーじゃないでしょ」
そう言うと蓮子はメリーを睨みつけた。その瞳は怒りと不安の色に染まっていた。
「あら、どうして?」
メリーの口調はあくまで明るいものだった。
「馬鹿にして…!!あんた、メリーをどうしたの?!」
「…ふうん」
メリーと名乗る少女は笑顔から一転して完全なる無表情になった。
目に光が灯っておらず、まるで人形のようにも見えた。
「…今更私の世界から逃げられると思っているの?」
少女がニタリと不気味に口角を上げると少女の背後に巨大な眼のようなものが現れる。
「……っっ!!」
蓮子の背筋に悪寒が走る。
「でも大丈夫よ、ずうっとここで3人で遊びましょう?メリーもあなたを待っているわ」
メリーの姿をした少女は巨大な眼を増やしながら蓮子に笑いかける。
少女が右手を横に出すと、背後の巨大な眼から赤い鎖で縛られたもう1人のメリーが現れた。
「こっちが本物のあなたの友達よ」
少女は縛られたメリーの頬を撫でる。
本物のメリーは気を失っているのか何の反応もない。
蓮子も抵抗しようとしたが身体の自由がきかない。
恐怖で足がすくむ。
目の前にいるメリーの姿を模した少女はメリーではない。
どうする?どうすればいい?
蓮子は必死に思考を巡らせる。
「識別番号:8B52A1-02…あんたが、そうなんでしょ?」
震えそうになる声を抑えて蓮子が問いかける。
「へえ、よくわかったね…ああそっか、私のお友達の資料を読んだのね」
少女は無表情のまま答える。
蓮子の中で様々な疑問と可能性が湧き上がる。
しかし今は考えるのを止め、ただひたすらこの状況を打開することだけを考えることにした。
そうしなければ殺される。
蓮子は直感的にそう感じ取っていた。
どうにか策を練らなければならない。
そのために少しでも会話の時間を伸ばすことだけを考えるようにした。
「メリーと…私を、どうするつもり?」
そう尋ねる蓮子をメリーに似た少女は冷たい目つきで見た後、にやりとした。
それは笑顔ではなく、蓮子にとっての絶望を告げる、死神の笑みだった。
メリーに似ている少女はくすくす笑う。
「私の"お友達"になってもらうのよ」
あなたもさっき会ったでしょう?とメリーに似た少女は言う。
「まさか…あの人型の、化け物…?!」
蓮子の顔が青ざめる。
「化け物とは心外ね。結構可愛いのよ?実験だ検査だ、なんて言わなくなったもの」
蓮子は理解した。
先程の顔が空洞の化け物はここの研究員の成れの果てなのだ、と。
この世界を受け入れてしまったら、二度と現実には戻れない…
その記述の意味をようやく理解した。
このままだと私はずっと、この得体の知れない世界で生きていかなくてはならないのだ。
永遠に続くであろう地獄を想像して吐き気が込み上げてきた。
「あなたも、寂しいんでしょう?」
くすくすと笑いながら蓮子の耳元で少女が囁く。
「私があなたを愛してあげるわ。この子にも愛させてあげる…この子はあなたを愛してないもの。そんなの、嫌でしょう?だから、私が愛させてあげるわ」
少女が手を広げると、後ろの無数の巨大な眼がギョロリと一斉に動き出す。
その全てが自分を見つめているかと思うと、蓮子は身震いが止まらなくなる。
そんな様子をメリーに似た少女は楽しそうに眺めていた。
恐怖で言葉が出ず、涙すら出なくなっていた。
しかしそれでも、諦めるわけにはいかないと己を鼓舞し、奮い立たせる。
何かあるはずだ、ここから脱出する方法が、絶対に。
少女の言葉を聞き流し、必死に頭をフル回転させる。
「…ふうん、逃げたいんだ、ここから」
蓮子が考えていたことを察したかのように少女は口を開く。
びくりと肩を揺らし、冷や汗を流す。
恐怖が心を覆いつくす。
だがそれを表に出してはならない。そう自分に言い聞かせた。
今、自分は追い詰められているフリをしているだけに過ぎない。
自分は蓮子を追い詰めているのだと、そう相手に思わせ続ければ、必ず隙が出来るはず。
そう考え必死に表情を取り繕う。
ここで焦ってはいけない。
そう思い深呼吸をする蓮子に、少女の無慈悲な言葉が届く。
少女はまるで蓮子がそう思うのをわかっていたかのように表情を歪ませる。
「…じゃあいいやあ…どのみち邪魔になりそうだから…殺しちゃお」
