サイコバグなお兄ちゃん、Vtuberになる。   作:にいるあらと

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〈絶望の街の守護者〉

 

『……あなたは、猫でしたか……』

 

「はふっ、んふっ……。ちょっとっ……もうっ、ほんとにやめてくれない? シリアスな声で、おもしろいこと言うの。んふふっ……」

 

〈猫w〉

〈草〉

〈猫やめたれw〉

〈はふ草〉

 

 キャンプ施設を出てマップの中央に進んだ私たちは、幸いなことに敵兵とばったり会うこともなくビルの周辺まで近づくことができた。

 

 安全に歩みを進めることができたのは兎であるジン・ラースの存在が大きい。『超聴覚(ハイパーアキューシス)』という探知系アビリティで敵の位置を割り出したり、先んじて接近に気づけるのだ。さすが兎、地獄耳。キャラクターのグラフィック的にはべつに耳が長かったり大きかったりするわけじゃないのに、どうして耳がいいんだろう。

 

 警戒しながら進み、そろそろ目的地のビルが見えてくるかなといったところで、例の虎の同志が息を引き取っていたのだった。

 

 その死体はビルの方角に背を向けていて、ビルの方角には血痕が残されている。

 

 おそらく、キャンプ施設の近くを走っていた時のテンションのままにここまでやってきて、警備員みたいにビルの正面玄関に立っている敵兵に撃たれたんだ。

 

 敵からの銃撃を受けて出血のデバフが入ると、キャラクター自身も血塗れになるし、通った道に血が滴ったような描写がされる。出血のデバフを可能な限り早く治したいのはスリップダメージが発生するからそれを解消したいという理由ともう一つ、仮にどこかに身を潜めたとしても垂れた血によって敵兵士に居場所が露呈してしまうから、それを防ぐためだ。

 

 新米虎同志はどうにか逃げようとここまで戻ってきたけれど、持続ダメージによってヒットポイントを全損したか、追いかけてきた強化兵士にとどめを刺されたか、といったところだろう。

 

『せめてドッグタグだけでも回収してあげましょう。同志の運が良ければ装備が戻ってくるかもしれません』

 

「戻ってくるかな?」

 

『……戻ってくる。その可能性が残されていることが、大事だとは思いませんか?』

 

 つまりはその程度の可能性ということだろうに。ゼロよりかはそりゃあましだけど。

 

 ADZでは死んでしまえば装備やアイテムはすべてロストするけど、そこにもお情け程度の救済措置は存在する。

 

 それがコーポラティブ。意味合い的には協同組合だとかそんな感じらしい。プレイヤーたちは保険だとかコオペだとか略しているし、口さがない人たちは出撃税と呼んでいる。

 

 私たちプレイヤーはゲームに参加した瞬間からそのコオペに組み込まれており、マップに出撃する際に毎回少額のお金を支払っている。その代わりに、自分が死んだ時、自分のドッグタグを誰か他のプレイヤーが回収して持ち帰ってくれたら幾許(いくばく)かのお金や、ジン・ラースも言った通り運がよければ装備まで戻ってくる、ことがあるらしい。

 

 ちなみに私は装備が返ってきた経験はない。お見舞い金のような額のお金が戻ってきたことは何度かある。

 

 実にCo-opゲーらしいシステムだけど、死体を見かけてもドッグタグを回収してあげようという心意気のプレイヤーはそうはいない。自分が死んでは元も子もないからだ。

 

 そこに死体があるということは、プレイヤーを撃ち殺した強化兵士が近くにいることのなによりの証だ。殺されてしまったプレイヤーが可哀想だから、などと正義感や義侠心を働かせ、ドッグタグを回収しようと近づいて自分が撃たれましたでは割に合わないどころの騒ぎじゃない。損でしかない。ミイラ取りがミイラを身をもって実演することになる。

 

 有志によって更新されている情報サイトでも『バッグに余裕があり、周囲が安全であることを確かめられた場合だけ回収してあげましょう』と記述されていた。いくらプレイヤー同士助け合うゲームといえど、まず優先すべきは自分の身だ。

