サイコバグなお兄ちゃん、Vtuberになる。   作:にいるあらと

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寧音さんが危うくぶっ壊れそうになる話。


銃を構えている恋のキューピッド

 

「えっ……」

 

 ありえない。ありえていいはずがない。

 

 弛緩した意識で、現実味のない話をしているお兄さんと由紀ちゃんの声を拾い続ける。

 

「え、えっ、えっ! (あん)ちゃんから言ったん?! 付き合ってって?! マジで?! ってことは、兄ちゃんのほうが好きだった、ってこと?!」

 

 距離を測りかねていた由紀ちゃんだったけれど、上質な恋バナが聞けそうな予感にテンションが上がっていつものコミュ力が息を吹き返していた。

 

 どんなメンタルをしていれば初対面の歳上の男性に(あん)ちゃんなんて呼び方ができるんだろう。鍛え方があるなら教えてほしいよ。わたしのメンタルはすでに(ひび)が入りまくっていて今にも粉々に砕け散ってしまいそうだけど、こんな状態からでも間に合う鍛え方があるなら教えてほしい。

 

 わからない。わからないよ、もう。なにがなんだかわからない。

 

 ゆー姉からじゃなかったのか。お兄さんからゆー姉にアタックしたのか。どうして。そんなに二人の仲は育まれていたのか。取り持ったのはれー姉か。でもお兄さん大好きを公言しているれー姉がこんなに早く兄離れするのか。

 

 くるくると思考は空転する。もはや思考が空転しているのか、あるいは世界が空転しているのか、それすらわからない。

 

「そうだよ、僕が好きだったんだ。夢結さんは最初はあんまり前向きじゃなかったけど、お願いしますって」

 

 世界が空転しているか否かはわからないけれど、世界が間違っていることだけはわかった。

 

「えーっ!? 寧音の姉ちゃん……え、やっべ。こんな男に迫られるわけ? ……高校生ってすげー。兄ちゃん、そんなぐいぐい押したん?」

 

 だいぶ由紀ちゃんのエンジンは暖まっているようだ。頬を染めながらも笑顔になったり、目を丸くして驚いたり、内緒話をするように顔を寄せたり『やるじゃん』みたいなノリでお兄さんの脇腹を肘でつんつん突いたりと大忙しに絶好調だ。

 

 対してわたしは金縛りにでもあったように身動きが取れずにいた。もしかしたら体と魂が分離し始めているのかもしれない。分離していなければきっと膝から崩れ落ちていたのである意味よかったとも取れる。

 

 いや、全然よくない。

 

 なんだ、前向きじゃなかったって。お兄さんに言い寄られて、お願いしますって頼み込まれて、それでようやくオーケーを出したのか。なんだそれ何様だ血管切れそう。

 

「そうだね。押した。僕から頼み込んだ」

 

「へー、へぇっー! やるじゃん兄ちゃん! 出会いは? 歳離れてるっぽいけど、どうやって知り合ったん?」

 

 ゆー姉とれー姉が同い年で、たしか綺輝(きー)姉とお兄さんも同い年だったはず。ゆー姉ときー姉で五歳差があるので、二人の歳の差は五つだ。

 

 社会人になればそれくらいの歳の差なんて気にならないのかもしれないけれど、学生の五歳差はとても大きい。出会いという部分でも話題という部分でも違いが出てくるはず。

 

 しかし神様のいたずらか、お兄さんとゆー姉の間には共通の話題が数多くある。

 

 お兄さんもアニメは嗜んでいるらしいし話は合うだろう。配信を手描き切り抜きという形で支援しているのでそこでも連絡を取り合う機会は多い。

 

 なににつけても、れー姉という存在だ。れー姉の存在が一番大きい。

 

 ゆー姉とお兄さんが直接顔を合わせたきっかけがれー姉だし、アニメだってれー姉の影響で観ることが増えたらしいし、手描き切り抜きもれー姉からの依頼だった。

 

 れー姉という点が、お兄さんとゆー姉を線で結んだに違いない。

 

「妹と夢結さんがとても仲が良いんだ。夢結さんが家に遊びにきてる時にお喋りして」

 

 でしょうね。

 

 恋のキューピッドだ、れー姉は。弓矢の代わりに銃を構えている恋のキューピッドだ、強すぎる。

 

