サイコバグなお兄ちゃん、Vtuberになる。   作:にいるあらと

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「これから始めればいい」

 

「吾妻さんだけ秘密を打ち明けるっていうのも不公平だから、せっかくだし礼ちゃんの秘密も打ち明けるっていうのはどう?」

 

「……へ?」

 

 まさか身内から背中を切られるなんて思いもしなかったのか、礼愛は切れ長の双眸を大きく見開かせていた。口もぽかんと開いている。いつもは大人びた外見と落ち着いた仕草の礼愛とのギャップで幼く見えた。

 

 でも幼く見えようが可愛く見えようがそんなこと知ったこっちゃない。切羽詰まっているあたしは全力で乗るしかないのだ、このビッグウェーブに。

 

 お兄さんに縋り付く。もちろん身体的接触なんてテーブルを挟んでいる以上物理的にできないし、単純に精神的にもできない、シラフでは。なので視線で縋り付く。

 

「お兄さんお願いしますこのままじゃあたし弱み握られて礼愛の使いっ走りにされてしまいます」

 

「しないよそんなこと! だからお兄ちゃんこの話はなしってことで……」

 

「お願いしますお兄さんお願いします」

 

 ここで逃げられたら今日、あたしは笑い話の種を提供するためだけにここにきたことになってしまう。どうにか礼愛の秘密を暴くため、礼愛の弱みを握るため、強引に話に割って入って遮って、お兄さんに催促する。催促というか懇願というか、哀願だ。

 

 するとお兄さんは、それでは遠慮なく、とにこやかに頷いた。

 

「礼ちゃんは学校では優等生みたいだけど、家では結構甘えん坊なところがあってね」

 

「お、お兄ちゃん、や、やめよ? 私が悪かったから……ね? ね?」

 

「駄々をこねるものだから高校生手前くらいまで一緒にお風呂に入ってたり」

 

「えぇ……」

 

「お兄ちゃん様ごめんなさいなんでもするからこれ以上はやめてください!」

 

「なにもしなくてもいいんだよ。僕はただ、礼ちゃんの格好いいところだけじゃなくて可愛いところも知ってほしいだけなんだ」

 

「悪意がないぶん私よりも(たち)が悪い!」

 

「とても優しいお兄さんだね」

 

「こいつぅっ!」

 

「他には……リビングの、ああ、あそこのソファだよ。あのソファで本読んでたら、隣で座ってた礼ちゃんが僕の膝を枕にして、まるで猫みたいに擦り寄ってきたりしてね。頭を撫でてあげると嬉しそうに目を細めたりしてくれるんだよ」

 

「へぇぇ、猫みたいに? へぇぇ、嬉しそうに?」

 

「や、やめて……もうやめ……」

 

「いつもは後輩の頭撫でたりして可愛がってるのに、家ではお兄さんにしてもらってるんだぁ。あ、お家でお兄さんに甘えてるぶん、甘える側の気持ちよさとか甘やかし方を知ってるのかぁ。なぁるほどなぁ」

 

「ぐうぅっ……くぬぬ……」

 

 お兄さんからの恥ずかしリークに耐えるように小さくなる礼愛。気分がとてもいいけれど、だからといって礼愛の膝の上に置かれている固く握り込まれてぷるぷる震える手を見逃してはいけない。イジワルのライン越えをしてしまうと、あの握り締められた拳があたしの顔面に突き刺さりかねない。

 

 といっても、対礼愛への安全保障の擬人化といっていいお兄さんが目の前にいる以上、礼愛の潤んだ睨みなど恐るるに足りぬがな(お兄さんがいない時にどうなるかは考えていない)。

 

「あと礼ちゃんは怖い物も結構苦手なんだよね。そのわりにはテレビとかでやってる怖い話をよく見るんだ。つい最近も一人で寝るのが怖いからって、僕の部屋にきて一緒に寝て、って言ってきて」

 

「幼女ムーブだ! 礼愛、(よわい)十七の女がやって許される行動じゃないよ!」

 

「ここぞとばかりに煽ってくるね! 夢結がそこまでやるっていうんならいいんだよ、私は。夢結が中学生の時に綴っていたらしい夢小説(書き物)をお兄ちゃんの前で朗読したって! なに? どうするの?」

 

「はあぁっ?! ちょっ……いや、あんた……それはダメでしょ。そこまでやっちゃうと戦争でしょ。ていうかなんでその存在を知ってんの?! あれはもう既に見れないようにしたはずだし、データも破棄して……」

 

「夢結の妹ちゃんが笑いながらコピーしたやつくれた」

 

「なにやってんだあのク……お茶目な妹はァ……っ」

 

 言いかけて、ありったけの理性でもって寸前で取りやめる。お兄さんの眼前でそんなお下品な言葉を使うのは躊躇われた。まあ、あの妹に対しては『クソ』なんて言葉では到底足りない怒りを覚えているけれど。

 

 姉の黒歴史の煮凝りとも呼ぶべき存在を、その姉の唯一の友人に渡すとか頭が沸いているとしか思えない。本文文中の一節を唱えるだけであたしが苦しみ悶えるぞ。

 

 汗をうっすら滲ませているところを見るに礼愛も相当なダメージを負っているようだが、それでも勝ち誇ったように鼻で笑う。

 

「まあ、これに懲りたらおいたもほどほどにね。夢結だって毎夜枕に顔を沈ませて『うわああぁぁっ!?』って叫びたくはないでしょ」

 

 それは言外に、これ以上抵抗するなと示していた。

 

 たしかにこれ以上リスクを冒して反発する理由なんてない。夢小説の存在を知られただけでも心臓に悪いのに、作中の数ページ分でもお兄さんの前で読み上げられた日には、あたしは家に帰るのを待たずにこの場で血反吐を吐いて絶命する可能性まである。

 

