W.I.N.G.準決勝まで残り3日。
出場するアイドルたちは課題曲に専念したいところだが、話題沸騰中であるノクチルには多くの仕事が舞い込んで来る。
流石に1日拘束されるような依頼は事情を話してキャンセルしたが、全ての仕事依頼を断るのは今後悪影響が生じる可能性がある。
そのため、レッスンに差し支えない範囲で仕事を引き受ける方針であった。
午前中、とある雑誌の写真撮影を行うために雛菜は翼と共にスタジオに訪れていた。
「いいよ~雛菜ちゃん、ラスト一枚!最高の笑顔でお願い!」
「あは~♡」
「はい、オッケー!かなり良いのが撮れたよ、お疲れ様!」
「ありがとうございました~♡」
そして滞りなく写真撮影を終えた雛菜は、用意された控室に翼と共に移動する。
そこで翼は雛菜に労いの言葉を掛ける。
「お疲れ雛菜、とても良かったよ!カメラマンさんにも褒められていたな」
「うん~!しあわせそうな表情がいいねってほめられちゃった~」
「はは、それはよかった……ところで雛菜、もうすぐ準決勝だけど課題曲の方は大丈夫そうか?」
一度言葉を区切った翼は、真剣な表情でW.I.N.G.準決勝の課題曲の進捗状況を尋ねる。
既にトレーナーから翼にもレッスン状況は共有されていたが、本人たちが今の自身の状況をどう認識しているか知っておきたいのだ。
「うん、ダンスはばっちり完璧だよ~」
嬉しそうに雛菜は翼の質問に答える。
「歌の方はまぁまぁって感じだけど、ダンスは楽しく踊れるから好きかも~♡」
「そうだな、トレーナーさんも雛菜のダンスは素晴らしいって褒めてくれていたよ」
「あは~、ほめられるのは嬉しい~♡そうだ、午後のレッスンが終わったら翼先輩の家に遊びに行っていい~?」
「いいけど、準決勝まで残り数日だぞ。雛菜は残って自主練しなくて大丈夫なのか?昨日は透たち3人がレッスンの後に残っていたみたいだけど」
「あ~~、雛菜はレッスン頑張っているし練習はいいかな~」
(確かに雛菜はレッスンを頑張ってくれている…でも、今回はそれだけでは足りない。雛菜が後悔しないためにもここは言うべきだな)
翼は前世での経験を活かし、誤解が生まれない言い方を心掛けて言葉にすることにした。
「そうか…雛菜、1ついいかな?」
「なぁに~?」
「本当にレッスンだけで雛菜は後悔しないか?」
「ん~~、どういう意味~?」
「雛菜が今のやり方で『しあわせ』ならいいんだ。でも、ここまででいいやと楽をするやり方は、雛菜の言う楽しさとは違うと思う」
雛菜がいつも口にしている『しあわせ』を、翼が完全に理解しているとは言えないかもしれない。
それでも前世からの経験と今世での幼馴染としての間柄から、雛菜本人の次に彼女を理解しているといっても過言ではないだろう。
「……」
「前にも言ったと思うけど、アイドルは楽しいことばかりじゃないよ。でも、時には苦労することで、その先でもっと『しあわせ』になるんじゃないかな」
黙って翼の言葉に耳を傾ける雛菜。
そして少し静寂の時間が流れた後、徐に彼女は口を開く。
「…あは~、本当に翼先輩は雛菜のことお見通しなんだね~」
そう口にする雛菜の表情がいつも以上に嬉しそうであることに翼は気付く。
「うん、そうだったらいいなって思っているよ」
「……あのね、雛菜がW.I.N.G.優勝したら翼先輩すごくしあわせになるって前に言ってくれたよね~?」
「あぁ、確かに言ったかもな」
「もう~!かもじゃなくて翼先輩は言ったよ~!!」
「はは、ごめんごめん」
「雛菜ね、もうちょっとだけ頑張ってみるから…そうしたら雛菜も翼先輩も、もっとしあわせになるのかな~」
「うん、きっとなると思うよ。それに雛菜が幸せになれば、周りの人も幸せになる。それだけの力が雛菜にはあるから」
「あは~、うれしい~~♡それじゃあ雛菜からのお願い。翼先輩は雛菜のことずっと好きでいてね~」
「もちろん、だって俺が最初の雛菜のファンだからな」
「あは~、今の言葉もすっごくうれしい~~!」
(よし、どうやらうまく話せたようだな)