 れー姉がゆー姉と仲良しなことは知ってるし、まぁ、わたしもなんだかんだ言いつつゆー姉の性格がいいことはわかってるけど、それにしたって、だ。あのれー姉がなによりも、誰よりも大事にしているお兄さんをゆー姉に譲るなんて。お兄さんの隣をゆー姉に譲るなんて、にわかには信じられない。

 

 信じたくないだけかもしれない。

 

「はっはぁっ、それで知り合ったってわけね! うはぁっ、おもしろ! 少女マンガじゃん!」

 

 ほんとだよ。

 

 友だちの家に遊びに行って、そこで友だちのかっこいいお兄さんと知り合って、お兄さん(と、れー姉の配信活動)を支えて仲を深めて、最終的に付き合って夏休みに映画デート。

 

 マンガの世界だよ、こんなの。

 

「少女漫画?」

 

「でも兄ちゃんなら他にいくらでも選べそうなのに、なんで寧音の姉ちゃんなん? そりゃ寧音の姉ちゃんは美人だけどさ、歳近いのによさそうなのいなかったん?」

 

 そう、そうなんだよなぁ。ふつうはそう思うんだよなぁ。

 

 顔は整っていて声も素晴らしい。性格は優しく穏やかで気が利いていて、配信を観ている限り話の引き出しも多い。真面目だけど、それ一辺倒にはならずにユーモアもある。他の人とのコラボではボケまくって引きずり回しながらも相手の魅力を引き出すコミュニケーション能力まであった。

 

 これだけそろっていれば周囲に人が集まりそうだし、たくさん女も寄ってきそうだけれど、なぜかお兄さんには友だちがいないらしい。

 

 そんな不可解な現象が起こり得るのかわたしからすれば疑問でしかないけれど、メッセージアプリの友達欄を直接確認したらしいゆー姉は、ほんとに友だちがいなかった、と言っていた。

 

 お兄さんの唯一の友人で、れー姉の大親友。関わる頻度も桁違い。ついでにゆー姉も純朴な人間性をしていると、妹の贔屓目で付け足しておいてやる。

 

 恋敵のいない環境に加えて最強の味方がバックにいたからこそ、ゆー姉はお兄さんの一番近くに行けたのだろう。

 

 だからこそ、お兄さんの大事な存在になれ──これ以上考えるのはまずい。わたしの魂が精神的な負荷に耐えられない。

 

「夢結さんしか考えられなかった、かな。夢結さんしかいなかった」

 

 頭の中で考えるのと、お兄さんの口から聞くのとでは殺傷能力が違った。

 

 ぱきぃん、とわたしの中のなにか大事なものが欠けてこぼれ落ちた気がする。

 

 現実逃避でこれまで避けてきたジャンルに手を出してしまいそうになる。目を背けてきた扉を開きそうになる。

 

 いやだ。いやだ。こんな後戻りできなくなりそうな経験をきっかけにして新たな性癖に目覚めたくない。

 

「おっほほほ! いいじゃんいいじゃん!」

 

 一人だけすごく楽しんでいる子がいる。

 

 いいなぁ、由紀ちゃん。わたしもその立場に立っていたかったよ。

 

 わたしはもうだめだよ。お兄さんの隣に寄り添っているそこの女に背中から刺されたんだ。致命傷だよ。

 

 きっとお兄さんが恥ずかしげもなく披露する馴れ初めを聞いていられなくなったのだろう。ゆー姉は耳まで赤くさせて俯いている。

 

 せめて一言だけでも前もって伝えておいてくれたら、わたしの心はここまで渇き果てることはなかっただろう。心の準備体操ができていなかったことで、こんなにも荒んでしまった。

 

 いやそんなこともないか。茫然自失になるか暴れ散らかすかのどっちかだったと思う。周囲に迷惑をかけないだけ今のほうがマシかもしれない。

 

「そんなに面白い? この話……」

 

「なに言ってんの、おもしろいに決まってんじゃん! この手の話は大好物だし!」

 

「そ、そう。それならよかったよ……」

 

 すいませんね、お兄さん。由紀ちゃんはきゅんきゅんを燃料にして走る暴走機関車みたいな子なんです。

 