 だがもうここまできたら、あたしのプライドの話なのだ。礼愛に精神的優位の立場を与えたくない。あたし優位ではなくてもいいのでせめてイーブンに持っていきたい。

 

 なのでここで、鬼札を切る。これまでは使えなかった手だ。

 

 礼愛よ、舐めるなよ。あたしは同人誌の件と泡遊び勘違いの件の時点で、向こう数年単位で枕に『うわああぁぁっ!?』って叫びたくなるくらいの恥はかいているのだ。数年追加されようがたいして変化はない。恥の多い生涯を送っているのだ。もうなにも恐くない。

 

 お兄さんをちらりと見てから礼愛に焦点を合わせる。

 

「そっちがその気なら、こっちは学校で礼愛が話してることを喋ったっていいんだよ」

 

「学校での話?」

 

「プライバシーへの配慮なんてガン無視で、礼愛がいつも自慢げに話していることをね」

 

 目の前にお兄さんがいるので遠回しに礼愛を脅迫する。

 

 定期購読してないにもかかわらず、高校ではずっと『日刊・お兄ちゃん』を礼愛に聞かされ続けてきたあたしだ。お兄さんデータのバリエーションの豊かさは並ではない。

 

 そのお兄さんデータの中には、一緒に暮らしているだけでは知りようのない情報も含まれているのだ。確実にガサ入れや出歯亀くらいはしてる。聞いてるあたしのほうが恥ずかしくなったり罪悪感に苛まれたりするくらいの情報がたくさんある。いや、もちろん一番恥ずかしいのはお兄さんだろうし、もちろん一番罪悪感に苛まれるべきは礼愛だけれど。

 

「そ、そんなことをすれば夢小説(書き物)が……」

 

「ハ! 気にするな、致命傷だ」

 

「っ……」

 

 驚愕と苦悶の表情で礼愛が歯噛みする。

 

 きっと今、その賢い頭でリスクの計算をしていることだろう。これまでのあたしとの短くない付き合いの間で何をどれだけ喋ったかなんてさすがに記憶にないだろうし、あたしだってどの情報がお兄さんの機嫌を損ねるかわからないが、お兄さんは礼愛にとって唯一にして最大の弱点だ。わりとシスコンを拗らせているお兄さんが長期間礼愛と距離を置くとは思えないが、お兄さんとお喋りできなくなるかもしれないという可能性だけで、礼愛への抑止力足り得る。

 

「…………」

 

 とはいえあたしから踏み込むこともできない。強がってはみたものの、やはり推しの前で黒歴史を朗誦(ろうしょう)されるのは痛い。お兄さんに引き攣った笑顔でフォローでもされてみろ。三、四回くらいは死ねるだけの傷を負う。

 

 そういえば、社会科の先生がこの状況に似たようなことを話していた気がする。あれは、なんだったか。たしか。

 

「……相互確証破壊」

 

 既に記憶の彼方へと追放された授業での一幕をあたしが引っ張り出すよりも先に、礼愛が引き出しでも開くように、すっと口にした。

 

「あ、それそれ。さすが礼愛。よく覚えてるね」

 

「いや、授業中ヘッドバンギングしてた夢結がこれを覚えていたことに逆に驚くよ」

 

「いくら眠たくてもそんな勢いで頭揺らさんわ!」

 

「お互い黙っていたほうが、お互いに得になりそうだね。うん、そういうことにしよう」

 

「あたしは礼愛に書き物を知られている時点でだいぶメンタルにきてるけど、まあいいや」

 

「安心してよ、まだ読んでないから」

 

「安心させたいならデータ消してよ」

 

 それはできないなあ、なんて言って、礼愛は笑った。

 

 こんな腹の探り合いというか、牽制の応酬は親友と呼ぶに相応しいか怪しいところだが、本音でぶつかれないような間柄はそれこそ親友とは呼ばないだろう。あたしと礼愛の関係はだいたいこんな感じなのだ。少年漫画のようなものだ。言葉で殴るか実際に殴るか程度の違いである。

 

「あははっ」

 

 優雅に紅茶を飲んでいたお兄さんが朗らかに笑っていた。これまでもあたしたちのやり取りを微笑ましそうに見て笑っていたけれど、変に我慢したり押し殺したりしないで声に出して笑うところは初めて見た。

 

「なに笑ってるの! こっちは女同士の熾烈な戦いが行われていたというのに!」

 

 笑った時の幼く見える推しの表情にときめいて言葉が出ないあたしに代わり、礼愛がぷんすかと怒っていた。

 

「いや、ごめんね。やっぱり仲良いなあって思ってたら、ついね。口調が僕と喋ってる時と違うのが新鮮で」

 

「むっ……そりゃあお兄ちゃんと喋る時とは違うよ。まあ夢結の場合は学校の子たちとも違うけど」

 

 たしかにそうだ。学校での礼愛は後輩に対しては世話焼きな優しい先輩然としていて、同級生に対しては親しみが持てて頼りになるクラスメイトとして、あたしに対しては気を使ったり遠慮することもなくまるで殴りつけるように言葉をぶつけている。

 

 お兄さんと喋る時は、あたしの時の接し方に近い。棘と毒を少し抜いて、代わりに甘えを加えているような塩梅だ。遠慮なく接するのは距離が近いからだろうけど、その上で甘えるのはきっと、もたれかかっても抱き留めてくれると確信しているからなのだろう。

 

 礼愛のこと、あんまり言えないな。こんなお兄ちゃんいたらあたしでもべたべたに甘えるわ。

 

「いい子だね、吾妻さん」

 

「へぁっ?! い、いえ?! そんな!」

 

 お兄さんがあたしの兄だったら、という妄想に足を踏み入れかけていた時に急に褒められたせいで奇声を発してしまった。とりあえず謙遜しておくことしかできない自分が情けない。

 

 ここで、礼愛にもよくしてもらってます、くらいのことをすらすらと言えたら──

 