「切り刻んでから、遊んで、弄んで、無惨に、無様に、残酷に、殺してあげるわね」
ずい、と少女は顔を近づけてくる。
「じゃあまずは、"かくれんぼ"から始めましょう?」
「かくれんぼ…って、どういう…」
「あれ?ルール、知らないんだ」
不気味に笑いながら少女はルールを説明し始める。
「私が鬼、逃げ隠れするのはあなた。私があなたを見つけて捕まえて殺すってゲーム…楽しいでしょう?」
何が楽しくなるというのか。
蓮子はただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
逃げるにしてもどこに行けばいいのだろうか。
蓮子が戸惑っている間に少女はカウントダウンを始める。
「10、9、8…」
カウントをされて、ようやく我に帰った蓮子は、慌てて駆け出した。
どこへ向かえばいいかなどわからないが、とりあえず走り続けた。
ただひたすら走るしかなかった。
もしこれが夢なら、どうか覚めてくれと願いながら。
息が切れる。足が重い。肺が爆発してしまいそうなくらい痛かった。
でも止まることは出来ない。止まりたくない。
少しでも遠くへ、早く、もっと速く、走らなければ。
後ろを振り向いたらきっと、あの怪物がいるだろう。
振り向きたくなかった。振り向けばもう動けなくなってしまう気がした。
だから蓮子は振り返らず、走り続ける。
目に映る景色はノイズと共に歪み続ける。
あの少女が見せている幻影が蓮子の心も体も蝕んでいく。
そして、自慢だと思っていた体力もついに底をつき、蓮子はとうとう膝をついてしまった。
蓮子は座り込み、荒くなった呼吸を整える。
周囲を見渡すと先程の研究施設の別の部屋にいるようだった。
「…撒いた…の?」
追いかけられている気配はなかった。
見失ったのか振り切ったのかはわからないが、どうやら撒いたらしい。
ほっとした途端、疲労感と眠気が襲ってきた。
しかしここで寝てしまうとまた先程の化け物に襲われかねない。
そう思い、蓮子は再び立ち上がる。
ふらつく足をなんとか動かし、出口を探し始めた。
出口なんてハナから無いかもしれない
脳の片隅にあるそんな思考から目を逸らし、蓮子は再び歩き出す。
「この世界が…もしも私たちを含めたあいつの記憶から出来ているとしたら、この研究施設はあいつが見ていた景色ってこと…よね」
少女、識別番号:8B52A1-02の研究資料が残っていたということは、もしかしたら弱点も存在するのかもしれない。
この世界のことが細かく資料に載っていたということは、もしかするとこの世界から逃げ出した人がいるのかもしれない。
そんな一縷の望みに賭け、蓮子は資料を漁り始めた。
だが、いくら探してもその手がかりになるようなものは見つからなかった。
いつあの少女が追いついてくるかわからない。
蓮子の中に焦燥感が募っていく。
だが、どんなに探しても、どんなに見落としが無いように注意を払って探していても、やはり見つからない。
すると、蓮子は引き出しの中にリボルバーを見つけた。
蓮子はそれを拾い上げる。
「これは……護身用なのかな」
そう呟きながら蓮子はリボルバーを見る。
随分古いもののようだが、弾は入っているようだ。表面上は錆びたりしている様子はない。
使い方は全くわからないが、何かの役に立てるかも、と蓮子はそれをスカートのポケットに仕舞い込んだ。
撃てる自信もないし、あの化け物たちに通用するのかどうかすらわからないが、お守りと思うことにした。
これも幻影で何の意味もないのかも、とも思ってしまったが、首を横に振ってその考えを振り払う。
とにかく武器を手に入れたことは大きい。いざという時に使えるだろう。
いざ、という時自分が立ち向かえるかどうかは別として。
「行かなきゃ…あいつが追いかけてくるかもだし」
そう言い聞かせ、蓮子は再び歩み始める。
出口を探すためというよりは、ただ、逃げ道があると信じて、歩き続けていた。
どれだけの時間が経っただろうか。
少なくとも、蓮子の体感では数時間は経過したはずだ。
その間ずっと、蓮子は歩き続けている。
だが一向に外に出られるような気配がしない。
そもそもこの世界に時間という概念があるかどうかもわからないのだ。
疑問は尽きないが、考えても答えは出ないので、とりあえず考えるのをやめる。
