サイコバグなお兄ちゃん、Vtuberになる。   作:にいるあらと

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勘のいいガキは嫌いだよ。

 翌日。

 

 自分の席に座りながら教室の扉に視線をやる。

 

 もうすぐホームルームが始まる。いつもなら既に席について授業の準備でもしている頃だというのに、礼愛はまだ、登校していない。

 

「……はぁ」

 

 お兄さんの初配信はどうにか乗り越え、一息つけたかと思ったその矢先だった。

 

 時間的に、お兄さんの配信の後くらいに礼愛(レイラ・エンヴィ)の配信が予定されていた。せっかくだし、礼愛が普段どんなテンションで配信しているのか覗いてみようと思っていたが、突然配信は取り止めになった。

 

 SNSを確認してみたら、予定を変更して配信を休む旨が投稿されていた。そこには体調不良とあった。その理由が事実かどうかはわからないが、とにかく配信ができるような状態ではないということなのだろう。

 

 礼愛の気持ちを考えてみれば、それもそうだ。

 

 友だちにして一ファンでしかないあたしですら、お兄さんの配信が荒らされているところを目にして(はらわた)が煮えくりかえる思いだった。それが、お兄さんを業界に誘った張本人である上に重度のブラコンたる礼愛であればどうか。何も感じないわけがない。体調くらい容易に崩れるだろう。配信どころの騒ぎじゃない。

 

 心配になって何度も通話をかけたけど、一度も出てはくれなかった。仕方なくメッセージだけ送ったけれどすぐには反応がなく、朝になって確認したら返事はなかったものの既読にはなっていた。

 

 これは返事を打てないくらい憔悴しているのか、それともメッセージを確認できるくらいには元気があるのか、判断に迷う。

 

 もしかしたら学校休むんじゃないかな、そう思って教室の扉から目を離したと同時だった。始業のチャイムの二分前。教室の扉が開いて礼愛が現れた。

 

「みんな、おはよう」

 

 いつも通り、礼愛は涼やかに挨拶した。声を張ってはいないのに、不思議と教室全体に届く透き通る声だ。

 

 珍しく遅刻ぎりぎりの登校になった礼愛に、クラスメイトの数人が駆け寄った。

 

 何かあったのかと気を揉むクラスメイトに、礼愛は控えめな笑みで、寝坊しちゃって、などと答えていた。

 

「…………」

 

 純度百パーセントの嘘だ。あたしと違って規則正しい生活を送っている礼愛に限って、なんなら日常的に早朝ランニングを行っている礼愛に限って、もっと言えば寝覚めがいいタイプの上にお兄さんという最強の目覚ましを備えている礼愛に限って、寝坊なんてありえない。

 

 タイミング的にも、昨日のお兄さんの配信が原因だろう。

 

 普段メイクなんてしないのに、今日はしている。かなり控えめに仕上げていてぱっと見では気づけないが、これでもあたしはお兄さんの次に礼愛の顔を見てきた自信がある。間違えようがない。普段ノーメイクで出歩いてるという事実がかなり腑に落ちないというか心が折れそうになるが、今はそれはいい。

 

 目元を念入りに施しているところから察するに、赤くなったり腫れたりしたからそれを隠すためのメイクだ。

 

 つまりは。

 

「おはよう、夢結」

 

 いつもと変わらないように見える、朝の挨拶。礼愛の表情。

 

 メイクで隠していたり、嘘をついていたり、表情に出さなかったりしているのは知られたくないからだろう。同情されたり心配されたくないからだろう。

 

 平静を装いながら、あたしは返す。

 

「……ん、おはよう。礼愛」

 

 わざわざ問いただすのは無神経というものだ。

 

 

 

 *

 

 

 

 そこからはこれといって変わったこともなく、カリキュラムが消化されていった。

 

 本来であれば高校三年生の受験生ともなればもう少しぴりぴりとした緊張感の中、みな勉学に勤しむのだろうけれど、この学校は少し毛色が違う。エスカレーター式で大学に進学できるのだ。成績を維持する程度で問題ない。大学付属のこの高校の最大のメリットとも言える。この特典があるから、あたしは慣れてない勉強を必死にやってこの高校に入ったのだ。ふだんの授業や宿題がとんでもないというのは誤算だったけれども。

 

 もちろん、やりたい仕事や叶えたい夢があって別の大学を目指す子もいるけれど、そういう子たちも別段切羽詰まっている印象はない。

 

 この学校の気風みたいなものなのだけど、なんというかこう、賢い子が多いのだ。日常の中に自然と勉強する時間を作れていて、尻に火がついたように必死になって勉強したりはしていない。優雅と余裕を感じさせる振る舞いだ。おかげで空気が悪くなったりもしないから助かる。

 

「でね、お兄ちゃんがね」

 

「うん、はい……」

 

 そして今は放課後。他のクラスメイトは帰宅するなり部活動に励むなり塾に行くなりで、もう教室にはいない。

 

 あたしはというと、教室でお喋り中である。お兄さんが迎えに来てくれるまで教室で待っている礼愛の話し相手を務めている。

 