 

 それで言えば、この同志は幸運な部類だろう。『市街地』の中央区という、このマップの中でも一二を争う危険地帯で殺されたにも拘わらず、こうしてドッグタグを回収してもらえるんだから。

 

「同志猫……んふっ、ふふっ」

 

〈同志猫は草〉

〈手遅れだったかw〉

〈草〉

〈ひどい〉

 

『笑ってはいけませんよ。僕だって、美座さんだって、リスナーさんだって、ADZを始めたばかりの頃はみんな猫であり犬なんですから。銃弾の雨に打たれ、グレネードの爆風に吹かれ、泥にまみれて地面を這いつくばるようにして何度も死線を越え、多くの死と経験を積み重ねてようやく虎や狼になれるんです。この同志は、ありし日の僕たちの姿なんです。笑っていいのは、ADZで一度も死んだことがない人だけです』

 

 冗談といった様子もなく、大真面目にジン・ラースは語る。

 

 思い返せば、倒れているプレイヤーを発見して『猫』と呼んだ時もジン・ラースは重く真剣な口振りだった。あくまでもジン・ラースは馬鹿にするつもりや笑いのネタとして言ったのではなく、経験の浅い虎プレイヤーというニュアンスで『猫』と表現したのだろう。

 

 そう諭されると、なんだか思い出してきた。

 

 まだADZの本質を体感していなかった頃のことだ。アビリティもろくに把握できていないままマップに出た私は、よくわからないまま道路を走り、敵兵を発見した。とりあえず目の前のモブを倒して一キルいただいておこうかなと、持ち込んでいた銃で意気揚々と敵兵の頭に照準を合わせようとした、その時にはすでに自分が撃たれていた。

 

 なにがなんだかわからない。

 

 暗転して真っ黒になったモニターに反射した自分の茫然自失とした顔には、ありありとそんな文字が浮かんでいた。

 

 目の前の同志猫は、あの日の私だ。

 

「ん……それもそうだ。この人は、始めたばかりの時の私……ん? いや、そういえば私ついさっき、ビルとビルの間の薄汚い路地で無様に野垂れ死んだじゃん」

 

〈最初から強いわけないんだもんな〉

〈俺も人のこと言えねー〉

〈八百時間プレイしてるけど市街地の兵士にぜんぜん撃ち負けるぞ〉

〈草〉

〈そういや一個前の出撃でやられてたなw〉

〈経験者だろうと負ける時は余裕で負けるのがADZ〉

 

 本当に人のことを笑っている場合ではなかった。懐かしいなぁ、みたいな感じでADZを始めたばかりの頃を思い出していたけど、経験を積んだ今でもふつうにやられてる。

 

 キャンプ施設にいた時『同じ種族の亡骸を見かけると次こうなるのはお前だ、と突きつけられている気分になる』とかどうとか考えていたけれど、この同志猫の前にすでに私が前回の出撃で死体を晒してる。次こうなるどころか、前になっていた。

 

 これはまずい。油断だ。慢心だ。戦場において一番遠ざけなければいけない心の隙だ。頼りになりすぎるジン・ラースがいるせいで、吹けば命が飛ぶような戦場に立っているというのに緊張感が薄れてしまっていた。

 

 気を引き締めないと。ADZは甘くも温くも優しくもない。明日は我が身、なんて悠長な気構えは許してくれない。明日どころか数分後、数秒後にも自分が冷たいアスファルトの上に横たわっているかもしれないのだ。一寸先に広がる闇に足首を掴まれないよう、危機感を持たなければいけない。

 

『僕も始めたばかりの頃は自分の(むくろ)をたくさんマップに置いてきたものです』

 

「ジン・ラースにもそういう時代があったんだ」

 

『もちろん。アビリティがなかった頃は三回に一回は死んでましたからね』

 

「逆にアビリティなしの兎でどうやったら三回に二回生き残れるの……」

 

