サイコバグなお兄ちゃん、Vtuberになる。 作:にいるあらと
ちょっと長め。
「……悪い。うち、お前を利用しようとしたんだ」
わざわざ言う必要はないのかもしれないけれど、それでも言わずにはいられなかった。
Vtuberとしてデビューしてから何回も配信してきた。アイニャやウィーレ、エリーとも、他の先輩ともコラボ配信はしてきた。
それでも、ジンラスとの配信が一番楽しかった。頭が痛くなるくらい、息切れしたくらい、声が嗄れるくらいに笑った。
べつにアイニャたちや先輩たちとのコラボ配信がつまらなかったわけではない。一緒に『
ただ、それ以上にうちの性格的に男とのほうが話しやすいというのが大きかった。そういう性分なのだから仕方がない。女の子相手だと乱暴な言葉遣いができないぶん、会話に気を遣ってしまうのだ。
ジンラスが相手なら言葉遣いに神経質にならなくてもよくて楽だった。荒っぽくツッコんでも問題ないし、小ボケも拾って返してくれるので安心してふざけられる。ジンラスは『New Tale』を観ているリスナー層とは違う層を取り込んでいるので、リスナーを気にして話題を考えることもしなくていい。
配信中ずっと会話が途切れることがなかった。格ゲーの操作を教えている時でさえ、気を抜けば話が脱線するほどに話を振ってくるのだ。格ゲーにはまったく関係がない、雑談でしかない話だったが、率先して喋ってくれるのはとても気が楽だった。楽しかった。
コラボに誘った時の薄汚い考えを忘れてしまっていたくらい、とても楽しかった。
ジンラスのコミュ力のおかげだが、すぐに打ち解けることができた。仲良くなることができた。
ならば、黙ったまま付き合いを続けるのは裏切りにも等しいのではないだろうかと、そう考えてしまった。
うちが企図していたことを打ち明けることで嫌われるかも知れないけど、それでも隠し事をしたままでは自分の気が済まなかった。
「……同期とコラボしたかったってのは嘘じゃあねぇし、四期生全員で集まりたいってのも本心だ。でもそれがすべてってわけでもねぇ。数字稼ぎのためにジンラスを利用しようと考えたのもたしかだ。姑息な算段があった。……悪い」
デビューしたのは同じ日なのに、四期生の中で一番チャンネル登録者数が低い。なんならジンラスは界隈の歴史に名を刻むくらいの規模でデビュー配信から大炎上した。それにも拘わらず、うちが一番低い。でもうちの性格というか気性というか、有体に言えばキャラクター的に、かわいらしい女の子然としたライバーを観たくて『New Tale』のライバーの配信を観ているリスナーには受け容れてもらえない。それなら『New Tale』唯一の男ライバーで数字も持っているジン・ラースと絡んだほうが得るものがあるのではないか。そう考えてジン・ラースにコラボしないかと誘った。
うちのそんな冗長な懺悔を、ジンラスもお嬢も黙って聞いてくれた。
自分の弱くて醜い部分なんて他人に知られたいことではない。とくにお嬢なんて一番聞かれたくない相手だけれど、それでも黙ったまま隠し通すという判断はうちの中にはなかった。
話し終わって、うちは断頭台に首を固定されたような気分で二人が口を開くのを待つ。
先にうちの
『私は』
「……はい」
『私は、嫌な気持ちになりました。お兄ちゃんを利用しようとした……ううん。利用したこと、おもしろくないです』
「……まぁ、そりゃそっすよね……」
冷め切ったお嬢の言葉に、うちは声を震わせながらそう返すことしかできなかった。
ジンラスが炎上していた時、その真っ只中へと真っ先に飛び込んで行ったのがお嬢だ。同じ箱の誰からも助けてもらえない中、独りっきりで矢面に立っていたジンラスを、自分も誹謗中傷に晒されることを理解していながらそれでも支えに行ったのがこのレイラ・エンヴィという女の子だ。
一番苦しかった時期に手を差し伸べてくれなかったくせに、自分の利になるとわかった途端に擦り寄ってくる人間なんぞ、
『利用っていう表現が適切じゃないと僕は思うけど。言い換えれば「数字の共有」ってことだよね。同じ事務所に所属するライバー同士で数字を共有するのはよくあるって、どこかのサイトで見たことあるよ? 僕のチャンネルの登録者だって眷属さんが多くいると思うし。そういう意味では、僕とイーリイさんは同じだよね』
当の本人はなにも感じていなさそうなトーンで、雑談している時とまるで変わらない口調で、うちを擁護するようなことを言う。
人並みの神経をしていれば『利用した』なんて言われたら多少は嫌悪感を抱きそうなものだが、一般人と同じ枠で語れないジンラスならば本当になにも気にしていないのかもしれない。
『「数字の共有」……それはたしかにあるとは思うよ、私の登録者数も増えたしね。眷属さんがお兄ちゃんのチャンネルを登録したのと同じように、お兄ちゃんの配信を観ているリスナーさんが私のチャンネルを登録してくれたんだと思ってる。それで言ったら私もイヴさんと同じだとは思うよ。でも……すぐに折り合いをつけられない感情があるんだよ。だって……だってっ、一番大変だったっ、時に……っ』