それよりも今は、ここから出ることを考えるべきなのだ。
そう思いながら蓮子は再び歩を進める。
歩くたびに景色はノイズと共に入れ替わっていき、それに合わせて蓮子の精神は擦り減っていく。
「みいつけた」
声の方に振り向けば、少女がメリーと同じ笑顔でこちらを見ているのが見えた。
ハッとしてポケットに入っているリボルバーを構える。
撃ち方などわからなかったが脅しにはなるかもしれない。
「…なあにそれ、銃?」
「…そうよ、痛い目に遭いたくなかったら大人しく…」
蓮子が話している途中で突然、蓮子の手に握られていたリボルバーは霧のように消えた。
一瞬何が起きたのかわからず蓮子はそのまま固まる。
「あれえ?銃、消えちゃったねえ」
目の前の少女が不思議そうな顔をして蓮子の顔を見てくる。
先程までの表情と違いすぎて、不気味に感じた。
だが、蓮子はその感情を押し殺し、冷静を装う。
ここで恐怖心を見せたら負けだと一杯の虚勢を張って、蓮子は答える。
「ふ、ふん!そんなもの無くたってあんたなんか大したことないわよ!」
「ふうん、そう。じゃあ…」
蓮子の言葉を聞いた途端、少女の目がギラリと輝いたように見えた。
「どう料理してあげようかしら」
どうすればいいのだろう。もう逃げられる気がしない。
だが逃げるしかない、と蓮子は覚悟を決める。
リボルバーはもはや使えない。他に使えそうなものは……
「どうしたの、んー?」
どうするべきか。考えろ。
「ふふ、諦めが悪いのね…せっかくチャンスをあげたのに」
少女は再び巨大な眼を出現させ、そこから大量の刃物を飛び出させる。
「少しずつ量を増やしてあげるわね」
刃物が投擲され、蓮子の頬を掠めてゆく。
蓮子の頬に一文字の傷が入り、赤い雫が零れる。
「精神世界なのに、血が出てくるのね…リアルに作ってくれて嬉しいよ」
精一杯嫌味を言う。
少しでも相手の動揺を期待してだ。
こんなもので怯んでくれるはずも無いとわかっていても、言ってしまうのは性分だから仕方がない。
少女は微笑んだままだ。それがまた不気味に映る。
蓮子は必死に思考を巡らせる。この状況を打開するにはどうすれば良いのか。
少女は攻撃の手を止めようとしない。
蓮子の周りには無造作に散らばった無数の刃物が転がっている。
そのうちの一つが蓮子の左腕に突き刺さった。
「…っっ!!」
あまりの激痛にその場に崩れ落ちる。
痛みのあまり、悲鳴を上げることすらできない。
身体が燃えるように熱い。自分の身体から、液体が流れ出す感覚が伝わってくる。
「この際だから教えてあげる。私は最初からあなたの居場所がわかっていたの」
「つまり、あなたがいくら頑張っても無駄だったってこと」
「そもそもこの世界の主人は私なのよ?」
少女は堪えきれなくなったのかケタケタ笑いだす。
「救いを求めて足掻けば足掻くほど、真実を知った時の絶望ってのは大きくなるものでしょう?」
「"かくれんぼ"のルールを説明していた時から決めてたの。あなたが頑張って、頑張って、頑張って、持てる力の全てを出し切って、力尽きて…」
「そうして地べたに無様に這いつくばったところで、真実を教えてあげようってね」
少女は腹を抱えて笑っている。
「残念でした!!あなたのやったことは初めから何の意味もなかったのです!!」
少女の高らかな宣言を聞きながら、蓮子は自分の心が静かに折れていくのを感じた。
今まで信じてきたことは全部嘘で、何の意味もなくて、ただ、自分が苦しむだけだったのだ。
「ちく…しょう…」
少女は笑い疲れたのか大きく息をついて蓮子を見下ろす。
「さ、トドメといきましょうか」
安心して、急所に当てて即死なんてさせてあげないから、と少女は巨大な眼から再び刃物を取り出す。
すると、少女の動きがぴたりと止まった。
「な…」
少女は動こうともがいているが、動けないようだった。
すると、巨大な眼の内部からメリーの声が響いてきた。
「…逃げて、蓮子」
「…めり…ぃ?」
蓮子はあの眼の中に取り込まれたメリーが抵抗しているのだ、と理解した。
「…っっ!!」
蓮子は今しかない、と持てる力の全てで立ち上がり、地面に転がっていた刃物を少女に投げつける。
刃物は少女の右肩に突き刺さり、少女は痛みを感じているのか唸り声を上げる。
(当たった…?)