「そうでしょ? 夢結ってば反応が良くておもしろいんだよ」

 

 ──言えたら後悔しただろうからあたしは今のままでいいや。

 

 おもしろいってなんだ。ピエロかなにかか。よくしてもらってます、とか咄嗟に言わなくて本当によかった。なんなら、よくしてあげています、くらい言ってもよかったかもしれない。

 

「本当に羨ましくなるくらい、いい友人だね。ここで二人に(なら)って僕の秘密を打ち明けると、僕って友だちいないんだよね」

 

「打ち明けるっていうか、私の場合は勝手にお兄ちゃんに打ち明けられたんだけど。なんなら派手に打ち上げられた感じなんだけど」

 

「……え? あれですか? 一緒に旅行とかに行くくらい親しい仲の友だちはいないっていう……」

 

 隣でぐちぐち言ってる礼愛を横目で見ながら、でも突っ込むことも相槌を打つこともせずにお兄さんに訊ねる。

 

 礼愛はお兄さんからのリークだから一言物申したいのかもしれないけど、あたしのことをリークしたのはあんたなんだからね。あたしだって一言物申したいところなんだぞ。

 

「ううん、違うよ。お兄ちゃんはリアルのガチで友だちゼロなんだよ。永遠にゼロ」

 

「これまでは事実だからともかく、これからも僕は友だちゼロなのか……」

 

 ぐちぐちモードは終わったのか、礼愛が補足する。その補足について、お兄さんも一言物申したいような素振りだった。

 

 しかし、(にわか)には信じられない。これだけ優しくて聞き上手で話を振るのも上手なお兄さんに友だちがいないなんてありえるのだろうか。

 

「そんな、言い過ぎでは……」

 

「メッセージアプリ見る? 登録されてる友達数、ちょっと前に一人増えて四人になったんだ」

 

 お兄さんがスマホを取り出し、操作する。どうでもよくないけど、スマホのケースが礼愛と色違いだった。どんだけ仲良いんだよこの兄妹。

 

 お兄さんがスマホをこちらに向けてくれた。国民の三分の二が使っているとも言われているメッセージアプリを見せてもらう。そこに並んだ名前は本当に四つだけだった。

 

 リアルのガチで四つだけだった。画面下部の余白がとんでもないことになっている。

 

「す、すごい……この前なにかの記事で読んだ時には、利用者の平均友達数は百人を超えてて、頻繁にやり取りする友達数でも平均十人以上ってあったのに……」

 

「だいぶお兄ちゃんが平均を下げてることになるね」

 

「友だちいなくてごめんなさい」

 

 すごく悲しくなる謝罪だった。

 

「だ、大丈夫ですよ! あたしだって平均下げまくってますから! まともに連絡取ってるのも家族を抜いたら礼愛だけです!」

 

「二人して心が痛くなる話するのやめてくれない?」

 

「僕なんて家族を抜いちゃったらそれもゼロなんだけど」

 

「心が痛くなる話を続けないで」

 

「ん……あれ?」

 

 ふと、礼愛の家族構成を思い出す。

 

 礼愛の家はお父様とお母様、お兄さんと礼愛の四人家族のはずだ。それならば登録されているのは三人になるはず。

 

 ふたたびお兄さんのスマホを覗く。

 

 もちろんお兄さんを除いた家族三人分の名前は並んでいる。しかし、家族の比率が高いからこそ、その中で異彩と存在感を放つ名前がある。

 

「あ、あ、ああの、こ、この……『わかくさ はれの』っていう人は……?」

 

 四分の三が家族で占められている中、唯一家族ではない人物の名があった。しかも、名前から推察するに女性だろう。

 

 これはもしやあれか。友だちはいないけど彼女はいる、みたいな話なのか。

 

 どうしよう。いやどうしようもくそもないんだけど解釈不一致で脳がバグりそう。寝取られには造詣が深くないのに。あたしは別にお兄さんの彼女でもなんでもないので寝取られでもなんでもないのだけれど。

 

 震える指で見知らぬ女の名前を指し示すと、お兄さんは苦笑いしながら答えてくれた。

 

「その人は弁護士の先生だよ」

 

 端的に説明してくれたけど、端的すぎてわけがわからないよ。いったいどういう出会いがあれば弁護士と友達登録する機会に恵まれるのだろう。

 

「ん? あー、若草さんか」

 

 ここで意外と、というと偏見かもしれないが、礼愛が平然と口を開いた。もっと過敏に反応するかと思った。

 

「お兄ちゃんが倒れちゃった時に、お兄ちゃんが働いてた会社とお話ししてくれた弁護士先生だよね」

 

「若草さんは『先生って呼ばないでください』って言ってたけどね」

 

「あ、そういえば過労で倒れたって……」

 

 ここまできてようやく思い至った自分に腹が立つ。今日も礼愛がその話をしていたのに。

 

「礼ちゃんから聞いたのかな? そうなんだよ。はは……いい大人なのに体調管理もできないで倒れちゃってね」

 

「あれは体調管理以前の問題だったでしょ。お兄ちゃんはなにも悪くなかったじゃない。若草さんに無理言って資料見せてもらったんだけど、なんなの? 平均残業時間百五十時間って。倒れた月の残業時間なんて二百時間オーバーだったじゃない。一日が何時間あるかわかってるの? どうせ他の人の仕事も引き受けてたんでしょ。お兄ちゃんが辞めてから、調べるのに協力してくれた同僚の人も辞めたらしいしね。お兄ちゃんが辞めた途端、他の人も逃げ出すくらいに仕事押しつけられてたってことでしょ。倒れるのも当然だよ。二年続いたほうがおかしいんだからね」

 

「いやあ……でも、その……」

 

「っ……倒れるほど疲れてるんなら、そう言ってよ……」

 

「うっ……ご、ごめんなさい……」

 

