サイコバグなお兄ちゃん、Vtuberになる。   作:にいるあらと

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たぶんお兄ちゃんははがねタイプ(メンタルが)。


これは、(ジン・ラース)のスタートラインだ。

 

「たまにでもちゃんとやっているか配信を覗いていただけたら幸いです。これからよろしくお願いします」

 

 一礼し、僕は配信を終了した。

 

 椅子の背もたれに体を預けて伸びをしながら長く息を吐く。

 

 久しぶりの疲労感を味わいながら、画面をぼんやりと見つめた。

 

「んー……まあまあいい感じにはできたかな」

 

 手応えとしては『中々』といったところだ。

 

 荒れるという表現が優しく聞こえるほどに荒廃しきった配信ではあったけれど、そうなることは前から予想していたことだった。事前に『New Tale』のスタッフさんたちともよく話し合うことはできていたし、対処をどうするかも相談できていた。

 

 今回の配信は、想定されていた中では最悪に近いケースではあったけれど、あくまで最悪にほど近いだけであって最悪ではない。一つたりともまともなコメントがない場合も考えてはいたのだ。それと比較すれば、百件に一件くらいはまともなコメントが流れてくる今回はまだやりやすかったと言える。そのおかげでコメントを拾ってお喋りをするという方式でやれたのだ。まともな、というよりもなんなら僕を手助けするようにコメントをしてくれていた。あの人たちには一人一人お礼のメッセージを送りたいくらいである。

 

 『New Tale』から男性Vtuberがデビューするという事実に視聴者が戸惑っている間に必要最低限の情報だけを強引に叩きつけ、あとはコメントへの返事でお茶を濁す。複数用意していたうちの一つの対処法を計画通りに行い、無事初配信は乗り切った。

 

 誹謗中傷に含まれるようなコメントについてはこういうふうに(完全にスルーで)対応しますよ、というスタンスを初配信の段階で見せることができたのは一つの収穫といえる。これからの配信についても同じように対応すれば、荒らしたいだけの人たちならばジン・ラースの反応のなさに飽きて離れていくだろう。

 

 そういった賑やかしの人たちが離れるまで、長く見積もっても一ヶ月はかからないだろう。彼らは飽きやすく冷めやすい精神性だ。代わり映えのしないつまらない一Vtuber相手にいつまでも(かかずら)うような根気があるとは思えない。二週間もすれば過半数どころか大多数の人が興味を失うだろうし、そうでなくても他におもしろいイベントが起きれば、その人たちは新しい火事場へと物見遊山に行くだろう。

 

 となれば、残された問題は二つ。大きいほうと小さいほうがある。

 

 まず小さいほう。上記のキャンプファイヤー感覚の人たち以外。今回の騒動の火元である男女Vtuberのファンの人たちだ。

 

 一括りに『彼ら』と呼ばせてもらうけれど、彼らはただの騒ぎたいだけの人たちとは熱量が違う。これまで推しを応援して、積もり積もった想いの分だけ怒りが(つの)っている。男女Vtuberの人気の分だけ人が(つど)っている。

 

 猛り狂った彼らはそう簡単に振り上げた拳を下ろすことはしないだろう。いや、できないのだ。

 

 つい最近行われたライブ配信が原因だ。釈明に終始するかと予想されたが、実際にはファンに対して惚気るという、想像と常識と信頼を大いに裏切る配信になった。しかもそこからは音信不通。SNSも反応なし。彼らは、彼らの思いを当人たちに届ける方法を失ったのだ。

 

 そんな中で、女性Vtuberばかりの事務所で僕みたいな、よくわからない胡散臭い男がデビューするとなれば、つい最近刻みつけられたトラウマを抉られる形になる彼らは過剰に反応する。致し方ないことだ。行き場を失い、臓腑に滞留するどろどろとした悪感情は、一度すべて吐き出さないと気持ちの整理はつけられない。

 

 彼らの気持ちの整理がつくまで、どれくらい時間がかかるのかは見当がつかない。彼らが荒らし行為を働くのは怒りがあるからで、その怒りの由来は反転した推しへの愛だ。推しへの愛が強かった分だけ、怒りは続くだろう。感情の強さは、思いの丈は、他人である僕に推し量れるものではない。こればかりは時薬(ときぐすり)だ。

 

 時間をかければ怒りも薄まり、次第に冷静になる。冷静になれば、メリットは微塵もないのにリスクばかり多い誹謗中傷などという綱渡りなんてやめるだろう。なので、彼らが怒りを吐き出しきって頭が冷えるのを気長に待つしかない。

 

