遥か遠き家族への捧詩   作:神話好き

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第二幕 これぞ因幡の白兎

「さてさて、覚悟は御宜しいですか?トーニャちゃん。むふふふふふふふふ。ああ、本当にお酒って怖いですねぇ。ええ、ええ、分かってますとも。だが、しかぁーし!例えそれが酔っ払った末の失言だとしても、お願いとあらば聞いて差し上げなくては因幡の名が廃ります!いざ尋常に勝負しようではありませんか!」

「何で、私がこんな目に」

 夕暮れ泥むグラウンドに佇む影がいくつか。一列に並んで遠い目している生徒会メンバーと、熱心に現実逃避に励んでいるトーニャ。そして、やたらあくどい顔をしながら飛び跳ねている因幡である。事の発端は、またしても上杉先輩の迂闊な一言だった。『そういや、因幡嬢って戦えんのか?』あの人はそう言った。一字一句間違いなく覚えているのは、その場の全員が本能で地雷を踏んだと感じ取ったからだ。特に、先の展開を幻視したトーニャなど、その時点で冷や汗をかいていたのだから、居た堪れなさが過ぎるというもの。そこから先はまさしく因幡の独壇場だった。……現状も大して変わっていないかもしれないけれど、兎に角あれよあれよの内に予定が組まれ、生贄、ではなく相手が決まり、場所の確保も完了した。ちなみに、トーニャが選ばれたのは、先日行われた歓迎会での絡み酒が災いしたらしい。因幡曰く録画もあるので言い逃れは不可能だ。尤も、本人は記憶を飛ばしているので、晒してしまった醜態と共に、重ね重ねご愁傷様である。

「そういえば、トーニャちゃんってば面白い提案してましたねぇ。ええと、勝った方が負けた方の言うことを何でも一つ聞く、でしたっけ?むふふ、学生っぽくってとっても素敵で迂闊な提案、ありがとうございます。ご安心ください。私、華は愛でるタイプですからぁー!」

「くっ……!このままでは私の貞操が危うい……!」

 どす黒い笑みを振りまきながら高笑いしている因幡の提案で執り行われることになったのは、手合せという名の自己紹介だ。いい機会だから、自分の出来ることを見せておきたいらしい。まあ、説得力は欠片も無かったのだけれど。

「じゃあ、パパッとルール決めちゃいましょうそうしましょう!」

「ルール?実力を見せる仕合なら、ある程度適当でもいいでしょうに」

「ええ、まったく御尤もなのですが……。私、これでも少々強すぎますので。ね?」

 分かるでしょう?と言外に伝わったが、それは決してトーニャを侮った挑発などではない。小首を傾げている一年生組といつの間にか死んでいる愛野先輩以外のメンバーは、目の前で微笑んでいる少女が因幡の白兎であることを知っているからだ。見た限りトーニャだって武闘派なのは間違えようもないし、真正面からの殴り合いしか能がない自分を手玉に取ることも、そう難しくないと思う。けれど、相手は神代の曲者。いくらなんでも勝てると驕る材料は無い。

「うふふふふ。あまり固くならなくても大丈夫ですって。ちゃーんと勝ち筋は用意してあげますから。私をきちんと理解してくだされば自ずと勝機は見えてくる筈ですよぅ」

「参考までに聞いておきたいのですが、私の敗北条件はどうなってるんでしょうか」

「時間制限には特にありません。強いて言うなら無茶しすぎて自爆しちゃった時とかでしょうか。ご安心ください!今宵は大旦那様からの命もありませんので、じっくりたっぷり一時間くらいはお付き合い致しますので!」

