キルヒアイスが原作のようなスーパー幼馴染ではなかったら?というifです。

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ある幼馴染の話

キルヒアイス、俺は宇宙を手に入れることができると思うか?

ラインハルト様、宇宙ってなんですか?

 

これは、宇宙を欲した英雄と、平凡な幼馴染の話。

 

***

 

ラインハルト・フォン・ミューゼルは困っていた。皇帝の寵姫として連れ去られた姉を救うために、彼は開祖ルドルフにできたことが自分にできないはずがないと信じ、ルドルフを超える、すなわち皇帝を超える力を持つことで姉を取り戻そうと決意した。

 

その長く険しい戦いの人生のバディとして、隣家の赤毛の少年を選んだ、のだが。

 

幼馴染は勉強ができなかった。ラインハルトがすらすらとこなす幼年学校の授業に着いていけない。放課後にラインハルトがいくら教えても理解できない。落第を危ぶまねばならないレベルである。キルヒアイスが怠けているわけではない。理解力の問題である。

 

数ヶ月の苦闘の後、ラインハルトはようやく理解した。世の中には努力してもできない人間もいるのだと。見下していた同級の門閥貴族の師弟達をどうして無能と罵れようか。いやキルヒアイスは努力はしているので、その点は違うのだが。ともかくできないものはできない。ラインハルトは気持ちを切り替え、とにかく落第だけは防ぐことを目標にキルヒアイスに教えることを心掛けるようにし、それでキルヒアイスはなんとか着いていった。

 

ラインハルトは少し人間が丸くなった。あと、人に教えるのが上手くなった。

 

キルヒアイスはよく食べよく寝て、すくすくと育った。

 

***

 

時が過ぎ、ラインハルトは大将になった。キルヒアイスは中尉になった。

 

それまで様々な戦場を2人は経験した。ラインハルトは幾度も死ぬ思いをしたが、自らの才能と機転、それとキルヒアイスの(主に体力を活かした)献身で切り抜けた。

 

クロプシュトック事件が起こった。ラインハルトはロイエンタールとミッターマイヤーの忠誠を得ることができ、代わりにブラウンシュバイク公とフレーゲル男爵の怒りを買った。

 

キルヒアイスはその恵まれた体を生かしてフレーゲルの手の者との闘争で活躍し、しまいにはフレーゲルを投げ飛ばしたりした。ただし射撃の腕は酷かった。

 

「ロイエンタール 、ミッターマイヤー、…卿らに、その、頼みがあるのだが」

 

ラインハルトは、新たに陣営に加わった帝国軍の若き勇将達に、キルヒアイスが将来の艦隊司令官になれるよう指導を依頼した。

 

数日後、のちに帝国軍の双璧と呼ばれる2人はラインハルトに復命した。

 

「ミューゼル閣下、キルヒアイス中尉には艦隊指揮官の素質がありません。我々には無理です」

 

ラインハルトはキルヒアイスにいずれ戦場における自らの代理となってもらいたかったが、やはり無理かと諦めた。

 

しかしロイエンタールもミッターマイヤーもキルヒアイスを嫌ったり見下すことはなかった。

 

バカなりに任務に精励するキルヒアイスは軍人として見ていて清々しいし、常に明るく前向きであったからだ。それに、装甲擲弾兵としては見込みがあるのではないか? 多分。

 

この頃からキルヒアイスは艦隊の女性兵士からのっぽな赤毛のぼんやりさんと呼ばれて密かに人気があったが、本人は何も知らない。

 

***

 

上級大将に昇進しローエングラム伯爵家を継承したラインハルトと大尉になったキルヒアイスはアスターテ星域に出陣した。三方向から帝国軍を包囲せんとする同盟軍の態勢について、分艦隊司令官達が意見具申にやってきた。

 

「…つまり我が軍は敵に対し、兵力の集中と機動性の両点において優位に立っている。これを勝利の条件と呼ばずしてなんと呼ぶか!」

 

後世の歴史書にも記された有名なセリフを吐いて、ラインハルトは分艦隊司令官たちを見回した。

 

「我々は包囲殲滅の危機にあるのではない、各個撃破の好機にあるのだ」

 

調子良く演説するラインハルトに、キルヒアイスが首を傾げた。

 

「ラインハルト様、小官にはまだよくわかりません。本当に大丈夫なのですか?」

「ああ、うん…キルヒアイス、もう少し丁寧に説明しようか」

 

ラインハルトはいつもキルヒアイスにそうするように、少し話の難易度を下げて、状況とこれからやろうとしていることをわかりやすく説明した。それには当然分艦隊司令官達も耳を傾けていた。

 

「なるほど、よくわかりました!ラインハルト様!」

 

なんとか理解したらしいキルヒアイスをおいといて、ラインハルトが分艦隊司令官達に向き直ると、さっきとは顔つきが変わってこちらの話を聞く姿勢になっている。それに気付いたラインハルトは、彼らの説得にかかった。

 

「改めて卿らにもこの方針に沿った意見具申をお願いしたい。私はこの作戦案に自信を持っているが、実際に我が艦隊の槍となり剣となって切り込むのは卿らだ」

 

「メルカッツ提督、ファーレンハイト提督、卿らには先陣を務めてもらうことになる。細かい戦術は任せるが、何か気になる点はないだろうか、あればぜひ教えてほしい」

「シュターデン提督には実質的な参謀長役を任せたい。戦場全体を見渡して私を補佐してほしい」

「フォーゲル、エルラッハの両提督には当初は予備戦力として待機してもらうことになるが、叛徒どもは三個艦隊ある。後半の戦いでは攻撃の主力を務めてもらうことになるだろう。卿らの艦隊なくして完璧な勝利は得られまい。その点に留意して緒戦では艦隊の戦力温存に務めてもらいたい」

 

メルカッツ、シュターデン、ファーレンハイト、フォーゲル、エルラッハは、ラインハルトの物腰の低さに密かに驚いたが、悪い気はしなかった。歳はともかくとして、上級大将でありこの戦いで勝利すれば元帥昇進、宇宙艦隊副司令長官就任が噂される上官に懇切丁寧に話をされ、頭を下げられたとなればそうもなる。彼らは気持ちを切り替えて前向きな態度で活発に意見を述べ、作戦案は微調整され、それぞれの役割と手順が確認された。最後にキルヒアイスが言った。

