本日は12月25日。街も人も賑わいを隠すことなく、聖なる夜を祝う準備をしている。そんな中、外界の雰囲気と完全分離した暗い部屋に一人、羽毛布団に包まっている青年、
枕元に設置してある時計の針が二時を指した瞬間、ベルがけたたましく鳴り響く。爆音にも等しい音で青年は意識が半分ほど覚醒した。寝ぼけ眼のまま手探りで時計を探していくと、手に当たった衝撃で足が地を離れる。時計は重力に逆らうことなく垂直落下を続け、数秒をの時間も要さずに瞬の額に直撃した。
「いってて……やっべ、もうこんな時間かよ」
寝癖を押し付けながら時間を確認し、時計を所定の場所に戻すと真っ先にカーテンを開けた。目の前に広がる景色はいつもとは違い、うっすらと雪化粧されている。この時期特有の光景に息を呑むと同時に冷気が身体を包み込んだ。
身震いしながらも厚めのよそゆきに着替え、身支度を調えていく。肩掛けバッグにはいつもの外出セットに加え、寒さ対策でホッカイロが数個。指さし呼称で忘れ物がないことを確認し、玄関の扉を開けた。
外気は体感で零度以下。今にも凍えそうな寒さに悶えながらも、瞬は目的地へ向け足を踏み出した。
目的地に着いたのは歩き始めて十数分を過ぎた頃。時計を確認すると、予定の時間より早く着いていた。安堵した瞬は悴む手をコートのポケットに突っ込み、車道を背にして電柱に寄りかかった。
瞬が待ち合わせ場所に着いた頃、相手である赤髪が目立つ長身の少女、宇田川巴はファストフード店の中を忙しなく動き回っていた。バイトが終わるまであと数分というところで気合いを入れ直し、ラストスパートをかけた。
「お疲れ様でした。お先に失礼します」
タイムカードを切った巴は急ぎ足で店外へ向かう。扉を開け、外へ出るのとほぼ同時に瞬へ電話をかけた。数回のコールで繋がり、バイトが終わったから今から向かうことを伝える。すると、耳に当てているスマホと自分の後方から同じ声で返事が返ってきた。
「大丈夫、もう着いてるから」
ハッとして振り返ると、そこには瞬がいた。これでも彼氏なんで迎えに来ました、とキザなセリフを吐く。不器用ながらもカッコつける瞬の姿を見て思わず笑ってしまう巴。少しはにかんだ様子の瞬に礼をいい、二人は気を取り直して駅の方面へ歩き出した。
遮る物がなく、風が吹き付ける街道。行き交う人々の中に自分たちと同じようなカップルを見つける度、二人の間にあった会話が薄れていく。次第に内容も、それに対する返事も簡単な物になっていった。
「……巴」
「ん、どうかしたのか?」
視線は前を向いたまま、息を白くしながら深刻そうな声色で話しかける瞬。不穏な雰囲気を感じ取りながらも、平常を装って聞き返す巴。その返事はあまりにも拍子抜けなものだった。
「夕飯、どうする?」
意味がわからず、数秒の間その場に立ち止まる巴。瞬の方を向いてもう一度聞き直しても、口からでてくるのは同じ言葉。堪える努力はしたものの、それも虚しく吹き出してしまった。
笑われるのを覚悟してはいたが、巴の笑いようは想像を超えていた。悪気がないのを理解していても、瞬の心には少しづつ黒いモヤがかかっていく。
「あたしはなんでもいいよ。瞬と一緒なら」
そんなモヤも巴の曇りない一言でかき消された。気を持ち直した瞬は眉間に親指と人差し指を当てて思考をまとめていく。脳内CPUは時間をかけるのことなく答えを弾き出した。
向かった場所は二人が通うラーメン屋。夕飯の時間には早いぐらいで、寒さも相まってか店先に並ぶ人の影は片手で数えられるほど。二人は揃って列の最後尾についた。
「クリスマスって感じじゃないけど、よかったの?」
「いいって。さっきも言ったろ、あたしは……瞬と一緒ならいいんだよ」
両手を擦りながら、自分の不安を恐る恐る口にした瞬。対する巴は伸ばした髪を指で軽く巻取りながら質問に答える。その視線は少し下に、頬は紅く染まっていた。巴の様子が気になった瞬が話しかけようとした時、ちょうど二人の番が来た。
いつもと同じ席で、いつもと同じ2人が、いつもと同じラーメンを注文する。ただ、一つだけいつも通りではないのが二人の間に流れる空気。重い訳でも軽い訳でもないが、互いにとってどこかぎこちない。
注文の品が来てもその空気は変わらない。瞬は肺の空気が無くなるほど深い溜息をつき、吸気と同時に麺をずぞぞっと啜った。それが原因で噎せるのを予測できてはいたが、避けることは出来なかった。
「お、おい、瞬?大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫……たぶん」
心配そうに顔をのぞき込む巴と、喉元を抑えながら冷水を手に取る瞬。今度は噎せないようにゆっくりと水を口にする。全て飲みほし、息をついた瞬が顔を上げると、巴と視線が交わった。一呼吸置き、二人は理由もなく笑いだした。こじつけるとするならば、相手の顔が面白かったから。
店を出る頃にはぎこちない空気は忘れ去られ、離れていた距離が近づいていた。二人はその足で再度駅の方へ歩いていく。日が落ちて暗くなったが、街灯や車のランプが照らしている。
駅前広場につくと、二人以外にも寒さに耐える多くの人がいた。程なくして近くに設置してある大時計が鳴り響く。同時に、目の前の道の両脇に植えられている木々が一斉にライトアップされて行く。
「やっぱすっごい綺麗だな!」
「寒くても来たかいがある」
大掛かりなページェントの中を歩く瞬と巴。照らされているからか、心も会話も明るく弾んでいく。ふとした時、互いの手が触れ合った。一瞬の出来事だったが、反射的に手を引っこめる。いつもなら何も起こらないが、今日は違った。
「手、繋ぐ?」
「あ、あぁ、繋ぐ……か」
差し出された手を握る巴。瞬は優しく握り返し、自分のコートのポケットに入れた。冷えていた手が指の先からじんわりと温まっていく。
手を繋いだまま道を歩いていく。寒さのせいか緊張のせいか、二人とも耳の先まま紅く染まり、熱を帯びる。そんなとき、一瞬だけ耳が冷たくなった。何かと少し上を見ると、暗い空からゆっくりと白い粒が落ちてきた。
「雪か」
「雪だな」
ほぼ同時にボソっと呟く。それから雪の勢いが強くなるのに時間はかからなかった。久しぶりのホワイトクリスマス。ライトアップされた木々に重なる雪があまりにも綺麗で、二人は少しの間見とれていた。
「なぁ巴、来年も二人でこようぜ」
「来年も、再来年も。一緒に来ようぜ」
雪に降られながら笑いあう二人。周囲には人影がなく、邪魔する物は何もない。そこにあったのは胸焼けするほどに甘ったるい空気と幸せそうな二人の影だけだった。