【本編完結】慟哭の龍【挿絵有り】   作:ロウシ

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二回戦も折り返しである


第二話:適者

 

1.

 

 

 加藤がようやく激痛(いた)みを食いしばって耐え始めた時、花山薫は悠然と立ち上がっていた。

 膝裏をキツく握っても、脹脛からの出血は止まらない。

 中腰の姿勢で花山を睨み上げながら、伺いをたてるように、そろりと加藤は帯を解き、それを肉のちぎれた部分にキツく、巻いた。

 加藤は立ち上がった。

 激痛(いた)みがなくなったわけではない。

 だが、これで多少はマシに動ける。

 ここまでの過程で、花山はただ黙って見ているだけであった。

 加藤が腰を落とし、両腕を持ち上げて構えてから、のそり、と花山が歩を進めた。

 

 安易に走ってしまった。

 それがミスであると、加藤は実感している。

 焦っていた。

 花山薫という大怪獣。

 その拳が掠めるたびに、「これをまともに食らったら終わりだ」という、心中の不安が焦燥に駆られた。

 あのまま投げに徹していれば──

 そう思わずにいられない。

 花山薫はけろりとしている。

 相当に頭をぶつけてやったのだから、ダメージは必ずあるはずなのに、そんな素振りがまるでない。

 

 花山の拳が引き絞られる。

 前に──

 加藤は踏み出した。

 ローキック。

 花山の前足を蹴った。

 硬い。

 鉄芯のような感触が蹴り足を痺れさせる。

 力が入らなくなっていた。

 激痛(いた)みのせいで、あるいは、今、心の中に隙間が生まれているせいだ。

 不安が、恐怖が、あるいは憧憬が、加藤の心の隙間に入り込んでしまっている。

 集中しろ!

 目を見開く。 

 花山薫の拳が落ちてくる。

 もう一歩だ。

 もう一歩踏み込め──

 踏み込んだ。

 花山の懐に。

 背中を、ものすごい熱が通り抜けた。

 それまでは道着に護られていた肌が、花山の拳の軌跡にびりびりと焼かれていく。

 顎に向かってショートアッパーを放った。

 ローキックを打った。

 ハイキックを打った。

 打った。

 打った。

 打った。

 まるで、それしかないかのように、加藤は拳を、蹴りを打ちまくった。

 

 それを、範馬刃牙が悲痛の面持ちで見ていた。

 勝負ありだ。

 その思いが、確信となって刃牙の思考を占めた。

 こればっかりは、もう、覆しようがない。

 加藤清澄の打撃では、花山薫にどうというダメージも与えられないだろう。

 急所を穿てばどうだ……とか、そういう次元の話ではない。

 加藤清澄が弱いのではない。

 花山薫が強いのだ。

 花山薫の肉体は、才能は、加藤清澄の()()比較(くら)べたなら、比較(くら)べるのが間違っているほどに隔絶している。

 刃牙の思考に準ずるように、加藤の息が上がっていた。

 対する花山は、ただ、立っていた。

 防御(うけ)ることもせず、攻撃もせず、ただ敵意も殺意もない、純白の光を瞳に灯しながら、立っていた。

 

「テメェ……ッッ」

 

 屈辱──

 敵とさえ見なされていないのか、おれは。

 

「ざっけんじゃねえ!!!」

 

 加藤はハイキックを打った。

 蹴り足から飛んだ血が、花山の頬を赤く染める。

 ふざけんな!

 その思いが、加藤の頭を加熱させた。

 ふざけんなッッ!!

 ふざけんなッッ!!

 おれだって、ここに立つ資格があるんだッッ!!

 おれは、花山薫の敵なんだッッ!!

 敵に対して、てめえ! 

 なんだ、その眼はよォッッ!?

 おれだって、ゲバルに勝って、ここにいるんだ。

 おれだって、オッサンやジャックや繰神のおっさんに鍛えられて、克巳さんに勝って、ここにいるんだよォッッ!!

 

 こんなに──

 こんなに差があるなんて────

 

 腹に打ち込まれる乱打をまるでものともせず、加藤の顔を、花山の拳が撃ち抜いた。

 加藤は後方に激しく吹き飛び、膝をついた。

 

 

2.

