サイコバグなお兄ちゃん、Vtuberになる。   作:にいるあらと

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夢結視点です。


十八時起床の馬鹿野郎

『今日もいつもの行くぞー! 「New Tale」の悪魔兄妹! 妹のほう! 魔界創造計画の前途多難さを改めて思い知った、建築ではデザインを担当しております嫉妬の悪魔、レイラ・エンヴィと! 出てくる敵もなんのその、手にした弓にはオートエイムのエンチャントがついているー……こちら!』

 

『オートエイムはチートでしょ……。狙って撃てば当たるんだからチートなんていらないよ。「New Tale」の悪魔兄妹、兄のほう。必要な資材の採集兼運搬担当、図面さえしっかりしたものを用意してもらえればきっと建築でも役に立つはずの憤怒の悪魔、ジン・ラースでした』

 

「あー……今日のお兄さんもとってもよかった……」

 

「お兄さーん! 行かないでー! 終わらないでー!」

 

 毎度の如く寧音がけたたましく別れを惜しむ中、お兄さんと礼愛の配信終わりの挨拶が行われた。悪魔兄妹コラボのいつものお別れの挨拶は、今では本当に『いつものお別れの挨拶』として定着している。

 

 悪魔兄妹リスナーはこれを聴かなければ安らかに眠れない、とまことしやかに囁かれているほどだ。

 

 気持ちはわかる。とはいえ、夏休みに入ってから生活サイクルが狂いに狂ったあたしは起きたばかりなのだけど。

 

 お兄さんは配信をする時は基本的に十九時から始まる。

 

 あたしはお兄さんの配信を万全の体調で視聴するべく、配信開始時間の一時間前に起床して顔洗ったりご飯食べたりして万全の状態で待機する。お兄さんの配信を最大限に楽しんで、テンションが上がったまま絵を描く。これがあたしの最近のルーティーンだ。このやり方だととても筆が乗るのだ。欠点は、最近お母さんの視線が怖いことくらいのもの。さして支障はない。

 

『いつもならここでお別れなのですが、今日は一つ告知があります』

 

「あれ? 終わりじゃないの?」

 

「やったー! お兄さんに寧音の声が届いたんだ!」

 

「お兄さんの声が聴こえないでしょうが! ちょっと黙ってて!」

 

 悪魔兄妹コラボの時はお兄さん視点と礼愛視点、どちらも観ていたいので、あたしと寧音のノートPCをローテーブルに置いて並んで観ている。これなら同時に二人の配信を見られる。問題点は寧音()がやかましいこと。

 

『今日の二十四時から、一時間だけですが「寝かしつけ配信」なるものをやろうと思います。学生の人間様は夏休みの期間中で生活サイクルが乱れている方もいらっしゃるでしょうし、社会人の人間様も寝苦しい夜が続いておりますので寝つきが悪くなっている方もいらっしゃるでしょう。そういった人間様に少しでも貢献できればと思い、企画しました』

 

『寝かそうとしてる時のお兄ちゃんの声は強烈なので、寝ようとしている人以外は聴かないほうがいいよ! これから仕事だとか、運転中だとか、そういう人はライブで観るのは一旦控えておいて、自分が寝るタイミングでアーカイブを観てくださいね!』

 

『人間様全員に効果があるかどうかはわからないけどね。早めに寝たい、最近寝つきが悪くてお昼が辛いとお思いの人間様は、ぜひお立ち寄りください。それではまたお会いしましょう。失礼します』

 

「……ゆー姉のことじゃん。生活サイクルが狂った学生って」

 

「ううううるさいな! それに狂ってるなんてお兄さん言ってなかったでしょうが! それにあたしの生活サイクルは乱れてない。意図的に昼夜逆転させてるんだ。安定した昼夜逆転生活だ」

 

「いや、そのほうが問題じゃん。ま、なんにせよ寧音にはなんの関係もないしね! お兄さんに寝かしつけてもらおーっと! ゆー姉はしばらく我慢だねー、ぷぷぷっ」 

 

「ふつうに生で観るけど」

 

 なに言ってんだ、当たり前だろう。お兄さんが配信するのならリアタイ視聴はリスナーとして最低限のマナーだ。

 