 

「ラインハルト様、最初の敵艦隊を撃破して、次の艦隊に向かう間に、兵達にタンクベッドで休息を取らせてはいかがですか?」

「ああ、そうだな、気づかなかった」

 

キルヒアイスはよく食べよく寝るよい子である。

 

結果として帝国軍は大勝した。第四、第六艦隊の殲滅に加えて第二艦隊も早々に敗走させて完勝を手にした。

途中、半壊した第二艦隊を途中から率いたヤン・ウェンリーとかいう同盟軍准将が最初から抵抗の無駄を悟って残存兵力をまとめて撤退したその逃げ足は鮮やかであり、ラインハルトはそれを賞賛する電文を送った。

 

会戦後、ラインハルトはふとキルヒアイスに訊ねた。

 

「また少し背が伸びたのではないか?」

「はい、200センチを超えました」

 

寝る子は育つ。

 

***

 

オーディンに凱旋したラインハルトは元帥杖を授かり、元帥府を開いた。そこに招かれた提督達の中にはシュターデン、フォーゲル、エルラッハも混じっていた。人事を相談されたキルヒアイスが、何も考えずに彼らをリストアップしたからである。もちろん三提督はそんなことは知らない。ちなみにメルカッツとファーレンハイトについては、ローエングラム元帥府に戦力が集中しすぎることを恐れた軍首脳部が先手を打って遠ざけていた。

 

三提督はアスターテ戦後にラインハルトの推薦によってそれぞれ昇進していた。そのために門閥貴族からの視線が厳しくなり、今後の身の振り方が難しくなったと感じていたが、とりあえずラインハルトの話を聞いてみることにした。

 

「シュターデン提督、よく来てくれた。実は私は帝国の現状が好ましいとは思っていない。変えるべきは変えなければいけないと思っている」

 

ラインハルトは誠実にシュターデンに語りかけた。

 

「だが、卿も知っての通り私は若輩であり、未熟を痛感している。この元帥府に招いた新しい艦隊司令官達も若い提督達ばかりだ。卿にも思うところはあると思うが、卿の深い見識と経験をもって私や皆を補佐してくれないか」

 

「元帥閣下…!」

 

シュターデンはある意味単純な男である。戦術家として実績を積み重ねてきた自分に強い自信があり、それに敬意を払ってくれる者にはなつく。金髪の孺子と見下してはいたが、先日のアスターテ会戦のことといい、よくよく話してみればなかなかもののわかった、見どころのある若者ではないか。シュターデンはコロっといった。フォーゲル、エルラッハも同様であった。

 

三提督が元帥府に参加したしばらく後。

 

「それでだな、シュターデン提督。卿に頼みがあるのだが」

 

ラインハルトはシュターデンにキルヒアイスに参謀としてものになるか、見てもらうよう頼んだ。

 

数日後、渋面を作ったシュターデンはラインハルトに報告した。

 

「元帥閣下、キルヒアイス少佐は参謀には向いておりませんな。頭の回転が遅すぎる」

 

ラインハルトはキルヒアイスにいずれ宇宙艦隊を裏方として切り盛りしてもらえないかと淡い期待を持っていたが、やはり無理かと諦めた。

 

しかしシュターデンはキルヒアイスを見下しはしなかった。

 

アスターテ会戦前の光景を覚えていたからだ。キルヒアイスとは逆にローエングラム伯は頭が良すぎる。そのために周囲の理解が追いつかないことがある。また元来の気性がやや尊大なことは否めない。それでいて非常に優秀であるがゆえに周りの反感を買うことがあるだろう。平凡極まりないキルヒアイスが側にいることで、彼が一種の緩衝材として作用してローエングラム伯と周囲の断絶、摩擦を防ぐ効果があるのではないか。シュターデンはそう考えた。シュターデン大将、使えるものは何でも使う根っからの参謀であった。

 

***

 

元帥杖授与式の翌日、ラインハルトとキルヒアイスは、アンネローゼと久しぶりに会える機会を賜っていた。

 

「ラインハルトがわがままばかり言ってさぞ迷惑をかけているのでしょうね、ジーク」

「はいアンネローゼ様、ラインハルト様はよく夜中にお腹が空いたと言い出して夜店に買い食いに行こうと」

「キルヒアイスやめろ、やめてくれ」

「ラインハルト、だめよ、もう子供ではないのだから買い食いなんて。そうそう、シャフハウゼン子爵夫人からいただいたおいしい桃色葡萄酒があるの。地下室にあるから取ってきてくれないかしら? 帝国元帥閣下に雑用をたのんで悪いけど」

「ええ、雑用でもなんでも相努めますとも」

 

アンネローゼは紅茶のカップを置き、キルヒアイスに向き直った。

 

「ジーク、いつも弟がお世話になっていますね」

「とんでもありません、買い食いに付き合うなど、大したことではありません」

「いえ、買い食いのことではないのですよ…」 

 

アンネローゼは宮廷の難しい機微をキルヒアイスに説明することを諦めた。それで単刀直入に結論を話した。

 

「弟は口にはださないし、あるいは本人も気づいていないかもしれないけど、ジーク、あなたをほんとうにたよりにしています。どうか、これからも弟のことをお願いするわね」

 

キルヒアイスは、少し戸惑ったように答えた。

 

「私には、難しいことはよくわかりません。軍人として、ラインハルト様のお役に立てているのかどうか」

 

一瞬目線を落としたキルヒアイスは、顔を上げてアンネローゼを見た。

 

「私は、ラインハルト様が大好きです。ラインハルト様にお仕えするのが好きなのです」

 

ニッコリと笑ったキルヒアイスはもう一言付け加えた。

 

「そしてアンネローゼ様もずっと前から大好きです」

 

アンネローゼがたちまち頬を赤らめていると、階段の方で、ガシャンと何かが割れる音がして、ラインハルトが血相変えて駆けてきた。

 

「キッキルヒアイス、お前は何を」

「ラインハルト様? どうなさったのですか?」

 

キルヒアイスは可愛らしく首を傾げた。今やラインハルトより頭ひとつ大きい大男がそんな仕草をするのはどうかとも思うが、純朴なキルヒアイスがすると嫌味には見えない。

 