どうせ先程のリボルバーと同様に消されてしまうと半ばヤケクソで刃物を投げつけたが、何故命中したのだろう。
それよりも、逃げるチャンスは今しかない。
蓮子は左腕を押さえながら再び走り出した。
壁に肩を預けながら必死に進む。
ナイフが刺さった箇所から鮮血が溢れ出し蓮子の通る場所に赤い軌跡を残している。
しかし、それを気にしている余裕はない。
今は一刻も早く、ここから脱出しなければならない。
(…今思うと不思議な点がいくつかある)
「あいつのナイフは実体があるのに私の銃は消えた…ということは…」
「もしかすると…あいつはあいつの意志でこの世界のものを消したり生み出したりできるのかも」
「もしくは、あいつが作り出した武器なら消せないのかも…いや、でもそれならあの銃も大元を辿ればあいつが作ったものだし…」
出来うる限りの思考を巡らせる。
「…この世界があいつの記憶から出来てるのなら、あの場所は必ずあるはず…」
蓮子は記憶を頼りにあの培養装置があった部屋にやってきた。
一番大きい培養液にはあのメリーと同じ姿の少女が浮かんでいた。
おそらくあの少女の本体だろう。
「やっぱり…」
蓮子は培養装置のコントロールパネルに近づいていく。
「たぶん、これを弄れば…」
現実世界に戻れるかもしれない。
ご丁寧に"触るな"と英語で書かれている。
しかし、今の蓮子にそんなものは関係なかった。
蓮子は何のためらいも無く、キーボードを叩こうとする。
(…これを操作すれば、現実に戻れるんだろうな…)
…でも。
このままいけば、きっとメリーは永遠にここに閉じ込められたままだろう。
今までの自分なら別にそんなこと気にしなかっただろう。
しかし、先程も身を挺して自分を逃してくれた彼女を、自分は見捨てて逃げるのか。
━━━じゃあ、メリーが辛い時は、私もメリーの辛さを半分引き受けるよ
「…やっぱり、私だけ逃げるなんて、できないや」
刺さったナイフを引き抜き、スカートを破って巻きつけ止血する。
やってやる。勝つ方法は必ずあるはずだ。
「あいつの意志次第で私から武器を奪うことができるのなら、意識の外からなら…それに、賭けるしかない」
蓮子は周囲を探し始める。
「…よくここがわかったね、ここまで逃げてこられたのは褒めてあげる」
数分後、メリーの抵抗を抑え込んだのか、あの少女が蓮子のいる培養装置の部屋に入ってきた。
蓮子は少女の本体が入った培養装置を背に少女と向き合う。
「でもなんで逃げなかったの?出口がわかったからここにいるんでしょ?」
少女の口から蓮子の立てた仮説が正しかったことが証明された。
「やっぱりここが出口なのね」
「そう。正確にはあなたたちの出口はここ。私の世界に入ってきた場所が出口になるの」
蓮子は自分の予想が当たっていたことにほっとした。
これでやっと帰れる。メリーを、助けられる。
しかし、メリーと一緒に帰るためには、このメリーと瓜二つの少女からメリーを取り戻さないといけない。
「識別番号:8B52A1-02、メリーは…返してもらう」
「…………その名前、大っ嫌い。私はね、マエリベリー・ハーンになるの。あなたが言うメリーっていうのは、私のことでもあるのよ」
「…黙れ、おまえはメリーじゃないだろ」
目の前の少女の目つきが変わった。
少女は蓮子を睨みつける。
蓮子はその視線を受け流すように少女を睨み返す。
自分が今どんな顔をしているか、蓮子にはわからなかった。
怒りなのか、哀しみなのか、恐怖なのか、それとも別の何かが心の中に渦巻いているのか。
少女はジリジリと蓮子に近寄ってくる。
(こいつは心のどこかで必ず油断があるはず…)
少女は蓮子を刺し殺さんと両手を広げ、巨大な眼を顕現させる。
「せっかくだし、この子の目の前で殺してあげる!」
少女は巨大な眼の中から取り込んでいたメリーを取り出す。
瞬間、少女の周りから爆音が響く。
少女は思わず耳を塞ぐ。
「爆竹見るのは初めてでしょ?!」
蓮子は持ってきていた爆竹の導火線を同じく持ってきていたロープで延長し時間差で爆発するよう仕掛けていたのだ。
激しい音に怯んだ隙を見逃さず、蓮子は少女の元へ駆け寄る。
