サイコバグなお兄ちゃん、Vtuberになる。 作:にいるあらと
「すいません。あたしの分まで出してもらっちゃって……ごちそうさまでした」
「さすがに出させてもらわないと。こんな僕にも一応歳上としての面目ってあるからね。おいしかったね、あのお店」
「夢結。男の人がお会計してくれるっていう時は、黙って譲って『ありがとう』ってお礼言うのも、大人の女の所作なんだって。私はお兄ちゃん以外とご飯食べに行くことないから必要のない知識だけど」
「あんたはほんと、どんな時でも変わんないね……」
「礼ちゃんはどうだった? あのお店」
「おいしかったけどお兄ちゃんの作るご飯のほうがおいしい」
「ふふ、うれしいこと言ってくれるね」
「払ってもらった立場でそれ言うって、ほんとどうなってんの、そのメンタリティ……」
「だってあのお店のパスタにはお兄ちゃんの愛が入ってないんだもん」
「そりゃ入ってないでしょうよ……」
「どうやっても僕の愛情が入る余地はないけど……わからないよ? もしかしたらコックさんの愛情は入ってるかも」
「それはそれで嫌だよ。知らない人の愛情とかアレルギー出そう。でも成分表示に入ってなかったし大丈夫でしょ」
「どうだろう? 栄養成分表示でもアレルギー表示でも愛情は表示義務品目外だから書かれてないだけかも」
「いやっ、あははっ、ふふっ……お、お兄さんっ、そういう話じゃなっ……あははっ」
大型商業ビルに店舗を構えているイタリアンのお店で昼食を済ませた後、映画館のあるフロアへと向かう。
行きの車内でのお喋りが良い具合に緊張をほぐしたのか、夢結さんは車を降りてからもたくさんお喋りしてくれている。あんまりお堅い雰囲気ではないお店を選んでよかった。
三人でお喋りしながら歩いて、映画館のフロアに到着した。
グッズ売り場のほうへ二人を誘導する。売られているグッズを見て回っているだけでも退屈にはならないだろうし、グッズ売り場の近くには上映時間までの間軽く休憩できるようテーブルと椅子も用意されている。
「それじゃチケット発券してくるから、このあたりでちょっと待っててね。ついでだし飲み物も買ってくるよ。何がいい?」
「私はアイスティーにしよっかな」
「えっと……そ、それじゃ、メロンソーダでお願いします……」
「はいはい、アイスティーとメロンソーダね」
「あ! 私ポップコーンも欲しい!」
「しょっぱいのと甘いの、どっちにする?」
「んー、ご飯食べた後だし、しょっぱいのはいいかな。甘いのがいい。なんかめずらしいフレーバーがあったらめずらしいので、なかったらキャラメルでもいいよ」
「うん、わかったよ。夢結さんはどうする? ポップコーン以外にもチュロスやクレープもあるみたいだよ」
「いえ、あたしはお腹いっぱいなんで大じょ……どうしてメニューも見に行ってないのに知ってるんです?」
「ネットで予約した時にメニューもちらっと見てたからね」
「お昼ご飯も予約してくれてたしね、お兄ちゃん」
「え、わ……あ、ありがとうございますっ……」
「ふふっ。どういたしまして。って言うほどのことはしてないけどね。お腹いっぱいなら飲み物だけにしておくよ。じゃあ行ってくるね」
「行ってらっしゃーい」
「い、行ってらっしゃい、お兄さん」
グッズ売り場で一旦別れ、まず発券機に向かう。手が塞がる前にチケットを発券しておこう。
三人分を発券して、次に売店へ。僕のものを含めて飲み物三つと、礼ちゃんのポップコーンを買い求める。もちろん定番のフレーバーもあったけれど、礼ちゃんの要望通りにあまり目にしないユニークなフレーバーがあったのでそれにした。
購入して二人と別れたグッズ売り場付近に戻ると、礼ちゃんの姿は見えず、夢結さんしかいなかった。
その夢結さんは、どうやらお知り合いに話しかけられているようだった。女の子三人が夢結さんの前にいる。
見ている限り、三人いる女の子のうちの一人がお知り合いの方のようだ。華やかで煌びやかな頭と服装をしている少女が夢結さんと話していて、他二人は一歩引いた位置にいる。
もしかして、と少しばかり期待を抱きながら、夢結さんに近づく。
「お待たせ、夢結さん」
夢結さんに話しかけたのだけど、夢結さんより早く夢結さんの正面にいた少女が『み゛ゃ゛っ゛』と反応していた。尻尾を踏まれた仔猫のような鳴き声だ。
「あ、おかえりです。の、飲み物、ありがとうございます。持ちますよ」
僕に振り返った夢結さんは丁寧にお礼を言ってくれて、さらに手を差し出してきた。
「ありがとう。それで、夢結さん。こちらの方は?」
夢結さんの分のメロンソーダと、ついでに礼ちゃんのアイスティーを持ってくれた夢結さんに訊ねる。
すると夢結さんは頬をぴくぴくっと痙攣させて、なぜか苦々しい表情を浮かべた。
「あー、えっと……これ、じゃない……こちら、妹の寧音で……」
