サイコバグなお兄ちゃん、Vtuberになる。 作:にいるあらと
またしても進行を遮る声に振り返り、声の主に目を見開いた。
「恩徳さんはギターや歌など、音楽にも造詣が深いようですが、それがどれほどのものなのかお伺いしたく……」
いつもは粛々と仕事をこなす物静かな先輩だ。彼女が、明らかに面接を締めようとしていたところに強引に立ち入って話を始めた。
あの能天気な同僚はともかく、この先輩まで暴走するなんて思いもしなかった。いや、ふだん大人しい先輩が面接に立ち会うなんて言い出した時点でその兆しはあったのか。
「身内相手に弾いて歌う程度の腕です。人様の前で披露するほどの技量ではありません」
振り返りながら間抜け顔を晒しているわたしの頭上でやりとりが進む。
「一度聴かせてもらえませんか?」
「……ご覧の通り、私はギターを持参しておりません」
「エレキもアコギもあります。すぐ用意できます」
「…………」
謎の押しの強さを発揮する先輩だった。いつも控えめで、会話に無理矢理分け入って発言するなんて今まで見たこともないのに、どうしたというのだろうか。
と、そこまで考えて、彼女の仕事内容が主に音楽関係なことをようやく思い出した。配信などで使用できるBGMの権利確認だとか、歌配信の際の著作権管理団体への申請だとか、楽曲や伴奏などの使用条件確認や配信者への周知などなど。権利関係以外にも、歌配信に重きを置いている配信者のマネージャーをしていたり、配信者が歌配信の前に練習する時などは願い出れば親身に付き合ってくれたりもする。
「ど……どうでしょうか。弾いてもらえますか?」
「ぼ……いえ、私は問題ありませんが、そちらは……お時間のほうは大丈夫ですか?」
一人称を誤りかけるほどに混乱している彼は、声真似の時と同じように、わたしにやっていいかどうかの可否を委ねた。
どことなく彼はギターと歌については消極的な様子だ。人前で披露するほどには自信がないのかもしれない。
声真似に加えて突然ギターを弾かせることになる彼の心境を考えると申し訳ないけれど、わたしは聴いてみたいと思った。自己PR欄にはギターと歌を並べて書いているのだから、弾き語りみたいなこともできるのだろう。彼の指と声とで紡がれる歌がどのようなものになるのか、とても興味がある。
負担を強いることになる彼にはまだ伝えていないけど、内々では既に採用の意向が決まっているのだ。それに免じて、もう少し無理難題を聞き入れてもらいたい。
「こちらは大丈夫です。恩徳さんのご無理のない範囲で、可能なのであればやっていただきたいです」
「…………はい。わかりました」
「っ……あ、ありがとうございます! すぐに持ってきますっ。ギターはどちらにしますか?」
「持ってくるものが増えてしまうでしょうから、アコースティックギターでお願いします」
「……ご、ご配慮っ、ありがとうございますっ……。少々お待ちくださいっ」
普段ではそうそう聞けない大きな声にわたしが驚いている間に、先輩は早足で応接室を出て行った。
浮き足立っている先輩の後ろ姿を困り顔で眺めていた恩徳さんが、躊躇いがちに口を開いた。
「ただ……歌はともかくギターのほうは最近あまり練習できておらず、素人に毛が生えた程度の
ギターと歌については声真似ほどには乗り気ではないな、とは感じていたけれど、渋っていたのはギターのほうだったようだ。
だけれど、自己PR欄には『ゲーム・歌・ギター・声真似』と書かれている。普通であれば、自信のあるものから順に書いていくだろう。ついさっき、凄まじいクオリティで披露してくれて、応接室を興奮の坩堝と化したあの声真似よりも先に『ギター』を書いているのは、いったいどうしてなのか。
「拙いもの……あまり自信がないのであれば、どうして特技として記入しているのかしら」
彼の弱気な発言にあーちゃんが突っ込んだ。
自信がないのであれば、自己PR欄に書くべきではない。確かにその通りだ。
