アイちゃんと担当契約を結んで1週間。早朝と放課後のトレーニングに紙コップを付けてもらってるけど既に7割残せるまでになっている。いや早いって。いくら私が焚き付けたからってそこまで出来るようになるようになるとは思わないじゃん。トレーニング考えるこっちの身にもなってよ。
時計を見ると後10分程でアイちゃんが部屋に来る。少し休もうかな。トレーナーになってから…正確に言えばアイちゃんの担当になってから割と忙しくなったからたまに長椅子に横になってイヤホンをしてリラックスするための音楽をかける。この時リラックス効果を最大限高める為に完全に脱力しつつ眠らないようにしている。
「トレちゃん生きてる~?」
その矢先にナナが入ってくる。折角リラックスしようとしてたのに…。取り敢えず頭だけでもナナの方に向けよ。
「私っていつ死んだの?今日はどうしたの。言っておくけど一発ギャグは考えないからね」
「いけずぅ。でさ、ララちゃんの事なんだけどね、この前やっと進展したんだよ」
ナナに頭だけ向けてたのを止めて体を起こして立ち上がりティーバッグでお茶を淹れてナナに出す。難航していたらしいから私も嬉しく思う。
「良かったじゃん。それでどうだったの?」
「ララちゃんが末脚を最も発揮できる条件が分かったんだ」
「凄い進展じゃん。確かに遠慮してる節は合ったけど、その条件って?」
「ツッコミだよ」
「?」
「私がボケでララちゃんがツッコミ、これが出来れば彼女の脚を最大限発揮してあげられる。だから今日オルフェさん相手に試してみるよ」
「頑張ってー応援してるよー」
「待ってトレちゃん寝ないで!お願いがあるんだよ!」
とりあえず聞いた情報を整理する。あのおしとやかなララちゃんからは考えられないけど…部外者である私が口を出すことは無い。取り敢えず話だけ聞こう。
「それで、お願いって何?さっきも言ったけど一発ギャグ考えては無しだからね」
「そこを何とか!オルフェさんに認められるには最高のツッコミを引き出すための最高のボケが必要なんだよ!お願い~!」
「だから無理だって。それだけは自分でどうにかしてよ」
「うえ~ん。分かったよぉ。ところでトレちゃん、何聞いてたの」
話題がぐるっと変わって今聞いてた音楽について聞かれた。イヤホン外したから気になったのかな。
「リラックス用の音楽だよ。聞いてみる?」
「うん。トレちゃんって曲聞いてるイメージ無いからちょっと意外だったんだ~。ではご拝聴」
イヤホンを渡してスマホから音楽をかける。曲が終わるまでトレーニングの準備を進めようと再び席を立つ。
「トレちゃん、ナニコレ」
そのタイミングでナナから質問が飛んでくる。
「何って…リラックスできる音楽」
「どこが!?」
「リラックス…出来ない?」
「出来ないよ!?出来る事と言えば頭の中が空っぽになるくらい…いや、思考すらできなくなるから……とにかくナニコレ!?」
「音楽」
「分かっとんねん!!」
準備を淡々と進める私とは対照的にヒートアップするナナ。曲を間違えたのかとスマホを確認するけど間違ってない。そんなに変な曲かな。ぼーっとするには最適だと思うけど。
「お待たせ。ナナさんの声が外まで聞こえたけどお邪魔だったかしら」
「大丈夫、大したことじゃないから。ナナ、行ってくるね。あと、頑張ってね」
激励の言葉を送りながらアイちゃんとコースへ行こうとする。
「! これだ!トレちゃんちょっと待って!」
「ど、どうしたの?」
「ララちゃんが走る時、トレちゃんも来て!それなら出来る!?」
「それなら出来るけど…何時くらい?」
「分かんないけど、レースやりそうになったら連絡する!お願いね、すっぽかさないでよ!」
「分かってるって。それじゃ連絡お願いね」
「今日は現状維持ね。これを良しと捉えたくないわね」
「…すごー」
アイちゃんの向上心には驚かされっぱなしだ。日々新しい事を取り入れて停滞することを良しとしない。ここまで高いモチベーションを常に保てる子はあまり見たことが無い。負けず嫌いというのはシンプルながら強い動機になるのを認識した。
「経過は順調だけどね。アイシングしたらコップ無しで1回走って見てよ。最初計ったタイムと比べてみたくてさ」
「分かったわ」
今日の成果を次週までのトレーニング計画を見直しながら記録しているとスマホが震える。画面を見るとナナからLANEが届いていた。どうやらコースを挟んで反対にいるらしい。タイムを計りたかったけど仕方ない、引き上げよう。
「アイちゃん、ごめんだけどナナに呼ばれたから行ってくる。それとも一緒に来る?」
「そうね、ララの走りを見ておきたいし付いていくわ」
アイちゃんと一緒にコースをぐるっと半周するとララちゃんとナナが話しているのが見えた。…何故だろう、ララちゃんが凄く困っているような顔をしている。
「ナナーご要望通り参上したよー」
「ありがとぉ~!あとは私の策がぴったりはまればイケるかも!」
「ナナさん、わざわざトレノさんを呼んだ理由って何ですの?とてもボケてくれるようには見えへんけど」
「大丈夫、特大級のボケが待ってるから!」