「はぁ?! ゆー姉起きたばっかじゃん! 次のお兄さんの配信が二十四時からでしょ? ゆー姉起きたの十八時前後でしょ? 六時間しか起きてないのにもう寝るの?!」

 

「ふっ……甘いな。お兄さんのライブ配信は一から十まで全部聴いて楽しんで、寝る時にはもう一度アーカイブを流しながら寝る。あたしは二度楽しむ」

 

「強欲っ……なんて強欲っ!」

 

「あんたは途中でお兄さんに寝かしつけられて寝落ちしてなさい。あたしは最後まで楽しんでおく」

 

「くっ……でもいいんだ。寧音は一足先にお兄さんに寝かしつけられて、一足先に夢でお兄さんと逢うんだ」

 

 なんでお兄さんの夢を見られることを前提に話をしているんだこいつ。

 

「そして夢の中では寧音がお兄さんを寝かしつけるんだ」

 

 すごい。一部始終(AtoZ)気持ち悪い。キモリスナーとしての純度があたしとは天と地ほどの差がある。天才だ。こうはならないように気をつけよう。

 

「さってと。お兄さんの配信までは時間あるし、あたしはそれまで続き描いとこっかな」

 

「うっ……寧音もはやく描きたいのにっ」

 

「あんたは先に今日のぶんの勉強でしょ。描きたいんなら、勉強早く終わらせたら?」

 

 あたしは立ち上がり、ノートPCを回収して自分の机に戻る。手描き切り抜きがまだ途中なのだ。

 

 お兄さんの配信は時間的に決して長いほうではないけれど、なんなら平均的な配信時間は二時間から長引いたとしても三時間から四時間程度という、他の配信者と比べたら短いくらいなのだけれど、おもしろいシーンやかっこいいシーンが多すぎる。寧音とは違ってAtoZ魅力がたっぷり詰まっている。

 

 最近あたしの睡眠時間を溶かしている『mellow:ジン・ラース切り抜きch』の切り抜きでも、投稿主が『自分が上げている切り抜きなんて一部分でしかない。いいところを切り抜こうと思ったらぜんぶ切り抜くことになる。それくらいぜんぶおもしろい。アーカイブ観ろ』と概要欄に書いているくらい、お兄さんの配信は魅力がいっぱいだ。切り抜きどころに困る。

 

 よかったところを全部絵にするなんてことは当然できない。時間が足りないのだ。作業に追われる形で泣く泣くイラスト化するシーンを選んでいる。シーン選びでは毎度毎度寧音と言い争いを繰り広げているくらい、厳選に厳選を重ねているのだ。

 

 あたしの筆がもっと速ければ、ぜんぶ描くというのに。

 

 速く描ければ、とは常に思うし、努力もしているけれど、すぐに筆が速くなることはない。悲しいなぁ。悔しいなぁ。もっと前から努力しとけばなぁ。

 

 ため息をつきながら、本来の用途ではあまり使われた試しのない勉強机で、絵を描く準備をする。

 

「ゆー姉に言われなくてもすぐに終わらせるよ! ……ん? ねぇ、ゆー姉。夏休み入ってからゆー姉が勉強してるところを寧音は見てないんだけど……やってる、んだよね? どこかでやってるんだよね? さすがにね?」

 

「…………」

 

 自慢ではないがやってない。

 

 真面目で秀才で友だち付き合いとイラストを両立させながら、隙間時間でかりかりとペンを動かして勉強している寧音を横目で見ながら、あたしは液タブのペンを動かしている。それしかやってない。

 

 仕方ないじゃない。お兄さんの配信を観たら描きたい欲が収まらないんだもの。

 

「ゆー姉? 冗談だよね、ゆー姉?」

 

 いつも調子に乗っているクソガキな寧音が真剣なトーンで追及してきそうな雰囲気を醸し始めた時、あたしのスマホがヴヴヴ、と振動した。なんの用か知らないが、いいタイミングだ。

 

「あ、ごめん。ちょっと通話来たわ。あー、これは出ないとなー」

 

「……寧音の話、終わらせないからね?」

 

 ずっと座っていたらお尻が痛くなる安っぽい椅子から立ち上がり、スマホを握りしめて部屋を出る。

 