「それで、さっきも言ったけど朝送ってくれた車でね、今日の晩御飯は私の好きなリゾット作ってくれるって言ってくれたんだよ! 時間があったらアクアパッツァも用意してくれるんだって! お兄ちゃん優しくない?! すごくない?!」

 

「ああ、うん……いいなぁ」

 

 お昼休みもそうだったけど、放課後もお兄さんの話ばっかりだ。

 

 朝目を覚ますとお兄ちゃんが起こしに来てくれてた、いつもより起きる時間が遅かったからわざわざ部屋まで見に来てくれたみたい、頭を撫でながらおはようって言ってくれた、とどこで息継ぎをしているのかわからないくらいに捲し立てられた。

 

 嬉しそうに語りながら、礼愛は撫でられたらしい頭に手を置き、にへら、と頬を緩めていた。こういうところだけを切り取れば、愛い奴め、で終わるんだけど、飛び出してくるエピソードの数と濃度が桁違いなせいで、心をほんわかさせる暇がない。

 

 礼愛がちょこっと触れていた、送ってくれた車の中での話も濃かった。さっき言ってた晩御飯の話から始まり、また今度ショッピングに行くとか、最近封切りされた話題の映画とか、人気が出始めているアニメを一緒に観る約束をしたとか、配信でもよくやってるFPSのゲームの話だとか。こちらが一つの話を呑み込む前に次の話をぶつけられる。行きの車の中だけでよくそれらの話が収まったなと、逆に感心した。

 

 朝は体調を心配していたけれど、この様子だと体調についてはまったく心配いらないだろう。逆にこれは、メンタル面のほうが気掛かりだ。まるで開き直ったようにお兄さんラブが表面化している。

 

 その勢いたるや、鬼気迫るものを感じる。目の色が違うのだ。なんらかの決意のようなものを秘めた瞳に、これまでの心配とは違う種類の心配を抱かずにはいられない。

 

「そ、そうなんだ、よかったじゃん」

 

「うん! すごく楽しみ! ……でも、楽しむためにはまず、片付けなきゃいけないこともあるからね」

 

「っ…………」

 

 礼愛からこの件について話を振ってくるとは思わなかった。

 

 『片付けなきゃいけない』というのは、暗にお兄さんの配信のことについて指しているのだろう。炎上や荒らしについての対処の話。

 

 言葉に詰まったあたしに、礼愛は口元を笑みに(かたど)った。

 

「今日の夜にお兄ちゃんの配信があるんだ」

 

 鋭めの目尻を下げるようないつもの柔らかい笑みではなく、あたしをいじる時の悪戯っぽい笑みでもない。笑っているはずなのに、背筋が寒くなるような緊迫感、息が詰まるような迫力。目が、笑ってない。

 

「う、うん……そうだね」

 

 お兄さんの配信が今日の夜にあるのは知っていた。あえて言うまでもないほどに、あたしの本日のタイムテーブルに組み込まれている。

 

 でも、今あえてそれを話題に上げるのはどういう意図なのか。

 

 言葉が続かないあたしに礼愛が言う。

 

「あたしも、タイミングを合わせて配信するの。私とお兄ちゃんの配信、両方見てるといいよ」

 

 礼愛はしなを作るように首を傾けて、目を細めて、口元の笑みのような何かをさらに深める。

 

「きっと……面白いところ、見れると思うから」

 

 中身を知らない人が見れば、男女問わず一目で恋に落とすくらいに艶然と、礼愛は微笑んだ。

 

 鮮烈なくらいに美しいと感じるのに、凄絶なまでに恐怖を煽る。笑顔のようで、内実は決してそうではない表情だった。

 

 あたしの貧弱な語彙では言語化できないその表情は、以前見たことがある。これはお兄さんが倒れた時と同種のそれだ。

 

 他の事なんてどうでもいい。自分のことも、学校の評価も、周りの目も、何もかもを全部放り投げ、思考の片隅にも留め置かずに、ただお兄さんだけを優先していた時と同じ顔をしていた。

 

「っ……う、うん。そこまで言うなら、見とくよ……」

 

 覚悟ガンギマリ状態の礼愛がわざわざ『タイミングを合わせて』と口にしたということは、何か企みがあるのだろう。

 

 お兄さんの配信に合わせるのだから、お兄さん絡みであることは確定だ。だけれど、妹第一主義を掲げるお兄さんの理念を考えると、火に囲まれている現状で礼愛と何かをやる、例えば一緒にゲームをしたり雑談をしたりするコラボ配信を計画するなどということはないように思う。そもそもコラボをするなんていう予定はSNSで知らされていない。お兄さん(ジン・ラース)礼愛(レイラ・エンヴィ)、どちらのアカウントでもそう。

 

 となれば、これは礼愛の独断専行なのだろう。サプライズ、悪く言うとゲリラ的な計画だ。おそらく礼愛はお兄さんに話を通していない。所属事務所にすら根回ししていない可能性まである。

 

 いったい礼愛は何を企んでいるのか。

 

 過ごしやすい室温に整えられているはずの教室だというのに冷や汗をかく。

 

 配信予定時間までまだまだあるのに、礼愛の不穏当な発言のせいで今から不安感に襲われている。ちょっと礼愛、勘弁してよ。昨日の今日でこの心労は、あたしの体力もたないよ。