「ふ……」

 逃げ道を塞がれ、何もかもを諦めた目でトーニャ壊れた。いや、いろいろ考えすぎて逆に吹っ切れたのかもしれない。

「……始まるか」

「ですね」

 相も変わらず因幡は浮かれた雰囲気を垂れ流しているが、トーニャの方は覚悟を決めたらしい。臨戦態勢へのシフトは完了し、後は飛び出すタイミングを窺うばかりである。

「あれは、俺が食らったヤツか……」

 名称はキキーモラ。トーニャの背中から生えている先に錘のついた紐状の物体だ。実際の感覚は分からないけれど、彼女曰く手足の様に扱えるらしい。派手な特色こそないが、伸縮自在で多少動きに無茶が効く第三の腕だと考えれば、その応用の幅は途轍もなく広い。単純に強力で、搦め手にも向いている。一対一で相手に回した時に、これほど厄介そうだと思える能力も少ないのではないだろうか。

「万全でお相手できぬのは私の不徳の致す限りですが、因幡が祀る兎の神楽。どうぞ心行くまでご堪能下さいな」

 外見からはかけ離れたしなやかな動きはまるで舞だ。囃子も演目すらない神遊びは、静けさに比例して荘厳な雰囲気を増していく。

「なっ……!?」

「あらあら、トーニャちゃんってばお優しいのですねぇ。うふふ」

 何らかの力が発動されているのだと気付けたのは、冷静沈着を主とするトーニャの表情が著しく崩れたからだ。つまり、今トーニャが放ったキキーモラは外したのではなく、意図的に外された。自分の手足の様に扱えるはずの器官の制御を、気付かないうちに妨害されている驚愕は、彼女の絶句が余すことなく表している。とはいえ、そういう能力があっても驚きはしない。自分の力だって、相手からしたら似たようなものだし、起点だって相手からは分からない。ただ……、なんとなくだが、目の前で行われたやり取りの間にある力からは、自分とは違う、もっと異質で出鱈目な何かを感じずにはいられなかった。

「ありゃま、ちょびっといきなり過ぎましたか……」

 目に見えて畏怖と警戒を厳としたトーニャに対して、申し訳なさそうにする因幡。そして、次の瞬間。

「どうか怯えないでくださいな。人と遊べるのは本当に久々で、浮かれてしまっただけなのです」

「ちょ、貴女はいったい何を!?」

 気付けば因幡は真正面からトーニャを抱きしめていた。

「おおぅ。こりゃ眼福だな」

「アンタは真顔で何言ってんのよ!」

「……双七君?」

「は、はいっ!見てないです!」

「よろしい」

 決して恥ずかしがってもがくトーニャに見惚れていたわけではなく、注目していたのは一瞬にして距離を詰めた因幡の歩法についてだ。直前まで踏み込む時特有の力みはまるで見られなかったし、なにより土埃すら舞わせずにあのスピードは出せないだろう。何かしらの絡繰りがあるはずなのだが、如何せん浅学の身での考察はそこが現界だ。あるいは会長なら片鱗くらいに辿りついているかもしれないが、無言で一挙手一投足を見逃さないように気を張っていて話しかけられる雰囲気ではない。

「あ、あの、もしかして因幡先輩ってとんでもない人だったりするんでしょうか?」

「落ち着いて考えてみな、さくら嬢。とんでもなくない奴は転校初日から生徒会のお世話になったりはしねえぜ」

「いえ、そういう意味ではなくですね……」

「ま、気持ちは分からんでもないがな。俺だってまさか因幡嬢がとーちんをあそこまで翻弄するとは思わなかったし」

 こっちはこっちで賑やかにしているうちに、あちらもそろそろ再会するようで、ひとしきりトーニャを可愛がった因幡が抵抗もまばらになりつつあったトーニャを開放した。

「これで私が敵ではないとご理解いただけたでしょうか?」

「……仕切り直します」

 仄かに上気した頬の赤みもとれぬままに、今度こそ確信を持ってキキーモラが飛来する。二度、三度。先ほどまで同様に逸らされつつも、何かを推し量っているのか、トーニャの顔に不安は無い。

「なるほど……。随分と厭らしい力をお持ちのようで」

「いやん。それほどでもありませんよぅ!」

 これ見よがしにくねくねしながら白いウサ耳を上下させる様は、非常にあざとい。威厳のいの字も感じさせない振る舞いは考えようによって高度なカモフラージュになるだろうが、残念なことにアレは天然モノらしい。

