サイコバグなお兄ちゃん、Vtuberになる。   作:にいるあらと

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寧音サイドのお話。


世界が凍りつく音が聴こえた。

 

 家からバスと電車を乗り継いで、わたしは大型複合商業施設の最寄駅に降り立った。

 

 同じ中学校のクラスメイト、その中でもとくに仲良くしてる友だちの由紀ちゃんと梓ちゃんに、映画観に行こ、と誘われたので今日はお出かけだ。

 

 勉強も大事だしイラストも描きたかったけど、二人と遊びに行くのも好きなのだ。高校受験を控えた中学三年、これからはさらに遊ぶ時間を作るのは難しくなるだろうし、今のうちに遊べる時は遊んでおこうと思った。

 

 ちなみに映画は昼過ぎの上映で、今はまだ午前中。集合時間は由紀ちゃんが指定したのだけれど、あまりにも早い。どうせ映画の時間になるまで施設内のお店を冷やかして歩くつもりなのだろう。きっとそこまで大量に服を買ったり小物を買ったりはしないと思う。バイトもできない中学生は常に懐が寂しいし。

 

 ちなみにわたしはお母さんからもらうお小遣いとはまたべつに、きー姉のお手伝いでお小遣いをもらっているのでわりと余裕があるほうではある。高い物はお父さんに甘えれば買ってくれるし、イラストに関係する機材はきー姉にお願いすれば大部分を出してくれる。妹という立場はとても便利。

 

「おっ、寧音。もうきてたん? ごめーん、待った?」

 

「あ、由紀ちゃん、おはよー。ついさっきついたから大丈夫だよ。梓ちゃんもおはよー」

 

「寧音ちゃん、おはよう」

 

 待ち合わせの場所でスマホをいじりながら待つこと五分くらいで二人がやってきた。

 

 由紀ちゃんと梓ちゃんは幼馴染で家も近いらしいから一緒にきたんだろう。

 

「わーり。ほんとなら、もうちょい早くついてるはずだったんだけど、梓が起きんから」

 

「ご、ごめんなさい……。昨日、ちょっと夜更かししちゃって……」

 

「あははっ、いいってば。三十分も一時間も遅れたわけじゃないんだから」

 

 呆れる由紀ちゃんとは対照的に、梓ちゃんは申し訳なさそうに体を縮こまらせていた。

 

 べつに梓ちゃんは自堕落な性格というわけではないんだけど、朝にとても弱かったりする。由紀ちゃんは見た目の印象とは真逆でとてもしっかりしている。朝早くに起きて身だしなみを整えて朝食を摂り、その上で朝に弱い梓ちゃんの家まで行って起こしたり準備を手伝ったりするくらいしっかり者だ。

 

 陽キャギャルの幼馴染の女の子に朝起こしてもらうって、一昔(ひとむかし)二昔(ふたむかし)くらい前のラブコメマンガみたいだ。梓ちゃんが男の子だったらライトノベルだったけど、どっちも女の子なので百合マンガが始まりそう。二人との付き合いも長くなってきたのに、今のところそういう心が跳ねるようなエピソードやアクシデントはまだ聞いたことがない。起きてないのかなぁ、そういうイベント。

 

「寧音ちゃん……今日もおしゃれだね。やっぱりとっても足がきれい」

 

「えへへっ、ありがと。梓ちゃんもかわいいよ、ミニスカートにしたんだね」

 

「うん、由紀ちゃんが『これ着な』って出してくれてた」

 

「ちょ、寧音聞いてくんない? 梓さぁ、最初『ジーパンとTシャツでよくない?』とか言ってきてさぁ」

 

「うわぁっ! 寧音ちゃんには言わないでって言ったのにっ」

 

「あんたの手抜きグセを治すためだし。せっかくなんだからもっと服気にかけな」

 

「ううぅぅ……」

 

 遅れた申し訳なさに縮こまっていた梓ちゃんは、今度は恥ずかしさに縮こまってしまった。

 

 ところで由紀ちゃんの言ってた『せっかく』とはどういう意味なんでしょうね。『遊びに行くんだから』という意味なのか、それとも『あんたは可愛いんだから』という意味なのか。それによってだいぶポイントが変わってくるんですけど。

 