 

 礼愛から話す気がないのであればせめてあたしから、お兄さんに一言二言注意を促しておくべきではなかろうか。

 

 そんな考えが脳裏をよぎった時、ヴヴ、とスマホのバイブレーションの音が聞こえた。あたしのではなく、礼愛の鞄からだ。

 

「あっ……ふふっ」

 

「…………はぁ」

 

 礼愛はスクールバッグからスマホを取り出すと、さっきの怖い笑みが見間違いかのように可憐に頬を綻ばせた。この顔はお兄さんが迎えに来たことを示している。幾度となく、近頃は毎日迎えに来てもらっているのに毎度毎度純粋に喜ぶのだ。そのくせ、なぜかお兄さんの前だと、まるで『当たり前だよね?』とばかりに澄ました顔をしていた。訳がわからない。礼愛は自分が浮かべている表情に気づいていないかもしれない。

 

 たたたたん、と画面の上を白魚のような指が踊る。手早くスマホを操作してお兄さんに返信すると、あたしに向き直った。

 

「じゃ、帰ろっか」

 

「そうだね……帰ろっか」

 

 にこやかな礼愛とは対照的に、あたしは若干憔悴している。この短時間であたしはひどく疲れたよ。

 

 教室を出て、廊下を進み、階段を下り、靴を履き替え、エントランスを出て、学校の門をくぐる。

 

 一緒に帰る、と言っても道が同じなのは校門のところまでだ。学校の真正面に車を停めるのは、道幅がそれほど広くないこともあってほかの生徒が危ないから大通りに来てもらっているらしい。

 

 まぁ、あたしは道幅がどうとかっていうのは建前だと思っているけど。わざわざ校門から大通りまで歩く一番の理由は、送迎に来ているお兄さんをクラスメイトに見られないようにする為だろう。お兄さんの情報はぺらぺらと話すくせに、お兄さんの姿は頑なに見せないのだ。そんな弛まぬ努力の甲斐あって、あたしを除いてクラスメイトは誰一人としてお兄さんの顔を知らない。鉄壁の守りを誇っている。

 

 大通りまでの道はあたしが利用している駅とは正反対の位置にあるので、いつも校門前でお別れだ。

 

「じゃあね、礼愛。配信がんばって」

 

 そう言って、あたしは駅へ向かって足を踏み出す。

 

 電車に乗ったら、お兄さんにメッセージを送ろう。

 

 何を企んでいるかまではさすがに掴めなかったけれど、礼愛が何かを企んでいることは確かだ。礼愛のことだからお兄さんのことを想ってのことだろうけれど、それでかえって状況が悪化したら大変だ。何もわかっていなくとも、お兄さんに一言注意を促しておくだけでも意味があるだろう。

 

 そう脳内でここからの行動を考えていると、礼愛に手を引っ張られた。

 

「一緒に帰ろって言ったでしょ」

 

「えっ……」

 

 礼愛からされた話をお兄さんに報告しようと思っていた矢先のこれだったので、どきりと心臓が跳ねた。

 

「お兄ちゃんに送ってもらえばいいじゃん」

 

「で、でも……あたしの家に寄ってもらったら回り道になるし」

 

「そのくらいなら大した距離じゃないって。そこまで時間もかからないし」

 

「いや、さすがにお兄さんに申し訳ないっていうか……」

 

「お兄ちゃんならそんなの気にしないよ。お兄ちゃんと夢結、ちょくちょく連絡は取り合ってるみたいだけど、直接会って話すのは久しぶりなんじゃない?」

 

「ま、まぁ、それはそうだけど……」

 

 メッセージアプリで時々やりとりはしているけれど、礼愛の言う通り、会ったりはしていない。ていうかできない。なんなら通話もまだ一回もしていない。ていうかできない。あたしにはまだハードルが高い。

 

 一応理由はある。言い訳じみていても理由があるのだ。

 

 あたしは姉の手伝いやテスト勉強があったし、お兄さんは最近までVtuberとしてデビューする準備などがあったわけできっと忙しかっただろうし、なにかとタイミングを失していたのだ。

 

 そんなこんなでお会いできなかったので、お顔を見られるのなら見たい。間にデバイスを挟まずに直接面と向かってお喋りしたい。

 

「お兄ちゃんと夢結も仲良くなったわけだし、これからはお兄ちゃんが迎えに来てくれる時は一緒に帰ることにしよっか」

 

「えっ?!」

 

「嫌だった?」

 

「い、嫌じゃないです!」

 

「そっか。それなら大丈夫だね」

 

「っ!」

 

 するり、と意識の間隙を縫うように、あたしの手に礼愛が手を滑り込ませてきた。

 

「道、こっちだよ」

 

「え、あ、うん」

 

 クラスメイトや後輩たちがよくやるボディタッチをあまり好まない、後輩の頭を撫でるくらいが精々の礼愛にしては、この距離感はひどく珍しい。腕を組もうとするクラスメイトに対しては軽やかにすり抜け、ハグしてこようとする後輩に対しては合気道有段者のように受け流すという、女子特有のスキンシップを可能な限り避けるのが礼愛という女だ。

 

 その礼愛が自分からこの距離に踏み込むというのは、滅多にあることではない。

 

