サイコバグなお兄ちゃん、Vtuberになる。 作:にいるあらと
下世話なことを考えていますと顔に書かれている由紀さんから『二人ってアニメオタクなの?』と訊ねられる前に、僕は答えた。
「僕から夢結さんにお願いしたんだ。付き合ってって」
「っ……え?」
もうだめだ、と覚悟していたら予想もしていない展開になって驚いた、という様子の夢結さん。
「えっ……」
現実には起こり得ない現象を目の当たりにした科学者のような、呆然とした様子の寧音さん。
「っ────」
梓さんは、なんだろう。もとからよくわからない子ではあったけど、リアクションもよくわからない。あなたの命は持って明日までです、と伝えるのを昨日言い忘れてましたと言われた患者さんみたいな感じなのだろうか。とりあえず嫌悪感などは表情や態度には出ていないので、梓さんはサブカルチャーに偏見はない子みたいだ。
一番の懸念は、外見や立ち居振る舞いからグループのリーダー的貫禄のある由紀さんだ。
「え、えっ、えっ!
いくつか予想していたうちのどれにも該当しない反応が返ってきた。どうして由紀さんはそんな輝くような笑顔をしているのだろう。どこをどう
由紀さんもアニメや漫画に偏見がないのか、それとも実は好きだったりするのだろうか。
とりあえずこのまま続けて様子を見よう。偏見があるにせよないにせよ『僕がアニメ好きで夢結さんは付き合っているだけ』という体にしておけば大きな問題は起きないだろう。
ところでその『
「そうだよ、僕が好きだったんだ。夢結さんは最初はあんまり前向きじゃなかったけど、お願いしますって」
「えーっ!? 寧音の姉ちゃん……え、やっべ。こんな男に迫られるわけ? ……高校生ってすげー。兄ちゃん、そんなぐいぐい押したん?」
なんだかこの話になってからというもの、由紀さんの距離感が大変なことになっている。精神的にも物理的にも恐ろしく近い。肘で僕の脇腹をつついてきたりもしている。君のほうがだいぶぐいぐい押してるよ。
つい先程までの由紀さんは、歳上の初対面の男相手にどういう距離感で接したらいいかわからなくて猫を被っていたのかもしれない。もともとの由紀さんの性格は、こんな感じの陽気でフレンドリーな子なのだろう。
いやフレンドリーにしたって距離感がとち狂っているけれども。僕との距離詰めすぎじゃないかな。
はちゃめちゃなくらい親しげに接してくるし、ボディタッチも多い。声の高さや話し方から機嫌が良いのも窺える。その笑顔は目が眩むほどきらきらしているし、由紀さんのパーソナルスペースは壊滅的なまでに機能していない。
何か決定的な間違いを犯している気もするけれど、とりあえず『夢結さんにはオタク趣味はない』という方向性で一貫させよう。あくまで『夢結さんはアニメには興味がなかったけど僕が強引に連れてきた』という話にしておけば問題は起こりえない。
「そうだね。押した。僕から頼み込んだ」
「へー、へぇっー! やるじゃん兄ちゃん! 出会いは? 歳離れてるっぽいけど、どうやって知り合ったん?」
僕と夢結さんとは五つ歳が離れている。どうやって知り合ったんだという点は、たしかに疑問の余地が残る。
僕の目的はあくまで夢結さんの印象を落とさないようにしてこの場を切り抜けること。オタク趣味を持っているとは思われなかったけれど、他の部分で印象を落としてしまったら意味がない。
夢結さんとの出会いの部分は実話でいいか。話にリアリティも出るだろう。
「妹と夢結さんがとても仲が良いんだ。夢結さんが家に遊びにきてる時にお喋りして」
「はっはぁっ、それで知り合ったってわけね! うはぁっ、おもしろ! 少女マンガじゃん!」
「少女漫画?」
「でも兄ちゃんなら他にいくらでも選べそうなのに、なんで寧音の姉ちゃんなん? そりゃ寧音の姉ちゃんは美人だけどさ、歳近いのによさそうなのいなかったん?」
たしかに、映画に誘うなら別に誰でもいいのではないか、とは考えるか。なぜか僕は周りの人からは友だちが多そう、というイメージを持たれがちだし同年代の友人を誘うほうが自然ではある。