 だが逆に考えれば、結局は時間が解決してくれることだ。なのでこちらはさほど重要じゃない。

 

 なんなら矛先を僕にだけ向けてくれるのなら問題ですらない。同じ事務所だからという理由で『New Tale』に所属する人にヘイトが向けられる可能性があるので、ひとまず問題として取り上げている。このあたりをコントロールしていくのが今後の課題になるだろう。

 

 僕が一番懸念しているのは残された二つの問題の、大きいほうだ。

 

「最近の情勢見てたらある程度は覚悟できてたと思うけど、想像以上だったのかなあ……」

 

 礼ちゃんのことだ。

 

 今更言うまでもなく登録している礼ちゃんの──レイラ・エンヴィのSNSのアカウント。それの、ついさっきされた投稿。予定通りであれば、四期生のデビュー配信後に礼ちゃんは配信していた。配信する、はずだった。

 

 礼ちゃんのことだから、デビューした後輩たちのことを自分の配信で触れて、自分のところのリスナーさんにも興味を持ってもらおうとかって考えていたのだろう。精一杯背伸びした先輩ムーブだ。可愛い。

 

 それができなくなってしまったのは僕が原因だ。

 

 SNSの投稿では、体調不良で今日の配信をお休みするとあった。

 

 あながち間違ってはいないだろう。あれだけ目にも教育にもよろしくない単語が飛び交っている配信を見れば、気分も悪くなるというもの。

 

 ただ、あの礼ちゃんが、多少体調が優れないくらいだったら無理を押してでも予定通りに配信を断行するあの礼ちゃんが、配信予定時間の少し前に急遽取り止める判断を下したのは、その大荒れ配信をしていた配信者が僕だったからだろう。とてもまともに配信できないくらい、強がりや痩せ我慢ではどうにもならないくらいにコンディションが落ちているのは、きっと僕が原因なのだろう。

 

「どうするべきかな……」

 

 正直なところ、僕自身は荒れ放題のコメントを見ていてもそれほど感情が動かなかった。まあそうなるよね、くらいの気持ちでしかなかったのだけれど、だからといって他の人も僕と同じようにしか感じ取っていないと思い込むのは、きっと間違っている。とくに礼ちゃんは僕をVtuberという世界に誘った張本人だ。感じなくてもいい責任まで、重く感じているかもしれない。

 

 僕の初配信を見て礼ちゃんがショックを受けているのならフォローしないといけない。しないといけないが、どう動くのが適切なのかわからない。

 

 直接礼ちゃんに話しかけに行っていいものなのか、それともクッションを挟む形でメッセージアプリ越しに様子を見てみるべきか、もしくは礼ちゃんの気持ちが落ち着くのを待つべきか。

 

 背もたれに体重を傾けながら、スマホをちらりと一瞥して、扉の向こう側で足音がしていないか耳を(そばだ)てる。

 

 すると、スマホの画面が光った。

 

「っ!」

 

 背もたれに沈み込んでいた体をバネのように起き上がらせ、スマホを置いていたテーブルに手を伸ばす。

 

 スマホはメッセージアプリの通知を報せていた。

 

「……はは、いい子だなあ、ほんと」

 

 相手は礼ちゃんではなく、夢結さんだった。

 

『とてもかっこよかったです。がんばってください。応援してます』

 

 僕から伝えなくても夢結さんなら『New Tale』のアナウンスを自分で確認しているだろうけれど、デビュー配信の日と時間については一応伝えてあった。

 

 きっと配信を見てくれていたのだろう。ある意味なんらかの記録に残りそうな、あのデビュー配信を。

 

 その上で、全部見た上で、送ってきてくれた簡潔な応援のメッセージ。文面と文量以上に、気遣いと優しさが込められたメッセージだ。

 

「……うん、がんばるよ」

 

 僕がデビュー配信の日を伝えた時、夢結さんは『絶対推しますから! ていうかもう推してます!』と言ってくれた。まだSNSのアカウントも動画共有プラットフォームのチャンネルも開設していなかったのに、だいぶ気が早くもファンになってくれていた。

 

 夢結さんは、ジン・ラースのファン第一号だ。その期待には応えたい。応援してくれた気持ちに報いたい。

 

 まだ配信者としての自覚も自負もないけれど、自信なんてもっとないけれど、ファンになってよかったって思ってもらえるような僕でいたい。

 

 夢結さん(ファン)から届いた初の応援メッセージ。これは、(ジン・ラース)のスタートラインだ。

 

 メッセージをスクリーンショットで保存して、夢結さんに返事で感謝を伝えてからスマホをテーブルに戻す。

 

 覚悟を決めて、僕は部屋を出た。

 