 ちょっと前に大型アップデートが入って種族ごとのアビリティが本格実装されたけど、今となってはアビリティなしで戦うだなんて考えられない。そんなのプロボクサーと一般市民が喧嘩するようなものだ。強化兵士とアビリティなしの獣人兵士の力の差はそれくらい大きい。まぁ、アビリティ実装前の強化兵士は今ほど強くはなかったのでなんとかなっていたけども。

 

 虎や狼、熊ならまだ戦えていた。そう何発も受けてられないけどアーマーをつけていれば頭以外なら一撃で死ぬことはない。相手が使っている弾と自分が身につけているヘルメットのティア次第で頭に当たっても生きている時だってある。

 

 でも兎の場合はアビリティがなければ、他の種族より少し足が速いだけの一般人みたいなものだ。当たり判定を示すヒットボックスはどの種族のキャラよりも小さいけれど、致命傷ゾーンは胸部まで含まれるから他のキャラよりも広い。

 

 今でも兎はバランス調整ミスとして扱われているのに、アビリティなしの時代にどう立ち回れば勝てるというのか。その時のジン・ラースのプレイを観てみたかった。

 

『ともあれ、初心者の時代を通らずに経験者になる人なんていないのですから初心者を笑ってはいけませんよ、という話です。誰しもが最初は猫であり、犬であり、レッサーパンダだったのです』

 

「くふっ、ふふっ……レッサーパンダ。ずいぶんかわいいなぁ、あははっ。そういえば、兎は? 初心者時代はなにになるの? 子ウサギ?」

 

 虎、狼、熊がそれぞれ猫、犬、レッサーパンダになるのは感覚的にしっくりくる。それぞれかわいくなってる感じだ。でもその例だと、兎はそもそもがかわいいので、変化させようがない気が──

 

『ハムスターです』

 

 ジン・ラースを見くびっていた。

 

「ふふっ……はむすっ、くふふっ……種類がっ、ぜんぜんちがっ……んっ。あははっ」

 

『僕も始めたばかりの頃はハムスターでした』

 

「やめ、はははっ。はむっ、ちっさひ……くふっ、んんっ……んくふっ、やめてっ。い、いっかい、黙っふふっ」

 

『今では立派な兎です』

 

「けっ、結局っ、食べられっ……側っ。ふふっ、あははっ」

 

〈ずっと被食者w〉

〈草〉

〈いい声でw〉

〈草〉

〈草〉

〈ずっと食われる側やんけw〉

〈うるせぇよw〉

〈草〉

〈イケボってずるいw〉

 

『そろそろ勇敢なる初心者同志猫の仇を討ちに行きましょう。弔い合戦です』

 

「っ──っ……んくっふ──っ、あはっ、ふふっ」

 

 こいつ、ほんとになんなんだこいつ。

 

 配信でも配信外でも、さらに言えば私はこれまで生きていて呼吸ができなくなるくらいに笑ったことなんてない。畳みかけるな、せめて間を空けろ。私がこんな状態なのに戦いに行こうとするんじゃない。こっちは息を吸うのに精一杯で画面もまともに見れてないんだ。マウスを握る手も震えている。こんな調子で敵兵とまともに撃ち合えるわけがない。

 

『……なんだか美座さんが苦しそうなので一旦休憩がてら偵察しましょうか。はい、美座さん。こちらのアパートに入ってください。この棟なら敵兵はいませんから』

 

「ふふっ、あははっ……う、うんっ。ちょっ……待っんふふっ」

 

『美座さん。壁です、そこ。扉はこちらです』

 

〈草〉

〈草〉

〈あざみん画面ちゃんと見えてるか?w〉

〈ずっと笑っとるんよw〉

〈こんなに笑う子だったんだな〉

〈にこにこで草〉

〈笑顔かわええ〉

 

「ふぅ、ふぅ……。お水、飲む……」

 

『どうぞ。まだ危なくありませんので今のうちに回復しといてください』

 