「私はラインハルト様もアンネローゼ様も大好きです。ずっと、お二人のお側にお仕えして、お助けできればと思っています。私にできることでしたらなんでもいたします、アンネローゼさま、ラインハルトさま」

 

ラインハルトとアンネローゼ、姉弟は顔を見合わせて、ほおっと息を吐いた。

 

その後、キルヒアイスが小用に立った間に姉弟の間では密かに会話が交わされた。

 

「キルヒアイス、悪いやつではないんですがねえ…」

「ラインハルト」

「姉上は、よいのですか?」

「わ、わたくしは…」

 

話はうやむやになった。

 

***

 

ヤン・ウェンリーの奇策によりイゼルローン要塞が陥落し、オーベルシュタイン大佐が元帥府を訪ねてきた。

 

「キルヒアイス少佐!」

「はい!」

 

バーン!と音を立ててキルヒアイスが執務室の扉を開け、のっしのっしと現れた。オーベルシュタインはやや気圧された顔でキルヒアイスを見た。

 

「キルヒアイス、オーベルシュタイン大佐を逮捕しろ。帝国に対し不逞な反逆の言辞があった。帝国軍人として看過できぬ」

「はいいい!」

「しょせん、あなたもこの」

「うわああああ」

 

オーベルシュタインは素手で掴みかかってきたキルヒアイスにガッシリと押さえつけられた。

 

「キ、キルヒアイス少佐、私は丸腰だ、それでも」

「おおおおお!」

 

オーベルシュタインはキルヒアイスに投げ飛ばされ、頭がぐわんぐわんした。これはまずい、と思った。

 

「ローエングラム伯!お若い伯にはお分かりになりませんか、アーにはアーに向いた話が、ベーにはベーに向いた任務がごさいます!!」

 

執務室内を逃げ回りながらオーベルシュタインは必死に訴えた。片方の義眼がごろりと眼窩から落ちて、キルヒアイスがうっかりとそれを踏み潰してしまった。あちゃあっ、という顔でキルヒアイスは足を止めてしまった。

 

「…そこまでだ、キルヒアイス」

 

それを潮に、ラインハルトはオーベルシュタインともう少し本音で話をすることにした。

 

そしてオーベルシュタインが元帥府に加わって数日のこと。

 

「オーベルシュタイン、その、なんだ、頼みがあるのだが」

 

ラインハルトはオーベルシュタインにキルヒアイスに謀略家の適性がないか、一応テストしてもらうことにした。が、その場で即答された。

 

「閣下、アーにはアーに向いた話が、ベーにはベーに向いた任務がございます」

「キルヒアイスには何が向いていると考える?」

「小官には分かりかねます…まあ、今まで通り閣下の副官兼護衛でよろしいのでは」

 

素朴で好漢そのもののキルヒアイスに謀略家の素養があるわけもなかったが、ラインハルトはやはりそうかと納得した。

 

しかしオーベルシュタインはキルヒアイスを排除しようとはしなかった。

 

司令部のムードメーカー兼ローエングラム伯の護衛としてなら多少の役には立つと考えたし、何よりキルヒアイスはローエングラム伯を利用しようとはしなかったからだ。それに、いつもニコニコと笑っているキルヒアイスを見ていると、オーベルシュタイン自身も少し明るい気持ちになる時すらあったのだ。投げ飛ばされた恨みを引き摺らないのもオーベルシュタインの美点といえば美点である。なお踏み潰された義眼はキルヒアイスが安い少佐の俸給の中から弁償したので、その点でも遺恨はなかった。

 

前財務尚書カストロプ公が事故で死に、その息子が反乱を起こしたが、ラインハルトの命を受けたミッターマイヤー、ロイエンタールの二提督が制圧した。

 

***

 

同盟軍が大挙して帝国領に侵攻してくるとの通報がフェザーンから帝国政府にあり、これに対しローエングラム元帥府に迎撃の内命が下った。

 

「要するに他の部隊がまるでたよりにならないからだ。昇進と勲章を手にいれるいい機会だぞ」

 

ラインハルトは笑い、元帥府の謁見の前に参集した提督達も笑った。この場に集った艦隊司令官達はミッターマイヤー中将、ロイエンタール中将、ケンプ中将、ビッテンフェルト中将、メックリンガー中将、ワーレン中将、ルッツ中将、フォーゲル中将、エルラッハ中将であり、帝国軍宇宙艦隊を率いる司令官達の半数がここにいることになる。そして残るは参謀長シュターデン大将、副参謀長オーベルシュタイン少将、司令長官副官キルヒアイス少佐であった。

 

「ではつぎに卿らと協議したい。吾々はどの場所において敵を迎撃するか……」

 

ラインハルトは自らの腹案、同盟軍を帝国領土深く誘い込み、撃破するという案を示し、さらに焦土作戦についてオーベルシュタインに説明させた。

 

「焦土作戦か…確かに戦史上も多くの実例があり、極めて有効な策であることは確かだ。だが焦土作戦を採ると無辜の臣民を苦しめることになるのではないか? ローエングラム伯の名に傷が付く恐れがないか? 小官はそれを懸念します」

 

保守的なシュターデンが異を唱える。

 

「確かに参謀長のご指摘の通りではありますが…」

 

シュターデンとオーベルシュタイン、元帥府の軍師2人がわいわい議論するのをよそに、キルヒアイスが訊ねた。

 

「ラインハルト様、焦土作戦というのは本当に必要なのですか? 他に手段はないのですか?」

 

キルヒアイスの率直な質問に、ラインハルトとオーベルシュタインはやはりストレートかつ懇切丁寧に答えざるを得ない。

 

「勝つためだ、キルヒアイス」

 

同盟軍の補給線に負担をかけ、帝国辺境の臣民達をして同盟軍を飢えさせ、かつ同盟軍に対する信頼をも失わせる。さらに帝国領深く引き摺り込むことで我が軍の補給負担も軽くなり、同盟軍の陣形は伸びきり撃ち破り易くなると、まさに一石何鳥とも言うべきプランである。逆にこれを採らず回廊入り口、あるいはイゼルローン要塞前面まで踏み込んで迎撃した場合の被害予想はいかほどになることか。比較すれば利点は明白である。

