良くも悪くも、道は必ず続いていく。
何があろうとなかろうと、絶対に。
敗れても、尚。
「猪股ー、これお前に渡してくれってさ」
クラスメイトが放って寄越したのは、今時珍しいファンシーな封筒。
中には薄いピンク色の便箋、そこに書かれていたのは――。
「……うぁ」
見ただけで恥ずかしくなるような、真っ直ぐな愛の言葉。自分がどれだけ好きなのか、そして答えは良いから知っておいてほしいという願い事。
こんなにも人は誰かを好きになれるのか、と思うほどにそれは情熱的で。だけど何処か噛み合わない、なんだか違和感のある文章。
本当にこれは、俺宛てなんだろうか。
でもこのクラスで猪股って言ったら、俺しかいないし。なら自動的にこれは、俺へのラブレターという事になる。
なんだろうな、と御仕舞いまで読みきって。
どうしようかと少し悩んで漸く、俺は
便箋の最後に書かれていた、その名前に。
「――猪股、大喜……?」
それは確かに、俺の父さんの名前だったのだ。
父さんと母さんが出会ったのは、この栄明だったんだとか。それで結婚して俺が生まれて、その俺がこうして両親の母校に通っているんだから不思議なもんだ。まあ、それは良いんだけど。
若い頃の父さんは、結構名の知れたバドミントンの選手だったらしい。その縁で今でもファンがいる、ってのは別におかしくはない……と思う。でもだからって、ラブレターなんか出されても。本人がどう思うかはともかく、俺としてはスゴい困る。
一応持って帰りはしたけど、これ父さんに渡して良いもんだろうか。親のそう言うの正直気まずいし、こんなの貰ったって知ったら母さん怒るかもしれない。母さん普段はぽややんとしてるけど、たまに笑顔で怒るから怖いんだよな。
まあ、良いか。俺は勉強机の上に封筒を放り出し、考えるのを止めた。どうせ父さんは今仕事で海外だし、帰ってくるのは来月だ。その時に考えれば良いや。父さん譲りの楽天家な俺は、考えるのが苦手なんだ。
なるようになるさ、とベッドに転がって目を閉じる。明日になれば、明日が来る。それできっと、大丈夫だ。
……大丈夫だ、なんてのはちょっと考えなしだったかな。
あれから二週間が過ぎたけど、父さん宛てのラブレターは毎日毎日やって来ている。しかも文面は毎日違うし、全て手書き。重いよ、マジでさ。
そして預かったクラスメイトに聞いても、差出人が誰なのかは分からない。どういうわけか、誰も顔を見ていないようなのだ。そんなおかしな事あるかよ、って思うけど本当にそうなんだから仕方ない。それに下手をすると登校してくるなり机の上に載っていたりもするし、差出人の秘匿力高過ぎないか。
どんどん溜まっていく紙束は、もう見て見ぬふりなんか出来ないほどの
ただ今日は新しいのは来ていない、それが救いだ。毎日書き続けて飽きたんだろうか、そうであってくれ。
親宛に書かれたラブレターに怯えながらも時刻はもう放課後、あとは帰るだけ。
ここまで来たんだから無事に終わってくれ、と願うけど。……でも、なんだかそうは行かないらしい。
昇降口へ向かう廊下の真ん中、見覚えがない赤毛の女子が行く手を塞いでいるのだ。
ぷーっと頬を膨らませ、如何にも不機嫌そう。だけど結構可愛いし、悪い子じゃ無さそうに見えた。
いや、しかしそれは見た目のイメージでしかないと俺はすぐに悟った。その手には、可愛い封筒が握られていたから。
ああ、この子が差出人なんだな。そう考えた刹那、その封筒は俺の前へと突き出された。
受け取るべきか、否か。悩む必要なんて、あるわけがない。
俺は手を伸ばしてそれを拒絶し、彼女に向き合う。真意を知りたい、それだけの気持ちで。
「何よ、生意気なんだから」
ムッとした、でも何処か切なさを感じる声で彼女は手を引っ込めて俺を睨む。
「私が大喜と結婚してたら、あんたみたいな生意気な子は産まれなかったのに!」
次の瞬間まるで弾けるように光が瞬き、視界が白く染まった。
何が起きたのか分からないまま、気が付けば俺は家への路を歩いていた。
あの子は何を言ったんだ、何だったんだ。あれは只の拗らせたファンなのかそれとも、……
父さんと母さんは栄明で出逢って、そして結ばれた。でもそれが順風満帆だったかなんて、俺に分かるわけがない。母さんに負けて父さんを諦めた誰かがいて、何かの切っ掛けでその「想い」みたいなのが噴き出したのかもしれない。そんな事があったって、おかしくはない。だって「特別な誰か」は、一人しか持てないのだから。
……あの手紙、やっぱり父さんに渡そう。あんなにも強い想いを学校に焼き付けたんだ、相当に激しい恋だったんだろう。それはそれで、大事な事だ。今度帰ってきた時に、こっそり渡せば良い。名前は分からないけどあの鮮やかな赤毛だし、印象には残ってそうだ。父さんに赤毛の子だと言えば、きっと彼女の事を思い出すさ。
そうしようそうしよう、と帰宅して部屋に鞄を放り――俺は違和感に気が付いた。と言うか、大きすぎる変化に。
「あ、あー!!」
ベッドの下や本棚の裏に隠しておいたコレクションが、全部残らず机の上に並べられていたのだ。ご丁寧にサイズやジャンル毎に整理され、ピッチリと。
母さんだ、また母さんが勝手に入ったな!? 掃除するだけならまだしも、見られたくないものをピンポイントで見つけ出して並べておくなんて、息子のプライベートを何だと思ってんだあの人は。
鍵付けよう、今度こそホムセンで後付けの鍵買おう。あとコレクションはもっと厳重に隠そう、二重底とか総動員しよう。
溜め息を吐いて、とりあえずコレクションの仮置き場所をどうにかしようと顔を上げたその時だった。
「あれ、……無い?」
そう、無い。父さん宛てのラブレターが、全部残らず無くなっている。何であれが無いんだ、無いわけが無い。
まさか母さんが、あれを持っていったのか。そんなの有り得ないけど、でも他に見当たらない理由が思い付かない。
俺は階段を駆け降り、母さんが炊事中の台所へと飛び込んだ。
「母さん、あの、俺の部屋の――」
「手紙なら捨てたわよ、いらないでしょあんなの」
あっさりとそう言う母さんに、俺はなにも言えなくなってしまった。そのあまりにも堂々といた言い様に圧倒されたから、ではない。
母さんのすぐ側に、
あの子は何か言っているようだけど、その声は俺には届かない。まるで壁に阻まれている、或いは無声映画であるかのように。そして母さんにはその姿さえ見えていないのだろう、気にも留めていない。
いや、違う。母さんはきっと全て、気付いている。気付いた上で、無視してるんだ。俺がそれを理解したのは、ほんの僅か後。
まるで怒りのままに暴れるあの子をからかうように、母さんは笑って言ったのだ。
「気にしなくて大丈夫だよ、お母さんを誰だと思ってるの」
この赤毛の子、本体がどうなってるのかはご想像にお任せします。