目を覚ますと、俺は消毒液や薬品のにおいに包まれていた。
体を起こそうと考えたが、全身が酷く怠く体を動かす気力が湧かず断念する。俺は怠さを紛らわそうと、肺に大量の空気を送るべく、大きく息を吸い込んだ。
吐き出した息と共に、ふかふかのベッドへ体が沈み込んでいくのを感じる。
不意に聞こえた足音の後、足元のカーテンが開いた。
「目が覚めたようだね」
そこに立っていたのは眼鏡を掛けた白髪の男性。白衣を纏っている事から、彼が医師であることは容易に想像できた。
「今、君がどんな状況なのか分かるかい?」
「••••••俺は船に戻ってきたんですか?」
「その通りだ。君以外の生徒も既に乗船済みだよ。時間はもう夜になっているがね」
医師が俺の容態を説明する。
ここに運ばれた時、俺は高熱に見舞われており、深い眠りに落ちていたらしい。すぐベッドに寝かされ点滴を施されたとの事。
加えて右足は捻挫。右足に目をやるとギプスが巻かれていた。全治およそ二週間、その間は松葉杖での生活を余儀なくされる。
「今晩はここにいなさい。何かあれば枕元のスイッチを押して呼ぶように。何か聞きたいことはあるかい?」
「いえ、大丈夫です」
試験の結果は気になる所だが、この人に聞いても仕方ないだよう。
「分かった。それじゃあ、お大事に」
そう言って、医者はふたたびカーテンを閉めた。
俺は再び目を閉じる。今までずっと寝ていた訳だが、体の怠さのせいだろうか。意識は次第に落ちていった。
••••••••••••••••••••••••。
『おにーちゃーん!』
最愛の妹が俺を呼んでいる。
『夏期講習を頑張ったご褒美に小町を遊びに連れてって♪』
俺の右腕にしがみついてねだる小町に、俺は何でもしてあげようと心に決めた。あ、でもお兄ちゃんの小遣いが寂しくなりすぎないように手心は加えて欲しいな。
『八幡!帰ってきてたんだ』
今度は戸塚が目の前に現れた。
『連絡くれれば良かったのに。でも、会えて良かったよ』
俺にとびきりの笑顔で左手を握る戸塚の手は、戸塚特有の柔らかな質感をしている。
右に小町、左に戸塚。こここそこの世のエデン。二人の天使に挟まれ、幸福の絶頂にあった。
••••••だが、そんな時間は一瞬にして崩れ去る。左右の天使が突然、別の存在へと入れ替わった。
『けぷこんけぷこん。待ちわびたぞっ、我が相棒よ!』
そしてそいつは次々と増殖していく。
『けぷこんけぷこ『けぷこんけ『けぷこ『けぷ『けぷこん『け『け『け『けぷこ『けぷ『けぷこん』ん』ぷこん』ぷこんけぷ『けぷこんけぷこん』んけぷこん』こん』ぷこ『けぷこんけぷこん』こん』けぷこん』んけぷこん』こん』ぷこんけ『けぷ『けぷこんけぷこん』んけぷこん』ん』『けぷこん』ぷこん』けぷこん』••••••。
••••••••••••••••••••••••。
目を開けた俺は冷や汗でびっしょりだった。
••••••なんてクソみてぇな目覚めなんだ。
俺の起床に気付いた医師の連絡により、星之宮先生がこの医務室にやって来た。
「おはよう、比企谷君。体調はどうかしら?」
「まだ少し気怠さはありますけど問題は無いです」
医師からはもう自由にして良いと言われているので、この話が終われば部屋に戻ろうと思っている。
「そ。ちゃんとみんなに連絡するのよ。意識のない君がリタイアした時、大変だったんだから」
「••••••分かりました。それで、試験の結果はどうなりました?」
俺の問い掛けに先生は急にご機嫌顔になった。
「Bクラスは232p。二位のDクラスと7p差でトップよ!」
「そうですか」
ちなみに3位以下は大きくポイントが離れているらしい。Cクラスにいたっては0p。どうやら王様の企みは失敗に終わったらしい。
「あとこれ、船を降りる前に預かった比企谷君の荷物ね」
先生から受け取った荷物の中から携帯端末を取り出し、クラスのグループチャットに生存報告を投げた。
雪ノ下と由比ヶ浜からもメッセージが来ていたので、返しておく。
【奉仕部】
比企谷『許可が出てこれから部屋に戻る』
雪ノ下『もう大丈夫なの?気を失ってたって聞いたのだけれど••••••』
由比ヶ浜『目が覚めたんだね!よかった~』
比企谷『雨に濡れて熱だしただけだ。問題ない。ただ、捻挫してしばらく松葉杖を使うことになった』
由比ヶ浜『なにそれ!初耳なんだけど!!?』
雪ノ下『いきなり一人で歩くのは危ないんじゃないかしら?』
比企谷『中学入った時も松葉杖だったんだ。慣れてる』
由比ヶ浜『!!すぐに行くから待っててっ!!!!』
比企谷『いやだから平気だって』
由比ヶ浜『いいから待ってて!!!』
勝手に一人で動いたら後で煩そうだし、仕方ない、待つか。
「迎えが来るみたいなんで、そいつと戻ります」
「分かったわ。それじゃあ私は戻るけど、何かあったらちゃんと言うのよ」
星之宮先生が医務室から出ていってしばらくすると、由比ヶ浜と雪ノ下が現れた。松葉杖を着く俺の両脇に寄り添うように歩く二人と共に、俺は約一週間ぶりの客室に戻っていった。