『それは配信の前にイーリイさんと話して、もう済んでるよ。あの時は沈黙が正解だった。何かアクションを起こされていたら、かえって僕が大変なことになってたからね』
『わかってるっ……わかってるよ。事務所からも通達があった。誰もお兄ちゃんに接触できる環境じゃなかったのも理解してる。あれだけ条件整えて兄妹って証明してもぎりぎりだった。お兄ちゃんがコントロールしてくれてなきゃ私だってたくさんひどいこと言われてたってこともわかってる。他の人が介入できる余地なんてなかった。わかってるっ。それでもっ……もやもやするのっ』
条件だとか、証明だとか、コントロールだとか、よくわからない文言が並んでいる。うちは話についていけてないのだけれど、どうやら兄妹間では通じているようだ。
『もやもや……うーん。それはいったいどういう感情なんだろう。不快? 嫌悪? 辟易? 倦厭? 憂鬱、は違うか。怨恨、と言うと過剰みたいだね。なんだろう? もやもや……もやもや……』
『……お兄ちゃんには縁遠い気持ちかもね』
『気持ちの表現や感受って難しいね』
まるで人の心を学びに人間界に降りてきた悪魔みたいなこと言ってんじゃねぇよ。
「あー……お嬢。オフで会うって話、あれナシってことにしましょうか」
うちからお願いしたのにこんなこと言い出したくなかったけれど、うちから申し出たことだからこそ、うちからなかったことにするべきだとも思った。
不快に思っている奴と出かけるなんて気分が悪くなるだけだろうし、いざ対面してぎこちなくなるのも悲しい。バラしたほうがお互い、精神的に楽だろう。
オフで遊ぶことをリスナーにも言ってしまっているが、そこは予定が合わなかったとかどうとか理由をつけることにしよう。
『え? どうして? 遊びには行きますよ』
せっかく推しに会えるまたとない機会だったのにな、などと内心へこんでいると、お嬢はそんな思いがけないことを言ってきた。
「いや、だって……嫌な奴と遊びに行っても、気分悪くなるだけなんじゃ……」
『……いつ私がイヴさんのこと「嫌な奴」だなんて言いましたか?』
想定していなかった返答に動揺しながらお嬢に返答したら、さっきされた冷え切った声よりもさらに冷たい、凍てつくような声が返ってきた。音的には低くて重いのに、凛として鋭かった。お嬢、そんな怖い声出せるんすか。
うちのパニックは最高潮に達している。でもお嬢に訊かれている以上、答えないという選択肢は眷属にはない。
詰まりながらも、どうにか言葉を絞り出す。
「え、あ……いや、もやもやするって……」
『嫌いだったら「嫌い」って言うよ。遊びに行きたくなかったら「行きたくない」って言う。どっちつかずだから「もやもやする」って言ったんです! お兄ちゃんを利用したのはおもしろくないって思ったよ! 正直むってなった! でも、同期で一番チャンネル登録者数が少ない、みんなに置いてかれたくない、どうにかしたい、なんとかしなくちゃって悩んじゃう気持ちも私はわかるからっ! だから嫌いになれないのっ!』
「……あ」
お嬢──レイラ・エンヴィは、ジンラスのデビュー少し前までは『New Tale』の中で特別目立った存在ではなかった。
深窓の令嬢然としたお嬢の外見と、男受けをまるで気に留めない素っ気ない声音、リスナーへの冷淡な対応、それでいて嬉しいことがあった時には無邪気に喜ぶところにうちはどハマりしたわけだが、『New Tale』のリスナーの多くはそうではなかった。今でこそお嬢は一期生の大先輩たちに追随するほどの伸びを見せているが、ジン・ラースがデビューするまでは同期で一番下どころか、後輩にも追い抜かれていたくらいだった。
お嬢は箱内での企画とかコラボ以外では自分の好きなように好きなゲームをしていたし、チャンネル登録者数なんて気にしていないのかと思っていた。ついてきてくれるリスナーだけで満足しているのかと。
お嬢もうちと同じように、同期と見比べて悩んだりしていたのだろうか。
『人の感情なんて「好き」と「嫌い」の二つだけで分けられないでしょっ?! イヴさんまでお兄ちゃんみたいなこと言わないで!』
「お嬢……」
『え、どうして僕に矛先向いたんだろう……今関係なかったはずなのに……』
うちなんてお嬢からしてみれば、一番辛かった時期は素知らぬ振りをしていたくせに都合のいい時だけ近づいてくる厄介者にも見えたはずだ。
それなのに、嫌われてもおかしくないことをしたのに、お嬢はうちの事情を
お嬢の優しさが、荒みそうになっていた心に沁みるようだった。
『イヴさんのこと「好き」とも「嫌い」とも言えない「わからない」っていう状態です。まだ全然イヴさんのこと知らないんだもん。だから今は判断保留! これから考えることにします』
『今度遊びに行くんだし、その時になにかわかるんじゃないかな、きっと』
『そうだね。同じ箱にいるわけだし、それにお兄ちゃんと仲良いんだから、これからは私とも長い付き合いになると思うしね。その付き合いの中で見えてくるものもあるよね』
「お嬢……ありがとうございます」