 ちなみにわたしの服装は自分の強みである脚線美をアピールするためのコーディネートだ。生足に視線を誘導しつつ、ロングカーディガンでこれから成長期に突入するはずの胸元をカバーしている。血筋的にはもっとあってもよさそうなものなのに、いまだに成長の兆しは見えない。

 

「まぁまぁ、由紀ちゃん。今の梓ちゃんはかわいいんだし、それでいいじゃん」

 

「しゃあなしね。午前中は梓に似合いそうな服見に行こ」

 

「えー……。あたし、おこづかいの使い道はもう決まってて……」

 

「そんなん言ってまたマンガにぜんぶ使う気なんっしょ? その半分でいいから服にも回しな。着回ししやすいの選んだげるから」

 

「あ、それならわたしもちょっと見てほしいかも」

 

 使えるお金には限度があるのだから、なるべくほかのコーディネートにも使いやすいものがあるとうれしい。

 

 由紀ちゃんはファッションに気を遣っているしセンスもいい。

 

 本人はかっこいい感じのカジュアルな服が好きみたいけど、梓ちゃんのためなのか手頃なお値段でかわいい印象の服を多く取り扱っているお店も知っているし、コーディネートにも詳しい。

 

 とりあえず困ったら由紀ちゃんに丸投げすれば問題ないんだよね。

 

「寧音も梓もガーリーとかフェミニン系が似合うと思うけど、寧音の好みは若干カジュアルにも寄ってんのよね。梓はまず興味を持ってくんないし。んー、けっこむずいけど……ま、見に行こっか」

 

「おー! 映画の時間までけっこうあるしね」

 

「お、おー……お手柔らかに」

 

 *

 

 いろいろ見て回ったけれど結局服は買わず、途中で見かけたお店で商品を三点購入すると割引になるという、取ってつけたようなサマーキャンペーンをしていたので、そこでアクセサリーをそれぞれ購入した。

 

 どうせなら似合いそうなのをお互いに選ぼうよ、と由紀ちゃんが提案したので、由紀ちゃんの分をわたしが、わたしの分を梓ちゃんが、梓ちゃんの分を由紀ちゃんがセレクトした。

 

 わたしはアンクレットだった。梓ちゃんが言うには足を大胆に出していることが多いから、らしい。ふだんからどういう服を好んでいるか考えてくれていてうれしかった。

 

 由紀ちゃんにはブレスレットを選んだ。由紀ちゃんは背が高くて手足がすらりとしているのが魅力なのに、素足を出してくれることが少ない。なので手や腕に目がいくようにブレスレットを選んでみた。

 

 梓ちゃんの分は由紀ちゃんが選んだのだけれど、なんとイヤーカフ。予想してなかったところだった。なんでも、梓ちゃんのコーディネートは甘めになりやすいからどこかでスパイスを足しておきたかったらしい。梓ちゃんの性格も考えたのか、そこまで派手なものではないけれど、たしかに雰囲気が引き締まった気もする。

 

 すぐに身につけるつもりだったので包装もしてもらわずに受け取る。店内でつけて騒いでも迷惑になると思ってアクセサリー店を出ようとしたけれど、店員のお姉さんが大きな鏡を持ってきてくれて『他にお客さんいないしいいよ』と言ってくれたのでお言葉に甘えることにした。

 

 三人ともその場でつけて、感想を言い合ってお店を後にする。接客してる店員さんも置いている商品もよかったのに、なぜお客さんがこないのか不思議だった。この階の他のお店とターゲットにしている年齢層が違うのかな。

 

 そのあとファミレスでお昼ご飯を食べて、今日のメインの映画に向かう。映画を観る時間と比べても明らかにウィンドウショッピングのほうが時間が長かったけど、それでも今日の目的は映画館なのだ。

 

「んー、ちょい早かったかも?」

 

「かもだね」

 

 予約していたチケットを発券したはいいけれど、ちょっと映画館にくるのが早かった。上映時間まではそこそこある。この大型複合商業施設にはゲームセンターもあるし本屋さんもあるし、時間をつぶせるところはいくらでもあるけれど、またここから移動してゲームセンターで遊ぶ、というほどにはゆとりはない。微妙に空いた時間だ。

 

「……あっ。グッズ売り場、見に行っていい?」

 

 とある方向に視線を向けていた梓ちゃんがグッズ売り場を指差した。

 