ただ、今回僕は礼ちゃんに誘われて映画を観にきたわけだけど、もし僕が誰かを誘うとして、映画を一緒に観に行こう、と誘える人って礼ちゃんを除外したら実際どれくらいいるのだろう。
最近は仲の良い人もじわりじわりと増えてきたけれど、そのほとんどが配信者、同業者である。オフで会うことはできない。
配信者を除くとすると、おや。もしかして僕、配信者以外で仲の良い人って、夢結さんと美影さん以外にいないのでは。
美影さんは主に僕のせいでお仕事が忙しそうだし、プライベートでも付き合わせて休日を奪ってしまうのはあまりに申し訳ない。夢結さんもお忙しい身ではあるけれど、他の人よりかは誘うハードルは低い。
考えれば考えるほど夢結さんしかいないな。
「夢結さんしか考えられなかった、かな。夢結さんしかいなかった」
改めて僕には友人が少ないことがわかる。交友関係の乏しさを妹よりも歳下の中学生に語るというのは、大人としてどうなのだろう。少しばかり気まずい。
いや、着眼点を変えてみると、友人が少ないなんて思うのは傲慢ではないだろうか。数ヶ月前までゼロだったんだ。ゼロには何を掛けてもゼロ。何倍以上とかで表現できないくらい急成長している。
なにより、人間的に魅力ある友人が複数人いる。誇りこそすれ、恥じ入ることでは決してない。
「おっほほほ! いいじゃんいいじゃん!」
どんな笑い方をしてるんだ、この子は。急にお嬢様みたいな笑い方になった。外見からのイメージでは勝ち気な目元と金髪の相乗効果で、シンデレラに冷たくする意地悪な姉といったところだ。
ところで、さっきから僕と由紀さんしか喋っていないのだけれど、他の人たちは何をしているんだろう。
そろそろ夢結さんや寧音さんからの助け舟がほしいな、と思って一瞥すると、夢結さんは顔を真っ赤にしてそっぽを向いているし、寧音さんは
「そんなに面白い? この話……」
「なに言ってんの、おもしろいに決まってんじゃん! この手の話は大好物だし!」
「そ、そう。それならよかったよ……」
友人が少ないという話が大好物とは、オタク趣味に偏見はなくても偏食ではありそうだ。自虐ネタかと思われたのかな。
「で?」
「……で? とは?」
「恥ずかしがんないでいいじゃんっ! だからさ、寧音の姉ちゃんにはなんて言って付き合ってもらったん? てか直接言ったんしょ?」
僕の袖を掴んで揺らしながら由紀さんは質問を繰り返してくる。
この話の何が由紀さんをここまで駆り立てるのだろう。人の心はわからない。この年代の女の子の心は
「それはまあ、直接言ったよ」
夢結さんと映画を観に行きたいな、と僕が思ったと仮定して。
夢結さんに映画に付き合ってもらえないかどうかを訊ねるのに礼ちゃんを介することは、おそらくないだろう。直接本人に遊びに誘っても許される程度の親密さはあると恐れながら自負している。
ただ、いざ僕が映画を一緒に観に行く連れを探すとなったのなら、まっさきに礼ちゃんに声をかけそうではある。なんなら礼ちゃんも夢結さんも忙しいだろうし一人で行ってこよう、となる確率のほうが高い。僕は単独行動することに心理的抵抗を感じないタイプだ。
「でっ? でっ?! なんて言ったん?! 好きだ、とかっ? 付き合ってください、みたいな?! みたいなやつ?!」
僕も言葉が足りないほうだと言われるけれど、由紀さんもなかなかの圧縮能力持ちみたいだ。その部分だけ抜き取ると恋愛的な意味に捉えられかねないだろうに。全文だと『(アニメや漫画が)好きだから(アニメの劇場版を観に行くのに)付き合ってください』となる。圧縮率五十パーセント以上とは恐れ入る。
そんなに圧縮してしまうと、意図が伝わらないどころか勘違いが生まれてしまうだろうに。
「由紀さん、その言い方だと相手に間違って伝わっちゃうでしょ」
「え? どゆことどゆこと?」
僕が夢結さんを映画に誘うとしたら、意味を履き違えるようなことにならないようにはっきりと伝えるはずだ。
「夢結さんと一緒に
はっきりと。などと言ってるそばから僕も『映画を観に』というワードが欠落してしまったけれど、まあ話の流れ的に行くところなんて映画以外にないのだから、圧縮しててもさほどの問題はないだろう。