 息を荒く継ぎながら、サイドテーブルに置いているミネラルウォーターに手を伸ばす。

 

 一人で配信している時よりも発言量は増えているし、配信者のくせに自分の枠で配信せずにここまでうるさいジン・ラースに笑わされて、私は疲労困憊だ。一旦水分補給しておかないとやってられない。

 

 アパートの三階、扉が開いている一室に二人してお邪魔させていただき、ジン・ラースは窓枠に身を寄せながら周囲に目を光らせ、私は射線が通らない部屋の奥で屈む。

 

 このポイントなら、仮に正面の建物の窓から敵兵に狙われても撃ち殺されることはない。

 

 安全を確かめた私はキャップを開けて、ペットボトルを傾ける。

 

「んっ、んくっ……ん?」

 

 画面内のジン・ラースのキャラクター『Black Rabbit』がこちらを振り返り、窓の外に視線を移し、もう一度、今度はばっと音がしそうなほどに勢いよく振り返った。

 

『……あ、美座さんが飲むのか……』

 

 ゲーム内のキャラの動きとジン・ラースの間の抜けた声の合わせ技に私は耐えられなかった。小さく呟きながら納得し、窓の外に再び顔を向けるところまで、一つの流れとして完成していた。

 

「んぷふっ」

 

 口に含んでいた水を噴き出した。

 

 さすがは悪魔、卑怯だ。人が飲み物を飲んでいる時に仕掛けてくるあたり、非常に卑怯だ。

 

『だ、大丈夫ですか? なんだか水音が聞こえましたけど……』

 

「あんっ、こほっ、けほっ……っ、あんたがっ。水飲んでる時にっ、けほっ、えほっ……笑わせるからっ」

 

〈草〉

〈ふいたw〉

〈二度見すんなw〉

〈これは笑うわw〉

〈これは黒兎が悪いわw〉

〈タイミング完璧で草〉

 

『ええ……僕のせいですか? 僕に非はないと思うんですけど。美座さんが水飲むって言うから』

 

「あんなにっ、芸術的なくらい綺麗な二度見してこないでよっ。けほっ、こほっ」

 

『そう言われましても。僕はてっきり、ここまで移動してきたから水分ゲージが減ったのかなと思ったんですよ。美座さん自身が飲むのならそう言ってもらわないと、二度見もしますよ』

 

「もう、最悪。水飛んだし……」

 

『美座さんもお手本のような綺麗な噴き方でしたね。音がこちらまで聞こえましたよ』

 

「このっ……デリカシーを働かせてくれないかな。セクハラの悪魔」

 

『いろんなハラスメントが追加されていく……。このままだと僕、ハラスメントの悪魔になってしまいます』

 

「ふん。名は体を表すっていうし、ちょうどいいんじゃない?」

 

『ひどい。風評被害です』

 

「そう呼ばれたくなかったら今度から気をつければ? 私、水飲むから今度は黙っててよ」

 

『さっき飲んでたじゃないですか』

 

「さっき飲ん──」

『ああ、全部噴き出しちゃってましたね』

 

「こいつっ……」

 

〈草〉

〈これはハラスメントの悪魔w〉

〈草〉

〈なんも学んどらんw〉

 

『少なくとも僕のせいではありませんし』

 

「あんた以外にいないの。いいから黙っといて」

 

 ジン・ラースに釘を刺してから、もう一度ミネラルウォーターに口をつける。水を噴き出してデスク周りが濡れたし、気管に入ったせいで咳き込んで水を飲む前より喉が渇くし、災難続きだ。

 

 なぜ水を飲むだけでこんなに時間がかかる上に疲れるのか。それもこれもジン・ラースのせいだ。

 

『ふう……。…………』

 

 当の本人はまるで、言いがかりだ、みたいに嘆息しているのが腹立つ。

 

 口は災いの元、なんて言うけど、どうしてジン・ラースの口のせいで私に災いが降りかかるんだ。理不尽だ。

 

