いや本当にお待たせしました。1回プロットが全ボツになったりフリーレンの二次創作書いたりしてました。
そんなわけでぽいずん♡視点のエピローグ、お楽しみください。
パタパタと、キーボードを叩く音がする。
でもその音はすぐに遅くなって……数秒経つ内に、止まる。
しばらく無音が続いて、奮起したように再びパタパタと音が鳴り始めて、そうしてまた止まる。
「……ふぅ」
もう3時間近く、ずっとこれをループしてる。
埋めるべき枠は、たったの2500文字。そう大した文字数じゃない。
それなのに、いつまで経ってもそれが完成しなかった。
書いて書いて書いて、でもこんなクソ記事じゃダメだと思って……。
でも、結局求められてるのは下世話な話題性とわかりやすい魅力。
伝わりにくいテクニックやメンバーの前向きさなんて語っても、誰からも見向きもされない。
だから、それは端っこの方に追いやって、つまんない話題ばっかり書いて。
また、駄目だって思って消して。
それを、何度も繰り返した。
「……はぁ」
手を止めて、だらんと垂らして、俯く。
いつからだろう、こんなクソ記事ばっかり書くようになったのは。
学生の頃は違った。
音楽は人の心を変える力があるんだ、もっと多くの人に良い音楽を伝えたい。
そう思って、どっかのバンド雑誌の編集とかになりたいって、そう思ってた。
でもそれは、あたしが思ってたよりずっと狭き門で。
ズルズルと就活に失敗したあたしは、結局、フリーランスの三文ライターになっていた。
この世界には、どうにも救いってモノがない。
あたしみたいな弱小ライターの文が、大衆の目に留まることなんてまずない。
というかそもそも、書いた記事がサイトに載るかどうかすらわからない。提出した後、編集長にボツにされることなんてザラな話だ。
記事を採用されて多くの人に見られるためには、求められるものを書かなきゃいけない。
真っ当で普通なバンドの紹介記事なんかじゃなく、下品な話題性とわかりやすい求心力を持つ記事を書かなきゃいけないんだ。
音楽自体じゃなくて、それを作ってる人たちの、知りたくもない秘密を流布する……。
あたしが本当に書きたいのは、そんなクソ記事じゃない。
みんなにもっと良い音楽を届けるための、真摯な記事。
……でも、それじゃ誰の目にも留まらないことは明らかだ。
フリーランスのライターなんて、この世界には山ほどいる。
その中であたしの記事が見られている理由は結局のところ、そういう音楽関係ないじゃんっていう話題性と、あたし自身のキャラ付けに他ならない。
その内1つでも損なえば、編集長も読者も、問答無用であたしのことを切り捨てるだろう。
横に繋がっている業界の人たちも一斉に、だ。
つまりは、結局のところ……。
あたしは、書きたくないものを書くことを通して、大衆の歪んだ欲求を満たす、奴隷でしかない。
「……あぁ、もう、最悪」
社会人として、最低限、お金を稼いでご飯を食べなきゃいけない。
そのためには、サイトに採用される、そして多くの人が気になる記事を書かなきゃいけない。
慣習的に読まれるようになるためには、読者からの嫌な「信頼」を失う訳にはいかないし、書きたくないモノも書かなきゃいけない。
本音では「すごい」と思ってるバンドのメンバー、その私生活をこき下ろし。
「もっと広まれ」って思ってるバンドの、見たくもない内部事情を白日の下に晒す。
まさしく「こうはなりたくない」って思ってたクソライターそのものだ。
こんなことを続けていても、あたしの夢は絶対に叶わない。
それはわかってる。
わかってるけど……。
結局あたしは、そんな泥沼のような状態から、抜け出せずにいる。
子供の頃は、23歳にもなればバリバリに仕事をこなして、すごい記事をたくさん書いたりしてると思ったのに……。
実際は、年齢詐称してキャラ立てして、無理やりに食いつないでるような状態。
……自分の記事がつまらないのはわかってる。
だって、本音も語ってない。魂も籠ってない。
書きたくもないものを無理やり書いてるんだから当然だ。
結局のところ、あたしの記事を読んでくれる読者が見てるのは、あたしの記事じゃない。
明らかに成人のくせに、14歳だなんて言ってる変人。
そんな偶像を面白がって、ゴシップ気分で楽しんでいるだけだ。
