サイコバグなお兄ちゃん、Vtuberになる。   作:にいるあらと

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悪いのは、わたしだったんだ。

 朝、わたしは事務所の自分のデスクでVtuber関連の匿名掲示板に目を通したり、SNSをチェックしていた。

 

 調べているのは主に、恩徳さんとレイちゃん──ジン・ラースとレイラ・エンヴィについて。昨日予告なしに行われた二人のコラボ配信がどれほど影響を及ぼしたのか、それを出来る限り把握しておきたかった。

 

「やっぱり……」

 

 ジン・ラースとレイちゃんのSNSのアカウントからは、昨夜にも予告していた今夜のコラボ配信の告知がされていた。その告知に対するコメントは、ポジティブなものもあるが同じくらいネガティブなコメントもある。それはジン・ラースのアカウントだけではない。誹謗中傷というレベルではないにしても、レイちゃんのアカウントでも棘のある投稿が並ぶ。

 

 ジン・ラースに理由があろうとなかろうと、関われば被害が拡大する。やはり予想通りの展開だった。

 

 レイちゃんは真面目な性格をしているし、先のことをしっかり考えられるくらい賢い。『New Tale』からのメッセージは必ず目を通していただろうし、メッセージをチェックし忘れていたのだとしても現状でコラボ配信すればどうなるかは理解できていたはずだ。

 

 それなのに、こうも派手に、しかも事務所の指示を無視して動くなんて、これまでのレイちゃんであれば考えられない。

 

「……それだけお兄さんが大事なんだね。……そうだよね」

 

 あまりレイちゃんに詳しくない人なら、レイちゃんの配信上であった通りに悪意あるリスナーに煽られてリア凸したと思うだろう。他のスタッフとも軽く話したけれど『あれだけ馬鹿にされたら、かっとなっちゃうよね……』と、レイちゃんに同情的な意見が多かった。その背景には、恩徳さんに荒らしを集中させることになってしまったという後ろめたさもあるからだろう。

 

 でも、わかる人にはわかる。

 

 聡明で冷静なレイちゃんが、あの程度の挑発で激昂するのは不自然だと。レイちゃんの配信にアンチが湧くのは稀だけど、そんな稀に発生するマナーの悪いコメントには辛辣な皮肉で返すか、凍りつくような冷笑でスルーするのがレイちゃんだ。わたしよりも歳下だけど、わたしよりも大人っぽい性格をしているレイちゃんが、あんな小学生の悪口の域を出ない程度の低いコメントを真に受けて同じ土俵に上がるなんて、彼女らしくない。

 

 ならば此度(こたび)のレイちゃんらしくない言動の理由はなんなのか。

 

 無論、お兄さんの存在だろう。

 

 常日頃から、表も裏もなくお兄さんを慕う言動を繰り広げているレイちゃんにとって、彼を取り巻いている今の環境はあまりにも耐え難いものだったのだろう。

 

 『New Tale』の指示を蹴るくらいには、看過できないものだった。

 

「…………」

 

 わたしは、わたしたちは、正しいと思って判断を下した。

 

 『New Tale』の、会社としての方針は、正しかったはずだ。取れる方策が他に見つからなかった、という後ろ向きな理由で決められた方針だったけれど、それでも正しくはあったはずだ。

 

 ただ、誰にとっても正しかったわけではなかった。

 

 少なくともレイちゃんにとっては、正しくなかったどころか間違ってすらいたのだ。だから『New Tale』に連絡の一本もなしに無断で動いた。その結果がすべてだ。

 

 レイちゃんの胸の内については、昨夜の突発コラボ配信の後に顛末を聞いたはずのあーちゃんから話してもらわなければならない。の、だけど。

 

「……今日はあーちゃん遅いなぁ」

 

 時計を見やれば、就業開始時間間近だ。いつもなら三十分前には事務所に着いてその日の仕事の確認作業をしているくらいなのに。

 

 電車が遅延でもしているのかと首を傾げていると、ようやくあーちゃんが姿を現した──

 

「……おあよ、ごじゃあす……」

 

 ──かなり憔悴した姿で。

 

「あ、あーちゃん?! ど、どうしたの?!」

 

 挨拶は元気よくはきはきと、とわたしに教育した本人とは思えない覇気のなさに驚いて思わず駆け寄る。

 

