遥か遠き家族への捧詩   作:神話好き

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第一幕 宣戦布告の逢魔が時

 今日は、転校生を紹介します。いつになくきびきびとしている虎太郎先生の口から、先日、自分たちお世話になって記憶に新しいこのフレーズを聞いた時に、言いようのない不安に襲われた。虫の知らせと言い換えてもいい。急な転校などよくあることだと動悸の早くなる自分の心臓に言い聞かせてみても、やっぱりあまり効果もない。ちらりと目線を動かして、友人の反応から少しでも安心を得ようとしたのがもっとまずかった。すずは既に冷や汗だらだらだし、トーニャに至ってはもはや諦めムードで目頭を高速でマッサージしている。ガラス越しにくぐもっても衰えをみせない無駄にテンションの高い声に、隠すつもりも更々無いのか、時折教室の上窓から覗く兎の耳。両方とも、とてもとても哀しいことに心当たりがあったりする。たった数分程度の出来事でもしっかりと記憶に焼き付いてしまう強烈さは、生涯忘れられるものではない。

「では、入ってきてくれ」

「はいはーい!ただいま、ご紹介にあずかりました。転校生の因幡乃白(いなばの しろ)です!どうぞ因幡とおよび下さいね!」

「か、隠す気が無さすぎる……!」

 思わず漏れた慄きだったが、八咫烏をしてあざとさの化身と言わしめた因幡のインパクトのあまりの強さにクラスメイトたちの意識が掻っ攫われていたのが幸いし、事なきを得た。

「おやおや、そこにおりますのは如月双七君じゃあありませんか?奇遇ですねー!やっほー!」

 と少しでも思っていた自分が馬鹿でした。奇遇、の辺りにたっぷり籠った悪意の塊と、クラスメイト中からの視線に胃をキリキリと締め付けられながら、頭は少しだけ冷静になる。首謀者は考えるまでもないく分かっている。八咫烏だ。偶然にも同じクラスに三人連続の転校生など普通は来ない。なら、協力者がいるとして、如月双七への嫌がらせに労力を惜しまなそうな存在など一人しか思い当たらない。今頃抱腹絶倒しているのだろうか。ああ、やはりあの時委縮せずに殴っておくべきだった。

「おっ。如月の知り合いだったか。いやぁ、凄い偶然だな。じゃあ、席は近くでいいか」

「ありがとう御座います、虎太郎先生。大旦那様には私の方から良く言っておきますので」

 虎太郎先生も買収済みらしい。忍び寄る魔の手が過程をすっ飛ばして一瞬で喉元へ到達した気分だ。

「先生……」

「悪いな、如月。先生もまだ死にたくないんだ」

 気持ちは分からなくもない。さっきから鼻歌混じりに近づきつつある彼女は、年若い女性に見える何か別のモノだ。自称約二百歳であるすずの言霊ですら超常の力なのに、因幡の白兎なんて大御所がどれだけの力を有しているか想像に難くない。特に、後ろ盾であるミコトの存在の出鱈目さも垣間見ている身としては、あまり強く責めることも出来ない。

「どうも御三方。この度、大旦那様の命により護衛の任に付きましたので、以後お見知りおきを」

「護衛、ですか?」

「大旦那様には立場がありますから。満足に動けない部分は使い走りの私がカバーする予定なのですよ。何より、面白そうですし」

 目の奥に垣間見た光は愉快犯のそれ。そういえば因幡の白兎は、兎が和邇(ワニ)を騙そうとして酷い目にあったなんて逸話だった気がする。

「ま、お互い事情はありましょうが、ここは一つよしなに。大旦那様の厚意が発端とはいえ、長きを生きる私とて初めての学園生活。折角の機会を味気ないものにしたくはありませんので」