しかし、それは担当であるわたしが言及すべきであった。わたしが彼に聞かないから、あーちゃんも言わざるを得なかったのだ。嫌な役割を押し付けてしまった。
「っ……はい。私が人に胸を張れるような長所は何かと考えた時、何も出てこなかったのです。そこで、いも……親しい間柄の人間に長所を訊ねてみたところ、自己PR欄に記載されているような部分を挙げられたので……そのまま書いた次第です」
「褒められた行いではないわね。人に意見や感想を求めることを否定はしないけれど、それを踏まえた上で自分の頭で考え、自身の言葉で書くべきではないかしら」
「……はい、弁明の余地もありません。ご指摘ありがとうございます。申し訳ございません」
「…………いえ。細かい部分が目について、しかもそれを場も考えずに本人に直接言ってしまうのが私の悪いところね。……ごめんなさい」
深く頭を下げた恩徳さんに、あーちゃんもまた謝罪していた。
あーちゃんは努めて表情に出さないようにしているけれど、長い付き合いなのでわたしにはわかってしまう。やってしまった、というような後悔の念が強く含まれている。
これもまた、あーちゃんの長所の裏返しだ。その人の為になればという思いで、気になったところを直接的な言葉で注意してしまう。あーちゃんは、その人が同じ失敗をしないように、大きなミスを防ぐために小さなミスを指摘しているのだけど、実直すぎる性格もあって誤解されやすい。えてして良くない印象を持たれることが多いのだ。同僚や後輩に煙たがられてしまいがちなことを、あーちゃんも嘆いていた。
とくに今回など、今一番嫌われたくない相手にやってしまったのだ。いくら注意する事自体が正しくても、後悔はするだろう。その心中たるや、察するに余りある。
元はと言えばわたしの怠慢が招いたのだから、わたしがなんとかしないと。
「あ、あのっ、あーちゃ……安生地は、恩徳さんが憎くてこんなことを言っているわけではなくてですね……」
「構いません、雨宿さん。意地悪や嫌がらせで言っているわけではないことは理解できているつもりです。注意や指摘は言われる側からすれば耳に痛いことですが、必要なことです。そして人に嫌われるかもしれない忠告をあえてするのは、とても勇気のいることです。私にわざわざご指摘してくださったのは、安生地さんのご厚情故であると愚考しております」
「……そう。それなら、よかったわ」
目を伏せた時に顔にかかっていた髪を耳にかけながら、あーちゃんは目線を上げた。
ほとんど変わっていないようなわかりにくい声色だけど、微妙に声が明るくなっているのがわかった。なかなか周囲から理解されにくいあーちゃんのことだ、自分の意を汲んでもらえたのが嬉しかったのだろう。
そのやりとりで、応接室の空気が緩むのを感じた。そこでようやく、今までぴりぴりとした緊張感に包まれていたことに気づいた。
他人がいる前で注意や説教をされることを、男性はとくに嫌がると聞いたことがある。誤解を解かないと、と必死だったせいで気づかなかったが、あーちゃんの忠告で恩徳さんが激昂とまでは行かずとも不快に感じるのでは、と後ろの人たちは思ったのかもしれない。もしかしたら、そのせいであーちゃんも指摘した後、酷く落ち込んでいたのかな。
わたしはというと、そんな心配は頭の片隅にもなかった。彼に限って言えば、そんなものは杞憂に他ならないと、この場でわたしだけが知っている。
一回りほども歳の離れたあの小学生に何を言われても欠片も腹を立てることのなかった寛容な彼が、合理的な理由のあるあーちゃんの注意に怒るなんてことあるわけがないのだ。彼の広量さは折り紙付きである。
「も、持ってきましたっ」
そうこうしているうちに、アコースティックギターを抱きしめた先輩が息を切らして戻ってきた。どれだけ急いでいたのだろう、たしかギターを置いている場所は上の階だった気がするけど、あまりにも帰りが早すぎる。それに自分が戻ってきたことよりも先にギターを持ってきたことを報告するというのも、普段の彼女らしくないというべきか、音楽好きな彼女らしいというべきか。
