夏の夜、2人で揺られた水面の上。2人で眺めた花火の下。

大好きだったはずの君を好きでいるために、君のことが大嫌いになった。
僕は今、大嫌いな君に恋をしている。






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大嫌いな君に恋をする

 時刻は19時前。この時間ともなると夏とは言えど、外は暗かった。おまけに人の生活音が聞こえてこないような、陸から少し離れたこの水面の上では、提灯の灯りだけが頼りだった。ただただ、暗い水の上に2人きりだった。遠くの方に都市の無機質な明かりが揺れていた。

 

「ねぇ、貴方は()()()()のこと、好き?」

 

 そんな鬱々しく、暗い世界に居たからだろうか。揺らめく焔の下で黄金に輝いた君から、僕は目が離せなくなった。

 

「僕は……、嫌いだよ」

 

 僕は、嫌いにならなければいけないから。

 彼女の心の底から吐き出されたであろう問いかけに、僕が返したのは拒絶の微笑みだった。そして、薄桃に滲んだ君の瞳に恋をしたんだ。

 

 

 

 

 

 その日は、昼過ぎまで雨模様だった。数日前から不規則に街を豪雨が襲っていた。職業柄、ニュース、特に天気予報だなんだとかはチェックしなければならないもので、連日の雨は特に記憶に残っているのだ。テレビのニュースも気候変動がどうとか、雨で花火大会なんかのイベントが中止の危機だの、暗いものが溢れている。夏といえば夕立だと思わされるほどに雨が続いていたのだ。尤も、これが夕立なのかゲリラ豪雨なのかは判然としないが。

 でも、そんな強い雨も夕方遅くになる頃にはすっかり止んでいた。この時期の雨なんてものは一過性のものなのだろう。僕は出先に傘を持ってこなければいけなかった手間を嘆きつつ、分厚い雲が嘘のように消えてしまった空を見上げていた。

 

 数秒ぐらいだろうか、意味もなく立ち止まっていると、急に都会の喧騒が耳に入る。何かが背中にぶつかって、僕は反射的に丁寧すぎるほどの謝罪の言葉を漏らした。

 人の往来で立ち止まっていたんだ、そりゃあ邪魔に違いない。後ろからぶつかった人を恨むより、今は自分がどう動くかを考えるべきか。

 目的地に向かうには電車を乗り継いでいかなければならない。都会の電車は複雑だ。同じような駅名でも複数の路線が乗り入れているから。僕が今日会う予定の少女の口からも、そんなことをしょっちゅう聞いている。

 

 僕が今日会う予定の人というのは、丁度目の前の交差点に面したビルのビジョンに映し出されているアイドルだった。

 白鷺千聖。恐らく聞いたことがないという人は居ない、というぐらいの有名人。女優をしながら、アイドルとしても活動する齢18の少女。最近はメディアの露出も増えたから、知名度もますます上がっている、僕の尊敬する、自慢のパートナーだった。

 勿論、パートナーっていうのは仕事上の関係の話だ。彼女はタレントで、僕はマネージャー。それでは『パートナー』なんて、大袈裟な物言いだと思うかもしれないが、僕のような歴の浅いマネージャーにとっては、彼女はむしろ芸能界の大先輩だった。それだけで尊敬に値するのに、彼女は僕のことをぞんざいには扱わず、敬意を持って接してくれている。だからそんな風に呼んでいるのだ。

 

 そんな、白鷺千聖のマネージャーである僕だったが、今日の会う予定というのは仕事の話ではなかった。今日の彼女はオフだった。

 でも、予定の詳細は何も知らされていない。どこかしらに出かけるのではあろうが、時間と集合場所しか教えられていないのだ。

 

「ここかな……」

 

 待ち合わせ場所はメインストリートからは一本外れた道。人通りも多くないし、大して目立つ目印もない。時間には少し早かったから、僕はもうすぐ着くだろう彼女を待つ。

 けど、数分もしないうちに。

 

「ってうわっ?!」

 

