IF:くまに飛ばされたブルックの行き先がエレジアだった世界 作:館凪 悠
あの事件から数日が経っていた。
今、わたしがいるのは──。
コトン、と座ったカウンター席の前に、ジョッキに入ったジュースが置かれる。
「はい、どうぞ」
というのは、昔懐かしい、年若い女性の顔。
いや、しかし、わたしが彼女と会った時には、彼女はもっと若かった。
なにしろ、わたしが九歳だった頃の話なのだから。
「……その、ごめんなさい。ご迷惑おかけして……」
迷惑なんてものではない。
あの人はああ言ってくれたけれど、それでもわたしは、今や世界の大犯罪者だ。
“自分のために”なんて言っても、それが周りに迷惑をかけてしまうのであれば……。どうしたらいいのか、やはりわからなくなってしまう。
一応、わたしの扱いは“生死不明”となっていた。
家族の計らいで眠ったわたしは棺桶に入れられて、一度家族の暮らす島へと行った。そして、そこで父と話し合った結果、わたしは昔幼馴染と出逢ったこの村に暮らすことになったのだ。
父親は海賊であり、そしてわたしは犯罪者。
匿っていることが知られたら、それこそ大きな問題になる。
父の命を狙う海賊が襲ってくるかもしれない。
わたしを捉えに、海軍が襲ってくるかもしれない。
そんな、危険を孕んでいるというのに、この村の人たちはどこまでも暖かかった。
「ふふっ。ねえ聞きました? ご迷惑、ですって。あれだけお転婆だったのに、もう大人になっちゃって」
カウンターに立つ女性が、ニコニコと笑いながら言う。
その言葉に、フン、と鼻を鳴らしたのは、酒場の片隅で赤子を抱きかかえながら座る老爺だった。
「まったく、迷惑なんてものじゃないわい!」
むすっとした顔で、彼が言う。
「……そう、ですよね」
わかっていたことだ。
それでも、面と向かってそれを言われるのは──。
「こーんな素直な娘を十二年間も放っておいたら、歪んだって仕方ないだろうに! あの男、少しは違うと思ったがやはり海賊は海賊じゃ! のう、海軍の“英雄”とやら!」
「……耳が痛いわい」
酒場の隅の方で食事をとっていた、白い髭を蓄えた体格のいい老人が、顔をしかめて、片手で頭を抱えた。
「のう村長。わかっていると思うが、あいつはわしの指導程度でどうにかなるような男ではないわ。海賊とわしを一緒にせんでくれ」
苦々しい顔で言い訳をする男に、村長はつまらなそうにフンと鼻を鳴らした。
それに対して、村長の前に座っていた大柄の男が、小さく声を上げる。
「彼も、この子を救うための精一杯の選択だったんだ。あの時は海軍も近くにいて、冷静に考えている時間もなかった……ずっとそばにいたのに、何もしてやれなかった私の方が──」
「そもそもあんたは被害者じゃろうが! それならあの男、人質とか誘拐の体であんたら二人を最初からこの村に連れてくればよかったろうに!」
わたしをそっちのけで、父親に対して文句を言い始める彼らに、わたしはつい目を丸くしてしまう。
ふん、ともう一度鼻を鳴らして、村長がわたしを指差してきた。
「ただ、もう一度あんな真似をしようものなら、わしもこの男も黙っとらんからな! 失敗から学ばないのは──」
そこまで言ったところで、村長が言葉を止める。
原因は、手元に抱えた赤子だった。
ぐす。
湿った鼻の音が、酒場に響く。
「もう、村長が大きな声出すから」
呆れたように、年若い女性が言う。
「おおすまんすまん、怖かったのォ」
慌てて村長があやそうとするが、もう遅い。
一度不快感を覚えた赤子は、ちょっとやそっとのことでは泣き止まない。
大声を上げて泣き始めた赤子に、大人の男たちは泡を食うばかり。
ふいに、わたしの脳裏に淡い記憶が浮かんだ。
ああ、そんな古い記憶が、まだ残っていたんだ。
わたしがすごく小さかった頃。見ず知らずの人たちに拾われて、不安だった時、わたしの傍にいてくれた、父の記憶を。
わたしはジョッキを置いて立ち上がる。
そして、村長の抱える赤子の許へと歩き、そしてしゃがんだ。
──あの頃、わたしが寂しい時には、ヘタクソな歌を唄ってくれたこともあったっけ。もう、その歌がどんなものだったのかまでは覚えていないけれど。
「どうして── ─────♪」
自然と、その曲が口をついて出てきた。
ウタウタの力は、使わない。
眠らせてしまえば、静かにできるだろうけれど、きっとそれは、“わたしのやりたいこと”ではないような気がするから。
「───── ─────♪」
大声をあげて泣いていた赤子が、次第に声を小さくして、わたしの方をじっと見つめてきた。
わたしは思わず、その小さい命に手を伸ばす。
ふわり、と。
指先にやわらかい髪の感触。
それを、撫でる。