「で?」

 

「……で? とは?」

 

「恥ずかしがんないでいいじゃんっ! だからさ、寧音の姉ちゃんにはなんて言って付き合ってもらったん? てか直接言ったんしょ?」

 

 とうとう由紀ちゃんはメインディッシュに取り掛かった。馴れ初めを聞いたのなら、一番の盛り上がりを見せるのはもちろん告白のセリフだろう。恋バナにおいてはラスサビみたいなものだ。

 

 渇いたわたしの心にはもうなにも響かないので、ぜひとも由紀ちゃんにはふだん味わえない分も含めて存分に楽しいひと時を過ごしてほしい。

 

 それにしても、告白かぁ。想像していたよりも面と向かって告白してくる男の子って少ないんだよね。メッセージアプリの通話とか、中にはメッセージの文章だけで伝えてくる男の子もいる。直接言ってくる男の子もいることにはいるけど、少数派な気がする。実際に会って告白して振られるほうがつらいからだろうか。

 

 どちらにせよお断りさせてもらうので関係ないといえば関係ないけれど、告白される時に直接会って好意を伝えられたほうが断る時の申し訳なさは大きいので、やっぱりそれだけ人の感情を動かすことはできるんだと思う。

 

 もしかして実は歳の離れた親戚のお兄ちゃんだったりするのかな、などととち狂ってしまいそうになるくらいの馴れ馴れしさで、由紀ちゃんはお兄さんに催促する。

 

「それはまあ、直接言ったよ」

 

 由紀ちゃんに腕を揺らされながら質問攻めを受けるお兄さんは、戸惑いと呆れを混ぜたような複雑な表情で律儀に答える。

 

 また一つ心から破片が散った気がするけれど、もう痛みも苦しみも感じないのでまぁいいや。

 

 やっぱりお兄さんは直接言うよね。メッセージアプリで予防線張る、みたいなことはしないタイプだと思ってた。

 

 お兄さんなら告白する場所とかも厳選したのかな。れー姉と夜景を観に行ったりもするらしいし、告白するのに適したスポットはたくさん知ってそう。でも、お兄さんなら家でお喋りしている時に不意に告白したとしても違和感がない。どんなパターンでも具体的にイメージが湧いてくる。

 

 あぁ、どんな感じなんだろう。妄想がはかどるなぁ。セリフよりシチュエーションやロケーションを重視して訊いてほしいなぁ。

 

「でっ? でっ?! なんて言ったん?! 好きだ、とかっ? 付き合ってください、みたいな?!」

 

 由紀ちゃんのボルテージは最高潮だ。ここまで(たかぶ)っている姿は記憶にない。

 

 でもまぁ、そうなっても仕方はないよね。由紀ちゃんは同級生の男子相手だとときめかないから付き合わないだけであって、誰とも付き合う気がないわけじゃない。ときめかせてくれる相手がいたら付き合うし、なんなら相手が自分に興味を持っていなければ自分からアプローチしていく行動力がある。そのくらい女の子らしい一面のある子なのだ。

 

 そんな由紀ちゃんであれば、テンションが際限なく上がってしまうのも無理はない。自分の求めた『ときめき』を体現している人たちが目の前にいるのだから、行く末が気になってしまうのは当然だ。

 

 しかし暴走寸前の由紀ちゃんにストップをかけるように、あるいは()らすように、お兄さんはワンクッション置く。

 

「由紀さん、その言い方だと相手に間違って伝わっちゃうでしょ」

 

「え? どゆことどゆこと?」

 

 今だけは由紀ちゃんと同じ気持ちだ。まさしく、どういうこと、である。

 

 告白するのに、気持ちを伝えるのに、間違って伝わるもなにもない。『好きです』も『付き合ってください』も、告白する時には一般的な文言だ。

 

 なにも間違いはなさそうだけど、なにが違うと──

 

 

 

「夢結さんと一緒に()きたいですって、はっきりと言ったよ」

 

 

 

 ──なるほど。脳みそが爆発しそうだ。

 

 なるほどなぁ。たしかに『好きです』も『付き合ってください』も、ある意味では間違いになる。自分が抱いている気持ちが軽いものだと、相手に誤って伝わってしまう可能性がある。たしかにそうだ。ただの遊びではない、将来も見据えているという自分の気持ち、覚悟を伝えるのに、上述の二つの言葉では薄いし軽い。