 

「なるほど、わかりました。しかし、辺境の臣民達は苦しみ、同盟軍だけでなく帝国政府、そしてラインハルト様も恨みに思うかもしれません。それはどうなさいますか?」

 

ラインハルトは答える。わが補給部隊は被占領地の奪還と同時に、住民に食糧を供与する。叛乱軍の侵攻に対抗するためとはいえ、陛下の臣民に飢餓状態をしくのは、わが軍の本意ではない。またこれは、辺境の住民に、帝国こそが統治の能力と責任をもつことを、事実によって知らしめるうえでも必要な処置である…。

 

そこまで説明されるとキルヒアイスも、まあ仕方がないかと納得した。キルヒアイスもさすがに愚鈍というわけではない。身近にシュターデン、オーベルシュタインの薫陶を得て多少ははかりごとというものを理解しつつあった。また、それを聞いていたシュターデンや艦隊司令官達も利害得失をよく理解できた。

 

かくして帝国領に大侵攻した同盟軍は占領したそれぞれの星で飢え、ここぞとばかりに襲いかかったラインハルト麾下の帝国艦隊により各地で散々に叩かれ、多くは戦死し、あるいは降伏し、辛うじて幸運を掴んだものは逃走した。同盟軍遠征軍司令部はせめて最後に一戦して帝国軍に打撃を与えんと欲し、健在な兵力に対して回廊出口に近いアムリッツァ星域への集結を命じた。

 

***

 

アムリッツァ会戦において別働隊指揮官はシュターデンが務めた。シュターデンは固有の艦隊を持たない宇宙艦隊参謀長であるが、元帥府の中ではラインハルトを除くと一番階級が高く、複数の艦隊を率いる別働隊を任せるには収まりがいい。本人も参謀職と部隊指揮官職を行ったり来たりの経歴で手腕に問題はない。一旦集結した帝国軍の艦隊司令達は総旗艦ブリュンヒルトに集合し、そこで本体をラインハルトが率いること、別働隊を一時的に参謀長から外れたシュターデンが率いること、その作戦案を説明された。事前にラインハルトからきっちり膝詰めで話をされたシュターデンは、戦力的にいまや帝国軍は叛徒どもに懸絶していること、戦術的にも常識の範疇内であることから納得した。なにより壮大な包囲殲滅作戦の別働隊指揮官を任されるという名誉にシュターデンは張り切り、実質的に予備兵力プールとして機能しているラインハルトの直属艦隊の一部、それとフォーゲル艦隊、エルラッハ艦隊を率いて、迂回作戦に赴いた。

 

ここでラインハルトが驚いたのは、シュターデンがキルヒアイスを連れていきたいと申し出たことである。

 

「キルヒアイス少佐には、前線で学ぶ機会をもっと与えた方がよろしいかと愚考する次第です」

 

どうやら元帥府に来て関わりができて以来、シュターデンはキルヒアイスを何かと気にかけて教育していたらしい。

 

「小官も賛成です。いい機会です、キルヒアイス少佐はシュターデン参謀長の側で勉強させてもらうとよろしい。総司令部は小官が管理いたします」

 

これに副参謀長のオーベルシュタインも賛同し、キルヒアイスもやる気なのでラインハルトは了承した。目上の者に好かれるのはキルヒアイスの長所であろうか。

 

「前方に大規模な機雷原!」

「むう、叛徒どもめ、これほどの量とは非常識な!」

 

大量の機雷原が別働隊の行手を阻む。戦艦のビーム砲などではいくら撃っても埒が明かない。シュターデン、フォーゲル、エルラッハが悩むうちに、コーヒーを運んできたキルヒアイスが口にした。

 

「何か、一気に機雷をバーンと吹き飛ばす手でもあるといいのですが。こう、ガスかなんかで」

「何を言っているのだ少佐、そんな上手い話が…ん? フォーゲル提督、確か工作艦には指向性ゼッフル粒子の発生装置があったな?」

 

別働隊は指向性ゼッフル粒子を使用して機雷原を突破し、同盟軍の後背を突いて勝利を決定付けた。スクリーンに映る敗走する同盟軍。シュターデンはちらりと横目で赤毛の若者を見た。

 

(バカとハサミは使いようとも言えるかもしれんが、この若者は自分にはない真っ直ぐさと、それゆえに物事の本質を突く目がある。それは尊ぶべきだ)

 

後日のことになるが、ラインハルトがオーディンに凱旋した後、キルヒアイスはシュターデンの推薦で大佐に二階級昇進した。

 

***

 

アムリッツァ会戦終結後、再び帝国軍の将帥達が総旗艦ブリュンヒルトに集合した。ラインハルトは1人ひとりを労い、褒めて回った。そして最後にビッテンフェルトの番になった。ビッテンフェルトは勇猛さで鳴らす黒色槍騎兵艦隊の司令官であるが、アムリッツァ会戦の最終局面で功を焦り、艦隊に多大な損害を受けると共に同盟軍残余の逃走を逃すという失態を犯していた。

 

「ビッテンフェルト提督。戦いには勝ったし卿も敢闘した、と言いたいところだが…」

 

そこでラインハルトは、ふと赤毛の幼馴染を見た。今やラインハルトが見上げるほど背が高い幼馴染が、真っ直ぐにラインハルトを見つめていた。出来の悪いなりに、精一杯生きている、幼馴染が。

 

「…言いたいところだが、そうもいくまい、とも思ったが、いや、そうだな。卿も敢闘した」

 

ラインハルトは階を降り、ビッテンフェルトに近づくと腰をかがめてその肩に手をかけた。

 

「ビッテンフェルト提督、自らの手で勝利を決定づけようとしたその意気やよし。私はそれを賞する。しかしな提督、猛攻撃と猪突は違うのだ。猪突によってあたら死なずに済んだはずの将兵達のことを考えよ。以後は進むべき時、止まるべき時、退くべき時を見極められるようにせよ。オーディンに帰還したら艦隊の再建に努めよ」

 

「元帥閣下! お、お言葉、肝に、命じまする…!」

 