 

 

 *

 

 

 

「礼ちゃん、入るよ」

 

 ノックをし、声をかける。

 

 一瞬、小さく衣摺れの音が聞こえたので寝てはいないようだ。

 

 扉を開いた。

 

 センスがないためモノトーンで統一されたシックという名の質素な僕の部屋とは違い、礼ちゃんの部屋は明るい色合いなのに反発し合わないよう上手く整えられたお洒落な部屋だ。色鮮やかなコーディネートの空間にいろんな世界観のぬいぐるみが居着いている。いたるところにアニメやゲームに登場するキャラクターの大きなぬいぐるみが鎮座しているのは、UFOキャッチャーが得意な夢結さんから頂いたものなのだそう。

 

 部屋の中央付近にあるローテーブルの上には雑然と雑誌が広がっていて、テーブルの足元には読んでいる途中と思しき漫画が積まれていた。表紙からして夢結さんからの貸借物だ。

 

 几帳面なようでいて意外と片付けが苦手な礼ちゃんは、よく床にゲームやアニメ関連の雑誌や漫画を放置していたり、たまに脱いだ服がそのままベッドや椅子に掛けられたりしている。僕の時間がある時を見計らうかのように、ちょくちょく片付けを手伝ってとお願いされるのだけれど、私物が散乱しているわりにはゴミが捨て置かれることもなく、埃が溜まっていることもない。掃除はできるのに片付けはできないのはとても不思議だ。

 

 そんな、ふだんなら賑やかで華やかな礼ちゃんの部屋は、今はどこかくすんだように色褪せていた。

 

 それはきっと、この部屋の主人が塞ぎ込んでしまっているからだろう。

 

 入って正面に見えるPCや複数のモニター、配信機材や各種ゲーム機が集められている空間は空席だった。

 

 ただ、モニターは消されることなく点灯しっぱなしだ。とうに配信を終了してモニターの電源も落としている僕にはわからないけれど、その画面はおそらく、僕の配信が行われていた時のまま、そこから触らずに置かれているのだろう。

 

 やっぱりしっかり配信は見てくれていたようだ。

 

「っ……ひっ……っく」

 

 声がしたほう、ベッドへ目を向ける。

 

 ベッドの上には、ちょうど人一人ぶんくらいの大きな布団の塊があった。その塊はしゃくり上げるような音と一緒に小揺るぎして、声を押し殺したような小さな泣き声を漏らしていた。

 

 僕はベッドの端っこのほうに腰を下ろして、まるで子どもをあやすみたいに布団の塊をぽんぽんと叩く。羽化する前の蛹みたいに、塊はぴくっと身動(みじろ)いだ。

 

「っ、なさい……っ、ごめんなさいっ……ひっぐ」

 

 断続的に、それでもずっと謝り続ける礼ちゃんに心が痛む。

 

「なんで礼ちゃんが謝るの? 何も悪くないでしょ?」

 

「わ、私が、誘ったせいでっ……お、お兄ちゃんがいっぱい酷いことっ、言われて……うぐっ……ぐすっ」

 

「僕なら大丈夫だよ。最初から批判されることはわかってたんだ。何もなくても多少は燃えてたよ。ちょっとタイミングが悪くて、他の炎上の件も重なったことで大きくなっちゃっただけ。このくらい誤差みたいなもの。大丈夫、問題ないよ」

 

 実際、合格したってわかった時点でデビューからしばらく荒れることは確信していた。『New Tale』から男性Vtuberがデビューする。その段階で大なり小なり炎上することは確定事項だったのだ。

 

 僕自身、人とちょっとずれた感性を持っていることも相まってノーダメージである。前の会社で働いていた時のように面と向かって直接的に大声で罵倒されるのならばともかく、顔も見えない名前も知らない相手から画面越しに的外れなコメントを受けるだけならばどうということはない。批判されようと否定されようと、拒否されようと忌避されようと、不満も憤懣(ふんまん)も感じない。感じられない。

 

 嘘偽りのない僕の言葉なのだけれど、しかし礼ちゃんはそう受け取ってくれなかったようだ。

 

「そんなわけ、ない……っ、そんなわけっ! 大丈夫なわけない!」

 

 激発するように、礼ちゃんは声を張り上げた。

 

 布団越しでよかった。緩衝材があったおかげで、礼ちゃんのその鍛えられた肺活量からの大音声が少しだけくぐもった。耳がきーんとするだけで済んだ。

 

「礼ちゃん、声大きいよ」

 