 なにはともあれ、黙ったのならそれでいい。ジン・ラースが口を開けば碌なことにならない。そのまま閉じていてもらおう。

 

『…………。わかりましたよ、はふ猫さん』

 

「ぷふっふぃ」

 

 噴いた。

 

〈やると思ったw〉

〈はふねこw〉

〈www〉

〈草〉

〈そんなんネタ振りやんw〉

〈あざみんが隙見せるからw〉

〈草〉

〈はふ猫てwww〉

〈ぷふっふぃw〉

 

『ふふっ、あははっ。「ぷふっふぃ」』

 

「けほっごほっ、えふっ、こほっ……っ。ごいづっ、ゆ゛るざなぃっ、ごほっ」

 

 タオルが手元にないので口の周りの水を袖で拭いながら、私はマウスを力強く手で包む。

 

 許してはならない。この悪魔を、決して許してはならない。

 

 最初の二度見の件は偶然というかコミュニケーションエラーによる勘違いだったけど、こいつは今回、明らかに狙ってやったんだ。わざとらしいため息をついてから、次に言葉を発するまで奇妙なくらいに間があった。黙って音を聞いて、私が水を口に含んだ音を聴き取ってからあんなことを言ったのだ。

 

 そのせいで、三十秒ぶり二回目となる噴き出しをしてしまった。こんなペースで飲み物を噴く女なんておそらく歴史上私が初めてだ。

 

 許してはならない。私に恥をかかせたこいつを必ずや断罪せねばならない。

 

 こいつの血で私の恥を(そそ)ぐ。

 

『大丈夫ですか? 美座さん、落ち着いてください。深呼吸ですよ』

 

「あんたが言うなっ」

 

 真摯に謝ってきたら引き金を引く指も多少は重くなっていただろうけれど、これなら罪悪感を抱かずに撃ってあげられる。

 

 『はふ』とかいう謎の単語をもう一度口にしたら頭を撃ち抜くと、私は前もってジン・ラースに通達しておいた。宣言通り、そしてお望み通り、その頭を弾いてあげる。

 

『わあ。美座さん、仲間殺しはDOCの査定マイナスですよ』

 

「今はそんなの知らないっ」

 

 サブマシンガンを構える。サイトを覗き、兎の頭にエイムを合わせた。

 

 この部屋の構造はわかっている。

 

 私がいる扉側から見て右の壁側には執務用みたいなデスクがある。左側にはよくわからない紙が貼り付けられているだけで物はなにも置かれてない。正面側は窓と、窓枠の両隣にアイテムを漁れる棚があるだけ。身を隠せるような遮蔽物は、私の右側にあるデスクのみ。

 

 本当に撃たれるかもしれない状況で身を守ろうと思ったら、そのデスクの裏側に行くしかない。

 

 そして、私の正面に立っていたジン・ラースの体が一瞬、右に傾いた。

 

『本当に撃ちましたよこの人……』

 

「っ? くっ……」

 

 ジン・ラースが右に動いた瞬間、予想通りに動いたと私はほくそ笑んだ。

 

 兎の頭の高さに合わせて銃口を動かし、引き金を引く。そのまま右に進めば自発的にジン・ラースが銃弾を浴びにきてくれる。

 

 そう思っていたのに、ジン・ラースはもう一歩踏み込む前に左側に切り返した。背後の窓は粉々に撃ち砕いてガラスを撒き散らしたけど、一番の目標である兎の頭蓋を撃ち砕けていなければ脳漿(のうしょう)を撒き散らしてもいない。

 

「まだっ……」

 

 予測と反したけど、左側には身を隠せるものはなにもない。兎は移動速度が速いが、この距離で遮蔽物もなしに私のサブマシンガン、ワンマガジン分三十発の銃弾を躱せるほどではない。

 

『わお……完全に()る気だ』

 

「ドッグタグは拾ってあげるっ」

 

 右から左へと銃口を振ってエイムを調整し、細い体目掛けて再び引き金を絞る。

 

