「降谷くんは死なないでね」


 それが先輩の口癖だった。








 最近チェンソーマンに情緒を殺されかけています。
 
※コナンとチェンソーのクロスオーバーですがチェンソーキャラは出てきません。


 

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 占ツクに投稿しているものを色々編集を加えて投稿しました。同一人物です。

 チェンソーマン八巻までしか読んでないんですが、早パイと姫パイが好きすぎて書きました。最低限一部は読破するつもりなので許してください。

 コナンもチェンソーも大好きです。




Easy Revenge!

 

 

 

 

 

 

 フゥー、と息を吐いて、蓮見は揺蕩う煙を見つめた。そして、空気に溶けてゆく紫煙の先に何を見たか、おもむろに呟く。

 

 

「楽に生きたい……」

 

「不毛な話ですね」

 

 

 蓮見の方をチラリとも見ないで、降谷は間髪入れずに返した。"今"、仕事を辞められるはずがないということは、蓮見も重々承知しているはずだった。

 

 彼らがいるのは、安い割には美味いと一部で評判のラーメン屋だった。しかし店の小汚さ故か、それとも照明の仄暗さが直らぬためか、その客足はそこそこ、といったところだが、その実は、ここの店主が元公安職員であることが関係している。

 

 ラーメンを食べ終え紫煙を燻らす蓮見は、頬杖をつき、素っ気ない後輩に対して両目を細めた。そして、おおきなため息をつく。

 

 

「ね、降谷くん。一緒に公安(かいしゃ)辞めない?」

 

「寝言は寝て言え」

 

「このカタブツめ」

 

「要らないなら杏仁豆腐もらうぞ」

 

 

 冗談の一つも通じない後輩が、二個目の杏仁豆腐を口にしようとするのを、蓮見は片手を伸ばして止めた。

 

「ん」

 

 その手には、いつも蓮見が好んで吸う銘柄の、一本のタバコ。

 

「あげる」

 

「……骨が腐るから吸わない」

 

「このカタブツめ。そんなお堅い頭してると、いつか殺されちゃうぞー」

 

「その前に先輩が肺がんで死にます」

 

「それもそうね」

 

 

 深く、蓮見は頷く。

 呆れた降谷は杏仁豆腐を口に運ぶ。

 

 そして吸い終わったタバコを灰皿に捨てた蓮見が、いつものように言う。

 

 

「降谷くんは死なないでね」

 

 

 降谷もいつものように返す。

 

 

「僕は簡単には死なない」

 

 

 蓮見は笑う。

 

 

「うん、そうしてね。———同僚が死ぬのは、面倒だからさ」

 

 

 共に死線を乗り越えもう三年。

 死ぬなと言った蓮見の意図を、降谷は未だに知らずにいる。

 

 

 

 

 蓮見は降谷にとって、仕事における先輩でありながら、高校の時の先輩でもあった。人付き合いの上手い降谷の幼馴染みは、何故か一年でありながら先輩とも交流があった。蓮見はそのうちの一人だった。

 

 普段の言動は適当なことばかりなのに、やることなすことどれも平均かそれ以上。部活にも入っていない帰宅部で、確実に自分の能力を持て余している人種だと思ったのを覚えている。

 

 それに、ほんの少しの共感を覚えたこともある。やることなすこと適当なのに、意外に倫理観も正義感も、常識的な感覚もがしっかりしているものだから、損をしているなと思ったこともある。

 だから、こんなことを言ってみたことがある。

 

 

『先輩、将来の夢とかあるのか』

 

『おう、急にどうした?降谷少年』

 

『その呼び方はやめてくれ』

 

『将来ねー……特に何も考えてないなぁ。高給取りになれそうだから、工学部にいこうかなーってくらい』

 

『……先輩、警察官向いてると思ったんだけど』

 

『は?警察?なんで?』

 

『意外に社会正義あるし、倫理観とかしっかりしてるだろ。それに、アンタみたいに自分の能力を持て余してる奴は、バカなことする前に国に首輪つけられてた方がいい』

 

『はぁ?私が犯罪者になるんじゃないかって?ひっど、んなわけないだろー!?』

 

『違う!僕はただ、心配して……』

 

『なんだぁ、可愛いじゃんコノヤロー!』

 

『おいっ、止めろ!髪の毛ぐしゃぐしゃになるだろ!』

 

 

 

 

 

 

『向いてるかなぁ、警察。マジで向いてると思う?』

 

『絶対向いてる』

 

『真面目に本当?私ぜったい警察とかなれないと思ってたんだけど』

 

『じゃあ止めればいい』

 

『なんだそれ』

 

 

 

『警察かぁ。………警察官ね……』

 

 まさか本当になって(・・・)いるとは思っていなかったわけなのだが。

 

 

 

 

 

 大学受験を乗り越え、高校を卒業、大学に入学し、そして大学を卒業。その後、無事に警察学校に入校、卒業。

 

 生涯の仲間を得て、酸いも甘いも———大体酸いの方を経験して、そして、配属となった公安だった。

 

 そこで降谷と蓮見は再会を果たした。

 

 

 君の先輩に当たる奴を紹介するよ、そう言われて連れて行かれた第四会議室。その時の衝撃を、降谷は未だに覚えている。

 

 

「君より二年先輩だ。蓮見、お前の新しい後輩」

 

 

 瞬時に降谷の脳裏に、かつての記憶が走った。

 

 けれど、そこにいたのは、かつての蓮見のようで蓮見ではなかった。

 正しく言えば、それは確かに蓮見だった。けれど降谷には、全く違って見えた、というのが正しい。

 

 

「久しぶりね、降谷くん」

 

 

 なんだ、知り合いだったのか。連れてきてくれた先輩が、驚いた調子でそう言ったのが聞こえた。

 