 寧音の視線はきっと真夏なのに背筋を凍らせるほど冷たいものになっているだろう。なので見なかった。

 

 部屋を出て、扉を閉めて、扉に体を預けながら通話に出る。

 

「はいはい、どしたん礼愛」

 

 あたしのスマホにかかってくる通話の相手なんて、画面を見るまでもなく決まっている。

 

『あ、やっと出た。夢結ー、配信観た?』

 

「そりゃあ観るよ。訊くまでもないでしょ。たとえ三日寝てなかったとしてもお兄さんの配信は観るよ」

 

 寧音ほどではないが、あたしもしっかりキモリスナーなのだった。

 

『あはは、きも』

 

「シンプル悪口やめろ」

 

 絶対に笑顔で言っていることがわかる、めちゃくちゃに明るい『きも』だった。配信ではそんな発言するなよ礼愛、男性リスナーの性癖が開拓されてしまうぞ。

 

『それじゃあお兄ちゃんの最後の告知も聴いたんだよね?』

 

「え? そりゃあ、うん。始まる前から待機して配信が終わるその瞬間まで見届けるのは義務だし。二十四時からの配信ももちろん観るつもりだけど……あれってどうしたの? 学生が夏休みだから特別企画?」

 

 学生の長期休暇に合わせて企画を用意するのはわりとあることだ。企業勢だと所属しているVtuberたちで集まって大型コラボをしたりイベントをやったりもする。とくに目立つのは所属しているVtuberの人数が多い『Golden Goal』だろう。あの箱は頻繁に大きなイベントを開催している。

 

 長期休暇で時間がある時だと配信を観てもらえる機会が増える。その機会に好きになってもらえれば、長期休暇が明けても配信に足を運んでもらえるかもしれない。長期休暇に合わせて企画を打ち出すのはリスナーを増やすチャンスなのだ。

 

 ちなみに増えたリスナーが定着するかどうかは本人の腕次第。いくら箱内のおもしろい企画で知ってもらえたとしても、配信者自身がおもしろくなければリスナーは離れていってしまう。なんとも世知辛い世界だ。

 

『そっちはあんまり関係な……んー、いやまあ、関係はあるのかな? 学生が夏休みだからお兄ちゃんはああいうことをしようって考えたわけだし』

 

「なにそれ? 煮え切らない言い方ー」

 

『学生は夏休みになったら生活リズムが崩れる子も多いでしょ? 夢結みたいに』

 

「ま゜っ……んんっ! まぁ、そうだね? そういう子も中には(・・・)いるよね? 困るよねー、学生の本分を忘れちゃうなんてねー」

 

 思い当たる節がありすぎて困る。

 

 というか自分のことだ。礼愛に言うんじゃなかった。

 

 いや、あたしの話を礼愛から聞いたお兄さんが寝かしつけ配信を企画したのだとしたら、ある意味ではこれはあたしのために寝かしつけ配信をしてくれるのと同義なのではないだろうか。

 

 お兄さんはあたしを寝かしつけようとしてくれているんだ。

 

 そう思うことにしよう。そのほうが心が幸せだ。

 

『ね、困るよね。お兄ちゃんに「夢結が夏休み入った途端に自堕落な生活し始めた」って言ったら「改善するために寝かしつけ配信をする」って言い出したんだよ。お兄ちゃんに心配させないでくれない?』

 

「妄想じゃなかったっ!」

 

『うるっさ』

 

 お兄さんに告げ口していた内容はだいぶ聞き捨てならないが、今はそんな些細なこと気にならない。気にしていられない。

 

 幸せを過剰摂取しすぎて心臓が張り裂けそうだ。あたしのキャパシティ上限を超えている。

 

 だめだ、死んじゃだめだ。あたしのためだけの寝かしつけ配信で永眠するまでは、あたしはまだ死ねない。聴くまでは生きなければいけない。

 

 本当にお兄さんはとんでもない。オタクの妄想を現実にするなんて、どこまでファンサービスが過剰なんだ。

 

「お兄さんはあたしのために?! うそっ……めっちゃすき」

 

『きもい……私に告白しないでもらえる? するなら直接お兄ちゃんにしなよ』

 

「え、していいの?」

 