先輩は恩徳さんに一直線に歩み寄り、突き出すようにギターを渡した。
受け取ったギターを、彼は何かを確認するようにまじまじと見ていた。
「……よく手入れされているギターですね。ありがとうございます。少しの間、お借りします」
「いえ、そんな……。あの、これ……ピックです。私が使っている物で、よければ……」
「とんでもない。お借りします。ありがとうございます」
ギターを渡してからポッケを探ってピックを取り出した先輩を見て、ふと気になった。
「ピックって、ギターの上のほうに挟んだりしないんですね」
「う、うん。えっと……うん」
言い淀む先輩に代わるように、恩徳さんが答える。
「あまり大差はないとは思いますけど、弦もピックも変形することがあるのでしないほうがいいそうですね。とはいえ、どちらも消耗品ですから気にしないという人も多いです」
「へー、そうなんですか」
ギターを膝に乗せ、ピックを摘んでギターの弦を上から下に弾いた。しかしどうしたものか、あまりいい音ではなかった。なんというか、べよーん、みたいな間の抜けた音だった。
「あ、チューナー……」
「すぐチューニングします。少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「はい? ……ど、どうぞ」
ギターの弦を一本ならしては、恩徳さんは螺子のような部分をきゅるきゅると回して調節する。
まだ一曲も弾いてもいないのに、わたしはその姿に惚れ惚れと見入っていた。音楽ができる人って尊敬しちゃうよね。
「チューナー、なくてもできるんですか?」
一度弾いた時に小声で呟いていた先輩が、恩徳さんに問い掛ける。
彼は面接の時間が予定よりも大幅に延びてしまっていることを気にしてくれているのか、ギターのチューニングを優先しながら先輩に答える。
「ええ。ギターは違っても音は覚えていますので」
「あれ? たしか先輩、今日のお昼もギター弾きに行ってませんでしたっけ?」
同僚が、今は面接中だということも忘れてお気楽で能天気な口調で先輩に訊ねた。
お昼休みは先輩の姿をあまり見かけないから外に食べに行っているのかと思っていたけれど、ギターを触りに行っていたのか。
「そ、そうだけど……私は、あの……」
「弾いた後は弦を緩めたほうがいい、という話を聞いたことがあります。ずっと張った状態だとネックが……この細くなっている部分を言うのですが」
またしても、口ごもる先輩に代わって恩徳さんが説明していた。
彼はチューニングを続けながら、ネックという場所を手で示す。ギターの弦を弾く時の穴の空いた大きい下端の部分と、チューニングしていた螺子のようなものがついている先端の部分を繋ぐ、細い橋のようになっているところをネックというらしい。
「ここが歪んでしまうそうです。実際にそうなったことはありませんが、私も弾かない時は緩めるようにしています。ですが頻繁に張ったり緩めたりすると逆に悪影響がある、と考えて緩めない人もいるそうですよ。それに毎日ギターに触るようなら緩めないほうがチューニングも楽ですから、このあたりは個人差があるようです」
「お詳しいのですね」
「ギターを始めた時に店員さんに聞いたり、教本で見たりした程度の付け焼き刃です。大層な物ではありません」
謙遜しながら、恩徳さんは控えめな笑みを浮かべて小さく首を振った。面接の最中だから謙虚に振る舞っている、という風にも見えない。謙虚な人間を演じているわけではなく、素の彼の性格がそうさせるのだろう。
話しているうちに、チューニングも完了したようだ。
「お待たせしました。そろそろ始めさせて頂きます。曲は……」
はい、というまるでリクエストしたいですと言いたげな声が