 自分のそれより少し温かい礼愛の手のひら。普段しないことをしているのだから絶対に裏があるはずだが、礼愛のつやつやさらさらのお手手とぬくもりで思考能力が停止しそうになってしまう。

 

「お兄ちゃんにさっきの話、しちゃ駄目だからね?」

 

「ぇうっ?!」

 

 やっぱり裏があった。どうせこんなことだろうと思っていたよ。

 

 先程のやりとりも含めての、これは取引きなのだ。

 

 おそらく礼愛は、今日の配信の予定を話した時にあたしの反応が乏しかったことから、あたしがお兄さんに密告すると予測した。だからあたしを一人にさせずに、甘い蜜を眼前に垂らした。蜜の存在を知らないうちであれば迷うことなくお兄さんに伝えていたのに、一度蜜の存在を知ってしまえば礼愛のお願いを無下にはできない。

 

 黙っていれば、推しに会える。お喋りもできるし、家まで送ってもらえる。オタクの身に余るご褒美だ。

 

 しかし、あたしがお兄さんに告げ口すれば、そのご褒美は目の前で取り上げられる。帰りにお兄さんの車に乗せてもらえるという過分な慈悲を得られなくなる。

 

 言外に脅してきているのだ。

 

 くそう、礼愛め。推しに会いたいと願う純粋なオタク心を弄びやがって。

 

「夢結? お返事は?」

 

 すぐ隣からあたしの顔を覗き込むようにして上目遣いに礼愛が微笑む。

 

 少しでも推しに近づきたいというオタク心と、アクシデントが発生するかもしれないという心配。あたしの心中でその二つが渦巻く。天使と悪魔がせめぎ合う。

 

 しばしの葛藤の末。

 

「……ぁい。あたしは、なにも、きかなかった」

 

 苦渋の決断だった。オタクが、あたしの純粋で不純なオタク心が悪いんや。

 

 覗き込んでくる礼愛の視線から逃げるように顔を伏せて地面を見つめた。

 

「そっか。よかったよ。きっと今後、夢結のこと頼りにさせてもらうと思うんだ。だからちゃんと今日の配信を見といてほしかったんだよね」

 

「……あたしに何かできることがあるとは思えないけど」

 

「そんなことないよ。心の底から信頼できる人は私には夢結しかいないからね。頼りにしてるの」

 

「できることがあるなら遠回しなことしなくても手伝うってば」

 

「そう? それじゃここから回れ右して一人で帰る?」

 

「それとこれとは話が別じゃろ」

 

「あははっ。夢結のそういう素直なところ、私好きだよ」

 

「へいへい……そりゃどーも」

 

「あれえ? 夢結照れてる? 照れてるの?」

 

 そっぽを向いたあたしに、ここぞとばかりに礼愛は意地悪な顔で詰め寄ってくる。にやにやしながら頬をつついてきた。

 

 ばか、礼愛、お前。あたしだから良いようなものの、こんなこと後輩にやったらラブレターをもらう頻度が月一から週一にペースアップするぞ。

 

「ぷぁ、やめろ、つっつくなっ」

 

「夢結のほっぺたぷにぷにだね。癖になる感触」

 

「なんだこら、ディスってんのか!」

 

「なんでよ、褒めてるんだってば」

 

 心配事が一つなくなったとばかりに、礼愛はからりと笑った。ようやくいつもの礼愛の笑顔を見られた気がした。

 

 やっぱり礼愛には、人をからかっている時に見せる悪戯っぽい笑みが一番似合う。その結果、割りを食っているのがだいたいあたしなのが納得いかないが。

 

「あ、お兄ちゃんいた!」

 

 二年以上通っているというのに、学校帰りに遊びに出歩いたりしない模範生徒なあたしは、あまり駅と反対側の道には詳しくない。大通りに出ると、礼愛がきょろきょろと辺りを見渡して、声を上げながらとある一点を指差した。あたしも送迎二回で都合四度ほど乗せてもらったことのある、お兄さんの車だ。

 

 お兄さんを視界に収めるや、礼愛はあたしの手を引いているにもかかわらずぐいぐいと駆け寄ってしまう。あたしを牽引してなおあまりある推進力。搭載されているエンジンが違うようだ。

 

 ともあれ、礼愛の元気な姿を見られて嬉しく思う。

 

「…………ちょっと後ろめたいけどね」

 

 反面、お兄さんには礼愛の企みを黙っていなければいけないので心苦しい気持ちもある。

 

 ごめんなさい、お兄さん。今回は礼愛を優先します。きっと悪いことにはならないと思いますので。あたしのできることならなんでもしますから、それで許してください。

 

 

 

 *

 

 

 

「さぁ、辞世の句をどうぞ、ゆー姉」

 

「あたし死ぬんか?」

 

 あたしを床に押し倒し、跨ぐようにして仁王立ちする寧音の第一声がそれだった。

 

 お兄さんとの久しぶりの対談(運転席と後部座席だが)をしたり、隣に座っていた礼愛に散々いじられたりして楽しく帰途についた気がするあたしを待ち受けていたのは、頬を膨らませて腕を組んでいる寧音だった。

 