『うん。すれば? べつに止めはしないけど。告白して玉砕してくればいいよ』

 

「玉砕が前提……つらすぎる」

 

 なんなら通話もまともにできないような関係性で告白は博打がすぎる。もうちょっとこう、段階を踏んでいきたい。今のところ、段階を踏むどころか足踏みがせいぜいだ。

 

『ていうか夢結が寧音ちゃんみたいに模範的な生活してくれてたら、お兄ちゃんはこんなこと企画せずに済んだんだけど』

 

「あたしの昼夜逆転生活のおかげでお兄さんの寝かしつけ配信なんていう約束された勝利の配信が実現するわけか……ふっ、誇らしいな」

 

『少しは恥ずかしがったりしなよ』

 

「お兄さんによる寝かしつけ配信とあたしの受ける羞恥(しゅうち)、差し引きプラスだから恥ずかしくない」

 

『本人がいない時の夢結は神経図太いなあ……』

 

 本人(お兄さん)がいる時にこんな話できるわけないだろう。なにか話題がある時か、お兄さんに話を振られなければ真っ当に会話すらままならないのに。

 

「それにしても……あたしのために、かぁ……」

 

 わざわざ手を(わずら)わせてしまうお兄さんには申し訳ないけれど、めちゃくちゃうれしい。

 

 ただ、欲を言うならもう少し早めに告知しておいてほしかった。

 

 せめて昨日、できれば二日前くらいに教えてもらえていたら、一緒のベッドで添い寝するジン・ラースという、寝かしつけ配信に最適なイラストを気合いと根性と欲望で描き上げていたというのに。

 

『夢結のためじゃなくて、夢結のせいで、ね? 間違えないでね? ちなみに夢結は今日何時に起きたの?』

 

「十八時前」

 

『すごいや、私と十二時間のずれがある』

 

 お兄さんの配信がだいたいいつも十九時。そこから行動時間を逆算して起床し、顔を洗って軽くお腹に物を入れて配信を観る準備を整える。頭を覚醒させてお兄さんの配信を万全のコンディションで視聴するには、やはり一時間前起床がぎりぎりだ。

 

「半日ずれてると、礼愛の生存確認は配信ですることになりそうだね」

 

『生存確認云々はこっちのセリフなんだけど。私は夏休み前と今とで起きる時間変わってないんだからね』

 

「あたしだって短針と長針の位置は変わってないんだけど」

 

『「けど」なんだ。言ってみろ、このおばか。なんで問題ありませんみたいな言い方してるの。夢結がそんな生活してたら遊びにも行けないじゃん』

 

「行かなくていいよー。外暑いのにさー。一日中エアコンに頼って生きてるから、今のあたしが日が出てるうちに外歩いたら蒸発しちゃうって」

 

『観たいって言ってた映画もうすぐ公開するでしょ? あれ観に行こうかなって思ってたのに』

 

「どうせすぐに家でも観れるようになるって。それまで待とう? 涼しい部屋でアイスでも食べながら他人を気にせずゆっくり観ようよ」

 

『むー、もういいよ。お兄ちゃんもおもしろそうだねって言ってたから三人で行こうかと思ってたのに、夢結がそこまで行くのが嫌ならお兄ちゃんと二人で行──』

「ごめんなさい行きますごめんなさいお願いします行かせてください」

 

 それは話が変わってくるだろう。後出しなんてずるいよ礼愛。そんな情報出されたらあたしは敗北宣言するしかないんだから。

 

『ほんと単純だなあ……。まあ一緒に行けるっていうんならそれでいいよ。今日のお兄ちゃんの特別企画配信はちょうどよかったね。これを機に生活リズム整えてね』

 

「いやぁ……映画行く時までにはどうにか戻すけど、たぶんすぐには戻せないと思うんだよね。今は起きたばっかりかつお兄さんの配信観た直後ってこともあって、目がばきばきだし」

 

 生活リズムのほうはいざとなれば一度徹夜して強引に修正するからなんとかなる。

 

 でも、さすがに今日というか明日というか、二十四時からの寝かしつけ配信では寝られないだろう。部屋を暗くしてベッドで横になっても眠気はこないだろうし、逆にお兄さんの声で興奮して寝られないと思う。

 