「えっと……、じゃあよろしくお願いします?」

「宜しい。それと、すずちゃん!」

「ひゃ、ひゃい!」

「いけませんね、いけませんよ!息女の貴女がそんな仏頂面では静珠ちゃんが悲しんでしまいます。女の子はもっと笑顔でないと。ほら、笑って笑って!」

「お母さんのこと……っ!?」

「もちろんですとも。でも、お話の続きはまた今度。大旦那様に仰せつかった任が無ければいつでもしてあげますから」

 おお、よしよしと正面から抱きすくめられて、流石のすずも言葉を失う。教室中を野太い歓声と黄色い声が包み込み、当のすずは耳まで真っ赤に染め上げられてしまった。柔かでとてもいい笑顔の因幡からする、そこはかとない胡散臭さに気づいている人はとても少ない。偶然口元の歪みを見える位置にいた双七と、全力で見て見ぬふりをしている虎太郎先生。後は絶対に関わりあいになりたくないオーラを全開にしているトーニャくらいのものだろう。まあ、恐らくそれも叶わぬ夢になるのだけれど。

「うふふふふ。本当に可愛らしいですねぇ、すずちゃんたら。あの阿呆鴉にはもったいないくらい」

「おーい、因幡……さん。出来ればその辺にしといてやってくれないか?先生、一応連絡事項とかあったりするんだな」

「ふむ。私の鮮烈なる学園デビューには少々物足りませんが、まあ、良しとしましょう。この場所は思ったよりも素晴らしいところみたいなので」

 窓際の最後列。鼻歌を再開して指定された席へ辿りつくと、ニコニコしたまま窓を開け、おもむろに何か紙片のようなものを外へと投げた。一瞬だけ背筋を伸ばしたすずの反応を見るに、何かあやかしならではの技だったりするのかもしれない。

「なぁ、あれ何してるんだ?」

「連絡、だと思う。詳しくは分からないけど、どっか飛んで行ったっぽいし」

「八咫烏にか?」

「うーん。そこまで臭いを追えた訳じゃないから断言は出来ないかな」

「そういうものか」

「そういうものなの」

 ミコトという方はいまいち心境を面に出さない人だったが、八咫烏の説明によれば心強い味方らしいし、だったらきっと因幡も大丈夫なのだろう。なにせ、あの時嫌悪感丸出しで、本人も反りが合わないと公言していた八咫烏がすずの最も近くに居ることを承諾したのだ。まかり間違っても敵にはならないはず。

「商売繁盛の予感がしますよ。うふふふふふふふ」

 ……はずである。

 

○○○

 その日の放課後、普段から魑魅魍魎の跋扈する神沢学園は混沌の坩堝に叩き込まれていた。原因など言うまでも無い。今朝方転校してきた因幡だ。一人だけ倍速で動いているような彼女だったが、学園生活をエンジョイしてやろうという気持ちもすさまじかった。校内での占い屋開業、ファンクラブ発足、神社の布教。傍から見ていた限りでも五度の生徒会出陣を余儀なくし、頭を抱えた生徒会長から監視を仰せつかったトーニャは午前中で真っ白に燃え尽きた。その後も、こちらはこちらで濃かった一日を霞ませるレベルの騒動の中心となり続け、紆余曲折があって今に至る。

「自己紹介、いります?」

「もうこの学校でお前を知らねー奴はいねーよ!」

 散々注意喚起に駆り出された上杉が、頬を引き攣らせて叫ぶ。薄々こうなるのだろうと思っていたが、最初から三人纏めて生徒会に所属する運びだったようだ。権力、いと恐ろしや。

「落ち着け、刑二郎。事前に聞いた話によれば、彼女はあまり世間慣れをしていないらしい」

「嘘つけ!占いとか学園祭より盛り上がってたぞ!女子の八割が既にリピーターって話だぞ!」

「色恋沙汰は乙女たちにとっての万理一空。所変われど、縁結びに衰退の二文字は有り得ません!」

「いや、そこで自慢げにされても俺はどう返せばいいんだよ……」

「ま、まあ、悪質ないたずらとかじゃなかったんだし、そこまで問題はないんじゃないでしょうか。あの占い、女子にはかなり好評でしたもん」

 口を尖らせている刑二郎を宥めにかかったのは姉川さくら。一見、先輩と勘違いしてしまいそうな発育の良い一年生。生徒会の一員で、刑二郎とはまた違った方面でムードメーカーである。

