まずは栗毛が目についた。
柔らかく、綿毛の様な温かさのある栗毛に、特徴的な三角の耳が、ふわふわと風に揺れていた。
恐らく、否、確実に獣人だろう。髪に埋もれる様にしてある三角の耳は、間違いなく獣人の特徴であり、腰の辺りで揺れる栗と白の、二色の巻き尾がそれを確かとしていた。
そして、誰もがその少年の花の様な美貌に、目を奪われていた。
「もし、そこの坊っちゃん」
「あ、僕ですか?」
「そうだね。まあ、私からしたら、皆坊っちゃんみたいな年だけどね。その坂の先には、冒険者ギルドがあるだけだよ」
町の市場を進むその少年に一人、品の良さそうな老婆が話しかけた。
少年はその声に振り向くと、一度礼をしてから、肩に掛けたバッグを指差す。
「これから、師匠の代理で依頼報告書を提出しにいくんです。何か急用が出来たとかで、先に報告書をという事で」
「おやまあ、大変だろうけど頑張るんだよ」
「はい、有難う御座います」
礼儀正しい子だ。きっと、両親にちゃんと愛され、師匠からきちんと教わったのだろう。
だからこそ、老婆は少しだけやるせない気持ちになる。
「なら、これをあげよう。まだ酸いかもしれないけど、少し置いておけば甘くなるよ」
「わあ、二つもいいんですか?」
「ああ、構わないとも」
老婆は、店先に並んだ赤く染まり始めた果実の中で、今日一のものを少年に手渡す。
冒険者とは、過酷な仕事だ。仮に一山当てれば、億万長者も夢ではない。だが、それに対するリスクは、まったく見合わない。
未開地域の探索に始まり、危険生物並びに危険存在の駆除撃退、果ては貴族や王族の傭兵など、命懸けの荒事はほぼ全てにおいて、冒険者の仕事になる。
老婆が知る限りで、新米の年若い冒険者は、高い確率で悪辣な先達達によって、使い潰され消えていく。
この少年の様に、見目麗しく年若ければ、最悪は奴隷として売り飛ばされる事もある。
「有難う御座います。この恩は必ずお返しします」
「気にするでないよ。ただの婆のお節介さ」
その中で、生き残った者だけが、それなりの財を手にして、その中で一握りの者が英雄と呼ばれる様になる。
最近では、〝疾風雷神〟や〝五輪五常〟、〝千天万化〟他の働きかけにより、新人を使い潰す輩は過去に比べて、めっきり減ったと聞く。
だがそれでも、英雄達の影に隠れて、蠢く者達は生き残り、暗躍している。
「……本当に気を付けるんだよ」
「有難う御座います。気を付けます」
本当に分かっているのか不安だが、依頼の代理報告だけなら、問題は無い筈だ。
老婆はまた一度頭を下げてから、駆け出した背中を見詰めて、深い溜め息を吐き出した。
「しかし、いくら急用でもあんな子供に代理を頼むなんて、よほど急ぎの依頼か、大事な用だったのかね」
通常、依頼の報告は受諾した本人が行い、代理報告はパートナーかパーティーメンバーが行う。
しかし、その場合は代理依頼をした本人と、その証明を保証する第三者の認可印又は、それに準ずる確かな証が必要となり、手間と金が掛かる事も多く、よほどの事がなければ、誰もやりたがらない。
今回、あの獣人の少年は師の代理と言っていた。つまり、パートナー登録は済ませている筈だから、問題は起こらない。
だがそれでも、嫌な予感というのは止まないものだ。
「ふむり、済まない。道を訪ねたいのだが」
「ああ、どうしたんだ、い……」
どうにも嫌な考えが止まない老婆の思案は、掛けられた言葉と、日を遮る異様な姿に停止した。
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強い酒精と煙草の匂い、それに混じる鉄とほんの僅かな汗と血の臭い。冒険者、その中でも特に対人の荒事を得意としている者達の体臭だ。