 どうやら初めてお兄さんと対面した時と同じく、あたしがお兄さんに家の前まで送り届けてもらっていたのをどこかで見ていたらしい。いったいどんな巡り合わせなのだろう。ドラマに出てくる家政婦かあんたは。前回みたいに夜遅くまで遊びに行っとけよ。

 

「寧音が配信のコメント欄やSNSでしか応援できないのを知っていながら、ゆー姉は推しに直接会い、あまつさえ家まで送ってもらうなどという大愚を犯した。これは健全で良識的なオタクを貶め、嘲笑うような悪行。言語道断、万死に値する。不届き者は寧音が誅する。断罪執行、正義は我にあり」

 

「か、過激派……。健全で良識的なオタクはこんなことしないでしょ……」

 

 ドラマに出てくる家政婦よりも、時代劇に出てくるお奉行様のほうが近かったかもしれない。

 

「これは寧音の総意である」

 

「あんたの『総意』の使い方斬新すぎない?」

 

 その言い分で認められちゃったらもうなんでもありだよ。

 

「ただし、じょーじょーひゃくろうの余地もある」

 

「情状酌量ね。なんだろう?」

 

 中学生にしては目を(みは)るものがあったが、そろそろ寧音の語彙力と舌が限界に達したようだ。

 

「昨日言ったことだよ。お兄さんに、寧音のこと話してくれた? 少しでもお兄さんに話してくれてたら、じょうじょうはくりょうしても良い」

 

「情状酌量してくれるんだ。よかった」

 

「え?! 寧音の話してくれたの?!」

 

「いや、できんかった」

 

「guilty」

 

 あたしのお腹に馬乗りになった寧音は冷たい瞳をしながら拳を振り上げた。ばか、やめろ、自堕落な生活をしているあたしだぞ。ちゃんと日頃運動してる寧音に殴られたら痛いで済まなくなる。

 

「ちょっ、ちょっと待って! あたしの話も聞いて!」

 

「寧音の話を聞いてくれてたら、ゆー姉の話も聞いてあげてたよ」

 

「いや、それは順序がおかしい……っていうか! いや、逆にさぁっ! このあたしがお兄さんと礼愛が話してるところをぶった斬って自分の話できると思ってんの?! その前提が間違ってんだよ!」

 

「なにこの悲しい逆ギレ……」

 

「男の人とまともに会話できないこのあたしが! 推し相手に自己主張できるわけないじゃん! そんな高望みする寧音にも責任がある!」

 

「お、おおう……」

 

「たしかにお兄さんに家まで送ってもらった! それは事実だし言い逃れはしない! でもそもそも今日お兄さんと会う予定なんてなかった! 急に会うってなって、急に送ってくれるってなって、頭の中真っ白で気がついたら家の前! なんか楽しかったなっていうぼんやりした記憶しか残っとらん! そんな精神状態で狙ったテーマでトークしろとか無理言うな! あたしは悪くない! あんたが悪い!」

 

「うわぁ……ゆー姉のコミュ力のなさを寧音は痛感してるよ……。オタク力が高いのがまたいいアクセントになってるよね。そうだね、幼稚園児に因数分解やれっていうのと同じだもんね。できないことをさせようとしてごめんね、ゆー姉。寧音が悪かったよ」

 

「わかればいいんだよ」

 

 憐れむような目をしながら、寧音はあたしの上から退いた。

 

 過激派オタクによる天誅が目前に迫っていたけれど、良心に訴えるあたしの懸命で誠意ある説得により命からがら助かった。やっぱり人間、困った時はパッションなんやなって。姉の威厳とかは尊い犠牲になったけれど。

 

「はぁ……ゆー姉は役に立たないし、想いは推しに届かないし、姉妹で関わりが一番ないし、なんで寧音だけこんな目に……。ゆー姉もきー姉も女子力低いくせに……」

 

 怒りが霧散したからか、それとも呆れ返ったのか、へにゃへにゃと足の力が抜けてぺたん座りした寧音が俯きながら言う。一見落ち込んでいるようで可哀想にも見えるけれど、言っていることはとことん姉二人を、とくにあたしを扱き下ろしたものだ。同情するだけの価値はない。

 

「女子力や社交性が決定的差ではないことが証明されちゃったな。なんだろ……運命って、やつなんじゃないかな?」

 

「きっしょ……。でも実際ゆー姉のほうがお兄さんと近い……。運命以外で、寧音とゆー姉の違いって……」

 

 なにがなんでも運命は認めたくないらしい。まぁ、運命なんて持ち出されたら抗いようがないからね。一昔前二昔前の少女マンガだったら勝確である。寧音はこんな派手でちゃらけた外見をしておきながら意外と乙女チックな感性も持ち合わせているのだ。

 

「なんなの、乳? 乳なのか……」

 

 自分の胸元を手で押さえながら、まるで呪詛でも吐くように寧音はぼそぼそと呟いていた。

 

 それが武器になるのならあたしは苦労しないだろうし、それが武器になるのならあたしはこんなにお兄さんに好印象を抱いてないんだよなぁ。

 

「スタイルとかはまったく関係ないよ。断言できる」

 

「は? なんで?」

 

 めちゃくちゃに喧嘩腰だ。言葉に険がある。

 