今は判断保留というか、執行猶予処分みたいな感じなのだろうか。ジンラスを利用した輩のことを、お兄ちゃんのことが大好きなお嬢が許すなんて稀有な判例だろう。この処分は情状酌量してくれたかなりの温情なのだ。これからの行い次第で信頼を取り戻せるかもしれないというだけで、うちからすればありがたい話だ。
『仲、良い……仲良いで、い、いいんですよね? イーリイさん?』
「これで仲良くなってないんなら『仲良し』のハードルは相当高くなるぞ」
うちとお前マブダチだぜ、みたいなことを直接的に言うのが気恥ずかしくて迂遠な言い方をしてしまった。
だって、仲良くなったからといって『自分ら仲良くなりましたよね?』などと相手に確認したりなんてふつうはしない。『今この瞬間からあなたと私は友人です』みたいに宣言するものでもない。
よく考えたことはなかったけど、友だちという関係はそういう曖昧なお互いの認識で成り立つものなんだなぁ。そういえば配信中、ジンラスは友だちがいないとかなんとかって言っていた。なんでコミュ力高いくせに友だちいないんだ。
『仲良い……ふふ。友人、二人目だ……ふふふ』
口角が上がっていることがわかる声で、ジンラスは嬉しそうにしていた。独り言のように呟いていたので冗談ではないのだろう。その喜びようは微笑ましいものがあるけれど、内容は涙を禁じ得ない。
「お前はなにも思わないのかよ。おい、ジンラス。当事者だろ」
『思わないですね。数字の共有は当たり前のことだと考えていましたし。炎上していた時に何もしてなかったのに云々については配信前に話しましたしね』
「……数字のために利用されたって聞いて、むかついたりしないのかよ」
『利用という話なら僕もイーリイさんのことを利用したようなものです。おあいこですね』
「お前の言う利用ってのは、同期全員でコラボできるようになるまでの段階踏みってことだろ。うちのやってることとはまるで違ぇ……まぁ、お前は数字の多い少ないなんか大して気にはしないか」
『いえいえ、僕だって気にはしていますよ。たしかにデビュー当初はそうでもありませんでしたけど』
「へぇ、意外だな。いや、配信者なんだから気にしてるのは当然っちゃ当然なんだが……」
内心では、ジンラスみたいな奴はチャンネル登録者数が何人増えたとか意識していないのかと思っていた。声やゲームの腕といった配信者としての魅力に加えて、こいつの振る舞いというか、やってきたことの規模が大きすぎるから、勝手に超然としたような人物像を作り出してしまっていたのかもしれない。
とんでもない奴であることは確かだが、あくまでも人間には違いないんだ。数字が増えたことで満たされる承認欲求みたいなものもあるのだろう。
『チャンネル登録者数や同時接続数で、一定の水準まで意思が統一されているリスナーの数が可視化されているというのは、何かしらのアクションを起こす上で良い判断材料になりますからね』
急に話がわからなくなった。途中までは数字について話していたはずなのに、いきなり内容がまったく頭に入ってこなくなった。
「……ん? それは、どういう……」
『い、イヴさん、あまり気にしないでください。お兄ちゃんはたまにこういう回りくどい言い回しをするので』
ぱしっ、みたいな乾いた音とジンラスの小さな呻き声のあと、お嬢が説明してくれた。
「そ、そうなんだ……。まぁ……ジンラス変わってるしな」
『ええ、そうです。お兄ちゃんはちょっとだけ人とは違うんです。そういうところが出ちゃいましたね、えへへ』
『……と、とにかく、利用したとかどうのこうのっていうのは気にしてませんよ、ってことです』
「そう……そうか」
『今日の配信、とても楽しかったですよ。たくさん笑いました。楽しいのが一番です。そういうことです』
つまりは、これ以上気にすんなよ、ということなのだろう。またコラボする時があっても罪悪感とかで言葉を選んだりせず、今日の配信の時と変わらない距離感で接してくれよ、と。
「ははっ、そうだな。……うちも楽しかった」
人とちょっとずれてる感性を持つジンラスなりの気遣いなのだろう。いろいろと常識から外れてはいるけれど、基本的な性根は善良だ。兄妹そろって優しいというのは、育ち方によるものなのか。
『あ、でも一つイーリイさんに訊きたいんですけどいいですか?』
しなきゃいけない話もし終わったし、そろそろお開きかと思っていたらジンラスが切り出してきた。
「お? なんだよ」
『僕をコラボに誘ってくれたのは同期全員でのコラボと数字のためってことでしたけど、そこまで数字に固執するのはどうしてですか?』
「っ……」
どくんっ、と視界が揺れる。思いも寄らぬ方向からの追及に肩が跳ねた。
『それが同期の子たちと登録者の数が離されちゃったから、っていう理由だったんじゃないの?』
『僕もそうだと思ってたんだけど、僕たち四期生はまだデビューしたばかりだし、そこまで焦る必要もないと思ってたんだよね。以前の礼ちゃんみたいに同期と十万人とか二十万人とか差があるわけじゃないし、後輩がデビューして追い抜かれたってわけでもない』
『なに?