「音楽を聞けっつーの、音楽を。
……ま、キャラ立てなんかしたあたしが悪いんだけど」
結局のところ、自業自得。
編集者になれず、身を立てるだけの技術もなく、それでも依頼を受けるために変な真似して。
頭からつま先まで、全部自業自得だ。
だから、仕方ないんだ。
あたしの
……と。
そう、思っていたんだけど。
「家凸の時間だコラァ!!」
すさまじく澄んだ美しい声から発される、これ以上ないくらいアレな台詞。
その小学生のような体躯から出たとは思えない、部屋のドアの蝶番を破壊し吹っ飛ばす脚力。
夜半に人の家、そして人の部屋に怒号を上げて不法侵入するという、とんでもない奇行。
勿論、それらは後からわかったことで、その時あたしがわかったのは、「知らない誰かがいきなり部屋に怒鳴り込んで来た」ってことくらい。
でも当然ながら、そんなことになれば大いに慌てるし、反射的に逃げようとする。
あたしは「うひゃっ!?」と我ながら可愛い声を上げて椅子から飛び上がり、しりもちを付きながら振り向いて後ずさった。
結果として。
薄暗くしていた室内で、あたしは壁を背にして相手に向かってしりもちをついた状態になり。
先程強引にぶっ壊された、扉があった場所から差し込む廊下の照明を背にして、後光差す1人のロリがあたしを見下ろしている状態となった。
──その日、あたしは、割と嫌めな運命に出会う。
「佐藤愛子(23)オラァ! いつも記事読んでますォ! すき♡♡♡」
……ごめん、割とじゃなくてかなり嫌めな運命だこれ。
* * *
あたしこと佐藤愛子は、自分で言うのもなんだけど、良識のある大人だ。
いやまぁ、10歳近く鯖を読んで高校に潜入したりするのが良識かって言われるとちょっと困っちゃうけど、それはあくまで良識を理解した上で無視してるってだけで。
つまり、何が言いたいかっていうと。
こんな事態が起これば、危機回避のために社会的行動を起こすってこと。
「けっ、警察……!」
反射的にポケットに入れていたスマホを握り、震える指で110番をプッシュ。
大丈夫、通話のボタン押した! これで最悪妨害されても、音声から異常だってわかるはず! 絶対駆けつけてくれる!
……そう思ったあたしは、気付かなかった。
目の前の不審なロリっ子が、不敵な笑みを浮かべてあたしを見ていたことに。
『おかけになった電話は、電波の届かない場所にいるか、電源が入っていないため、かかりません』
「……は?」
なんで?
おかしい、110番、警察にかけたのに。
僻地なわけでもないし、電波が届かないわけがない、警察の電話が電源が落ちてるわけがない。
何? 何で? 何が起こってるの!?
「ふ、ふふふ、ふふふふふ……」
困惑するあたしを見下ろし、ロリっ子が笑う。
その目は凍てつく氷のように冷たく*1、薄い唇はあたしを嘲るように緩く歪む*2。
「ふふ……警察にかけても無駄ですよ。一時的に電波を遮断していますから。
それに、たとえ通話ができたとしても無意味ですよ? ここ30分程度は、何故か彼らがここに来ることはありませんので。
少しばかりお話をしたかったので、手を回させていただきました」
「な……は!?」
い……意味がわからない。
何、どういうこと!? 電波を遮断!? 警察が来ない!?
そ……そんな、まるでフィクションみたいなこと、実際にできるもんなの!?
「ふふふ……えへ、えへへ。やっぱ可愛いなぁ、ぽいずん♡。正直容姿だけだったら前世から一番好みだったんだよね。は? 勿論性格も好きだが? 23、24歳でツインテとハート柄きっつwwwってところがホント良いんだよな性癖にストライクショットォ! このアングラにしか存在し得ない半社不感たまんね~♡ その癖一番真面目でまともで常識人だし、本質的には社会人に向いてたのに不器用な生き方だよホント♡ でも気になるのは首なんだよな、いつも包帯巻いてるけど自殺未遂とかリスカの痕だったりしませんかね、わたしゃそこが心配ですよ。まぁでも安心してほしい、これから私が幸せにしてあげるからね♡ ひとまずやっぱりお金だよな、ストレスを軽減してうつ病を治す最短のやり方ってヤツを実行すべし。うーん我ながらなんとスマートな解決手段、チャコチャンカシコイヤッター!」
な、なんか小声でブツブツ言ってる……!