「お兄ちゃんがバカなこと言うからっ! こんなのっ、前働いてる時と一緒だよ! 自分の中だけで『大丈夫』って思ってるだけで、ほんとはストレスになってるの! わっ、私がっ、何回も! 何回も何回も何回も何回もつらくないのって、休まなくていいのって訊いてたのに! お兄ちゃんはいつも『大丈夫』って! お兄ちゃんはまた『大丈夫』って……っ、私のせいでっ、また『大丈夫』って……ぅぁっ」

 

 礼ちゃんの話は途中から逸れてしまっていた。後半のほうは昔の、というほどには昔ではないけれど、前の会社で働いていた時の出来事だ。

 

 確かに礼ちゃんは事あるごとに僕の身を気遣ってくれていた。車で学校に送る時も。ご飯を作り置きしてる時も。休日に礼ちゃんとお出かけする時も。何かやるたびに、そう訊ねてきていた。

 

「もしかして、自分のせいで僕が倒れたんじゃ……とかって思ってる?」

 

 もしかして、と頭に思い浮かんだ時にはすでに口をついて出ていた。

 

「だ、だって! そうだもん! 私のせいだもん! 学校に送ったりしなかったらもっと朝の時間にゆっくりできたはずだしっ、ご飯だって自分のだけならそこまで手間かからなかったはずだしっ、大事なお休みの日も私がわがまま言ってなかったらもっとたくさん寝れてたはずだもん! 忙しいなら洗濯も掃除も私に押し付ければいいのに自分でいつの間にかやっちゃうしっ、制服だって私が放り捨ててたやつ気づいたらアイロンかけて置いてるしっ!」

 

 一言投げ返したら倍では利かないくらい返ってきた。今でも前の会社で働いていた時の小言はちょくちょく頂戴していたが、それでも言いたいことを全部は言えていなかったようだ。

 

 僕が倒れたことについて礼ちゃんが未だに言及するのは(僕自身にはそんな自覚はないのだけれど)無理をしがちな僕を窘める意味合いともう一つ、礼ちゃん自身に負い目や引け目があったからなのかもしれない。ちゃんと休め、ちゃんと寝ろ、と僕に注意する時の礼ちゃんの表情につらそうな雰囲気があったのは、きっとそういうことなのだ。

 

「……ふっ、ふふっ、はは」

 

「なっ、なにがおかしいんだあ!」

 

 そうやって礼ちゃんが本気で、本心で、本音で僕の身を案じてくれているというのに、こんなに心配してもらえるなんて嬉しいなあ、なんて呑気に喜んでいるどうしようもない兄がいた。

 

 でも、どうしようもなく笑ってしまう。口元が緩むのを抑えられない。

 

 礼ちゃんの不安や懊悩は、まったくもって的外れなのだ。

 

「礼ちゃんのおかげだったんだよ。続けられたのは」

 

「そんなわけないっ……。私はずっと、今もお兄ちゃんの負担になってて……」

 

「学校に送るまでの短い時間だったとしてもお喋りできたし、ごはん作ったら美味しいって言ってくれた。礼ちゃんも忙しいだろうに、休日はリフレッシュするためにいろんなところに一緒に遊びに行ってくれたよね。お仕事のことばっかり詰まっていた頭を空っぽにする時間を礼ちゃんがくれたから僕は頑張れたんだよ。礼ちゃんがいなかったら二年どころか半年も持たなかったと思う。負担だなんてとんでもないね」

 

 前の会社で働いていた時は、やってもやっても片付かない仕事の山に押し潰されて大変だった。一つ片付けたと思ったら二つ三つ仕事が増えているような環境だったのだ。

 

 毎日長時間のお仕事で疲労を感じていた中でも、よし頑張ろう、と思えたのは礼ちゃんのおかげだ。広大な砂漠で見つけたオアシスのような存在だった。明日も礼ちゃんの笑顔を見るために頑張ろうと思えた。生活の中で点在する小さな癒しが日々の労働の活力になっていたのだ。

 

 そういう意味では、礼ちゃんの存在がなければ僕は今こうして五体満足でいられているかわからない。もしかしたら、倒れるだけでは済まなかった可能性すらある。つまり、今日僕が健康でいられるのは礼ちゃんのおかげなのだ。

 

「……わ、私がいたせいで二年もがんばっちゃって倒れちゃったってこと?」

 

「いつになくネガティブだね……。違うよ。礼ちゃんがいなかったら倒れるだけじゃすまなかったってことで、礼ちゃんがいてくれたら頑張れるってこと。顔を見せてくれて、お話してくれて、笑ってくれていればそれだけで頑張れるってこと。だから今のままじゃ僕、頑張れそうにないなあ」

 