 怒涛のように言い連ねる礼愛に、お兄さんはしどろもどろに弁解しようとする。でも絞り出すかのように悲しげに震える礼愛の言葉に、お兄さんは頭を下げるほかに何もできなくなった。その痛々しいまでの悲痛な訴えは、無関係なあたしですら礼愛の顔を見られないくらいだ。

 

「……あの、ほら……周りの人も死にそうな顔して山積みにされた仕事を片付けてたから、思わず……。そ、それにまさかそんなにひどいことになってるなんて自分でも気づいてなくて……」

 

「自分でも気付かないくらい無理してたってことでしょ。反省して」

 

「はい……心配させてすみませんでした」

 

 お兄さんは一言も反論することなく、テーブルに額がぶつかりそうになるほど深々と頭を下げた。

 

「もうお体のほうは大丈夫なんですか?」

 

 純粋にそう思ったからか、あたしは口籠もったり詰まったりせず自然と言葉が出た。

 

 お兄さんは頭を上げ、ひらひらと手を振りながら答えてくれる。

 

「優しいなあ、吾妻さん。心配してくれてありがとうね。それはもう、完全に復調したよ。僕の体感では、睡眠不足かなあ、くらいしか思ってなかったしね」

 

「そんなわけないでしょ。あれだけ長時間働いててそんなわけないじゃん」

 

 肝が冷えるくらい感情の籠らない声で呟いた礼愛に、お兄さんはビクッと肩を跳ね上げて再び頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい。そ、それで、その時に労働災害について詳しい弁護士として紹介してもらったのが若草さんだったんだよ。とても親身になってくれて、頼りになる先生だったよ」

 

「い、今でもこ、交流などあるんですか?」

 

 まるで彼氏が元カノと会っていたことについて問い詰める面倒くさい彼女のような発言だ。言うまでもないが念のため一つ注釈を入れると、あたしは、お兄さんの、彼女では、ない。まったくの無関係者である。

 

「え? あはは、ないよ。向こうは若手一番の出世頭って言われるくらい敏腕の先生だからね。一ヶ月くらい前かな? あれから体調どうですか、っていうお話をして以来、連絡は取ってないなあ」

 

「そ、そうなんですねぇ」

 

 安堵に近い息を吐いたのはあたしだけではなかった。隣の席からも聞こえたということは、礼愛も少なからず気にしていたのだろう。体よくお兄さんに聞く役目を担わされた気がする。

 

 特別な関係でもないのに推しが異性と関わっていたら嫉妬するという厄介が過ぎるオタクムーブを、なんらかのインターフェイスも介さずに事もあろうに推し本人へしている状況に自己嫌悪する。

 

 そんな感情が表情にまで現れたのか、頬が引き攣る。

 

 ああ、今きっと、ちゃんと笑えていない。

 

「会社辞めちゃったから、今は無職なんだよね。いやあ、妹の友人さんにこんな話するのはさすがに僕でも恥ずかしいというか情けないというか、肩身が狭い思いだけど」

 

 はは、と頭をかきながら照れ隠しのようにお兄さんは笑う。

 

 え、あれ、もしかしてあたし今誤解されてないか。頬が引き攣っていたところを見られて、あたしが『なんだよこいつ、いい歳してニートかよ』とか考えてたんだろうな、ってお兄さんに思われてないか。

 

 ま、まままって、まってよ、それはまずい。

 

「い、いやそれは……あれです、充電期間です! 電池が空になるまで頑張ったんですから、ちょっと休憩して充電するくらいいいんです!」

 

「夢結、いいこと言うね。そうだよお兄ちゃん。充電期間だよ。ていうか家事とかお父さんやお母さんの仕事の手伝いもしてるんだから、ニートとは違うよ」

 

「はは……ありがとね。ちょっと気持ちが楽になったよ」

 

 乾いた笑い声だった。単なる社交辞令とかだと思われた可能性が高い。

 

 ちょっと今日のあたし空回り多すぎないかな。やることなすこと全部裏目なんだけど。せっかく推しに会えたのに好感度下げるようなことしかやってねぇ。

 

 しかしだからといって、失点をカバーするほどのファインプレーができるようなコミュニケーション能力は培われていないし、他の打席で点数稼いで挽回できるような明るい性格も持っていない。

 

 あれ、もしかしてこれ試合終了かな。おかしいな、まったく諦めていないのにコールドゲームで試合終了しそう。

 

 何か喋らないと、とは思いつつも何も喋ることが思いつかない、という心理状態を表すように口をぱくぱくさせるだけのあたしの隣で、礼愛がケーキをぱくつきながら言う。

 

 そういえばケーキがあったんだった。場を繋ぐためにも一口いただこう。あら、おいしい。

 

「でもこれからは私と一緒にVtuberするんだから、もう無職じゃないね!」

 

「ふもっふ」

 

「吾妻さん大丈夫?!」

 

 礼愛の一言に詰められている情報量が多すぎてケーキをうまく飲み込めなかった。咳き込みながらなんとか嚥下する。

 

 危なかった、これがミルクティーを飲んでいる時だったら推しの顔面に白濁液を噴射するところだった。そんな高尚な趣味はまだ会得していない。

 

 いつの間に持ってきたのか、水が注がれたコップをお兄さんから受け取り、感謝を述べつつ口と喉に残ったケーキの残骸を洗い流す。

 

 気を遣われて背中をさすられた嬉しさと、()せた恥ずかしさが、なんかこう、悪魔合体してよくわからない感情が生まれそうになってる。全身の血管が爆発しそう。

 

「ありがとうございます、お兄さん。えほっ。……えと、まず礼愛、Vtuberやってたの?」

 

「礼ちゃん、吾妻さんに言ってなかったんだね」

 

「いやあ、ほらなに? さすがに身近な人間に配信とか見られるのは恥ずかしいって思う部分はあるよ」

 