ビッテンフェルトは男泣きに泣いた。のちに黒色槍騎兵は攻防に優れた帝国軍最強の艦隊としてその名を知られるようになる。

 

***

 

皇帝が死んだ。

 

その知らせをオーディンの元帥府で受けたラインハルトは、少なくとも見かけ上は深い悲しみを示しながら、物思いに沈んだ。

 

(皇帝は本当に無能だったのだろうか。考えてみれば、長い長い年月の間に積み重なったしがらみ、門閥貴族という重しに皇帝は身動きが取れなかったのではないか)

 

ラインハルトはフォーゲルとエルラッハのことを考えた。彼らは下級貴族である。艦隊指揮能力は正直言ってロイエンタールやミッターマイヤーといったラインハルト自慢の若手提督に比べると劣る。

しかし宮廷人脈や非公式なしきたりには詳しく、政治的な暗闘でラインハルトが助けられたことも一度ならずあった。また元帥府に招かれて以降、若手と交流してそれなりに努力はしているらしい。アムリッツァの戦いでも彼らは奮戦し、大きく崩れることもなく、帝国軍の勝利に貢献した。

 

ラインハルトはシュターデンのことを考えた。イゼルローン要塞攻防戦の折などにミュッケンベルガー元帥の参謀長を務めていた際には、正直頭の固い無能な老人としか見えてなかった。しかしアスターテ会戦で礼儀を尽くして話せば彼は応え、長年の経験と戦術眼に裏打ちされた有能な参謀としての能力を発揮してくれた。元帥府に招いた際は、ミッターマイヤーなどは愕然としていたが、今ではシュターデンの方からミッターマイヤーに声をかけて艦隊戦シミュレーションなどで訓練を行い、他の若手提督ともなかなかいい関係になりつつあるらしい。アムリッツァでの功績は言うまでもない。

 

ラインハルトはキルヒアイスのことを考えた。いつもニコニコと笑っている、出来の悪い幼馴染。キルヒアイスは自分に与えられた限界に腐らず精一杯生きている。

 

皇帝も同じではなかったか。皇帝もまた、自分に与えられた限りの中で生きるしかなかったのではないか。皇帝が薔薇を愛したのは、自分と同じくおかれた場で咲くしかない運命を感じて憐れんでいたからではないか。そう思うと、ラインハルトは皇帝を無条件に憎む気持ちにはなれなかった。

 

「閣下、皇帝陛下は後継者を定めぬままお隠れになりました」

 

提督達を招集した元帥府で、オーベルシュタインが口火を切った。なおラインハルトはあらかじめ示し合わせて、亡き皇帝に対する敬意を示すようオーベルシュタインに言含めてある。シュターデン達、どちらかといえば守旧派の提督達に配慮したものである。ラインハルトもそのぐらいの気遣いはできるようになった。

 

「ということは、皇帝陛下の三人の孫をめぐって、帝位継承の抗争が生じることはあきらかです」

 

「私としては、帝室を安んじ、帝国の混乱を避けることが第一と考えている。そのためにはその座に相応しいお方に1日も早く至尊の座に就いていただかねばなるまい」

 

白々しいといえば白々しいが、完璧に帝国軍の高級幹部、帝国でも一、二を争う実力者としてふさわしい態度を示したラインハルト。三人の後継者候補とは誰か? ブラウンシュバイク公の娘エリザベート嬢、リッテンハイム侯の娘ザビーネ嬢、という名前が挙がる。さらにエルウェン・ヨーゼフ殿下という名も挙がった。しか皇帝に先んじて亡くなったかつての皇太子の子、皇孫エルウェン・ヨーゼフは後ろ盾がなく、泡沫候補という他ない。

 

「シュターデン提督、フォーゲル提督、エルラッハ提督、卿らはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯との交流があるであろう。彼らはどう動くだろうか。考えを聞かせてほしい」

 

「…おそらく、自らの御息女を至尊の座に就けんと、画策するかと思われます」

 

「だが彼らはどちらも門閥貴族の雄。互いに譲らねば、どうなる?」

 

「…国を割る、ことになりかねませぬ」

 

シュターデンは額の縦皺をさらに深くして絞り出すように口にした。

 

ラインハルトは溜息を吐いて呟いた。

 

「もし、そうなれば、我が元帥府の兵力を持って討伐せねばならなくなるな」

 

シュターデン、フォーゲル、エルラッハの顔がさっと青ざめた。

 

「しかし、ブラウンシュバイク公、リヒテンラーデ侯の御息女方は、ゴールデンバウムの血を引くお方、それに弓引くというのは…」

「我らも門閥貴族に連なりのある身なれば、それは…」

 

「ラインハルト様!内乱など、決して起こってはなりません!」

 

そこで声を上げたのは赤毛の副官であった。

 

「門閥貴族同士が争えば多くの血が流れ、平民たちにも被害が出るでしょう! 国は荒れ、多くの者たちが苦しむことになります! それは先日の焦土作戦の比ではないでしょう! それを防ぐために! ラインハルト様のお力を振るうべきです!」

 

あまりに純朴な、ストレートな物言いだったが、その場にいる提督達の心にはストンと落ちた。何せ彼らのほとんどが平民か下級貴族出身である。

 

「…閣下、エルウェン・ヨーゼフ殿下には後ろ盾がありません。それは逆に誰でも後ろ盾になれる可能性があるということ。元帥閣下が手を差し伸べれば、それを握るでしょう。また、エルウェン・ヨーゼフ殿下を介して国務尚書リヒテンラーデ侯とも手を握れる可能性が高いと考えます。他の二者には固有の武力がありますが、リヒテンラーデ侯にはそれがありません。閣下の武力を欲するや切であるはず。何より侯もまた、内乱は望んでおられない立場ですから」

 

「ううむ、確かに、混乱を最小限にとどめるには、リヒテンラーデ侯と手を結んでエルウェン・ヨーゼフ殿下を擁立するのが、最善ではあります。我らと国務尚書が組めば正統性でも兵力でも圧倒的、彼らも暴発を思いとどまるでしょう。エルウィン・ヨーゼフ殿下とてお血筋には何の問題もない…」

 

軍師2人の意見が一致し、コネのあるシュターデンがリヒテンラーデ侯との交渉役を務め、とんとん拍子にリヒテンラーデ=ローエングラム枢軸は成った。新皇帝にはエルウィン・ヨーゼフが即位した。