 わかりやすいようにオーバーにそう嘆けば、少し考えるように間を置いてから布団の塊がもぞもぞと動いた。ばっ、と掛け布団を跳ね除けて、礼ちゃんが僕の腕を抱え込む。

 

 どうにか布団の蛹は羽化させられたようだ。ずっと布団に包まれていたからだろう、僕の腕を抱えている礼ちゃんの体は火照っているかのように熱かった。

 

「私がいつも通りにしていれば……お兄ちゃんは平気ってことなんだよね?」

 

「そうだね。僕はコメントで散々に叩かれるよりも、礼ちゃんが悲しんでいるところを見るほうが苦しいよ」

 

「……ぐすっ、うん。わかった! もう気にしない! なにも気にしない! めんどくさいことぜんぶ、ぜんぶぜんぶぜーっんぶ! 気にしない!」

 

「おー、その調子だよ礼ちゃん。その調子で顔を上げてくれると嬉しいな」

 

「それはだめ。いっぱい泣いて目腫れてるし、ずっとお布団かぶってたせいで汗もかいてるし髪もぐちゃぐちゃだし」

 

「あーあ、残念。それじゃすぐにお風呂入っちゃおっか。明日には目元の腫れも(おさま)ってるといいけど」

 

「うん、わかった。一緒に入る」

 

「入るのは礼ちゃんだけだよ。僕はもう入ったし」

 

「なんで?! やっぱり私のこと嫌いになったんだあ?! うわああんっ、うえええんっ」

 

「いや、さすがにそこは勢いで誤魔化されないよ」

 

「ちっ……タイミングを逃したか。しかたないね、お風呂行ってくるー」

 

「はい、行ってらっしゃい」

 

 引き出しから着替えを取り出して、礼ちゃんはドアに向かう。

 

 このままいてもすることがないので僕もそろそろ礼ちゃんの部屋をお暇しよう。

 

「……お兄ちゃん。せっかくVtuberになれたんだもん。……コラボ、しようね」

 

 ベッドから腰を上げようとした時、礼ちゃんがドアノブに手をかけながらそんなことを言ってきた。

 

 これは礼ちゃんなりの発破なのだろうか。僕が誹謗中傷コメントに負けてVtuberを辞めてしまわないように、礼ちゃんとコラボをするという目標を立てて気合を入れさせようと。

 

「うん。必ずしようね」

 

 炎上することはわかっていたからいい。時間が経てば落ち着くのだから、それまで待てばいい。

 

 ただ残念なことを一つだけ挙げるなら、火の手が上がり過ぎて礼ちゃんと遊ぶまでに時間がかかりそうなことくらいだ。騒動が収まってからでなければまともにコラボなどできないだろう。

 

 騒動が収まり、その後で礼ちゃんことレイラ・エンヴィと、僕ことジン・ラースが実の兄妹であることを明かし、その上でコネで入ったわけではないことが周知されてからになる。そのくらい段階を踏まなければ再び火が着きかねない。

 

 長い道のりだけれど、礼ちゃんと一緒に配信をできる日を夢見て頑張っていこう。

 

 決意を新たにして、腰掛けていた礼ちゃんのベッドから立ち上がる。ベッドに手をついて立とうとした時、こつん、と小指に硬い物があたる感触があった。

 

 礼ちゃんのスマートフォンだった。

 

 布団に包まりながらスマホで何かを見ていたらしい。点灯しっぱなしの人のスマホの画面を覗くのは明確にマナー違反だが、目を向けた際にその画面が視界に入ってしまったのだからこればかりは仕方がない。悪気はなかった。

 

 その画面には文章が表示されていた。僕のコミュニケーションアプリにも送られていたものと同じ文面。おそらく所属Vtuber全員に送られただろう『New Tale』からのメッセージだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 翌日、未明。

 

「……うん?」

 

 微かに、でも確かに聞こえた礼ちゃんの苦しむような声で目が覚めた。

 

 礼ちゃんの部屋にノックもせずに入る。

 

 礼ちゃんは苦悶の表情を浮かべながら、縮こまって(うな)されていた。いつも掛けているキルトケットは足元で丸まっている。寝苦しくて蹴飛ばしたけれど夜が更けて寒くなったのだろう。

 

 キルトケットを掛けようとベッドの側まで近寄った時だった。

 

「っ……ごめ、なさ……っ。お兄ちゃ……わ、私、が……っ」

 

 寝言で、繰り返し繰り返し礼ちゃんは謝っていた。ずっと、何度も、ぽろぽろと涙をこぼしながら謝っていた。

 

「…………」

 

