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兵藤が死んだ。
支取からそう教えてもらった時、頭が真っ白になったのを憶えている。
兵藤が。あの兵藤が……死んだ。死んでしまった。
発見したのはグレモリーだそうだ。そのまま、転生の『悪魔の駒』を用いて兵藤を悪魔として転生させたのだとも聞いた。
今は生きている。悪魔として、何ら変わらず。兵藤は兵藤のままだった。
だが……人としては、死んだ。人間としての生活は、あまりにも呆気なく、あまりにも速過ぎる終わりを迎えた。
まだ高校2年生だったんだ。まだ子供だった。なのに、死んだ。それが何だか、無性に悲しかった。
兵藤はしっかりと生きている。悪魔にはなったものの、兵藤は何も変わってはいなかった。兵藤は兵藤のままで、何一つ変わってはいなかった。
いつもの様に、俺を先輩と呼んでくれた。グレモリーや姫島を見て、興奮した様に見入っていた。何も変わらない、いつもの兵藤だった。
だが―――死んだ事に変わりはなかった。だから、悲しかった。
「……」
帰り道。帰路。家への足取りが重たい。
弱い。自分の心は、あまりにも弱い。そう思わずにはいられない。
人の死。友人の死。今まで、それを経験した事はなかった。
死よりも苦しい痛みを味わった事は、今でも憶えている。俺はあれを、俺自身の驕りを、決して忘れる事はない。この魂に、それを刻んだ。
だが―――これは、それとは別だ。自分の死よりも、他人の死の方が酷く痛く、苦しく、悲しいものだったと再認識している。
「……此処は」
気が付けば、公園で足を止めていた。
あの時の公園。
俺が悪魔と呼ばれる存在と初めて戦った場所。俺にとっての『運命』を決めたと言える場所だ。
「……ふ」
ベンチに腰を下ろして、一気に力を抜けば小さな息が無意識に零れ落ちる。
なんて弱い。なんて脆い。こんな事では、笑われてしまうだろうか。そう考えて、無いなと直ぐに自分で否定する。
衛宮士郎は、笑わない。だが、泣きもしない。彼の心は歪ではあるが、しかし強く真っ直ぐだった。一つの道を決めたのならば、彼はその道だけを突き進む。
ある道では、その手で友人を殺した。自らの妹を手に掛けた友人を。
だが―――俺は、衛宮士郎ではない。エミヤでもない。ただ、彼等の力を貰っただけの贋物でしかない。
心も体も、英霊ではない。正義の味方ですらない。俺はただ、貰っただけだ。そして、それを少しだけ使っているに過ぎない。
ただの人間でしかない。大して心も強くない。戦場も碌に知らない。そんな俺には―――かなりキツイものだった。
「にゃー」
「お前か…。ごめんな、今日は餌を持っていないんだ」
ベンチで黄昏ていると、聞き覚えのある声がした。その方に目をやると、やはり見慣れた黒猫が居た。
少し前に足を怪我していた猫だ。その手当をした後に餌をやると、よくこの公園に現れては餌を強請ってくる様になった。
いつもの様に餌を強請りに来たのだろうが、残念ながら今日は餌を持っていない。上げられるものは無い。
餌が無いとすぐに帰る、都合の良い猫だ。だが、それが猫というものだろう。そういう所も可愛らしいのだと思う
今は、その気分にもなれそうにないが。
「にゃあ」
「……どうした?」
「にゃ」
「…優しい奴だな、お前は」
餌はないのに、猫はベンチまで上がって来て俺の隣に座った。慰めてくれているのだろうか。
都合の良い猫なんて言った事に、少し罪悪感を憶える。この子は優しい猫だ。
「……俺の後輩がな、死んだんだ」
気が付けば、色々と零していた。
猫を相手に喋っても、何も分からないのに。慰めの言葉が、欲する言葉が出る訳もないのに。
まぁ、この子ならば、言葉も理解してしまいそうな気もするが……。だが、喋ることはない。
いや、喋らないからこそ、この子に話しているのかもしれない。ただ話を聞いてくれるだけだからこそ、無意識に零しているのだと思う。
「…薄情者だよ、俺は。酷く悲しい筈なのに……涙が出てこない」
「にゃあー……」
「現実を受け止め切れてないだけなのかもしれない。でも、怖くなるんだ。自分の何かが壊れてしまったんじゃないかって、不安になるんだ」
俺が自ら望んで、手にしたもの。
その代償を払う事無く利用するなど、虫が良い話だと理解している。
後悔はない。だが、不安になる。自分の意思でこうなった筈なのに、何と都合の良い事か。我が事ながら醜く、情けない。
兵藤は生きている。悪魔になりはしたものの、変わる事無く生きている。それを嬉しいと、思っていない訳ではない。どんな形であれ、生きていてくれて嬉しいと思う。
だが……喜びよりも、悲しい。その死を、受け入れる事が出来ていない。兵藤一誠という一人の人間の死を、重く。
気持ち悪い矛盾だ。あまりの醜さに、憤懣すらも抱けない。
「まったく、弱いよ。腹立たしさすら感じない程に……俺は弱い。人間としても、贋物としても。酷い有様だ」
「……」
「…………はは、猫に何を言ってるんだろうな。ごめんな、こんなつまらん一人語りをしてしまって。餌はまた今度」
持ってくる。そう言い切ろうとして、それが止まる。
ぺろ、と頬を生暖かい何かが舐めた。
「にゃー」
「慰めてくれてるのか?」
「にゃあ」
「はは…、まさか猫に慰められるとはな。ありがとう、やっぱり良い猫だな」
少しだけ。
ほんの少しだけ。
重苦しかった胸の内が、軽くなった様な気がした。
今度、良いご飯を上げよう。魚が良いだろうか。そんな事を考えた。