 背後から服を掴まれて、不意に後ろの方へと引っ張られる。あまりに唐突な攻撃に僕は反応できるわけがなく、無様にも倒れそうになるのを必死で堪え、振り返った。

 

「って、白鷺さん、びっくりさせないでくださいよ」

 

「あらごめんなさい。ぼけっと突っ立っている人が居たもので」

 

 あまりこうやってプライベートで出掛けることなんてのはないもので、仕事の時とは違う雰囲気の彼女に驚きながらも、改めて彼女に向き直った。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

 

 彼女は悪びれる様子もなくクスクスと笑って歩き始める。僕はそれに遅れを取らぬように後ろを着いて歩いたのだが、その瞬間彼女は振り返った。

 

「それと、外では目立つので、『白鷺さん』、ではなくて、『千聖』って呼んでくださいね?」

 

「は、はいって、え?」

 

 困惑する僕を置いて、彼女は……千聖は、軽快に歩き始めていた。

 

 

 

 街を少し歩いたが、結局、人通りの多いところでは一切会話がなかった。僕自身も色々と怖かったり、彼女も望んでいないだろうと思ったから。けれど、暫く歩いて、海辺の公園の遊歩道に出ると、隣を歩く彼女が口を開いた。

 

「もうちょっとで目的地に着きますから」

 

「は、はいっ。あの、白鷺さん」

 

 僕はずっと気になっている目的地や、今日何をするかというのを聞こうとしたが、彼女は僕の言葉に一切答えない。可笑しく感じて、もう一度名前を呼ぶと鋭い眼光が飛んできた。

 

「千聖、ですよね?」

 

「え。あぁ。千聖さん」

 

「なんで『さん』付けなんですか?」

 

「それはその」

 

「そもそも私より歳上ですよね? 仕事上ならまだしても、今日はプライベートなんですから、敬語だとか、堅くならなくても良いんですよ?」

 

 僕からすれば、彼女は芸能界の大先輩だ。歳下とは言えど、畏れ多かった。彼女だって僕に乱暴だとか、馴れ馴れしい口調で話すことはない。それはもしかすると彼女のリアリスト的な精神と芸能界での生き様のせいなのだろうが、彼女が丁寧に話している以上は、僕だけ崩すわけにはいかなかった。

 

「千聖さんは、大先輩なので」

 

「……はぁ、分かったわ。そういえばいつもそんなことを言っていたわね。それならお互い友達みたいに過ごす。そうすれば敬語にもならない、それで良いわよね?」

 

「え?」

 

「分かった?」

 

「……はい」

 

「ふふっ」

 

 彼女は楽しそうだった。多分、友達と過ごす彼女はいつもそんな顔をしているのだろう。僕からすれば慣れないが、彼女が求めているのは、こういうものなのだろう。

 

「それから今日は『千聖』って呼ぶこと。『さん』をつけるのも禁止、良いわね?」

 

「分かりまし……分かった」

 

 僕の口調を思い通りにコントロールできているからなのだろうか、上機嫌に笑う彼女は、年相応の少女だった。いつもは女優、白鷺千聖として芸能界を生きる彼女も、蓋を開けてみれば普通の女子高校生と変わらないとか、そういうことか。

 

「それで、……千聖、今日は何を?」

 

「もうすぐ分かるわ」

 

 そして立ち寄ったのは水辺に建てられた謎の建物。看板を見る限りでは観光船か何かの施設らしい。

 どういうわけか千聖は明らかにお客さん用の入口をスルーして、従業員入口みたいなところのドアを開けた。慌てる僕を見ても静かにするよう言うだけで、施設の人の許可とかを取ることなく勝手に建物に入っていく。千聖を1人にするわけにもいかず、僕は一緒に入る。

 そこは事務所のようになっていて、人影はない。そして、どういうわけか千聖は鍵を片手に携えて、何かを探しているようだった。

 

「あったわ。それじゃあ、そっちの部屋で着替えてきて?」

 

「え?」

 

 指示された部屋に入れば、そこは小部屋で、ご丁寧に畳まれた紺の着物が備えられていた。着替えてきてということはこれを着ろということなのだろうか。手に取ってみると、それは浴衣だった。