「食らいやがれ…こん…ちくしょぉぉーーっ!!」
蓮子は右手を大きく振りかぶって渾身の力で少女を殴り飛ばす。
頬に蓮子の殴打が直撃した少女の体は吹っ飛び壁にぶつかると、そのままズルズルと崩れ落ちる。
「メリーっ!」
蓮子は巨大な眼から飛び出しているメリーの上半身を掴み、左腕の激痛に耐えながらメリーを引っ張り出す。
「……蓮……子?」
メリーは蓮子が無事な姿を見て驚きつつも安堵していた。
しかし、すぐに状況を把握すると慌てて蓮子の傷付いた左腕を見る。
巻きつけたスカートの布には血が染み込んでいる。
「ごめんなさい…私のせいで…」
メリーは深い後悔と自責の表情を浮かべる。
「いいよこのくらいで…とにかく無事でよかった、早く逃げようよ」
蓮子はずきりと痛む腕を押さえ、メリーに支えられながら少女の本体が眠る培養装置のコントロールパネルに向かう。
「させないわよ」
背後から声がかかる。
先ほど殴られたダメージから立ち直った少女が立ち上がり蓮子達の方へ向き直る。
「随分とキツく殴ってくれたじゃない…もういいよ、永遠にこの世界を彷徨い続けさせてあげるわ」
少女の体が光に包まれると、少女の周りに紫電が現れる。
「この世界で私から逃げられるわけないでしょう?!」
少女の激昂と同時に強烈な地震が発生し、部屋に亀裂が走り瓦礫が落下してくる。
「…っ!」
少女の本体が眠る培養装置に走る2人だったが落下してきた瓦礫に道を塞がれてしまう。
蓮子は後ろを振り返る。
紫電を放つ少女は巨大な眼を開き蓮子達に向かってくる。
「死んじゃえ」
蓮子とメリーは再び迫り来る危機に対して身構える。
『境界と崩壊の叙事詩』
少女は巨大な眼から怪光線を放つ。
「……っ!」
蓮子達はそれをギリギリで避ける。
2人の立っていた場所に怪光線は着弾し大きな爆発が起きた。
少女はさらに眼から紫色に輝く光線を発射する。
確かな殺意を孕んだそれは蓮子の足下に当たり爆発すると蓮子を空中へと投げ飛ばした。
「蓮子っ!!」
メリーの声が遠くなる。
蓮子は背中を強く打ち付け床に叩きつけられてしまう。
全身の骨が軋む。肺の中の全ての空気が押し出され、身体中の筋肉が悲鳴をあげている。
「げほ…っ」
蓮子の口から赤い液体が吐き出された。
「はあい、おしま〜い」
その様子を見て少女は満足げに笑う。
「…あなたは、何がしたいの?何が欲しいの?」
メリーは蓮子に駆け寄りながら少女に尋ねる。
「何度も言うけど…私はね、あなたになるの。そしてヒトとして、自由に生きるの」
「姿形をいくら真似しても、誰かが誰かの代わりになるなんて、出来るはずないでしょ!」
蓮子は這いつくばりながらも少女を睨み言う。
「……うるさいな、外野は引っ込んでなよ」
少女の背後の巨大な眼から再び光線が放たれ、メリーの右肩に直撃する。
メリーの身体は数メートル吹き飛ばされ、そのまま動かなくなってしまった。
「メリ…ぃっ!!」
少女は己を睨む蓮子を見下すように近付くとしゃがみ込み、顔を覗き込むようにして言った。
「わかったようなクチきくけど、あなたも人に説教垂れることができるような生き方してるわけ?」
蓮子は言い返すことができなかった。
今まで人から逃げ、自分からも逃げ、日々を擦り減らすだけの自分が、他人のことを言える立場にあるのか。
蓮子は唇を噛み締める。
「……そうね、所詮偽物は本物にはなれない、そんなことわかってんの」
少女の紫の瞳から涙が流れる。
「でも、望んで何が悪いの?欲して何が悪いの?願い求めて何が悪いのよ!!」
少女の叫びが響き渡る。
「望んでもないのに生み出されて、用が済めばそれでポイよ!」
少女は蓮子の胸ぐらを掴むと無理矢理立ち上がらせる。
「運命だと思ったわ…私と代われるのはあの子だけだからね!この千載一遇を逃してなるものか!!」
「ぐ……」
蓮子の体が持ち上がる。
「私がどんな気持ちでいたと思う?!生まれた時からずっと実験台、毎日薬漬け、挙句の果てには脳だけにさせられて培養液の中で死んでいく…あなたなんかが推し量るのも烏滸がましいわ!!」