やっぱりヤバい子だ! よくわかんないけど、間違いなくヤバい子だ!!
逃、逃げ、逃げなきゃ、逃げ……!!
バタン、と。
彼女が、後ろ手に持っていた小さなトランクケースを、あたしの前に投げ出す。
「……な、な」
「どうぞ」
「え?」
「どうぞ」
有無を言わせぬ威圧感を放ちながら*3、彼女はあたしに命令する*4。
あたしは彼女の言葉に操られるように*5、震える手でトランクに手をかけて、開き……。
そこに、パンパンに詰められた、1万円札の山を見た。
あまりの急展開と意味不明な現実に、あたしの脳内は煙を吐くくらいにぎゅるぎゅると回り……。
結果として。
「…………きゅう」
あたしの意識は、クラッシュしたのだった。
「え、あっ、ちょ!? そんな寝不足!? 危なっえっ柔らかっあっ意外とあるなこの人半分私にくれないかな」
* * *
と、まぁ、そんな夢を見たわけよ。
我ながら、なんて荒唐無稽なひっどい夢なんだろう。
必死に原稿書いてたら、いきなり部屋に変なロリっ子が扉を蹴破って入って来て、警察に電話をすれば繋がらず、ロリが小さいトランクケースを投げ出して来て、その中には1万円札がパンパンに詰まってるとか。
……これ、あたし、大丈夫かな。過労でおかしくなっちゃった?
しかも目が覚めてすぐ思い出したせいか、いつもはすぐ忘れるはずの夢の内容、まるで現実にあったことみたいに正確に思い出せるし。
「……ちょっと仕事休もうかな」
疲れてるのかも、と頭を抱えた、その時……。
「はい、それが良いかと思われます。ストレスと寝不足で少しお肌が荒れていますしね」
声が、聞こえた。
夢で聞いたものとすごくよく似た、ロリロリしい高音。
いや、すごくよく似たっていうか……それそのものが、あたしの真横から。
がばっと右を見ると、そこには、いた。
確かに夢の中で……ああいや、もう現実逃避はやめよう。
あたしが意識を飛ばす前に見た、不法侵入不審ロリが。
「おはようございます、ぽいずん♡やみさん。お体、大丈夫ですか?」
「誰!? 誰なの!? 怖いんだけど!?」
「誰って、灰炉茶子ですが」
「これはご丁寧にどうもって言うわけないでしょ!? そうじゃなくて、あなたはなんであたしの部屋に入って来てるのかって言ってんのよ!!」
「何故かと言われると……お話の続きをするため、ですかね?」
駄目だコイツ、全然話が通じない。
あたしはひとまず逃げるために、ベッドから降りようとしたんだけど……。
「今の生活、変えたくないですか?」
僅かな心の間隙に刺さる、棘のような言葉に。
まるで縫い付けられたように、体が動かなくなる。
硬直したあたしを前に、ロリは口端を歪めた。
「知ってますよ、ぽいずん♡やみさんこと、佐藤愛子さん。
音楽を愛し、新たなるロックを発掘したいと思い、各種出版社への就職を決意し、けれど夢叶わず、以後Webサイト『ばんらぼ』での批評レビューを中心にフリーライターとして活動している。
記事の内容は音楽そのものではなく、バンドメンバーのセンシティブで話題性を浚うタイプ。しかし表記や執筆の内容のクセがズレていることを考えると、直接的に投稿する形ではなく誰かが編集を入れる形。フリーランスと言いながら半雇用体系での労働ですね。
そしてあなたは、それに不満を持っている。SNSの鍵垢で平均して2日に1度、雑誌の方針や編集長の態度について愚痴を呟かれてますよね。まぁ表垢では1日に80件くらいの頻度で色々アレなこと呟かれてますけどね。そういうネットリテラシーカスなところも素敵♡」
「……え」
完膚なきまでに、自分のことを言い当てられる。
おかしい。特に、鍵垢なんて、あたしは誰もフォローしてないし、誰にもバレるはずがないのに。
固まってしまっているところに、更に畳みかけられる。
「ねぇ……そうやって本心を殺して、やりたいことをできない日々、変えたくないですか?」
「変えるって……でも」
結局のところ、人間が生活するためには、最低限のお金が必要だ。
そしてお金を稼ぐにはどこかで仕事をする必要があって、あたしが働けるのなんてフリーランスのここくらい。
いや、探せば他にも働ける場所があるのかもしれないけど……。
……音楽を広める仕事に限定すると、その数はどうしたって少なくなる。
たとえ真綿で首を絞められるような日々であろうと、あたしは誰かの音楽を社会に届けたいんだ。