 

誰もが密かに思った。あの時赤毛の副官の一言がなかったら、どうなっていただろうかと。

 

***

 

そんなある日、元帥府に1人の可憐な貴族令嬢が訪ねてきた。令嬢は元帥府の周りを掃除していた赤毛の大男に気付いた。ヒルデガルト・フォン・マリーンドルフ伯爵令嬢は思った。

 

(あれは元帥府の掃除夫かしら。さすがに掃除夫では、元帥閣下に取り次ぎを頼めないわね)

 

「何かご用ですか?」

 

純朴な笑顔を浮かべた大柄な掃除夫が声をかけてきた。よく見ると大佐の肩章を着けており、それがローエングラム元帥の副官と知って、ヒルダは驚いた。

 

その数日後。

 

「フロイライン・マリーンドルフ。その…フロイラインに、頼みがあるのだが」

 

ラインハルトは新たに陣営に加わったこの才気煥発な令嬢に、キルヒアイスに事務官の適性があるか調べてもらうことにした。

 

さらにその数日後、フロイラインは秀麗な顔を曇らせて元帥府に現れた。

 

「閣下、申し訳ございません。わたくしの力不足のようです」

 

ヒルダの言によると、(シュターデンやオーベルシュタインの指導の賜物か)中の下ぐらいには書類仕事ができるが、それ以上のものではなく、伸びる感じもしないとのことだった。ラインハルトはキルヒアイスを文官として育成することも諦めた。将来の帝国宰相には別の人物を宛てねばなるまい。

 

しかしヒルダはキルヒアイスを無下にはしなかった。ヴェストパーレ男爵夫人とは多少の付き合いがあり、のっぽな赤毛のぼんやりさんの話を聞いたことがあった。アンネローゼがキルヒアイスを大事にしていることも間接的にながら聞いている。それに何より、いつもニコニコと下働きも厭わず自分からどしどしやるキルヒアイスを嫌うことは難しかったのである。

 

結局、キルヒアイスはローエングラム元帥の副官という地位から外れることはなかった。

 

***

 

こうして帝国は騒乱を避け得たかに思えた。しかし、結局内乱は起こってしまった。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯とも、リヒテンラーデ公爵とローエングラム侯爵に国政を壟断されることに我慢がならなかったのである。

 

シュターデン、フォーゲル、エルラッハはそれぞれの立場で門閥貴族達との調整を試みたが、彼らを翻意させることは叶わなかった。ことここに至り三名とも門閥貴族を見限り、全面的にラインハルトを支持することを決めた。

 

シュターデンがメルカッツ上級大将に事前に接触し、参陣は得られなかったものの中立を望む彼を家族ごと辺境に逃したため、貴族連合軍は有能な総司令官候補を失った。代わって白羽の矢が立ったのは幕僚総監を務めていたクラーゼン元帥だった。

 

なおシュターデンはファーレンハイト中将とも接触したのだが、ローエングラム侯ほどの名将と戦えるとは武人の本懐! 本懐! とわけのわからない喜びに震えているこの下級貴族の説得は早々に断念した。

 

そしてまず帝都オーディンで武力蜂起が起こり、正式に内乱が勃発した。貴族連合軍、公式には賊軍と呼ばれる反乱軍の主力は、辺境のガイエスブルク要塞に籠った。だが全てがそうであったわけではない。

 

ラインハルト達の目の前に、レンテンベルク要塞がある。ガイエスブルクへの途上にある要衝であり、帝国軍装甲擲弾兵総監、オフレッサー上級大将が守っていた。

 

「オフレッサー、卿も帝国の今のありようが最善とは思っておるまい。ローエングラム侯は帝室と臣民の安寧に心を砕いておられる。決して悪いようにはならぬ。卿もどうかそれを理解して、降ってはくれまいか」

 

旧知のシュターデンが懸命にオフレッサーを説得するが、既に戦闘薬をキメているオフレッサーには残念ながら通じなかった。

 

「卿はそういうがなシュターデン、俺は侯が許せんのだ! 姉共々色仕掛けで先帝陛下をたぶらかしおって…」

 

「ロイ」

「黙れ!」

 

激昂したラインハルトが何かを言い出す前に、キルヒアイスが叫んでいた。

 

「アンネローゼ様とラインハルト様への侮辱、断じて許さない!!」

 

キルヒアイスは激怒していた。これほどの、()()な怒りをあらわにするキルヒアイスは、ラインハルトさえも見たことはなかった。

 

キルヒアイスの脳裏にはアンネローゼの笑顔があった。

 

(ジーク、あなたをほんとうにたよりにしています)

 

アンネローゼ様…!

 

あっけに取られた皆が止める間もなく、キルヒアイスは艦橋から走り去って行った。

 

レンテンベルク要塞第六通路を守るオフレッサーの視界に、こちらに単騎駆けてくる大柄な敵兵の身体が目に入った。

 

「おお、金銀妖眼(ヘテロクロミア)のロイエンタールか、疾風のミッターマイヤーか…か?」

 

ずしん、ずしんと地響きを立てて走ってくる装甲服のヘルメットからのぞく髪は赤毛だった。

 

誰だ、これは。

 

「あああああ!」

 

オフレッサーが戦斧を投げつけるヒマもなかった。赤毛の大男はいきなり現れ、オフレッサーに組みついた。

 

「ぬううううう!」

 

オフレッサーにとって、自分より上背のある敵兵というのは久しぶりだった。

 

「何奴だ!」

 

「私は、ラインハルト様の副官、ジークフリード・キルヒアイス大佐だ!!」

 

そういえば、さっきの通信で金髪の孺子の側に赤毛の男がいたような気がする。以前のイゼルローン要塞攻防戦で、リューネブルクを排除した折に、当時要塞守備部隊にいた金髪の孺子の側に、やはりこの男もいたか?

 

それにしても、これほどの大男だったか??