「そ、そそそれで、お兄さんもVtuberされるんでしゅか? ……ですか?」

 

「え、あれ……そこも吾妻さんに言ってなかったの? 手伝ってもらってるんだから事情を話しておいたほうがよかったんじゃないかな?」

 

「いや、そこは伝えたはずだけど……。私、夢結に伝えてたはずだよね? 二本目のボイスドラマ作る前の説明で、Vtuberの選考に応募するからって」

 

「……ああ?! あの時か!?」

 

 一本目のボイスドラマを堪能、もとい仕上がりを確認している時に、礼愛が何か言っていた気がする。もしかして、あの時に説明してくれていたのか。話半分、どころかもう二、三回半分にしたくらいの状態で聞いていて、まともに脳みそに入ってきていなかった。

 

 なんらかのオーディションやらなんやらになにかするとかどうとか言っていたような気がしないでもないような、そんなあやふやな記憶が薄ぼんやりと浮き沈みしてきた。

 

「伝えてんじゃん……」

 

「ご、ごめん。ボイスドラマの出来を確かめてたし、なにより三徹してて意識が朦朧としてた」

 

 意識が朦朧としていた理由の主たる部分はお兄さんの声だがな。

 

「吾妻さん。そんな状態で手伝わせてしまった僕が言うのもなんだけど、ちゃんと寝ないと体壊すよ?」

 

「す、すいません……」

 

 推しから心配されちゃった。三徹の眠気に耐えて礼愛からの要請を受けた甲斐があったってもんだね。

 

 にへらと緩みそうになる表情筋に力を入れて、それでもゆるゆるになるだらしない頬を隠すため頭を下げるようにして俯いた。

 

「本当にお兄ちゃんが言うのもなんだよね。ジョークがブラックすぎるよ」

 

「ご、ごめんなさい……あ、会社もブラックっていう……」

 

「は?」

 

「すみませんでした」

 

 あたしとそっくりな動きでお兄さんも頭を下げた。お兄さんは今日だけで何回礼愛に頭を下げてるのだろう。

 

 お兄さんのその謝罪の動作には洗練された何かを感じる。やり慣れているのか。先述の会社で磨き上げられてしまったのか。

 

「あー……でも、お兄さんがVtuberかぁ……絶対推す」

 

 姉の手伝いだけじゃ足りなくなるだろうし、バイトでもしようかな。推しにはスパチャ投げたいし。

 

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、まだ受かってないからね? 今日だって書類と送った動画の選考が通ったっていうだけで。でも、吾妻さんが書いてくれた台本がよかったから、選考を通過できたんだと思うよ。改めてありがとうね、手伝ってくれて」

 

「いえ、あ、あたしはそんな……こっ、こちらこそありがとうございます!」

 

「う、うん……謙遜するのはまだわかるけど、こちらこそありがとうはよくわからないかな……」

 

「ちょっとお兄ちゃん! 私も頑張ったんだけど!」

 

「礼ちゃんには前の動画完成おめでとう会でもう言ったでしょ」

 

「何回も言われたいの!」

 

「感謝の言葉を強請(ねだ)らないで……。たしかにここまで残ったのはすごいなと思うけど、男性の枠があるかも怪しいし、受かるとは思えないんだけどね」

 

「そういえば応募するってことは企業に所属するってことですよね? どこに応募したんですか?」

 

「あたしと同じ『New Tale(ニューテイル)』だよ」

 

「おー。『New Tale(ニュート)』って言ったら、そこまでVtuberに詳しくないあたしでも名前聞いたことあるくらい有名なところだね。礼愛そんなとこでVtuberやってるんだ、すごいね」

 

「その略し方知ってる時点でだいぶ詳しいとは思うけどね。箱はともかく、私個人の人気のほうはそこそこだよ。先輩たちは華やかで魅力のある人たちだし、同期は個性的で面白い人たちばっかりだし、後輩は正統派って感じで声も性格もすっごい可愛いし、私は結構埋もれてる感じかなあ。同期で登録者数は私が一番下だし。特色っていうと……なにかあったかな、ゲームの腕くらい? それだってお兄ちゃんに教えてもらったおかげだしね」

 

「実力主義で人気商売な世界だもんね。その点、礼愛はちょっとお利口さんすぎるか」

 

「あはは! たしかに! いろんな意味ではちゃめちゃな子多いからなあ」

 

「お利口さんだと難しいものなのかな?」

 

 お兄さんがそう訊くや、間を置かずに礼愛が答える。

 

「視聴する人たちは娯楽や刺激を求めてるんだよ。他とは違った視点や考え方からのコメントを求められてるんじゃないかなあ。純粋に可愛いかったり、声がよかったり、トークが上手かったり、コラボ相手やリスナーとかと面白い掛け合いができるアドリブ力、とか? まあ他にもこの人の配信見続けたいなっていう要素はたくさんあるけど、全体的にそこそこ上手くやれる子よりもなにか一点突破するような強烈な個性があるほうが、より人の目を引くんじゃない? 今はVtuberも人口増えてるし、特出するものがないとどうしても他との差を作れないからね。その例で言えば、あたしはユーモアのあるぶっ飛んだコメントなんて思いつかないし、特徴だって人より少しゲームが上手いくらいしかない。声も取り立ててかわいいほうじゃないし」

 

「礼愛はいい声してると思うけど、どちらかといえば可愛い女の子系ってよりも綺麗なお姉さん系だもんね」

 

「僕は礼ちゃんの声はかわいいと思うんだけどなあ」

 

 礼愛がかわいい声を出すのはお兄さんの前だけなんだよなぁ。

 

「ありがとお兄ちゃん! 夢結もありがとね。でも配信中だとだいたいつんつんした声なんだよね、私」

 

「たしかに切り抜きでは基本的に普段より声低かったっけ……」

 