『反応いいですね』

 

 しかし、当たらない。

 

「しゃがみっ……」

 

 しゃがみの姿勢になったことで胸と頭の位置がその場で急に下がった。

 

 戦闘中に、敵兵もしゃがんだり伏せたりするけれど、それにしたって地面に沈み込んだのかと思うほどの速さではなかった。

 

 キャンプ施設の敵兵をハンドガンで狙撃した時に、ジン・ラースは兎のしゃがみ状態に移行するまでの時間を話していたが、敵兵と兎では動作の一つ一つにかかる時間に差があると気づいたからこそ、ちゃんと調べようと思ったのかもしれない。

 

 その学習意欲は賞賛に値するけど、それとこれとは話が違う。絶対に頭を貫いてやるんだ。

 

 しゃがみ状態では移動速度がとても遅くなる。立ち上がるにもタイムロスが生じる。十分にエイムを合わせられる。

 

『アビリティ切るか……』

 

 歩きよりも遅いしゃがみ状態の敵に照準を合わせられないようなお粗末なエイムコントロールでは『Now I Won』にはいられない。加えてこの距離だ。そんな速度の相手なら私にだってマガジンに残っている弾ぜんぶ命中させられる。

 

「もらっ……はぁっ?」

 

 そう思っていたのに、エイムが追いつかない。

 

 イメージしていた移動速度と実際のジン・ラースの速度が乖離を起こしていた。

 

 失敗した。迂闊だった。自分()や敵兵と同じ速度だと無意識的に思い込んでいた。兎の命綱は索敵と機動力で編まれている。ふつうの兵士と同等なわけがないし、それ専用のアビリティでも使われたらイメージしていた速度と差が大きくなるのは当たり前だ。

 

 でも、アビリティを使ったにしたって、いくらなんでも速すぎる。虎の走りと同等くらいに思える。

 

 キャラクターレベルが齎す基礎能力の高さ、スキルやアビリティの練度、それらの集大成がこの兎の機動力か。

 

『うむ……』

 

 しゃがみ状態とは思えない速度で駆けるジン・ラースは窓から離れて左奥へと移動する。

 

 ジン・ラースの動きに合わせて私は扉側から離れてデスクへと近づく。

 

 右のデスクに逃げることを私が警戒していると、ジン・ラースはわかっている。だからこいつはエイムを引き剥がすようにフェイントも絡めてデスクから離れて、左へ左へと移動しているのだ。

 

 デスクにさえ行かさなければ、いずれ必ずこいつの頭をぶち抜ける。たしかに私はまだ一発さえ当てることができていないが、残弾はまだある。右側に近づけさせないように警戒する私のやり方は間違ってない。

 

 しゃがみから立ちへと移行して、ジン・ラースの足が鈍った。正確には部屋の左側へと移動する速度が緩んだ。

 

「きっ……」

 

 きた。そう思った。

 

 このゲームは厄介なことに慣性が存在する。一方向に進んだ時、その方向への入力を止めても進んでいた方向へと体が流されるのだ。

 

 慣性で体が流れている時には移動速度が落ちる。逆方向へ動こうとした時は足が止まる。狙いはここだ。

 

 私から見てジン・ラースの少し左側、ジン・ラースの進行方向へとエイムを置いておく。

 

『ふふっ』

 

 足を止めたら蜂の巣にしてやる。そう目論んで引き金を引いたのに、私の放った弾丸はまたもや空を切った。

 

 ジン・ラースの足は止まらず、速度も若干落ちた程度でほとんど変わりなく。わずかに部屋の奥側へと動いただけで、一度たりとも動作を止めずにジン・ラースは反転した。

 

慣性キャンセル(慣キャン)っ……」

 

 移動時に発生する慣性を受けずに移動方向を変えるテクニック。格闘ゲームのコマンドじみた入力操作が必要な慣性キャンセルをいとも簡単にやってのけた。しかも、入力の方向やタイミングがさらに複雑になって難しくなる視線移動を加えた慣性キャンセル反転だ。