少女は蓮子の体を壁に押し付けながら叫ぶ。
「メリーは……おまえなんかじゃない…!」
蓮子は苦しそうな表情で少女に訴える。
「いいや、もうすぐ私のものになるの。その証拠に、ほら」
少女は自分の左胸に手を当てると心臓が鼓動するかのように光輝く臓器を取り出した。
「私の魂はこの中にいる。あと少し、もう少しなの」
「大丈夫よ、私が入れ替わったらここでの出来事の記憶は全て消して、私がメリーとしてあなたと日々を過ごしてあげる」
あなたは喪ったことにすら気付かないの、とくすくす笑う。
「……そんなこと、させるもんか」
蓮子は歯を食いしばり、力を振り絞ると少女の腕を掴んだ。
「こんな私に良くしてくれた、初めてできた友達なのよ…あんたなんかに、殺させて、たまるもんか…」
蓮子は少女を引き寄せると、首筋に噛み付いた。
「…っ!!何すんのよ!!」
少女は蓮子を引き剥がし倒れた蓮子の腹部に思い切り蹴りを入れた。
蓮子の口から嗚咽が漏れる。
少女は動けない蓮子にここぞとばかりに蹴りを入れ続ける。
「ほんっ…と、邪魔しかしない、のね!」
蓮子はただ蹴られるままになっている。
「生かしておいてあげようと思ったけど…どうせこのままだと死ぬんだし、いっそ楽にしてあげようかしら」
少女はそう言うと蓮子を脚で仰向けにさせる。
その時、もうやめて、と悲鳴のような声が響く。
「私のことはどうしたっていいから、蓮子を…殺さないで」
メリーの声だった。
「嫌よ。せっかく生かしておいてあげようと思ったのに、抵抗するんだもの。私がマエリベリー・ハーンになっても、マエリベリー・ハーンという存在は消えたりしないっていうのに」
少女は蓮子の髪を掴んで顔を上げさせるとそう吐き捨てるように言った。
そして蓮子を放り投げ、メリーの方へ近寄ってくる。
「さあ、その身体を…貰い受けるわ」
メリーの頬を撫で、少女は優しく微笑む。
「……わかった」
メリーはゆっくりと立ち上がると蓮子の方を見る。
蓮子は力尽き、静かに横たわっている。
「…蓮子、ごめんね」
メリーは一言呟くと、目を閉じ、来る死に備える。
メリーの身体から光の粒が溢れ出し、ゆっくりと少女に吸収されていく。
「…させないって言ったでしょ」
すると、蓮子が培養装置のコントロールパネルに手をついてふらつきながら少女に叫んだ。
「こいつを操作すれば元の世界に戻れるって言ったわよね…そしてこいつがあんたの本体」
蓮子はぼたぼたと血を床にこぼしながら叫ぶ。
「じゃあこいつをぶっ壊したら、あんたとこの世界はどうなるんだろうね」
蓮子のセリフに、少女は初めて狼狽する。
「や…やめなさい、そんなことをしたら…!」
「したらどうなるってんのよ…少なくとも今の私たちには得になりそうだけどね…」
蓮子は息も絶え絶えに言い放つ。
「無理に私を殺したら、あなたたちもどうなるか…!」
「どうせこのままじゃ2人とも死ぬんでしょ」
蓮子はそう言って笑う。
「私には、自分の命より大切なものがある…大切だって、気がつけた…あんたなんかにくれてやれる程、安くないのよ」
「やめろぉぉーーーっ!!」
蓮子はくたばれ、と躊躇なくパネルの廃棄と書かれた赤いボタンを押す。
それと同時に少女の絶叫が響き渡った。
培養装置内の少女の本体はバラバラに溶け出していく。
それに合わせて蓮子の視界は光に包まれていった…
光が収まると、蓮子は息を荒げながら培養装置のコントロールパネルの赤いボタンを押していた。
蓮子の身体中の怪我は綺麗さっぱり無くなっており、その事実が蓮子に現実に戻ってこられたのだと確信させる。
「……やった」
蓮子はパネルに背中を預け脱力し座り込む。
大きく息をつく。心臓とか魂が飛び出てしまうのではないかと思うほど大きく大きく息をついた。
そして蓮子は目を閉じる。
蓮子は疲れていたのだ。身体も心も、限界だった。
しかし、メリーの無事を確認するまでは終わったとは言えない。
あのメリーそっくりの少女がメリーに既に乗り移ってしまっている可能性もある。
蓮子はそう考え、ゆっくりと目を開けて立ち上がる。
メリーはすぐそばに倒れていた。