 やはり実際にVtuberをやっているだけあって、礼愛もいろいろ考えているようだ。これだけすらすらと売り出すためのポイントや、人気のある人の共通点を列挙できるのは、日頃から研究しているからこそなのだろう。

 

「キレのいい変化球は目を引くけど、だからといって直球が嫌厭されるわけじゃないよね。あたしがよく見てるVtuberは、王道な感じの人だし。天家(あまや)(てる)ちゃんっていうんだけど」

 

「うちの先輩じゃない。やっぱり夢結詳しいでしょ。……照先輩の場合は、他とは一線を画すくらい優しかったり、頭おかしいくらい善良な人っていう個性があるからね。しかも演技じゃないっていうのがいいよね。喋ってるだけで癒されるってすごい。なによりやっぱり声がいいんだよね。ヒーリング効果があるって言われるくらいだもん。人気があるのも頷けるよ」

 

「それでいうと礼愛は器用貧乏だね」

 

「うるさいなあ、自覚はあるよ。逆に夢結は向いてるかもね。その人間社会に溶け込むのに苦労しそうな倫理観とか最高にいいと思うよ」

 

「遠回しにサイコパスだって言ってない? もっと褒めるところあるでしょ!? 声とか!」

 

「コメントで〈マイク壊れてる?〉って言われそう」

 

「誰がだみ声だぁ! かわいいやろがい!」

 

「くっ、ふふっ。うん、吾妻さんかわいいね」

 

「ぐぅっ……」

 

 礼愛と二人でいる時みたいなリアクションをしてしまった。男子高校生みたいなノリになっているところをお兄さんに見られてしまうなんて、顔面が発火するくらい恥ずかしい。

 

 でも、こんな状況なのにお兄さんから『かわいい』って褒められて嬉しいと感じてしまっている単純なあたしがいる。

 

「夢結はおもしろくてかわいいんだからずるいよね」

 

「おもしろさなんか求めてないんだよなぁ……。あれ、そういえば『New Tale』って男性って入れるの? 『EZ』みたいに女の子だけじゃなかったの?」

 

 人気のあるVtuber事務所のツートップの一つ『End Zero(EZ)』は、アイドルグループに近い方向性で売っているため、男性は一人もいない。女性オンリーの事務所だ。コラボ配信する時も身内か、たまに他の企業勢や個人の女性Vtuberだけというこだわりよう。ごく一部に男性Vtuberと絡む人もいるみたいだが、それは女性側の人気の高さとキャラクター性がリスナーに認められているからこそ許されるのだろう。

 

 礼愛が所属する『New Tale』も『End Zero』と似たような傾向にあると思っていた。

 

「一期生に男性が一人一応在籍してるよ。応募条件も女性限定にはなってないし」

 

「へー、いたんだ。目立たないから知らなかった」

 

「今は活動休止中だから目立たないのも無理はないけど……反応しにくいこと言うのやめてよ、私からしたら先輩なんだから」

 

「あはは、ごめんごめん。あ、お兄さんが心配してるのってそこですか?」

 

「そうそう。男性が採用される枠があるのかなっていう疑問は持ってるね。でもそれ以前に、配信者としての素質が欠如してるっていう問題点があるよ。面接の時には、そういった浅い部分を見抜かれるんじゃないかな」

 

 お兄さんは淡々とした口調でそう言った。

 

 自虐を否定してもらって安心したいわけではない。そんなことないよ、きっといけるよ、って励まして欲しいわけでもない。客観的な視点から総合的に批評をしたような、自分のことを話しているとは思えない口ぶりだった。他人事のような物言いだった。

 

 そんな言葉に真っ先に反駁するのは、やはり礼愛だった。

 

「っんなわけないよっ!? お兄ちゃんは声だっていいしゲームもできるし、頭の回転も速いんだから、向いてるよ! 語彙力だってあるんだし! 私が保証する!」

 

 だから自分を卑下するようなことを言うな、そう言わんばかりの剣幕だった。

 

 たしかに礼愛の言い分にはあたしも完全に同意だが、言いかたが苛烈にすぎないか。まるで突然、ぼうっ、と火柱が上がったような圧と熱量だ。

 

 学校のクラスメイトの中には面倒くさい子やへそまがりな子だっている。傍目で見ているだけのあたしでさえ腹が立つようなそんな子たちにすら、優しく穏やかに接している礼愛がこうも簡単に激発するなんて。

 

 これはあれか、お兄ちゃんをバカにする奴はお兄ちゃんでも許さない、みたいなあれなのか。これはかなり重篤ですね。どうしてこんなになるまで放っておいたんですか。

 

 テーブルの中央付近に手をついてかなり体を乗り出し、縮こまったお兄さんを上から見下ろすような形で熱弁する礼愛の肩に手を置き、ぐぐぐっ、と力を入れて、元いたところに戻す。

 

「はーい、礼愛、椅子に座ってね。カップ倒れちゃいそうだし」

 

「むぐぐっ……言い足りないっ」

 

 礼愛怖いよ。圧が、圧がすごいよ。まだ言い募るつもりだったなんて。お兄さん引いちゃうよ。

 

「ま、まぁまぁ、落ち着いて。それにお兄さん、大丈夫です。もし落ちても、その声と演技力があれば他でもやっていけます」

 

「落ちないっ!」

 

「ごめんごめんごめん!? 違うから! 悪意とかないから! かじらないで!?」

 

「かじらないよ!」

 

 まるで牙を剥く獣のような勢いで詰めてこられたので命乞いのようなことを口走ってしまった。

 

「そう褒めてくれるのは嬉しいけど声と演技っていっても……この歳で演劇や舞台を目指すっていうのも、ね?」

 

「またボイスドラマやりましょう! あたしが台本用意するので、うちのサークルで出しましょう! 楽しいですし、きっとやりがいもありますよ!」

 