少年は獣人特有の嗅覚で、ギルド内に屯する連中の大半が、所謂傭兵崩れと揶揄される者達だと気づく。
陰湿な、獲物を狙う獣とは違う、人間特有の生臭い視線が、少年に突き刺さる。
しかし少年は、それらの陰湿な視線と、下卑た台詞の群れを意に介さず、真っ直ぐにギルド内の受け付けへと、歩を進めていく。
「あの、すみません」
「…………」
受け付けに着き、カウンター内に居る係員に声を掛ける。
だが、その声に誰も応えない。
聞こえていないのか、はたまた、場所を間違えたか。少年が視線だけを動かし、周囲を観察すると、すぐに答えが理解出来た。
「……〝ティタル・ツィタデーリ〟の代理の者です。キュクロプス討伐の報告書の確認をお願いします」
師の名前を出した瞬間、徐々に近づいていた周囲の気配が止まった。
そして、何やら相談する様に、呟きが聴こえ始める。
「あの、〝万塞破国〟の代理だと?」
「だけど、あのバケモンは、筋金入りの人嫌いだって聞くぜ?」
「有り得るのか?」
「いや、S級の連中は変わり者しか居ねえから……」
呟きに半分は内心で同意する。
確かに、師である彼女は筋金入りの人嫌いであり、確かな変わり者だ。
ある程度の社交性は持ち合わせているが、人に区分される生き物が嫌いで、他人と関わるという事を疎み、唯一関わりのある住処の近くにある村の住人数人以外とは、まず口も利かないし、目も合わせない。というより、まず居ないものとして扱う。
知る限りでは、彼女が数百年生きてきて、心を開いた者は片手の指で足りるという。
「あの、報告書の受理を……」
そこまで考えて、少年は再度、姿の見えない係員に声を掛ける。
この報告書がここで受理されなくても、また別の町で受理してもらえばいい。というより、早く終わらせて、早く合流しなくては、機嫌を損ねた師が何を始めるか分かったものではない。
「あの……」
「おいおい、このギルドはこんなガキの戯れ言を信じるのか?」
と、そんな事を考えていると、カウンターに置いてあった報告書が、横から奪われた。
見れば、如何にも成金風な風貌の男と、その仲間だろう男女が、こちらに向かい下卑た笑みを浮かべている。
「……それについては事実です。報告書を返してください」
「おっと、何々……、トゥレプ山脈内にて、かねてより情報のあったキュクロプスを発見。大規模な群れを形成し始めており、至急全頭討伐。討伐の証は後に討伐者本人〝ティタル・ツィタデーリ〟が持参し、報告書は愛弟子に先行させて提出とする。……ふん、信じられんな!」
少年が伸ばした手を避け、男は報告書の内容を音読していく。内容は少年の言う通りに、キュクロプスの討伐と、その際に発生していたイレギュラーの報告。
そして、ティタル・ツィタデーリ本人による記述と、それらの報告の代理委託を証明する印が押されていた。
「ティタル・ツィタデーリ、かの〝万塞破国〟、万の要塞を平呑し、数百年前には国すら打ち破ったという、史上最悪の超特級危険存在にして、英雄足り得るS級冒険者の一人……」
云々と、ティタル・ツィタデーリが如何なる存在かを、滔々と語り始めた。
まるで、お伽噺の一説の様な内容だが、その全ては事実であり、希代の大英雄にして史上最悪の危険存在である事は確かなのだ。
なのだが、弟子である少年は知っている。
彼女は確かに、希代の大英雄にして史上最悪の超特級危険存在だが、その中身は人嫌いの偏屈道楽駄目人間であると。
いや、というより、まず人間かどうかすら怪しい。
最初に、普通の人間、長命種を除けば、数百年生きる生物は居ない。そして、その長命種すらも、年月を重ねれば老いるし、果てには死ぬのだ。