 

 冗談のようなキャラクターコントロール。ごく自然に、ごく当たり前に披露するような技術ではない。

 

 まずい。体の向きは完全にデスクへと向き直った。私のエイムもジン・ラースの左側についている。ここからは一直線で行けてしまう。

 

 でもまだ、兎の細い体をへし折る機会は残っている。私自身の体でジン・ラースの進路を塞げているのだ。

 

 兎の代名詞とも言えるアビリティ、道路から二階の窓へとひとっ飛びできるほどの大跳躍を誇るハイジャンプで私の横を突っ切ろうとしても、フルオートで弾をばら撒いておけばどれかは必ず当たる。いくら兎が速かろうと、銃弾よりは遅い。

 

『鋭いなあ』

 

 急いでジン・ラースにエイムを合わせ──撃ち始めた時にはジン・ラースの姿はなかった。

 

「連続慣反っ」

 

 反転して右を向いたジン・ラースが、さらに反転。再び壁側へと進む。急いで合わせに行ったエイムを振り切られた。画面内に収めることすらぎりぎりのこの挙動、すごいとかうまいとかを凌駕(りょうが)して、もはや気持ち悪い。

 

 どのような入力操作が必要になるかすら予想がつかない変態技術だ。こいつだけやってるゲームがADZじゃないのかもしれない。キャラクターが貴弾みたいな動きをしている。

 

 もしかしてこいつは、デスクという遮蔽物を使わずに私に全弾撃ち切らせるつもりなのか。キャラコンだけで凌ぐつもりか。

 

 やれると言うのならやってほしい。

 

 そして圧倒的な差を、比較できないほどの違いを見せつけてほしい。嫉妬も絶望もできないくらいの力の差で私を組み伏せてぐちゃぐちゃに蹂躙してほしい。

 

『フルオート……殺意が溢れてる』

 

 指切りせずに撃ちまくる。フリックエイムは苦手だけど、トラッキングエイムには自信がある。フルオートで撃っても、このサブマシンガンのリコイルは控えめで素直だ。十分に制御しきれる。

 

 広いとは言えないこの部屋の中、どんなスピードでどう走ろうと絶対に逃げられない。追いかけてくる銃弾の輝線から逃げ切って見せろ。

 

「っ……」

 

 ジン・ラースの背中を舐めるような銃弾が続いて、もうすぐエイムが追いつくと確信したその時、ジン・ラースが床を蹴って跳躍した。アビリティのハイジャンプではない、通常のジャンプだ。

 

 プレイしているゲームが貴弾であれば壁ジャンして移動することもできるが、ADZはアビリティを使用しないと壁ジャンはできない。そして壁ジャンできるアビリティを持っているのは虎だけだ。

 

 もらった。

 

 いかに兎といえど着地硬直くらいはあるだろう。他の種族と比べて硬直が短かったとしても、フルオートで弾を置いておけば避けられない。

 

 ジャンプまでの勢いと跳んだ時の角度から着地点を予測してエイムを置く。これで終わりだ。

 

『……もう一枚切るか』

 

 ジャンプして降りてきたところを撃つ。とても簡単な作業。それで終わりのはずだった。

 

 なのに。

 

「降りてこないっ」

 

 ジャンプしたのに、ジン・ラースが床に降りてこない。視線を持ち上げれば、その答えがあった。

 

『これが兎の戦い方です』

 

「か、べを……」

 

 天井ぎりぎりくらいの高さで、ジン・ラースは壁を走っていた。これも兎のアビリティの一つなのだろう。

 

 呆気に取られながらも私は銃を構える。

 

 意表は突かれた。でも結局のところは床を走っているか壁を走っているかの違いでしかない。壁を走っているときのほうが気持ち遅めなので、狙いやすいくらいだ。

 

 変わらない。変わりはしない。

 

 動揺する心を無理矢理に抑えつけ、サイトの中にジン・ラースを収める。

 

『っと、これで』

 