 

「帯の結び方とか分からないぞ……」

 

 和服の着方も、ぼんやりとしか頭には入っていない。取り敢えず肌着だけになって、その濃紺を羽織ってみたものの、肝心の角帯の締め方がよく分からない。多分適当にやっても締まるのだろうが、それで解けてしまっても問題だ。

 僕が未知の締め方に迷走していると、様子を見に来たのだろう千聖がドアをノックしてきた。僕はもう少しだけ待つように返事をしたのだが、直後にドアが開く音がする。慌てて僕が横目で背後を見ると、やっぱり千聖が部屋に堂々と入ってきていた。

 

「帯の締め方が分からないのかしら?」

 

「……恥ずかしながら」

 

「貸してもらってもいいかしら?」

 

「え?」

 

 千聖は僕の返事を聞く前に帯を奪い取ると、慣れた手つきで僕の体に帯を回した。

 

「じっとしてて」

 

「でも……」

 

「良いから」

 

 後ろから回されているからよくわからないが、まるで抱きつかれているような体勢になっているのは確かだった。背後にいるはずなのに、千聖からは甘い香りが漂ってくる。いくらマネージャーとタレントとはいえ、ここまで密着することはないし、脈が速くなるのはある種当然だった。

 

「その、近いんじゃ」

 

「こうしないと帯を巻けないでしょう?」

 

 それはご尤もで、元はと言えば自分一人で帯を締められない僕の問題だから、それ以上は何も言えなかった。それからすぐに千聖から小さく、よしっ、という声が聞こえてきた。

 

「これでどうかしら」

 

「おお、すごい。……あっ」

 

 振り返ると、そこには花柄の浴衣姿の千聖がいた。そりゃ千聖だって着替えているか。頭の中ではそう理解するのだが、いざ目の前に普段とは全く装いを変えた千聖の姿が現れると、僕の心臓はこれ以上ないほどに高鳴っていた。

 

「その、……どうかしら」

 

「……すごく。似合ってて、可愛いと思う」

 

「……ふふっ」

 

 最初は恥じらいながら俯き気味だった千聖は一転、上機嫌になって、僕の手を掴んだ。何が起こるか分からないドキドキ感と、普段とは全く違う千聖の様子に、脳内は軽くパニックを起こしていた。

 

「勿論、本番はこれからよ?」

 

 僕を連れ出して、無人のロビーのようなところを抜ける。辿り着いた先は桟橋で、そこには酒盛りなんかで使ってそうな船が泊まっている。所謂屋形船とか、納涼船とかいうやつだ。千聖は臆することなく、そんな小型の屋形船に乗り込んだ。翻った浴衣の桃色に一瞬気を取られたが、千聖と手を繋いでいる僕も、華奢な千聖の手を振り解けるわけがなくて一緒に乗り込んだ。そして、どういうわけだが、僕たち2人しか居ない船がゆっくりと動き出した。

 

「え、どうするのこれ?!」

 

「心配ないわ。知人から許可は貰っているから」

 

「許可って……。いやいや、それよりまず、今日って」

 

 さっきはプライベートなのどうこうではぐらかされた感があったが、幾らなんでもここまで来ると、多少の意識はせざるを得なかった。これではまるで。

 

「デートみたいって、思った?」

 

「えっ。……まぁ、うん」

 

「……そう。今日はマネージャーとタレント、じゃなくて、1組の男と女。さながらデートみたいに、それでも良いでしょう?」

 

「それは……」

 

 揺れる船の上で、誘惑に似た言葉を投げかける千聖に困惑した。それをすっと受け入れられる人間ではなかった。

 

「何が不満なのかしら?」

 

「……僕にとっては、白鷺千聖は僕の尊敬する……偉大な女優、アイドルで。僕は……所詮ただのマネージャーだから」

 

 だから、千聖と同じ立場に並び立とうなんてのは烏滸がましがった。それが本心だった。まるで僕の尊敬している千聖が消えていくみたいで、どう接したら良いか、分からなくなってしまうから。

 