「文字通りまんまと騙されました。ていうかそれ一発目から反則くさいんですが」

「大正解!汝は我に欺かえつ。森羅万象あらゆる相手に嘘をつき、つかせる力!ま、色々と黒歴史なのであまり好んで使いはしませんけど……。むふふ、吃驚したでしょう?」

「ええ、それはもう。あまりの大人気なさに驚きました」

「あれま、トーニャちゃんってば意外に根に持つタイプです?」

「勝手に手足の感覚狂わされて怒らない人はいないでしょう、ねっ!」

 号令と共に天高く駆け出したキキーモラは縦横無尽に重なり合って網を作る。それも、生半可な大きさじゃない。観戦しているメンバーには届かないまでも、辺り一面をすっぽり覆い逃げ場をなくすには十分な規模だ。

「正直、私にあるまじき穴だらけで無様な策ですが……」

「謙遜しなくても宜しいですよ!私が逃げないと踏まえての事でしょうし。うふふ。やはりトーニャちゃんを選んで正解でした。相互理解はもう目前のようです!」

 行間を読むのに苦心はしたものの、因幡の朗らかな笑顔を見てどうにか辿り着くことができた。優しい笑み。そもそも、彼女はすずを慮ってこの学校に転入してきたのだ。短い付き合いでも縁結びの神様として祀られるだけあって、その行動は迂遠なれど、須らく誰かの為であると自分たちは知っている。要するにこれはある種の出し物なのだ。人よりも大きな力を持っているけれど、怖がらなくて良いのだと、せめて生徒会のメンバーに知ってもらうために、もっと言うなら、すずを受け入れてもらう下地を作ってあげる為に、あの二人は手合せをしている。尤も、トーニャがそれに気付いたのも、熱烈な抱擁を受けた後だろうが。

「第一関門を見事突破したところで宣言しておきましょう。後、二つ。それが此度の相対にて私が持ちうる異能の手札。同時にそれは、私を理解して頂く上で必要不可欠な因子でもあります。貴女方とはまた別の理を持った生き物の事を、どうか分かってあげて欲しいのですよ」

 兎は寂しいと死んでしまうのですからね、と快活に笑って諸手を掲げる。あるいは、すずの言霊のような力を因幡が持っていなくとも、自分は勝てないだろうと思わせるほどにたった一つの動作は洗練されていた。多分、積み重ねてきた年月が違うのだ。人間と違い、いちいち数えるのに気が遠くなってしまうくらいに。

「虚実真贋入り混じってこその現世。誠が無ければ巧みな嘘とて無用の長物に御座います。私こと因幡の白兎、伊達に神代から生きちゃおりませんとも」

 ゆらりゆらり。純白の髪が揺らす単調な動きは、とても緩やかで、軽やかで、ある種蠱惑的ですらある。なにより、目を放し難い。舞のように、どこか人を惹きつけてやまない空気があった。

「往きます」

 地震かと錯覚する衝撃がグラウンド全体を襲い、瞬間にして因幡の姿が掻き消えた。早すぎて早いと思考する間すらなかった。こんなの、タイミングを計るどころの騒ぎじゃない。粟を食って網を降下させるも、もう遅い。そも、転入初日に生徒会室の窓から飛び降りてなんともない時点で察するべきだった。ましてや兎の神獣だ。自分を余裕でボコボコにした鴉天狗を配下に治めるような存在が、見た目通りな訳もない。

「左!」

「素晴らしい反応ですが、まだまだ!」

「くっ……!」

 地面にくっきりと残された足跡の形状から進行方向を読み、網をそのまま横へと振るも、声を捉えたのは右耳。振り返っても、当然既に姿は無い。外野から見ても時折身を低くした影を辛うじて捕える事が出来る速さ。それでもギリギリのところで対応するトーニャも凄まじいが、代償として恐ろしく消耗が早い。このままでは持ってあと数分。完全にジリ貧だ。