「学園が活気づくのは喜ばしい事態ではあるが……、やはり風紀を堂々と乱す行為はもう少し控えてもらえると助かる」

「いやですねぇ、会長。私だってそれくらいの分別は弁えておりますとも!今日のは特別ですよ、特別。思い悩むのもまた一興ではありますが、陰気は若人の場に相応しくありません!」

「陰気、ですか?」

「今回の場合は蟠り、と捉えて頂いても結構ですよ。これだけ人が集まれば仲直りするもしないも自由ですけど、暗ーい遺恨は残しちゃあなりません!ね、すずちゃん?」

「貴女、まさかそのために」

「うふふふふ。合縁奇縁を恐れるなかれ。大切なのは最初の一歩なのですよ!」

 いぇーい、とピースを作って盛り上がる因幡に、その場にいた全員が毒気を抜かれてしまう。ほぼ初対面だけど、よく分かった。不真面目でふざけている様に見えても、人を思いやれる気持ちはとても強い。確かに、昨日のすずの起こした騒ぎなど今日の喧騒に塗れて、もはや当事者くらいしか覚えていないだろう。目の前の胡散臭い雰囲気を纏った彼女が何を考えているのかは、未だに全く読めないけれど、善人であるとだけは断言していいのかもしれない。

「……んだよ。それならそうと早く言えっての」

「ではでは、お詫びのしるしにどなたかと縁結んで差し上げましょうか。ご希望とかあります?」

 再び耳を動かしながらウキウキし始めた因幡の様子と雰囲気を窺いつつ、会長は満足げに小さく頷いた。その他の面々も反応は多種多様だが、それぞれ納得して因幡の生徒会加入を受け入れているようだ。慣れない好意的な対応に困惑気味だけれど、すずも、そして自分も同じく安心した。

「一段落着いたところで……、そろそろ愛野君が到着する時間だ。っと、来たか」

「お……くれ……ましたぁ……」

「おお!これはまた珍しいタイプの人妖ですねえ」

 がらりと勢いよく開け放たれた生徒会室のドアの向こう側に立っていたのは、紛れもなく死体だった。血まみれの顔に曲がりくねった手足。そして何よりも自分を驚愕させたのは、彼に見覚えがあった事実。濃すぎる一日に埋もれてすっかり忘れてしまっていたけれど、今朝方ぶつかってしまった人に間違いない。

「ひい、ゾンビ!?」

「ああ……、まあ、その反応が普通だわな。悪い。すっかり慣れちまったもんだから忘れてた」

 ポリポリと米神を指で掻いて目を逸らしがちに刑二郎が言う。あまりに平然とした反応を見て意識に空白が出来たのが幸いしたか、ほんの少しだけ冷静になれた。彼はなんと言ったかを思い出して、まさかと冷や汗が一筋額を横切っていく。お……くれ……ましたぁ……。お、くれ、ました。おくれました。遅れました。三枚くらい疑念のフィルターを投下した後に、恐怖は氷解し、別の意味でもう一筋の冷や汗が垂れる。

「す、すいません!まさか生徒会の人だとは思わなくて……」

「きぃぃにぃぃしぃぃてぇぇなぁいぃ」

「気にしてないってよ」

「いや、一応伝わってますって。というより大丈夫なんですか!?」

「んー?見たところぬっぺふほふか何かの流れですね。多分再生するんで大丈夫でしょう」

「因幡君言った通り。『とても死にやすいが絶対に死なない』それが愛野君の人妖としての能力だ。程度によるが、今日の怪我ならば数分も経てば全快する」

 いろいろな力を見たことはあるつもりだったけど、初めて聞く類いの力だった。前半のとても死にやすいという莫大なデメリットに目を瞑れば、かなりとんでもない力なのではなかろうか。何しろ絶対に死なないのだ。勿論、絶対とやらがどこまでセーフなのかによるだろうが、いくら攻撃しても無意味なのは出鱈目だろう。

