獣人と日々を歩む冒険者 ~清くも正しくもないが、信頼はある~ 【完結】   作:ごぼう大臣

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本当の名前 後編《※最終回》

「せえぇいっ!!」

 

 太陽が沈み暗くなった森の中。動物たちも身をひそめ静まり返ったその場所に、気合いのこもった声が響いた。

 その声がした場所では、狼と人が合わさったようなシルエットが二つ、二本足で立って格闘していた。絶えず間合いを計り、拳や蹴りはもちろん噛みつき、体当たり、ひじ打ちに膝蹴りと無法ともいえる戦いをしている。

 

 彼らは、ジゼルとその姉ミコト。獣化した彼女らの体は互いに傷だらけになり、ジゼルの凛々しい顔が苦痛にゆがみ、ミコトの長い髪は荒れ放題となって血染めでたなびいていた。

 その取っ組み合いがしばらく続いた後、両者はいったん離れてにらみ合う。するとジゼルががくりと膝をついた。

 

()ってぇ……クソ」

 

「どうしたの、もう終わり?」

 

「姉貴、少しは手加減しろよ……」

 

 得意気に鼻を鳴らすミコトへ、不満を漏らすジゼル。するとミコトは腰に手を当てて言い聞かせるようにこう言った。

 

「ダメよ。決闘で負けた方が言う事を聞くって約束でしょ」

 

「痛いもんは痛いんだよ。ったく、妹の顔をこんなにしやがって……」

 

「それだけ真剣って事よ。分かるでしょ?」

 

 ふとミコトの口調が重くなり、ジゼルをジッと見つめる。そしてどこか悲しげにたずねた。

 

「……そんなに、あの男といたいの?」

 

「…………」

 

「あのアランって人間、そんなに信頼できるワケ?」

 

 アランの名前を出した姉を、ジゼルは無言ながらまっすぐに見返す。そして口に溜まった血を吐き出し、ゆっくりと腰を上げた。

 

 ジゼルは目の前の姉と、それから弟のホムラの二人から『街を出て共に来ないか』と誘いを受けていた。姉弟はジゼルと違い人間を信頼しておらず、ジゼルをパートナーであるアランから引き離そうと考えているのだ。

 当然ながらジゼルもアランもそれを渋った。そこでミコトから提案されたのが彼女らの種族の風習、決闘である。身一つで戦い、相手に参ったと言わせれば要求が通る。ジゼルたちはその提案に乗り、ジゼルがミコトと、アランが弟ホムラとそれぞれ決闘する事となった。

 

 そうしてジゼルがミコトに押されているのが、今である。

 あちこちに傷をつくりながらも体勢は崩れないミコトの前で、ジゼルはどうにか立ち上がり、痛む腕をかばいながら言う。

 

「……アランと離れる気はない。その、大事なヤツ……だから」

 

「それは正直な気持ち?」

 

「ああ。ウソついてもしょうがねえだろ」

 

 ジゼルは強い口調で言うが、ミコトはなおもたずねる。

 

「けど、本当に好きで一緒にいるの? 街にいたら、人間との契約がなきゃ暮らしていけないじゃない。もしかしたらそれで……」

 

「そんなんじゃねえ。確かに小難しい決まり事はあるけど、打算で付き合ったりなんかしねえよ」

 

「あなたはそうでも、相手がそう思っているかは……」

 

「それも大丈夫だよ! むやみに疑わないでくれ!」

 

 ミコトの言葉をさえぎり、ジゼルは意気込んで断言する。それに気圧されてかミコトはぐっと口をつぐむが、今度はこう聞いた。

 

「小さい頃が、懐かしくない?」

 

「っ……」

 

「人間に囲まれて色んな事に縛られるなんて、子供の時にはなかったじゃない」

 

 ミコトとジゼルが共にいた頃の、まだジゼルという名を彼女がつけられていなかったであろう頃の話。それを持ち出され、ジゼルの表情がくもった。ミコトも同じように辛い表情であった。互いに家族としての良い思い出があるのがうかがえた。

 押し黙るジゼルへ、ミコトはこう訴える。

 

「昔は、アンタが兄弟で一番人間嫌いだったじゃない。そうなった理由だって覚えてるでしょう?」

 

「昔の話だろ……」

 

「じゃあ、今の生活は満足できるの? 人間のせいで住む場所が無くなって、それでも良かったと思える?」

 

「…………」

 

 ジゼルの目がほんの一瞬およぐ。アランと一緒になるまでの経緯は決して幸せなものではない。他の獣人たちのように、人間が支配圏を広げたせいで追い出されるハメになったのだ。

 ミコトはさらに問いかける。

 

「それに、あのアランがアンタを愛していたとしても……彼に万が一があったらどうするの? それだけで行き場が無くなるかもしれないのよ」

 

「やめてくれよ、そんな話!」

 

「いいえ、妹の今後がかかってるのよ!」

 

 反発するジゼルへ、ミコトはさらに強い語気で言い返す。二人はそれからしばらくにらみ合っていたが、ジゼルが低くうなってから言った。

 

「……アイツは死なないさ。どうせしれっと戻ってくる」

 