「メリー!大丈夫!?」
蓮子はメリーを抱き起こし、揺さぶる。
「う、うん……?」
メリーはゆっくり目を覚ます。
そして目の前にいるのが蓮子だとわかると、メリーは安心したように笑顔を見せる。
「よかった、無事…だったんだね」
目覚めて最初に見せたあの夜と同じ優しい笑みに蓮子は安堵する。
「おかげさまで…なんとかね」
蓮子はメリーに笑い返す。
「…たぶん、あそこの培養装置の中の…あの液体の中であのメリーの偽物はずっと1人でいたんだろうね」
「…たぶん、寂しかったんだろうなぁ」
「あの時あいつが言っていたことが全部本当なら…悲しいヤツだったね」
うん、とメリーも頷き、起き上がる。
すると、培養装置内の液体が泡立ち始め、再びメリーそっくりのあの少女の肉体を形づくり始める。
「な……なんでまだ生きてんのよ!」
培養装置のガラスが割れ、少女がメリーと同じ姿で2人を睨んでいる。
「逃がさない…逃す…もんか…」
少女の肉体は維持できなくなっているのかドロドロに溶け始めている。
べちゃ、べちゃ、と音を立て少しずつ2人に近づいてくる。
そして2人に向かって手を伸ばすが、その手は溶けてしまう。
言葉にならない呻き声をあげ、親の仇を見るような目で2人を睨み続ける。
「…残念だけど、もう終わりだよ」
蓮子がそう言うと、少女は悔しそうに歯噛みしてその場に崩れ落ちる。
少女の肉体は溶け落ち、あとには白い骨だけが残った。
蓮子はやるせない表情を浮かべ、溶けていく骨を見つめていた。
やがて、その白かったはずの骨は黒く染まり出す。
そして完全に黒い塊となり、跡形もなく消えてしまった。
「……これで、終わったのかな」
メリーが呟く。
「うん…きっと」
2人はしばらく黙って、ただ床に落ちた黒い塊を見つめていた。
「……帰ろっか」
蓮子の言葉にメリーはそうだね、と答える。
蓮子は黒い塊を拾い集める。
「…それ、どうするの?」
メリーが尋ねる。
「このままここに放っておいたら…この子は浮かばれないよ」
「過程はどうあれ、とどめを刺したのは…私なんだし」
蓮子は少し寂しげな顔で、手に持った黒い塊に語りかける。
「だから…どこかに埋めてあげよう、きっとそれが、せめてもの償いだと思うから」
「うん…あの星が見える丘に、埋めてあげよう」
蓮子は黒い塊を握りしめたまま歩き出し、メリーはその隣に続いた。
その後、2人は崩落した階段とは別の階段を無事に見つけ、研究施設の廃墟を後にした。
「…午前4時30分、もうすぐ夜明けみたい」
蓮子は白み出した星空を見上げ呟く。
2人は研究施設から脱出したのち、集合場所でもあった丘の上の木のそばにあの少女の成れの果てとなった黒い塊を埋葬した。
そして共に手を合わせた。
「…ねえ、蓮子」
ふと、メリーが口を開いた。
「…私、…あなたに謝らなきゃいけないことがある」
メリーの声は震えている。
「何?急に改まって」
「私があなたに"友達になってほしい"って言ったのは…あれは、全部自分のためなの」
メリーの瞳からは涙が溢れ出している。
「私は……あなたのことなんか、全然知ろうとしなかった。私の孤独を埋めてくれる誰かを探していただけだったの。本当は…誰でもよかった。誰にでも愛想を振りまいて、少しでも私という存在の証明を、残したかった」
「いつか消えてしまう私という存在を、少しでも多くの人に覚えていて欲しかった」
「ごめんなさい、本当に、こんなの最低だよね。自分が助かりたいばっかりに、そんな理由で友達になろうなんて言って、勝手に失望して……」
メリーは泣きながら蓮子に頭を下げる。
「ずっと言えなかった、話さずにいられたらって思ってた。けど、やっぱり言わなきゃいけないって、あの子に見破られて、逃げられないって思った」
メリーは嗚咽を漏らす。
「…私は」
蓮子はメリーの目を見つめ、かつて自分がそうされたように語りだす。
「メリーがどう思っていようと、私がメリーに出会って、私の人生は変わったよ」
「私が救われたのは本当だし、感謝してる」
「メリーも言ってたじゃない、あなたの苦しみを私にも背負わせてほしい、って…だから、2人で背負って歩いていこう」