「尊敬する偉大な女優、アイドル……ね……」

 

 僕の矮小な宥め文句を反芻して、何かを考え込むようにしていた。けど、次に船が大きく揺れた時、千聖は再度口を開く。

 

「確かに私も、最初はただのマネージャーとしか思っていなかったかもしれないけど」

 

 その言葉を聞いて、僕は安心した。まさに安寧にありつけるからだった。けれど、そんな束の間の安堵も嵐の中の小船のように激しく揺れた。

 

「今となっては、大切な人だもの」

 

 たった2、3年の付き合い。でも、それはあまりにも濃かった。同じ時間を過ごしたものとしてもそれは共感できた。

 ただ僕と彼女で何が違うのかと問われれば、それは多分考え方の成熟度なのだろう。僕よりも2つも下の彼女の方が僕よりもよっぽど大人びた考えが出来たのだ。僕みたいに単純な考え方しか出来ないわけじゃないのだ。

 

「身分がどうだとか、今の時代にそんなことは関係ないもの。だから良いじゃない、今日はデートだってことでも」

 

「身分の違い、か」

 

 まるでロミオとジュリエットみたいな、禁断とまでは言わずとも、許されざる恋路を歩むかのような、そんな誘惑に満ちた表現だった。それは僕の心を激しく揺さぶった。

 

「今日はお忍びデート、ね? 私の背伸びに少しだけ付き合ってくれても良いんじゃない?」

 

「お忍び……はは、確かにな……」

 

「貸切の屋形船。大変だったのよ? 屋形船を貸し切るだなんて」

 

「そっか、そういえば」

 

 僕は言葉に釣られるようにあたりを見渡す。既に岸からは離れた船の上。屋形船と言えど、船にはどういうわけだか僕たち2人だけ。まるで周囲とは途絶された世界にいるみたいだった。

 

「こうすれば貴方と2人きりになれるもの」

 

「2人で、海の上で」

 

「浴衣を着て、2人きりの貸切の船の上でお忍びデートだなんて、ロマンチックでしょう?」

 

 そう言って笑う、千聖の顔は幼かった。年相応と言うべきか。乙女という表現がピッタリな可憐な姿に、僕はすっかり虜になっていた。それこそ普段の彼女の姿を全て忘れてしまうぐらい。

 2人で腰掛ける木の板の上で、彼女が身を寄せる。僕に体を預ける彼女の体は火照っているようだった。彼女は何か特別言葉を発するわけでもなく、ただ静かな波の音を聞くように目を閉じて、僕の肩に寄り掛かっていた。

 いつまでも、こんな静かな時間を過ごすと思っていた。けれど、それを打ち破ったのは、ヒューという高い音だった。そして、その音が聞こえた方を振り向くと。

 

 大きな音と一緒に、花が咲いた。

 

「うそ、花火……?」

 

「えぇ。花火大会をやるって、知らなかったの?」

 

「あぁ……そういえば」

 

 雨が降ったら中止になっていたであろう花火大会。幸いにも夕方以降は降っていなかったものだから、無事開催に漕ぎ着けたのだろう。千聖の姿に気を取られすぎて、そんなことを考える余裕はなかったのだ。

 僕の思考を全て掻き消していくように、次々と花火が打ち上がっていく。少し距離があるからか、物凄く大きくは見えないが、それでも音が伝わってくるぐらい、その花火は大きかった。

 

「貴方と一緒に、これを観たかったから」

 

 いつのまにか、千聖は僕の手に自分の手を絡ませていた。千聖の熱情がこちらに向いているのがはっきりと分かった。その緊張だって、手にとるように分かった。

 だからこそ、僕の目には、今の浴衣姿の千聖の後ろに、女優、白鷺千聖がいた。

 

「夏といえば花火、そうじゃない?」

 

「風物詩、という意味ではそうだね」

 

「1組の男女が2人きりの世界で、打ち上げ花火に興じるって、それだけでドキドキするでしょう?」

 

「……そうだね」

 

 僕は悩んだ。花火の音に邪魔をされながら、ひどく悩んだ。けれど、少しの間、花火の音が途切れた。

 