 

 であるなら、お兄さんの選んだ言葉は他のどれよりも適切だ。これ以上、端的で真っ直ぐ飾り気なしに気持ちを伝える言葉はない。

 

 うん、なるほど。これは夢だな。あははは。

 

「────」

 

 わたしの意識はここでシャットダウンした。

 

 

 

 *

 

 

 

 

「んっとねー、夢結が寧音ちゃんたちに話しかけられてるところから」

 

「最初からなんてもんじゃない」

 

「────っ」

 

 名前を呼ばれた気がして意識が再浮上する。再起動とも言える。

 

 目をぱちぱちと瞬かせ、現実を確認する。

 

 わたしは今、映画館の片隅にいる。夢じゃなかったんだな。なんてことだ。

 

 いつのまにかれー姉もいた。やっぱりお兄さんとゆー姉、れー姉の三人で映画を観にきていたようだ。

 

 れー姉も一緒にきているのならこれは映画デートではないな、うん。

 

「夢結とお兄ちゃんが二人でどんな話をするんだろうって思って楽しみにしてたんだよね。そしたらもっとおもしろいことになってたから、遠くから見て笑ってた。とっても楽しかった」

 

「うん。顔を見ればわかるよ。楽しんでたんだろうなって」

 

「礼愛、あんた……見てたんなら助けてよ……」

 

「おもしろいシーンはしっかり眺めてたくて。ごめんごめん」

 

 三人で楽しげにお喋りしているけれど、なんの話をしているのかよくわからない。わたしの再起動中になにかおもしろい出来事でも起きていたのかもしれない。

 

 どんな愉快なイベントなりハプニングなりが発生していたとしても、きっとわたしの心はついていけてなかっただろうから大して変わりはないか。

 

 お兄さんは由紀ちゃんにまだ絡まれているし、お兄さんに事実確認する前にれー姉に挨拶しておこう。なんだかんだで会うのは久しぶりだし。できればもうちょっと元気な時に会いたかったけど。

 

「れー姉……ひさしぶり」

 

「うん、久しぶり寧音ちゃどうしたの寧音ちゃん……なんか前会った時から変わっ、ちゃったね……。げっそりしてるっていうか……」

 

「いろいろあって……へへ。今、生きる気力を失ってるとこなんだよね……」

 

 生きる気力とか、がんばる活力とか、そういった生命力的なエネルギーはすべてわたしの中からこぼれ出ていった。かぴかぴだ。搾りかすだ。むしろ、これだけのことがあってもまだ喋る力が残されている人体の神秘に感動している。

 

 ミイラに勝るとも劣らないコンディションのわたしに引き換え、れー姉は前会った時と変わらず、どころか以前にもまして美人になっている。どんな手入れをしたら肌と髪にそんな張りと艶が生まれるんだろう。

 

 さらさらと流れるような黒髪には天使の輪っかが浮かんでいる。こんな天使に迎えにこられたら、恨みつらみ妬み嫉みを煮詰めたようなわたしでも迷わずに成仏してしまう自信がある。

 

「ああ……こんなに乾いちゃって可哀想に。夜にはちゃんと説明するからそれまでどうにかがんばって」

 

「……ん?」

 

 れー姉の発言に引っかかりを覚える。わたしはれー姉から説明を受けなければいけない状況にある、ということなのか。

 

 そういえばわたしの再起動直後にれー姉たちがしていた話の中にも違和感はあった。由紀ちゃんとお兄さんの話を聞いていたらしいれー姉の口から『おもしろいことになってた』なんて、出てくるだろうか。お兄さん愛が深すぎるれー姉が、お兄さんとゆー姉の馴れ初め話を楽しく聞けるとはわたしには思えない。

 

 それにれー姉の実直な性格なら、二人の関係に納得していようとしていまいと、二人のデートに同行なんてしない気がする。

 

 そうだ、考えてみればおかしかったのだ。わたしがなにか早とちりしていると考えるほうが自然だ。ゆー姉はお兄さんと付き合ってなんていないと考えるほうが常識的なんだ。これは現実逃避ではない。論理的考察による仮説だ。断じて現実逃避ではない。