 動かない表情筋。頭や右目に巻かれた包帯。包帯に巻かれた左腕が、肩から吊り下げられていた。

 一方で、かつてと変わらない濡羽の黒髪と色素の薄い虹彩が、ほんの僅かの懐旧の思いを降谷に届けた。

 

 

「降谷、零です。…よろしくお願いします」

 

 

 そうして頭を下げた降谷を、淀んだ瞳で吟味するように彼女はじっと見つめた。

 

 

「……君は使えるのかな」

 

 

 おもむろに蓮見はそう言った。

 社会人として、目下と接する機会が増えたせいか、彼女の声色や言葉遣いは、かなり変わっているように降谷には感じられた。少なくともかつてのおちゃらけた口調は、その時なりを潜めていた。

 

 降谷は返答に窮し、一度口を開きかけて———また閉じた。

 果たして。

 その質問の真意を計りかねたのだった。

 

 

「まぁ、使えるんでしょうね。ここにいるんだから……。実際、あの頃だって優秀だったしね……」

 

 

 それは独り言のようで、降谷の返答を聞こうという気が初めからなかったようにも思えた。蓮見は続けた。

 

 

「……私の仲間、死んでくの。君で六人目。私の後輩と、それから先輩。……雑魚だから死んだ。使えない雑魚だから、全員死んだ」

 

 

 おい、と蓮見を咎める声が、降谷の隣から聞こえた。

 

 

「降谷くんは死なないでね」

 

 

 その時の静謐な声色が、やけに印象に残っている。

 

 

 

 

 

 

 蓮見は降谷にとって、優秀な先輩だった。降谷の組織への接触と潜入は、蓮見の手引きと裏工作によって、拍子抜けするほど上手くいった。そもそも蓮見は例の組織に降谷の潜入前から探りを入れていて、既に潜入している捜査官の一人だった。降谷が拝命した潜入捜査の足掛かりとして、彼を後輩にすることとなっていたのだった。

 

 もちろん死ぬかと思ったことがないなんてことはない。ただ、当時の自分が死線に立ちながら安易に死ぬことがなかったのは、確実に蓮見の手引きがあったからだと、後に降谷は思う。

 

 

「はじめまして……バーボン、これが僕のコードネームです」

 

「……どうぞよろしく。私はミード」

 

 

 ようやくネームドになって、ひとまず教育係だと紹介された幹部は、まさかの蓮見だった。

 タバコを蒸し、酒を煽り、ナイフを片手にクルクルと弄ぶ。いかにも。それもいかにも(・・・・)が過ぎる風貌に一目で知己だとわからなかったのは、さもありなん、といったところだ。

 

 

「私、組織では面食いで通してるから」

 

 

 こうも上手くバディを組むことになるのか、と思案する降谷に蓮見はそう言った。

 組織の中では無類のイケメン・美人好き。そうした代名詞を立て、立場を確立し、人脈を広げたのだとかナントカカントカ。蓮見は一見杜撰で、しかし決して人の機微に鈍感な人間ではなかった。

 その手腕は、あのジンがミードを何故か気に入っていたことからもよく分かる。

 

 

「あのイカれた女がネズミだと思うか?」

 

 

 それがジンの言い分だった。

 

 イカれている。

 

 そうだ。確かに彼女はイカれていた。

 

 組織から二人へ初めてあてがわれた任務は、要らなくなった末端の構成員の処分。いわゆる殺しの任務だった。

 港の廃倉庫に呼び出された三人のターゲット。

 そのうち二人が、遅れてやってきたバーボンとミードを振り向いた瞬間、ミードは少しのためらいもなく、二人の額を打ち抜いた。後ろから奇襲してきた一人にも、振り返ることすらなく、額に一発の銃弾を喰らわせた。反撃の音も追撃の音も、その場に再び響くことはなかった。

 

 バーボンは何もしなかった。正しく言えば、する暇を与えられなかった。

 

 抗議の声を上げようとしたバーボンの口は、ミードの言葉で封じられた。

 

 

「ほら、心配いらない。ちゃんとできてるよ」

 

 

 彼女のセリフは、いつのまにか右手に握られたスマートフォンに向かっていた。

 

 後から蓮見が話すことには、この時の任務はバーボンがノックではないことを証明させるためのものであったらしい。

 ミードには前日から盗聴器が付けられていて、下手な事は言えなかったのだと言う。夕暮れの街にRX-7を走らせながら、降谷は隣の蓮見の話に耳を傾けていた。

 

 しかし、ただそれだけで降谷は納得できなかった。

 

 

「でも……なら僕がやっていれば」

 

「ばーか、何言ってんの。マトモなやつに任せられるかっての」

 

 

 マトモなヤツ。

 任務先の処分対象はできる限り公安で保護しようとし、殺しを躊躇い、法に背き犯罪に手を染めることに心を痛める。

 それを、マトモだと彼女は言った。

 

 

「マトモじゃなければ良いって言うんですか」

 

「まぁ、そうね」

 

 

 曖昧に返事をして、でも、と蓮見は言った。

 

 

「君にはムリだよ」

 

「どうして」

 

「君がマトモだからだよ」

 

 

 堂々巡りじゃないかと降谷は思った。

 そんな降谷に抗議の口を開かせずに蓮見は続けた。

 

 

「イカれた皮も被れなさそう」

 

 

 蓮見が何を言いたいのか、降谷には分からなかった。その混乱を、蓮見はきっと理解していた。

 だというのに、降谷の混乱には目もくれず、彼女は話し出した。

 

 

「……二年くらい前のことかな……。はじめて組織で殺しの任務を斡旋されたの」

 

 

「末端の構成員が裏切ったから、殺せと。…私は真面目じゃないからね、君と違って。だから、犯罪を犯したヤツらが自らの命惜しさに逃げ出したなら、組織に処分されても自業自得だと思って、特に情も湧かなかった。上に報告したけど保護の指示も出なかったし、仕事だから仕方がないとも思ったし……」