『ち、違う違う。深い意味はないよ。僕はただ、これからの活動次第で転機なんていくらでもあるだろうし、まだ焦燥感に駆られる時期には早いんじゃないのかなって言いたいだけだよ。その転機として僕が選ばれたっていうこともあるのかもしれないけど、少しだけ違和感があったんだ』
同期と数字の差があって置いて行かれたくないから、と理由をつけられればふつう疑問を抱かないだろう。
どうして他にも理由があるなどという考えに至るのか。
「……いや、あー、うー……」
心臓が早鐘を打つ。心拍数が上がっている。
言ったほうがいいのか。言わないといけないのか。誰にも言っていないのに、親にも地元の友だちにすら話していないのに、今日初めて通話したジンラスに話すのか。
『イヴさん……まさか、まだなにかあるんですか?』
葛藤と戦っていると、疑惑の目を向けていると確信できる声色でお嬢に疑いをかけられた。
『言いたくないこともあるだろうし、そう無理矢理に聞き出そうとするものじゃないよ、礼ちゃん。僕の好奇心で訊いただけなんだから』
『むう……』
ジンラスはフォローしてくれたけれど、そんな中途半端なフォローをするくらいなら端から質問しないでほしかった。これではうちの心証が悪くなっただけだ。
今うちはお嬢の『好き』『嫌い』カテゴリのどちらに入るか選別途中みたいなものだ。あまり悪いイメージを持たれたくない。
「いや……おっけ。おっけおっけ。わかりました、話します」
『イーリイさん、抵抗があるのなら別に無理には……』
「うるせぇ。いい。話す」
呼吸を整えて、覚悟を決める。
鏡がなくても自分の顔が真っ赤になっているのがわかるくらい、顔が熱い。
「っ……夢が、あるんだ」
『……夢?』
兄妹が完全に同じタイミングで復唱した。声のトーンといい、イントネーションといい、まるっきり同じだった。本当に仲がいいな。
兄妹仲の良さに一瞬のほほんとしながら、意を決して話を続けようとしたら、うちがのほほんとしている間にジンラスが先に口を開いた。
『もしかして歌手になること、とかですか?』
『え?』
「なっ……」
ジンラスはピンポイントで的を射た。なんなんだこいつ、どうなってんだ。
『違ってました?』
「い、いや……そうだよ。合ってる。でも……なんで、わかったんだ。配信でも言ってねぇぞ、うち」
デビュー配信では『歌にも興味はある』くらいしか言及していない。歌とか音楽の話題についてはアイニャたちと同じ程度にしか触れていなかったし、これまでの配信でもゲームや雑談の配信ばかりで歌枠などは取っていなかった。
うちが音楽に興味があることなんて仄めかしていないのに、どうして気づけるのだ。
『夢があって、Vtuberでも叶えられるかもしれないものとなると候補は絞られますからね。同期のアールグレーンさんたちをとても大事にしてますし、他者を蹴り落としてでも配信者として有名になってやる、というような野心も感じられませんでした。なにより、音響関係への気の使い方が並外れているように感じましたから』
「……音響への気の使い方?」
『PCもコミュニケーションアプリの設定もしっかりやっているみたいですし、マイクにも注意しているようですね。僕が驚いたのは、防音や吸音にとても気をつけているところでしょうか』
「わかんのかよ」
『配信中あれだけ声を張り上げていたのに音が反響することがなかったんですよね。逆に静かに格ゲーの操作について教えてくれている時にも、環境音が聞こえませんでした。お住まいが閑静だとしても、マイクが高性能なので少しくらいは音を拾うことがあってもよさそうなのに、まるで聴こえなかった。なのでおそらく今いらっしゃるお部屋には防音材や吸音材をしっかり設置されているのだろうな、と』
自分の部屋をぐるりと見渡す。もとからそれほど広くはない配信用の部屋。壁には防音材を貼ってその上から吸音材で覆っている。そのせいで一回り以上狭くなっている。
『New Tale』からデビューする前に、収録用として使っていたのがこの部屋だ。近隣住民に迷惑にならないように、収録した歌にノイズが入らないようにと整えた。
こういう音周りの気配りは人一倍している自負はある。
だとしても、通話を繋いで喋っていただけでそんなことがわかるものなのか。
「お前……どんな耳してんだよ」
『おや、当たってました? ふふっ、うれしいですね。聴覚には自信があるんです。ちょっと前に、切り抜きを作ってくれている方と通話していた時には相手の最寄駅を言い当てたくらいなんですよ』