「なぜ分かるの?」

 

「そんな感じがするのさ。それより……」

 

 ジゼルは静かに答え、途中で言葉を切る。ミコトがじれったそうに前のめりになると、急にジゼルが獣化した首をぶるんと大きく振った。

 

「きゃっ!?」

 

 ジゼルのあちこちから流れていた血が、首を振った瞬間にしぶきとなって飛び散る。それにミコトが驚いて顔をかばうと、その隙をついてジゼルは素早く飛び出した。

 

「せりゃあっ!!」

 

「いだっ!?」

 

 かけ声とともに、ジゼルの飛びつくような膝蹴りがミコトへ突き刺さる。かばった腕ごと勢いに負けて吹っ飛んだミコトが、尻餅をついて倒れた。

 それを見下ろしながら、ジゼルは短く吠えてから言い放つ。

 

「姉貴、油断しすぎ!」

 

「……このっ。食えない妹ね……」

 

 ワハハと笑うジゼルへ、ミコトもいら立ちまじりに笑みを返す。そしてまた立ち上がって向かい合い、ミコトは念押しするように言った。

 

「まだやる気? ……やめてもいいけど」

 

「やだよ。やっと姉貴とのケンカで勝てそーなのに」

 

「そう……。じゃ、遠慮しないわよ」

 

 ミコトの表情が再びキツいものへ変わる。そして間髪入れず、彼女はジゼルへ猛然と殴りかかった。

 

「うおっ!?」

 

 面食らいながらも、ジゼルは必死に体を反応させ回避する。かつてボクシングをした経験も生かし、頭を下げ、上体をそらし、腕でかばって傷を最小限にする。

 ただ、そのように応戦しながらも、ジゼルは頭の片隅で祈るように思考をめぐらせていた。

 

(……正直、今でもちょっと迷ってる。人間どもにはまだ嫌いなところもたくさんある……)

 

 そして、あの男の顔をちらと思い浮かべた。

 

(……だからアラン。早くもどって来てくれよ。お前がいれば、もっと頑張って人間を好きになれそうなんだ)

 

 戦い続け、心の中で念じながら、ジゼルはこっそりとパートナーの無事を祈っていた。

 

 

――

 

 

 ……一方その頃。ジゼルたちがいる場所よりさらに森の奥。ここでも二人の影が動いていた。

 

「そらあっ!!」

 

 気勢をあげて拳を振るうのは、ジゼルたちの弟ホムラ。こちらは獣化せず、腰の入った正確な動きで目の前の相手にパンチを叩き込む。それをもらった相手は後ろによろけ、ふらつきながらガードしていた腕を下ろした。

 

「……さすがに効くな。折れるかと思った」

 

 そう苦笑いするのはアラン。すでに顔のあちこちにアザをつくり、服や靴にも倒れたかのような汚れがついている。

 ジゼルたちと同じく、決闘をしていた二人。しかしアランの顔にまだ笑みがあるのに対して、ホムラはいかにも不愉快そうに眉間にシワをつくっていた。

 そして拳を強く握り直し、ホムラは耐えかねたように言う。

 

「……何がおかしい。ニヤニヤしやがって」

 

「ハハ、笑うしかねえんだよ。こちとら人間なんだからキツいっての」

 

「ほざけ! さっきから一発も殴り返してこねーじゃねえか!!」

 

 怒鳴るホムラへ、アランは肩をすくめた。よく見れば確かに傷をつくっているのはアランの方だけで、ホムラは顔にも体にもかすり傷一つない。反撃の一つもした形跡がないのだ。

 もちろんアランが防御しか出来なかったから……というワケではない。笑って会話しているのを見れば分かるように、それなりの余裕がある。

 だからこそホムラも怒っているのだ。ホムラはアランをにらみつけたまま、狼のごとくキバをむいて言った。

 

「……ナメてるのか? これは決闘だぞ? お前が俺に参ったと言わせない限り、お前の望みはかなわないんだぞ?」

 

「…………」

 

 ゆっくりと、言い聞かせるように念を押す。それでもアランが黙っていると、ホムラはいら立ちをむき出しにしながら怒鳴った。

 

「お前は姉ちゃんと一緒に暮らしたいんじゃなかったのかよ!? アレはデタラメか!? 姉ちゃんの気持ちをもてあそんだのか? それとも怖じ気づいたのか!?」

 

 一気にまくし立てるホムラ。アランを憎みつつも、覚悟を確かめたい気持ちがあったのだろう。少しも攻撃を返さないアランを見るホムラの表情に、しだいに失望がにじんでくる。

 それを見たアランは、笑みをなくして神妙な顔になる。そしてホムラを見つめて言った。

 

「……悪いが、俺はお前を殴りたくない。恨みも何もないんだからな」

 

「あ?」

 

「ただ、どんだけ殴られようが、お前の姉ちゃんは大切にする。俺にはそれしか言えない」

 

 アランは目を逸らさずにそう言ったが、ホムラは不機嫌そうにするばかりだった。

 

「よく言うぜ。戦って勝つ自信がないだけじゃないのか?」

 

「違う、そうじゃない。……信じてもらえないだろうが……」

 