「話せてるってことは今は生きてますよね?」

「そりゃそうだろ。流石のこいつも死んだまま喋ったりはしねえよ」

「じゃあ、一応自己紹介だけさせてもらえます?ちょっぴり大旦那様から御呼びかかかっちゃいまして」

「……急ぎか?」

「でしたらもう跳び去ってますよぅ。日が沈む前に一度戻って来いとのことです」

「なら大体、一時間ってとこか。どんな用事なんだ?」

「さあ?ただ、もしかしたら準備かもしれません」

 首を傾げた因幡の雰囲気が僅かに先ほどまでのそれとは変質する。普段は飄々としている人が一瞬見せた真面目な顔を見たような感じだ。こうまで見事だと、本当は人懐っこく受け入れやすい方が殻ではないのかと勘繰ってしまう。

「大旦那様は結構気を使ってしまいがちな性質でして、ここしばらくまともに剣を振るうのも儘ならずにいたはず。私のサポートがあれば錆落としくらいは出来ますので、恐らくは」

「剣なら庭で振ればいいんじゃねえか?あの邸、結構な大きさの庭があったろ」

「そんなことをしたら、気迫にビビって動物やら虫がみんな邸から離れて行ってしまいます」

「どんな達人なんですか、その人……」

「昔、稽古に立ち会った時のことですけど、剣を振ったのが見えなかったくらい早かったのを覚えてます。曰く、軽く弾指くらいだそうで」

「だ、弾指……!?」

「なんだそりゃあ、聞きなれねえ言葉だな?」

「その言葉が本当なら上杉先輩が一秒間に十京回切れますね」

「態々俺で例えんなよ……」

 大旦那様、つまりはミコトのことを知らない為に計りかねていたさくらだったが、話を聞いて凡その検討を付けたようで呆れたように声を上げた。奇人変人が多い神沢市の神沢学園において、更にその中でも濃い生徒会に所属しているからだろうか、適応力は非常に高いらしい。

「大旦那様ってば剣術だけとってもかなりえげつない強さしてますからねぇ。聞いた話では会長さんも軽く手合せしたことあるんじゃありませんでしたっけ?」

「軽くはなかったが、手合せ、というよりも手解きをしていただいたことはある」

「で、どうだったんだ?」

「技の一つでも引き出せれば良かったんだがな……」

「……マジでか」

 眉を顰める会長と、苦笑いをする刑二郎。気持ちはよく分かる。自分だって真っ向勝負じゃあ会長にはどう足掻いても敵わない身だ。昨夜目の当たりにしたミコトのすさまじさよりも明確に差を思い知った。ため息をつき、ふと見ればいつの間にか燃え尽きていたトーニャが復活し、興味深そうに話を聞いている。華奢でも武闘派だけあって、意外とこの手の話題は気にかかるのかもしれない。

「それで、あのー。話の流れを切っちゃって申し訳ないんですけど、大旦那様、という方はいったいどちら様なのでしょうか?」

「ああ、済まない。因幡君の保護者のような人だ。俺は以前から、刑二郎たちは昨日偶然知り合ってな。名前はミコト……、さん。稀に剣の稽古をつけてもらっている間柄だ」

「なんですなんです?大旦那様の事が知りたいならこの私に言ってくださいな!むふふふふふふふ!」

「威厳が一瞬で吹き飛んだわね……」

「ていうか、因幡嬢。ミコトに呼ばれてるんじゃなかったのかよ」

「そうでした……。私としたことが不覚です。……さくらちゃん!」

「は、はいっ!」

「誠に!誠に口惜しいですが、お話の続きはまた後程に」

 唇を尖がらせ、苦渋の決断を下した因幡は、さくらちゃんを何度も何度も揺すると、その足で校庭が見える窓まで歩み寄る。

「それでは、僭越ながら一足先にお暇させてもらいます!また後で会いましょうね!」

 背面にある窓を勢いよく開け放つと同時に絹のような白髪が風に靡く。まさか、と思い席を立ちあがろうとした緊張を嘲笑うかの如く、因幡は容易く窓の淵へと足を掛け跳んだ。小さく悲鳴を上げた伊緒を押しのける勢いで遥か下方を見れば、そこには何事も無かったかのように勢いよく走り去っていく因幡の姿があった。