「あの、会長、見えてます?」

「一応は、な。だが、それが虚像であるかまで判断は出来ん。あるいは、刀子ならば見切れるかもしれんが……」

 ……精進しなければ。体を鍛えてはいるけれど、現状、それだけだ。あの場所に立つには、あとどれだけの時間が必要なのか。いきなりとんでもなく強くなる事なんて望んじゃいけない、だから、まずはせめてあの場所に立てるくらいまで頑張ろう。

「それにしても凄いな……。もしかしてすずもあんな感じに動けるのか?」

「もしかしてでもそんな質問が出てくる双七君の頭が心配だわ」

 心底呆れたようにため息をつくと、平坦な胸をこれでもかと張って説明を始めた。

「いい?私たちにとって、重ねた月日はそのまま強さに直結するの。そりゃまあ、一概にそうとは言えないけど、大抵の場合はそう。九尾なんてその代表例じゃないの」

「そっか。そういえば増えてくって言ってたっけ、尻尾」

「うん。それに、あの人お母さんのことちゃん付けで呼べるくらい長生きしてるみたいだし、八咫烏を小僧扱いしてたから、もしかしたら結構なお偉いさんなのかも?」

「アレでか?」

「八咫烏だって容姿は子供じゃないの」

「……それもそうだな」

 本人が聞いたら血涙交じりに憤死しかねない台詞なのだが、この場において阻む者はいない。

「加えるなら、彼女が兎であることも関係してるのかも。人妖としての力の原点というか、薄まってない力ではあるんだし、何となくでも強力なのは分かるでしょ?」

 少しだけ申し訳なさそうに、こちらを慮ってすずは言う。人妖能力の異質さが、俺に何を齎したのかをすずは知っている。

「えーっと……。それじゃ、あの高い身体能力がさっき披露するって言ってた力の一つってこと?」

「昔、お母さんが教えてくれた話では、神様にとって約束っていうのは物凄く大切な事なんだって。だから多分、宣言したならそれ以外は使わないと思う。そもそも自分で鍛え上げた身体能力が能力の区分に入るのかは微妙だけど……」

「うふふ、聡明ですねぇ!流石はすずちゃん!静珠ちゃんの娘なだけはあります!」

「うわぁっ!?」

 耳元近くで大声をあげられて、思わず叫び声が上がる。心臓が止まるかと思ったが、それ以上に目の前でトーニャが未だに戦っている現実が信じられなかった。

「摩訶不思議でしょう?お察しの通り、私の姿はお二人にしか見えてませんので、こちらに攻撃の余波が来ることはありませんからご心配なく」

 訝しむ周囲のメンバーに悟られぬようにこくこくと頷くと、落ち着いてもう一度前を向く。真実を知った今でも、目の前で繰り広げられている激闘が幻だとは到底信じられない。例えば、すずが自信を高め続け、知り合った人間の遥か子孫ともう一度知り合うくらいの時間を捧げた結果があるとすれば、きっと似たような真似を苦も無く熟すのだろう。

「しかし、御二方とも脇が甘いですよぅ。今回は私がさくらちゃんたちに聞こえないように音声をシャットアウトしてましたから良いのですが、本気で隠そうとするならば、もっと徹底した方が宜しいかと」

 ぐうの音も出ない。鍛えていないからといって、油断するのは大間違いだった。ここは人妖の街。目に見える範囲が安全だろうと、どこに耳があったか分かったもんじゃない。

「とはいえ、違う捉え方をするなら、この生徒会も御二方にとって心を緩める場所になりつつあるということ。外野の私が口出しするのは烏滸がましいかもしれませんが、勇気を出して一歩だけ歩み寄ってあげてみてはいかがでしょう?ね、すずちゃん」

「……一つ、聞いていい?」

「はいはーい!一つと言わずにいくらでもどうぞ!」

「何で、貴女はこんなにも良くしてくれるの?」

 不安で揺れる声音は、か細く儚い。長い時間をあの島で一人ぼっちで過ごしたすずにとって、因幡の無償の愛はどうしようもなく異質だったのだ。愛は知っている。しかし、それは母親だからこそ注げる親愛の情。つい先日まで顔も知らなかった人に、それと近い愛情を注ぐなど、すずには信じられなかった。