理解しているのか、ここが面接の場であるということを。ねぇ、あーちゃん。後ろの人たちもそうだけど、特別際立っているあーちゃんよ。待ってましたとばかりに声とともに手まで挙げているあーちゃんよ。もう欲求を隠しも誤魔化しもしなくなってきたね。
恩徳さんの困り顔を見るに、後ろに立ち並んでいる部外者たちの相当数がリクエストの挙手をしているのだろう。収拾がつかないので、ここはわたしが助け舟を出すべきだ。
「……時間も押しているので、弾き語りしてもらう曲はわたしが決めさせてもらいます」
えー、ずるいー、職権濫用だー、などという背後からの
「知らない場合もあるかもしれませんので、そのあたりはご容赦願います」
「それはもちろん。弾く曲数は……」
あれ、どのくらいなら彼の負担にならないのだろうか。ギターと歌唱力がどの程度のものなのか知れたらそれでいいのだが、基準がわからない。声真似の時と同じく三つくらいでいいのかな。
「三曲でも大丈夫ですか?」
「はい、問題ありません」
「それでしたら、一曲目は恩徳さんが一番得意な曲をお願いします。二曲目は……先輩から」
「……えっ、わ、私っ?」
「ギターと歌をやってほしいと熱心に頼まれたのは先輩なのでどうかなと思ったんですけど、どうしますか? 特にないならなしでも……」
「そ、それなら……」
そう言って、しばし迷った先輩はわたしも聞いたことのある、男性ヴォーカルのメジャーな一曲を、おずおずと口にした。
曲名を聞いた時、恩徳さんが一瞬固まった気がした。
「……っ。は、はい……やってみます」
「それじゃあ三曲目は……」「ねぇ」
「っ……えっと、三曲目は」「ねぇ、雫。ねぇ」
「…………」
「あの、雨宿さん……安生地さんが何か仰りたいご様子ですので……」
曲はわたしが決めると宣言した段階から隣でわたしの服を摘んで引っ張ってきていたけれど、ラストの選曲というところでとうとう声まで掛けてきた。
無視し続けていたかったけれど、彼から言われれば無下にはできない。仕方なしにあーちゃんへと体を傾けた。
「……なに?」
「『誓い歌』がいいわね」
わたしが訊ねた瞬間のことだった。ノータイムでラブソングを要望した。
あーちゃんとはかれこれ二十年近い付き合いになるわたしだからわかる。彼女はなんの恥じらいも躊躇いもなく言っている。どのような訓練を施したらそんなメンタルが作り上げられるのか。一切の気兼ねも遠慮もなくラブソングを所望した。
心臓が強すぎる。神経が太すぎる。恩徳さんの反応が怖くないのか。
「……すごいね、あーちゃん。なんでシラフで表情も変えずにそんな要求ができるの? もしかしてお酒入ってる?」
「飲んでるわけがないでしょう。……違うわよ、これは前に礼愛さんが嬉しそうに話していたから、それを思い出しただけよ。他意はないわ。知らない曲よりも演奏したことのある曲をお願いしたほうが彼も気が楽だと、そうよ、そのほうがやりやすいと思ったからよ」
「あくまでも恩徳さんへの配慮だと、そう言いたいんだ?」
「そう言いたいも何も、その通りよ。その通りでしかないわね。当然でしょう?」
「…………」
「た、たしかにやったことのある曲なら気が楽ですから……はい、大丈夫です。あの曲は何度も礼ちゃ……妹から『感情がこもってない!』とリテイクを受けたので、他よりも歌えると思います」
気を使ったのだと言って憚らないあーちゃんを庇うように、恩徳さんがフォローを入れる。わたしがあーちゃんにじとっとした目を向けていたから、きっと彼は見ていられなくなったのだろう。面接している側がこんな有様で申し訳ない。
「そ、それでは……始めさせていただきます」
恩徳さんは右手でピックを摘み、左手で先ほど教えてくれたネックという部分を握る。瞼を閉じて、深呼吸を一つ。妹さん、レイちゃん以外には弾いて見せたことはないらしいので、もしかしたら緊張しているのかもしれない。
一曲目。得意な曲で、というわたしからのリクエストには、誰もが一度は聞いたことのある曲で応えてくれた。CMなどでも採用された、男性がヴォーカルを務めるとても有名な歌だ。