市川雛菜は、アイドルとしてのポテンシャルが非常に高く、少しのレッスンでも他のアイドルよりも上達できる天才肌。
しかし、自分の意に反して周囲との協調を強いられることを抵抗感を持っていたため、他の人の努力を押し付けられるのが何よりも嫌であったのだ。
しかし今回のケースは違う。
努力の強要ではなく、雛菜がしあわせの追求に怠惰になっているという点を指摘されたからこそ、素直に彼の助言を受け取ったのだ。
ちなみに余談であるが、雛菜以上に雛菜を理解している翼のムーブは、彼女の好感度とやる気を物凄く高めることになった。
もっとも、彼に対する好感度は既に天井まで届いているのだが、上限突破しているとある少女の領域にはまだ至らない。
そして仕事を終えて午後のレッスンへと向かった雛菜は、レッスンが終わった後、いつものようにすぐ帰ることはせず、そのまま残って練習を続けていく。
それが彼女にとっての初めての自主練であり、プロデューサーである椿はもちろん幼馴染の円香たちですら彼女の行動には驚くのであった。
◇◆◇
翌日、W.I.N.G.準決勝まで残り2日となった。
ボーカルレッスンを終えた円香は、レッスン室で自主練を遅くまで続けていた。
そこに本日の業務を終えた翼が差し入れを持って訪れる。
「円香、遅くまで練習お疲れ様。ミネラルウォーターを持ってきたからよかったら飲んでくれ」
「ん…」
翼の言葉に素直に従い、ペットボトルを受け取って口にする円香。
翼がレッスン室の中を見渡すと、空のペットボトルが置いてあるのを見つける。
「ふぅ…嫌になるくらいベストタイミング。もしかしてずっと見てたの?」
彼の視線の行き先に気付いたのか、のどを潤した円香はそう問い掛ける。
「いや、今来たところだから偶然だよ」
「ふぅん…」
一瞬翼と視線を合わせた円香であったが、すぐに視線を戻してミネラルウォーターに再度口をつける。
翼は今のやり取りで、円香のある異変を感じた。
「もしかして円香…声が少し枯れているか?」
「…大丈夫、このくらい寝ればすぐ治るから」
「そう、か…無理だけはしないようにな」
「無理はしてない…つもり。集中してたら、少しのどを使いすぎただけ」
そう言う円香の表情はいつもと変わりない表情に見えた。
しかし、翼の目は誤魔化せない。本人は隠しているようだが、円香が思いの外疲労していることに気が付いた。
「よし、今日はもうあがろうか。荷物は持つよ」
「いい…もう少しだけ練習していく」
「いや、でも…」
「相手はダイヤの原石だらけでしょ…なら、少しでも練習しておきたい」
そう口にする円香の表情にはいつものようにクールに見えるが、付き合いの長い翼にはわかる。
(円香は今…激情を解き放とうとしているのか)
普段は内に秘めていた熱い感情が漏れ出ているように翼は感じた。
しかし、制御できない激情は時に身を滅ぼしかねないことを彼は知っている。
「…円香も間違いなくダイヤの原石だよ。でも、原石は原石だ。磨かれなければ、美しい光は放たない」
「……」
「どんなに素晴らしい素質があっても、努力しない人には辿り着けない場所がある。だけど円香はたくさん努力してくれた。挑み続けてくれた。だから、もし今回のW.I.N.G.で優勝できなかったとしても───」
「それ以上は言わないで」
翼の言葉を途中で打ち消すように声をあげる。
しかし、それはその言葉の続きを聞きたくないから遮ったわけではない。
彼を安心させるために、彼女は言葉を紡ぐのだ。
「円香…」
「もし私が準決勝で他の子に───雛菜に負けたとしても、そして決勝で透に負けたとしても、アイドルはやめない。翼が私を信じ続ける限り、私はあきらめないって決めたから」
それは宣言───背中に翼がある限り、空を飛び続けることを決めた彼女の覚悟。
彼女の熱は、翼にも熱いほど伝わっていく。
(円香、君ならこの世界でもトップアイドルに…いや、なりたい自分になれるよ)
思わず笑みがこぼれる。
「はは…!」
「ふふ…」
翼と円香、見つめ合った2人はおかしそうに笑い合う。