「むむむ、そういえば静珠ちゃんは神格級の妖ではであっても、神格持ちではありませんでしたか。失敬、すずちゃんのお母さんってばいい意味でヤバかったんでちょっぴり失念していました」

 因幡はわざとらしく額を小突き、びしっと人差し指を立てて説明を始めた。

「一先ずは大前提として、私はこの日の本にて懸命に生きる命の全てを愛しております。この身は誉れある白兎明神。良縁を結ぶことこそが私の根源であり、生き様なのですよ。鳥が飛び、魚が泳ぐように、遍く命を慈しむ。すずちゃんも将来を見据えるなら、私や八咫烏、そして大旦那様の在り方を深く胸裏に刻んでおくことをお勧めします。つきましては……っと、どうやら布教、ではなくお話はまた後程に致しましょうか。疑問にはお答えできたと思いますし、さしものトーニャちゃんも痺れを切らしかねない様子」

 一息で何度も表情を変えて熱弁を繰り広げた因幡は、勢いそのままに手を振って再び姿を消した。まるで狐につままれたかのようにすずと二人きょとんとしていると、トーニャが戦っていたであろう虚像すらも消え、今度こそ完全にこの場の全員の視界から消失する。そこまでいって漸くトーニャを含む全員が、といっても荒事上等のメンバーだけだが、何もかも手の平の上だったと気付いた。特にトーニャの浮かべた苦悶の表情は深刻だ。精神をジリジリ削り取る紙一重の攻防が全て徒労だったと知れば無理もない。

「敢えて狡い手法を取らせていただきましたが、ぶっちゃけ普段はもっとエグイ手をバンバン使っていくスタイルなので、ご容赦くださいな。私ってば、か弱い兎であります故に」

「どの口が言うんですか、どの口が」

「うふふ。あ、ちなみにトーニャちゃんが負けたら巫女服着て出雲大社のPR写真を撮らせて頂きますのであしからず」

 その瞬間のトーニャの絶望をなんと言い表せばいいのか、形容する言葉が見当たらない。まだ出会って数日である自分から見ても、動揺を越して狼狽に近いと思えるくらいに表情が引き攣っている。黒い笑み、などと裏表はないのを理解していても、段々と因幡の晴れ晴れとした無邪気な笑顔が残酷なモノに見えてきた。

「……まだ勝負はついていません」

「ええ、ええ。ですから私も持てる限りの敬意を表させていただく所存です。理の外に住む者の威容を身で感じた経験は、いつの日か貴女様の糧となるでしょう」

 どこからともなく響いて来ていた声が止み、轟音と共に舞い上がった土煙の中から、艶やかな袷着物に身を包んだ因幡が顕れた。束の間、誰もが呼吸を忘れて彼女に見惚れる。見惚れてしまう。容姿が、実力が、纏う雰囲気が、それこそ存在そのものが、何もかもがあまりにも完成され過ぎている。しかし、最も驚くべきは、勝てないと思わせないところだ。むしろ挑みたくすらあるのだから、ちぐはぐな感情はどうにもこうにも摩訶不思議である。日は没し、星降る夜に佇む白兎。白磁の御髪は冬でもないのに舞い降りた初雪の如き神性を讃え、而して赤い瞳だけが辛うじて獣の名残を醸し出す。

「降神展開!和魂ノ惟神(にぎみたまのかむながら)神籤(みくじ)合せ」

 拍子を一拍。するりと抜けおちた一本の髪が指に巻きつき、光の筋となって淡く消えた。いや、変わらぬ存在感を鑑みれば、見えないだけで消えてはいないのかもしれない。

「縁結び。大変に手前勝手な権能ではありますが、諸々全ては愛のなせる業。本来ならばこの姿をお見せするのはもう少し先になる予定でしたが、理不尽を前にしてくすまぬ貴女の魂を、ふふ、私ってば年甲斐もなく気に入ってしまったようで」