 ホムラの疑いを即座に否定したアランだったが、信用してもらえるような証拠は何一つない。アランは必死になってホムラへ訴えた。

 

「アイツを蔑ろにはしてないさ。本当だ。一緒に寝起きして、仕事して、たまにケンカして……特別な事は何もしてないけど、お互い普通に接しているだけだ」

 

 アランの口振りは、特に相手を感激させるようなものでも無かった。ただ、強いて形容すれば実態を飾らずに伝えようとしている、とは言えるかもしれない。

 そのおかげかホムラはわずかに眉を動かし、いら立ちを抑えて口を開く。

 

「本当に好きでつるんでるのか? 契約のせいじゃなく?」

 

「本当だって。前も同じ事言っただろ。契約なんてジゼルもしょっちゅうグチこぼしてるよ」

 

「じゃ、仕事も何も無い時はどうしてんだ? そういう時こそ本心ってのが分かるもんだろ!?」

 

「……それは……」

 

 ホムラの問いに口を開きかけ、アランはふとその口をつぐんだ。頭の中で何やら考え込み、視線をしばし泳がせる。

 彼らが暇な時にやっている事といえば、武器の手入れや宿の仲間とのおしゃべり、あとは少し外で飲んだりなど色々ある。しかしアランの脳裏に最初に浮かんだのは、そのどれでもない光景だった。

 

(……そういや最近、夜は大人しく寝る日が多かったっけ)

 

 そう、アランが思い出したのはジゼルと"寝た"光景。リズが言うところの"お楽しみ"である。もちろんそれも暇な時にしている事に間違いないのだが、アランは少々ばつが悪くなった。

 

(いやいや、少なくともこれは話すような事じゃないよな。ましてやコイツとは初対面だし)

 

 とりあえず常識的に考え直し、アランは間を置いて答えようとする。しかし、その小さな間にも焦れてしまったのかホムラが足を踏み出して言った。

 

「いつまで黙ってる。答えられないのか!?」

 

「や、別にそういうワケじゃ……」

 

「その取り繕った態度が気に入らねーんだよ! 正直に言えよ……浮わついたウソをついたら食い殺すぞ」

 

 物騒な事を言いつつ、ホムラはアランへずんずん詰め寄る。姉そっくりのその怒り顔に気圧されながら、アランは再び思考を練りはじめた。

 ささやかな幸せはたくさんある。それはウソではないし、実態を素直に答えるのが普通だろう。しかし、目の前のホムラがそれで納得するだろうか? 当たり障りのない答えでさらにいら立ちを募らせる可能性もある。

 

 ならばいっそ、肉体関係まで言ったと素直に吐いた方が良いのではないか、とアランは思った。本来なら時期も場所も間違っているだろうが、またいつ会えるかも分からない相手にそれを考慮するのはかえって不誠実な気がした。

 アランは観念したように一つ咳ばらいすると、ホムラの目を見て口を開いた。

 

「……心して聞いてくれよ」

 

「なんだ、あらたまって」

 

「俺とジゼルの私生活は、まあ色々やってるが……一つ言うなら」

 

 そこでアランは思い切りのために胸を張った。

 

「もう()()までいった! それが偽りのない事実だ!」

 

「……えっ」

 

「お互いに最も無防備になれる関係だ。そう言えば納得するか?」

 

 恥ずかしさもあって一気に言い放ったアラン。するとホムラはあっけに取られて目を丸くした。

 しばらくポカンとして、それから眉をひそめるホムラ。そりゃ戸惑うよな、とアランは思っていたが、次の瞬間ホムラの表情がふと変わる。

 

「……不潔」

 

「なぬ?」

 

「不潔っつったんだよ! このサル野郎が!!」

 

 そう怒鳴ったホムラの顔は怒りに満ちていた。しまった、本性はあんがい潔癖だったかとアランは思いかけたが、次に降ってきた言葉で認識を改めた。

 

「俺は! そんな世界まだ知らねえのに! どうせお前が汚らわしい事吹き込んだんだろ!!」

 

「えー……いやそんなんじゃなくて、要は幸せですよってのをだな」

 

「うるせえ! その口閉じろ、腐れ脳ミソの変態が!!」

 

「うわっ!?」

 

 問答無用といった様子で殴りかかるホムラを、アランはあわてて回避する。アランは相手の怒りかたに感じる青臭さや嫉妬に共感をおぼえたが、あいにくそれどころではなかった。

 ホムラは顔を真っ赤にして拳や脚を間断なく振るう。それらを必死に避けながら、アランはホムラを止めようと叫んだ。

 

「落ち着け! やましい事は何もない! お前も恥じる事は……うおぉ!?」

 

「俺は関係ないだろが! それより逃げんじゃねーよ、この色ボケクズ男!!」

 

「よせ、俺はお義兄ちゃんだぞ!」

 

「だから誰がお義兄ちゃんだ! 殺す!!」

 

 逆上するホムラの姿に、やぶ蛇だったと内心で後悔するアラン。二人の話し合いもとい決闘は、今しばらく拗れっ放しになりそうだった。

 

 

――

 

 