「……なん……いわ」

 

「な、なに? なんて?」

 

「……なんでもないわ」

 

「なんでもないようには見えないし聞こえないよ!?」

 

 いつもの怜悧なキャリアウーマン然とした印象は、今のあーちゃんからは完全に(こそ)ぎ落とされている。目元は隈がひどいし腫れてもいるし、なにより瞳が濁っているように見える。顔色の悪さをメイクで隠しきれていない。外見に気を回せないほど意気消沈してしまっている。いつもは艶やかな柳髪も乱れているし、スーツも皺が残っていた。

 

 いったいあーちゃんに何があったというのか。

 

 とりあえず何があったのか事情を聞こうと思ったけれど、その前にあーちゃんが呼び出されてしまった。ジン・ラースとレイラ・エンヴィ、恩徳兄妹についてだろう。

 

「……ねぇ、雫」

 

「え?」

 

 仕方ないので戻ってきてから話を聞こう。そう考えて席に戻ろうとしたが、あーちゃんに呼び止められた。

 

 振り向いてあーちゃんの顔を見る。

 

 その表情は、苦渋に満ちたものだった。

 

「今日の夜……予定は空いてる?」

 

「う、うん。大丈夫だけど……」

 

「……伝えなきゃいけないことがあるから、雫の家に行っていいかしら」

 

 今に血反吐でも吐きそうな顔色で、深刻そのものといった声色で、あーちゃんはそう呟いた。人に聞かせようという意思が感じられない声量だ。

 

「わ、わかったよ……」

 

 あーちゃんの不穏そのものとしか言いようのない口振りに戦慄しながらも、わたしは首を縦に振る。こんなあーちゃんを放ってはおけない。了承以外に選択肢はなかった。

 

 

 

 *

 

 

 

「ほら、ついたよ。あと少しがんばって!」

 

「……ええ」

 

 就労を終え、わたしはあーちゃんの手を引きながら帰宅した。手を引いていなければ風に流されてふらふらと飛んでいきそうなほど存在感が希薄になっていたのだ。朝の有様がまだマシだったなんて思いもしなかった。ゾンビでももう少ししゃきっと歩ける。

 

 そんな走らないタイプのゾンビよりも動作が緩慢なあーちゃんを部屋に引きずり込んで座らせる。

 

 わたしは冷蔵庫からビールを二本とおつまみを少々取り出してテーブルに並べた。

 

 晩酌というにはまだ外は夕暮れだけれど、もう飲んでしまおう。アルコールが入ったほうがあーちゃんの口も回りやすくなるだろう。

 

 それにあーちゃんがこんなに弱っているのは、おそらく昨日、レイちゃんから事情の聴き取りをした時に何かがあったからだろう。

 

 そういう嫌なことがあった時にはお酒というものは非常に便利だ。嫌な事を忘れるなり誤魔化すにはうってつけ、心の潤滑油である。問題の解決にはならないけど。

 

「はい、あーちゃん。まずは乾杯しよう! 今日もお疲れ様でした! かんぱーい!」

 

 あーちゃんの様子からして、確実にこれから話す内容は明るいものにはならないのだ。ならばせめて今だけは楽しくお酒を飲んでいたい。

 

 ぷしゅっ、といい音を鳴らしながらプルタブを開け、その開けた缶を虚な瞳をしているあーちゃんに握らせて、わたしはもう一本自分用のビールを開けた。あーちゃんの手を握りながら無理矢理に乾杯して、缶ビールを傾けて喉に流し込んだ。

 

「ぷはぁ。やっぱり仕事終わりはビールだよね、おいしっ」

 

 飲み始めたばかりの時は苦いとしか思わなかったビールも、今じゃ美味しく感じるような歳になってしまったよ。時の流れは残酷だ。

 

「……乾杯。頂くわ……」

 

 ぼーっと飲み口を見つめていたあーちゃんが、ビールに口をつけた。一口含んで、魂ごと抜けそうなため息を吐くと、一気にビールを傾けた。喉を鳴らしながら呷り、そのまま飲み干した。乾杯って、いや確かに飲み干すって意味だけど、現代人にとってはそうじゃないよ。

 

「あ、あーちゃん……」

 