『えっ……それは、お兄ちゃん……』
「こわ……」
『……あ、あれ? すごいなー、ってなる流れじゃない?』
『うん……。耳がいいのは私も知ってたしFPSとかでも有利になるけど、あまり深く突っ込んで話さないほうがいいかも……。苦手な人だとどん引きなんて騒ぎじゃなくなる』
「……怖ぇよ」
『……わかりました。なるべく言わないようにします……ごめんなさい』
ジンラスのいつかの配信を切り抜いた動画のコメント欄に、ジンラスの聴覚の鋭敏さについて触れていたコメントがあったことを不意に思い出した。なるほど、たしかに人智を超越したレベルで聴覚が鋭いようだ。
こいつがタチの悪い人物じゃなくてよかった。この耳のよさは悪用しようと思えば
『……いや、今はイーリイさんのお話を聞く時間です。それだけ設備が整っているということは、以前から歌を投稿していたんですか?』
「ん……まぁな。今活動しているプラットフォームとはべつのとこでやってた。そっちで芽が出なくて、試しに『New Tale』に応募してみたら通っちまった。それならVtuberとして知名度を上げて、そこから歌を主軸にやっていけたらな、なんて甘いこと考えてたんだよ。魅力がねぇから芽が出なかったってのに……うちの歌で人の心を動かしたいとか、そんな身の程知らずな夢を見てるんだ。結果はこのザマだ、情けねぇ」
Vtuberとして有名になって、音楽をメインに活動していくのが目標だった。
でも目標ばかり高くて、なにも成果は表れなかった。昔と同じだ。うち自身に、強烈に人を惹きつけるようななにかがないから、有り体に言えば魅力がないから、結果がついてこない。いくら歌の練習に励もうと、ミキシングの勉強を重ねようと、結局は凡人の域を出なかった。
そして自分の力では現状の閉塞感を打開できないと諦めて、恥も外聞もなく、プライドも捨てて、一番苦労していた時に助けようともしなかったジンラスの人気に縋っている。
ああ。本当に、情けない。
『……夢』
ぽつりと、ジンラスが呟いた。
誰に聞かせるつもりでもなかったように。これまで配信中にも、お嬢とお喋りしている時にも聞いたことのなかったトーンだった。
「なんだよ。なんか文句でもあんのか?」
『いい、なあ……』
気のせいかもしれないほどわずかに、でもうちの耳がおかしくなっていなければたしかに、声を震わせながらジンラスはそう言った。
「いいって……なにが?」
『夢。自分の歌で誰かの心を動かしたい……そんな一途で美しい夢。僕は、感じたことがない。……羨ましいよ、本当に』
羨望や嫉妬のような、あまりにもジンラスらしからぬ暗くて濁った感情が言葉に滲み出ていた。
誰の目から見ても非凡なジンラスが、そういった凡庸な人間的感情を持ち合わせているだなんて思わなかった。あるいは平凡という枠組みから逸脱する異質な才能があるからこそ、普遍的な感性を希求するのか。
「……お前が言うほどに大層なもんじゃねぇよ。一途はさておくとして、美しくは絶対にねぇしな。血反吐撒き散らしながら地べた這いずり回って泥水啜るような思いでやっても、それでも自分の実力だけじゃどうにもならなくて……お前の人気のおこぼれに期待した。お題目は綺麗でも、やってることは汚ねぇよ」
『イーリイさんの性格を鑑みるに、できるのなら正々堂々自分の力で叶えようとしたはずだ。打ち明ける必要はなかったのにわざわざ僕を利用しようとしたことを話したくらい、一本筋が通った人だから。でもその信条を曲げてでも夢を叶えようとしている。それほどの熱量を傾けられる夢があること、僕は羨ましく思うよ。それほどまでに必死に形振り構わず目指すものがあることが、僕にとっては目がくらむほど眩しくて……羨ましい』
ずっと飄々としていたあのジンラスが悔しさや苛立ちめいた感情をかすかに声に含ませて、それなのに途中で言い止めることなく続ける。
『魅力がないなんて、嘘や冗談でもそんなこと言わないでほしい。どれだけの苦労を負おうと夢を追うあなたの姿は、誰よりも気高く輝いている』
恥ずかしげもなく、照れるそぶりもなく、言い淀むこともなく、ジンラスはそう締めくくった。
うちの語る夢なんて、それこそ夢物語のように途方もなくて、取り留めもなくて、現実味もない。
そんな無謀な夢を笑わずに、
いや、認めるどころか、という話だ。
滑稽なくらい無様に