「どうしてこううちの生徒会には窓から飛び出す奴が集まるのかね」

「あ、あはは……」

 こうして、二日目の学園生活は幕を下ろしたのだった。

 

 

・・・

「突然の呼び出し済まないな、ウサギよ」

「いえいえそんな。ウサギの本懐はあくまでも大旦那様のお役に立つこと。学園生活も大変魅力的でございますが、そちらを疎かになど決していたしません!」

「嬉しい言葉だ。(おれ)には天地がひっくり返っても言えんだろうな」

「大丈夫ですよ。どれだけ寡黙であろうとも、きっと伝わるべき人には伝わっています。現にウサギは喜んでここにいるのですから!」

「有り難い。だからこそ巻き込むか否か迷ったのだが……」

 夕暮れ泥む港に剣を突き立てる。人気は無い。可能ならウサギが最も本領を発揮できる森の方が都合が良かったが、本気を出す訳でもあるまいし、海上なら一応(おれ)の管轄内だ。おまけに八重垣をお守り代わりにしている。万が一など有り得まい。

「二つ、言付けを言い渡す。何があろうと守り通せ」

「御意に御座います」

「一つ。八咫が自ら気付くか、時が来るまで他言は無用だ。続いて二つ、どうしても必要な時には躊躇わずその剣の力を借りろ」

「御心のままに、我が主様」

「む、主は(おれ)ではないはずだが」

「これだけ礼を尽くされてはそうもいきませんよぅ。それに、ご主人だって大旦那様ならお許しになってくれるでしょう」

 そう言うと、ウサギは丁寧に片膝をついて跪く。大げさではあるけれど、これがウサギにとっての流儀ならば、乗っかってあげるのも務めの内だろう。

「逢魔が時、刻限だ。今回は援護は要らん。これから起こるであろう争いを括目し、余波が外部に漏れない様にだけ気を配ってくれれば良い」

「戦い、ですか。よもや狐の尾が狂いましたか?」

「違うな。ここから先はその目と耳で知るが良い。(おれ)が敵と称するは後にも先にも奴だけよ」

 夕日が没しかけ、太陽と月が、光と闇が混ざるは逢魔が時。いや、大禍時か。年食った妖怪の執念は凄まじいと八咫は言った。ああ、その通りだとも。我が怨敵は未だ滅びず。尾、どころの話ではない。肉体など無かろうが関係なく奴は存在し続けている。僅かな気配を感じた時は自身を疑った。だからこそ、人の世に関わるべきではないと理解していながら百年間も逗留に甘んじているのだ。

「……来たか」

「これは!?そんな、まさか!?」

「案ずるな。肉無き今、所詮はただの怨霊に過ぎない。尤も、甚だ規格外ではあるが」

 取り乱した頭をブンブン振った後、慌てて張った結界の内部には大きな黒い靄が発生していた。どす黒く、そこに在るだけなのに極大の呪いと敵意をばらまき続ける災厄は、もちろん幻咬などよりも余程純粋な怪物で、醸し出される雰囲気にも一部の隙もありはしない。狂気の化身でいながら神々しさすら放つのは、神話に名を連ね得る化物たるが故。残滓の、そのまた絞りかすにまで弱体化しているのに、蠢く瘴気は呼吸を阻害して、気狂いの譫言宛らに紡がれている呪言でさえ、一帯を汚染するのに数秒と掛からなかった。怪物。まさしくこれのためにある言葉。