 飲み干した缶ビールを勢いよくテーブルに打ちつけて、あーちゃんは据わった目をわたしに向けた。

 

「ふぅっ……雫、おかわり」

 

「う、うん……それはいいけど、次はゆっくり飲んでね? 体が心配だよ」

 

 普段、あーちゃんは無茶な飲み方をしない。なんならわたしが飲み過ぎないように窘めるくらいの立場だ。

 

 そんなあーちゃんが、こんなやけくそみたいな飲み方をするなんて相当精神的に参っているようだ。後に必ず訪れるアルコールの反動が今から恐ろしいけれど、ここまできてしまったのならもう、いっそのこと腹の底に溜まったもやもやを全部吐き出してもらおう。ちなみに比喩的な表現である。リアルに諸々を吐き出されてしまっては困る。

 

 席を立って所望されたおかわりを取り出し、あーちゃんに手渡す。今回は自分で開けた。そしてすぐに口をつけた。

 

 わたしの忠告を聞かずにまた飲み干すつもりなのではないかとひやひやしたけれど、ちゃんと一口二口くらいで留めてくれた。

 

 よかった、まだ言葉が通じる程度の理性は残っているようだ。

 

「……私も最初は、礼愛さんがリスナーに煽られてあんなことをしたのだと、思っていたのよ……」

 

 一度缶ビールを置き、あーちゃんは手を組んで俯くように目線を下げながら話し始めた。

 

 あーちゃんが仕事とは関係なしのプライベートで恩徳さんの『Island(アイランド) create(クリエイト)』配信を視聴していたところから始まり、配信途中でレイちゃんのリア凸事件を経て、コラボ配信になり、最終的に翌日の夜──つまりは今日の夜である──にFPSコラボ配信の予定まで取り付け、配信が終わってすぐに恩徳さんから経緯と事情の説明をする旨の連絡が届き、恩徳さん同席の上でレイちゃんから説明を受けた。

 

 というのが、昨日あった出来事だそうだ。

 

「……私は、何も言い返すことができなかったわ……。礼愛さんの言い分を否定することも、礼愛さんが事務所の指示を無視したことを責めることも、『New Tale』の対応は正しかったのだと断言することも、何もね……」

 

「……ちょっと待って? ……考える時間をもらってもいい?」

 

 驚愕の事実が驚愕するほど多くて、頭が良く回らない。話の内容が呑み込めない。まだ噛み砕いているところだ。どんどん詰め込んでこないでほしい。情報を咀嚼して呑み下すだけの時間をもらいたい。

 

 わたしの思考能力を奪った衝撃的な情報は、とりあえず二つだ。

 

 一つは、事務所で聞いた説明と違うということ。

 

 朝に事務所で行われたスタッフに対する説明では、恩徳礼愛さんは配信中、荒らしから悪質なコメントを受けて頭に血が上ったことで冷静さを失い、兄妹であることを証明するために兄である仁義さんにリア凸した。事務所の指示に反した礼愛さんの行動は問題があるけれど、事務所として定めた方針は親族である礼愛さんへの説明や配慮が不足していた。そういった事情を勘案して礼愛さんは厳重注意処分とする。

 

 そういった経緯があっての結果であり、処罰だった。事務所ではそう説明を受けた。所属ライバーには、先述の説明に加え、事務所の示す騒動対応策の例外とする旨を通達することとなった。

 

 もとよりお兄さんの立場に心を痛めていただろうレイちゃんだ。そんな時に荒らしから酷いコメントを受ければ、いかに冷静沈着で歳不相応に大人びたレイちゃんといえど耐え難いものがあったのだろう。他人ではわからない、誹謗中傷を受けた本人でしか感じられないものがあるのだと、そう思っていた。

 

 それが、まさか。

 

「……ぜんぶ、演技だった?」

 

「計算尽く……だったらしいわ。仁義君が礼愛さんを諭してくれていなければ本音を聞き出すこともできなかった」

 

「なんだかレイちゃんにしては軽率だとは、思ってたけど……」

 

 他人にどれだけ恩徳さんを貶されようと、周囲からの酷評にどれだけ苛立ちが募ろうと、そんな囀りを丸ごと無視できるほどにレイちゃんの中にはお兄さんへの確固たる信頼がある。あんなに簡単に挑発に乗るわけがなかったのだ。