 そう告げたあたしは、礼愛から乾いた笑いを一つもらった。

 

『はっ……これだから素人は』

 

「厄介ファンみたいなこと言わないでよ」

 

 このノリとか雰囲気がわからんかー、困るなー、というような迷惑なタイプの古参リスナー然としたことを言い出した。

 

 ジン・ラースリスナーの中では最古参のあたしだけど、お兄さんウォッチャー(?)の中では新参者もいいところなあたしだ。仕方がないのでお兄さんの専門家たる礼愛の説明を待とう。

 

『お兄ちゃんが寝かしつけるつもりで配信するんなら、リスナーは寝るんだよ。起きたばっかりとか、まだやることあるとか、目が冴えてるとか、不眠症気味とか、そんなちっぽけな理由なんて関係ないの』

 

「そ、それは模範的なリスナーならどうあってもその時間に寝ろってこと?」

 

『夢結でもまだ「そこ」かあ……』

 

 絡みが面倒な古参だなぁ。

 

『お兄ちゃんの配信の時にこの話題に触れると思うから私からはあんまり話したくないんだけど……。お兄ちゃんってね、真面目なんだよ』

 

「うん? まぁ、真面目……とてもしっかりしてるよね」

 

 あたしの視点からだと、お兄さんにはあまり真面目という言葉はぴんとこない。やらなければいけないことはきっちりこなすし、やってはいけない線引きもびしっと決めてるけど、きっちりやりすぎて息苦しくなったりはしないのだ。真剣な声とかっこいいプレイから時折顔を覗かせるウィットに富んだユーモアとジョークが、お兄さんの魅力だ。四角四面な生真面目さとは一線を画している。

 

『配信って基本、声を使ってやっていくわけじゃん。発声だったり、滑舌だったりとか。そういうのを一度ちゃんと勉強しようかな、とか言ってボイトレ行ってたんだよ、お兄ちゃん』

 

「あの声と滑舌でまだ上を目指してたの……」

 

 『New Tale』の四期生応募用のボイスドラマの時でさえ、凄まじい破壊力を有していたお兄さんの声が、より一層さらに強力になるとか、想像するだけで恐ろしい。最悪の場合死人が出る。

 

『本人(いわ)く、一通り基礎を学んで、あとは表現力を磨きたかったんだって』

 

「その言い方だと、もうボイトレ行ってないの?」

 

『いや、ちょくちょく行ってるよ。ただ最初の担当していた講師の人とは代わったみたい』

 

「へー。講師の人が代わったりするんだね。トレーニングの種類や習熟度で担当者が変わったりするの?」

 

『お兄ちゃんから聞いてた話だと若い人だったみたいだし、講師の心を折っちゃったんでしょ。お兄ちゃんにはままあることだよ。当の本人はまるで自覚がないっていうのがまた残酷だよね』

 

 礼愛は言っていた。『お兄ちゃんはなんでもできる』と。ただそれは『一度やったことなら』という注釈が入る、とのこと。

 

 お兄さんはあくまで、人よりも別格の要領のよさがあるというだけで──コツを掴むまでの早さが異次元というだけで、やったことのないことはふつうの人同様にできないらしい。

 

 お手本から無駄を省いて要所だけを抜き取る目や耳の鋭さ、抜き取った情報を纏める頭、頭の中で思い描いた通りに動かせる体。お手本さえあれば、一度見れば、一度聞けば、一度やってみれば、それで要領を掴めるだけであって、できないことがないわけじゃない。知らないこと、やったことのないことは当然にできない。

 

 そんなふうに礼愛は言っていたが、それは『天才』と呼ばれる人たちとなにが違うのだろうか。

 

 きっとお兄さんに『天才だ』なんて言っても否定されるのだろう。困ったような笑顔で横に首を振るお兄さんが目に浮かぶ。

 

 お兄さんが人より努力していないだなんて口が裂けてもどころか心と体が裂けたとしても言うつもりなんてない。言うつもりはないけれど、それでも、何回も繰り返し繰り返し練習して、一つ一つ積み重ねてようやくできるようになったことを、お兄さんに一足飛びに頭上を飛び越えられてしまえば、心が折れてしまう人だっているだろうとは想像できる。

 