お話を聞いてきた限りそれほど交友関係が広くないらしい夢結さんが、人見知りを発動させずに歳下の女の子と親しげに話しているところを見てもしかしたらと思ったけれど、本当に妹さんだった。
手が塞がったままというのも不恰好なので、手近にあったテーブルに飲み物とポップコーンを置かせてもらって、寧音さんに向き直る。
「寧音さん、お話は夢結さんから……お姉さんから伺ってます。初めまして、恩徳仁義です」
そのまま手描き切り抜きについてのお礼も続けたかったけれど、後ろにいるご友人のこともある。この場で言うのは控えておいた。
「あ、はぁぅ、ぁ、えとっ……は、はじゅ……初め、ましてっ。ゆー姉のいっ、妹の、寧音……
「ふふっ、はい。丁寧にありがとうね。よろしく、寧音さん」
「ふぁっ、ぁいっ」
声は以前に通話で聴いたことがあったけれど、こうして直接顔を合わせるのはもちろん初めてだ。
夢結さんとお喋りしている時に、寧音さんのお名前はしばしば聞いていた。
寧音さんは中学校でも賑やかなグループに属していて、クラスメイトからも人気があるのだとか。夢結さんが『寧音はそこそこ見た目もいいんで、あたしと真逆でスクールカーストの頂点にいるんです。あたしと同じオタクのくせに……』とぼやくように言っていた。内容は恨みがましかったのに、声はどこか自慢げだったこともあって強く記憶に残っている。
その言は事実だった。寧音さんの容姿はとても端整で愛らしい。
夢結さんと同じくらい明るい茶色にピンクを差したような髪色。それを今は後頭部あたりでお団子にして纏めている。纏めた後にあえてほぐすように手を加えているのだろう、ラフ感がお洒落だ。
顔立ちは整っていて、姉妹らしくところどころお姉さんである夢結さんの面影を感じる。姉妹揃って美人さんだ。
デニムのホットパンツで綺麗な足を強調させ、視線を落とせば足首に巻かれたターコイズブルーのアンクレットが光る。ニット生地っぽいキャミソールの上にはロングのシフォンカーディガン。夏らしく涼やかでアクティブな、それでいて中学生とは思えない大人びた印象も与えるファッションだ。底が厚めのオープントゥのアンクルストラップサンダルを履いているのは、後ろの二人のご友人と比べても背が低いことを気にしているからなのかもしれない。
「夢結さんが言ってた通り、とても可愛いね。それに今のコーディネートは大人っぽくて格好いい」
「ふぃっ、ひやっ、寧音はそんなっ……ゆ、ゆーねぇっ」
「あたしに助けを求められても。よかったじゃん。褒めてもらえて」
「そ、そうだけどっ! 心の準備体操してなかったんだもんっ!」
「体は準備体操してきたみたいな言い方やめろ。なんだよ、心の準備体操って。あたしも教えてほしいよそれ」
夢結さんも寧々さんも、姉妹で話している時は遠慮がなくなっているところに、二人の姉妹仲の良さを窺えて微笑ましくなってしまう。
「あはは、二人とも仲良いね。後ろのお二人も初めまして。恩徳仁義です、よろしくね。お名前訊いてもいいかな?」
夢結さんの身内の寧音さんから話しかけるのは自然とはいえ、寧音さんのお連れのお二人をずっと放置していては申し訳ない。手持ち無沙汰だろうし、肩身も狭いだろう。
「あ、えと……ども。うちは由紀です。
茶髪と呼ぶには煌びやかすぎる色のウェーブがかった髪を肩甲骨あたりまで伸ばしている子が由紀さん。キャンディスリーブになっているオープンショルダーブラウスとスキニーパンツに、ヒールが控えめのオープントゥブーツ、シンプルなデザインのブレスレットと格好良い装いだ。勝ち気な瞳と、寧音さんやもう一人のご友人よりも高い背丈もあいまって似合っている。服装の色合いを寒色に寄せているので金髪がよく映えていた。
「由紀さん、よろしくね。それで、君のお名前は?」
歳の離れた男に急に話しかけられるのは怖いかもしれないと思い、少し距離を置いた位置から近寄ることはせず、表情も声色も柔和なものになるよう努めていたのだけれど、効果は今ひとつ芳しくなかった様子だ。
もう一人のご友人は視線を僕の顔から十センチほど右斜め上にずらした座標で固定していて、目が合うことがない。それに話を振ってからというもの瞬きもしていないし、寧音さんの小さな背中を遮蔽物にしようとしているのかじわりじわりと移動している。僕のこと野生動物か何かと勘違いしてらっしゃるのかな。
「ぁ、はっ、あ……ぁ」
「だ、大丈夫だよ? 僕、熊じゃないよ? そ、そんなにゆっくり逃げようとしなくても身の危険はないよ?」
「んふっ……っく。お兄さん、よくこんな気まずい空気の中でっ……」
僕の隣で夢結さんが口を押さえて顔を背けながら笑いを噛み殺していた。
ちなみに冗談を飛ばしたつもりはない。小動物のように怯えてしまっている少女の警戒心をどうにか緩めようとしているだけなのだ。