由紀さんは僕を見上げながら口をぽかんと開けて、次いで破顔した。
「なぁはっ! かっこいーっ! そうじゃんっ、好きとか付き合ってくださいとかだと、その程度の気持ちなんだって勘違いさせるじゃん! うんっ、うちがまちがってた! 兄ちゃんやるーっ!」
「うん。……うん?」
なんだか薄々違和感は覚えていたけれど、ここにきて決定的にして致命的な読み間違いをしていたことに今更気づいた。
「もう恋愛映画とか観なくてよくね? 兄ちゃんと寧音の姉ちゃんの恋バナのほうがぜったいきゅんきゅんするっしょ! ぜったい楽しいじゃん。いいなー、寧音の姉ちゃん。こんなイケメンの彼氏に愛されまくってんでしょ? うらやましー、うちも彼氏ほしー。こんな恋愛したーい!」
もしかすると、などと濁す必要もなさそうだ。
由紀さんは僕と夢結さんの関係を勘違いしている。
ちゃんと由紀さんの発言を聞き終えてから答えればよかった。直接的に訊ねられることで、もしかしたら夢結さんが嫌な思いをするかもしれないと焦ってしまった。
由紀さんの言っていた『ねぇ、二人って……』というセリフの続きは、僕の予想していた『アニメオタクなの?』ではなく『付き合ってるの?』というような、交際しているのかと確認を取るようなニュアンスの言葉が続いていたのだろう。
それもそうか。由紀さんは、努力家で勤勉で優しい寧音さんのご友人だ。人の趣味や好きな物を馬鹿にしたり蔑んだりするような人なら、寧音さんだって由紀さんと仲良くはなれなかっただろう。こうして一緒に映画を観にきている時点で、由紀さんは人の趣味で態度や見る目を変えるような人ではないと推測できていたわけだ。
僕も由紀さんの容姿から性格を誤解していた、ということか。あの状況では由紀さんの内面は読み取りきれなかったし安全策を取ったのもそれはそれで間違いではなかったとは思うけれど。
しかしまあ、お互い勘違いしたままよくここまで話ができたものだ。
だが、拗れたままでもそこまで支障はないだろう。誤解されたくないのなら、相手に誤解される前に、誤解されるよりかはましな印象を相手に誤解させてしまえばいい。結果的にはその通りになったわけだ。
アニメオタクというイメージがつくことだけは避けられた。当初の目的は達成している。
僕と夢結さんが交際しているという誤解は、ある程度月日が経過した後、僕と夢結さんの話が出た時にでも寧音さんのほうから『別れたらしいよ』と一言言っておいてもらえればそれで済む。
この場はいっそのこと、そのまま誤解しておいてもらったほうが話が早い。
「由紀さん、彼氏いないんだ。意外だね。男子からとても人気がありそうなのに」
「なんだ兄ちゃん。いつもそうやって女口説いてんの? だめっしょ、美人な彼女がいんだから」
「口説いてはないけどね。ただ単純に不思議だっただけだよ。由紀さん可愛いのに彼氏いないんだって思って。いないというよりは作らないって感じなのかな?」
「うぁっは、口説いてなくてこれは寧音の姉ちゃん苦労しそぉー。……んー、まぁ、そんなとこかな。たまに告られはするけど、クラスの男子ってなんか子どもっぽいし」
「子どもっぽい……まあ、年齢的に子どもだしね。精神的に成熟するのも女の子のほうが早い傾向があるし、そのあたりは仕方ないよ」
「えーっ! 兄ちゃんは子どもの時から大人だったんじゃね? 勝手なイメージだけど」
「あはは、そんなことないよ。僕だって子どもの時は……あれ、どうなんだろう? よく考えると子どもっぽいってどういうものなのか、僕知らないな……」
「あははっ、わかんないとかある?」
「両親の言うことを聞いて家のことを手伝うのって、子どもっぽいよね?」
「んーっ? 子どもっぽいかどうかで言えば素直な子どもっぽくはあんじゃね。でもうちの言ってる子どもっぽいとは百八十度ちがう」
「なるほど。話をまとめると、由紀さんの性格的に歳上のほうが相性が良さそうだね」
「えー? もしかして『俺とは気が合うんじゃね?』的な誘い? やめてくんない? うちイケメンは好きだけど、人の男に手ぇ出す趣味はないんだよね」