 社交性が高くて友だちもたくさんいて、流行りにも詳しくて勉強までできるというマルチプレイヤーなハイスペックオタクの寧音の唯一の弱みがバストの成長の悪さなのだ。

 

 足を綺麗に見せたりウエストを引き締めたりなどであれば努力すればできるが、胸は努力するにも限界がある部分。そこを言及されると寧音はすぐキレる。言い方を間違えれば口より先に拳で語ることもある。

 

 だがこの情報は寧音にとっても有用なはずだ。そこで悩まなくていいというのは気が楽になる。武器にならないという点では悩むかもしれないが。

 

「お兄さんは、人と喋るときは目を見て喋るんだよね」

 

「ええっと……。あの、さ……ゆー姉は知らないかもしれないけど……一般常識、だよ?」

 

 わりと本気で憐れんだような瞳を向けられた。優しげな物言いになっているところが特に(かん)(さわ)る。

 

「黙れ。知っとるわ。そうじゃなくて、視線が動かないんだよ。体に向いたらわかるもんじゃない? それがないっていうか。男の人って結構視線が体に移るでしょ?」

 

「あー、そういう。ふつうに外歩いてたら足とかに視線感じたりするもんね、たしかに」

 

「でしょ? 買い物とかしてても顔、胸、足って視線移ってくもんじゃん」

 

「…………」

 

 急に、すっ、と寧音の丸い瞳からハイライトが抜け落ちた。若干前傾姿勢になっている。あまりにも寧音が煽ってくるから、たまに胸のサイズでマウント取り返したりはするけど、今回はそういう話ではないのだ。

 

「違う! 今は胸がどうこうとかって話じゃない! ステイ! ビークール!」

 

「ふぅ……ふぅ、今は関係ないもんね。そう、関係、ない」

 

「よーし、いいぞー、深呼吸しろー。で、話戻すけど……男の人はそういうもんって聞くけどさ、やっぱりあんまり気持ちのいいもんじゃないわけじゃん。じろじろ見られるの」

 

 あたしは寧音ほど頻繁に外出しないけれど、それでもまったく外に遊びに行かないというわけでもない。買い物に行ったりカラオケに行ったりすることもある。そうやって遊びに行く時は、常にあの外見だけならパーフェクトガール礼愛が隣にいるけれど、それでも視線は感じるのだ。なのできっと、男の人は脳みそがそういうふうにできているのだろう。大きい胸がそこにあれば、眼球が勝手に焦点を合わせるのだ。

 

「まぁそういう男はたくさんいるよね。寧音は『はっは、寧音の可愛さに見惚れとるわ』って思ってるよ。気分がよくなる」

 

 なんだこいつ、メンタル強すぎんか。

 

「……なにその高すぎる自己肯定感。ちょっと羨ましいよ。あたしは見られるの苦手なんだけど……でも、お兄さんはね、絶対視線が動かないんだよ。まるで眼球通して脳みその中まで見透かされてるんじゃないかって思うくらい、目を見て話すんだから」

 

「脳みそ見透かされてるとかって発想するゆー姉が気持ち悪いなって思う気持ちと、推しとアイトゥアイで会話してるゆー姉に嫉妬する気持ちで今ちょうどフィフティ・フィフティ。気をつけて。寧音どうなるかわかんない」

 

 上半身を前に傾けては元に戻す寧音。手を見やれば硬く握りしめられている。どこで嫉妬爆発のスイッチを押すかわかったものじゃない。

 

 寧音が理性を失う前に結論を急ごう。

 

「殴られたくないから気をつける。つまりお兄さんはスタイルがどうとかってあんまり気にしてないと思うんだよね。巨乳好きだったり脚フェチだったらとくに目線がそっちに動くだろうし。少なくともあたしがお兄さんを見てた時、体に視線が動いた覚えはないよ」

 

「体だけはエロいゆー姉が言うなら間違いないか……」

 

「姉に対してエロいとか言うな」

 

「実際そうだよ。でも安心して? 中身で萎える」

 

「余計ひどい……」

 

「でも、そうだとしたらお兄さんがゆー姉を気に入ってる理由ってなんなの? れー姉の友だちだから?」

 

「やめてくれ、その理由はあたしに効く……。あ、礼愛も言ってたことだけど、お兄さんは友だちいないらしいからそれでじゃない?」

 

「……ん? え、なに、どゆこと?」

 

「だから自分の近い人には優しくする、みたいな? 友だちがいないから距離感がわからないんだと思う。あたしも似たようなもんだし」

 

「れー姉から話を聞く限り、お兄さんは完璧超人なのに友だちいないのか……ん、ちょっと待って? ってことは懐に飛び込んでしまえばお兄さんは誰にでも優しいってこと?!」

 

「サンプルがあたししかいないから確証はないけど、今のところはおそらくそう」

 

「どうしよう! 推しにちょろい疑惑が出ちゃった?!」

 

「何言ってんだこいつ」

 

 とうとう脳みそが沸騰したらしい。特別賢いなんて期待はしていなかった。でもバカではないとは思ってたんだけどなぁ。

 

「今はまだ、推しを目の前にしたらクソザコナメクジに塩かけたみたいな体たらくになるゆー姉しか周りにいないけど」

 