「贄!贄だ、贄を寄越せェ!我が胎を満たす贄を!我が大いなる肉をもたらす贄を捧げよォ!」

「生憎、貴様にやる贄など、今も昔も無い。疾く去ね。常世は既に(おれ)や貴様が居て良い場所ではない」

 それに正気など望むべくもあらず。途方もない熱量を孕んだ怒気と怨念の純粋なる結晶である。

「貴様!そうか貴様貴様貴様貴様貴様ァ!殺してやるぞ、我が怨敵!磨り潰して血の一滴残らず食らってやる!」

「魂魄のみの状態で(おれ)に挑むなど、目を曇らせたか蒙昧め」

 虚空より出でしは我が剣。太古の昔から苦楽を共にしてきた半身は、やはり実に手になじむ。軽く振り翳せば瘴気を切り裂き、影は等しく無に還る。

「ならば、今一度永い眠りにつかせてくれるまでのこと」

 怒髪天を突く咆哮が因幡の張った結界を歪ませ、不定形の闇は、本来取るべき姿へと移り変わっていく。漆黒の影で構成された霞も同然の状態だが、顕れた姿は昔と全く変化は見られない。八首の怪物。邪なる蛇。八岐大蛇(やまたのおろち)。真なる(おれ)の敵。肉体は消滅し、魂のみになろうとも不滅の化物だ。

「我が恨み晴らさで置くべきかァ!五体ばらして死ぬまで弄ってくれようぞ!」

 漆黒の大蛇が躍動する。八つの頭がそれぞれの怒りを存分に振り撒き、人では浴びただけで死んでしまう濃さの殺気を噴出して地を這う。ただ一つ、己を殺すという意思を残して理性は蒸発し、荒れ狂う力は穏やかだった港を徹底的に破壊していった。さも幻に質量を持たせるなど朝飯前だと言わんばかりに、周囲の全てを飲み込まんとして。

「曰く……。八雲に神在り。黄泉平坂(よもつひらさか)に微睡む(つるぎ)在り。化外に血河を神には畏れを。三重(みえ)御心(みこころ)をして御佩(みはか)せる。銘を、蛇之麁正(おろちのあらまさ)。ここに天意神託の一太刀を」

 凛と、まるでそこだけが別相違の空間であるかのように、声は遥かな遠くまで青海をの上を駆け抜けていった。形は変わらず。しかし、はたしてこれが先ほどまでと同じ物であると誰が気付けるだろうか。剣を扱う者ならば須らくこう言うだろう。この剣こそ至高の一振りである、と。

「―――種種(くさぐさ)ノ型が壱、五月蠅散(さばえちら)し」

 解放も終わりきらぬままに繰り出される技は一弾指の壁を超えて尚早く、残影が見える速さで振るわれた剣の白刃。その刀身に存在している小さな傷が薄く細い暴風を巻き起こす。鎌鼬など綺麗ではなく、吹き荒ぶ嵐の剣閃が幾重にも飛来しては八首の黒い鱗を削り取っていく。

「小賢しいぞ、痴れ者がァ!」

「なに、(おれ)の背には庇護すべき身内が控えているのでな。今の貴様など剣術のみですら恐るるに足らんと証明してやらねばならん。ふむ、現代風に言うならば、そうだな。『御託は良い。手加減してやるからさっさとかかって来い』とでも言ったところか」

「――――殺す」

 怒りが臨界を超え、大蛇の目に映る狂気の光が殺意のみで塗りつぶされる。短い一言の呪言で天は震え海原はにわかに破滅の様相を呈した。私情は極力排斥に努めているのだが、どうにも口角が吊り上るのを抑えきれない。ただ一つの(おれ)の敵。どう抗おうと元より武人だ。情けない話だが、現世への降臨よりも稀である切磋琢磨の機会に悦楽を見出してしまうのは止められない。

「歩法ノ陸、無明(むみょう)

 剣の握りを可能な限り甘くして、常時ゆらゆらと切っ先を揺らせば、怒濤だった猛攻が嘘のように攻撃が止む。正確には、今もひたすら喉元を狙って蠢き続けているのだが、道半ばで大蛇はその咢を退かざるを得なくなっている。躊躇いの原因は言うまでも無く脱力したこの歩法。無明とは即ち迷い。常に複数の隙を作り相手の迷いを生む動きを取ることで、相手の行動そのものを封じる技だ。こと武人や本能で強く危機を察知する相手に対しては極めて高い効果を誇る。