「はぁーっ……はぁーっ……」

 

「ふふん、とうとう息が切れてきたわね」

 

 ……アランたちがしょうもないケンカを始めた頃。ジゼルたちの方では徐々に形勢が傾きつつあった。

 ジゼルとミコト、互いに息を切らしてはいるが、ジゼルが膝をついて動けずにいるのに対して、ミコトはまだ立っていた。ミコトは今にも倒れそうなところで足を踏みしめ、口元の血をぬぐいながら言う。

 

「わりと粘ったけど……ここまでね。降参なさい」

 

「やなこった。そっちだってフラフラじゃねーか」

 

「何を……言ってるの? 私はまだまだ……おっと」

 

 ミコトは虚勢を張ろうとするが、その拍子に後ろへ倒れかけてとっさに体勢を立て直す。そして気を取り直すようにまた口を開く。

 

「いい加減にしなさい……。ろくでもない将来が見え透いてるのに、むざむざ帰らせるワケないでしょ」

 

「将来なんて分かるもんか! 知った風な口を利くなよ!」

 

「聞き分けのない事言わないの!!」

 

 反発するジゼルへ、ミコトが怒鳴り返す。それにジゼルがつい怯むと、ミコトは語気を抑えて語りかけた。

 

「……あなたが身の回りの人間を信頼してるのは分かった。けど実際、獣人の立場は下なのよ? それでいいの?」

 

「…………」

 

「中途半端に居心地がいいからってそこに甘んじるなら、私は無理矢理にでも連れ出す。そんな不安定な身分、どこかで破綻するわ」

 

 ミコトの言葉を聞き、ジゼルも自らにふと疑問を感じた。自分は何故アランやリズや、ダニエルらなどの人間を好いていられるのだろうと。

 一緒にいて楽しい、頼りになる……そんな理由ももちろんある。

 だが、本当にそれだけで一緒にいるのだろうか? 感情だけでの繋がりは、同じく感情のみで切れてしまう可能性がある。考えたくはなかったが、アランたち人間に何か心変わりがあれば、ジゼルはそのとたん身寄りも権利もない浮浪者になりかねない。彼女自身、その末路は貧民窟で目にしている。

 一歩間違えば、ジゼルがアランに媚びざるを得なくなる危うい関係性。だのに何故、ジゼルはここまでのんきに周囲を信じているのだろう?

 

「ちょっと? なんとか言ってよ」

 

 ……彼女が考えにふけっていると、ミコトが大声で呼びかける。それにジゼルはあわてて顔を上げた。

 

「ああ悪い。ちょっと悩んじまって……」

 

 手をヒラヒラさせ、生返事をするジゼル。しかしその時、ジゼルの目にある物が留まった。

 彼女自身の両腕……手首の部分に、鉄輪のような物がはまっている。そしてそれぞれもう片方の手首を繋ぐかのように伸びているチェーンが、途中で引きちぎられた形でぶら下がっていた。

 それを見て、ジゼルは自身が着けているそれが何であったか思い出す。手錠だ。街で見かけた武具の店、カルロスのところで買った、獣人の力を制限する手錠だった。第31話参照

 

 体に馴染むにつれて存在を忘れかけていたそれ。しかし今あらためて目に留めた彼女の脳内に、手錠を買った時の記憶がよみがえる。

 

 

…………

 

『その手錠はただの手錠じゃありません……。もともと獣人を拘束して、仕置きするためのモノなんです』

 

『拘束?』

 

『はい。かけた者はたちどころに、体が鉛のように重くなる魔法……もとい呪法がかかっていましてね。まあ五、六年前なら売れたでしょう』

…………

 

『だが……今はもうそんな時代じゃない。そんなものに用がある人は年々少なくなっている』

 

…………

 

 

(そういや……そんな事も言ってたな)

 

 店主のカルロスが言っていたセリフ。買った時はさほど気にしなかったが、思い返すと違う感情がわいてくる。

 小さな変化だが、獣人と人間の関係性が一部で変わりつつある証。

 手錠をマジマジと見つめていたジゼルは素早く顔を上げ、ミコトへ言った。

 

「姉貴、ちょっと待ってくれ」

 

「何よ、さっきから待ってるんだけど」

 

 呆れ顔で肩をすくめるミコト。一方でジゼルはそれを無視し、懐をやたらめったらに探る。そして小さな手錠のカギを取り出した。

 そのカギを手錠に差し込みながら、ジゼルは口を開く。

 

「この手錠さ……元々は獣人を縛りつけるモンだったんだって」

 

「それ手錠なの? ただの腕輪になってるじゃない」

 

「うっさいよ。話したいのはそこじゃなくて……」

 

 手錠を外して、ジゼルはいったん言葉を切る。ミコトが次の言葉を待っていると。

 

「へっ?」

 

 瞬間、ジゼルの姿がミコトの視界から消えた。

 

「……きゃあっ!?」

 

 そして直後、ミコトの口から悲鳴があがる。とつぜん彼女の体を何者かが突き倒し、地面に押しつけたのだ。

 ドスン、と音を立てて倒れるミコト。混乱しながら彼女が目をこらすと、ジゼルが間近で彼女を見下ろしていた。押さえつけられた姿勢でミコトが困惑していると、ジゼルがニヤリと笑って言う。