「そのボキャブラリーはどこで培ったの?」

 

「もし男を手玉に取るような悪い女が現れたら……推しが危ない! 寧音が……寧音が守護(まも)らねば!」

 

 天啓でも得たかのように、はっ、という表情をした寧音は急に立ち上がった。深刻な雰囲気を携えながら扉へと駆け出す。

 

「いやどこ行くんだよ」

 

 スピードが乗る前に寧音の健脚を捕まえた。ぺぎゃっ、みたいな無様な声がしたけれど、このまま家を飛び出して世間様に迷惑をかけるよりかはましだろう。家族に迷惑かけるのはいいけど世間様のご迷惑になるのはいけない。いや正直なところ何をするつもりなのか少し気になるけれど、お兄さんに迷惑かけるのだけは見過ごせない。

 

「いらぃ……ゆー姉なにすんの! このかわいい顔に傷がついたらどうしてくれる!」

 

「あんたが妄想を繰り広げたまま家を飛び出して家名に傷がつくよりずっといいよ。……安心しなって。いかにお兄さんが人がよかったとしても、隣にはずっと礼愛が付き纏ってるんだから。変な女は寄ってこれないよ」

 

「そっ……れもそっか。なら安心だ」

 

「いきなり落ち着くな」

 

 すん、と急に平静を取り戻した寧音は自分のノートPCの前に戻った。かたかたとキーボードを打ったかと思えばタッチパッド上ですすっ、と指を滑らせていた。時間はまだまだあるけれど、お兄さんの配信の視聴準備でもするのか。それとも何か調べ物でもしているのか。

 

 と、ここで思い出した。礼愛からお兄さんの配信と礼愛の配信の同時視聴をお勧めされていたのだった。

 

「ねぇ。お兄さんの配信、観るよね?」

 

 PCのディスプレイに向けられていたくりくりとした瞳が更に大きく見開かれ、あたしに向けられた。

 

「は? なんで?」

 

 心の底から何言ってんのかわかんない。寧音の表情はありありとそう物語っていた。

 

 あれ、おかしいぞ。寧音はお兄さんの配信を観ないつもりなのだろうか。同時視聴する際には寧音のノートPCでお兄さんの配信を覗かせてもらいながら、あたしのPCで礼愛の配信を視聴しようと思っていたのに。

 

「え? 観ないの?」

 

「いや、観るよ。観るに決まってんじゃん」

 

「えぇ……。なんだったの、さっきの無駄なやりとり……」

 

「ムダなのはゆー姉の質問だよ。お兄さんの配信があるなら答えは『観る』以外にないでしょ。なに言ってんの、当たり前じゃん。そんなの『人って寝るの?』って質問してんのと同じだよ」

 

「価値観がオタクすぎる……。ま、まぁ観るんならいいや……。今日礼愛も同じ時間に配信するらしいから、画面見してほしいんだけど、いい?」

 

「ほーん、いいよ。……って、え゛!? れー姉も配信やってるの?!」

 

「あれ? 言ってなかったっけ? そもそもお兄さんがVtuber始めた理由が礼愛だよ。礼愛がお兄さんに、一緒にやろー、って言ったからお兄さんもVtuberになったんだって」

 

「そうだったんだ?! ていうかそんな理由で『New Tale』に入れちゃったんだ?! すごっ! あ……もしかして推薦とかで入った、みたいな?」

 

 裏口入学、とは違うか。口利き、縁故採用なのか、と疑っているのだろう。安心するがいい、寧音。我らの推しは清廉潔白だ。あたしのように楽な道に流されるような怠惰な人間性をしていないのだ。

 

「いや、礼愛が言うには、お兄さんは黙ってたんだって。他の応募してる人たちよりも有利になるかもしれないからとかって。面接の時に礼愛のお兄ちゃんだってことはバレちゃったみたいだけど、そこでバレなかったら採用が決まるまで自分からは言わないつもりだったんじゃない?」

 

「くふっ、にひひっ」

 

 肩を震わせながら、奇妙な笑い声をあげる寧音。口元を押さえているが声は全然抑えられていない。夜道を歩いていてこんな声が聞こえてきたら生命の危機を感じるところだ。

 

「なんなの、その気持ち悪い笑い……」

 

「ふへへ……解釈一致」

 

 オタクの本能から滲み出る気持ち悪い喜悦の感情、その発露だったようだ。気持ち悪いことこの上ないが、あたしも同じモノをこの身に秘めているので大変共感できる。その話を聞いた時、あたしも解釈一致と歓喜に打ち震えたものだ。

 

「それは同意だけども。そんなわけで、画面見せてね」

 

「おっけー。寧音もれー姉の配信観たいから、ゆー姉のノートPC出してよ。そっちのデスクトップのほうのディスプレイはこっちから観にくいんだよね。だからノートPCこっちに持ってきて、寧音のPCの隣に置いてよ」

 

 寧音に言われるまで、昔使っていた自分のノートPCの存在を忘れていた。捨てた記憶はないので、今のデスクトップPCを買うまで使っていたノートPCはまだどこかにあるはずなのだ。お兄さんの配信は、どうせ同じ部屋で観ることになる寧音のノートPCを覗かせてもらえばいいやと目論んでいたから、思い出すことすらなかった。