 

 

 花山は加藤に歩み寄ると、髪を掴んで持ち上げ、強引に視線を合わせた。

 

「まだ、やるかい?」

 

 強い眼で、花山は加藤を射抜いていた。

 加藤は、

 

「へ……」

 

 と笑って、

 

「たり、め……だ……」

 

 息も絶え絶えに、そう言った。

 それをしっかり聞き終えて、花山がボディを打った。

 

 加藤は吐瀉物を吐き出して再び膝をつき、あられもなく闘技場を転げ回った。

 それをまた、花山は黙って見届けていた。

 

「花山さん……」

 

 刃牙が言った。

 追撃を行わないどころか、加藤を見下す眼に慈愛の光さえ纏い出した、花山の意図がなんなのか、計りかねていた。

 加藤が柵を支えに身を持ち上げた。

 眼は揺れ、口元には涎と鼻水と血で汚れ、髪はほどけている。

 天を見上げていた。

 降り注ぐ照明の光を、朧げな眼で受け止めていた。

 顔を下ろした時、すう、とその顔に、精妙さが宿っていた。

 怒りでも、悲しみでも、悔しさでもない表情だった。

 加藤は、花山を見た。

 

「まってて……く、くれたのかい」

 

 つぶやくように、言った。

 アリガトウ──そのような文脈を孕んでいた。

 

 加藤が構えた。

 観客は加藤の名を呼んだ。

 花山の名を呼んだ。

 しかし、ふたりにはその声は聞こえていなさそうだった。

 真摯な態度で、加藤は花山につっかけた。

 

 

3.

 

 

 加藤がやることはシンプルであった。

 ローキックをやり出した。

 一打一打、丁寧に踏み込んで、教科書的なローキックだった。

 それを、花山は防御しない。

 花山の様子に全く構わず、加藤は左右のローキックを打ち、打ち終わると距離をとった。

 花山がずっ、と足を出す。

 無造作な蹴りを打った。

 それを、かがみ込むようにして躱した。

 縮こめた身体から、力を爆発させるように、綺麗な正拳突きを打った。

 それが、無抵抗な花山の脇に刺さると、間髪入れずにローキックに繋げた。

 綺麗で、真っ直ぐな、加藤らしからぬカラテであった。

 

 獅子尾龍刃のもとで、繰り返し繰り返しやってきた動きだった。

 

「加藤くん……」

 

 龍刃が、愛おしそうに、その名を綴る。

 切ない音のように、刃牙には聞こえていた。

 龍刃がを閉じた。

 目の前の光景を拒絶するかのように、口を、硬く結んでいた。

 

 

4.

 

 

 花山薫は、加藤の攻撃をいくらもらっても、倒れなかった。

 少しも後ろに後退(さが)らなかった。

 時たま拳や蹴りを出している。

 かろうじて躱すものの、加藤の身を削るように、空を切った。

 

 気づけば、加藤が花山の肉を叩く音が、しん、と静まった闘技場に響いていた。

 加藤は一生懸命に殴っていた。

 一生懸命に蹴っていた。

 だが、それが、なんの意味もないようであった。

 

 無常──

 無情──

 ただ、誰の頭にも、そういう言葉が浮かんでいた。

 

 花山が口元を拭った。

 血を滲ませた歯が、ころりと口から手に乗った。

 

「もういいか」

 

 優しく、そう、言った。

 

 

5.

 

 

 ああ、

 と、加藤は思う。

 そりゃあ、こうなるわな。

 と、その言葉は続いた。

 

 よくやった、という言葉が、闘争の舞台ではなんの意味もないことは、加藤はよく知っている。

 相対して、負けた側には、「頑張った」は無意味である。

 それでも、そこに、意味を見出したくなっている。

 自分の無力への言い訳を、したくてしたくてたまらない。

 だが、これはしょうがないだろ?

 才能に、差がありすぎる。

 おれの全てが、このひとにとっては、矮小なことなんだ。

 おれの闘争の全てが、このひとには意味がない。

 

 このひとは、ひとりだから。

 少しだけ垣間見えた、あの世界。

 この人が、カウンターで、ひとり、酒を飲んでいた。

 おれじゃ、すぐに引き戻された、あの世界。

 気づいたよ。

 オッサンも、刃牙も、愚地独歩も──

 範馬勇次郎も。

 花山薫も、あっち側の世界の存在なんだって。

 おれじゃ、

 おれなんかじゃ、

 向こうには行けないって──

 

 悔しいさ。

 悔しいけど……理解(わか)っちまったんだ。

 おれだって、そこそこは強い。

 ゲバルに、いい戦士だって言わせたぐらいには、おれだってヤれるんだよ。

 だからこそ、理解(わか)っちまった。

 おれは、そっち側の人間じゃない──

 ここまでが、すでに、出来過ぎなぐらい出来過ぎだった。

 それだけなんだって──

 

 理解(わか)っちまったよ。

 