壊さないように、優しく、優しく。
「───── ─────♪」
一番を歌い終わるころには、その赤子はもう泣き止んでいた。
わたしは、その子に微笑みかけて、ゆっくりと立ち上がり──。
「良かったらだっこしてみる?」
「えっ?」
不意に後ろから聞こえた声に、喉が素っ頓狂な音を立てた。
振り返れば、赤子の親でもある年若い女性が、微笑みながらわたしを見ていた。
答えに窮していると、女性はカウンターから出てきて、村長の手から赤子を取り上げると、わたしの方へと差し出してきた。
「ほら、この子、あなたの歌を気に行ったみたいだから」
にっこりと笑った女性の言葉に、わたしはおずおずと両手を差し出した。
その様子に、女性がクスクスと笑う。
「ちょっと、そんなに緊張しなくてもいいわよ。ライブの時より緊張してるんじゃない?」
「そ、そんなことは──」
ない、とは言い切れなかった。
大切な命だ。
小さな命だ。
それを、壊さないように、落とさないように──。
ずしり、と。
手に、確かな重みがかかる。
赤子は、指をくわえたままじっとわたしを見上げていた。
安心しきったような、その顔。
──ああ。
懐かしい感覚。
わたしが、音楽を好きだった“根源”。
無垢な赤子から向けられたその視線が、それを呼び起こす。
ぎゅっと。
わたしは赤子を優しく抱きしめた。
温かい、小さな鼓動。
ぽとり、と。
いつの間にか、わたしの目から涙が零れていた。
ああ、求められるって。
認められるって。
こういうことだったな。
──ああ、とても、温かいや。
これから先、わたしが自分の罪を赦せるようになるかはわからない。
世界の人たちが、わたしの罪を赦してくれるかなんてわからない。
それでも、そんなことにかかわらず、今日もわたしは生きている。みんなと同じように。
『生きていくことに、資格なんていらないよ』
あの時、彼女がくれた言葉が、頭ではなく心で、ようやく理解できた。
たとえ赦せなくたって、それでも。
自分がここに存在していることを認めてあげてもいいのかもしれない。
そう、思った。
────
固い。
お尻のあたりが、固い。あと、頭のあたりも。
それになんだか、右手の中に、固い物があるような気がする。
……タ──? ……──?
なんだろう。
少し懐かしい、この感じ。
……お……タ──?
あ、これは音か。
なんか、少しだけ耳がくすぐったい気がする。
「……ーい、ウ──?」
いや、音じゃなくって、声だ。
しかも、その声の主は──。
「おーい、ウタ! そろそろ起きろよ!」
「……る、ふぃ……?」
体を起こして、目を擦る。
どうやら机に座ったまま眠ってしまったようで、あちこちが凝り固まってしまっている。
バキバキと、腰が悲鳴を上げて、わたしは腰に手を当てる。
「ほらお前こんなところで寝るから」
呆れたようなその声に、わたしは顔を顰めながら言い返す。
「だって仕方ないでしょ。すごく眠くて──」
そこまで言ってから、あれ、と周囲を見渡す。
そうか。
帰ってこれたのか。
多分、少し呆けた顔をしてしまっていたのだろう。
わたしを起こしに来たあいつが、腕を組んで怪訝そうな顔をしていた。
「なんだァ、ウタ? マヌケな顔してよ」
「ルフィ、あんたにだけは言われたくない」
ぴしゃりと言ってみるが、ああ、ダメだ。
自分でも、頬が緩んでしまうのがわかる。
咄嗟に両手を上げて、両頬をむんずと掴んで揉みしだき、それをごまかしてみる。
当たり前のように“ウタ”と呼ばれることが、これほど嬉しいなんて思いもしなかった。
「……変なヤツだなァー」
「いいでしょたまにはさ!」
「……たまに?」
「ちょっとルフィ、それどういう意味!?」
ちょっとした言い争い。
向こうの世界ではできなかったそれで、しばらくルフィとじゃれあう。
最後は笑って話を切って、そういえば、とルフィに尋ねた。
「ルフィが起こしに来るなんて、珍しいよね。何かあったの?」
いや、とルフィが言う。
「そろそろサンジのメシだからよ! いつまでも起きてこねェから」
「ふふ、そっか。ありがとう!」
お礼を言って、“配信部屋”の外へと向かう──。
と、その前に。
「あ、そうそう」
わたしは踵を返して、机の上に広げられた、古びた楽譜を拾い上げる。
持ったところで、楽譜はウンともスンとも言わない。特に変わった様子もない。
(……これからの旅も、よろしくね)
ウタは心の中で、その楽譜に語り掛ける。
「なんだ、その楽譜? すげェ古いな」
ルフィがわたしの肩越しに、楽譜を覗きながら言う。
まあね、とわたしは答えた。
「大切な物なのか?」
「……そうだね! 心強い旅の味方、ってところかな」
今なら胸を張って、そう言える。