 寝る前には吹っ切れたようにも見えたけれど、心の奥底ではまだ解消しきれずに澱のように溜まっていたのか。

 

 僕は何とも思ってはいないので礼ちゃんが謝ることなんてこれっぽっちもないのだけど、礼ちゃんはそうは考えていないのだろう。きっと僕がどれだけ言い聞かせても、今の状況が好転しない限りは礼ちゃんの罪悪感が消えることはない。

 

「せめてゆっくり寝てほしいんだけどな……」

 

 優しく真面目な礼ちゃんのことだから、起きている間もふとしたきっかけで思い詰めるようなことがあるだろう。ならせめて寝ている間くらいは心穏やかに休んでほしいと思うけれど、就寝中こそ無意識的に罪悪感が浮かんできてしまうのかもしれない。

 

「ごめ……なさ……っ」

 

「…………」

 

 顔にかかる前髪を左右に分けて、ゆっくりとあやすように礼ちゃんの頭を撫でる。

 

 苦手なのにホラー映画を観て、案の定夜一人で眠れなくなって添い寝する時は、こんなふうに撫でてあげていれば悪夢に魘されることもなく寝ることができていた。礼ちゃんがもっと幼い頃、物心つく前から寝付けなかった時にはそうやって寝かし付けていたから、条件反射みたいになっているのだろう。

 

「ううっ……う……」

 

 同じように、少しでも嫌な夢を見ずに寝られるのならと思って試してみたけれど、思いの(ほか)効果はありそうだった。強張っていた体からは力が抜けていき、寄せられていた眉は元の形に戻っていく。耐えるように噛み締められていた唇は薄く開かれていた。

 

「……よかった」

 

 もう悪夢は過ぎ去ったようだ。

 

 今では撫でをねだる犬のように、僕の手に頭を押し付けてくる。時折ふにゃっと表情を緩めていた。

 

 片手で撫でながら、もう片方の手で涙の跡を拭い、キルトケットを掛け直す。

 

 気づけてよかった。礼ちゃんが魘されているのに気づけなかったら、礼ちゃんは起きるまでずっと悪夢に苛まれ続けていたかもしれない。

 

 そして、これは今日一日だけとは限らない。もしかしたら明日も明後日も同じようなことがあるかもしれない。夜は注意しておいた方がいい。

 

 礼ちゃんが穏やかに寝息を立てるようになってからも、窓の外が白み始めてからも、僕は礼ちゃんが目を覚ますまでずっとそうしていた。

 

 

 

 *

 

 

 

「人間の皆様、こんばんは。『New Tale』所属の四期生、ジン・ラースです。初めましての方は初めまして。昨日の初配信を見てくださった方は再びお会いできて光栄です」

 

 初配信の次の日の夜、記念すべき二回目の配信だ。

 

 活動し始めたばかりのど新人にしては視聴者の数はとんでもなく多いけれど、おそらくまともな視聴者はその一パーセントにも満たないのではなかろうか。

 

 今日も今日とて賑わっているコメント欄が僕の推測を証明してくれる。肥溜めと大差ないほど汚い言葉が大量に不法投棄されているのだ。

 

 ただ、ごく稀に応援してくれる人もいた。『楽しみにしてた!』とか『五時間前から待機してました』なんて怖嬉しいコメントを送ってくれている。まさしく掃き溜めに鶴の如し。

 

「今回はとあるゲームをプレイさせてもらおうと考えております」

 

 僕の配信を見てくれている視聴者の画面の右斜め下のあたりには、Live2Dのジン・ラースがバストアップで映っているはずだ。

 

 相変わらず何を考えているかわからない胡散臭い笑みを浮かべて高級感のあるスーツを身に纏う、魔王軍の幹部のような悪魔だ。今は角と耳だけ悪魔の状態になっている。

 

 雑談配信でもするのなら角・耳・翼・尻尾ありの完全悪魔形態でもいいだろうけれど、ゲーム配信時はコウモリのそれを更に邪悪にしたような、大きく広がる翼が邪魔になる。なので今は格納しているのだ。ちなみに人間社会に紛れ込めるように、悪魔っぽさを全部引っ込めた人間形態もある。その状態だとまるでホストクラブのトップスリーくらいに入っていそうな、格好良くて優しげな兄ちゃんに見える。

 

「説明も不要なほどに大変人気のあるゲームですね。他の配信者様方、なんなら『New Tale』の先輩方もプレイなさっていますし。今日は配信タイトル通り『Island(アイランド) create(クリエイト)』をやっていこうと思います。皆様ご存じアイクリですね」

 