 

「驚いたろ? 拘束具を無くせばこの通りだ」

 

「アンタ……どういう事よ」

 

「長い間あの手錠を着けてたからな。外すと体が軽いのなんの」

 

 肩をコキコキ鳴らして話すジゼル。そして不意に真面目な表情になると、ミコトの顔をジッと覗きこんで続けた。

 

「……昔は、あの手錠を買うヤツは大勢いたらしい。でも最近は店の隅でホコリかぶってたぜ。なんでだと思う?」

 

「なんでって……それは」

 

「みんな使わなくなったからさ。分かるだろ?」

 

 ミコトの目が何かに気づいたように揺れる。それを見てジゼルは少し力をゆるめ、しんみりした口調になって言った。

 

「最初はそれこそ主従の関係だったんだろうけどさ……たくさんの人が接する中で、ここまで来たんだ」

 

「だから何よ? アンタも苦労しようっての?」

 

「ああ。私がそうしたいからな」

 

 ミコトの問いに、ジゼルはあっさりとうなずく。そしてニッとはにかんでこう言った。

 

「今までもそうだったんだろう……。互いにこうしたい、ああしたいって生き方を擦り合わせて、人間と獣人がここまで仲良くなれた。なら私らも頑張ってみるよ」

 

「……そもそも人間たちが来なければ、もっとずっと平和だったじゃない。わざわざ上手くいくかも分からない暮らしをする気?」

 

「ああ。そうすりゃ、未来でもっとたくさんの連中がいい関係になれるはずさ」

 

 まるで疑うそぶりもない真っ直ぐな瞳でジゼルは言った。するとミコトは今度は言葉ではなく、目で疑問を投げかけてくる。

 それにも、ジゼルは穏やかに答えた。

 

「アランが以前に言ってたんだ。自分のやりたい事も、それに文句をつける教会の教えも、いいとこ取りして生きたいって。アイツは自由だよ。スケベでバカでどうしようもないヤツだけど……人間が嫌いで凝り固まっていた私を、自由にしてくれた」

 

「…………」

 

「私は、周りの冒険者も、これから生まれるヤツらも、自由に生きてほしい。違う生き物どうしで触れあうのは危なっかしいだろうけど……互いに歩み寄っていけば、いつか本当に平等になれるよ」

 

 ジゼルはそう切々と訴えた。ミコトはその顔を無言でにらんでいた。

 が、不意にその身をがばりと起こす。

 

「わっ!?」

 

 話すのに夢中になっていたジゼル

は、急に起き上がってきたミコトに押されて思わずひっくり返る。そこにミコトが馬乗りになり、ジゼルは逆に押し倒される形になった。

 ジゼルはあわてて上から見下ろすミコトを見つめる。そして、ミコトが眉根をよせ、深刻な表情をしているのに気づいた。

 

「姉貴……?」

 

「……あなた、本気なの?」

 

 しんと静かな声で問いかけ、ミコトは顔を近づける。間近に見つめられてまごつくジゼルに、ミコトは再度問いかける。

 

「もし本気であの男といたいなら、この場で誓って。嘘偽りがないなら、私もあきらめる」

 

「…………」

 

「どうなの? 答えて」

 

 数秒、二人は無言で見つめ合っていた。互いに視線を少しも外さない。そのごまかしの効かない雰囲気の中で、ジゼルはとうとう口を開く。

 

「本気だよ。私は今の生き方を続けたい」

 

「どんな事があるか分からない。明日にでも獣人として居場所を無くすかもしれない。それでもいいの?」

 

「ああ、これは挑戦でもあるんだ。いつか、人間と獣人がいるのも普通になる為のな」

 

 ジゼルはそう言って、微笑んでみせた。その表情にミコトは寂しげに眉尻を下げ、泣きそうになりながら目を閉じ、しばらくしてジゼルをまた見つめる。

 

「……分かった。あなたを信じるわ」

 

「姉貴……!」

 

 ミコトが微笑むと、ジゼルの顔からようやく緊張が抜ける。そしてミコトがジゼルの上からどき、立ち上がって向かい合うと、ミコトは思い出したように言った。

 

「あ、でもね。まだホムラは認めるか分からないから。そこは忘れないでね」

 

「アイツか……荒っぽい野郎だからなぁ」

 

「他人の事言えないでしょうアンタ」

 

 額を押さえるジゼルへ、ミコトは呆れた突っ込みを入れる。しかしジゼルは、すっかり気の抜けた様子で言った。

 

「……ま、何とかするだろ。アイツなら」

 

「本当に平気? 迎えに行った方がいいんじゃない?」

 

「そりゃ行くけどさ……。なんだか大丈夫な気がするんだよなぁ」

 

 ジゼルは肩をすくめ、アランの歩いていった森の奥へ足を向けた。そしてミコトと共に歩き出し、ふと何気なく夜空を見上げる。

 獣道に沿った木々のすき間から、きらめく星々がのぞく。それを見ながら、ジゼルはアランの顔を思い浮かべた。

 