初夏の晴天を思わせる晴々とした気持ちの良い楽曲で、盛り上がるのでカラオケなどでもよく歌われており非常に人気が高い。
あまり自信がなさそうにしていたのに、彼は覚束なさなど微塵も見せずに弦を押さえ、瞳を閉じながら伸びやかに歌う。耳に心地よい彼の声は、奏でられるギターの音色と相克することなく合わさり、一体となっていた。
「…………」
ただ、なぜか、なんだろう。明確に言葉に表せないけれど、何かが足りない気がする。
急に弾き語りしろだなんて無茶振りしといて言えたことではないけれど。歌もうまくない上にギターなんて触ったこともないわたしが言えたことではないけれど。音楽に熱心でも博識でもないわたしがとても言えた立場ではないのはわかっているのだけれど。
何かが、欠けている。
そんなふうに感じた。
こんなに素晴らしい演奏を間近で聴けているのに、素直に感動できない自分に正直愕然としている。ちょっとショックだ。何が足りていないのかわからないけど、なぜかすっと入ってこない。胸に響かない。
演奏は完璧なように思う。わたしの狭い見識では音の繊細な違いを聞き取れたりはしないけれど、違和感を覚えるようなシーンは一つもない。ギターにしても、声にしてもそうだ。CMでも音楽番組でも何回も聴いた曲なので音を外していれば気付くだろうけど、一箇所もない。間違える素振りがない。
歌唱力自体も卓越している。音程もぶれない。最近の流行歌らしくサビは高音が多いし、男性が歌うだけあって低い部分もある。でも彼は高音も低音も余裕を感じられる。メロディはばちっと合っていてリズムが狂うことはない。歌声の音程の調節に特段注意を注がなくていいくらい上手いからこそ、歌い上げる際の細やかなテクニックや演奏に力を振り分けられるのだろう。
歌をメインにしている配信者と並んでも見劣りしないくらいの力量、歌唱力であることは確かだ。
なのに、心が躍らない。胸に迫るものがない。ポップでノリのいい歌なのに、まるで木枯らしのようにどこか薄寒く、乾いていた。
二曲目。少し古い、ひと昔前くらいに流行った歌だ。
音楽に関係する物事とそれ以外とで驚くほど行動力に差がある、普段は大人しい印象の先輩がリクエストした曲。
始まってすぐ、どうしてこの歌を先輩がリクエストして、どうして恩徳さんが少し戸惑ったようなリアクションをしたのかわかった。
素人目でもわかる。演奏がとても大変そうだ。弦を押さえる位置がネックとやらの先端に行ったり根元に行ったりととてもよく変わっているし、弦の一本一本を押さえる指も忙しなく動いている。
素人のわたしは、指が絡まりそうだなぁ、なんてのんきに見ていたが、後々先輩に意見を聞いてみたらとても高い技術を要する曲だと、頬を上気させながら教えてくれた。丁寧に説明してくれたのだけど、専門用語を知らないわたしではまるで理解できなかった。わたしの脳みそは専門用語の羅列に耐えきれずにフリーズしたので記憶できたのは、普段は物静かな先輩のテンションが上がるくらいの技量が恩徳さんにはある、というところまでだった。とりあえず先輩は、ギターの腕前を測るために難しい曲を演奏してもらいたかったらしい。
その曲がどのくらい難しいのかはわたしには知る由もないが、とりあえず彼にとっても難易度は高かったらしい。鈍い音が出る場面も散見されたし、苦い顔で弦を見ながら弾くことも多かった。演奏に気を取られてブレスが乱れ、音程が安定しないフレーズもあった。
一曲目の安定感とは打って変わって、二曲目は弾き語りという体裁をなんとか保っていた、という印象だった。
歌も演奏も、完成度で言えば一曲目のほうがよかったはずだ。でも、わたしは二曲目のほうが、なんだかぞわっとした。いい意味で鳥肌が立ったのだ。どうにか原曲に近づけようと懸命になる彼の姿には、一曲目の時にはなかった魅力と迫力があった。
「いよいよ、ね……」
「そうだね」