蓮子はメリーに笑みを送る。
笑うのは苦手だったが、苦笑いではない、精一杯の笑顔を送る。
メリーは目頭に溜まった涙を拭い、笑みを返す。
「…ねえ、蓮子」
「なに?」
「あのとき、逃げようと思えばすぐに逃げられたはずでしょう?私を置いて…なんで、逃げなかったの?」
メリーの問いかけに蓮子は"あー、"と言葉を濁す。
「確かに…あのときはメリーを置いて逃げる方が、私はもっと安全に逃げられたと思う」
「私が残ってあいつと戦ったって、負けて2人とも死ぬ可能性の方が、多分…いや、ほぼ確実にそうなってたと思う」
「それでもやっぱり、メリーを置いて逃げるっていう選択肢を選ぶことは…できなかったな」
蓮子は恥ずかしそうに頭をかく。
「これから先、絶対に後悔するって思ったし、今まで以上に自分が憎くなるって感じた」
「…まああれこれ言ったけど…結局は、私のわがままだよ」
「居なくなってほしくなかったっていう、私のわがまま」
幻滅した?と尋ねる蓮子にメリーは首を横に振る。
「幻滅するわけ、ないじゃない…ありがとう、蓮子」
そして、2人は互いの手を強く握った。
これから先、どんなことが待ち受けているのか分からない。
けれど、今こうして感じている温もりだけは本物なのだと信じたかった。
そうすれば、きっと大丈夫だと思えた。
「…名前、決めたよ」
蓮子の呟きに、メリーは少し腫れた目で蓮子に"何の?"と尋ねる。
「私たちの活動の名前」
「…保留にしてたやつ?」
「うん、結局決まらなかったからね」
蓮子が微笑む。
「それにしても、よくまあそんなにポンポン思いつくわね。私には絶対無理」
メリーが呆れる。
「ふふん、天才ですから」
鼻高々に蓮子は言う。
「はいはい、じゃあ聞かせてもらおうかしら」
メリーはいつものようにあしらう。
「この世にひっそりと封じられた全ての秘密を暴くものたち、"秘封倶楽部"!…どう?希望感じるいかにもな名前でしょ」
得意げに語る蓮子を見て、メリーはくすりと笑う。
「えー、何その反応。もっとこう、何かないわけ?」
「ううん、素敵だと思う。……ただ、もうちょっとネーミングセンス磨いた方がいいと思うけど」
「うっさいよ」
蓮子はぶすっと口を尖らせる。
「…じゃあ、決まりね」
メリーは満足そうな表情を浮かべている。
「秘封倶楽部が最初に暴いたのは、私たちの秘密、ってね…これからも、よろしく、メリー」
蓮子は照れくさそうにメリーの手を握り直す。
「こちらこそ、蓮子」
2人の姿を朝日が明るく照らしだす。
「じゃ、行こうか」
「…どこまで行くの?」
「…さぁ、ね…行こうよ、行けるところまで」
蓮子は背後の朝日を指差してはにかんだ。
「…そうだね、2人なら、どこまでも行けるよ」
メリーも優しく微笑み返す。
「そうと決まれば、駆け足!」
蓮子はメリーの手を引き走り出した。
「秘封倶楽部結成記念の最初の活動、まずは朝ごはんからね!」
蓮子の弾けるような声が響く。
メリーはその背中を見ながら、小さく笑った。
「締まらないわねえ…」
「……ん?なんか言った?」
蓮子が立ち止まり、メリーの方を振り返る。
「何でもない…ほら、早く行こ…お腹すいたわ」
メリーは蓮子の手を取り、再び走り出す。
「やっぱりメリーもお腹ぺこぺこなんじゃん…いいとこ知ってるからさ、食べに行こうよ」
「って、この時間にやってるお店あるの…?」
……………
まだ、始まったばかりだ。
これからどんな物語が始まるのか、2人にも分からない。
求めた先に幸せが待っているかも、分かりはしない。
後悔はない。今は、ただ2人で突き進むだけだ。
2人の少女はこうして出会い、まだ見ぬ明日に向かって走り始めた。
秘封倶楽部…それが、彼女たちの物語だ。
…今は、これでおしまい。
でも、始まったものは、いつかは終わるものだ。
それを見て見ぬふりをしているこの愚図は、分かっているのかな。
大切な人が明日も生きている保証なんか、何処にも無いことを。
孤独の味を知った塵屑は、どんな顔をして生きていくんだろう。
━今はまだ、私は絶望を知らない。