 

 あえて安い挑発に乗ったのは、レイちゃんの目的のため。

 

 全ては、コラボ配信にまで話を運ぶレールを敷くための芝居でしかなかった。そう答えを聞かされて、驚きながらも腑に落ちてしまう自分がいる。

 

 今印象付けている『悪魔兄妹』という設定でこれから先もコラボを予定しているのなら、レイちゃんが介入するタイミングは確かにこれ以上なく完璧だった。あまり何回も配信していれば、仲のいい兄妹という設定なのになんで兄のフォローをしなかったのだと詰問される。しかし兄妹という部分を証明できなければ炎上の燃料にされるだけ。

 

 兄妹であることを証明しつつ、二回目の配信で介入する。それが限りなく絶好のタイミングだった。兄想い(ブラコン)の妹という立ち位置的に、それ以上の時間を空けてはいけなかった。

 

 先を見据えてブランディングまで考えているあたり、実にレイちゃんらしい。

 

 でも、そこまで考えていたのなら。

 

「こっちに……一言でもいいから、事務所に話を通してくれれば……」

 

 衝撃的な情報の二つのうちの一つが、ここである。そこまで見据えていたのなら、その先まで考えを巡らせていたのなら、こちらに根回ししてくれてもよかったのではないのか。

 

 そうすれば、わたしたちだって何か協力できることもあったかもしれないのに。

 

「『信用してなかったから』」

 

「え?」

 

「……私たちが、礼愛さんの信頼を裏切ったから相談しなかったのよ」

 

「うら、ぎったって……」

 

「なぜそんなことをしたのかと訊ねたら、感情を露わにして涙交じりに激昂されたわ。『お兄ちゃんを体のいいスケープゴートにしたからだ』ってね……」

 

「っ…………」

 

 それは違う、と。

 

 反射的に声を荒らげそうになったけれど、あーちゃんに言っても詮ないことだし、なにより否定する材料がない。実際に、そのような立場に追いやったのはわたしたちだ。

 

「……コミュニケーションアプリに、先輩も同期も、誰のIDも登録されていない。矢面に立たされている人が蔑ろにされ、たった一人で辛く苦しい配信を強要される。こんなことがあっていいのか。これが正しい対応だと、今でも本当に思っているのか。……そう問い質された時、私は何も言えなかった。……言えなかったのよ、事務所の対応は正しいことだった、って……」

 

「……ねぇ、あーちゃん。……やっぱり間違ってたのかな、わたしたち……」

 

「マクロ的に見れば……間違っていないわ。現状は仁義君が語った推測通りになっている。荒らしたちの目は不思議なくらいすべて仁義君へと向いていて、他の子たちにはまるで影響がない。各々のチャンネルのリスナーが少し騒ついているけれど、それも対処ができる範囲内に収まっているわ。これまでとほとんど変わらずに活動ができている。運営としては、極力被害を抑えられていると言えるのよ。ただ……礼愛さんの視点からでは景色が全く違って見えるから……」

 

「大好きなお兄さんが不当な扱いを受けているのに『New Tale』は守ってくれなかった。そういうふうに見えちゃうよね……」

 

 ふと、あの時に自分がもっといい方法を思いついていれば、状況は違っていたのかな、などと今更考えても仕方がないことを考えてしまう。

 

 四期生のデビューの数日前。件の男女Vtuberの炎上騒動が一段階過激になってから事務所で話し合っていた時に恩徳さんが示した三つの策。一つに情報を持たないことによる自衛。二つに交流を絶つことによる被害の拡大防止。三つに対応を維持して時間の経過を待つ。

 

 一つ。他の所属Vtuberは情報を持たないことで自衛ができる。これは、リスナーにジン・ラースについて質問されても『事務所からは何も聞かされていない』という逃げ道を作るため。そうすれば誤魔化すことも、嘘をつく必要もない。コメントを無視することもしなくていい。所属ライバーはリスナーに対して堂々と誠意のある対応を見せられるし、ライバーのその振る舞いを見てリスナーは安心できる。

 