 

キルヒアイスとオフレッサーは激突した。それは装甲擲弾兵の訓練で鍛え上げた白兵戦技も何もあったものではなく、ただの原始的な力比べと言ってよかった。キルヒアイスは運がよかった。もしオフレッサー率いるレンテンベルク要塞守備兵がゼッフル粒子を散布していなかったら。キルヒアイスはオフレッサーに近づく前に射撃で蜂の巣になっていただろう。

 

オフレッサーは同盟軍からも、味方の帝国軍からも、ミンチメーカーとして恐れられた男である。オフレッサーは白兵戦技ただそれのみで、自らの手で直に殺した敵兵の数で上級大将まで成り上がった男であり、彼の前に立ちはだかる者はみな斃れた。彼は下級貴族の出身であり、それゆえに自分を帝国軍の幹部に取り立ててくれた現体制を愛していた。

 

しかし、この時、オフレッサーの忠誠心を、キルヒアイスの怒りが上回った。

 

「おおおおお!」

 

装甲服の倍力装置で増幅されたキルヒアイスの腕力が、オフレッサーの腕を折ったのである。キルヒアイスはオフレッサーをそのまま押し倒し、両腕を拘束し続けた。そして、怒りに燃える目でオフレッサーの装甲服ヘルメットに頭突きを始めた。

 

「お、お前、ちょ、待て、これは」

 

キルヒアイスの頭突きでオフレッサーの顔が歪んでいく。ついにオフレッサーの装甲服のバイザーが割れた。自らの額からも血を流しながらキルヒアイスは頭突きを続けた。とうとう抵抗できなくなったオフレッサーの顔面を、キルヒアイスは今度は組んだ両のこぶしで殴り始めた。

 

「ガッ、ガハッ」

 

「キルヒアイス、もういい、やめろ!」

「もう…死んでいる」

 

後方で待機していたロイエンタールとミッターマイヤーが駆け寄って制止するまで、キルヒアイスはオフレッサーを殴り続けた。

 

オフレッサーの戦死によりレンテンベルク要塞の残存守備兵は降伏した。それとも、蛮族かトロルのような戦いぶりを見せたキルヒアイスを恐れた故かもしれない。

 

「オフレッサー、馬鹿者が…」

 

ブリュンヒルトに運ばれてきたオフレッサーの変わり果てた遺体を前に、シュターデンはひとしきり泣いた。涙を拭うと、シュターデンは座り込んでいるキルヒアイスの肩を抱いた。

 

「キルヒアイス大佐、卿が、無事でよかった…」

 

その側でラインハルトは興奮気味に叫んだ。

 

「オフレッサーを討伐したキルヒアイスはレンテンベルク要塞攻略の功一等である! 戦時任官でキルヒアイスを准将に昇進とする!」

 

それを眺めていたオーベルシュタインは思った。オフレッサーはできれば生かして捕らえ、賊軍に離間の策をかけたかったが、こうなっては仕方がない。

 

それに、ミンチメーカーを素手で殴り殺したキルヒアイス、今や宇宙最強と言っていい男、まだ興奮が治らないのか、フウフウと肩で息をする赤毛の大男を前に、何かを言えるものでは、さすがのオーベルシュタインといえど、なかった。

 

この日以降、キルヒアイスに新たな愛称が付いた。のっぽな赤毛のぼんやりさんは、その凄惨な戦いぶりを目にした装甲擲弾兵達を中心に、赤毛のスルトと呼ばれるようになった。

 

***

 

それから数ヶ月の時が流れ、ラインハルト陣営はガイエスブルク要塞に籠る貴族連合軍との決戦の時を迎えていた。

 

この間、シュターデンが再び別働隊を率いて辺境を平定したり、途中分派したリッテンハイム侯の大軍を教本通りの基本に忠実な指揮で打ち破ったり、あるいはヴェスターラントという貴族連合軍の領地にある惑星で反乱が起こり、親族が殺されたブラウンシュバイク公が核攻撃を命じたがラインハルトがミッターマイヤーに阻止させたりと、さまざまな出来事があったものの、ラインハルトは順調に進軍を続け、凡庸と言っていいクラーゼン総司令官に率いられた貴族連合軍はなす術がなかった。

 

ガイエスブルク要塞から出撃した貴族連合軍は、その基本戦略-長途の軍旅で疲れたラインハルト軍を、その疲労の頂点で叩く-を達成してはいたものの、自らも兵力を撃ち減らし、度重なる敗北で士気は落ち、要塞前面での決戦は彼らにとって有利なものでは、もはやなかった。貴族連合艦隊は大敗し、盟主ブラウンシュバイク公は辛うじて要塞に逃れたものの、側近アンスバッハ准将によって自死を強要された。ここに貴族連合軍の反乱は平定された。

 

そして、ガイエスブルク要塞に入城したラインハルトが敗軍の主だった貴族、高級将校達を引見している時に、それは起こった。

 

「ローエングラム侯、主君の仇取らせていただく!」

 

ブラウンシュバイク公の遺体にロケットランチャーを隠していたアンスバッハが、それをいまラインハルトに向けたのである。

 

誰も動けなかった。いや、ただひとり動いた男がいた。

 

しかし彼は暗殺者から遠い位置にいた。そのため発射を阻止することはできなかった。あるいは銃を携行していたら? しかし彼の銃の腕前は酷いものだったので、銃があったところでたぶん彼の行動は変わらなかったであろう。

 

「うわああああ!」

 

ラインハルトから離れた後方に控えていたキルヒアイスが走り、アンスバッハに飛びかかった時、ロケット弾はすでに発射されていた。

そしてラインハルトのすぐそばにいて2人目に動けた男、つまりオーベルシュタインがラインハルトをその身を盾にした。ロケット弾はオーベルシュタインに命中し、彼を吹き飛ばすとともに弾道が変わり、謁見の間の天井に着弾して爆発した。

 

「あああああ!あああああ!」

 

キルヒアイスは爆風と瓦礫による傷にも構わずアンスバッハの両手を押さえつけ、握りしめた。キルヒアイスの拳に握られたアンスバッハの手首がボキボキと嫌な音を立てて潰れた。

 

「ぎゃあああ!」

 

アンスバッハは必死に逃れようとするが叶わない。

 

ビシュウウウ!