「お兄さんが悪いわけじゃないん、だろうけど……ね」

 

 あたしだって、絵を描き始めて一ヶ月二ヶ月くらいの人に画力で負ければメンタルにくる。SNSでそういう人を見るとかなり落ち込む。お兄さんを担当したという若い講師の気持ちは、痛いほどわかる。

 

『担当の講師の人が代わったらしいんだけど、元の講師から代わった人が変わった人でね』

 

「すんなりと頭に入ってこない日本語を使うな」

 

 元の講師の代わりに新しく担当になった講師が変わり者だった、ってことなのかな。

 

『お兄ちゃんは表現力を勉強したかったらしいんだけど、今の講師の人はお兄ちゃんの器用さと声質を考慮して特別さを伸ばしたほうがいいって言われたんだって』

 

「特別さ?」

 

『うん。いろんなことを試してるっていう話は聞いたけど、まだ全部は教えてもらってない。楽しみにしといてって言われた。でも今回の催眠音せ……寝かしつけについては私に一回試してるから効果はわかるよ』

 

「催眠音声って言おうとした? 期待が俄然(がぜん)高まるんだけど」

 

『夢結が期待してるようなえっちなやつじゃないからね』

 

「わわわわかっとるわい!」

 

『どもりすぎでしょ……お兄ちゃんの配信を(よこしま)な耳で聴かないでくんない?』

 

「邪な耳ってなんなの」

 

 あたしの目と耳は純粋そのものだけど心が邪念に満ちている。フィルターが汚れているので結局あたしが受け止める頃には手遅れだったりする。なんならあたしが手遅れだった。仕方ないね、リスナーなんてきもくてなんぼみたいなところあるし。

 

『つまりね。お兄ちゃんはリスナーさんに今よりもっと楽しんでほしくて、いろんな技術を習得してるの。その一つをお披露目する場が、今回の特別企画。警戒心なんてまるでない、夢結みたいな心の扉がばがばのリスナーが相手だったら、どんな状態だろうと寝かしつける。そのくらいのことお兄ちゃんなら簡単にやるって話だよ。眠たくないとか関係ないの』

 

「ほー、そこまで言うってことは相当な物なんだろうね。今めっちゃくちゃにハードルが上がってるけど大丈夫そう?」

 

 お兄さんの寝かしつけ配信が二十四時スタートなので、あたしは起きてから六時間しか経っていないタイミングでの視聴となる。いくらお兄さんといえど、そんなコンディションのあたしを眠りに落とすなんてさすがにできないだろう。十八時起床の馬鹿野郎が待機しているなんていう異常事態を想定してるとは思えない。

 

『は? なめんな。お兄ちゃんの寝かしつけに免疫のある私でさえ声だけで寝かしつけられたんだよ? 夢結なんて始まってから十分耐えられればいいほうだよ』

 

「そこまで言っちゃっていいの? あたし、これでも催眠音声には一家言(いっかげん)あるよ?」

 

『催眠音声に関して一家言あるとかいう爆弾発言のほうがそこまで言っちゃっていいのって感じだよ。でも、べつにいいよ。寝かしつけ配信を夏休み期間中何回やるのかわからないけど、夢結がお兄ちゃんの配信終了まで耐えられたら次の機会に台本を書く権利を交渉してあげる』

 

「そうなったらもう絶対寝ない。意地でも起き続けてやるからな」

 

 ボイトレに行って更に磨き上げられたらしいお兄さんの天性の催眠ボイスを使ってボイスドラマが作れるのなら、それはあたしにとってなによりのプレゼントだ。暑中見舞いをくれるなんて礼愛にしては気が利いている。

 

「ん、あれ? そういえば今回の台本は誰が書いたの? 礼愛?」

 

 台本で気がついた。今回の寝かしつけ配信のセリフは誰が作ったのか。

 

 おかしい、こんなのおかしいよ。応募用動画の時はあたしに頼んでくれてたのに、今回頼まれていない。こういう時のためのあたしなのに。

 

『ううん。お兄ちゃんが自分で考えたみたい』

 

「ど、どうして……あ、あたしに頼んでくれたらいくらでも書くのに……。今日から夏休みが明けるまで毎日寝かしつけ配信できるくらい台本書くのに……」

 