それが、最後に残った、あたしのプライドだから。
……というか、待て待て。
そもそもおかしいでしょ。
いきなり家に忍び込んで、いきなり日常を変えたいかとか。
こんなのどう考えたって怪しい、悪魔の甘言だ。
だからあたしは、彼女の言葉を否定しようとした。
そんなの結構だ、あたしはあたしなりの日常を生きる。悪魔みたいな子の誘いになんか乗らないって。
……でも。
「ところで、私、この前とあるレーベルを買収しまして。何ならそこでのバイトとか紹介してもいいんですけども?」
「は?」
小さな悪魔はニヤリと笑い、とんでもないことを言ってきた。
「あぁ、とは言っても、そんなに大きいレーベルではありませんよ? そういうところはそもそもM&Aもなかなか通り辛いですし、私の欲しいモノでもありませんし。
ストレイビートってところなんですけど、ご存知です?」
「い、いや、そりゃ知ってるけど……!」
ストレイビート。
確かに大きいわけじゃないけど、この辺りに居を構えてる、ちゃんとしたレーベルだ。
これまでにいくつものアルバムを出して、大ヒットとまでは言えなくともそこそこの売り上げを出してたはず。
そんなところを、こんなちっちゃい女の子が、買収……?
「あ、信じてませんね。私財力は結構あるんですよ? ほら」
そう言うと、悪魔は置かれていたトランクを開く。
と、そこには……やっぱり、一万円札が所せましと詰まっていた。
「う……そ、それ、まさか、全部本物……!?」
「いやいや、偽札は犯罪ですよ? そんなの作るわけないじゃないですか常識的に考えて」
「じょっ、常識を語らないでよ不法侵入の犯人が!」
「犯人なんてそんな大げさな。私はただ、ちょっとぽいずん♡さんの手助けができればと思ってですね」
違う。
目の前の少女は、あまりにも、違い過ぎる。
視点、思考、権力、財力、あるいは身体能力でさえも。
その全てが、「普通」から乖離してる。
そのあまりの隔絶に、あたしは思わず怯み、黙り込んでしまって……。
「改めて、どうでしょう。
あなたの人生、もっとロックで楽しいものにしませんか」
……そうして、悪魔のささやきを聞いてしまった。
「ロックで楽しい、って……」
オウム返しに訊くと、悪魔はニコリと……いいや、ニヤリと笑う。
「お金に悩まされて、したいことができない人生なんてもったいない。そうは思いませんか?」
「っ、な、何を……」
ズイ、と。
彼女が、持っていたケースを、こちらに押し出した。
「このお金があれば、色々できますよね?
次のお仕事を探すまでの生活費に充てることもできますし、もっと自分に合った職場を探す暇もできるでしょう。当然、新しいロックバンドを探しに行くこともできちゃいますね」
現代社会において、お金は力だ。
それがあれば、大抵のことは叶ってしまう。
勿論、目の前にあるのは大金ではあるけど、一生遊んで暮らせる程ではない。
けれど……確かに、今の生活から抜け出すための起爆剤としては、十分だ。
ゴクリと、思わず固唾を飲む。
目の前の、可憐な少女の姿をした悪魔。
彼女の言いたいことは、なんとなく理解できた。
この金を使ってお前を支援してやると、今の生活を立て直させてやると。
要はそういうことだろう。
けれど……一番大事な情報、彼女の動機が不明なままだ。
「……あ、あたしなんかに、何を求めるつもりなのよ」
声は、自然と震えた。
当たり前でしょ。こんなドラマか小説でしか見ないような展開になれば、誰だって平静じゃいられない。
今だって、正直目の前のコレが夢なんじゃないかって疑ってるくらいだもの。
……でも。
でも、もしもこれが、現実だったら。
この悪魔の手を取って、何かが変わるんだったら。
そう思ってしまうくらいには、あたしは……既に追い詰められてしまっていた。
だからあたしは、悪魔に契約の対価を尋ねる。
己の身か、魂か、あるいは尊厳か。
とにかく、あたし自身に選べることで、悪魔に力を貸してもらえるのなら……。
「ん? いえ、別に何かを求めるわけではないのですけど?」
きょとんと、茶髪の少女は、これまでになく幼い表情を浮かべる。
いや、幼いって言っても、それでも見た目の歳よりかはだいぶ年上に見えるんだけども。
そしてその時、多分あたしも、同じような疑問の表情を浮かべてしまっていただろう。
何かを求めるわけではない?