こんなふうに誰かに理解されて応援されたことなんてこれまでの人生で一度としてなかったものだから、なんだろう、感情の置き所に困る。
端的に言えば。
少し、泣きそうだ。
「っ……そんな恥ずいこと、よく
恥ずかしさがあった。照れくさくもあった。なによりジンラスの前で、ジンラスの言葉で泣きそうになってる自分を知られたくなくて強がった。
だが、場の空気を冷やすようなことを言っても、ジンラスはなんら変わることがなかった。
『恥ずかしいこと……そういうものなのかな。黙っていても伝わるのならそれでいいんだけど、でも自分が何を思ってどう感じたかは……言葉にしないと人には伝わらないから。だから僕は、自分の気持ちを相手に伝える努力をするだけだよ』
言葉にしても思っていることの全てが伝わらないこともあるし、みんながみんな額面通りに受け取ってくれるわけでもないけどね。などとジンラスにしてはめずらしく自嘲気味に付け足していた。
誰しも思い出したくない過去とか、人生観を変えるきっかけみたいなものがあるかもしれないが、こんなふうに言うということはジンラスも相当な出来事が昔あったのかもしれない。
これからさらに仲良くなれば、そんな昔話もしてくれるのかね。
「あぁ、はいはい。おっけ、わかったよ。つまりはうちの夢を応援してくれてるって捉えていいんだな?」
『うん。応援しているし、僕はイーリイさんが魅力のある人だとも思っている、ってことだよ』
「ぅあっ、だ、だあぁっ! うっせぇ! 黙れ!」
『……お兄ちゃん? お兄ちゃんはべつに同期の女を
『口説く? そんなつもりはないけど……もしかして昨今は、落ち込んでいる人を慰めたり頑張っている人を応援することを口説くって表現したりする? だとしたら口説いてるのかも……』
『いや、そんな昨今は私も知らない』
『そうだよね? よかった。それじゃあ胸を張って口説いてないって言えるよ』
「なんで言葉の意味が変わった可能性まで考慮してんだよお前は。『口説いてない』この一言で済む話だろ」
『お兄ちゃんは人付き合いが皆無に等しいのでたまに面倒なことになる時があります。イヴさん、気をつけてくださいね』
『乏しいとかじゃなくて皆無とまで思われているんだ僕……。たしかに最近までご近所付き合いくらいしかやってなかったけど……』
問題の大部分はジンラスの交友関係の規模云々よりも、人付き合いの仕方にあると思う。
ジンラスがうちにしていたように、落ち込んでいる時に慰めたり、本人が気にしている部分をべた褒めしたり励ましたりしていたら、まともな女ならころっと好意を寄せかねない。ジンラスみたいな奴、世に解き放ったらとんでもないことになる。よかったな、うちがまともじゃなくて。
「ジンラスは本当になんもねぇの? そういう、これだけは成し遂げたい目標、みたいなもん」
自分だけ話して、挙句の果てに慰められたことが無性に悔しく感じてきたのでジンラスにも振ってみる。
『目標……すぐに思い浮かばない時点で、僕は目標や夢というものから縁遠い存在なんだな、ということを自覚してしまうけど……。あ』
『え? なにかあるの?』
「お、なんだ、思いついたか?」
『死ぬ前に礼ちゃんの花嫁姿は目に焼きつけたい』
『っ! っ!』
『礼ちゃんっ、黙って殴らないでっ……』
「だははっ! あはははっ!」
ぼふ、どふっ、と質量感のある音がマイク越しでもわずかに聞こえる。どうやらお嬢に殴られているらしい。くぐもったジンラスの声も時折届いてくる。
『そういうのじゃなくて! お兄ちゃん自身の目標とかの話でしょ!』
『だって、思い浮かばないんだよ……』
ジンラスは我欲みたいな欲望は薄そうではある。そうでなければお嬢の面倒を今の今まで見続けられなかっただろう。
「そんじゃとりあえずジンラスは考えとくとして、お嬢はなにかありますか? 夢とか目標とか」
『私ですか? 私の夢は昔から変わってないんですよね』
「そうなんすか! なんすかなんすか?!」
『ああ。ふふっ、あれね』
おそらくお嬢の配信をすべて追えているうちでも、お嬢の夢の話は聞いたことがない。ジンラスが聞いたことあるような素振りなのは、幼い時にお嬢から聞いたことがあるからだろうか。
『私の夢は「かわいいお嫁さん」になることです』
『はは、小さい時から言ってるよね。その夢がすでに可愛いよ』
「そっ……すね。かわいい、いい夢だと思うっす。きっとお嬢なら、いいお嫁さんになれます、よ……」