「ご、ごめんなさい、お兄さんっ。
「梓、あんた挨拶くらいしときなって……。すんません。こいついつもは……まぁ、一人の時はいつもこんなもんなんすけど、うちらといる時はもうちょっと喋れるんです」
「そう、なんだ……。なんだか、驚かせちゃったみたいでごめんね?」
「……いえ、お兄さんが悪いわけじゃないのでっ! でも、さすがに相手が悪かったね……」
「梓には荷が重かったかぁ」
僕が話しかけた途端にフリーズしてしまったので責任は僕にあると自覚はしているが、それでも面と向かって『相手が悪かった』と言われるのは効く。子どもに怖がられるタイプではないと思っていたのだけれど。
「えっと……紹介します。この子は
「梓さん。うん……急に話しかけてごめんね。びっくりしちゃったよね」
「ぃ、ぃえっ……」
空気が漏れるようなか細い声がかすかに聞こえた。梓さんは寧音さんの服を摘みながらぷるぷるしていて、なんだかとても申し訳ない気持ちになる。
服装から、きっと寧音さんや由紀さんと似た感じの性格なんだろうと予想していた。
手のひらまで隠れていてフリルをあしらったブラウスにショート丈のプリーツスカート、足元はスニーカーという、三人の中では一番年相応というか、中学生らしい可愛らしさがある。とはいえそのスカートの丈と、サイドに緩く結った茶髪の隙間からちらりと顔を覗かせるイヤーカフはなかなかに攻めていて、やはり寧音さんや由紀さんなど華やかな女の子グループの一員といった印象だ。
そう。そういう印象を持っていたのだ。まさかこんなに人見知りだなんて思ってなかった。
いや、人の性格を外見で決めるのは浅慮だった。普段派手な制服の着こなしをしているのに人見知りな夢結さんがいるのだから、梓さんみたいな子がいてもおかしくない。
まったくもって僕の配慮が足りなかった。梓さんには悪いことをしてしまった。
いたいけな少女の精神状態安定のために、立ち上がった動きのまま気づかれないよう一歩後ろに下がり、寧音さんへと目を向ける。
「寧音さんたちも映画観にきたんだね。何を観にきたの?」
「えと、寧音たちは恋愛小説が原作の映画を……」
「ああ、最近よくCM流れてるよね」
礼ちゃんとリビングでくつろいでいる時に宣伝が流れているのをちらっと見た気もする。人気のあるらしい若い男女の俳優さんを起用したラブロマンス映画らしい。
どういうストーリーなのかは頭に入ってこなかった。僕ではあの手の映画の魅力を理解できないのである。残念な感性だ。
「お兄さんは『
『ゆー姉と』の後、一拍置いたように感じたけれど、気のせいだろうか。妙な間というか、妙な圧も一緒に感じた。
「あっ……えっと……」
夢結さんが思わずといった感じで声を上げて、気まずそうに目を逸らした。
初対面の歳下の子たちに言うには抵抗があるのか、それとも偏見などを気にしているのか。
昔はアニメを好んでいる人、いわゆるアニメオタクと呼ばれる人のことを蔑むような風潮があった。あった、というと今はそういった風潮が綺麗さっぱりなくなったようにも聞こえてしまって語弊があるかもしれない。でももっと昔、二十年三十年ほど前まで遡ると犯罪者予備軍のような扱いを受けていた、とネットで見たことがあるし、その時代と比べれば相対的に風当たりは弱くはなったのだろう。
最近では比較的穏やかになったとはいえ、未だに偏見は根強く残っている。映画化されたアニメを観にきた、なんて言ってしまうと『アニメオタクの姉がいる』みたいなレッテルを寧音さんが貼られかねない。寧音さんの学校での立場、グループでの立場を気にして夢結さんが口ごもる気持ちもわかる。
僕の考えすぎかもしれないけれど、それで夢結さんの負担が減るのならまあいいか。きっと今後僕は寧音さんのご友人、由紀さんと梓さんに会うことはないだろうし。
「ちょっと前に深夜に放送されてたアニメが映画化されたから、それを観にきたんだよ」
「ちょっ、お兄さっ……」
「ね、ねぇ、二人って……」
口元に笑みを浮かべた由紀さんは、金色のセミロングを揺らしながら一歩二歩と僕に近づいてきた。
努力家で真面目な良い子である寧音さんのご友人が先入観や偏見で人を悪く言うなんて思わないけれど、僕が由紀さんと話し始めたのはつい一分前のこと。自己紹介しかできなかったその短時間で、性格や人間性は読み取れない。
由紀さんがアニメや漫画などのサブカルチャーに悪感情を持っていないことに賭けるより、僕が強引に夢結さんを映画に誘ったという話にしておいたほうが無難だろう。誤解されたくないのなら、相手に誤解される前に、誤解されるよりかはましな印象を相手に誤解させてしまえばいい。
下世話なことを考えていますと顔に書かれている由紀さんから『二人ってアニメオタクなの?』と訊ねられる前に、僕は答えた。
「僕から夢結さんにお願いしたんだ。付き合ってって」