在り得ない。不法侵入なんてことをして、警察への連絡網を断って、その上こんな大金を使って?
そこまでして、自分には何も利益のないことをするなんて、絶対にありえない。
「し、正直に言いなさいよ。あたしに何かやらせるとか、あたしの持ってるものが欲しいとか、そういうのがあるんでしょ?」
「んー……いや、特には? だってぽいずん♡さんにできることは大体私の方が上手くできますし、ぽいずん♡さんが手に入れられるものなら私も手に入れられますし?」
頬に指を付いての傲岸不遜な物言いも、それを恥じることすらない態度も、しかし彼女にはよく似合う。
美しく、神秘的で、どこかこの世のものとは思えない妖精のような少女。ただその口を覆うマスクだけが、彼女を現実のものと思わせてくれる。
そんな幽世の存在が如き彼女だからこそ……。
あるいは、本当に全てが能うのではないかと思わされる。
勿論、怪しいか怪しくないかで言えば、それこそあり得ない程に怪しい。
この少女の形をしたモノは、信じてはいけない妖精、妖魔、あるいはそれこそ悪魔の類だろう。
けれど……。
「ただ、良い音楽を、心のままに楽しめないのは、よろしくないですから。
せっかくなら
……その瞳に、嘘はなかった。
それは、キラキラとした自分の憧れを見る少女の目。
そんな目を、あたしは……ずっと前に、鏡の向こうに見ていた気がする。
偶然に巡り合った曲から、好きなバンドを知った時の、ライブに行ったりグッズを買い漁ったりしていた時の、あの目。
あたしが……多分、一番純粋に音楽を楽しんでた時の目だ。
……音楽好きの悪魔、か。
そんな子なら……あるいは、騙されてもいいかもね。
あたしはため息1つ、彼女に言う。
「……言っとくけどあたし、何も返せないからね」
「気にしなくていいですよ! 私にとっては生きてるだけでもう供給ですから。息してて偉い!」
「何それ……はぁ、どこまでも変な子ね。小学生くらいの年頃でしょうに」
「高校生ですが!?」
「高校生なの!?」
* * *
そんなこんなで、あたしはおかしな悪魔(自称高校生)に魂を売った。
所属してた編集部には一身上の都合ということで退職を願い出て、色々と言われたけど「何言おうと今のあたしにはお金があるんですぅ~!」と内心で叫び返してしてスルー。
その後、悪魔ちゃん──半分揶揄のつもりでそう呼び始めたんだけど、あの子は「あだ名! 推しにあだ名付けられた!」なんて喜んでた──に、かなり真面目寄りなバンドのレビューサイトの編集を紹介してもらった。
そして運良く……あるいは悪魔ちゃんの予定通りなのか、面接担当でもあった編集長と話が合って、そのまま即日採用を勝ち取った。
正直前日は夜も眠れないくらいに不安だったんだけど、それも全部杞憂だったことになる。
あたしの再就職は、驚く程にスルッと決まってしまった。
「……どこまで手を回してくれたの?」
3日ぶりに我が家を訪れた悪魔ちゃんに、缶コーヒーを手渡しながら訊く。
彼女は律儀に「ありがとうございます」と受け取った後、不思議そうに首を傾げた。
「手を回すって、何がですか?」
「いや、今更とぼけなくていいから。あんたがあそこの編集長さんに話通してくれてたんでしょ」
大学時代の就活の失敗は、今でも小さく心に傷を残してる。
その苦しさを知っているからこそ、このスムーズな話の早さには違和感しかなかった。
数週間付き合う内に再確認したけど、目の前でコーヒーに口を付けている少女は、ただの無力な女の子ではない。
マスクによって半分近くが隠されているとはいえ、顔はそれこそアイドルとしてやっていけるくらいの整い方。
小学生のような見た目でありながら高校生であり、身体能力はむしろ大人も凌ぐ程。
更にはよくわからない手段で数億というお金を動かしており、異常に広い人脈を持っていて、本人だってできないことが見当たらないくらいに有能。