 梓ちゃんが見ていたところに目をやると、とあるアニメの劇場版のポスターがでかでかと貼られている。

 

 そういえば前に『このアニメ、すっごく感動するんだよー』と目の下にクマを作った梓ちゃんが学校でわたしに話してくれていた。その時に話していたアニメの劇場版だ。ゆー姉もハマっていたし、なんならわたしも気になってたやつ。

 

 なるほど、梓ちゃんはどんなグッズが置かれているのか見たいのか。今日観る映画は違う映画だけど、劇場版アニメのパンフとか梓ちゃんなら買いそうだ。

 

「どうせ時間あっし、見に行っか。ちょっ……わっは! ……なぁなぁ。グッズ売り場んとこ見てみ?」

 

「え、なに、由紀ちゃん。グッズ売り場?」

 

 由紀ちゃんに言われるがまま目を向ける。

 

 グッズ売り場の通路側正面には、今やっている人気のある映画のポスターやポップ、グッズが目立つように出されているくらいで、とくにおかしなところはない。

 

「グッズ売り場の手前んとこ、休憩スペースみたいになってるとこあんじゃん?」

 

「それがどうしたの?」

 

 グッズ売り場の手前側は映画の上映時間を待つお客さんのためか、丸いテーブルとイスがセットでいくつか置かれている。今はそれほど人がいないようだ。

 

 何度かこの映画館にはきたことがあるけれど、前回きた時との大きな変化は見受けられない。梓ちゃんもそう思ったようで、由紀ちゃんに訊ねていた。

 

 わざわざこうして呼び止めるなんて、なにを見つけたんだろう。

 

「グッズ売り場と休憩スペースの間くらいんとこ、すっごいおっぱい大きい美人がいるっ」

 

「…………」

 

 無言で梓ちゃんが由紀ちゃんの肩を叩いていた。代わりにありがとね、梓ちゃん。わたしも同意見だよ。

 

 なにを急におじさんみたいなことを言い出しているんだ。

 

 よかったね由紀ちゃん、女の子に産まれて。性別を間違えて産まれてきてたら遅かれ早かれ捕まってる。

 

 こっそり指をさしている由紀ちゃんに呆れながら、わたしはその指の延長線上を辿る。

 

「……えっ?」

 

 驚きのあまり声が出た。

 

 わたしが出る時には家にいたはずのゆー姉が、見たことないくらいにおめかしして映画館の片隅で、むかつくくらい穏やかに幸せそうな微笑みを浮かべながら立っている。

 

 もちろんれー姉と遊びに行く時とかは気合い入った格好をしているけれど、今日の格好はあまりにも違う。

 

 今の時期は暑くて鬱陶しいから、という色気のない理由でふだんは結んでいる髪を今日は下ろして雰囲気をがらっと変えている。あんまりじろじろ見られたくないとかいう傲慢な理由でいつもは目立たないような服装を選んでいるのに、今はバストを強調させるような服を着ている。足が痛くなるし、とか甘えた戯言を吐いてふだんは底がぺったんこの歩きやすい靴を選んでいるのに、今はヒールの高いトゥストラップサンダルを履いている。そんなのを持っていたことすら初めて知ったくらいだ。

 

 全体的なコーディネートが、れー姉と出かける時のそれよりもずっと大人っぽい。姉であるということを記憶から抹消すれば美人でスタイルのいい女性に見える。そう見えてしまうことが腹立たしい。外見は取り繕えていても、中身はそうじゃないのに。

 

「寧音ちゃん? もしかしてあの人、知ってるの?」

 

 あまり自分からは率先して話を切り出したりはしないけれど人のことはよく見ている梓ちゃんに、わたしのリアクションを見られてしまっていた。

 

 そうだよね、あんなにわかりやすい反応していれば知っている人なのかな、とは思うよね。

 

 はちゃめちゃに興味深そうにわたしの顔を覗き込んでくる由紀ちゃんから逃げられる気はしない。なので仕方なく打ち明けることにした。

 

「あー……あれ、わたしのお姉ちゃん」

 

「えっ、そうなの?」

 

「そういえば姉ちゃんいるって聞いたことあった! よっし、挨拶しに行こ!」

 

「うぇー……なんでよ。べつにいいよ、しなくたって……」

 