何やらされるの私。ギャグやれって言われたら恥も外聞もかなぐり捨ててミキティーって叫ぶけど。
「何を騒いでいる。余の道を阻むな」
横から声が聞こえてきてその方向を見るとオルフェさんが来ていた。トゥインクルシリーズで未だに圧倒的な影響力を持っているその実力は私と比べるまでもない。立ち姿だけでも圧倒されてしまいそうだ。
「オルフェさん、今日もありがとうございます。どうぞ、容赦なきようお願いします」
「今日はあまり時が無い。疾く始めよ」
「オルフェさん!その前に5分だけくれませんか?作戦だけ託したいんです」
「あまり待たせるなよ」
オルフェさんがコースへ降りていくのを眺めていると、不意にその眼光が私を捉える。まるで私の中を探っているような感じだ。少しして不機嫌そうな顔をしながら再び歩みを進める。
「いい、思考が出来なくなる前にこれだけ。勝負は最後の末脚勝負。ここに全部賭けるつもりで走って。そうすれば多分勝てる」
「ちょお待って下さい。思考がでけへんくなるって何ですの?というか…!」
「それも溜めて!トレちゃん、イヤホン貸して!それとさっきのリラックス曲かけて!」
「え?ああうん、ちょっと待って」
イヤホンをナナに渡して私は曲の準備をする。ナナがララちゃんにイヤホンを渡してそれを装着する。
「じゃあかけるよ」
「ララちゃん、よく聞いてね!」
スマホを操作して曲をかける。成程、リラックス状態の時がパフォーマンスを最大限発揮できると聞くし、それを実践するのか。でもいくら何でもありきたりのような気もするけど。しかしララちゃんの様子を見ると、何かがおかしい。
瞳孔が開き、口も半開き。全身がピクリとも動かなくなり見ただけではおおよそリラックス状態とは程遠いコンディションになってしまった。
それから数分、曲が終わったことをナナに伝えるとゆさゆさとを揺らしララちゃん現実へ引き戻す。
「ヨシ、行ってらっしゃい!」
「…」
ララちゃんは何も言わないままコースへ降りていく。それからほどなくしてレースが始まった。
「ナナ、ララちゃん負けさせる気?あの状態でレースできるとは思えないんだけど」
「大丈夫、思考が追い付いてくれば今まで見たことような鋭さの末脚が見られるはず」
「とてもそうには見えないけど」
「でもついて行ってるわよ。走り自体に淀みや迷いがあるようには見えないわ」
私の心配とは裏腹にレースは滞りなく進行していく。というより、ララちゃんはなぜあんな状態になったんだろう。原因はどう考えても私がリラックスするときに聞いてる曲だけど…そんなに変かな。
「トレノさん、ララが仕掛けますよ!」
「…!何あの爆発力…!?」
「やっぱり、思った通り!」
ララちゃんの末脚は前に併走した時と比べて格段に速く、鋭く加速していく。その脚は同じく末脚を発揮しているオルフェさんを捉えようとしている。しかしわずかに届かない。2分の1バ身届かずレースは決してしまった。
「…良い」
「今、何と?」
「貴様は覇を示した。それは受け継がれるべき王の火。絶やすでないぞ」
「あ、ありがとうございます!」
ララちゃんがやっとオルフェさんに認められた。横ではナナがホッとしたのか力が抜けた様に座っていた。入学してから挑み続けてきただろうし、長い道のりに1つの区切りがついたはず。
「してララよ。貴様が先刻聞いていたものはなんだ?」
「へッ!?いや、あれはほんのお耳汚しと言いますか…この言い方やとトレノさんに悪いし…」
「聞かせてみよ。貴様の覇を引き出した代物、余が定めてやる」
「トレノさ~ん、そういう訳ですからイヤホン貸して頂けます~?」
「はーい」
コースへ降りてオルフェさんにイヤホンを渡す。そして再生する。
「ふん!」
再生して15秒、オルフェさんが地面にイヤホンを叩きつけ何も言わずにそのままコースを後にしていく。良かった壊れてない。そこは流石に加減してくれたみたい。…私の感性って変なのかな。
「良かったねララちゃん、無事に認めて貰えたね」
「はい、ナナさんのおかげです」
「それでなんだけどさ、ララちゃんさえ良ければさ…」
ナナが仕掛けに行く。けどまぁ、ここまで来たんだからほとんど確定だよね。今日からライバルになるのかぁ。負けられないな。
「相方になってくれない?」
「担当ウマ娘とちゃうんかい!」
以下、レース中のララの心の声
なんや、なんやったんやあれ。走り出すまでの記憶が一切ないんやけど
多分勝てるってなんやねん…言い切らんかい!ってツッコミがでけへんくなるレベルのボケ…いやあれボケちゃう。ボケはボケでもド天然や!
あれでどうリラックスすんねん!イントロから気が抜ける曲調やなぁ思うとったら一瞬で思考持っていかれてしもうた。
いやんばかん?そこはお耳なの?どんな曲やねん!トレノさんどんなリラックス法実践してんねん!あの1曲だけで頭おかしなる思うたわ!
てゆーかトレノさんはアレが平常運転なん?色んなこと考えてくれはってる時もたまにあれ聞いてるん!?人は見かけによりまへんな~ちゃうねん!よらなさすぎや!予想外過ぎて度肝抜かれてまうわ!
あぁ~もう…どーいうこっちゃねぇぇぇぇぇ~~~ん!!!!