 

「それでそちらのかわいい子はどちら様かな? 遠かったから名前は聞き取れなかったんだよね」

 

 れー姉は思考の海に溺れるわたしの後ろに声をかけた。わたしの背中にはまだ梓ちゃんがくっついていた。

 

「た、田中梓、です……」

 

 お兄さん相手よりかは喋れるみたいだけど、れー姉も歳上だし、目元が鋭めの綺麗系の顔立ちで背も高い。梓ちゃんは若干尻込みしている。

 

 接してみると印象が変わるけど、美人にはやっぱり威圧感のような独特のオーラがあるのだ。

 

「梓ちゃんかわいいね! 足が綺麗だからミニスカ似合う!」

 

「そ、そうですか? でも、お姉さんのほうが、きれいで……」

 

「え? そうかなあ? ふふっ、ありがと。梓ちゃんはいい子だねえ!」

 

 知ってか知らずか、れー姉は目を細めて柔らかく笑いながら梓ちゃんを褒める。目元の印象が和らぐだけで、ずいぶん纏う雰囲気が穏やかになる。

 

 梓ちゃんもれー姉を『きれい』と称していたけれど、お世辞でもなんでもなくその通りだった。

 

 運動してることがわかる細くてしなやかな足は思わず視線が向いてしまう。長く伸びた足ときゅっと締まったお尻、ちらりと見えるウエストはふだんから気をつけていないと維持できない鍛えられ方だ。全体的なシルエットを崩さない適度な胸元の膨らみと美しいデコルテラインは同性でも見惚れてしまう。なんだ、これは。芸術品かな。

 

 さらにヒールの高いウェッジソールのサンダルによって、手を加えなくても魅力にあふれる美脚がさらに際立っていた。

 

 ヒールつきのサンダルともともとの身長。れー姉くらい背があれば、お兄さんの隣に立っても見栄えがいいんだろうな。

 

「他のお客さんの迷惑になるかもしれないし、一旦ストップ」

 

「んぅっ!」

 

 大きな声を出していないのに不思議と耳に届くお兄さんの声で、一度口を閉じる。人数が増えてから、たしかにちょっと騒々しくなってしまっていたかもしれない。原因の五割は由紀ちゃんの気もするけど。

 

「由紀さん、君はこの場に適した発言かどうかを考えてから喋りましょう」

 

 案の定というかなんというか、やっぱり由紀ちゃんがなにか失礼なことをしでかしたのか、お兄さんに唇を(つま)まれていた。

 

 なにをしたら温厚なお兄さんに実力行使されるのかわからないけれど羨ましい。推しから怒られたくないし嫌われたくないから由紀ちゃんと同じことはできないけど、その罰だけは執行してくれないかなぁ。

 

「んっ、んっ!」

 

「そう。それならよろしい」

 

「だからっ、兄ちゃん! これ、あはっ、ふつーにセクハラだかんね?!」

 

 叱られていたようだけど、由紀ちゃんはどこか嬉しそうでもあった。

 

 テンションの上がった由紀ちゃんと真正面から向き合える人なんてそうはいない。お兄さんは由紀ちゃんに向き合いつつ、だめなことはちゃんと指摘して、絡みには適度につきあって適度にいなしていた。

 

 話の主導権を握って相手を引っ張る、あるいは引きずることの多い由紀ちゃんには、お兄さんという存在は新鮮だったのだろう。

 

 由紀ちゃんに振り回されてお兄さんは困ってないかなと盗み見てみると、わたしの目にはどこか楽しそうに見えた。

 

 そういえばコラボ配信でも同期のやんちゃな人、イヴ・イーリイさんとやっている時、お兄さんは観ているこっちまで釣られるくらいとてもよく笑っていた。もしかしたらお兄さんは、わりとやんちゃな人がタイプなのかもしれない。

 

「あはは、楽しくなっちゃってた。ごめんなさい」

 

「ほ、ホテ……でも、たしかにいずれはそういうことも……」

 

「寧音さんと梓さんもごめんね? お友だちと遊びにきてたのに、邪魔しちゃって」

 

「い、いえっ、寧音はっ、あのっ……もう少し」

 