 

 

 この時の蓮見は、その時の降谷が見てきた中で、いつになく饒舌だった。

 

 

「でも、後から知ったんだけど……その構成員、どうやら親が組織の一員で、そのせいで組織に関わる羽目になったみたい。言動から、いつかは裏切るかもって、元々目ぇつけられてたんだと」

 

 

 フゥー……と蓮見は、車のサイドウィンドの外にタバコの煙を吐き出した。

 

 

「私はね、その時はじめて可哀想だなって思ったよ。保護してあげればよかったかもしれないとも思ったし、その日の晩は眠れなかった。その次から……ターゲットのバックボーンに、私の知らない何かがあるって知ったら、殺すのを躊躇うようになった」

 

 

 まぁ、それがマトモなんだろうけどね。

 蓮見は言った。

 

 

「変わったのはターゲットじゃない。変わったのは、私の脳みそ」

 

 

 降谷は段々、蓮見が何を言いたいのかわかってきた。

 

 

「この世界でハッピーに生きていくコツは、無知でバカのまま生きることだよ」

 

 

 君にはできないでしょう———そう言われているようだと、降谷は思った。

 

 

「君にはできないでしょう」

 

 

 言われた。

 

 

「何も知らなくて良い。何も考える必要なんかない。———私達が殺しの任務を斡旋されたのは、残酷非道の犯罪に自ら手を染めた極悪人。自分の命惜しさに組織から逃げ出した、情状酌量の余地なき犯罪者。殺すことでしか救うことのできない人」

 

 

「そう理解すれば殺せる。……バカになるの」

 

 

「君にはできないでしょう」

 

 

 赤信号で、車が止まった。

 降谷は何も言わなかった。

 

 

「……降谷君は、マトモなままでいてね。…先輩からのアドバイス」

 

 

 そう言った蓮見は、車を降りて夜の帳に消えていった。

 返り血を洗い流したシャボンの香りだけが、隣の助手席に残っていた。

 

 

『あのイカれた女がネズミだと思うか?』

 

 

 思い返されるジンの言葉を否定するように、脳内に繰り返される姿がある。

 

 

 

 

 ———『降谷くんは死なないでね』

 

 

 

 

 あの時の蓮見の、静謐な声が蘇る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、どうしたら降谷くん、辞めさせられるかな」

 

 

 沈黙が降りた個室の隣から、微かに聞き覚えのある声が聞こえてきた。諸伏はハッとして、口をつけようとしていたビールのグラスを、ゆっくりと、テーブルに戻した。

 

 

 

 

 暑苦しさが遠のいた秋の土曜日。久々に定時で仕事を終えた降谷は、一応潜入捜査中の身分、諸伏に誘われ、個室のある居酒屋に来ていた。

 

 

「そういえばこういうの、久しぶりだな」

 

「中々予定合わないよな。にしても、よく今日は二人とも定時で上がれたな」

 

「僕はもう少し仕事していくつもりだったさ。ヒロから誘われなければな」

 

「だろうって言ってたよ」

 

「言ってたって、誰が」

 

「蓮見先輩。あのクソ真面目に、休める時には休むことを教えてやって、ってさ」

 

「……体調管理は基本だろ。しっかりやってる。あの人は僕を舐めすぎなんだ」

 

「舐めてるんじゃなくて心配してるんだろ」

 

 

 実際俺から誘わなかったら、お前はまだ仕事してただろ———そう付け加えられて、降谷は言葉に詰まった。

 

 えーと、とりあえず生二つ、あと枝豆と、それからぼんじりと皮とつくね。

 

 店員が持ってきたグラスを一口。一息つくと、仕事の疲れが栓を抜いたバスタブの水のように、ため息とともに流れてゆく気がした。

 

 そういえば、と諸伏は話しだす。

 

 

「蓮見先輩が定時で上がってるのも珍しいな」

 

「まぁ、時々あるな。なんでも大事な用事があるらしい。あの人が定時で上がるってんだから、相当大事なんだろうな」

 

 

 そもそも降谷をクソ真面目だなんだと言う前に、蓮見がまず仕事人間だった。

 

 仕事は早く且つ正確、つまりはいわゆるできる女(・・・・)で、上司からの信頼は厚いが、限界をまるで知らないような体で、先の見えない限界値ギリギリまで仕事を詰める。

 潜入捜査中なこともあり、不規則な生活をしている蓮見は、登庁頻度も低い。だからだろうが、庁舎に来ればまず自らのデスクに鎮座。昼夜を分かたず延々と書類を捌く必殺☆仕事人と化すのである。

 

 そりゃクソ真面目が感染るわけだ、とは諸伏の言だ。

 

 無論降谷も諸伏も、四六時中蓮見と行動をともにしているわけではない。だからこそというか、仕事を素直に切り上げた蓮見の用事がなんであるのかは彼らにとって、そこそこ気になっていた。

 

 そして———ふと、降谷は思い出した。

 

 やめろと言ってもやめないのだが、蓮見は時折労いなのか何なのか、降谷の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜるように撫でる時がある。

 確か妹と弟がいるとか言っていた。その感覚なのだろう。遠慮はないくせに、その手付きは妙に優しくて、結局本気で嫌がることもできない降谷はパシリと軽く手を払うくらいの抵抗はするものの、されるがままになっている。

 

 その時の違和感。

 そして帰り際、去ってゆく蓮見の後ろ姿。

 

 ………そういえば。

 

 

 「そういえばあの人、左手の薬指に指輪を付けてた気がする」

 

 

 降谷の言葉を聞いて、諸伏は目を丸くした。

 

 

「え……本当か?」

 

 