「あっ……」

 

 落ち着く暇もなく、ジン・ラースは動く。壁を走っていた状態からさらに跳躍、私の頭上を越えて壁の反対側へ。壁ジャンは虎にしかできないんじゃなかったのか。

 

 こんなにも上方向にエイムを合わせる練習なんてしたことがない。頭の上を越える相手なんて想定していなかった。

 

 悠々と跳んで行ったジン・ラースを追うも、あまりに遅すぎた。ジン・ラースの動線をなぞるように銃弾が天井を叩く。

 

 当たるわけもないのに無駄撃ちしながらエイムで追いかければ、そこにはジン・ラースの姿はなく、デスクが鎮座していた。弾はもう出なかった。

 

『ふう。なんとか生き残りました』

 

「は、ぁ……」

 

〈おおおお〉

〈うわああああ!〉

〈クリップや〉

〈まじかよw〉

〈動きやば!〉

〈うそやんw〉

〈神業〉

〈全弾回避!〉

〈これが黒兎〉

〈うおおおおお!〉

〈絶望の街の守護者〉

〈やばああああ〉

〈変態キャラコンやw〉

〈これがソロ二位の力ってわけ(震え〉

〈一発も当たらないとかありえんのかよw〉

〈クリップです〉

〈全部よけるマ?〉

〈神回避や〉

〈フルオートやぞ〉

〈あの距離で当たらんとか草もはえん〉

 

 リスナーも大興奮だ。コメント欄が氾濫している。読めるわけない量のコメントが流れている。

 

 それもそうだろう。ふつうのADZ配信では見ることのできない衝撃映像だった。

 

『こんなことしてる場合じゃないんですけどね』

 

 お祭り騒ぎのリスナーや呆然として声も出ない私とは裏腹に、ジン・ラースはどこまでもマイペースだった。

 

 あの一幕は、ジン・ラースにとって特別めずらしいことではないのだろう。

 

 さっきのシーンだけで三つ四つ解説動画が作れそうなほどに技術が詰まっていたのに、ジン・ラースにとっては胸を張るところでも熱くさせるところでもないのだ。

 

 常軌を逸してる。

 

 私の考えを読んでフェイントを織り交ぜ、単純な動作でミスリードを誘い、アビリティを効果的なタイミングで切って銃弾を避けていた。

 

 ただ激しい動きをして弾が当たらないことを祈るような安直な思考停止のキャラコンではない。偶然の産物ではない。

 

 それはつまり、さっきの神回避は恐るべきことに、再現性があるという意味になる。

 

 似たようなシチュエーションを用意されれば、ジン・ラースは近いことがもう一度できる。狙って考えて操作した結果がさっきの衝撃映像なんだ。もしかしたらもう一度全弾回避もできるのかもしれない。

 

 奇跡でも偶然でもない、シンプルな実力。

 

「は、ははっ……っ」

 

 なによりもその事実が、私の胸を高鳴らせた。

 

 マウスを握る手が震える。思考が纏まらない。体の中心が熱くなる。頭がぼんやりする。

 

 やはりジン・ラースは、怪物だった。

 

 私のような一般人とは違う。凡人の尺度では測れないくらいに、なにもかもが違う。桁が違う。比べられない。比べるべくもない。

 

 私よりもうまい人なんてたくさんいる。この人には追いつけそうにないと思う人だってたくさんいる。

 

 でもジン・ラースの視点から見れば、私の実力も、私よりうまい人の実力も、きっと大差なんてないんだ。高い高い空の上から地面を見下ろしても、歩いている人の身長差なんてわからない。どちらも等しく米粒だ。

 

 あまりにも違い過ぎて、比較対象にならない。比較する必要がない。勝手に比べて、勝手に傷つくこともない。劣等感に苛まれることもない。

 

 だって、みんな同じなんだから。ジン・ラースと比べれば、誰だって劣るんだから。

 

 隣にいてとても居心地がいい。やはりジン・ラースは、唯一の存在だ。

 

 

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