美しさも能力も、全てを持った完全超人。
その言葉こそが最もよく似合う、おおよそこれといった弱点がない、才気の化け物だ。
でも、タダ程高いものもないし、この世に美味い話もなし。
あたしなんかに見返りも求めずに大金を渡してきたり、色んな方面でサポートしてくれる彼女は、この上なく怪しい。
故に、天使のような見た目をしていようと、この子は悪魔ちゃんだ。
……少なくとも、今のあたしの中ではね。
で、だからこそ。
このスムーズすぎる転職も、彼女が手を回したんだろうと、半ば確信してたんだけど……。
悪魔ちゃんは、くいっと首を傾げた。
「……? いや、そう言われても、ぽいずん♡さんを紹介してからは何もしてませんが」
「ねぇ、そのぽいずんの後ちょっと媚びるような響きにするの何? もしかしてハートの表現?」
「ここ数日は、取引先が内紛で潰れちゃったせいでちょっと忙しくて、手を出す余裕もありませんでしたし、別にぽいずん♡さんのこと先方に話したりもしてませんよ」
「無視?」
というか、取引先が内紛って……この子本当に何してるんだ、こんなちっちゃな体で。
っと、駄目駄目。
この子は悪魔だ。下手に知りたがったり踏み込んだりすれば、まず間違いなく面倒ごとに巻き込まれてしまうだろう。
くぅ、この可愛らしい風貌が庇護欲を駆り立てるもんだからもう……!
あたしはぶんぶん頭を振って正気を取り戻し、改めて彼女の言葉に眉を寄せる。
「いやでも、どう考えても話が早く進みすぎでしょ。普通はもっと時間がかかったり失敗したりとか……」
「あぁ、うん、なるほど。ぽいずん♡さんの言いたいことは大体わかりました」
「ねぇもう愛子でいいからそっちで呼んでくれない?」
「でも、今回に関しては、本当に何もしてないんですよ」
悪魔ちゃんはふっと笑い、どこか慈しむような目で、あたしのことを見て来る。
「確かに、ぽいずん♡さんに合いそうな職場は選びました。話のわかる編集長がいるところをね。
でも、逆に言えばそれだけなんですよ。それしかしてないんです」
「いやでも、あたし全然資格も実績もないし、そんなの……」
在り得ない、と。
そう言おうとしたあたしの口を、悪魔ちゃんの人差し指が、塞ぐ。
「時に、嫌なことにも真面目に打ち込めると言うのは、これがなかなかに得難い素質でしてね。
しかもこれは、学歴だとか資格、実績なんてものでは量り辛い。
ではどうやって量るかと言えば、実際にやらせてみて様子を見るか、あるいはその人の言葉から漏れ出るものを少しずつ汲み取るしかないんです」
「そこを見てもらったって? いや、それこそあり得ないから。
編集長と話したのは30分弱で、盛り上がったのは最後の10分くらいだし」
30分なんて短時間に交わした言葉は、少しずつ汲み取るというにはあまりにも文字数が少なすぎる。
しかもそのほとんどが社交辞令だ。そこを取り繕えるくらいには面の皮も厚いつもりだし。
やっぱりお前が何かしたんだろう、と睨むあたしの視線を……。
しかし、悪魔ちゃんは微笑んで受け流した。
「……これ、ついさっき聞いたんですけどね。編集長、愛読者だったらしいですよ?」
「は?」
「ぜんっぜん書きたくないことが伝わって来るクソ記事の片隅で懸命に好きなバンドの紹介をする、自称14歳の痛々しいフリーライター。その記事の愛読者だったんですって。
いつも記事を読んで、『もったいないなぁ』って思ってたそうで」
「…………、え」
それを聞いて、あたしは、どんな顔してただろう。
やりたくもない取材をして、知りたくもない裏側を覗いて、頭ぐちゃぐちゃにしながら無理に腕を動かして、なんとか許される範囲で音楽を語って。
それでも殆どの人から見ればクソ記事でしかなくて、死ぬ程ぶっ叩かれたり本名晒されたりして。
あたしの記事をまともに読んでくれる人なんて、どこにもいないと思ってた。