普段は憎まれ口が多い円香であるが、今だけは仲の良い兄妹して───信頼できるマネージャーとアイドルとして道を歩いていく。
樋口円香はクールでありながら内に激情を秘め、現実的な思考をしながら理想を求めていた。
二律背反───矛盾を抱えて生きていた少女は、先月翼と本音で対話をしたことで覚醒の兆しを見せた。
そして、先日行われたストレイライトとのユニットコラボで彼女はアイドルとして覚醒を果たした。
そう、樋口円香はアイドルとして覚悟を持ったのだ。
覚悟を決めた人は強い。
ただし───覚悟がない人が必ずしも弱いわけではない。
覚悟がなくとも、強い存在はこの世界に存在するのだから。
◇◆◇
そしてまた翌日、W.I.N.G.準決勝前日。
レッスン終了後、円香たち4人は残って自主練を続けていた。
ただし、トレーナーからも「本番は明日だから頑張りすぎないようにね」と言われたこともあり、4人はそれぞれのタイミングで練習を切り上げることにした。
そして透と小糸が先に帰ったレッスン室にて、帰り支度をする雛菜に円香が話しかける。
「雛菜は…」
「ん~?」
「…私と準決勝で当たること、どう思ってる?」
「あは~、円香先輩も楽しめればいいな~って思ってるよ~」
「楽しむって…雛菜、わかってるの?次の準決勝、私か雛菜…どちらか片方は必ずここで敗退するってこと」
「もちろん~!あ、でも雛菜はこうして練習もがんばっているからな~。勝っても負けてもしあわせな気持ちになると思うけど、勝ったほうがうれしいな~~」
「…わかった。ただ一言だけ言わせて」
「ん~?」
「───明日、全力で行かせてもらうから」
「やは~、円香先輩がそんなこと言うなんてめずらしい~~!でもそっか~…」
一度言葉を区切った雛菜は、満面の笑みを浮かべて宣言する。
「それじゃあ雛菜も、翼先輩のためにもいつもよりがんばってみようかな~♡」
「…なにそれ、動機が不純すぎない?」
「え~~!!そんなことないと思うけど~」
「じゃあ翼のためってどういう意味?」
「だって翼先輩は雛菜の最初のファンだから~♡それに、雛菜が優勝したらすっごく喜んでくれるって言ってた~~!」
「……」
眩しい笑顔でそう言う雛菜。対する円香は一見無表情に見える。
ただし、内心で荒れ狂う感情を抑えきれないのか、綺麗な眉が不機嫌そうにピクピクと動く。
そんな円香の様子に気付きながらも、楽しそうに雛菜は言葉を続ける。
「そうしたら雛菜、もっと楽しくてしあわせ~になれるかな~♡」
「………」
「あは~~雛菜、やる気でてきた~~!」
そこでようやく、円香の口が開く。
雛菜を見つめる彼女の眼光は鋭利なナイフを思わせるほど鋭かった。
「…雛菜、1つ間違いを教えてあげる」
「へぇ~~?」
「不本意だけど…本当に不本意だけど、長年一緒にいるからあの人の思考がわかるときがある。だからこそ、翼は私の優勝を望んでいるのがわかる」
「ううん、雛菜だよ~!」
「違う、私」
それから5分間。不毛な言い合いを続けた2人であったが、途中で円香が正気を取り戻したことで議論に決着がつかないまま帰宅することになった。
「最悪…無駄に体力を使った」
「あは~雛菜は楽しかったけどな~」
「…どこに楽しい要素があったの?」
「初めて会った頃のかわいい円香先輩に戻ったみたいで雛菜はうれしかった~♡」
「雛菜、それ悪口?」
「ひどい、雛菜はほめてるのに~!だって雛菜、楽しくなさそうにしている円香先輩より、楽しそうにしている円香先輩の方が好きだから~♡」
「…今の私、楽しそうに見える?」
「うん~!まぁ今の雛菜には負けるけどね~」
「なにそれ……雛菜」
「ん~~?」
「ありがとう。明日は全力で楽しむことにする」
「あは~!それじゃあ雛菜も明日は全力で楽しむね~♡」
いよいよ明日、W.I.N.G.準決勝という大舞台を迎える。
泣いても笑っても決勝に進めるのは円香か雛菜のどちらかのみ。
今まで本気で競うことはなかった2人が、W.I.N.G.本選という大舞台で雌雄を決するのであった。