 格という言葉がある。武道やスポーツ、あるいは娯楽でもいいが、兎に角、比較対象が存在する競技などにおいて、度々圧倒的な相手を差して使われる言葉だ。但し、そういった場合の殆どが一方的にやられてやる気を失った際の言い訳として機能する。すずの持つ言霊だって物凄い力だ。事実として自分たちは厳重な警備を打破してあの島から抜け出すことができた。人知を超えた驚異的な力でも、適正に対処すればどうにかなると思っていた。甚だしい勘違いだ。すずの力はこれと同質の、文字通り人ではたどり着くことの叶わない壁の向こうに在る。人の身で抗うことが不可能な、理を意思で御する理。格とは即ち、神と人とを隔てる深く大きな溝である。

「今、貴女の額を結びました」

「何を……」

「えいっ!」

 その場から動かずに、手でデコピンの要領で動かすと、小石がトーニャの額にクリティカルヒットし薄らと赤く痕をつけた。

「うふふ。我々にはいくつか慣例がありましてね。大半がその行動や力を縛るモノなんですよ」

 宣言を成就させてなるものかと形振り構わず、それだけを阻もうとする。それがどんな力であるのか即座に察し、迎撃なんて捨てて両手の平で額だけを抑える不恰好な守りを構築できただけでも称賛に値するだろう。あの場にいるのが自分だったら頭蓋骨にヒビが入っても、恐らく混乱の坩堝から抜け出せないに違いない。

「ぐっ!」

「本来ならば、必要ない力を切り離しておくのが通例。しかし、縁結びを司る私は、職業柄その縛りが非常に緩い。世に深刻な影響を与え得る力でもありませんし。よしんば暴走してそうなったとしても、止めて下さる御方がおります故に」

 しかし、そんな奮闘虚しく再び飛んできた小石に弾かれてトーニャの額は再度空を向く。先ほどまで行使していた嘘をつく力や瞬身とは位階が違う、因幡の言葉を信じるのなら、いや、彼女は理解してほしいと言ったのだ。ならば戦いにおいての駆け引きはあれど、その言葉は真摯なものであるはず。

「さて、酷かもしれませんが暫しお付き合いをお願いいたします。ここから先は貴女様の価値を示す禊。心が放つ人の強くて儚い輝きにて、どうか私めを魅せてくださいな」

 流水を思わせる淀みない舞が始まり、同時に何の変哲も無かったはずの校庭が異界と化す。美しく白い指の先端。十の指から伸びる十の糸。内一つはトーニャの額と結ばれ、説明を受けた今だからこそ分かる。可視化されて今更ながら実感が沸いた。相手は遥かに格上。途方もなく。遅ればせながら、自分よりも長きを生きるすずが、己を若いと称した理由がようやく理解できた。八咫烏があれだけの激情を露わにしていたが、当然だ。いつの日にかあの場所まで上り詰めることを約束された存在が、貴くない訳がない。

「結べや結べ。御魂震わす声高く、産霊(むすひ)を賜いて縁を成す。出雲より出で、天を巡り黄泉巡り、人を巡りてまた巡り。我が総べるは(よろず)(えにし)。大国の大いなる名の元に、この身は喜び勇んで洗礼の灯となりましょう!」

 増大していく圧迫感は、それでも一切不快ではなく、伝わってくる慈しみの波動に当てられて、いつの間にか目尻には涙が溜まっている。

「……っ!キキーモラ!」

「二つ。うふふ。模擬戦とは申しましたが、私も目的がありますので」

 中指から伸び、虚空をさまよっていた糸が、気付いた時にはトーニャのキキーモラへと付着し、そのコントロールを奪いつつあった。

「余計なお世話なのでしょうけれど、トーニャちゃんはもう少し子供になっても良いのですよ。少なくとも、今この瞬間だけは」

「本当に、余計なっ、お世話ですね」

「貴女にどういった事情があろうとも、この国にいる間は愛しい愛しい私の同胞。ちゃーんと受け止めてあげますから、ね?」

「っ……、何を言っているのか分かりかねますが」

「取りあえずは差し伸べられている手があると知ってもらえさえすれば結構。続きはいづれ、個人的にでも。さあさ、こんなにも素晴らしい夜に無粋は抜きと致しましょう!貴女様は、これと戦える力を携えていらっしゃるのですから!」