(アラン、別にすごい覚悟とか要らねえよ。何となくでも一緒にいられるのがパートナーってもんだろ)

 

 そう心の中でささやいて、ジゼルは不意に立ち止まり、祈るような表情でうつむいた。

 

(……だから、ちゃんと勝ってこい。まだ本当の名前を教えてないんだからな)

 

「あ、ちょっと!」

 

 顔を上げたジゼルはまっすぐ駆け出す。それをあわててミコトは追った。

 獣人である彼女らの感覚には、二人の人物が争う気配が、次第にはっきりと届いてきていた。

 

 

――

 

 

――

 

 

「ぐわーっ!!」

 

 ……ジゼルとミコトの決着がついた、ちょうどその頃。アランは相変わらずホムラから一方的に殴られていた。すでにボコボコにされていたアランはとうとう強烈な一撃を食らい、背中を勢いよく木に打ちつけた。

 

「げほっ……うぅ」

 

 低くうめきながら。アランはズルズルとその場にうずくまる。赤く腫れた顔ががくりと俯くと、口からひとりでに血が垂れた。

 そんな彼に、ホムラがゆっくりと歩み寄る。顔は怒りでゆがみ、額にあからさまな青筋が浮かんでいる。

 

人間(お前ら)の言葉で『悪い虫がついた』ってヤツか……? なるほど腹が立つもんだな」

 

「…………」

 

「黙ってんじゃねえ、まだ終わってねえぞ!!」

 

 ホムラはそう怒鳴り、アランの胸ぐらをつかむ。そして無理矢理に立たせて木に押しつけた。

 ゴツ、と鈍い音がしてアランが痛ましげに身じろぎする。そんなしぐさを気にせずホムラはぶつかりそうなほど顔を突き合わせ、狼の口からキバをむいて言った。

 

「テメェら人間と会ったのがそもそもの間違いだったんだ……! テメェら人間が! 何もしてない俺たちの生活をブチ壊したんだ!」

 

「…………」

 

「このうえ何がしたい!? 何が欲しい!? ここまで殴られて、それでも姉ちゃんを隣にはべらせる気か?!」

 

 めいっぱい怒声をあびせかけるホムラ。その表情にはアランへの憎悪だけではなく、奪われた未来への未練や怒りがつまっていた。

 本来なら、自然のままに生きていられた獣人たち。それを奪われ、人間に利用されるか殺されるかという恐怖にさいなまれるという理不尽への怒りを、目の前のアランにぶつけている。

 アランは何も言えず、血を流して苦しそうに息をしていた。その姿に少し罪悪感があったのか、ホムラは獣化をとく。しかし相変わらずアランを木に押しつけたままだった。

 

 しばらくして、ホムラがじれてきた頃。

 アランがふと、俯いたままで口を開いた。

 

「……あのさ」

 

「……?」

 

「実は俺、両親がいないんだ」

 

 唐突なそのカミングアウトに、ホムラは眉をひそめる。何の話だ、と言いたげな彼に、アランは目を合わせて続ける。

 

「どうも教会に捨てられちゃったらしくてさ……顔すら知らないのよ。物心ついた頃には他の孤児とシスターに囲まれてた」

 

「それがどうした。お前の身の上話なんか興味ねえよ!」

 

「まあまあ、頼むからもう少し聞いてくれよ」

 

 怒鳴るホムラへ力なく笑いかけ、アランは穏やかな視線を向けて言った。

 

「小さい頃はさ、何度か思ったんだ。両親が捨てなきゃ、もっと違う生活があった。そもそももっと良い人が親なら、こんな所には来なかったって……」

 

「…………」

 

「けど、考えてみたらさ。両親に捨てられなきゃ、孤児院の友達とも、シスターたちとも会う事はなかったんだ、って思うと……これでも良かった気がする」

 

「さっきから何の話だよ!? それが姉ちゃんと何の関係がある!?」

 

 胸ぐらをさらに強くつかみ、急き立てるホムラ。するとアランは一つうなずくと、かすれそうな声を精いっぱいに張って答えた。

 

「たとえ不幸なキッカケで出会ったとしても……出会ったからこその幸せをつくるのはできると思うんだ」

 

「……お前……」

 

「俺は、ジゼルに会えてよかったと思ってる。アイツにも、同じように思って欲しい。その為なら、何だってする」

 

 アランはホムラの目をジッと見つめてそう宣言した。ホムラは一瞬あっけに取られた顔をしていたが、直後、ギラついた目で相手をにらみつけた。

 

「ほざくな、この口だけ野郎が!!」

 

 押さえつける手の片側の力を強め、もう片方の手でホムラはアランの頬を殴りつける。そして間を置かずに怒声をあげた。

 

「そんなの信用できると思うのか!? 俺たちは人間の都合で一方的に振り回されてきたんだぞ! それを幸せにだと!?」

 

「……ああ、そうさ」

 

「軽々しくぬかすな! 信じられる根拠は? 確証は? どこをどう見て納得しろというんだ!?」

 

 アランを乱暴に揺さぶるホムラ。しかしアランは落ち着いた口調で答える。

 