 花山が拳を引いている。

 まっすぐな拳。

 おれの、ど真ん中にぶち込まれる拳。

 愚地独歩の()()みたいに、ほれぼれしちまう拳だ。

 あれにやられるなら、それもいい──

 そう思っちまう、拳。

 

 あの時、先輩がいってた言葉がわかったよ。

 花山薫とヤりあえば、全てを失うって意味と、全てを得られるって意味が、わかったよ。

 おれの人生の全てを賭けても届かない。

 真正面も、小細工も、このひとには等しく叩き潰される。

 足りないものは、全てだ。

 才能も、肉体も、経験も、全部足りない。

 

 頭では、理解(わか)っちまった。

 でも、うん──

 

 花山の拳が向かってくる。

 全身を振り抜いている。

 それを、おれは、身を削って躱した。

 腕を掴んで、その勢いを利用して、花山を背負い投げていた。

 

 ──えっ!?

 

 闘技場がわあっ、と湧いた。

 獅子尾龍刃が目を見開いた。

 範馬刃牙も驚愕していた。

 

 加藤自身すら、自らが反射的にとった行いに動揺していた。

 

 花山が立ち上がる。

 そこに、蹴りを打ち込む。

 いい蹴りが入った。  

 いい感触があった。

 

 ──あれ? 

 おい、どうした、おれの身体よ?

 もういいんだぜ?

 もう、おれは……

 

 身体が熱い。

 身体が熱かった。

 拳を握っていた。 

 拳に力が入っていた。

 

 おいおい、マジかよ、こいつ……

 

 加藤の下腹部から脳天を突き抜けた。

 突き抜けたものは、歓喜だった。

 なぜ、今、歓喜が巡るのか、わからない。

 わからないが──

 

「ッシャオラアッ!!」

 

 花山に向かってローキックを放つ。

 理由はわからない。

 わからないなら、もう、わからなくていい。

 そんなことは、もう、捨て置けばいい。

 今、おれの身体が望むことをやってやろう。

 今、おれの、おれの知らなかったおれが、やろうとしていることに、身を任せよう。

 狂え──

 狂ってしまえ──

 狂って、己の全てを、ただ、叩きつけちまえ。

 

「キャオラァッ!!」

 

 加藤の拳が、蹴りが、花山に向かって次々と打ち出された。

 花山は、それを、いつものように受け止めていた。 

 

 

6.

 

 

 狂ったのか、加藤清澄ッッ!?

 

 刃牙はそう思った。

 あの花山薫と、真正面から殴り合うとはッッ。

 絶対に勝てない。

 絶対に。

 体力が少しでも戻ったのなら、勝ちたいなら、さっきのように投げに徹すればいい。

 それが、藁を掴んで天を目指すほどの頼りなさだとしても、唯一の勝ち筋のはずだ。

 その証拠に、花山はビクともしていない。

 だというのに、加藤のあの表情はなんだというのか!?

 あの、嬉しくてたまらなさそうな、喜色満面の顔はなんだというのか!?

 加藤の選択は間違っているはずだ。

 闘争に対して、不誠実なはずだ──

 だというのにッッ!

 

「痛ぇだろうなあ……」

 

 龍刃が言った。

 つれェだろうなあ……

 刃牙の方を見ていない。

 誰にいうでもない呟き。

 自らに言い聞かせる言葉遣いであった。

 でも、と続けた。

 

「相当、幸せだろうなあ……」

 

 目を細めていた。

 龍刃は目を細めて、たまらぬ感情を吐き出すように、顔を軽く振った。

 

 

7.

 

 

 出し尽くす──

 

 それが、加藤のたどり着いた答えだった。

 勝つとか、負けるとか──

 そういうものを遠ざける。

 勝ちたい、という気持ちも遠ざける。

 すると、負けるかも、という気持ちも、なぜだか遠ざかる。

 ヤる。

 加藤清澄がヤる。

 やるべきことを、つまり、加藤清澄を出し尽くすことをやる。

 考える──ということは、しない。

 この身体の奥の奥、加藤清澄を形成する、加藤清澄の全てを拳に集める。

 手を出す。

 手を出す。

 覚えている打ち方で、とにかく打つ。

 勝つか負けるかは後でいい。

 気持ちが良かった。

 忘れていた。

 これが──たぶん──加藤清澄の原初なのだ。

 空手を、なぜ、続けたのか?

 ボクシングや柔道じゃなくて、なぜ空手だったのか?