「小賢しいと言ったぞ!」

 だが、化物は小細工を一瞬で看過してくる。分かっていたこと。本能すら狂気で抑え込む輩には効果が薄い。故に、これは囮だ。一切の加減なく真っ直ぐに迫る大蛇の牙へと合わせて半身を逸らすと、迎撃の一撃への溜めを作る。鞘に当てられた掌の皮膚に装飾の文様がくっきりと残る力で握り込み、肺に溜まった空気を吐き出すと同時に、渾身の袈裟切りが大蛇の首へと放たれる。が、微量漏れた殺気により寸でのところで巨体を御しきり、音を置き去りにした一太刀は大蛇の鼻先三寸を掠めて空を切った。

種種(くさぐさ)ノ型が漆、地摺(じず)り逆月」

 空振りの反動は持ち前の体躯に備わっている力づくで押さえつける。回避は織り込み済み。本来の狙いは一つ目の太刀で動きが止まった相手の首級。疾駆するは薄く細い意識の虚を刈り取るための第二撃。大きく前に出た右足を引き、その力を利用して体ごと右へと捻っていく。白刃が描く軌道は下弦の月。一拍の後、大蛇の首はずるりと落ち、墨よりもどす黒い液体となって蒸発した。

「脆いな。それとも寝惚けているのか?」

「おのれおのれおのれおのれおのれェ!忌々しい、忌々しいぞその力!」

「喚く余力があるならば諦めて早急にここから立ち去れ。己が現世に在る限り、貴様に自由など無い」

 一先ずの勝敗は決した。蛇足は要らない。即座に幕引きを始めよう。

「いや……、どうせ滅ばんのだ、ついでにもう一太刀貰っていけ」

 仰々しく芝居がかった口調で自らに課した枷を一つ外す。即ち、神としての力。神通力。それは例えばすずの持つ言霊であったり、ウサギの用いる結界であるように、ある種の理を超越した力である。端的に表すならば、現実を意思で改変する力。出鱈目は出鱈目ではなくなり、常識は非常識の前にひれ伏す。

「罪ノ型が肆、串刺」

 柄頭に掌を添え地面へと突き刺すと、瞬間、黒の大蛇に無数の穴が空く。次から次へととめどなく、しかもその穴は次第に大きなものへと変わっていき、やがて残り七つある頭の一つを貫いた。人知を超えた力に対し防御など無意味。そういち早く悟った大蛇は、完全に実体化を解いて遁走を始めた。

「今一度名を名乗れ、我が永劫の怨敵よ!名も、名声も、姿も、未来も、過去も。我が至高の体躯を取り戻し、いづれ全てを破壊しつくしてやろう!我は偉大なる八岐大蛇(やまたのおろち)!必定に従いて、貴様を喰らう者也ィ!」

「良いだろう。豊葦原(とよあしはら)千五百秋(ちいおあき)の瑞穂の国を治め仕る三貴子(みはしらのうずのみこ)が一柱たる証。遍く曙光の系譜に連なる、我が誇り高き真名を聞け」

 既に黒い靄だけの存在となった大蛇へと向かって剣を構えた。刀身は白く光り輝き、振り下ろされる瞬間を今か今かと待ちわびている。この一太刀に技は不要。剣に乗せるべきは己を示す惟神(かむながら)

(われ)建速須佐之男命也(たけはやすさのおのみことなり)!」

 横薙ぎ一閃。天を割る轟音と共に世界がずれる。この世のありとあらゆる物、白刃の疾走を妨げること能わず。水平線をなぞるが如き剣は、何もかも、抗う全てを零にした。神速と荒ぶる神威を乗せられたそれは、大荒神の名を以て成されたに相応しい暴風と共に影を蹂躙し、後には確約されていた静寂だけが残された。

「……ウサギ」

「は、はい!ここに御座います!」

「大まかな事情は目の当たりにした通りだ。アレが未だに存在している事実は姉上を始めとした一部しか知らんのだから、驚くのも無理はないが」

「では、やはり本物なのですね……」

「然り。奴こそ八岐大蛇(やまたのおろち)。死の直前、輪廻からの脱却などという外法で魂だけを残した。持ちうる力を生存の願いのみに注いだ結果、少なくとも己では滅ぼしきれない存在へと昇華を遂げた化物よ。代償に永い休眠へとついていたが、復活を果たした。丁度いい器を探してな」