二曲目が終わり、とうとうあーちゃんリクエストのラブソングのターンだ。期待感で若干前のめりになっているあーちゃんの肩を引き戻す。
「ふう、はあっ……っ、すいません、ちょっと飲み物いただいていいですか?」
「気が回らなくてすいません! どうぞ! 飲み物はご自由に……」
このミニライブにのめり込んでしまっているのは、隣のあーちゃんだけではなかった。わたしもだった。
面接というだけで緊張するだろうに、なぜか立ち会っている人間は多いし、声真似や弾き語りまでさせられているのだ。普段よりも疲れるだろうし、喉だって渇く。
なんならよくこのような場でここまでポテンシャルを発揮できるものだ。わたしが同じ立場だったらと考えると震えてくる。
「あの、それが……もう飲み切ってしまってまして……」
「あ、そうだったんですね」
そういえば彼はわたしがコップを渡した時にすぐに飲んでいた。あの時が(ぞろぞろと大勢が応接室に入ったせいで)緊張のピークだったようだし、ぜんぶ飲んでしまっていたのだろう。
急須でお茶を淹れたのでそこから注ごうとお盆に視線を向けるが、急須が見当たらない。こんなに長丁場になるだなんて思っていなかったから、給湯室に置いてきてしまったようだ。
何という手ぬかり。いや、こんなに長くなったのはわたしのせいではないのでわたしの失敗ではないねこれ。なにはともあれ、仕方ない。
「っ! そ、それなら……」「わたしは口をつけていないので、わたしのぶんをどうぞ」
「…………」
あーちゃんが何か言おうとしたタイミングで被るようにわたしが喋り出してしまった。無表情のまま、感情の抜け落ちた瞳でこちらを見つめる親友が怖い。なんなの、わたしがなにをしたというの。
「すいません、頂戴します」
彼はわたしが彼のほうへと寄せたコップを手に取り、傾ける。一口、二口と含み、喉を潤す。
男性らしい太く筋張った喉が口の動きと連動して上下している光景から、なぜか目を離せなかった。とてもどきどきする。なんだ、今まで知らなかったけどもしかしてわたしは喉フェチとかだったりするのか。いやだ、そんな吸血鬼みたいな自分のフェチシズム知りたくなかった。
「どうかしましたか?」
「ぃえ?! なんでもないです!」
「……何を慌てているの、雫」
彼から声をかけられ、思わず声が上擦った。いやらしい目で見ていたことを糾弾するような顔ではなく、わたしがぼんやりとしていたから声をかけた、といった様子だ。そりゃそうだ、誰が自分の喉を性的な目で見られているだなんて思う。
落ち着いて面接を進行するんだ。大丈夫、えっちな目で見ていたことなんてバレるわけないんだから。大丈夫、大丈夫。
後からあーちゃんに馬鹿にされないように、しっかりと役割をこなそう。
だが、そう思えば思うほど緊張が増してくる。喋る量も多かったせいで喉も渇いてきた。
「すいません……失礼します」
「え? あ……」
お茶を一口含んで落ち着く。
すでにぬるくなっているし、給湯室に置いてある安っぽい茶葉はそこまでおいしくないけれど、取り敢えず落ち着くまでの間を作る効果はあった。
仕切り直して、恩徳さんの弾き語りを聴くとしよう。
「雫、あなた……」
「雨宿さんが気にしないのであれば……ええ、はい。元はと言えば、僕が悪いわけなので……」
隣からは信じられないものでも見るような目を、恩徳さんからは少々の驚きを含んだ申し訳なさそうな目を向けられた。なぜか後ろからもちくちくと刺されるような物々しい気配を感じる。
なんなのだ、またわたしは何かやらかしてしまったのか。でも何をしたのだとしても、あーちゃんにそんな顔をされる
「はい? えと……あの、三曲目をお願いしたいんですけど……」
「……失礼しました。では……」
時間も押しているのでわたしが催促すると、彼は居住まいを正してギターを構える。
三曲目。あーちゃんがリクエストしたラブソング。『誓い歌』。レイちゃんの配信でも『お兄ちゃんが弾き語りしてくれた』と語られたこともある有名な曲だ。