もしかしたら、あの世界であった出来事は、すべて夢だったのかもしれない。わたしに、『原譜も危険なものではない』と思わせるための罠なのかもしれない。
だけど。
右手を開くと、コロンと出てきたのは、ギターのピックだった。
あの世界で最後の演奏をした後、うっかり消しそびれてしまったギターピック。
なんでここまで持って来れてしまったのかはわからないけれど。
だけど、そんなものがここに存在しているということが、あんな夢物語すら、実際にあったことの証左なのだろう。
そうか、と頷いたルフィと一緒に、今度こそ“配信部屋”を出る。
海の匂い。
波の匂い。
そして、太陽の匂い。
本日は晴天なり。
「んーっ!!!」
とてもいい天気に、わたしは伸びをする。
そんなわたしを後目に、ルフィはどんどんと食堂へと向かい──。
「ねえ、ルフィ!」
わたしは、その背中に声をかけた。
ルフィが立ち止まり、振り返る。
「? なんだ?」
麦わら帽子をかぶった彼に、わたしは握った左拳を突き出した。
「ルフィ、わたしはやるよ!」
いきなりの宣言に、驚いたようにルフィが目を丸くする。
わたしはにっと歯を見せて笑った。
「誰もが自由に音楽を楽しめるような、そんなバカみたいに平和な“新時代”を迎えるために!」
それを聞いたルフィも、にっと歯を見せて笑い、麦わら帽子を左手で抑えながら言う。
「何を今更言ってんだ。お前はやるって言ったらやるやつじゃねェか! おれも負けねェからな!」
グッ、と右手が突き出される。
ふふ、とわたしが笑うと、ちょうど後ろから、落ち着いた低い声が降ってきた。
「おやおや、ウタさんもルフィさんも、朝から元気ですね」
「あ、ブルックー!!」
わたしは思わず、その骸骨に抱き着いてしまった。
ヨホ!? なんてマヌケな声が聞こえる。
「……今日が私の命日なのかも」
あ、私もう死んでましたけど、なんてキレの悪いスカルジョークを飛ばしている。
ぱっとブルックから離れて、わたしは、あははと笑う。
「いやー、ブルックもありがとうね! おかげでいろいろと助かったよ!」
「……なんの話です?」
怪訝そうな声で、ブルックが首を傾げる。
「食事の時にでも教えてあげるよ。それよりさ、ブルック、せっかくだから少し付き合わない?」
何に、とは言わない。
そんなこと言わなくても、
「ええ、それはもちろん。なんにしましょう?」
歌いたい曲は決まっている。
ブルックがギターを構えるのを待って、わたしは大きく息を吸い込んだ。
「新時代は── ─────♪」
歌うのはもちろん、『新時代』。
この先にある未来だ。
必ず。
きっと。
それをつかみ取るまで、立ち止まってなんかいられない。
だってそれが、“わたしのやりたいこと”だから。
今までも、これからも、ずっと。
ブルックの演奏とともに、大海原に向かって宣戦布告をするように歌う。
波の音がする。
風の音がする。
船が水面を切る音がする。
楽器の音がする。
そして、仲間の声がする。
もう、わたしは独りじゃない。だから、怖いものなんて何もない。
「新時代だ!!!」
拳を上げて、宣言する。
海に。
空に。
風に。
船に。
仲間に。
ルフィに。
そして、世界に。
さあ、待っていろよ“新時代”。
頼れる仲間たちと一緒に、絶対に迎えに行くからね!!
ご読了ありがとうございました。
映画編におきましては、蛇足も蛇足、さらに私の考察と妄想が入り混じったものを形にした関係で、面白さは置いておくにしろ、少しご都合展開が出てきてしまったところになります。ですが、REDのウタはこうでもしないと生存ルートに乗れないのではないか、というやはり個人的な考察の産物でした。最後までお付き合いいただき誠にありがとうございます。設定に関して出していない部分などもありますので、もし何かありましたら、感想とともに疑問を投げていただければ回答できる範囲で回答しますので、よろしければどうぞ。
さて、今後についてですが、Twitterの方でアンケートを取りまして、まずはこのブルックウタのコンビの外伝として短編を書くことになりました。大まかなプロットはできておりますので、また近々別枠で投稿出来ればと思います。必ずタグに「ブルック」「ウタ」が入った作品になりますので、よろしければチェックしてみてください。
およそ半年の間、連載させていただき、なんと累計50万UAを達成することとなりました。途中途中の区切りでやめることも考えましたが、ここまで書くことができて良かったと思います。偏に読者の皆様がいてくださったからだと考えております。重ねてお礼申し上げます。ありがとうございました。
またいずれ、別の小説でお会い出来たら恐悦至極でございます。