「いいっしょいいっしょ! 紹介してよ!」

 

「とてもきれいで優しそうなお姉さんだね。あたしも挨拶したいな」

 

「……はぁ。それじゃ行こっか……」

 

 北風と太陽のような二人の押しに負けて、ゆー姉のもとまで歩く。ちなみに由紀ちゃんの強烈なお願いにも負けるし、梓ちゃんの慎ましいお願いにも負けるので、わたしに活路はなかったりする。

 

 売店のほうを見ていたゆー姉は近づいていたわたしに気づかなかったので、わたしから声をかける。

 

「……やっほ、ゆー姉。なにしてんの?」

 

 悪事がバレたみたいにびくっ、と大げさに驚いたゆー姉は、軋む音を幻聴するくらいにゆっくりとわたしに振り向く。

 

 驚くという動作をしただけで揺れる胸に、かえってこちらが驚いた。それだけで揺れるものなのか。()まわしさよりも驚愕が(まさ)った。

 

「っ?! ……ね、寧音? な、なんであんたがここに……」

 

 奇遇だね、同じ気持ちだよ。

 

「そんなの、友だちと映画観にきたに決まってるんだけど……。それよりゆー姉でしょ。その気合い入ったかっこといい、気合い入ったメイクといい、誰ときてんの? れー姉?」

 

「あ、うん……そう、だよ」

 

 ゆー姉は目線を下げながら言葉を詰まらせた。ゆー姉は嘘がつけないタイプではあるけど、それにしたって下手すぎる。なにか隠していると言っているのと同じだ。

 

「歯切れ悪っ! 絶対うそじゃん! ……ん? ちょっと待って?」

 

「やめろ、寧音。考えるな。そのまま踵を返して立ち去れ」

 

 なんの説得力もない忠告は無視して考える。

 

 ゆー姉は基本的に嘘をつけない性格だ。嘘をつかれた相手がどういう思いをするだろうか、などと余計なことを考えてしまうのか、嘘をつき通すことができない。絶対にどこかでぼろを出す。

 

 とくに他人を巻き込んだ嘘なんて一番できない。巻き込んだ人に迷惑がかかるかもしれないと考えて言葉に詰まってしまう。素直すぎるのだ。

 

 そのゆー姉が『れー姉ときたの?』というわたしの問いに、躊躇(ためら)いつつも肯定した。れー姉ときていないのなら、れー姉にかかるかもしれない迷惑を考えて肯定はしないはず。

 

 それはつまり、れー姉ときていることは事実なのだろう。そこに嘘はない。

 

 でもれー姉と二人で映画を観にきているのであれば、言葉を詰まらせることも濁らせる事もしなくていい。はっきりとそう言えばいい。

 

 言い淀んだのはれー姉と二人で(・・・)きたわけじゃないからだ。一緒にきたのがれー姉だけ(・・)じゃないから、歯切れが悪くなった。

 

 ゆー姉の交友関係なんて高が知れている。れー姉が同席していて、映画を一緒に観にくるなんていうそこそこ高い親密度の相手で、ゆー姉が過去に類を見ないほどおめかしをしている、となれば。

 

 わたしの脳内には、たった一人しか思い浮かばなかった。

 

「ゆー姉……もしかして」

 

「…………」

 

 ゆー姉は口を(つぐ)んで顔を背けた。もはやその反応は『正解です』と言っているのと同義である。

 

 なんだそれ許せない。ゆー姉を詰めようとしたわたしだったけれど、頭に血が上っているわたしの耳にすら不自然なくらいするりと、こちらに近づく足音が入ってきた。

 

 息を呑むような由紀ちゃんの声と、声にならない悲鳴のような梓ちゃんの声を、背中で聞いた。

 

 配信のマイク越しでも、スマホ越しでも、人の声というものは意外と変わるもの。生の音、肉声になった時、どう思うか、どう感じるかは、聞いた人間の耳に左右されるだろう。

 

 少なくとも『それ』は、わたしの耳にはとても心地よい音としてぬるりと滑り込んできた。

 

「お待たせ、夢結さん」

 

「み゛ゃ゛っ゛」

 

 尻尾どころか胴体を踏まれた猫のような音が聞こえた。どこから聞こえたのかと思えば信じられないことに自分の喉からだった。

 