 予想の遥か上をいく事態に目を白黒させているウサギの頭に手を置くと、落ち着くように撫でてやる。いたずらに混乱させてしまったのは己の落ち度だ。どう話せば冷静に受け入れてもらえたかは皆目見当もつかないが、今は兎に角落ち着いてもらうしか手立てはない。

「狐が狐狩りなど土台無理な話。幻咬とやらは自分が手の平の上で転がされているだなどと微塵も思っていないだろう」

「で、ですけど、大旦那様。先ほどは難なく撃退されておりましたよ!」

「本来はあの数百倍は強固。元々、(おれ)が不意を打って漸く互角へと持ち込めた正真正銘の怪物だ。もし、奴が肉体を得てしまえば、一切合財を擲っての死闘は免れん」

「もしかして……、ウサギはとんでもない案件にお呼ばれされてしまったのでしょうか?」

「信頼しているぞ、ウサギよ」

「わ、分かりましたよぅ。もう、ウサギだって臆病ですけど、大旦那様にそこまで言わせて奮い立たないような腑抜けた女じゃ御座いません」

 困ったような嬉しいような顔で、ウサギは言う。幸運にも耳の動き具合から察するに、あまり悪い気分ではないらしい。

「負けるつもりはない。しかし必ず勝てるとも言い切れん。ウサギ、貴様の最も大切な役目は、己が破れた時にその報を高天原(たかまがはら)までいち早く届けることだ」

高天原(たかまがはら)!?ですけどですけど、ウサギにそんな権限ありませんよぅ!」

「心配しなくて良い。その剣と、なにより(おれ)の名前を出せば姉上の御前まで即座に通される仕組みになっている。なかなかどうして、忌むべき過去の愚行も時には案外と役に立つ」

「まだビビってる神様いるとか、大旦那様どんだけやらかしたんですかぁ……」

「概ね伝わっている通りで間違いない。まあ、過ぎた事だ」

 役目を終えた剣が淡い光と熱を発して消失し、上空髙くまで吹き飛ばされていた海水が驟雨(しゅうう)となって降り注ぐ。奴が海上に陣取ってくれたおかげで被害はほぼ皆無。人が集まってくる気配も感じ取れないから、ウサギの結界の仕上がりも上々。軽い錆落としも出来たし、今後を占う試金石としてはこの上なく良好だろう。

「この様子なら修復も己一人で事足りる。行ってこい」

「うっ!い、いやですよぅ大旦那様!いったい何を仰っておられるのか、このウサギには分かりかねます!」

「隠しているつもりだったのか……」

 忙しなく耳を震わせる様はあからさま過ぎる。些か童心に帰り過ぎて、退行を起こしていやしないかと心配になるくらい分かり易い。

「貴様は本当に人間が好きだな」

「ええ、それはもう。みんな、素晴らしいですよ。ウサギたちのような長命からしたら瞬く間に終わってしまう一生でなのに、誰もが輝いています。特に、あの生徒会の皆さんは良いですねぇ。叶うのならずーっと見守っていてあげたい程に」

「そうすれば良い。(おれ)が命じているのだ。多少の無理は通して見せようではないか。神逐(かんやらい)を受け、碌な褒賞も与えられん身だが、せめて恩には情で報いるのが礼であろう」

「大旦那様ぁ……!」

 およよ、と目元を仰々しく手で覆うウサギ。泣き真似に見えて、実のところ本当に感涙にむせいでいるのもバレバレなのだが、当人の名誉の為に言葉を伏せておくとしよう。

「で、ではでは、ウサギは行って参りますね!」

「土産話、楽しみにしているぞ」

 気恥ずかしくなったのか一礼をしてから足早に去っていくウサギの背を見ながら、物思いにふける。

「全ての後始末は(おれ)が着ける。故に、今暫く運命は人の子の手に委ねてみようではないか。なあ、我が敬愛すべき姉上方よ」

 沈んでいく夕日と、上りつつある月。遥か遠くの中天へ、己は誓いの言葉を捧げた。どうか、届くようにと。

 

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