「あれ?」

 

「またすぐに、後半の花火が上がるわよ? ……ねぇ」

 

 静かな空間で、僕はようやくじっくりと考えることができそうだった。けど、千聖の濡れた瞳がこちらをじっと見つめていて、僕はそれを無視することなんて出来なかった。だから。

 

「今日の千聖は、少し具合でも悪いのかな」

 

「……え?」

 

「具合が悪いなら、何をしたって仕方ないんじゃない?」

 

「……それは、その」

 

 千聖は口篭った。きっと、こうすれば伝わる、そう思ったのだ。けど、千聖はすぐに口を開いた。

 

「今日の私は、どこか変だと、そう言いたいのね」

 

「大まかに言えば、そうだね」

 

「……私も、今日1日、今日1日だけって思っていたの」

 

「え?」

 

 千聖の口から飛び出た言葉に、僕は驚いた。千聖の熱い視線を浴びた僕は、これからどうしようかと悩んでいたのだから。でも、そうじゃないみたいだった。千聖も、可笑しくなるのは今日だけのつもりらしかった。

 

「受け入れられないかもしれないけれど、私は、貴方のことが好きだから。今日1日だけ、その夢が叶っちゃえばいいのにって。こうすれば、絶対に誰にも邪魔されないから」

 

 まるで海の上の密室。千聖はきっと、僕が本気で迫られたら、断らないだろうということまで考えて、今日の計画を立てたのだろう。事実、その通りだった。

 

「今日1日は、貴方のことが大好きな、1人の女の子になろうって、そう決めて今日はここまで来たもの」

 

 今日の千聖は、本当に1人の女の子にしか見えなかった。それはきっと彼女の演者力の話ではなく、純粋に彼女が、千聖がそうだっただけなのだろう。

 

「今日1日、本当に楽しかった……。街を歩く時も、今日は貴方と恋人になれるんだって。浴衣を着れない貴方を見た時も、着付けのフリをして堂々と抱き着いて、あわよくば貴方が私に堕ちちゃえばいいのに、なんてそう思ってた」

 

「やっぱり、あれは」

 

 バツの悪そうな顔を浮かべる千聖の笑みは自嘲するようだった。まるで、それらが全て浅はかだと笑うかの如く。

 

「……でも、分かったの。私、今日1日だけじゃ、満足なんて出来ないから。これから先もずっと!」

 

「……それから先は、言うな」

 

「あっ……」

 

 残酷だった。残酷で、僕は冷酷な人間だった。彼女の純粋な気持ちを全て握りつぶしたのだから。

 

「僕は君のマネージャーで、君は女優で、Pastel✽Palettesの白鷺千聖だから。それはそんな簡単に、超えられるようなものじゃないんだよ」

 

 千聖は押し黙る。きっと、僕の考えを覆せるほどの言葉が思い浮かばなかったのだろう。だって、僕自身ですら、その壁を超えることなんて出来なかったから。そう思っていた。けれど、千聖は隣で微笑んでいた。

 

「……ふふっ」

 

「……どうしたの?」

 

「いいえ、なんだか同じことを考えていたのかって考えると、ね?」

 

「同じこと?」

 

「貴方に言われなくとも、私がPastel✽Palettesの白鷺千聖だなんて、痛いほど分かっているに決まってるじゃない」

 

「それは、そうだろうけど。……何が言いたいの?」

 

 千聖は微笑みを崩さないままに語り始めた。千聖の瞳は僕の方をずっと見つめているから、僕は一瞬たりとも目を背けることは出来なかった。少し前から再開したらしい花火の打ち上げの音も聞こえるのに、それらは全て背景でしかなくて、僕には千聖のことしか見えなかった。

 

「私は、女優だから、アイドルだから、マネージャーの貴方と恋なんて出来ない、貴方はそう言いたいのね?」

 

「勿論」

 

「私も、同じことで悩んでいたけれど、それだけじゃなかった」

 

「え?」

 