「結局自分のとこに引っ張り込みたいだけでしょ! やめてよ! 私とVtuberするんだから!」

 

「副業! 副業ってことでどうにか!」

 

「いつになく食い下がるね夢結!?」

 

「あ、あー……えっと、どんな形であれ、も、求められるのは嬉しいなあ……」

 

 あたしと礼愛のあまりの威勢に、お兄さんの腰が若干引けていた。興奮させないようにか、目線まで逸らしている。あたしたちは野生動物かなにかかな。

 

「そもそも夢結のとこって書く専門でボイスドラマとか作ってないでしょ」

 

「これから始めればいい」

 

「夢結ってこういうどうしようもない時だけ格好よくなるよね」

 

「さては褒められてないな」

 

「サークルっていうと……吾妻さんがやっている創作活動のサークル、なのかな?」

 

「え、え、えっ……な、なんで知って……。ち、ちがうんです!? BL同人ばっかりじゃなくてっ! いやBL多いけどNLもちゃんとあるんですっ!」

 

「格好よさが秒で消え失せた……。ちなみにお兄ちゃんには夢結が創作活動してるってことは話したけど、何をしてるかまでは説明してないよ」

 

「ねぇ。言ってよ。そういうことは。先に」

 

 語るに落ちるとはこのことか。語り始めから落ちてたけど。大きな墓穴を掘ったなぁ。その大きくて深い墓穴に自ら納まりに行った形だ。

 

「ま、まあ、今回初めてやってみたけど楽しかったしね。次の機会があれば、またやってみたいな。吾妻さんには台本を書いてもらった恩もあるし」

 

「ほんとですか?! ありがとうございます!」

 

「Vtuber!」

 

「わ、わかってるよ礼ちゃん……。あくまでボイスドラマとかは……ほら、趣味として、みたいな?」

 

 鬼の形相になっている礼愛を必死に宥めるお兄さん。

 

 あたしがねじ込むように強引に頼み込んだボイスドラマを引き受けてくれると言ったのは、丸く収めるためのおべっかのようなものかもしれないし、台本を書いてもらったことに対する報恩のつもりなのかもしれない。

 

 でも、なんであれ言質は取った。

 

 ならばよし。文句はない。

 

 優しいお兄さんなら約束を破るようなことはしないだろう。やり口がまるで相手の善意を利用しようとしている卑怯な奴なのだが、こればかりは多めに見てほしい。必要なのだ、あたしには推しのボイスドラマが。これは趣味とかオタク活動とかではなく、死活問題なのである。生存競争(?)なのである。

 

「あ、あの……お兄さん」

 

「うん? どうしたの、吾妻さん」

 

 覆い被さるように上から圧をかける礼愛を両手で優しく押しのけながら、お兄さんがこちらに顔を向けた。

 

「えと……前収録したボイスドラマなんですけど……あれ、姉と妹にも見せてあげていいですか?」

 

「ああ……あれを」

 

「夢結のお姉さんや妹ちゃんがあえて拡散させるようなことはしないと思うけど、どこで漏洩するかわからないし、念のためにも控えておいたほうがいいんじゃない?」

 

 すっ、と席についた礼愛がそう言う。

 

 急に冷静になるんじゃないよ。しかし、ぐうの音も出ないほどに正論だ。礼愛の言い分はなにも間違っちゃいない。

 

 応募した動画が結果の発表前に出回ってしまうのは印象が良くない。なんでもかんでも公表して世間からの注目を浴びたがる承認欲求の強い奴、みたいな印象を『New Tale』の採用担当が抱いたら、どれだけ能力があっても契約したりはしないだろう。送った動画の扱いを事務所側が決めるまでは、厳重に保管しておくほうが無難だ。

 

「姉も妹も、姉妹揃って同じ趣味を持ってまして……きっとめちゃくちゃよろこぶと思うんです。あたしもあのボイスドラマの感想とか言い合いたいですし」

 

「喜ぶ。そう、なんだ……」

 

「はい! とてもよろこびます!」

 

『よろこぶ』にあてられる漢字は両者で違うかもしれませんが。

 

「んー? なんか怪しいなあ」

 

 隠そうともせずに疑惑の目を向けてくる礼愛には一切取り合わないで、なけなしの勇気をかき集めてお兄さんの目(と目の間)をじっと見つめる。

 

 ぶわっ、と体が熱くなる。お兄さんの顔を見ているだけで緊張で汗が滲んでくるし、耳まで赤くなっていることだろうし、引け目から目は泳ぎそうになるし、声が震えないようにするの大変だし、じっと顔を見つめられる嬉しさで頬が緩みそうになる。ほんとコミュ障の常時デバフどうにかならんのかね。人生ハードすぎるよ。

 

 ちなみにお兄さんに(おこな)ったあたしの嘆願は、決して嘘ではない。全部を(つまび)らかにしていないだけだ。

 

 姉妹揃って同じ趣味を持っているのは事実。だが、あたしは姉妹愛ゆえに無理を通そうとしているわけではない。

 

 あたしの目的は、もし万が一、お兄さんがVtuberの選考を通らなかった時、うちのサークルで引き続きボイスドラマを制作できるようにするためだ。そのための受け入れ準備を整えることにある。

 

 いくら頭空っぽの姉とはいえど、いきなり『作ろうぜ!』と言ったところで首を縦には振ってくれないだろう。

 

 化粧品でもそうだ。効果を知らないのに高い化粧品なんて購入しない。試供品で使い心地を確かめてから購入するか否か検討するのだ。

 

 化粧品の試供品にあたるのが、今回のボイスドラマである。このくらいぶっ刺さる作品を自分たちの好みに合わせて作ってもらえるんだぜ、ってことを前もって学ばせておけば、あとは実に楽しそうに、実に満足げに自ら進んで働いてくれるだろう。空っぽな頭のぶん、そこに夢と妄想と欲望を目一杯に詰め込んでやれば喜んで全力で協力してくれる。