「根拠は、ない。今すぐは……。けど、ジゼルが大切なのは本当だ。一緒に過ごしていけば、それが証明になる」

 

「そんなの出来るワケねえ! いつまで寝言を……!」

 

「俺たちが成し遂げたいんだよ。人間と獣人が対等になれる、その先駆けにな」

 

 言葉を遮ろうとしたホムラの目が、ふっと見開かれる。表情を変えた彼に、アランは微笑みかけた。

 

「大丈夫だ。人間ってのは楽しみの為に生きられる生物だ。生存に必要ない事でも、やりたくなったら意思でもってやり抜ける」

 

「…………」

 

「これからずっと時代が移れば……きっと皆もっとマシな関係になれる。その流れをつなげる役目を、俺はしたいんだ」

 

 アランの言葉に、ホムラの表情から徐々に怒りが抜けていく。やがて俯き、苦悩するかのように肩を震わせていた。

 しばらくして、アランの体からも緊張が抜けはじめた。その時。

 

「……がああぁッ!!」

 

 不意に叫んだホムラが、拳を勢いづけて振り回す。それはアランのすぐ頭上、アランを押しつけていた木にぶち当たった。

 ドスン、という重たい音が鳴り、木全体が揺れる。拳がかすめたアランの頭から、髪の毛がふわりと舞った。

 アランは微動だにしない。ホムラはズルズルと肩を落とし、地面を見つめて荒い息を吐く。

 

「ああぁッ!!」

 

 続けて苦々しく声をあげ、ホムラはアランをそばの地面へ放り投げる。アランは受け身も取れずに力なく尻もちをついた。

 

「いてて……」

 

 苦笑いしつつ尻をさすり、アランはホムラの方を見る。だがホムラはその場に立ち尽くしたまま、アランをにらむだけだった。

 

「もう殴らないのか?」

 

「……時間切れだ」

 

 ホムラはふっと顔をそらし、小さく答える。するとアランの後ろから、急に焦った大声が聞こえた。

 

「アラン! お前大丈夫か!?」

 

「……おお、ジゼル」

 

 アランが振り向くと、視界の向こうから一直線に走ってくるジゼルと、後ろをついてくるミコトに気づく。アランがゆっくり腰を上げようとすると、立ち上がらないうちにジゼルが詰め寄って肩をつかんだ。

 

「おわっと」

 

「もう勝負は終わったんだよな? それ以上殴られるワケじゃないよな?」

 

「心配すんなって。みんな丸く収まったよ」

 

 アランはすぐそばのホムラを後ろ手に指し示し、笑いかけた。ホムラが拗ねたように顔をそむけると、ジゼルはそれをしばしにらみつけ、アランへ向き直った。

 そして、ふっと泣きそうな顔になる。

 

「ああもう、ボコボコにしやがって……。ここまでする事ないだろうに」

 

「お互い様だろ、それは。こうなるのは折り込み済みだし」

 

「どこか折れたりしてないか? 頭打ったりとか……」

 

「平気だって。大げさだな……アイタタタ、触ると痛いッ!!」

 

 アランは苦笑してジゼルの頭を撫でてやる。ジゼルの目からは、やがてポロポロと涙があふれていた。

 そんな二人の様子を無言でチラ見するホムラ。そんな彼に、ミコトが歩み寄ってささやく。

 

「どうなった? 彼との決闘は」

 

「……俺が勝ちを譲ってやった。ったく、いつでも殺せたのによ」

 

「でもこれで良かったでしょ。結果的にはさ」

 

「…………」

 

 ミコトが笑って振り向くと、ホムラも不本意そうにそれにならう。その視線の先では、何だかんだ言いつつ互いに支え合って立ち上がる、アランとジゼルの姿があった。

 

 

――

 

 

「……じゃ、気を付けてね」

 

「ああ」

 

「これでお別れか。さびしくなるな」

 

 やがてすっかり夜も深まった頃、アランたち四人は森を出たところで別れの挨拶をしていた。ジゼルは自身の背後に続く街への道を振り返り、ミコトに言った。

 

「なにも、ここまでついてくる事なかったのに。どうせここで別れるんだから」

 

「ダメよ。夜の森なんて危ないんだから。ちゃんと街の近くまで見守らないと」

 

「はは、これが本当の送り狼か」

 

 アランがそう言ってクスクスと笑う。ジゼルはそれに冷めた目を向けていたが、やがてミコトとホムラに向き直り、彼らをジッと見つめる。

 

「…………」

 

 何を言うでもないが、その表情はあっけなく崩れた。口をくっと辛そうに結び、目の端から涙があふれそうになる。

 そんなジゼルを、ミコトは歩み寄り優しく抱き締めた。

 

「元気でね。可愛い私の妹」

 

「ひぐっ……おねえ、ちゃんっ」

 

「ったく、泣くなよ。らしくもない……っ」

 

 ミコトの胸の中で、ジゼルは耐えきれずに泣き出す。ホムラはそれに呆れた風に笑っていたが、すぐに自分も限界がきて泣いてしまった。

 兄弟たちの別れ。その様子を、アランは黙って見つめていた。そっとしておくべきだと思いつつも、彼も胸がいっぱいになっていた。

 