「あはは、僕も中学生に手を出す趣味はないかな」
「なんでだし! あと半年もたてばぜんぜん高校生なんだけど?! たいして変わんなくない?!」
「半年経ってないから全然中学生だね。それに僕は、可愛い女の子なら誰でもいいってわけじゃないから」
「んっ、んんっ……女のあしらい方までうまいってわけ? ふーん? ま、まぁ、気分いいから許す」
「ふふっ、ありがとう」
「ぜったい兄ちゃんモテるっしょ? うち無理だぁー、こんなのが彼氏だったらずっと不安になるじゃん。安心できないわ。新発見だし。イケメンだったらいいってわけじゃないんだ」
「褒めてくれてるのは嬉しいけど、全然そんなことないよ。一度も告白されたこともないし。それで言ったら由紀さんは告白されたことたくさんあるんじゃない?」
「一度もぉ? 兄ちゃんがぁ? ……怪しいなぁ。まぁうちも一度や二度じゃないけどさ。でもうちより寧音や梓のほうがモテるし。やっぱ男はちっちゃくてかわいかったり大人しい子のほうが好きなんじゃないの? そこんとこどうなん? 兄ちゃんは」
「僕は容姿にそれほどこだわりはないかな」
「美人でおっぱいでっかい彼女連れながら言われても」
由紀さんとしては褒めているのだろうけれど、あまりにも褒め方が尖っていた。夢結さんは耳まで紅潮させながら胸の前に手をやって再びそっぽを向いた。
いくら由紀さんは褒め言葉として使っていても、夢結さんは恥ずかしがっているようなのでその発言は許されません。罰します。
「悪い言葉を吐く口はこれかな?」
お行儀の悪い言葉が頻繁に飛び出す由紀さんの唇を親指と人差し指で
「んんっーっ!」
「そういうこと言っちゃだめだよ。いくら仲の良い友だちのお姉さんだからといって、初対面の歳上の女性に使う言葉じゃないからね。わかった?」
「んっ、んっ」
「ならよろしい」
こくこく、と頷こうとしているのがわかったので釈放する。
「なにすんの兄ちゃんっ。こんなこと親にもされたことないんだけどっ! てかふつうにセクハラだかんねっ?!」
「優しくすることだけが優しさではないからね。駄目なことをしたら、それはしちゃ駄目だよと伝える優しさも、時には必要なんだよ」
「な、なんかむずかしいこと言ってあやむやにしようとしてる!」
「言いたかったのは『あやふや』か『うやむや』か、どっちだろう」
「うっさい! とにかくっ、さっきのうち以外にやったらふつうに捕まるかんね?! 気ぃつけなよ!」
「由紀さんは許してくれるんだ。懐が深いんだね」
「懐が深い? セクハラ!」
「それがセクハラにあたる世界なら僕は生きていけないかもしれないな……」
「懐が深いって、あれっしょ? おっぱい大きいみたいな意味っしょ?」
「懐が胸の谷間と同じものだって憶えちゃったのかな? 由紀さんの学校の成績と授業態度が僕はとても心配だよ」
「いくら同年代の中では大きいほうだっつっても、中学生に興奮すんのはまずいっしょ」
「さっきと言ってることが違うし興奮もしてないしそろそろその悪戯好きな唇を引き千切ろうかなと考えてる」
「ふ、ふふんっ! やれるもんならやってみればっ?」
そう言って由紀さんは胸を張り、頬を赤らめながら唇を突き出してくる。恥ずかしいのならやらなければいいのに。
「どうして罰を受ける側が乗り気なんだろう?」
「ふっ、くふっ、ふふっ……。んんっ。ねえ、お兄ちゃん、なにしてるの?」
見計らったようなタイミングで礼ちゃんが戻ってきた。
「あ、礼ちゃん。おかえり」
「ぅわっ……び、美人が増えたし……」
「うん、ただいま。それでお兄ちゃん、かわいらしい女の子になにしてたの? というか、なにさせてたの?」
「品のないことを頻繁に口にするものだから、柄にもないけど少し注意しようとしてたんだよ」
「えっ……ちゅーしようとしてたっ?! 兄ちゃん、彼女の目の前で浮気はだめっしょ」
「……こういうことを平気で口走ってるから注意してたんだよね」
「あははっ、くふっ、ははっ。あー、おもしろい子だなあっ。なのにお兄ちゃんときたら、ちっとも動揺しないしつまんなーい」
「たぶんどこかで見てたんだろうなあとは思ったよ。あまりに遅かったしね。いつから見てたの?」