 二つ。ジン・ラースと交流を持たないことで炎上の拡大を防ぐ。これは所属ライバーに被害を与えないようにするため。どれだけ非合理的でも、荒らしのターゲットと関わったら炎上に巻き込まれるのは件の男性Vtuberの事例で証明されている。荒らしの目をジン・ラースに集中させることで他のライバーがこれまで通り活動できるようにする。誹謗中傷に晒されて心に傷を負うような最悪な事態を避けることができる。

 

 三つ。その対応を維持して(ほとぼ)りが冷めるのを待つ。これは事務所の経営を維持するため。会社としては利益を出さなければいけない。他の所属ライバーが関われば火に油を注ぐことになるし、関わったライバーにも被害が及ぶ。それは減益にも繋がる。収益を確保しつつ減益を可能な限り小さくするという点のみを考えれば、今はまだ大した利益を生み出さないジン・ラース一人に荒らしの注意を集めるのが一番合理的。

 

 この一連の対処こそが、もっともイレギュラーが発生しにくく、もっとも被害を抑制した上で、もっとも運営を継続しやすい。先輩方もこれまでと特別変わったことはしなくてもいい。

 

 理路整然と恩徳さんに説明され、わたしたちはその案の有効性を認めざるを得なかった。

 

 わたしたちも『それだと恩徳さんが集中的に悪意に晒されることになる』と注意はしたけれど、恩徳さんは『そういうの気にできないので大丈夫です』といって引かなかった。恩徳さんの提案を退けるにはより良い案を出すしかなかったけれど、わたしたちには代案を用意することができなかった。結局彼の厚意と挺身に甘える格好になってしまったわたしたちに、言い訳はできない。

 

「守ってくれないどころか、という話よね……。『New Tale』は生贄を立てた、と礼愛さんに言われたわ。損切りだと、そう言われたわ……」

 

「ちっ、ちが……っ」

 

 違わない。

 

 内情や過程がどうであれ、至った結果を見れば何も違わない。

 

 少なくとも、レイちゃんの視点からではそうとしか見えなかっただろう。

 

 他の所属Vtuberは後ろに隠し、ジン・ラースを孤立させて目立たせる。その結果、ヘイトはすべてジン・ラースと、ジン・ラースをデビューさせた『New Tale』に向けられる。そのように仕向けられている。恩徳さんの策は感情の矛先まで計算されている。

 

 しかしレイちゃんはそのようなやり方を、盾のように使われている、と感じたのだろう。

 

 実際その通りだし、それ以上にひどいのだから釈明のしようもない。

 

 このやり方は、攻撃の対象を『ジン・ラース』と『New Tale』の二つに分けるものだ。

 

 攻撃される対象が『New Tale』であれば、まだいい。『New Tale』は組織だ。どのような誹謗中傷も、もちろん腹立たしくは感じるし、多少は傷つきもするけれど、それでも名指しで罵倒されるわけではない。非難される対象が『New Tale』という形に広がるため、受ける悪意の密度も数も薄まる。

 

 でも、恩徳さんの場合は違う。『New Tale』全体に向けられるものと同じだけの質量の悪意が、あるいはそれ以上が、たった一人に凝縮して向けられる。それがどれほどのストレスになるか、わたしでは想像もできない。

 

 しかも、その立場から逃げることもできない。

 

 わたしたちは『辛ければいつでも活動を休止していい』と、せめて少しでも彼の負担にならないようにと逃げ道を用意したけれど、彼はそれを否定した。『配信活動は続けなければいけません』と、そう言っていた。

 

 怒りをぶつける相手を失えば、その矛先は収められることなく他へと向けられる。そして次に標的になるのは攻撃対象と関連のあるところ、つまりは『New Tale』と、その所属Vtuberになる。

 

 これは件の男女Vtuberの事例で実証されている。最初は荒らしたちも当事者である件の男Vtuberを叩いていたが、その男が表に出てこなくなった途端、その男が所属していた事務所へと矛先を変えた。叩く相手がいなくなれば叩くのをやめるようになるのではなく、関係者へと目を向ける。たとえ、どれだけ理不尽で筋の通らないものだとしても、実際に斟酌(しんしゃく)なく起こり得る。

 

 ジン・ラースが表に出てこなければ出てこなかったぶんだけ、他のVtuberが被害に遭う。その憂慮によって、彼は活動休止という手も取れない。

 

『身を隠すことも許されず、同期にも先輩にも助けを求められない。なのに事務所は庇ってくれない』

 