 『Island(アイランド) create(クリエイト)』は、いわゆるサンドボックス系のゲームだ。一言で表現するなら、プレイヤーのできることが非常に多いサバイバルゲーム、といったところだろうか。プレイヤーはアイテムも何も持っていない身一つの状態で放り出されるところから始まる。そこから試行錯誤して立派な家を建てるもよし、そこから広げて街を作るもよし、装備を整えて一応はボスと設定されているモンスターを倒しに行くもよし。何でも自由に遊び尽くせるのが魅力のゲームで、こだわろうとすればいくらでも好きなように手を掛けてこだわることができ、そしていくらでも時間が溶けていく。恐ろしいジャンルのゲームである。

 

 実際にやったことはないものの、僕でも聞いたことくらいはある有名タイトルだ。

 

 ちらりとコメントに目を向ければ、なんとも激しく文字が踊っている。

 

〈NTの鯖入んな〉

〈関わんな〉

〈今すぐ閉じろ〉

〈消えろ〉

〈一人でやってろ〉

 

「ご安心ください。フィールドに降り立ったらすぐに人里から離れますので。先輩方や同期の皆様の手を煩わせるようなことはしませんよ」

 

 やはり反応は著しいものがあった。

 

 このアイクリ、もちろん一人でも楽しむことができるけれど、サーバーを立てればいろんな人と一緒に楽しむことができるのだ。一緒にボスを倒しに行ったり、一緒にのんびりと資材を集めに行ったり、一緒に駄弁りながら建築したりなどなど。そういったマルチプレイをできるところが受けて、多くの配信者がこのゲームを配信に使っている。

 

 企業勢だと、一緒のサーバーでプレイしている同じ事務所の配信者との予期しない絡みがあったりして、そういったところもリスナー的には見どころの一つなのかもしれない。

 

 そう。他の配信者と、つまりは『New Tale』の先輩方や同期たちと絡むことがあるかもしれないということで、推しのいるリスナーさんたちは危惧しているのだ。

 

 リスナーさんたちが警戒していることもあるし、なにより僕だけならともかく先輩や同期たちにまで迷惑をかけたくはないので、自分から率先して近づくことはない。

 

「立派な街ができていますね。さすがは先輩方、とてもセンスがあります。僕はこういった芸術的なセンスに欠けるので、とても尊敬します。さて、それではすぐにお暇すると致しましょう。しばらく進んで山のようなところを越えれば、先輩方の作業のお邪魔にもならないでしょう」

 

〈少なくとも俺の邪魔だわ〉

〈新しい鯖立てて一人でやったら文句なしだな!〉

〈鯖入ったらまず挨拶しろよ〉

〈Vtuberやめろ〉

〈絶対話しかけんなよ〉

〈がんばって〉

 

「はい、頑張ってやっていきますね」

 

 裸一貫でフィールドに降り立った後は、そそくさと先輩たちが開発した土地から離れる。

 

 ぱっと見た感じ、街の中は大きく立派で色鮮やかな家が立ち並んでいたり、噴水を中心にした広場があったり、一見しただけでは何を模しているんだかよくわからないモニュメントがあったり、レールがずっと遠くまで敷かれていたりと、ずいぶん文化的な印象だった。家の周りには色とりどりのお花が植えられていたりして、見栄えも良くて華やかだ。先輩方のそういった作品を直接拝見できないのは少々残念にも思うが、建物を勝手に眺めたりしていたのがリスナーを介して先輩方に伝えられたりなどしたらご迷惑がかかる。先輩方も、ジン・ラースが無断で敷地内に侵入していた、などと報告されても感想に困るだろう。

 

 せめて礼ちゃんが作ったものだけでも見たかったが、わざわざリスクを負ってまで見る必要はないと割り切って、後ろ髪を引かれる思いを堪えつつ駆け足で先輩方が手をつけていないエリアまで移動する。

 

 一山を越えて、越えた先にあった湖っぽい水辺の反対側まで移動したところで、ようやくサバイバルをスタートする。

 

「では、このあたりで始めましょうか。……すでにスタミナが減ってきてますね」

 

 このゲーム、サバイバルゲームらしくスタミナゲージがある。そのゲージが減少すると走れなくなったり、果ては体力が漸減したりとデメリットがある。先輩方とニアミスしないようにと急いで移動した為、急激に減ったのだ。ゲームのスタート地点に立つ前からスタミナが減少しているというハンデを背負いながらの幕開けだ。

 

 そこからしばらく、まともに意思疎通できるリスナーさんのコメントを拾ったりしてお喋りしながらのんびりと進めていった。

 