 

 いろいろ理由をつけたが、究極的にはあたしがこれからも継続的に聴き続けたいだけである。

 

 最悪あたし一人だけでもやってやる覚悟はあるけれど、資金的労力的時間的な障害を考えると姉妹も抱き込んで巻き込んだほうが問題を解決しやすくなる。

 

「喜んでもらえるのなら、どうぞ。まだ少し恥ずかしいけど、いろんな人に聞いてもらえるのは嬉しいしね。信頼してる吾妻さんの御姉妹(ごきょうだい)なら悪いことにもならないだろうし」

 

 最後のほうは、あたしにというよりも未だに疑ってくる礼愛に向けて言っているのだろう。

 

 ずっと怪訝な目つきを向けてくる礼愛は正直気が散って邪魔だったけど、あたしが礼愛の親友というポジションのおかげで、礼愛越しでお兄さんの信頼を勝ち取ることができた。ありがとう礼愛。あんたのおかげよ。

 

「ありがとうございます! ネットにアップとかしないようにきつく言っておきます!」

 

「うん、よろしくね」

 

「破った時は縛り首にします!」

 

「うん……そこまではしなくてもいいかな……」

 

「そうそうお兄ちゃん! 夢結と、夢結のお姉さんと妹ちゃんでさっき言ってたサークルやってるんだよ。すっごく絵が綺麗だしストーリーもよくて、めちゃくちゃ人気なんだから」

 

「あっ、さっき言ってたサークルって御姉妹でされてるものだったんだ」

 

 あれ、あたし言ってなかったかな。

 

 そういえばお兄さんには『あたしがサークルに所属している』ことと『姉妹も同じ趣味をしている』ことは言ったけど『同じサークルに所属している』とは言ってなかった。

 

「あたしと妹は手伝いというか、背景だったりモブを描いたりっていう、アシスタントみたいな作業がメインですけどね」

 

「僕は絵心というものがまるでないから尊敬するよ。絵が描ける人って」

 

「い、いえ……そんな、あたしなんてまだまだなので……」

 

「お兄ちゃんは絵心がどうとかそういう次元じゃないけどね……あれはまったく違う種類の才能だよ。夢結も上手だけど、お姉さんはさらに一段階すごかったね。お兄ちゃん、夢結のお姉さんは同人誌も描いてるけど、イラストレーターとしてもすっごい人気で有名なんだよ」

 

「へえ、すごいね。吾妻さんとしては自慢のお姉さんなんじゃない?」

 

 このお兄さんの前で自分の姉の話とか恥ずかしくて仕方がない。

 

 我が姉は、たしかに絵を描く能力はずば抜けている。しかし絵を描く能力以外のすべてが人並み以下なのだ。描く力は認めてるし努力の結果なのでその点に限っては尊敬もしているけれど、その他全般いろいろと犠牲にしすぎである。

 

「……いえ、人見知りで引きこもりで手のかかる姉なので、プラマイゼロくらいですかね……」

 

「そういえば夢結の家に遊びに行ったことは何度もあるけど、お姉さんとは挨拶したことなかったね。妹ちゃんとはちょくちょく会って一緒に遊んだりもしたけどね。寧音ちゃん可愛かったなー、また遊びたい」

 

 あの生意気な妹を可愛がれるのは礼愛くらいだろう。敬意という概念を義務教育で学べなかった寧音が、唯一姉のように慕うのが礼愛なのだ。どうなってんだよ。あんたには姉が二人もおんねんぞ、頼りになるかどうかまでは保証しないけど。

 

「礼愛が来るって伝えておいたら寧音にはいつでも会えるよ。姉は……家族でもタイミングが合わなかったら一日一回顔合わせるかわかんないからね。お客さんとエンカウントするなんてイージーミスはしないよ」

 

「すごいや、堂に入った引きこもりだね」

 

 あたしもそう思う。ちょくちょく外に出ているらしき形跡はあるのに、そのわりには部屋から出るところを目撃することが少ないんだよね。人の気配でも察知しているのかも知れない。

 

「礼ちゃん?」

 

「うきゅっ……ごめんなさい」

 

 礼愛はまるで悪戯を咎められた仔猫のように身を(すく)めて謝った。

 

 お兄さんの声は決して棘のあるようなものではなかったし、威圧するようなものでもなかった。でもその声は礼愛にとっては窘めるようなニュアンスを含んでいたらしい。

 

 堂に入った引きこもりという表現はまさしく的確だったのであたしとしては言い得て妙だと感心したくらいだけど、お兄さん的にはアウト判定みたいだ。

 

 礼愛のすることには全肯定なのかと思いきや、悪いことをした時にはちゃんと叱っているようだ。お兄さんは、やっぱりちゃんと『お兄ちゃん』を務めているのだなと実感する。

 

 本当にいいお兄ちゃんだ。兄や姉というのはこういう、一番身近な尊敬できる存在であってほしい。

 

 あたしの姉なんてどうなってんだよ。飯を作れとかそんな高望みはしないから、せめて部屋の片付けとか服買いに行くくらいは自分でやってくれよ。なんで姉のサイズを覚えておかなくちゃいけないんだ。

 

「いいんですよ、お兄さん。頼り甲斐とか年上としての威厳とか、そういうのがまるでない姉なので」

 

「立派なお姉さんだと思うけど……吾妻さんが気にしてないならこれ以上僕からは言うこともないよ」

 

 なぜお兄さんの中で姉の評価がこれだけ高いのか。きっと姉自身ですら困惑する高評価だ。画面の向こう側からしか褒められたことのない姉なので、面と向かってこれだけ褒められたら喜ぶより先に萎縮することだろう。

 

 おかしい、納得いかない。直接対話する機会に恵まれたあたしよりも姉のほうが評価が高いなんて。

 





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