「んっとねー、夢結が寧音ちゃんたちに話しかけられてるところから」
「最初からなんてもんじゃない」
僕が夢結さんと合流する前の時点から既にやり取りを眺めていたのか。我が妹ながら何をやっているんだ。
「夢結とお兄ちゃんが二人でどんな話をするんだろうって思って楽しみにしてたんだよね。そしたらもっとおもしろいことになってたから、遠くから見て笑ってた。とっても楽しかった」
「うん。顔を見ればわかるよ。楽しんでたんだろうなって」
「礼愛あんた……見てたんなら助けてよ……」
「おもしろいシーンはしっかり眺めてたくて。ごめんごめん」
「お兄ちゃんって言ってたってことは、こっちの美人はさっき話してた兄ちゃんの妹さん? 妹同伴でデートしてるわけ?」
「れー姉……ひさしぶり」
「うん、久しぶり寧音ちゃどうしたの寧音ちゃん……なんか前会った時から変わっ、ちゃったね……。げっそりしてるっていうか……」
「そ、それは、えっと……あたしがお兄さんと二人っきりだと、その……緊張するからっ! 礼愛にもついてきてもらったのよ」
「いろいろあって……へへ。今、生きる気力を失ってるとこなんだよね……」
「ああ……こんなに乾いちゃって可哀想に。夜にはちゃんと説明するからそれまでどうにかがんばって。それでそちらのかわいい子はどちら様かな? 遠かったから名前は聞き取れなかったんだよね」
「そりゃこんな男と、しかも歳上と二人っきりってなりゃ緊張すんのはわかるんすけど、それでも妹同伴させるのはあんまりじゃないすか?」
「た、田中梓、です……」
「梓ちゃんかわいいね! 足が綺麗だからミニスカ似合う!」
「え、あ、あんまり?」
「さすがにかわいそーでしょ。兄ちゃんだって期待してたんじゃねって思うんです」
「そ、そうですか? でも、お姉さんのほうが、きれいで……」
「え? そうかなあ? ふふっ、ありがと。梓ちゃんはいい子だねえ!」
「き、期待って……」
「そりゃ、オトナのデートで最終的に行くとこっつったら、ホテぅっ」
再び教育上よろしくない発言をしようとしていた由紀さんの唇を捕まえる。基本的にこの子は頭の中がピンク色に汚染されているようだ。
一度お喋りを中断させよう。収拾がつかない。それぞれがそれぞれ好きなように話をしているもんだから大変なことになっている。
「他のお客さんの迷惑になるかもしれないし、一旦ストップ」
「んぅっ!」
「由紀さん、君はこの場に適した発言かどうかを考えてから喋りましょう」
「んっ、んっ!」
「そう。それならよろしい」
「だからっ、兄ちゃん! これ、あはっ、ふつーにセクハラだかんね?!」
「なら注意されるような発言はしないでほしいかな」
「あはは、楽しくなっちゃってた。ごめんなさい」
「ほ、ホテ……でも、たしかにいずれはそういうことも……」
「寧音さんと梓さんもごめんね? お友だちと遊びにきてたのに、邪魔しちゃって」
「い、いえっ、寧音はっ、あのっ……もう少し」
「だい、じょぶです……」
今にも消え入りそうなほど儚い声ではあったけれど、梓さんから初めてまともな返答をいただけた気がする。友だちとお喋りしている時はどんなふうに話して、どんな声で笑うのか、興味が湧いてくる。
「もう上映時間も近いから、僕たちはそろそろ行くよ。お喋りに付き合ってくれてありがとう」
「えー、兄ちゃんもう行くわけ? もうちょい喋ってかね?」
「由紀さんとはもう十分お喋りしたと思うけどね。なんにせよこれでおしまい。僕たちは映画を観にきたんだから」
「由紀ちゃん。お兄さんにも予定あるんだから迷惑かけちゃダメだよ」
「寧音ー、だってさー。んー……まぁ、それもそっか。妹さん同伴っつってもデートだし、仕方ないっか。じゃ、またね。イケメンの
「うん、また……ん? イケメンの兄ちゃんってなんだ……。う、うん、またね。寧音さんと梓さんも、ありがとね。じゃあね」
「寧音ちゃん、梓ちゃん、由紀ちゃん。ばいばいー」
「じゃ、じゃあ……あたしもこれで。寧音、夜帰ったらちゃんと話すから、だからそれまでちょっと……」
「うん。覚悟してなよ」