 一瞬の沈黙。

 沈黙ゆえ、だった。

 

 

 ———ねぇ、どうしたら降谷くん、辞めさせられるかな。

 

 

 奇しくもその声は、静まり返った個室に、居酒屋の静かな喧騒の中でもかろうじて聞き取れてしまった。

 

 あまりに聞き慣れた声。たった今、思い出されていたその人のものだと、彼らは瞬時に判断し———そして、目を丸くした。

 

 

「……大事な用事、だったよな?」

 

「………」

 

 

 震える諸伏の声に、降谷は答えなかった。

 

 ———どうしたら、自分を、辞めさせられるか。

 

 蓮見の言葉の意味を、理解できなかったからだ。

 

 潜入捜査の真っ只中。仕事をやめられるはずがなく、そんな話はすることすら不毛、論外。本当に辞職しようものなら、裏切りとみなされ国から追われる身となり、処分されたっておかしくないのだ。

 

 将来安泰そうだからという理由だけで工学部受験を視野に入れていた女だ。蓮見が夢見る理想家ではないことは明らか。だというのにそんな彼女が、実現不可能なことを言っていることが———何よりどんな時だって頼もしかった、凛々しい声色が、すっかりなりを潜めていることが———降谷には信じがたかった。

 

 言っていることはまるで蓮見のようには思えず、けれどもその声は、確かに蓮見だった。

 

 初めに聞こえた言葉の衝撃に混乱し、口を開けない降谷を置いてきぼりにして、隣の会話は進む。

 

 

「もう嫌なの———嫌だ」

 

やだ

やだ

いやだ

 

「絶対に、死なないでほしい……」

 

 

 

『私の仲間、死んでくの』

『降谷くんは死なないでね』

 

 

 不意に一年前の記憶が、降谷の脳裏をよぎる。

 隣から聞こえる声色は、その時の蓮見の声とよく似ている。

 

 

「……あいつは賢い。そう簡単には死なないだろ」

 

 

 男の声だ。聞き覚えのある———二年前、降谷と蓮見を引き合わせた、先輩の声だ。

 何の折りだったか、半年ほど前に降谷は、彼女と彼が、警察学校からの旧知の仲であることを知った。

 

 

「………死んじゃうよ……」

 

 

 どこまでも、弱々しい声だった。

 その声が、二年前の蓮見の、包帯に塗れた姿を鮮明に甦らせる。

 

 勝手に人を死ぬと決めつけるなと文句を言いたかったが、その時の降谷はそれ以上に———絶対に死なないから大丈夫だと、蓮見の肩を掴んで、慰めてやりたい気持ちだった。

 

 

「なんで」

 

 

 男の問う声がする。

 

 

「だって———」

 

 

 今にも涙声に変わりそうな———切実な声だと思った。

 

 

「だって、降谷くんはかっこよくて、真面目で、優しくて………」

 

 

「———みんなと同じ、普通の人だから」

 

 

 

 

 

「お前、酔いすぎ」と男の声がして、隣の会話は途切れた。ガサガサと音がする。しばらくしてカラカラと隣の扉が開く音。会計を済ませて、帰ることになったらしい。

 

 蓮見と降谷は二年も共に仕事をこなしてきた。あまり表に出ることのできない身分ゆえ、酒を飲むと慣れば大体は宅飲みだったが、宅飲みができるほどには気の置けない仲だった。

 けれど、降谷は、酒に酔った蓮見の弱音というものを、聞いたことがない。

 

 降谷より先に思考の海から這って出たのは、諸伏だった。

 

 

「前に先輩から聞いたんだけどさ、蓮見先輩……婚約した恋人を亡くしてるんだって」

 

「婚約?」

 

 

 降谷の脳裏をよぎる———蓮見の薬指で控えめに存在を主張していた、シルバーの指輪。

 

 

「ああ、銃の密輸してる集団の検挙で、頭部を被弾したとか言ってたな———ちょうど、今から二年前のことらしい」

 

 

 

『降谷くんは死なないでね』

 

 

 婚約者を亡くして、次に出会った旧知の後輩。

 あの時、蓮見が何を思ったのか。

 

 あの時の蓮見は確か。

 確か。

 

 驚いた顔は、していなかった、おそらく。

 悲しみに暮れた表情でもない。

 ……復讐に燃える、憎悪を募らせた感情なんて、もっての外。

 

 

『降谷くんは、死なないでね』

 

 

 あの時の蓮見は。

 

 

『……降谷くんは死なないでね』

 

 

 あの時は。

 

 どんな表情をしていたんだったか。

 

 

 

 

 

 

 ———降谷くんは、死なないでね。

 

 

 

 その言葉を言う時、決まって蓮見の眼は、降谷の方を向いていない。

 

 

 

 

 後日、諸伏の情報によると、あの日の大事な用事とは、蓮見の亡くなった婚約者の命日の墓参りであったらしい。

 先輩と蓮見が一緒に居酒屋にいたのは、同期の墓参りをした後、久しぶりに飯でもどうだ的なアレであったという。

 

 

 ———思いがけず、蓮見の本音を聞いて以来、蓮見と降谷の何が変わったこともない。

 そもそもあの話を聞いてしまったことを知っているのは諸伏と降谷の二人だけだ。実はあの話を聞いてしまって、なんて切り出す理由もない。

 

 ただ少し変わったことと言えば———彼女の幸せを、願うようになってしまったことだった。

 神のいないこの世界で、世界の理不尽に振り回され、摩耗された蓮見が———どうかいつか、幸せになってくれたら。

 

 

 無論降谷は神など信じてはいない。自分の目で見たものでなければ信用しないし、神に祈る人を見れば、祈る前に自分から行動しろ、と行ってしまうような現実主義者(リアリスト)である。

 