 信じたくない。こんな声を推しの耳に入れてしまった事実を。

 

 でもなにより、信じられない。推しがこんな近くに顕現しているという僥倖を。

 

 おそるおそる、声の主を盗み見る。

 

 配信や通話で聴いていた声と、れー姉の整った顔立ちからイメージしていた通りの、否、イメージを上回る尊容(そんよう)だった。

 

 優しく温和そうな瞳と、筋の通った鼻。頬から顎にかけての美しいシャープな輪郭は惚れ惚れする。ジン・ラースを生み出したきー姉は、確実にお兄さんのイメージを取り入れて描いている。本人を目の当たりにして改めてきー姉の技術力と表現力を痛感すると同時に、きー姉ほどの腕を以ってしてもなおお兄さんの妖しげな色気を完璧にはジン・ラースに落とし込めない事実に絶望する。あるいは、お兄さんの声と重ねることでようやくジン・ラースが完成するのか。

 

「あ、おかえりです。の、飲み物、ありがとうございます。持ちますよ」

 

「ありがとう」

 

 お兄さんの大きな手と長い指で支えられていた飲み物を、ゆー姉が代わりに持つ。

 

 お兄さんに買いに行かせてんじゃねぇよ、なにしてんだお前が行ってこいよ。などと姉に対してごく当然の感想が湧いて出てくるけれど、それよりもまず比較的自然にゆー姉がお兄さんと会話していることに気づいて動揺を禁じ得ない。

 

 嘘でしょ。あのゆー姉がパニックにもならずに、どうしてそんなにお兄さんとお話ができるの。おかしいよ。

 

 いや、そんな瑣末(さまつ)なことはどうだっていい。今はお兄さんだ。

 

 お兄さんの顔と声に脳みそが侵されていて気づくのが遅れてしまったけれど、ゆー姉と並んだことでありありとわかる。とても背が高い。れー姉もそうだったし、遺伝的に背が高い家系なのだろうか。ゆー姉よりも二十センチはゆうに高い。

 

 スタイルもいい。七分丈のテーラードジャケットとシャツ、ルーズな印象を与えないようなタイトめのチノパンとカジュアルめなスニーカー。子どもっぽくはならないように演出しつつ、隣を歩くのが高校生ということを意識してお堅くなりすぎないように絶妙な塩梅で纏めている。

 

 ここにきてわたしはようやくゆー姉のコーディネートの趣旨を理解した。お兄さんと並ぶことを考えて、肌の露出を控えた服装にしたのだろう。それでいて自分の強みはしっかり強調させているのが憎い。

 

「それで、夢結さん。こちらの方は?」

 

 ゆー姉程度のゆー姉に丁寧な口調でお兄さんは訊ねた。

 

 どうしよう、どうしよう。お兄さんがやってきた以上いつかはご挨拶しなければいけない時がくるとは思っていたけれど、こんなにも早くきてしまった。まだ覚悟の準備ができていない。呼吸もままならない。心臓と肺が動き方を忘れてしまったようだ。

 

「あー、えっと……これ、じゃない……こちら、妹の寧音で……」

 

 お兄さんはその紹介を聞いて、手に持っていた残りの飲み物らしきものを近くの丸テーブルに置いた。

 

 その時点で、わたしは目線を下げた。

 

 ゆー姉から聞いていたのだ、お兄さんは人の目を真っ直ぐと見つめながら話をする、と。今のわたしはお兄さんの目を見つめて会話ができるようなコンディションではない。

 

 大変失礼だし、申し訳ないし、正直惜しいことをしているという自覚もあるけれど、わたしの生命と尊厳を維持するためにも許してほしい。

 

「寧音さん、お話は夢結さんから……お姉さんから伺ってます。初めまして、恩徳仁義です」

 

 足元を凝視していたわたしの視界に、お兄さんの膝と太ももが入った。

 

 ゆー姉と二十センチ以上背丈が違うのなら、わたしとは三十センチ以上身長が離れていることになる。それだけ身長差があると話しにくいだろうと気を遣って、お兄さんは屈んでくれたのだ。細かな気配りが魂の深いところに刺さる。

 