「…………寝覚めが悪くなるので死なないで下さい」

 瞬間、トーニャの纏う雰囲気が凍った。目の前にいる埒外の力へと抗う方法を持ち合わせているというのか。綱引き状態だったキキーモラの先端を無理やり手元まで引き寄せ

、深呼吸をしながらはめ込んである枷へと手を伸ばす。

「―――イースクラ・リーヴィエニ」

 相手を操る十の糸などという反則に勝つにはどうすればいいのか。自分や上杉先輩では無理だ。恐らく会長ですら発動される前に一撃を叩き込むのが最善だと答えるだろう。あるいは、すずの言霊の力を借りればどうにかなるかもしれないが、トーニャのとった手段は完全に想像を超えていた。キキーモラ。曰く、ロシアの家憑き妖精。働き者の味方とされ、家主が寝静まった後にこっそり家事をしてくれるロシア版の座敷童やブラウニー。特徴として、機織りを特に好むという。一見するとトーニャの持つそれと関連がなさそうな妖怪ではあるが、見当違いも甚だしかった。目に見えて濃くなった心労を代償として、キキーモラはその真の姿を取り戻す。

「……糸」

「すご……、これ全部動かしてるの!?」

 驚愕に目を見開くすずの叫びに返答はない。形勢は逆転し、良いようにあしらわれていたトーニャは今や相手を追い立てる側だ。十の糸が十の物を操るのなら、それを遥かに超えた糸で圧殺すればいい。一々数えるのも馬鹿らしくなる圧倒的な物量を以て、トーニャは勝負を決めにかかる。

「参ります」

 優雅な舞から一転、地面スレスレの前傾姿勢から大幅な一足跳びで地を駆ける。相変わらず目視で捕えることは叶わないが、それでもトーニャは対応している。幾重にも折り重なり、逼迫しては因幡の力によって僅かな隙間がこじ開けられる。無数の中からほんの十本足らずが叛旗を翻す。時にそれらは空中に留まり足場となり、止めの場面でのみ致命的な隙を作っていく。指先が悴む程度の些細な不自由が分厚い紙一重となり、トーニャの行動を蝕んでいるのだろう。埒が明かないのではないか?そんな考えが脳裏をよぎり、逡巡もせずに否定する。始まりこそ軽い手合せだったけれど、これは真剣勝負にも等しい戦いだ。半端な結末ではお互い納得するワケもない。

「そろそろ仕掛けるようだ」

 自分とは違い、勝負の全貌を可視していたであろう会長が視線をそのままに促してくれる。教えてもらったところでついていけない事実に変わりはないが、少なからず分かっていることだってある。まず一つ目に、何かを仕掛けるのは因幡から。現状ではトーニャの側が優勢なのだからこれは当然として、注目すべきは二つ目だ。即ち、方法こそ不明だが因幡はきっと正面から踏破しようとするだろうということ。ひかりのあめの間を縫い、壁を破り、キキーモラの操作に神経をつぎ込むトーニャの元までたどり着くために。予め場所を知っていて集中できれば何とか一部始終を目に焼き付けることができるかもしれない。

「うふふ……。参ります」

 因幡の宣言が鼓膜を揺らすと同時に、ぞくりと尋常ではない怖気が奔り、体中の毛孔が例外なく開いていく。静かで驕らず、昂ぶっていながら決して逸らない。兎でありながら放つ雰囲気は狩人の冷徹さを兼ね備え、こちらを見られてすらいないのに射抜かれてしまった錯覚すら覚える。