 レイちゃんがそんな考えに行き着いたのであれば、わたしたちに相談しなかったのはもはや必然と言える。相談したところで否定されるか、今は動かずに様子を見ろと言われるか、なんであれコラボ配信の許可は下りないとレイちゃんは予想したのだろう。『New Tale』にはお兄ちゃんを守る意思がない、そう結論付けたのだろう。

 

 実際に相談されていたとしても、運営サイドは現在行なっている対応策と反することを理由にレイちゃんの計画を認めはしなかったはずだ。この時点ですでに両者の考え方が食い違っている。

 

 事務所の考えとは真逆にレイちゃんの計画では、兄妹であることを示すためにはリア凸という段階を踏むことが不可欠だった。その日の、その配信の、その時に流れてきたコメントによりリア凸を決心し、打ち合わせや口裏合わせをする時間など作らずにすぐさま行動に移し、同じく配信中のお兄さんの部屋に突撃する。お互いに準備をする時間的余裕などなかったことはお兄さんとレイちゃんの配信を見ていたリスナーの全員が証人になる。レイちゃんが現役の学生であることはすでに知られているので、同棲している彼氏の部屋にリア凸しただけじゃないのか、という指摘も潰せる。学生の身分で彼氏と同棲なんてできないだろうという常識が推測の裏付けに役立ってくれる。個人情報を直接的に開示することなどできない以上、本当に兄妹であると証明するにはこのようなやり方しかなかった。

 

 考えれば考えるほどに、レイちゃんは独断で動くより他に手がない。

 

「……仁義君が頻繁に事務所に足を運んでいたこと、礼愛さんも知っていたのでしょうね。仁義君がそういう提案をするということを、礼愛さんはわかっていたそうよ」

 

「わ、わかっていたんなら、どうして……っ」

 

 どうして、恩徳さんを止めるようにレイちゃんが一言言ってくれなかったのか。

 

 などという責任転嫁も甚だしい、鉄面皮極まる言葉を寸前のところで呑み込んだ。

 

 レイちゃんに恩徳さんを止めなかった責任はないし、止める義務もない。

 

 その責任と義務を果たさなければいけなかったのは『New Tale』だ。恩徳さんの案を退けて、より良い対案を出さなければいけなかったのは我々だったのだ。ただでさえ恩徳さんに負担を強いているわたしたちが、その責任すらレイちゃんに負わせようとするのは無恥が過ぎる。一瞬でもそんなことを考えて口に出そうとしたことが、すでに大人として情けない。

 

「礼愛さんはわかっていた。わかっていて止めなかった。……信じていたそうよ」

 

「信じ、て……って」

 

「……私たちが、誰か一人を犠牲にするような手段なんて取らないと、仁義君をスケープゴートに仕立て上げるような真似はしないはずだと……。仁義君がそんな提案をしても断ってくれる、はずだって……。その時はまだ……私たちに、期待……してくれていたのよ」

 

 あーちゃんは声を震わせながらそう言って、力なく項垂(うなだ)れた。

 

「────」

 

 呼吸が浅くなっていることを自覚する。頭の中が真っ白になる。

 

 わたしは声も出なかった。悲痛な面持ちで話してくれたあーちゃんへ、かける言葉も思い浮かばなかった。

 

 レイちゃんは、何も変わってなどいなかった。

 

 レイちゃんは可愛くて綺麗で賢くて、そしてなにより人の心に寄り添える優しい子だった。

 

 そんな子を傷つけて悲しませて追い詰めて、その在り方を歪ませたのはわたしたちだ。

 

 恩徳さんが提案した、一人を犠牲にする方法なんてわたしたちが絶対に認めないはずだと、レイちゃんは期待してくれていた。

 

 レイちゃんにとって恩徳さんは──お兄さんは、何を置いてでも優先する大事な存在だ。お兄さんのことで手を抜くことも気を抜くこともないそんなレイちゃんが、お兄さんに纏わる事柄であったのにわたしたちに任せてくれていた。

 

 それは、わたしたちを信用してくれていたからに他ならない。守って庇ってくれるものだと信じてくれていた。

 

「……あぁ、そっか。悪いのは……」

 

 悪いのは、わたしたちだったんだ。

 