 推しが目の前で(おそらく)わたしの顔を見ながら、わたしの名前を呼んでくれている。スーパーチャットも送ってないのに呼ばせるなんて申し訳ない。今すぐ赤スパを送りたいくらいだ。でもお兄さんスーパーチャット受け付けてくれてないんだよね。この気持ちはどこに置けばいいの。

 

 ていうか聞き逃しかけたけど『お姉さんから伺ってます』ってなんだ。ゆー姉から、わたしのどんな話を伺っているというのか。わたしの話をしてくれていたらしいゆー姉には最大限の感謝の念を抱きつつも、余計なこと喋ってたらただじゃおかないぞという相反する感情が渦巻いた。

 

 お兄さんから自己紹介をいただいたのでわたしも挨拶したいのは山々なのだけど、心臓は宿主の指示を無視しているし肺はストライキを起こそうとしている。肺呼吸の人間が陸上でこれほどまでに呼吸に喘ぐことがあるのかと呆れ返るほどにあっぷあっぷと緊張の海に溺れながら、どうにか口を開いて喉を震わせる。

 

「はい、えっと……はじ……初め、ましてっ。ゆー姉の妹の、寧音……吾妻寧音です。よろしくおねがいしますっ」

 

 頭がくらくらしていて地に足がついていない感覚だけれど、推しを目の前にしたオタクにしてはまともに挨拶できた自信がある。

 

 緊張していてところどころ詰まりながらとはいえ、わたしもやればできるものだ。

 

「ふふっ、はい。丁寧にありがとうね。よろしく、寧音さん」

 

 穏やかで優しげでありながらどこか色っぽい笑い声をこぼし、お兄さんはそう言った。わたしの名を呼んで、よろしく、とそう言った。

 

「は、はいっ」

 

 もしかしてこれから『よろしく』されるような機会があるのかと、そんな期待をしていいのかと妄想を始めそうになった煩悩の塊を切って捨てる。邪念は消し去れ。でなければ、推しと直接お話する資格などない。

 

「夢結さんが言ってた通り、とても可愛いね。それに今のコーディネートは大人っぽくて格好いい」

 

 いやらしさなど微塵も感じさせずにお兄さんはわたしの今日の服装を褒めてくれた。下心とかないんだろうな、お兄さんは。それはそれで複雑だけれど。

 

 そして一応、わたしについてポジティブな話をしてくれていたらしいゆー姉には心の中で『ありがとう』を送っておく。ほんとにありがとう。これからはもう少し優しく接してあげられるよう心がけるよ。

 

「い、いやっ、寧音はそんなっ……ゆ、ゆー姉っ」

 

 耳に優しい声で褒めてもらったわたしが冷静になれるわけもなく、思わずゆー姉にパスした。

 

 あれほど優しい声だったのだ、きっと春の木漏れ日のような柔らかくも暖かい笑顔をわたしに向けてくれていたことだろう。それを見られなかったのは痛恨の極みだけれど、見ていたら脳みそが沸騰していた可能性も否定できない。避けるのは正しい判断だったろう。

 

「あたしに助けを求められても。よかったじゃん。褒めてもらえて」

 

「そ、そうだけどっ! 心の準備体操してなかったんだもんっ!」

 

「体は準備体操してきたみたいな言い方やめろ。なんだよ、心の準備体操って。あたしも教えてほしいよそれ」

 

「あはは、二人とも仲良いね。後ろのお二人も初めまして。恩徳仁義です、よろしくね。お名前訊いてもいいかな?」

 

 自分のことにいっぱいいっぱいになってしまって由紀ちゃんと梓ちゃんの紹介ができていなかった。

 

 慌てるとこんなになにもできなくなる子だったのか、わたしは。悲しくなる。

 

「あ、えと……う、うちは由紀です……。藤原由紀」

 

 自己紹介して、由紀ちゃんはぺこりと金髪の頭を下げた。

 

 気を回せなかったわたしが言えたことでは決してないけれど、由紀ちゃんがこんなに緊張しながら人と話しているところは初めて見た。由紀ちゃんは誰に対しても、歳上でも初対面でもまるで気にしないで自分の距離感でコミュニケーションを取るのだ。気圧されるような性格ではないと思っていたけれど、さすがにお兄さん相手には距離を測りかねているようだ。

 

「由紀さん、よろしくね。それで、君のお名前は?」

 