「私は、そう、女優で、アイドルだから。喩え私が貴方をどれほど好いていようと、私の愛を貴方だけに向けるなんてことは、出来ないわ」

 

「それは、そう、だけど」

 

「だから困ったのよ。私のこの恋が叶うためには貴方に私のことを愛してもらわないといけないのに、貴方が()()()()を好きになってしまっては困るの。私は、貴方だけの私でありたいから」

 

 千聖の言わんとすることは分かった。分かってしまった。僕は今、この瞬間でさえ、嫌いになれと囁かれているのだ。それは暗示をかける呪詛のようだった。

 

「だから聞いて? 私が貴方を好きな気持ちは、ホンモノなの。嘘偽りのない、真っさらな恋心なの。貴方は、私のこと、どう思っているの?」

 

「僕は……」

 

 すぐ隣で微笑んでいる千聖の姿を前にして、自分の心に嘘はつけなかった。つきたくもなかった。初めて、自分の気持ちを言葉にして伝えたいと、そう思ったのだ。

 

「僕は、君のことが好きだ、千聖。君を……1人の大切な存在として、好きだと、思ってる」

 

 千聖の瞳は濡れていた。もはやその涙は止まりそうになかった。さっきから鳴り止まなかった打ち上げ花火の音が、とても大きな1発の後、溶けていった。

 

 僕と千聖の視線が、交錯した。

 

 船に灯る提灯が、2人の顔を照らし出す。

 

 影が揺れて、今確かにここに、君がいる。

 

 気がつけばずっと傍に居た、君の瞳に恋をしたんだ。

 

 

 

「ねぇ、貴方は()()()()のこと、好き?」

 

 

 

 芸能界。柵が多く、闇が深い、そんな世界。僕も、千聖も、2人してそんな世界にずっと縛られ続けていた。

 そんな鬱々しく、暗い世界に居たからだろうか。揺らめく焔の下で黄金に輝いた君から、僕は目が離せなくなった。

 

 

 

「僕は……、嫌いだよ」

 

 

 

 僕が呟いたその瞬間、隣に佇んでいた千聖が安心したように目を閉じた。それが、2人の重なる合図だった。

 

 僕が嫌いな白鷺千聖。

 

 嫌いにならなければいけない白鷺千聖。

 

 でも、この瞬間の君を、僕は好きだと気付いたんだ。

 

 

 提灯だけが照らした船の上。何の音もしない、2人きりの世界で、唇を重ねた。何度も、何度も。それは今日だけでこの世界を終わらせまいとする、僕たちの精一杯の抵抗だった。

 やがて、唇が離れる。久方ぶりに見えた千聖の薄桃色の瞳。見つめ合った瞬間に悟った。恋をしたんじゃなくて、これからも恋をするんだと。

 

「……今日は、私はただの女の子なの」

 

「……僕は、1人の男だよ」

 

「えぇ。いつもの私じゃ、こんなことは絶対に出来ないから」

 

 船の揺れが落ち着いてきたけど、構わず千聖は僕の体に寄り掛かる。腕を背中へと回して、ゼロ距離に君がいた。これまで、これほど近くに千聖を抱き締めたことは無かった。それは当然のこと。でも今は、これほどにも華奢で、本当は僕よりも遥かに幼い千聖を抱き締めたくて仕方がなかった。喩え、どれほど自分の身を削ったとしても。

 

「好きだとか、それぐらいの気持ちじゃきっと、覚悟が足りていないから」

 

「僕も、そんな気持ちじゃ、きっと乗り越えられないって、そう思うんだ」

 

 少し涼しさを感じられる夏の夜にも、君の温もりは確かにここにある。きっと、僕の温もりも君に伝わっているから。千聖がゆっくりと顔を上げた。

 

「私のこと、これから先もずっと、愛してください」

 

 僕はこれから先も、未来永劫、大嫌いな白鷺千聖を、1人の女の子として愛し続けるのだ。それが僕の運命だから。

 2人きりの暗い世界で誓った、永遠の愛を捧げる覚悟を胸に抱きながら、僕たちは進み続ける。いつかその夢が咲き果てることを信じて。


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