つまりはそういう事だ。
半人半獣の長寿からなる豊富な知識は、なるほど教師に適役であろうが、彼女は教えることが絶望的に下手だった。
特に歴史を教える時の話の長さはもはや芸術の域で、豊富な知識が完全に裏目であった。
居眠りしてお仕置きの頭突きを貰って一人前、なんて風潮が人里の中で生まれる始末。
そんな彼女が本日の授業を終え、生徒たちを見送った時、聞きなれた声が彼女を呼ぶ。
「上白沢先生!」
女性の声ではない。
男性の、それも声変わりして久しい声だ。
聞き心地の良い伸びやかな低音に慧音が意識を向けると、そこには彼女が思い描いた通りの青年がいた。
年の頃は二十歳そこそこ。
精悍な顔立ちに明るい雰囲気は人好きすると察するに余りある。
「今日も一日お疲れ様です!」
「ありがとう。お前もな。最近繁盛してると聞くぞ?」
「ハハハ、物珍しさが功を奏しました」
「自信を持て。確かに物珍しさもあるだろうが、信頼を受けているのは日頃の行いの賜物だ。謙遜ばかりも嫌味になるのだから、程々にな」
「うーん、先生にそう言われると驕っちゃいそうですねえ」
苦笑いで応じる彼に対して、慧音は比較的好意的だ。
「じゃあ自信ついでに言ってみましょうかね。先生、今晩一緒に食事でもどうですか?」
性格にやや軽薄な所こそあるものの、礼儀や順序を重んじる姿勢が強く、仮にこの誘いを受けたとしても慧音を酔い潰してどうのこうの、という風なことは一切ないだろう。
種族の違い故、本格的にそういう関係になる事は無いだろうが、一緒に食事、ぐらいであれば慧音はいくらでも応じるつもりだった。
だからこそ、心苦しい。
「すまない、今日は妹紅と先約があってな」
「残念。じゃあまた折を見て誘わせてもらいますね」
「ああ、楽しみにしているよ」
断られても絡んでくるようなこともなく、さっさと退散する姿勢も好ましかった。
嗚呼、心苦しい。
誘いを断る事ではなく、『嘘をついてまで誘いを断ってしまう事』が。
◆◇◆◇
最も人通りの多くなる逢魔が時を狙い、彼女は信仰の布教に努めていた。
本来この辺りの時間は妖怪の時間であるため、人里の外を往復する彼女の行動は命知らずそのものと言えるが、そこは神に祝福された
多少の妖魔などものともせずに行動できるだけの力が彼女には与えられていた。
布教は彼女の業務であり、ライフワークであり、かつて出来なかった主張の発散であった。
神を強く肯定する彼女は外界でこそ爪弾かれ者であったが、幻想郷において神は純然たる『現実』であり、その認識を共有する人里の人間たちとの交流は、彼女にとって己に対する肯定なのだ。
故にこそ、やたらと夢中になってしまうことも多く……今日はちょうど、そういう日だった。
「はあ……またやってしまいました」
自制の無さは信仰の無さ。
己も制御できぬでは、敬虔な人間を名乗ったところで胡散臭いったらありゃしない。
それでは結局本旨が達成できない。本末転倒もいい所だ。
「うーん、
神に仕える仕事であるため、彼女は自らが祀る2柱の寝食の世話もしていた。
とはいえその2柱とて世話されねばならぬほど耄碌しているわけでもなく、またこうして早苗の帰りが遅くなることはままあるので、そうした時は各々が勝手に色々片付けてしまう。
つまり今の彼女は、人里のどの店で夕餉を済ますか考えているのだ。
「神社もそれなりに潤ってはいますが節約するに越したことはないですからね」
外食をする時点で節約の正反対を行っているようなものだが、そこは自分のミスから始まっているので自業自得としてこの際良いものとする。
「お酒は苦手ですし……しかしこの時間帯ではそういう店も多いですし……」
ついでに言うと、酒は単価が高い。
「少し不健康ですが、ちょっと前に見つけたお蕎麦屋さんにしましょうか」
「おや、早苗ちゃん」
ふと声を掛けられた方を見ると、知り合いの男性が立っていた。
「あれ、どうしたんですか? こんな時間まで……」
「なに、さっきまで上白沢先生にお食事の誘いをしていたんだが、断わられてしまってね。手持ち無沙汰に歩いていたという訳さ。早苗ちゃんはどうしてまだ人里に? もう説教は終わって、帰ってる頃合いだと思うんだけど」