 思い出した。

 愚地独歩に褒められたからだ。

 何をやってもダメだったおれが、唯一褒められたからだ。

 「加藤、オメェは才能あるぜ」って、愚地独歩に言われたからだ。

 だから、空手だったんだ。

 嬉しくなるために。

 楽しくなるために。 

 おれは空手をやってたんだ。

 相手に勝つ、ってのは、愚地独歩がそう言ってるからだ。おれ自身が、負けたくないって思ってたからなんだ。

 だから、その辺は二の次もいいところだった。

 

 忘れてたぜ。

 加藤清澄が、今、あらんかぎりの加藤清澄を吐き出している。

 いつもの──今までのおれなら、ここで安易に目つきやら金的に走ってる。

 そして、カウンターでぶっ飛ばされてるだろうさ。 

 我ながらに綺麗に闘争(たたか)ってるが、これが、加藤清澄らしくないワケじゃない。

 加藤清澄がやってるんだから、これも、加藤流のカラテなんだ。

 おれは、愚地独歩じゃない。

 範馬刃牙じゃない。

 愚地克巳じゃない。

 獅子尾龍刃じゃない。

 ジャック・ハンマーじゃない。

 末堂厚じゃない。

 おれは、加藤清澄なんだ。

 こういうおれも、おれの中にいた──

 ようやく、それに、気づけたんだ。

 

 すげえよ、花山薫。

 伝説の通りだ。

 きっと、今のおれじゃ勝てない。

 このひとは、おれなんかとは、全然違うステージに立ってるもんな。

 だけど、おれは、これを楽しめる。

 ヘンな話だけど、おれは、負けるとわかってることを、心から楽しめるんだ。

 とんだヘンタイだな、おれって。

 これは、愚地独歩にゃないんじゃないか?

 刃牙よぅ、どうだい? オメェにできるか?

 負けることに全力で挑んで、楽しむことができるかよッッ!?

 

 加藤は見た!

 自身の乱打にさらされる花山の顔。

 口角がかすかに持ち上がっているのをッッ!!

 

 加藤は嬉しくなった。

 拳に、さらに、いっそう、力がこもった。

 全身の筋肉が躍動していた。

 

「花山ァァアアッッ!!!!」

 

 加藤は叫んだ。

 右拳を振りぬいた。

 

 

8.

 

 

 左のカウンターだった。

 花山の左拳が、加藤の右拳が届くより先に、加藤の顔面のど真ん中を撃ち抜いた。

 

 加藤は拳を出した姿勢のまま、固まっていた。

 それは、花山のパンチの力の全てが、あますことなく加藤に注がれた証明である。

 ずるりと、花山の拳から剥がれるように、加藤は倒れた。

 

「加藤くんッッ!!」

 

 獅子尾龍刃が闘技場に飛び込もうとするのと同時に、その肩が掴まれた。

 強い力だった。

 龍刃が振り向くと、そこに立っていたのは末堂厚だった。

 末堂は黙って、かぶりをふった。

 

 観客席から歓声が上がった。

 審判のコールが『勝負あ……』で止まっている。

 龍刃は振り向いた。

 

 加藤清澄が立ち上がっていた。

 

 

9.

 

 

 意識があるのか、ないのか。

 それが傍目からはわからない。

 加藤清澄は立っている。

 花山薫を見ている……のだろうか。

 眼の光がふわふわとして、切れかけの電球のようであった。

 だが、構えはとっている。

 ふらついているし、顔は、鼻っ柱が潰れたままで、呼吸のたびに血を吐いていた。

 

 審判たちは困っていた。

 このまま続けたら、間違いなく加藤は死ぬ。

 しかし、本人に闘志があるならば、おいそれと止めるワケにもいかない。

 

 審判たちが光成に助けを求める中で、花山が口を開いた。

 

「いつでもいいぜ……」

 

 優しい口調だった。

 

「いつでもいい。飯食ってる時でも、オンナといる時でも、クソしてる時でも、寝てる時でもよ……」

 

 加藤の耳に、その言葉は届いているのだろうか。

 花山は構わず続けた。

 

「次は……()()()()()()()()。だから、いつでもきな……」

 

 花山が言い終わるのを待っていたのか、加藤がずるりと膝から落ちた。

 うつ伏せに倒れると、もう、眼から光は消えていた。

 

『勝負ありッッ!!』

 

 審判のコールが轟いた。

 観客が拍手を捧げた。

 その筆頭に、観客席から立ち上がって、微笑を浮かべるゲバルの姿があった。

 花山が踵を返し、小声で「イテェ〜」とボヤきながら、頭を掻いて退場していった。

 

 

 二回戦第四試合:勝者、花山薫ッッ!!

 




次回はまたインターバルです
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