 もうここでお別れのような空気を感じて、思わず引き留めるようなことを口走ってしまった。

 

 いろんなことがあって、本当に衝撃的なことがいろいろあったせいでお兄さんと全然喋れてない。ゆー姉とのこともちゃんと聞きたいのに。

 

「もう上映時間も近いから、僕たちはそろそろ行くよ。お喋りに付き合ってくれてありがとう」

 

「えー、兄ちゃんもう行くわけ? もうちょい喋ってかね?」

 

「由紀さんとはもう十分お喋りしたと思うけどね。なんにせよお喋りはこれでおしまい。僕たちは映画を観にきたんだから」

 

 それはそうだ。映画を観にきたのにそれを放り出してお喋りに興じる理由はない。これだけ長い時間付き合ってくれただけでも感謝しなければいけないところだ。これ以上邪魔はできない。

 

「……由紀ちゃん。お兄さんにも予定あるんだから迷惑かけちゃダメだよ」

 

「寧音ー、だってさー。んー……まぁ、それもそっか。妹さん同伴っつってもデートだし、仕方ないっか。じゃ、またね。イケメンの(あん)ちゃん」

 

「うん、また……ん? イケメンの兄ちゃんってなんだ……。う、うん、またね。寧音さんと梓さんも、ありがとね。じゃあね」

 

「寧音ちゃん、梓ちゃん、由紀ちゃん。ばいばいー」

 

「じゃ、じゃあ……あたしもこれで」

 

 お兄さんは近くのテーブルに置いておいた飲み物を取りながら、れー姉はひらひらと手を振って、映画館の奥、スクリーンのあるところへと歩いていく。

 

 そのままゆー姉も二人について行くのかと思いきや、わたしに近づいて小声で話しかけてきた。

 

「寧音、夜帰ったらちゃんと話すから、だからそれまでちょっと……」

 

「うん。覚悟してなよ」

 

「ひぇっ……」

 

 怯えたような表情で一歩後退りして、ゆー姉はそのままお兄さんとれー姉を追いかけた。

 

 れー姉もゆー姉も同じようにそう言うってことは、お兄さんがしてくれたゆー姉との関係の話には、きっと偽っている部分があったのだろう。

 

 どこから嘘でどこまで本当かはわからないけれど、わたしの頭上にも一筋の光明が差してきた。

 

 あぁ、よかった。安心した。思わずこのまま回れ右して泣きながら帰るところだった。

 

「すっごい三人だったし! 顔面偏差値たっかぁっ!」

 

 お兄さんたちを見届けて、由紀ちゃんが言う。

 

 たしかにお兄さんとれー姉は言うまでもなく、ゆー姉だって外見だけは優れている。とてもきらきらした空間だった。

 

「由紀ちゃん、よくあんなに失れ……遠慮なく話に行けるね。わたし、怒られるんじゃないかって怖かったよ」

 

 お兄さんたちがいなくなったことで、梓ちゃんがわたしの背中から出てきた。

 

 由紀ちゃんらしいといえばらしいけど、お兄さんの温厚な性格を知ってないと見ていてひやひやする接し方ではある。ほんとにもう、親戚とかよりも距離感が近かった。あの距離の詰め方は由紀ちゃんにしかできない。

 

「梓? 失礼、って言おうとした? ん?」

 

「いやっ、ちがうよ? 歳上の人相手に、よく堂々とお話できるなぁ、って……感心。そう、感心してたの」

 

「ほんとかー? ……ま、いっか。兄ちゃんの恋バナ聞いてたら盛り上がっちゃった。でも、あの話はしょうみ、きゅんきゅんするっしょ! これまで聞いた恋バナの中でもトップクラスだったし!」

 

「知り合うところから展開が少女マンガみたいだったしね」

 

「なんか寧音も驚いてたっぽいけど、姉ちゃんの彼氏知らんかったん?」

 

「……うん、知らなかった。初めて見た」

 

「すっげーな、あんなイケメンの彼氏。寧音もよかったんじゃん? あんなかっけー義理の兄ちゃんできんだし」

 

「んぐっ……そ、そうだねっ。あ! わたしたちが観る映画もそろそろ開場始まるし飲み物買いに行こ!」

 