「――……来なさい」

 息も絶え絶えな様子を微塵も感じさせないトーニャの言葉を合図に、最終局面は動き出した。迎撃態勢はほぼ万全だ。トーニャの周囲には格子状に張り巡らされたキキーモラが集い、残りの全てが絶え間なく因幡の瞬身を追従する。風を切り、地を穿ち、虚空を疾走する白い線。変化は到底劇的とは呼べないものだった。因幡の力の影響を受けてキキーモラが撓む位置が、少しずつトーニャの傍へと近づいていく。愚直なまでの力押しである。ただひたすらに速さと強さだけを牙にして、偏執狂の如く敷き詰められた絶対防衛線までの距離は詰まっていく。居合や拳法における刹那の速さとはまた別種の、継続した高速戦闘。数多に分かたれたキキーモラから齎される感覚を総動員して空気の微細な振動すら感じ取り、因幡の動きを想像しつつの戦闘。それら全てを掻い潜りながらも速度を落とさない判断力。とてもじゃないが真似は出来そうにない。

「九重、一重」

 誰に仄めかされたでもなく、全員の視線が中天へと集約される。きっと計ってみれば一秒にも満たない間だったが、時間が止まったかとすら感じられた。月に照らされた因幡は九本の糸を以てたった一欠片のキキーモラを完全に固定し、それを足場に溜めを作っている。そこだけが一枚の絵画を切り取ったように美しかったからだ。風で舞い上がった着物の淵から見えた脹脛は一般女性と大差無かった筈なのに、今では通常時の倍にまで膨れ上がっている。筋肉の鈍く軋む音は固い堅い鋼を連想させ、赤く耀く瞳が否応無く獣を思わせるというのに、呼吸を忘れ見惚れてしまいそうになる。キキーモラを張り詰めた弦とするなら因幡の五体は宛ら引き絞られた弓矢。標的は殊更語るまでもない。因幡からトーニャへと向かって伸ばされた一筋の糸がアンカーとなり、これから先の起きる未来を雄弁に語っている。

「ホントに真正面から!?」

「オイオイ。ありゃ流石にヤバくねえか……?因幡嬢コマ切れになっちまうぞ、愁厳!」

 不意に幻視してしまった最悪のビジョンを受け、慌てて止めようと促してみるももう遅い。一歩目を踏み出した瞬間には突風で押し戻され、たたらを踏んでしまったからだ。しまったと深く悔い、恐る恐る着弾点へと目を向けると、予想と全く異なる現実が訪れた。

「檻の類は地下が無防備と相場が決まってますからねぇ!」

 深く抉れたグラウンドと、キキーモラの格子を地面ごと宙へと浮き上がらされたトーニャ。いったいあの細腕のどこにそんな力があるのか。接触する寸前に片腕を地面に突き刺して諸共引っぺがすなんて荒業。普通は腕がへし折れるし、一歩間違えば上杉先輩の言った通りに細切れだろうに。

「実に良い手合せでした!ええ、それはもう、本当に!」

 完全にバランスを崩したトーニャもどうにか体制だけは整えたものの、それ以上は動けない。あれだけ言われなければ使用に踏み切らなかったのは、大技相応の疲労があったからか。もう、体力は空っぽらしい。

「ふふ、これで私の負けですか。それにしても嬉しいですねぇ!少々気合入れて頑張った甲斐がありました」

 そう言って、崩れ落ちるトーニャを抱きかかえた因幡ごと、その総身をキキーモラが拘束した。これ見よがしな檻も、苛烈な戦闘もブラフ。本命はその体に張ったトラップだ。因幡ならそうすると、理解しなくては絶対に仕掛けられない信頼の罠。相手を読み切って罠を張ったトーニャの勝ちなのか、笑顔でキキーモラに絡め捕られている因幡の勝ちなのかは本人たちの気持ち次第。兎に角、傍から見ていただけの自分からしても、勝敗以上に価値のある決着であることだけは疑いようのない事実である。

「……終わりだな。七海君、トーニャ君の手当てを頼めるか。私は少し挨拶をしてくる」

「あっ、は、はい!」

「挨拶?誰にだ?」

「因幡君の保護者だ。まだ近くに居られるようだからな」

「全然気づきませんでした……」

「落ち込むなよ。それが普通だっつーの」

 救急箱片手に慌ただしく走る七海と、静かに歩き去っていく会長を尻目に、大きく深いため息をつく。なんとも心臓に悪い嵐のような夜は、こうして無事に幕を下ろしたのだった。




大変遅くなってしまい、申し訳ございません
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