「ひぇっ……」
剣呑な雰囲気を姉妹で醸し出していた。夜少しお話をしたくらいでは到底和解できそうにないけれど、大丈夫だろうか。もし寧音さんも由紀さん同様に誤解しているのだとしたら、僕からも後で釈明のメッセージを送っておいたほうがいいかもしれない。
近くのテーブルに置かせてもらっていた飲み物を回収し、僕らはこの場を後にする。
早めに映画館に着いたので上映時間までグッズを見ながら時間を潰そうかと思っていたけれど、それよりよほど有意義な時間を過ごせた。
由紀さんのライン越え発言の数々は肝が冷えたけれど、僕にあんなふうに接してくれる人はこれまでいなかったし新鮮で楽しい時間だった。配信では絶対にできないし。
「礼ちゃん、夢結さん、チケット渡しておくね」
目当ての映画が上映されるスクリーンに向かう道すがら、発券してから財布に挟まれたままのチケットを取り出す。
「はーい」
「あ、ありがとうございま……」
チケットを渡す時に、夢結さんの指が僕の指に触れた。ただそれだけのことなのにまるで静電気がぱちっと弾けたような勢いで、夢結さんは手を引いた。
「ひゅぃっ……ご、ごめんなさいっ」
「う、ううん、気にしないで。それより、さっきはごめんね、夢結さん。僕と付き合っているみたいな話にしちゃって」
あんな話をした後だし、ついでに由紀さんが駄目押ししたせいもあるのだろう。少なからず意識してしまっているのかもしれない。まあ気まずいよね、振りとはいえ付き合ってるように装うなんて。
「いえっ! いえ……とても、助かりました。たぶんお兄さんは、あたしが寧音の友だちにオタクだとかって思われないようにしようとして、ああいうことを言ってくれた、んですよね?」
もう一度、今度は指にあたらないようにかチケットの端を摘み取るようにして、夢結さんはチケットを受け取った。
「うん。考えすぎだとは思ったけど、寧音さんの交友関係にも影響があるかもしれないと思って、念のためにね。……結果的に会話がすれ違って誤解が生まれたけど」
「あたしも最初、由紀って子は観にきた映画について話してるんだと思ってましたし仕方ないです」
「でも誤解したまま話を続けてたのはお兄ちゃんが言葉を圧縮するせいだけどね。わざとやってるのかと思ったもん、私」
「わざとやらないよ……。いや僕のせいだから大きな声では言えないけど……」
「あたし……うれしかったですよ」
「え?」
驚いて夢結さんに視線を向ける。
チケットを摘んだ右手を左手で包むようにして、夢結さんは微笑んだ。
「お兄さんがあたしのことを考えて、自分がどう思われてでもあたしのことを庇おうとしてくれたこと……うれしかったです。自分だけに悪感情を向けようとするお兄さんのやり方は、ちょっとだけ困ってしまいますけど……それでも、うれしかったです」
少し悲しそうに笑みを作る夢結さんを見て、僕は自分で自分の感情がわからなくなった。
夢結さんが心ない言葉で傷つくようなことがなくてよかったという安心はある。考えすぎではあったにしても、気遣いに気づいてくれていたという嬉しさもある。
でも、それだけでは説明し得ない感情の揺れが、今僕を苛んでいる。苦みを噛み締めるような夢結さんの微笑みに、胸を締め付けられるような感覚を覚えている。
あの場では、他にやり方を思いつかなかった。寧音さんの今後と夢結さんの心に影響を及ぼさないようにするには、あのやり方が一番合理的だし効果的でもあったはず。由紀さんがしようとしていた質問が予想と違ったことで結果的にそういった小細工は必要なかったわけだけど、予想通りだったとしたら僕のやり方が一番誰も傷つかなくて安全だった。
言語化できない、説明し得ない感情の揺れが、今僕を苛んでいる。もどかしく、御し難い。
あれでも駄目だというのなら、いったい正解はなんだったんだろう。
少なくとも、夢結さんにこんな表情をさせている時点で僕のやり方は不正解だったことはわかる。
「……うん。そっか」
あの場に正解はあったのか、僕の中に答えはあったのか、それはわからないけれど、夢結さんに悲しい思いはさせたくないという気持ちだけは確かにあった。