お嬢の夢は一見すると小学校低学年の女の子のようなかわいらしい夢なのだが、どうしてだろう。『かわいいお嫁さん』という本題よりも、その裏側に具体的にイメージされているだろう『お婿さん』のほうに意識が向いてしまう。しかもその夢を小さい時からジンラスには言っていた、というのがまた。
いや、うちは応援するけれども。推しの幸せがオタクの幸せなのだから。うん、お嬢の夢が叶うように、応援。
『お兄ちゃん、わかる? こういうのだよ、夢っていうのは。お兄ちゃんも「かっこいいお婿さん」とかにしとく?』
『あはは、結婚願望は今のところ持ったことはないけど、それよりも問題なのは相手がいないことだね』
『…………』
「あーあー! えっと……そうだ! 子どもの頃とかは? 宇宙飛行士になりたーい、とかそういうのなかったのか? 配信者になった今なら、有名になりたい、みたいなそういうのは?」
沈黙の圧が怖いお嬢から逃げるために強引に話題を変える。
ジンラスは承認欲求とは対極に位置する精神性をしていそうだが、子どもの頃に憧れた職業とかならまだなにか絞り出せるのではないだろうか。
『この仕事に就きたいみたいなのは考えたことないかなあ。有名になりたいっていうのも、それほど……』
絞り出せなかった。
なんなんだこいつ、夢がねぇな。夢や希望に瞳をキラキラさせたジンラスっていうのも中々に不気味な画ではあるが。
『あ、でも強いて言えば……』
「おお! なんかあったか!?」
『お兄ちゃん教えて教えて!』
『…………』
「おい。だんまりはおかしいだろうが。言えや」
『気になるっ、ねえっ、お兄ちゃんっ!』
『いや、でも、さすがに……』
ジンラスがこれほどまでに言い淀む夢とは、いったいなんだろう。これっぽっちも予想がつかない。まったくキャラではないけれど『女をはべらせたい』とか『金持ちになりたい』とか、そんな欲に塗れたこと言い出したらすっごいおもしろいんだが。
「うちも吐かされたんだからお前も吐けや」
『絶対笑わないしばかにもしないから! お願いお兄ちゃん!』
うちとお嬢の太陽と北風論法(?)により、ジンラスは長い沈黙を破ってとうとう口を開いた。
『……友だちが、ほしい……』
『……と、とも……』
「とも、だち?」
お嬢が小学校低学年女子みたいな夢を語ったかと思ったら、今度はジンラスは小学校に入学したばかりの男の子みたいなことを言い出した。人の心を震わせる歌手になりたいなんていう夢見がちな夢を掲げているうちがとやかく言えることではないけれども。
『は、はは……変だよね……ごめんね……』
うちとお嬢が言葉に詰まったことで悪い方向に考えてしまったのか、ジンラスは笑いとすら言えない乾き切った掠れ声を漏らして謝った。全然謝ることでもないし、ジンラスの目標というか夢というか、そういうのをおかしい、変だ、と馬鹿にするつもりもない。
ただ、
『へ、変じゃないよっ! ちょっと……思いがけないところだっただけで、うん! とってもいいよ!』
「友だち、がほしいってのは、それは夢……目標ってことでいいのか? とりあえず理由訊いていいか?」
『別に、あれだよ? 友だち百人ほしいとか、そういう話じゃないんだよ?』
「ああ、逆によかったわ。明日から小学校に入学する男の子の目標の話になるところだった」
『まず友だちっていう言い方がだめだね。この単語は傲慢だ。僕の目標はもっと謙虚なんだ。つまり友人がほしいってことだよ』
「うちは『友だち』と『友人』の二つにそんなに大きな違いを見出したことはねぇけど……」
『友だちって言っている時点で対象となる人物が複数人であることを前提としてるよね。さぞかしイーリイさんは「お友だち」がたくさんいらっしゃるのでしょうね!』
「おおう……。これまでにないくらい刺々しいな……」
ジンラスの語調が激しくなった。地雷ってどこに埋まっているかわからないから恐ろしいんだな。『友人』という表現が慎ましさを表しているのも、うちにはない感覚だ。
『イーリイさんみたいにフレンドリーで会話がお上手ならよかったんだろうけどね、僕は違うからね。高望みはしないんだよ』
フレンドリーかどうかは自覚はないし、なんなら初対面の人が相手だとうちは怖がられることが多い。それに話がうまいというのはまるっきりジンラスにも当てはまると思うのだが、本人はそうは思っていないらしい。
「そ、そうなのか……」
『そう。一人でもいてくれればいい。もちろんたくさんいるほうが好ましいことは否定しない』