 義理の兄、つまりはゆー姉とお兄さんが結婚する──いけない、想像しただけで発作が起きる。

 

 大丈夫、落ち着けわたし。本当は二人は付き合っていない。きっとそう。絶望するのも乱心するのもまだ時期尚早だ。

 

 話を切り替えるために売店に行く。

 

「うわっ……なんかすごい色のポップコーン売ってんだけど……。そういや梓はなんであんなに兄ちゃんにガチガチになってたん? 人見知りは知ってっけど、さすがにビビりすぎじゃね? ちょっと兄ちゃん悲しそうだったし」

 

「うぅ……それは……」

 

「あ、それはわたしも気になってた」

 

 梓ちゃんは、いつもなら人見知りが発動してもれー姉と話す時くらいには会話ができるのだ。

 

 お兄さんとは初対面だし、歳上の男の人で背も高くて怖いなって思うかもしれないけど、柔和な雰囲気だし声も優しい。会話が成り立たないほどに緊張することもないはずだ。

 

 わたしと由紀ちゃんに挟まれて誤魔化せないと観念したのか、指と指を絡めてもじもじしながら恥ずかしそうに梓ちゃんは切り出した。

 

「それが……好きな、マンガのキャラがいて……そのキャラと、お兄さんが似てて……」

 

 なんだこの子、かわいいなぁ。

 

「それって、外見がってこと?」

 

「そ、そうっ。しかも、好きな声優さんに声が似てるんだよっ」

 

「あー……わかるぅ……」

 

「それで混乱して、頭真っ白になっちゃって、喋れなかった……」

 

 しょんぼりと肩を落とす梓ちゃん。

 

 気持ちはとてもわかる。推しが目の前にいると思ったらわたしも喋るので精一杯だった。

 

 梓ちゃんみたいに、好きなキャラに似ている、好きな声優さんに声が似ている、人見知りと重なれば、パニックになってしまうのも無理はない。

 

「あははっ、ほんっと梓かわいいし! 兄ちゃんはちょっとかわいそうだったけど、それなら許してくれるっしょ」

 

「もうっ……由紀ちゃんっ」

 

 快活に笑いながら、由紀ちゃんは梓ちゃんの頭を撫でていた。同い年なのに、どこか由紀ちゃんは姉っぽくて、梓ちゃんは後輩っぽいのだ。姉妹でも先輩後輩でもない。姉感の強い由紀ちゃんと、後輩味の強い梓ちゃんなのだ。

 

 売店で飲み物を買って、スクリーンへ移動する。

 

 その途中に、お兄さんたちが観にきた映画を上映中のスクリーンの前を横切った。

 

「兄ちゃんが観にきたって言ってた映画ってこれっしょ? アニメの劇場版? とかなんとかつってた」

 

 スクリーンの扉や壁に貼られたポスターを眺めていた由紀ちゃんが訊ねてきた。

 

「そうだよー。いくつかスクリーンが用意されてるみたいだから、お兄さんたちがこのスクリーンにいるかはわからないけどね」

 

「へー。兄ちゃん、アニメとか興味なさそーなのに観んだなぁ。梓、おもろいん? これ」

 

「んっ、おもしろいよっ。由紀ちゃんも興味あるっ?」

 

「兄ちゃんでも楽しめんなら、うちでも楽しめんのかなーって」

 

「うんっ、楽しめると思うっ。でも劇場版は放映版の続きになってるらしいからっ、まず放映版を観ようっ。うちきて一気見しようっ」

 

「お、おお……そんじゃそうしよっか」

 

 途端に元気になった梓ちゃんに押される形で由紀ちゃんが頷く。好きなものの話をするのは楽しいからね。かわいいなぁ。

 

「寧音ちゃんもよかったらきて? 劇場版観に行く前に一緒に見直そうよ」

 

「ありがと。お邪魔させてもらおっかな」

 

「うんっ。やったっ。たのしみだなぁっ」

 

 ご機嫌になった梓ちゃんを見て、わたしと由紀ちゃんは顔を見合わせて笑った。

 




誤字脱字修正のご報告本当にありがとうございます。前話の誤字の量が過去最多を記録していて自分の眼球の機能に不安を覚えました。ご報告とても助かってます。頭を床にこすりつけるくらいに感謝してます。
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