 

アンスバッハの右手に嵌められた指輪からビームが発射された。しかしぶらぶらになった手では狙いも何もあったものではない。ビームはキルヒアイスの左腕をわずかに焼くにとどまった。

 

「この、卿は、赤毛のスルトか」

 

「ラインハルト様を脅かす者は許さない!」

 

キルヒアイスは健在な右手でアンスバッハを殴り、殴り、顔面を砕き、ついに死なせた。

 

「キルヒアイス、もういい、もういいんだ!」

「ラインハルト様は!」

「キルヒアイス、俺は無事だ! 大丈夫だ!」

「閣下! 副参謀長が!」

 

途端に静寂がその場を支配した。皆が一斉にオーベルシュタインに駆け寄った。

 

「オーベルシュタイン! しっかりしろ!」

「もう…間に合わん」

 

謁見の間に横たわったオーベルシュタインの軍服は焼け焦げ、腹には穴が空き、血がとめどもなく流れていた。

 

「副参謀長! 気を確かに!」

 

駆け寄ったラインハルトがオーベルシュタインの手を握る。

 

「閣下…どうか、宇宙を手にお入れください」

 

力なく答えるオーベルシュタインに、やはり駆け寄ったキルヒアイスが大声をかけた。

 

「副参謀長! 劣悪遺伝子排除法、ラインハルト様は必ず廃止なさいます! あなたの無念を晴らしてくださいます! だからどうかしっかり!」

 

キルヒアイスの叫びに、オーベルシュタインは少し驚いたようだった。

 

「あの時のこと、覚えていたのですか…」

 

それは、ラインハルトが帝国元帥に昇進した日のこと。大佐以下の控えの間で、キルヒアイスとオーベルシュタインは初めて出会った。キルヒアイスは独り言のように劣悪遺伝子排除法のことを語るオーベルシュタインの心のうちに秘められた思いを感じ取っていたのだった。オーベルシュタインはキルヒアイスに顔を向けた。

 

「キルヒアイス准将、貴官は真っ直ぐな人間だ。それは余人にはない尊敬すべき素質だ。貴官は、そのままでよい…どうも、私も、口数が、多くなったようだ」

 

最後にオーベルシュタインはもとより青白いが、さらに血の気の引いた顔でラインハルトを見上げた。

 

「ローエングラム元帥閣下、どうか、キルヒアイス准将を大事に…なさいますよう」

 

オーベルシュタインはかすかに笑い、そして、死んだ。

 

***

 

その後、ラインハルト・フォン・ローエングラムは自由惑星同盟を征服し、ローエングラム王朝新銀河帝国の初代皇帝となった。

 

シュターデンはのちに元帥になり、新帝国の軍務尚書を勤め、若い帝国軍幹部達からうるさがられ、煙たがられたが、官房長フェルナー少将がうまくおだてて、軍務省の膨大な業務を処理して滞らせることがなかった。

 

フォーゲル、エルラッハの2人は、第一次ラグナロック戦役の最終戦となったバーミリオン会戦の勃発時においてラインハルトの直属艦隊に最も近い位置にあり、他の艦隊に先んじて戻りヤン艦隊の猛攻からラインハルトを直衞した。彼らの艦隊は大損害を受けたが、2人は粘り強く戦ってミュラーの来援により勝敗が決するまでラインハルトを守り抜き、自らもしぶとく生き残った。彼らは皇帝ラインハルトの登極に立ち会い、新帝国において軍事参議官を勤めた。

 

パウル・フォン・オーベルシュタインには身寄りがなく、その死により男爵家であったオーベルシュタイン家は断絶した。遺骨はラインハルトとキルヒアイスが引き取り墓地に埋葬した。その墓碑には、ただひと言、マイン・ゼクレタール・デ・シュタープ、わが副参謀長とだけ刻まれた。

 

ジークフリード・キルヒアイスは左手に障害を持ったためリップシュタット戦役後に少将で予備役編入されたが、帝国宰相秘書官を拝命して引き続きラインハルトの側にあった。その後も直情径行に行動し、新帝国成立後のハイネセンにおけるヤン一党の反乱騒ぎでは装甲擲弾兵を率いて薔薇の騎士と戦いレンネンカンプ高等弁務官を守り抜いたり、新領土総督ロイエンタール元帥に反乱疑惑が持ち上がった際はいち早くハイネセンに再び赴きロイエンタール元帥を有無を言わさずフェザーンに連れて帰り大規模な騒乱を未然に防ぐなど、皇帝ラインハルトの右手として幾度も働いた功績により最終的には元帥杖を得た。皇帝ラインハルトがヒルデガルト・フォン・マリーンドルフ伯爵令嬢と結婚した後にグリューネワルト大公夫人と結婚し、幸せに暮らしたという。

 




あとがき


本作品を執筆したきっかけは、もしキルヒアイスが平凡な人間だったらラインハルトは宇宙を征服しようと思ったのだろうか、途中で断念したのではなかろうか、という疑問からでした。書いていくうちに、ラインハルトも与えられた手札でなんとかしようとしたのではないか、また他人もそうなのだと理解できたのではないかと考えるようになりました。それにつれ、ラインハルトも原作より寛容になり、人間として成熟したように思います。

本作品のキルヒアイスのイメージは鎌倉殿の13人に出演していた仁田殿(ティモンディ高岸)です。あまりにキルヒアイスがバカすぎて何もいいところがないとお話としてつまらないので、結局ガタイの良さを活かすことになりました。ほぼ脳筋です。

途中からシュターデンとオーベルシュタインの出番が自然に増えました。筆者はシュターデンを無能とは思っていません。ミュッケンベルガー元帥は優れた軍人であり、彼が無能者を参謀長としてそばに置くはずがないからです。シュターデンは発想の柔軟さに欠けるものの有能な実務家タイプで、彼に適した役割を与えれば十分に大きな成果を挙げたであろうと考えています。

スルトとは北欧神話に出てくる炎の巨人です。

ガイエスブルクでオーベルシュタインがキルヒアイスの次に動いてラインハルトを庇ったのはOVA旧石黒版準拠です。キルヒアイスがアンスバッハに飛びかかるのが遅れたならオーベルシュタインはあの場で死んでいたと昔から考えています。キルヒアイスを生かすためにオーベルシュタインが死ぬ結果となりました。

副参謀長をSekretär der Stabとしたのは完全に適当なので、あまり本気にしないでください。

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