歌の大まかな内容は『不器用な男性が女性にまっすぐな気持ちで愛を捧げる』というもの。正々堂々ストレートで真っ向勝負みたいなラブソングだ。カップルでカラオケに行ったら絶対に一回は歌われるなどという噂まであったこれを、妹が兄に対して弾き語りするようにお願いするのもどうなんだと思うし、兄も妹に言われるがまま感情を込めて歌い上げるのもどうなんだと思う。すごい兄妹だ。そしてそれを正面から臆面もなくリクエストするあーちゃんもすごい。これ以上あーちゃんの悪口を言いたくないから何がすごいかまでは明言を避けるけど。
深く息を吸って吐いて、恩徳さんはギターをかき鳴らす。イントロだ。二曲目の指の忙しさを見てからだと、とてもゆとりを持っているように見えた。音の一つ一つが明確に整っている。
「『「好きだ」「愛してる」なんて、あまり言いたくはないんだ。口にすればするほど、価値が薄くなるから』」
「んっ……」
思わず声が漏れてしまった。
歌い出しのワンフレーズから、これまでの二曲とは明らかに違っていた。
声量とか音程とかギターの音とか、そんなものが全部頭から抜け落ちるくらいの衝撃。心臓を撃ち抜かれるような感覚。
一曲目を聴いた時に、何かが欠けているような、足りていないように思ったわたしの直感は正しかったのだと、この曲を聴いた今、確信した。
歌に込められた気持ちの差。それがあまりにも違う。歌に詰められた感情の密度が違う。
一曲目は、中身の入っていない空箱みたいなものだった。いくら外側を歌唱力や楽器の腕で飾り付けたって、中身が詰まってなければどうしたって軽くて、薄っぺらく感じる。
聴き比べれば痛感する。いくら絢爛豪華な外装をしていようと、そこに感情という中身が詰まっていなければそれにさしたる価値はないんだと、そう知らしめるような歌。体の奥深くまで響かせ、心の柔らかい部分をきゅうっと締め上げるような破壊力。
「『「綺麗だ」「可愛いよ」なんて、あまり使いたくないんだ。使えば使うほど、言葉軽くなるから』」
「っ……」
隣であーちゃんがびくっと身じろぎした気配があった。彼の歌が琴線に触れているのは、わたしだけではなかったようだ。
隣を見れはしないけど、きっとあーちゃんも恩徳さんの演奏を食い入るように見入っている。いや、魅入られている。わたしがそうであるように、あーちゃんも、おそらくは後ろの同僚先輩たちに小豆さんも含めて、目を逸らすことなどできはしない。
「『でも、浅はかな、僕の頭では、違うやり方は、一つだって思いつきゃしないから』」
歌に登場する男性は不器用で、だからこそ回りくどい言い方なんてできずに正面切って気持ちを言葉にしている。
対して弾き語りする恩徳さんはいろんなことができる器用な人だから、そのあたりでいえば正反対だ。
それでも、器用な彼だけど、歌の中の不器用な男性と同じように、気持ちを伝える時は迂遠なことはしないで直接的に正面からわかりやすい言葉で言ってくれるんじゃないかな、なんて思ってしまう。そう考えてしまうのは、恋愛経験のない女の妄想なのか、はたまた真に迫った歌の力なのか。
「『君の、手を握って、君の目見つめ、どうか僕の想い、気持ちすべて君に、届け伝われと願う』」
込められた言霊が強い分、決して邪魔をしないように調整されたギターの伴奏。それでいて歌の魅力を最大限に引き出し、増幅し、強調させている。
歌うほうに意識は向けられているはずなのに、彼の左手は滞りなく動き続ける。速やかにギターのネックを上下に滑り、指先は滑らかに迷いなく弦を押さえる。どれだけ歌に熱量が込められていてもリズムは一切狂わず、音を外して白けさせることもない。それが更にこの歌の世界へと引き摺り込まれる要因となっている。深い深い歌の沼に没入していく。
鐘を打ち鳴らすように、がんがんと頭に不快な音が反響する。うるさい、なんだこの無粋な音は、と思ったら、高鳴る自分の心臓だった。自分の心音をこんなにも煩わしく思ったことはない。