アクセス数を稼ぐのがあたしの仕事で、そんなのに釣られる人間が、記事の隅っこに書いた文字を視界に入れるはずがないって。
……でも、いたんだ。
少なくとも1人、ちゃんと読んでくれてる人が、いた。
その事実は、静かにあたしの心に沁み渡った。
思わず口をつぐんだあたしに、悪魔ちゃんはちびちびとコーヒーを口にしながら、落ち着いた口調で言ってくる。
「全部、無駄じゃないんですよ。あなたがコツコツと頑張って来たことを評価してくれる人はいます。
……私も、その1人ですしね」
「悪魔ちゃんも……?」
「そりゃあそうでしょう。過去のレビューは全部読んでます。
あなたは音楽に対してはこの上なく真っ直ぐで真面目でガチで……私はあなたのそういうところが大好きで、だからこそ好きに生きてほしいって思ったんですから」
静かに語る彼女の瞳は、あの日に見たものと同じ。
本当に好きなものを、愛しているものを語る時のもの。
この子も、あたしの記事を、そんなに……。
……あぁ、クソ。
悪魔の好意なんて、愛玩か嘲弄と相場が決まってる。
それなのに……それなのに、こんなにも、彼女の想いが嬉しいなんて。
込み上げてきたものをこらえるために、俯く。
すると、すっと、背中から手が回された。
いつの間にかあたしの背後に回り込んでいた悪魔ちゃんは、その手を結んで緩く締めてくる。
「何よ」
「いいえ、ちょっと人肌恋しくなりまして」
「…………はぁ。あんた、学校じゃさぞモテるでしょ」
「この体ですよ? 若干1名クソロリコン同級生がいるくらいで、好意なんて誰も持ってはくれませんよ」
どうだか。
本人は意識してなさそうだけど、この容姿、この心への踏み込み方、その上この能力だ。
それこそ同性だってホイホイ堕としてそうだけどね。
「……別に、あたしは堕とされたわけじゃないから」
「落とす? いや受かりましたよね?」
「うるさい」
前に回された細くて短い両腕を、きゅっと抱きしめる。
2本の腕は、悪魔のものとは思えない程、温かかった。
* * *
……30分前の自分、ぶん殴ってやりたい。
そんなことを思ったのは、久々だった。
「ぽいずん♡さん? どうしたんですか?」
「うっさい。愛子でもやみでもなんならぽいずんでもいいから、そのハート付けるのやめろ」
悪魔ちゃんは聞こえなかったフリして鼻歌なんか口ずさんでいる。
もしかしたら、悪魔ちゃんってあだ名を付けたことへの意趣返しなのかもしれない。
しかしこの鼻歌、聞き覚えのない曲だけど、なかなか上手い……いや上手すぎるな鼻歌のくせに。
テンポは乱れないし音程が完璧すぎる、多分これ完コピだわ。
殊更に良い曲ってわけでもないけど、決して悪くもないメロディー。
それに毒気を抜かれ、あたしは肩を落とした。
で、そうして落ち着くと……いつぞや抱いた、というか今も抱き続けてる疑問が脳裏をよぎる。
知り合ってそこそこ経った今なら、答えてくれるだろうか。
「……はぁ、まったく。何者なのよアンタ」
「んえ?」
「人脈、財力、能力、それとその顔。どう考えたって普通じゃないでしょ。
いい加減、正体とかあるんなら教えてくれる? どこかのお嬢様かお姫様? それとも本当に悪魔?」
きょとんとしていた悪魔ちゃんはあたしの言葉を聞いて、やにわにニマニマと笑い出す。
「ふ。知りたいですか、私の正体」
「というかいい加減知らないと、心の底からは信用できないのよ」
「では教えてあげましょう、多分知っても全然納得できないだろう私の正体を!」
そう言って立ち上がった彼女は、ドヤ顔で自分を親指で指し示し、勝気に笑った。
「私は灰炉茶子!
……本当に納得できないし、毒にも薬にもならない、今更ながらの自己紹介だった。
そんなわけで、本作は一旦の完結。
作者のぼざろ熱が上がったら続きを書くかもしれないので、その時はまたお付き合いください!