 

「はいはい。……まだあれちゃんと動くのかな? そもそもどこにしまってるか……」

 

「じゃ、ゆー姉はノートPC準備しといてね。寧音は時間までに宿題片付けとくから。あぁっ……生きる活力があるとめんどい宿題もがんばれる!」

 

 ローテーブルに手をつきながら立ち上がると、寧音は自分の机に向かった。

 

 お父さんにおねだりして買ってもらった、必要以上に座り心地の良い椅子に腰掛け、スクールバッグをごそごそする。ノートやら教科書やらを引っ張り出すと、机の上に広げた。外見偏重の筆箱から装飾過多のシャーペンを手に取り、寧音は課された宿題に取り掛かる。

 

「…………」

 

 少し後ろに下がりつつ、寧音の肩越しからノートを盗み見る。寧音のイメージだと読みづらい丸文字で板書を写してそうだけれど、ノートに綴られた文字は非常に達筆だ。

 

 知らない人からすれば意外だろうけれど、寧音は一時期、書道をやっていた。小さい子の習い事の範疇を超えて、大人に混じって、である。一年か二年ほど前にやめてしまったが、わりと長い期間続いていたことを鑑みるに、性に合っていたのだろう。寧音は芸術家肌というか凝り性というか、そういった側面がある。だからイラストの上達も速いのだろう。ちなみにあたしも姉も寧音と同じように通ってはいたが早々に逃げ出した。あたしは昔からめんどくさがりの出不精だし、姉は人見知りの飽き性なのだ。

 

「ん?」

 

「あっ……」

 

 物が動く気配を感じ取ったのか、寧音が振り返った。

 

「なに? PC用意したの?」

 

「ま、まぁ……見つけたよ」

 

 充電は切れてるし埃は被ってたけど。

 

「それじゃあゆー姉も時間まで勉強とかしといたら? なんなら寧音よりもやらなきゃいけないんじゃないの? 進学するつもりなんだよね?」

 

「うぐっ……」

 

 一番痛いところを突かれた。

 

 高校三年、夏休みを目前に控えたこの時期、進学を考えているのなら何より誰より勉学に励むべきである。

 

「ほらほらぁ、いいのぉ?」

 

 寧音はにやにやと意地の悪い笑みを浮かべながらこちらを煽ってくる。これだから中途半端に器用で要領もよくて勘のいいガキは嫌いだよ。

 

「い、いいの! 今の成績維持できてれば! エスカレーター式で進学するつもりだから!」

 

「ふぅん。れー姉は? れー姉も同じなの?」

 

「あぁ……いやぁ……礼愛はほら、賢いから」

 

「付属の大学には行かないんだ? どこ志望か聞いてる?」

 

「国公立だって」

 

「ぶふっ……。まじで?」

 

「しかも模試A判定」

 

「すっごいなぁ、れー姉……それに比べて」

 

「やめろ。こっち見るな。比べるな。礼愛が特殊なの」

 

「ゲームたくさんやってて、配信もやってて、運動もできて、勉強まで? やばない? 超人じゃん」

 

「お兄ちゃんが勉強見てくれてる、って言ってたけど……なんなんだろ。礼愛はきっとお兄さんが関わってたらバフがかかるんだろうな」

 

 礼愛はゲームもお兄さんにいろいろ教えてもらってる、とも言ってた記憶があるのであたしの説はおそらく正しい。妹を甘やかすことにかけては万夫不当のお兄さんと、お兄さんに尽くされることに関しては天下無敵の礼愛なのだ。

 

「れー姉は……特殊すぎるからちょっと置いとくとして。ゆー姉も勉強しといたほうがいいよ。キープすらできなくなるよ」

 

 勉強してない奴に言われたのならいくらでも言い返せるが、友だちと遊んで帰ってきてもちゃんとその日の宿題をこなして、時間に余裕がある時は復習までやる出来のいい妹に言われてしまうとぐうの音も出ない。しかも高校受験を控えている妹に、である。

 

 OK,Go◯gle、姉の面目、取り戻し方。

 

「くっ……仕方ないか」

 

 引き出しの奥の方で眠っていた一世代遅れのノートPCも発掘できた。寧音のPCの隣にセッティングして充電中である。視聴準備は万端だ。

 

 そして宿題はもちろん、予習復習を含めた勉強には一切手をつけていない。なんなら最近学校の外で教科書やノートを開いていない。怠け者のあたしでは日々押しつけられる宿題を消化するだけで精一杯。

 

 そんなあたしだけど、妹にここまでこけにされて黙っているわけにはいかない。

 

 触発されたわけではないけれど、そろそろ頑張るとしようか。

 

「よし、まずはお風呂入ってくるわ!」

 

「あ。これ、やらんやつや」

 

 やるよ、勉強。当たり前だろ。ほかに予定がなかったらやるよ。ちなみにお風呂から上がったら部屋の掃除をしたくなる予定だ。

 




下校時の二人の様子をお兄ちゃんが見ていたら、きっとにっこにこだったんだろうなぁ、とふと思った。


*スパチャ読み!
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