 しばらくして、ジゼルは鼻をすすりながら体を離す。そしてダメ元という感じで問いかけた。

 

「……姉貴、やっぱり行っちゃうのか……?」

 

「うん……ごめん。人間のところは性に合わないと思うの」

 

「そんな顔すんなよ。いつかは独り立ちするんだから」

 

 ミコトは首を横に振り、ホムラも目元をぬぐって笑い飛ばす。その答えにジゼルはしゅんと肩を落とすが、その肩をミコトがそっとつかんだ。

 

「そうしょげないの。あなたはいつも通りの生活をすればいいんじゃない」

 

「……けど……」

 

「あなたはもう、すぐそばにパートナーかいるでしょ?」

 

 そう言って、ミコトはアランの方を見る。アランは特に深刻になるでもなく、気安く笑った。

 その顔を見て、ジゼルも名残惜しそうに姉から離れる。ミコトも後ずさり、あらためた様子で言う。

 

「じゃ、さよなら」

 

「……またな」

 

「ええ、また」

 

 とうとう別れをつげ、ミコトとホムラは森の方に歩いていく。その背中をアランたちが見送っていると、ホムラがふと立ち止まり、さも思い出したように振り向いた。

 

「ああ、そういえば」

 

「ん?」

 

「あれ聞いといたら? 姉ちゃんの本名。俺はバラさなかったし」

 

 ホムラの言葉に、アランが思い出したように隣を見る。ジゼルも同じような顔で見つめ合っていると、ホムラが鼻を鳴らして言った。

 

「ま、姉ちゃんが許したらだけどさ」

 

 それが、別れ際の最後の言葉だった。ミコトとホムラは静かに森の中へと歩いていき、やがて見えなくなった。

 その背中を見ていたアランたちは、ミコトらが姿を消してもなお、さびしそうなまなざしで森を見つめていた。しばらくして、アランがようやく水を向ける。

 

「……そろそろ行くか」

 

「……そうだな」

 

 アランの言葉にジゼルは小さくうなずき、街の方へ歩き出す。上空にはすでに無数の星々と月がくっきり浮かんでいた。

 誰も通らない細い道を、二人は無言で歩いていく。冷たい夜風が吹きつけ、ひゅうと鳴る音がやけに響いた。

 アランは痛む体を引きずりながら、わざと明るい調子で言う。

 

「明日ナタリーあたりに診てもらわないとな。放っておいたら仕事できねえよ、これじゃ」

 

「……そうだな」

 

 ジゼルの返事は短かった。アランが少し気まずそうにしていると、ジゼルは独り言のようにつぶやく。

 

「あと、リズやエマに、ダニエル、ルナ、クリス……ケネスやリリィにもちゃんといきさつを話さないとな。心配してるだろうし」

 

 それを聞いて、アランはジゼルの顔を見つめる。ジゼルは振り向き、鬱陶しげに言った。

 

「なんだよ。お前も一緒に話すんだぞ? 二人して夜中まで帰らなかったんだし」

 

「ああ、分かってるよ」

 

 アランの口調はどこか嬉しげだった。ジゼルにとって、あの街はもう帰りつく居場所なのだ。人間と獣人ともに仲間である、安心できる場所……。

 それを確信し、アランは一人でうんうんと感じ入っていた。ジゼルが隣で戸惑った顔をしていると、とつじょアランは振り向き、こうたずねた。

 

「そうだ。お前、本名は?」

 

「は?」

 

「お前の本当の名前だよ。教えてほしいと思ってさ」

 

 軽い調子で言うアランに、ジゼルはしばしポカンとしていた。そしてどこかもったいぶった様子で返す。

 

「知りたいか?」

 

「ああ」

 

「どうしても?」

 

「聞かせてくれ。お前が生まれてから大事にしてきた名を、俺も知りたいんだ」

 

 アランは迷いのない様子で答えた。ジゼルはそれを聞き、試すような口ぶりをやめてふっと視線を動かす。

 彼女の目は、二人を見下ろす夜空へと向いた。雲一つない、冬の澄んだ夜空。

 それをひとしきり眺めた後、答えを待つアランに振り向いて、ジゼルはどこか照れくさそうに言った。

 

「……"ヒカリ"だ。暗闇を照らす、あの光の事」

 

「光……か」

 

「なんだよ、変か?」

 

「いいじゃないか。ヒカリ。もっといかつい名前かと思った」

 

「うるせえな、この野郎」

 

 からかうアランに、ジゼルは悪態をついてそっぽを向く。しかしそんな彼女に、アランはスッと手を差し出した。

 ジゼルは立ち止まり、アランの手と顔を順に見て首をかしげる。するとアランは微笑んで言った。

 

「帰ろうぜ、ヒカリ。みんなのところに」

 

「…………」

 

 ジゼルはかすかに頬を染めてアランの手を取る。そして手をつないで再び歩き出した。

 アランと、ジゼルあらためヒカリは、歩みをそろえて帰路をたどっていった。居場所に向かって共に歩く二人を、上空の月と星々の光が明るく照らしていた。

 

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