 由紀ちゃんににこりと微笑んで、お兄さんは梓ちゃんに水を向ける。わたしに目線を合わせてないので、今のうちにそのご尊顔を拝謁させてもらう。ずっと見ていたくなるくらい美形だ。目元は少し違うけれど、れー姉も美人なので、これはそういう血なのかもしれない。兄妹そろって美形って、前世でどんな徳を積んだらそうなるんだ。

 

「ぁ、はっ、あ……ぁ」

 

 お兄さんに気を取られているうちに梓ちゃんが小動物のように震えてしまっていた。

 

 まずい。梓ちゃんは人見知りなのだ。わたしと由紀ちゃんが近くにいるからどうにかなるかと思ったけれど、わたしたち程度の安心感ではお兄さんを相手にすることはできなかった。

 

 梓ちゃんはぷるぷると庇護欲をそそる動きで、わたしの背中に移動していく。

 

「だ、大丈夫だよ? 僕、熊じゃないよ? そ、そんなにゆっくり逃げようとしなくても身の危険はないよ?」

 

 思わず笑いそうになった。熊の対処法としては丸。

 

 よくこんな雰囲気で冗談をぶっこめるものだ。あるいはこんな雰囲気を払拭しようとしてくれていたのか。お兄さんは配信中でも、どんなにシリアスなシーンでも真剣な口調でボケることもあるので意図的なのか天然なのか判別が難しい。

 

「んふっ……っく。お兄さん、よくこんな気まずい空気の中でっ……」

 

 わたしと同じことをゆー姉も考えていた。無性に悔しくなる。

 

 このままだとお兄さんにも悪いし梓ちゃんも肩身が狭くなってしまうだろうから、ここはわたしがフォローに入る。

 

「ご、ごめんなさい、お兄さんっ。梓ちゃんはちょっと……ちょっと? ……けっこう人見知りで……」

 

「梓、あんた挨拶くらいしときなって……。すんません。こいついつもは……まぁ、一人の時はいつもこんなもんなんすけど、うちらといる時はもうちょっと喋れるんです」

 

「そう、なんだ……。なんだか、驚かせちゃったみたいでごめんね?」

 

「……いえ、お兄さんが悪いわけじゃないのでっ! でも、さすがに相手が悪かったね……」

 

「梓には荷が重かったかぁ」

 

 お兄さんが悪いわけでも、梓ちゃんが悪いわけでもない。ちょっと、なんだろう、噛み合わせ的ななにかが悪かったのだ。慣れれば梓ちゃんから話してくれることも多くなる。わたしの時がそうだった。

 

 わたしの肩に置いている梓ちゃんの手に触れながら、お兄さんに紹介する。

 

「えっと……紹介します。この子は田中梓ちゃんです」

 

「梓さん。うん……急に話しかけてごめんね。びっくりしちゃったよね」

 

「い、いえっ…………ごめんなさい」

 

 わたしはすぐ近くにいたので聞こえたけれど、はたしてお兄さんに梓ちゃんの声は届いただろうか。

 

 仲良い人にしか聞かせてくれないけれど、梓ちゃんはとても透き通った可愛い声をしているのだ。自慢の友人の美声を、ぜひお兄さんにも聞かせてあげたい。

 

「寧音さんたちも映画観にきたんだね。何を観にきたの?」

 

 申し訳なさそうに眉尻を下げて、立ち上がりながらお兄さんはそう言った。

 

 そこで、思考を甘く溶かしていくような柑橘系や石鹸にも似た香りが薄まったのを感じ取った。どうしてだろうと思えば、若干だけどお兄さんとの距離が離れていることに気づく。

 

 お兄さんは梓ちゃんが怖がっているとでも勘違いしたのだろうか。そうやって気にしてくれるのはとてもうれしいけれど、それはそれとしてお兄さんは自己評価が低すぎて困る。わたしたちはただ、かっこいい歳上のお兄さんが急に現れて緊張しているだけだ。

 

「えと、寧音たちは恋愛小説が原作の映画を……」

 

「ああ、最近よくCM流れてるよね」

 

 もちろん恋愛映画も観たかったことは観たかった。でも、おもしろかったアニメの劇場版が今上映されているので、度合いで言うとそちらのほうが観たかった。

 

「お兄さんはゆー姉となに観にきたんです?」

 