「その……お恥ずかしい話なんですが、少し熱中しすぎてしまいまして……」
「ははは、気にすることはないさ。それだけ熱心に活動してくれたら、神様だって悪い気はしないだろうし、俺も仕事に熱中しすぎて時間を忘れることだってあるよ」
「そういってくれると助かります……」
恐縮であると全身で表すかのようにしおしおと小さくなっていく早苗。
「てことは早苗ちゃんは晩御飯まだなの? よかったら一緒にどうだい?」
「あー……」
少し考え込み。
「いえ、諏訪子様と神奈子様が待っているので、今から帰るんです」
「ありゃ、折が悪かったか。帰り道は……君に言う事じゃないな」
「ええ! 風祝ですからね!」
早苗はそういって意気揚々と浮かび上がる。
「折角誘ってくれたのにすいません。また今度、誘ってください」
「いやいや、別にかまわないさ。また今度ね」
そう言ってから、早苗はゆっくりと神社への帰路へ着いた。
飛んで神社まで帰る中、結局夕餉はどうしようと考えながら。
「うー、嘘をついてすいません……」
己の不誠実に羞恥と自己嫌悪と、それでも確固たる目的の為に意志を持ち直す。
この嘘で、自分は間違いなく得をするのだが。
◆◇◆◇
「なんの成果も!! 得られませんでした!!」
「うるさっ」
夜。
香霖堂に一人の男の絶叫が響く。
「一体何だっていうんだ……仕事してる時にいきなり転がり込んできたかと思ったら……」
「ああ、珍しく仕事をしているところなのに済まないな」
「はったおすぞ」
森近霖之助はこの香霖堂の店主である。
趣味的な意味合いの強い経営方針というだけあって、いつも閑古鳥が鳴いているが、今日は珍しく仕事がある日だったらしい。
本人としては、その仕事の無さに憮然としているようだったが。
「何人にも……何人にも声を掛けたのに……夕食一緒にどうですか、と……それだけのことも、出来ないっ! 皆先約があるからと……」
「ああ、そりゃしょうがないじゃないか。君の事だ、別に嫌われてるって訳でもないだろう?」
「そうさ、そうなるように俺なりに努力してきたからな……」
実際、不細工ではないし、なんなら美青年と称して差し支えないだけの容姿を持っているうえ、基本的には真面目で誠実。特定の付き合いも無いのであちこち声を掛けているが、いよいよそういう関係になれば一途だろうというのは女性陣の総評だった。本人は知らないが。
更にこの若さで独自の工房を持つ新進気鋭の武器職人とくれば、甲斐性も合わせて決して嫌われるような人間ではない。
何なら見合い話の一つでも持ってこられてしかるべき男だが、そういう浮ついた話は無い。
「霖之助よ、百合の間に挟まったら極刑が科されることは知っているな?」
「知らないが」
「女性が仲良くしているところにわずかでも干渉するなど男の恥!」
「知らないが」
「だから先約があると言われれば引いてこそ男の道!」
「知らないが」
「百合見てはしゃぐが男の勃ち! SAY-HO!」
「君、女性がいないとやりたい方だな」
はあ、と深いため息をついた霖之助は作業を中断する。
「わかったよ。これで延々発狂されても困るし、今日の夕餉は僕がごちそうしてやろうじゃないか。それでひとまずは抑えてくれたまえ」
「まじかよ愛してるぜ
「誰が
◆◇◆◇
香霖堂の外。
そこには人間がいた。半妖がいた。半獣がいた。妖怪がいた。神がいた。
ありとあらゆる幻想が、そこにいた。
「オイオイオイ」
「言っちゃったよ! あの人『愛してる』っていっちゃったよ!」
「霖ちゃん……霖ちゃん……次の新刊の内容決まったわね……」
「もうこれ合意でしょ! 完璧に合意のそれでしょ!」
「もしかしたら今晩には行くところまで行っちゃうかもわからんね……」
「ああでもずっと今のプラトニックな関係のままいて欲しい気持ちもある」
「もうずっとそうしてて!」
ここは幻想郷。
穢れを知らぬ少女たちの楽園……。
お前が百合をカップリングしている時、百合もお前もカップリングしているのだ……