「……ん? でもお前、配信中に友人が一人いるとかなんとか言ってなかったっけ?」
『そうだよ。
お嬢の言う『ゆゆ』とは、もしかして手描き切り抜きもやっている『ゆー』さんの本名なのだろうか。配信で名前を出すのを避けるために『ゆー』というあだ名を使っているのかもしれない。
ちゃんと紹介されたわけではないし、うちは聞かなかったことにしておこう。
『夢結さんはセクハラまがいなこと言ってこないし僕から友人認定を解除することはないよ。ただ、なんというか……僕の求める関係性はもっと親しいというか。それこそ、お互い暇だったら一緒にだらだらとゲームしたり、特に用事もないのに通話したり、その日の気分で遊びに行ったり、気軽に旅行に行ったりとか、そういう関係なんだよね』
「富士山の上でおにぎり食べたり?」
『友だち百人からは離れてもらって。日本中を一回り旅行するのは楽しそうだけど、世界を震わせるつもりはないよ』
なんで三番の歌詞まですっと出てくるんだ。よく拾えたなこいつ。
『あー……なんか、わかってきた気がする。つまりあれなんだね。お兄ちゃんは男子中高生みたいな感じの、フランクで雑で気を遣わないような関係性がいいってことなんだね』
『そう、そうなんだよ。日常系のマンガやアニメで描写されてるような付き合い方に憧れがあるんだ。何をするわけでもないのにとりあえず集まってみたり、ゲームに熱中しすぎて流れでお泊まりしてみたりとか。いいよね、そういうの』
お嬢曰く、ジンラスのできることは幅広い。
家事もこなせて、箱内学力テスト殿堂入りのお嬢に教えられるくらいに勉強もできる。お嬢のお願いという名の無茶振りによってギターやらカクテル作りやら色々と多芸で、身内贔屓も入っているのかもしれないがお嬢が言うにはスタイルも良くて格好いいとのこと。配信者としても多才だ。耳に心地よい声で、話の引き出しも多い。ゲームのセンスは今日初めて触った格ゲーでも、お嬢とのコラボでよくやっているFPSでも証明されている。
これだけ傑出した人物は、少なくともこれまでのうちの人生の中では出会ったことがなかった。なにをやらせても上手くいくんだろうな、と思わせられたのはジンラスが初めてだった。
それほどまでにうちに大きな衝撃を与えたジンラスが焦がれるほど憧れているのが『友人』って。
「あはっ、ははっ、だはははっ」
『……うるさいなあ。イーリイさん、あなたにとっては特別なものではないかもしれないけど、僕にとってはとても貴重な存在なんだよ』
『イヴさん! 笑わないでください! お兄ちゃんは真剣なんですよ!』
「いや、お嬢。馬鹿にしてるわけじゃないんす。ただ、ジンラスの新しい一面を見れた気がして。お前……かわいいとこあるなぁ」
『うるさい』
「かわいいとこあるなぁお前!」
『うるさい』
そう。ごちゃごちゃと言葉を並べても仕方がない。つまりは『かわいい』の一言に集約されるのだ。
うちは無意識下でジンラスのことを特別視していたのかもしれない。なんでもできる奴、器用貧乏とは一線を画す万能タイプ。なんでも涼しい顔で器用にこなしそうな、人間を手のひらで転がして意のままに操ったりできそうな、まさしく悪魔のようなイメージ。
だが、不器用なところがあった。かわいい夢があった。
なぜだかそれだけで、ジンラスが身近に感じられた。
「なぁジンラスおいお前おい!」
『なんなんだ本当にあなたは……。急にテンション高くなって……』
ウザ絡みみたいになってしまっているのは、多少は申し訳なく思わなくもない。でも仕方がないのだ、今は我慢してほしい。
嬉しい気持ちが抑えられないのだ。
「これからよろしくなぁっ! ジンラスゥゥっ!」
『なん……ふっ、どうしたの? くくっ、本当にちょっとおかしっ、あははっ! うん。よろしく、イーリイさん』
『……イヴさんもけっこう……うーん、まあいいか……』
女友だちと同じくらい男友だちもいたが、男に対してこれほどリスペクトとかわいいという感情を同時に抱いたことはなかった。いつの間にか仲良くなっていたことはあっても、知り合ったその日に、こいつとは仲良くなりたいと思ったことは初めてだった。
特別視とはまた違う意味で、ジンラスは特別な存在かもしれない。
ということで同期のイーリイさんとのコラボでした。
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次はお兄ちゃん視点に戻ります。