 レイちゃんから寄せられていた期待を裏切り、信頼を踏み躙ったのはわたしたちだ。

 

 問題の解決策を考えもつかないくせに、文句ばっかり言って。

 

 結局全部任せて頼っているくせに、注意する時だけは一人前で。

 

 対岸の火事のように評論家ぶって傍観して。

 

 他人事のように善人面で心配して。

 

 特にわたしなら、レイちゃんへのフォローもできたはずなんだ。レイちゃんと交流があって、どのような性格で、どのような価値観を持っているか、どれほど大きな感情をお兄さんに向けているか、すべてわかるとまではいかなくても一定の理解はあった。

 

 それなのに、業務にかまけてレイちゃんへの説明を失念していた。多忙を言い訳にして疎かにしていた。事務所の方針をレイちゃんに伝えて嫌われるのを恐れていた。

 

 悪いのは、わたしだったんだ。

 

「礼愛さんに追及された時……私は何も言えなかった。『New Tale』の対応が経営の観点から見て間違っていなくても、礼愛さんの視点から見れば間違っていた。どちらがより正しいかなんて、優劣をつけることは私にはできなかった……」

 

「……そんなの、誰にもできないよ」

 

 だって、初めから答えなんて用意されていないのだ。どちらかしか選べなかった。どちらかは捨てるしかなかった。

 

 恩徳さんを選ぶか『New Tale』を選ぶか、どちらを選び、どちらを捨てるかしかなかった。

 

 恩徳さんを守る選択肢を取っていれば、恩徳さん一人がこれほど酷いことにはなっていなかっただろう。四期生でコラボするなり、箱内でコラボするなりすれば、恩徳さんの居場所を作れた。話す相手も、ゲームを一緒にする相手もできたはずだ。でもそうした場合、所属ライバー全員に被害が及ぶことになっていた。これまで荒波無く平穏に配信をしてきた子だっているし、まだ若い活動者もいる。そういった子たちは突如向けられる誹謗中傷には耐えられない。とても傷つくことになる。

 

 一人がすべての悪意を受け止めるか、全員が満遍なく悪意に晒されるか。その選択だった。

 

 わたしたちがそんな究極的な選択に迫られた時、恩徳さんは自ら名乗り出てくれたのだ。自らの提案がどれほど合理的で効率的かを説いて、矢面に立つ決心をしてくれた。

 

 それを、わたしたちはただ苦々しい思いを噛み締めて黙って受け入れるしかできなかった。

 

 そんなわたしたちが、大事な人を傷つけられたレイちゃんに対して何が言えるというのだ。

 

「……どれだけ苦しくても、あの場では……『New Tale』の対応は正しかったと、そう断言すべきだった。『New Tale』を信じて、一人矢面に立っている仁義君に対して、正しかったのかどうか迷っている時点であまりにも不誠実なのよ。……何も言えない私に、仁義君が小さく呟いたわ。『応えはない、か』と。……きっと思わず口を衝いて出たんでしょうね」

 

「恩徳さんが……」

 

「あの落胆したような、失望したような……仁義君が小さく呟いたあの言葉が……まだ私の心臓に突き刺さってる……」

 

「あーちゃん……」

 

 あーちゃんが胸元を手で押さえながら、まるで懺悔するように言った。

 

「絶対に嫌われたわ……絶対に……っ。一番嫌われたくない人から嫌われて、礼愛さんからも嫌われた……。ようやく距離が近づいてきたように感じていたのに……っ」

 

 ごん、とテーブルに頭をぶつけながらあーちゃんは突っ伏した。凍えるように震えながら、嗚咽を殺しながら、縮こまるように突っ伏していた。

 

「だ、大丈夫だよ、きっと。レイちゃんから聞いているお兄さんの印象ならきっと。……嫌われて、しまう可能性はなきにしもあらずって感じだけど……いつか許してくれるはずだよ……」

 

 レイちゃんはよく恩徳さんの話をしてくれていた。こちらがわざわざ質問しなくても率先して話してくれていた。その話を聞いてきた限りではあるけれど、恩徳さんは誰かを恨んだりなどしない。レイちゃんはお兄さんから叱られることはあっても、これまで一度も理不尽に怒られたことはないらしい。そんな慈悲深い恩徳さんなら、今はネガティブな印象を持たれていたとしてもいつかきっと、将来的にどこかで許してくれるはず。