今だけは鳴り止んでほしい。盛り上がり、最高潮だ。サビの前なんだ。ノイズなしで、彼の声と音だけを享受したい。
「『好きだ、愛してる。こんな言葉じゃ全然足りない。綺麗だ、可愛いよ。我慢なんてできやしない。他はいらない、何も望まない、ただ君が幸せでありますように』」
瞳を閉じながらギターを弾き歌う彼は、今日見たどの瞬間よりも優しそうに。嬉しそうに。楽しそうに。なによりも幸せそうに、笑っていた。
あの小学生と一緒にいた時に見た表情とも違う。きっとただ一人、心に決めた大切な一人にしか見せることはないのだろうなと思わせる柔和で純粋で、人を魅了する表情だった。
胸がじくじくと疼くように感じた。心臓をじかに握られるような思いだった。
彼の、その瞼の裏に映っているのはいったいどんな
聴いている者にそう思わせる、そう感じさせるだけの熱量と力を持った歌だった。
そこからフルで歌を聴いた。はずだ。
三曲も弾き語りしてくれた恩徳さんにはちゃんとお礼を言ったはずだし、彼が帰る時にも粗相なくお見送りできたはずだ。
なぜ『はず』を連用しているかというと、正直なところ、記憶がしっかりと残っていないからだ。衝撃と興奮と感動とで情緒が壊れている。
気がついた時には事務所の自分のデスクで突っ伏していたあたり、相当なものだ。ちなみにあーちゃんは応接室のソファで座り込んでいた。あーちゃんも意識がぶっ飛んでいるらしい。距離が近かったからかな。
もうこれは逆にレイちゃんがすごい。あの恩徳さんの弾き語りをたった一人で聴いていたなんて。自分一人のためだけにあれだけ感情を込めて歌ってくれたのなら、絶対好きになっちゃう。いや、すでにあの子はお兄ちゃん大好きっ子だったか。耐性があったんだね。
「……ふぅ。世の中、とんでもない人がいるんだなぁ……」
完全に熱の失われた残り少ないお茶を、未だフリーズしているあーちゃんの隣に座りながらすする。まるでライブやコンサートが終わり夢見心地から醒め、一息ついているような気分だ。
そんなこんなで、自分の意識の外でふわっと面接は終わった。おそらく歌を堪能しきった酩酊状態のわたしは恩徳さんに採用内定の旨を伝えていないだろうし、面接の後に彼と小豆さんとイラスト担当の先輩とやろうと思っていたミーティングも行われてはいないだろう。
結局のところ、また彼と連絡を取り、事務所までご足労いただくことになりそうだ。きっと小豆さんは直接話してデザインを詰めたいとおっしゃることだろうし。
必要もないのに面接に参列した同僚先輩諸氏のリアクションを鑑みるに、彼を採用することに反対する者はいないとは思うけど、一応念のため事務所スタッフの全体メッセージで意見があるか訊いてみよう。
お茶をちびちび口に含みながら、わたしは会社用の端末で恩徳さんの合否如何についてのメッセージを打ち始めた。
ちなみに、わたしが口をつけている湯飲みが、お茶を飲み切った彼におかわりとして差し出した湯飲みであることに気づいて吹き出すのは、わたしがメッセージを書き上げる寸前のことだった。
次でお兄ちゃん視点に戻ります。
*以下スパチャ読み!
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fujisakiさん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
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Restoさん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
夜叉さん、赤色のスーパーチャットありがとうっ!ございます!
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