 わたしたちは女三人で観るというのに、これでゆー姉はお兄さんと(れー姉も一緒みたいだけど)恋愛物の映画を観るとか言われたら、嫉妬で体が燃え上がりそう。

 

 そのせいで少し言葉に力が入ってしまったけれど、幸いお兄さんには気づかれていないみたいだ。

 

「あっ……えっと……」

 

 ほんの一瞬、ゆー姉が由紀ちゃんをちらっと見て、すぐに目を逸らした。

 

 なんなのだろう。家に帰ってからお兄さんと映画を観に行っていたことについてわたしに詰問されたくない、ということで隠そうとするのならわかるけれど、それで由紀ちゃんを気にするような素振りをするのは、よくわからない。

 

 ゆー姉の謎行動に首を傾げているうちに、お兄さんは質問に答える。

 

「ちょっと前に深夜に放送されてたアニメが映画化されたから、それを観にきたんだよ」

 

 お兄さんたちはアニメの劇場版を観にきてたんだ。恋愛物じゃなかったので溜飲が下がった。

 

 ゆー姉がお兄さんと映画を観にきているという事実だけでもなかなかメンタルには響いているけれど、ほぼ確実にれー姉も同伴していることを考えるとまだ自分を慰めることはできる。流れ的にはおそらく、れー姉とゆー姉が映画を観に行くという約束を先にしていて、その後にれー姉がお兄さんを引っ張ってきた、という感じだろう。ゆー姉が自分からお兄さんを誘えるとは思えない。

 

「えっ?」

 

 背後で小さく、梓ちゃんの喜色混じりの驚きの声が聞こえた。梓ちゃんも好きだもんね、あのアニメ。劇場版も観たそうだったし。なんならわたしも観たいし。

 

「ね、ねぇ、二人って……」 

 

 明らかににやにやしているとわかる声で、由紀ちゃんはお兄さんに近づいていく。

 

 由紀ちゃんはお兄さんとゆー姉が二人で映画館にきていると思っているようだし、デートをしているとでも勘違いしているのかもしれない。

 

 おもしろい話が聞けるかも、と期待しているのだろう。

 

 好きなのだ、由紀ちゃんは、恋バナが。

 

 わたしも由紀ちゃんも梓ちゃんも、男子から告白される回数は多いわりに恋愛絡みの話が出ない。わたしは勉強と推し事でそれどころじゃないし、由紀ちゃんは同年代の男子は好みに合わないらしい。梓ちゃんは人見知りだし、二次元のほうに趣向が傾いている。

 

 三人そろって恋バナから縁遠いのだ。なので心ときめくような恋愛話に飢えている。

 

 そんなに心をときめかせたいのなら彼氏作ればいいのに、と本人に直接言ったら『試しで付き合ったことあっけど、きゅんきゅんせんし』と返された。同学年の男子では由紀ちゃんの琴線には触れないらしい。難しい。

 

 でも、期待しているところ残念だけど由紀ちゃん。その二人からはお望みの話は出てこない。

 

 お兄さんがゆー姉をどう思っているかは正直なんとも言えないけど、ゆー姉がお兄さんと付き合うのは現状不可能だ。ゆー姉の人間的経験値が絶対的に不足している。ゆー姉はきっとお兄さんの一挙手一投足にわたわたまごまごしてお兄さんを困惑させ、ゆー姉がお兄さんに慣れるまでの間にお兄さんはゆー姉に愛想が尽きるだろう。

 

 なにより、実際に付き合っていたとしたら、その付き合い始めの日にわたしが気づくはずだ。直情的なゆー姉が、わたしに黙り続けたり、これまで通りに過ごしたりできるとは思えない。急ににやにやしたり、急にベッドの上で悶え苦しんだり、急にスマホを指で撫でながら見つめたりするはずだ。そんな異常行動が一切なかったことから、ゆー姉はお兄さんと付き合っていないと結論づけることができる。QED.

 

 そんなこととは露知らず、由紀ちゃんは期待に胸を膨らませながらお兄さんに訊ね、お兄さんはみなまで言うなといった様子で由紀ちゃんの言葉を即座に否定──

 

 

 

「僕から夢結さんにお願いしたんだ。付き合ってって」

 

 

 

 ──世界が凍りつく音が聴こえた。

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