 

「せっかく仁義君の担当になれたのに、こんな役回り……なんで私がこんな目にっ」

 

 突っ伏したまま、あーちゃんは拳を握ってテーブルに叩きつけた。

 

 その予兆を感じ取っていたわたしは、自分とあーちゃんの缶ビールが倒れないように確保していた。

 

 アルコールがいい具合に回ってきているようだ。自分の中に溜め込むのではなく、不満や苛立ちを外に吐き出せるようになっているのはいい兆候である。できるだけ物には当たらないでほしいけど。

 

「大丈夫、大丈夫だよ。恩徳さんとレイちゃんには、騒動が一段落ついた時にありがとうとごめんなさいを一緒に言おう? 恩徳さんなら、きっと……たぶん、おそらく許してくれるよ。レイちゃんだって、ある程度はわかってくれてるはずだよ。わたしより賢いんだから、きっと頭では『New Tale』のやり方にも三分(さんぶ)……は、無理か……。一分(いちぶ)くらいの理はあると思ってくれてるよ。お兄さんが関わっているからちょっと精神的に余裕がなくなっちゃっただけで……。そういうふうに最初に言ってくれてたんでしょ?」

 

「ぐすっ……ええ、そうね。礼愛さんはわざわざ前もって言ってくれていたわ。個人に対してどうこう思っているわけではないと……そうよね。その注釈の後にされた話が衝撃的すぎて頭から飛んでいたけれど……言っていたもの」

 

「そうだよ! レイちゃんも恩徳さんも、誠心誠意説明して謝ったらきっと許してくれるよ! …………いつかは」

 

 個人に対してどうこう思っているわけではないけど、わたしたちを含めた『New Tale』に対しては思うところがあるってことだから安心するにはまだ早いけど、それは口にしない。せっかく立ち直りかけているのに、あえてわたしの手で心を折る必要はない。

 

 わたしたちは取るべき方策を間違えた。後悔はしているし、反省もしている。この苦い経験を今後に活かす努力もしなければいけない。

 

 でも、その上でなら、わたしたちには開き直る権利がある。そもそもの原因にして諸悪の根源は件の男女Vtuberと、暴徒と化した荒らしリスナーたちにあるのだ。

 

 わたしたちは間違いを認めて、後悔して、反省して、開き直って、これからできることを全力でやっていく。二人をバックアップする責務がある。

 

 それだけが、今わたしたちにできる唯一の贖罪。

 

 だからまずわたしがすることは、親友にして頼りになる有能な同僚を使い物にすることだ。

 

 テーブルに叩きつけられたあーちゃんの手を取り、その手にビールを握らせる。

 

「ほら、飲もうあーちゃん! 今日は飲もう! 飲んで、これから心機一転がんばろうよ!」

 

「……ええ、そうね。雫、今日は泊まらせてもらうわ」

 

「いやどんだけ飲むつも……ううん! 泊まってって! 明日は休みだし大丈夫! ほら、もう一回乾杯しよ!」

 

「ふふ、乾杯」

 

「かんぱーい!」

 

 湿っぽい空気を払拭するように、缶をぶつける音が部屋に響いた。ちょっとこぼれた。

 

 




誤字修正報告ありがとうございます!

次でようやくFPS配信の様子がチラッと出てきます。がっつりやり始めるのは次の次です!

*スパチャ読み!
前回できなくてすいません!今回で前回の人の分も読ませてもらいますね!
siliconeさん、赤色のスーパーチャットありがとうございます!
セルキーさん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
りゅーけんさん、上限赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
イワシ【キリッ】さん、スーパーチャット、アリガトゴザイマァス!
如月風牙さん、上限赤スパさんきゅーっ!ありがとうございます!
ReoLaさん、上限の赤色のスーパーチャットありがとうございます!
青の青さん、スーパーチャット、ありがとござます!
めろいさん、赤色のスーパーなチャットありがとっ!ございます!
sinさん、赤スパてーんきゅっ!ありがとうございます!
アクリュースさん、上限赤スパさんきゅーっ!ありがとうございます!

もうそろそろ全体の三分の二くらいは終わったとこですかね。最後まで止まらずに行きます。
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