 十本でも二十本でも用意したのに。少し方向性(ジャンル)は偏ると思うけれど。

 

『私も言ったんだけどね。そういったことの専門家に意見を(あお)いでみたらって』

 

「専門家だなんて、そんな……えへへ」

 

『照れんな。紙一重で悪口なんだよ。で、お兄ちゃんに訊いてみたら「夢結さんを寝かしつけるために配信するのに、夢結さんに台本頼んだら純粋に楽しめなくなっちゃうでしょ?」って言って』

 

「んゅふっ」

 

『…………』

 

「ごめん……今のは自分でもきもいなって思った。自覚はある。だからせめて『きもい』くらい言ってくれない? 黙られるのは一番つらいよ……」

 

『いや……言葉にできないくらいひどかったから……』

 

「ひどいはやめて。きもいより心が痛い」

 

 でも、だって、こればかりは仕方がない。推しが、あたしのために寝かしつけ配信しようとしてくれて、あたしのために自分で台本まで考えてくれてるのだ。これで気持ちが浮つかないようならオタクじゃない。

 

『まあ、そういうことだから今日を機に生活リズム整えてね。あと、夏休みの課題少ないからって油断してると思うけど、ちゃんとやりなよ』

 

「うぐっ……」

 

『図星って感じだろうね。わかってたけど。お兄ちゃんはさ、夢結のことも、もちろん寧音ちゃんのことも心配してたよ。手描き切り抜きのせいで寝る時間や、趣味の時間、お勉強の時間を奪ってたらどうしようって』

 

「うぐぐっ……」

 

 お兄さんの心配は、寧音はともかくあたしについてはまるで見当違いだ。

 

 今はお兄さんの活躍を観るのと絵を描くのが趣味になっている。手描き切り抜き自体が趣味になっているのだから、これっぽっちも気にする必要なんてない。そして勉強は手描き切り抜き関係なくいつだってしていないのだから、これっぽっちも気にする必要なんてない。

 

『これで成績が下がりでもしたら手描き切り抜きの依頼を取り下げることにもなるかもしれないんだから、キープできるくらいにはがんばってよ』

 

「くそうっ!」

 

『うるっさ……』

 

 お兄さんの優しさのせいでどんどんあたしの立場が厳しくなっている。

 

 寧音なら問題ないだろうさ。夜寝て朝起きて、日中友だちと遊びに出かけて、スタイル維持のために暑さがマシな早朝か夕暮れに運動して、お兄さんの配信の前後の時間を使って勉強している。健康極まりない、学生の模範そのものといった生活だ。なんの問題もない。

 

 対してあたしはどうだ。朝寝て夜起きて、太陽を浴びるような機会なんてまずないし、こんなくそ暑い中運動どころか外に出ることすら稀で、起きている間はお兄さんの配信を観てるか切り抜きかアーカイブを見返すか絵を描くことしかやっていない。不健康極まりない自堕落そのものといった生活だ。なんら問題しかない。

 

 これであたしの成績が理由で手描き切り抜きの任を解かれてみろ。寧音に合わせる顔がない、というか手を合わせられるような事態になりかねない。草葉の陰からお兄さんの活躍を見守ることになる。

 

 いやだ、あたしは生きてお兄さんの活躍を観たい。生きてお兄さんの活動を応援したい。

 

「しかたない……やるか」

 

『そうそう、その意気だよ。わからないところあったら訊いてくれていいから。せめて今から二十四時の配信の時間まではがんばってみて』

 

「うい……ありがと」

 

『うん。映画行く日はまた今度連絡するからね。じゃあね、がんばってね』

 

「あい。礼愛もがんば。あと配信おつかれ。おもしろかったよ」

 

『あははっ、ありがとっ!』

 

 華やかな礼愛の声を最後に通話は切られた。

 

 礼愛に言った手前、そして手描き切り抜きというお兄さんとの繋がりを守るため、大変気は進まないけれど勉強することにした。

 

 一度リビングへ飲み物を取りに行き、自室へ戻る。

 

 部屋の扉を開くと、寧音はこちらを振り返ることもなく机に向かっている。扉のすぐ向こうで礼愛と通話していたら、寧音なら『寧音もれー姉とお喋りしたい! 代わって!』くらい言ってくるかと思っていた。