 それでも、心を摩耗して国に身を捧げる蓮見の幸せを祈ることが罰当たりなことだとは、降谷にしても到底思えなかった。

 

 

 これ以上、彼女が悲しまなくて済むように、自分は絶対に死なない。

 その決意だけは新たになった。

 

 幸せが何になりえるのかは、本人でなければわからない。ただ自分が死ねば、思い上がりでもなんでもなく蓮見を悲しませ、また死んだ仲間のリスト入りを果たし、彼女の心を悲しみに浸す一滴となってしまうことだけは明らかだった。

 

 

 どうにか今すぐには無理でも、誰かと幸せになってくれと、降谷は願った。

 

 悲しみで目を濡らすことのできなくなった蓮見に、幸せで目を濡らすことができることを教えてやってほしい、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後輩が死んだ。

 

 別の組織に潜入捜査を行なっていたやつだった。

 遺体は公安の方で荼毘に付したが、立場上の理由から、彼の墓を作ることはまだできないらしい。

 

 

『降谷さん!』

 

 

 そう呼んでくれた彼の声が、まだ降谷の頭に残っている。

 

 

『ふ———さ——!』

 

 

 記憶はいつか消えゆくことをわかりながら、それがやるせなくてたまらない。

 

 

 

 

 

 

「降谷くんは優しいねぇ……」

 

「なんだ急に」

 

 

 その日は、やっと亡くなった後輩に関する後処理やらなんやらがひと段落して、蓮見と降谷は宅飲みをしていた。

 夜の帳が降りた街を窓の外に見て、アルコールで頬を赤らめてユルユルにした蓮見が、頬杖をつき降谷に言った。

 

 

「降谷くんは優しいよ」

 

「だから何だよ……」

 

「後輩が死んで悲しいですって顔に書いてあるもんね」

 

「さては酔ってるな」

 

「わたしは涙腺粉々に粉砕されてるから涙も何にもでてこねぇや……」

 

「それ割と笑えない冗談なんだが」

 

「ふは」

 

 

 ぐい、とビールを煽る。

 

 

「泣ける時に泣いとかないと涙が出なくなるぜベイベー」

 

「先輩がお手本ですか」

 

「反面教師だよ」

 

「自分で言うなよ」

 

「降谷くんは優しいからねぇ……」

 

「もう飲むのやめろ」

 

「悲しいときには泣いとけよ!見ないフリしてあげるからね!」

 

「ちょっ……!」

 

 

 蓮見は遠慮なしに降谷の頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。そして降谷に腕を叩かれたタイミングで「タバコ吸ってくる……」とベランダの窓をカラカラと開き外に出ていった。

 

 蓮見がタバコの煙を蒸し始めたのを視認して、降谷はソファに突っ伏した。

 

 

 ———気づかれていた。

 

 仲間が死ぬたびに、隠れて泣いていたことを。

 

 隠れて泣いていた。それは、蓮見が人の悲しみに寄り添えない人間だと思っていたとか、決してそんなことではなくて。

 彼女が、人の痛みがわかる人間だから。

 だからこそ簡単に弱音を吐くことは憚られた。気を遣わせてしまうことが、わかりきっていたからだった。

 

 

 気を遣われることが、嫌だったわけじゃない。ただ、今まで何かを奪われてきた蓮見から、これ以上何かをもらってしまうことが申し訳なかったのだ。

 

 頭を撫でた手のひらは、やはり優しかった。

 

 

「最悪だ……」

 

 

 目頭が熱くなって、降谷は腕で目を隠した。

 鼻を啜った降谷の方を、蓮見は決して見なかった。

 

 

 

 

 降谷の嗚咽が収まった頃に、蓮見はベランダから「寒〜」と体を震わせて帰ってきた。

 

 

「あったか〜い…上着羽織れば良かった……」

 

「風邪ひいても知りませんよ」

 

「そこはお世話になった先輩のために看病しにきてよ」

 

「お世話になった……?」

 

「ちょっと待って何でハテナマークつくの?」

 

 

 そう軽口を叩き合けば、降谷は笑った。いくら国に身を捧げると豪語したにせよ、こんな生温い湯船に浸かっているような時間がいつまでも続けばいいのに、と思ったことがないわけではなかった。

 

 気づいた時には、降谷はこう切り出していた。

 

 

「先輩、タバコ一本くれませんか」

 

「へ?」

 

 

 突然の申し出に蓮見は目を丸くした。色素の薄いブラウンの目が、ぱちぱちと瞬かれた。

 

 

「えっ、え?ど、どうしたの?降谷くんがタバコ吸うとか明日爆弾でも降ってくるんじゃないの!?」

 

「さすがに日本のヨハネスブルクとは言え爆弾が降ってきたら戦争が始まりそうですけど」

 

「いやマジで!骨腐るよ!?」

 

「いつも勧めてくるくせに何言ってんだ……っていうか、特大ブーメランだろソレ」

 

「せ、戦争……?戦争始まっちゃう?これが最後の晩餐?ぶどう酒飲むか……?」

 

「吸ってほしくないって言うなら吸いませんけど」

 

「ぜひ吸ってみて!!」

 

 

「マジか……降谷くんがついに……」と感慨深そうに呟いた蓮見は、戸惑いつつも何やらやたらうれしそうな様子で、タバコの箱に手をやって。

 

 

「あ」

 

「どうかしました?」

 

「あー申し訳ないんだけど降谷くん」

 

「だから何ですか」

 

「これ、最後の一本でさぁ……ライが吸ってるタバコと同じ銘柄なんだけど、吸う?」

 

「は?」

 

 

 思ったよりも低い声が出た降谷は、苦笑いでタバコを差し出した蓮見の手に目を向けた。……確かにその手には、組織でライが吸っているタバコと同じ箱が握られている。

 

 例の組織で有名な話がある。

 