そう、寿命が有るのだ。生き物には決められた時間があり、その時間の中を生きる。
しかし、あれはそうではない。老いもしなければ、死にもしない。
数百年を年頃の妙齢の美女の姿のまま生きて、挙げ句の果てには、首を物理的に落とされても死なない。
頭の無い体が、斬り落とされた首を片手に、しかもその手にある首が、普段のニタァとした笑みを浮かべて、こちらに近付いて来るのだ。
師でなければ、手にしていた鉄槌で、首を打ち抜いていた。
それだけではない。あやつは、こちらから何かを用意しなければ、基本的には何もしない。
いや、本当に何もしない。
日の出から日の入りまで、椅子に座ったまま、ピクリとも動かず、庭先に住み着いている化け蛙を眺めているか、こちらの訓練をニタニタと眺めているかだ。
食事も毎食というより、一月に一度摂るか摂らないかだ。
もう、これらの時点で人間を含む哺乳類としても、かなりおかしいが聞いてほしい。
彼女、ティタル・ツィタデーリは国に十数人しか居ないS級冒険者の一人であり、それと同時に世界が討伐対象と認定した超特級危険存在でもある。
彼女は元々は流れ人、つまり異世界から、こちらの世界に流れてきた一人だ。
何やら、偉い学者曰く、この世界は他の世界との境界線が緩いらしい。
だからか、別の世界から人や物が、流れ着いてくる事がよくある。
そういったものを総じて、流れ物や流れ人と呼ぶのだが、それらは総じて世界の理から、何かしら離れ、そしてずれている。
少年の師はその最たる者だ。道楽者で駄目人間な上に、最悪の人間嫌いの気難し屋。
他のS級に何度か話を聴く機会があったが、総じて上記と同じ評価であった。ただ違う事は、話を聴いたS級全員が口を揃えて、この世界の罪だと言っていた事だ。
罪が何なのかよく分からないが、相手は人間を石ころ程度にも感じていない存在で、自分の邪魔をされるのが大嫌いな奴なのだ。
つまり、こんな成り上がりの木っ端冒険者と、まともに仕事をしない給料泥棒に構っている暇は無い。
というかギルド職員は、さっさと証明書をこのバカから奪って受理しろ。
間に合わなくな……
「あ……」
「んン? どうかしたのかな? 自分の嘘がバレて後悔しているのか。そうかそうか、だが私は慈悲深い。今なら特別に……」
「師匠?! これは違うんです! えっと、今から! 今から受理されるんです……!!」
気づけばギルドホール内に影が差していた。
薄暗いだけの筈の場所に、異様で異質な長身が立っていた。
細い、人が入っているのか疑わしい程に細い黒い外套、東の国で使われている中央部が飛び出た笠、そしてその笠の外周を囲む黒いヴェール。
笠以外全てが黒一色の顔の見えない異形、少年以外全員が息を忘れ、気づけば誰もが祈っていた。
「まー、ち」
「は、はい師匠!」
「おそい、から、しん配した」
「す、すみません!」
「ほう、告しょは」
「今受理されました!」
とにかく、これ以上時間を掛けるのはまずい。
少年、マーチは矢継ぎ早に言葉を紡いで、報告書を男から奪い取り、職員に叩き付ける様にして渡した。
「じゅ、理は」
「今! 今されました! 帰りましょう師匠!」
人智の外、理外からも外れ、万の要塞を蹂躙し、国すら単騎で滅ぼす怪物〝ティタル・ツィタデーリ〟。
その怪物の機嫌は最悪だ。
マーチは急いでティタルの背を押し、ギルドから出た。
「まーち」
「師匠、早く行きましょう。お茶会に遅れます」
「あ、あ」
世界最悪にして世界最高の冒険者の一人、そして今を生きる最後の五人の魔女の一人。
それがマーチの師であるティタル・ツィタデーリだ。