 

 勉強道具を机に広げながら怪訝(けげん)に思って寧音を見やれば、寧音はイヤホンをつけていた。

 

 そうやって盗み見ていたら視線に気づいたのか、寧音はイヤホンを外してあたしの机を見て、目を見開いた。

 

「……勉強、するの?」

 

 心の底から驚いた、みたいな声を出しやがったぞこいつ。

 

 いやまぁ、それもそうか。夏休みに入ってからどころか夏休みに入る前から、机に勉強道具を広げてこなかったのがあたしなのだ。

 

「するよ。礼愛にも言われたからね、仕方なくやる。それより、寧音が音楽聴きながら勉強するなんてめずらしいじゃん。集中できないって前言ってなかったっけ?」

 

 ちなみにあたしは勉強する時は音楽を適当に流しながらのほうが効率よくできる。集中できていない時は外の音が聞こえなくて集中しやすくなるし、集中している時は音楽も耳に入ってこなくなる。どちらにせよやりやすいのだ。ちなみにカフェとかでは勉強できないタイプ。他人がいると意識がそちらに向いてしまうという性格の暗さがネックになる。

 

 集中スイッチのオンオフを自分の意志でつけられる寧音は音楽もなにもかけないタイプだったはずだけど、これはどういったことだろう。気分転換だろうか。

 

 あたしが訊ねると寧音は、にやぁっ、と表情を緩めた。

 

「お兄さんの配信のアーカイブを流しながらやってるとね、すんごい集中できるんだよね」

 

「お前すごいな」

 

 ちなみにすごいの後には括弧(かっこ)書きで『きもい』が入る。

 

 でも、実際すごい。お兄さんの声聴いてたらあたしなら集中どころの騒ぎじゃない。画面見ちゃう。もう何回も観たのに気になっちゃう。

 

「あたしが勉強してる近くでお兄さんが配信してるって想像しながらやるとめっちゃ(はかど)るよ。まじオススメ」

 

「お前すごいきもいな」

 

 とうとう括弧が外れてしまった。なんなら二重括弧で区切ってルビも振ってフォントも変えてやりたいくらいだった。

 

 そこまで言うなら正々堂々と妄想と言えよ。想像とか言って誤魔化すんじゃない。

 

 やはりキモリスナーとしては寧音のほうが一枚上手(うわて)だ。完全に先を行かれている。べつに争う気はないし全然お先どうぞという感じだけれど。同じ道を歩みたくはない。

 

「お兄さん、ボイスでそういうの出してくれないかなー。そしたら寧音の意欲がさらに跳ね上がるんだけどなー」

 

 ペンのノックの部分で下唇を押し上げるような、わかりやすくあざとい真似をしながら(のたま)う寧音。クラスの男子もいない自室でそんなアピールをしてなんになるんだ。もはや癖として身に染みついているのか。

 

「お兄さんならお願いしたらワンチャンありそうだけどね。二十四時からの配信も、生活リズムの乱れた学生のためなんだし」

 

 生活リズムの乱れた学生のためっていうか、あたしのためだけどね。内心のドヤ顔を必死に抑えながら続ける。

 

「その流れで受験勉強がんばる学生のためにどうか! って平身低頭頼み込んだら優しいお兄さんならやってくれそう」

 

「うわぁ! 勉強応援ボイスとか?! そんなの最高だよ!? でもこっちがもらってばっかりだとファンとしてそれどうなのって感じだから、どうせならちゃんと手描き切り抜きで貢献してからお願いしたいよね! よっし! さっさと勉強終わらせてイラストの続きやろっと!」

 

 なんだかやる気のギアが上がったらしい寧音は、しっかりとイヤホンを耳に戻して机の教科書やらノートやらプリントやらに向き直った。この調子だといつもよりも早くノルマをこなしそうだ。

 

 あたしはあたしで礼愛との約束がある。イラストの続きも描きたいところだけど、心置きなくイラストに取りかかるためにもやるべきことをさっさと片付けてしまおう。

 

 久しぶりに液タブ用のペンじゃないふつうのペンを握って、あたしは夏休みの課題に取り組み始めた。




次も夢結視点です。
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