 ライとバーボンは犬猿の仲、油と水、犬と猫———つまりはキノコ派とタケノコ派の争いレベルで反りが合わないらしい。

 蓮見はそんな降谷に真偽のほどを確かめたのだが、どうやら真実であるらしい。基本的に温厚かつ冷静なバーボンの地雷を踏み抜き感情を露わにさせるとはいったいどんな人間なのか。そう思いつつ蓮見(ミード)はライに会ったのだが、これはなるほど、会って数分会話を交わせばそれはわかってしまった。

 

 まぁ、これはファーストコンタクトがあれそれではなく、単にというか面倒なことにというか、根本的な気質や性格の相性が悪すぎるからなのだろうということだ。天地が手を取り合って踊り始めてもまさかこの二人の仲が改善されることはないのだろうという真理をライと対面直後五分で蓮見は悟ったのである。悟っちゃったのである。

 

 そんな降谷に、ヤツと同じタバコが吸えるか———いや吸えるわけあるまい。

 

 蓮見の判断は早かった。

 

 

「すい、ません。それは無理です」

 

「だろうねぇ」

 

 

 気まずそうにしながらも眉間に深く皺を刻んだ降谷を見て、蓮見はクスクスと笑いタバコをしまった。

 

 

「でもどうしたの〜?初めてじゃない?降谷くんがタバコ吸うなんて言ったの!私がいくら勧めても吸わなかったのにさ!あ、もしかして恋!?ラブの予感!?」

 

「違いますよ」

 

「えーなんだ残念」

 

「残念って……」

 

 

 降谷は缶ビールの残りをぐい、と飲み干した。

 

 

「いつ死ぬか分からないんだから……一回くらい吸ってみてもいいかと思っただけだ」

 

 

 降谷の言葉を聞いて、蓮見は目をパチリと瞬いた。

 

 

「……それは降谷くんが?わたしが?」

 

「どっちもです。でも……」

 

 

 ただ、吸ってみたいと思ったのは。

 

 

「匂いは、最後まで忘れないって言うだろ」

 

 

 だから

 

 

「ライと同じじゃダメなんだ」

 

 

 

 

 

 

 ———しん、と沈黙が降りた。

 

 あれ。

 

 降谷は気づいた。

 結構、恥ずかしいことを言ってしまった気がする。

 

 そろそろと目の前に視線を向けると———蓮見がニヤニヤと、笑っている。

 降谷は知っている。これは……自分をからかおうとしている時の顔だ。

 弁明しようとした時にはもう遅かった。

 

 

「そっかそっか〜!寂しくなっちゃんたんだ!この寂しんぼめ!可愛いなぁもう!」

 

「い、いや、だから拡大解釈するな!!」

 

 

 わしゃわしゃと遠慮なんてまるでなく頭を撫で回す蓮見の手を、軽く叩こうとしてできなくて、降谷は恨みがましく蓮見に目むけて———抵抗をやめてしまった。

 

 蓮見がとても、幸せそうな顔をしていたから。

 

 

「じゃあ、タバコは一本、私が預かっておこ」

 

「預かる?」

 

「うん」

 

 

 蓮見は目を細めて、降谷を見た。

 

 

「君が何かに寄りかかりたくなったら、返してあげる」

 

 

 自惚れでなくそれは、大切なものを見る目をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———だから、降谷くんは死なないでね」

 

 

 

 

 

 

 

 その日はちょうど、翌日に台風の到来を待っていて———台風が近づく米花の空は、ぶ厚い雲に覆われ、あたり一帯をほの暗くしていた。そんな空の下を、RX-7はひどく荒い運転で爆走していた。

 

 降谷の心臓は落ち着くということを知らない。

 

 それは、先程ジンからかかってきた一本の電話が原因だった。

 

 

 ———ミードはノックだった。

 

 

 聞いた瞬間、心臓が痛くなるほど、大きく鼓動した気がした。

 

 ノックだとバレた心当たりは———ないわけではない。……というか、むしろほぼ確信に至っているものが一つだけある。

 

 数日前、組織周りの情報収集をしていた公安の捜査官が、組織に見つかって殺された。

 

 その時、不幸なことに、公安の潜入捜査官三人は、全員が海外任務に派遣されていた。組織の内情に一番通じた者が現場に赴けない状況で、囚われた捜査官を助けることは、できなかった。

 拷問を受けたのは間違いない。組織で噂が広まっている。基本的に公安の潜入捜査官は、拷問の対処法も学ぶが、理論がいきなり実践に活きるかといえば、それは各々のメンタルに左右される場合がほとんどだった。

 

 

 情報漏洩、内通者の可能性がゼロであるわけではない。だか、原因は今はどうでもいい。

 

 ———ただ、蓮見が死線に立たされている。

 

 

 重要なのは、その事実だけだった。

 

 

 

 

 

 ———蓮見の姿は、コンテナが置かれた港にあった。

 

 降谷が彼女を見つけた時には、赤黒い血が白いシャツには大きな染みを作っていた。頭に何かをぶつけられたのか、額から流血していし、太ももにも銃弾が打たれた跡があった。おおよそ組織の構成員に打たれて逃げてきたのだろう。呼吸も荒かった。

 それでも死んでいないという事実は、降谷に一瞬の安堵をもたらした。

 

 

「……とりあえず止血します。じっとしててください。そしたら車で逃げますよ」

 

 

 このままでは出血過多で死ぬ可能性があった上、 蓮見は歩くことすらままならないようだった。だから降谷はリスクを背負ってでも、この場で止血をすることを選んだ。

 

 蓮見の目は虚ろだった。降谷はそれが怖かった。何か少しでも触れ方を間違えれば、蓮見が今にも消えてしまうのではないかと思った。

 

 荒い呼吸を繰り返す口が、ゆっくりと言葉を吐き出す。

 