 このゲーム、プレイヤーがやろうと思えばやることは本当に多岐に渡る。先輩方のようにお家や街を作ったり、ラスボスに設定されている強敵を倒したり。

 

 だけれども、そんなに生き急いでラスボス攻略に邁進するというのも味気ないだろう。RTA(リアルタイムアタック)を目指しているわけではないのだ。

 

 とりあえずは初心者らしく活動していた。

 

 何はともあれ、サバイバルといったらまずは拠点作りである。

 

 最初は木を素手で削り倒し、その木を木材にし、木材から作業を効率化させる道具などを製作する。道具を作ったらフィールド上をお散歩している動物を探し歩き、その動物を転がしてお肉やら毛皮やらのアイテムを頂戴する。とある動物から拝借できるアイテムが、セーブポイントとなる道具を作るために必要なのだ。

 

「立派なマイ掘立てハウスが完成しましたね。いやはや、めでたいです。屋根とベッドさえあれば、あとの生活なんてどうとでもなりますからね」

 

〈センスごみかよ〉

〈掘立てハウスw〉

〈建築時間三十秒〉

〈ほんまにセンスなくて草〉

〈犬も逃げ出すわこんなん〉

〈向きとか色とかぐちゃぐちゃ〉

〈時々土使ってるのなんなん……〉

〈A型を殺す家〉

〈おっそ〉

〈かわいいログハウス〉

〈積み木だろこれ〉

〈へたぬそやん〉

〈キャラコンだけは上手いせいでセンスのなさが強調されてる〉

〈猟師かよ〉

〈エイムやば〉

〈へたぬそww〉

〈へたぬそワロタ〉

〈君日本語へたぬそやな〉

 

「ま、まあ……ここはあくまで仮の拠点ですからね。とりあえず夜を過ごす事ができれば問題ありません」

 

 木材その他諸々を利用して簡単な家を作った頃には(ゲーム内時間で)日が完全に暮れていた。僕の掘立てハウス、優しいリスナーさん評の『かわいいログハウス』とベッドができただけ充分な仕事だろう。

 

 夜になると敵がわんさか湧いてくるのでお布団に包まれて就寝。四方八方囲まれない限りはどうにかできる自信はあるけれど、まだ木製の剣と無理して作った弓矢しかまともな武器がないのであまりバトルはしたくない。旅に出たばかりの勇者よりかは多少はマシくらいの装備だ。ちなみに防具なんて大層なものはない。素っ裸である。

 

「第一目標の拠点は完成しましたので、次は第二目標です。文明を進めましょうか」

 

 次はツルハシを使って採掘しに行く。

 

 所持している道具があまりにも貧弱なのだ。石でも鉄でもなんでもいい、もう少し使い勝手のいい道具が欲しい。同時並行で光源を確保するための燃料も産出されれば大変都合がいい。

 

 何も考えずに適当に家の近くから掘り始めた坑道とログハウスを何回か往復して光源などの消費アイテムを製作したり素材を貯蓄し、そろそろ使っている道具を全部アップグレードできるかな、と思っていた時だった。

 

 無駄に視聴者数が多いせいで元から速いコメント欄の流れが、一段階ぐっと加速した。

 

〈容量割る〉

〈切り抜きシーンが見られると聞いて〉

〈偏差完璧かよ〉

〈配信者の存在以外はストレスフリーやな〉

〈Vtuberやめろ〉

〈お兄ちゃんさんちすちす〉

〈お邪魔しまっす〉

〈草〉

〈養老悪い〉

〈ぜったいFPSやってるでしょ〉

〈お兄ちゃんさん見てるー?〉

〈誤字りまくってる奴おるな〉

〈流れはや〉

〈面白くなると聞いて〉

 

「ん? あれ、なんでしょう? えっと、とりあえず……いらっしゃいませ? ごゆっくりどうぞ」

 

 コメント欄にこれまでにない流れを感じた瞬間、異音を聞き取った。

 

 このアイクリではそれほど気にすることはないけれど、FPSなどのゲームをしている時は銃声や足音など、とにかく音が大事になる。普通のイヤホンであれば片耳だけ外したりすることもできただろうけれど、ヘッドセットを使っていたせいで外の音が聞こえなかった。自分の部屋の前の廊下を歩く足音すら、聞こえていなかった。

 

「えっ……」

 

 がちゃり、と扉を開く音がして、僕は思わず振り返った。




次は別視点です。時間が若干戻ります。


*スパチャ読み!

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なんだかすごくおいしそうな名前だ……
さんかがみさん、上限赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
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あたたかい評価をくれる人がたくさんいてすごく驚いています!ありがとうございます!めっちゃ嬉しいよ!がんばるよ!
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