 

「……ふ、るやくん」

 

「どうかしましたか」

 

「ふるやくん」

 

「先輩?」

 

「ふるやくん………」

 

 

 声が震えていた。

 

 

「………降谷くんは、死なないでね……」

 

 

 蓮見は笑って———降谷を抱きしめた。

 

 降谷は固まった。

 その言葉はいつもと同じで、でもこの状況下、まるで———もうすぐ自分は死ぬと、そう言っているみたいじゃないか。

 

 蓮見は降谷を離さない。

 降谷も止血の手を止めない。

 

 止血が終わったあたりで、ぽつり、ぽつり———雨粒がアスファルトの道に黒く滲み始めた。

 

 

「組織の連中に見つかります。早く隠れ———」

 

「ね…降谷くんは、死なないでね……」

 

「……っだから!僕は簡単には死なない!!」

 

 

 降谷は思わず、地面に座り込んだまま動かない蓮見の腕から離れ、彼女の肩を押さえて言った。

 

 自分の焦りがどんどん肥大していっているのが、手にとるようにわかった。

 早くこの場から離れなければ、逃げなければ、そうしないと———わかっているのに、どうにも動けない。

 

 轟々と、風が強く吹き始めた。

 カラスの鳴く声が、どうにもうるさく聞こえる。

 

 

 ———降谷が困窮しきった時、蓮見がおもむろに立ち上がった。

 

 降谷は車の方向へ蓮見を連れて行こうと腕を引いた。しかし———降谷の思惑とは裏腹に、蓮見の足は反対側へ動く。

 

 その足取りは確かに、荒れる海を目指していた。

 

 

「なっ……!先輩!!どこに———!」

 

 

 制止の声を蓮見はまるで聞いていないようだった。

 

 寄せる波の大きな音が聞こえる。

 

 しかしそんな中でもその人の声は、よく澄んでいて———はっきりと降谷の耳に届いた。

 

 蓮見は確かに笑っていた。

 泣いているように見えて、でも彼女は泣いてなんていなくて———笑っていて。

 

 

「……っ…降谷くんは、死なないでね…」

 

「先輩」

 

 

 

 

「…わたしが死んだ時さ……泣いてほしいから……」

 

 

 

 蓮見の体が、海に向かって傾く。

 

 

「せんぱ———」

 

 

 まるで風に体を任せるようにして、蓮見は海に落ちた。

 コンマ数秒後、水面にモノが沈む音がした。

 

 

「……ッ…」

 

 

 ———もう意味がないというのに、降谷は蓮見の立っていた場所に駆け寄った。

 

 下は台風を間近に荒れた海。ここで海に飛び込んでは、ミイラ取りがミイラになることは、明らかだった。

 

 微かに残る冷静な思考が、それはダメだと囁く。

 

 雨音が、バラバラと激しさを増す。大粒な雨粒が、顔に当たって、まるで涙のように降谷の頬を伝わった。

 

 

 ———遠くから、独特の不等長のアイドリング音が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 遺体の捜索は、難航を極めた。

 

 

 

 

 

 

 20XX年□月□日

 

 早朝□時□分、□□□海岸にて

 女性の遺体が打ち上げられているのを

 近隣住人が発見した。

 

 遺体は腹部や頭部、脚部から

 激しく出血していた模様。

 

 損傷が激しかったが、DNA鑑定の結果、

 警視庁公安部所属の警察官のものと判明した。

 

 

 

 

 

 

 

 ————潜入捜査官という立場上、蓮見の葬式が行われることはなかった。

 墓を作るわけにもいかず、彼女の体は霊安室で、静かに眠っている。

 

 

 蓮見の死顔は、驚くほどに穏やかだった。

 生前、死ぬなと言っていた蓮見の顔は、一見穏やかで、しかし何処か固かったことに、降谷は初めて気が付いた。

 

 

 

 蓮見の訃報は、速やかに公安内部に広がった。コミュ力が高くてそれなりに顔が広い人だったから、いくら部署が部署とは言え、少しだけ室内の空気は暗い。それが、蓮見という人間の存在意義を示しているようで———不謹慎ながら少しだけ、降谷はうれしくなった。

 

 

 組織の方では、ミードはバーボンによって始末された、ということになっていた。

 

 

「元々彼女、あなたのバディだったでしょ?案外薄情な男ね」

 

 

 ミードと交友があったベルモットに、そう言われたのは比較的記憶に新しい。

 

 

「裏切り者には、制裁を。……違いますか?」

 

 

 バーボンは、冷徹に、冷静に、そう返した。 

 この潜入捜査を成功させ、組織を壊滅させることこそが蓮見の死を悼むことになると、そう思ったからだった。

 

 

 潜入捜査は終わらない。日常は続き、そうして蓮見の死は、人々の無数の記憶の中に消えてゆく。

 

 

 蓮見が死んでも日常は変わらない。

 

 けれど。

 何かが失われた喪失感が、ぽっかりと空いた穴のように、日常を狂わせている気がする。

 隣から匂わなくなったタバコの匂いだとか。

 女性が少ない職場で聞こえなくなった、澄んだ声色だとか。

 

 日常のふとした瞬間に、もうその人はいないのだと再確認して、ぽっかりと開いた"穴"を自覚する。

 ———その穴が消えてしまったら、彼女が記憶から消えてしまうのではないかと思うと、怖い気もする。

 

 

『降谷くんは、死なないでね』

 

 

 あの耳障りのいい声を、既に思い出すことが難しくなってしまっている。

 

 

『寂しんぼめ!』

 

 

 そう言った蓮見の顔が思い浮かぶ。

 

 

 

 

 

「お〜いたいた。お疲れ」

 

「……あ、お疲れ様です」

 

 

 庁舎の一室、町に夜の帳が下り、時計の短針がてっぺんを回ろうかという頃。久しぶりに登庁した降谷が、仕事を終わらせるためにパソコンに向かい合っているところにやってきたのは、蓮見の同僚の男だった。

 彼は降谷に用があるのか、姿を見ると真っ直ぐにこちらにやってきた。こんな時間にどうしたのかと首を傾げる降谷を見て、彼はクツクツと笑った。

 

 

「こんな時間まで残業してんのか。アイツに似ちまったなぁ」

 

「蓮見先輩に、ですか」

 

「自覚があるようで何よりだ」

 

 

 一見真面目で堅物そうだが、笑うと一気に親近感の湧く男だった。

 

 

「生き急ぐなよ。休める時には休んどけ。アイツは聞かなかったけどな」

 

「蓮見先輩も同じことを言っていました」

 

「特大ブーメランじゃねぇか」

 

 

 彼は呆れ顔になった。どうやらあのセリフはこの人の受け売りであったらしい、と降谷は思う。

 

 

「それで、何かご用でしょうか」

 

「あぁ、そうそう。仕事中に悪い。君に渡さないといけないものがあってさ」

 

 

 彼はそう言うと、ジャケットの内側をゴソゴソと漁り「あったあった」と言って降谷にそれを差し出した。

 降谷はおそるおそる、それを受け取った。

 

 

 

「……タバコ?」

 

「あぁ、蓮見が死ぬ前に……預かってるモンだから、自分がもし死んだら君に渡してほしいって」

 

 

 

 ———あの時のタバコだった。

 

 何も言えずにいる降谷に、彼は苦笑いで続けた。

 

 

「知らんかもしれないけど、アイツさぁ、めちゃくちゃ君のこと大切だったみたいだよ。君のことが心配でたまらないって、よくこぼしてた」

 

 

 知っている。

 

 

「だから、アイツのためにも長生きしてやってな」

 

「……はい」

 

 

 かろうじて、降谷は返事をした。

 目の前の男は満足げに「よしっ」と言って笑う。

 

 

「んじゃ、とりあえず生き急がないように、仕事は早めに切り上げろよ」

 

 

 

 

 

 蓮見の同僚の男の言った通り、早めに仕事を切り上げた降谷が家に着いた時には、時刻はもう既に午前三時を回っていた。

 

 そのまま何をする気にもなれず、降谷はベランダに出て、胸ポケットに入れていた、あのタバコを取り出す。

 

 よくみてみると、そのタバコには、何か文字が書かれていることに気づく。

 

 

 

 

 

 "Easy Revenge!(気楽に復讐を!)"

 

 

 

 

 

 ———『アイツのためにも長生きしてやってな』

 

 

『降谷くんは、死なないでね』

 

 

 帰宅途中で買ったライターを降谷は取り出した。

 タバコを指の間に挟む。

 

 火をつけようとして———タバコを、取り落とす。

 

 目頭が熱くなった。堪えきれない、何か熱いものが、喉の奥から込み上げてくる。

 

 

「…ぐ………うう……」

 

 

 涙は頬を伝って、ベランダの床に滲んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———……るやさん!降谷さん!会議始まるよ!起きて!?」

 

「…………」

 

 

 甲高い子供の声に、仮眠室のベッドにいた降谷は無理やり起こされた。

 目の前のメガネの少年が、げっそりとした顔をしているのをみて、目の下に大きな大きなクマを携えた降谷はニコリと安室スマイルを浮かべる。

 

 

「……やぁコナンくん、おはよう。起こしてくれて助かったよ」  

 

「ホントにね……」

 

「それにしても、もう少し優しく起こしてほしかったな」

 

 

 コナンとて降谷が忙しいのはよくわかっているつもりである。

 

 

「いや、だって降谷さん起きなかったんだよ。もう少しで会議始まるよ」

 

「あぁ、本当だね」

 

 

 会議———というのは、例の黒の組織の壊滅へ向けた会議のことだ。

 国際的犯罪組織の摘発、壊滅へ向けて、世界各国の警察機関や諜報機関が日本へ集結していた。

 目の前の少年も、この捜査に加わった頼もしい人員の一人だった。

 

 組織壊滅という、世界の長年の夢が、今達成されようとしている。

 

 そのために降谷も日夜を分かたず右往左往しており、寝不足が深刻化していた。

 

 

「倉科さんが降谷さんのこと探してたよ。書類が提出されてないとかって」

 

「あー……そうだね。それもあった……教えてくれてありがとう」

 

「いや……」

 

 

 降谷の勤務体制の酷さを感じたのか、若干引き気味になったコナンが、降谷に問いかける。

 

 

「降谷さん、夢でもみたの?」

 

「夢?」

 

「なんか、さっきからずっとぼぅっとしてるよね」

 

 

 コナンの観察眼が光る。

 ぼうっとしてる、そう指摘された降谷は、そうだな、と思い出した。

 

 

「……昔の夢を見ていたよ」

 

「降谷さんの、同期の人達の?」

 

「いいや、違う」

 

 

 コナンは首を傾げる。

 そして、降谷の目が、何かを追懐している色を持っていることに気づく。

 

 

「僕の恩人の夢さ」

 

 

 

「……そっか」

 

「先に行っててくれ、コナンくん。すぐに行くから」

 

「うん、わかった!」

 

 

 トテトテと走っていったコナンを見届けて、降谷は立ち上がった。

 そして、ジャケットの胸ポケットから、一本のタバコを取り出す。

 

 持ち歩きすぎて、汚れてしまったそのタバコの文字は、しかし依然としてハッキリ読むことができる。

 

 

『降谷くんは、死なないでね』

 

 

 彼女の笑った最期が、思い出される。

 

 

「死にませんよ———組織を壊滅させるまでは」

 

 

 降谷は歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 


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