将来妹が鬼に殺されるかもしれないので絶対阻止したいお兄ちゃんの話 作:シグル
前編
諸々の事後処理を隠と隊士たちに任せて向かった蝶屋敷。胡蝶が運び込まれて大分経ったが、依然処置は続いているようだ。そのため、しのぶ嬢、神崎、栗花落、そしてすみなほきよの三人娘といった胡蝶と特に関わりの深かった者たちは、軒並み彼女の病室で治療に当たっているらしい。というのを、俺の治療を担当してくれた医者から聞いた。…まあ治療と言っても、軽い凍傷といくつかの切り傷だけだったため何か特別なことをしたわけではないが。
一部縫われたものの、既に血は止まっていることもあり薬と包帯で十分だろうという診断を下された。医者と看護師に礼を伝え、いくつか薬を受け取り処置室を出る。
蝶屋敷に向かう際にはまだ低かった太陽も、随分と上まで昇っていた。
「あっ、一宮さん!」
「本当だ!」
「もう治療は終わったんですか?」
とある一室を通り過ぎたとき、中からがちゃりと戸が開かれた。そこにいたのは蝶屋敷の三人娘で、俺に気づいたなほが名を呼んだのを皮切りに順に声を掛けてくれる。
…そうか。胡蝶の病室はここか。
嬉しそうに駆け寄ってきた子どもたちの目線に合わせるよう片膝を着く。立ったままだと首が痛いだろうというのもあるし、何より俺が顔を見辛い。
「ああ、ついさっき終わったんだ。…胡蝶はどうだ?」
俺の問い掛けに彼女たちは互いに顔を見合わせるが、その表情は明るい。
「さっき一度目を覚まされたんです」
「またすぐに眠っちゃいましたけど、もう大丈夫だろうってしのぶ様が」
「一宮さん。カナエ様を助けてくれてありがとうございました!」
ありがとうございました!
そうぺこりと揃って礼を言う様はどこか微笑ましい。
「…ひとつ、頼まれてくれないか」
疑問符を浮かべて首を傾げる三人に続けて言う。
「しのぶ嬢を、支えてやってほしいんだ」
「しのぶ様を?」
「そう。きっと今回の件で張り詰めてしまうから。たまに気分転換にでも誘ってあげてもらえないか」
「…私たちに、できるかな?」
自信なさげに呟く様子につい笑いが溢れた。それぞれの髪飾りに目を向ける。
「いつも通りでいいんだ。大丈夫だよ、家族なんだから」
三人がこの蝶屋敷に来たときに家族の証として渡したのだと、いつだったか胡蝶が言っていた。
その時の会話を脳裏に浮かべながらそう告げれば、ぱあっと彼女たちの顔が輝く。…うん、こっちの方が断然いいな。年相応で可愛らしい。
「わかりました!」
「お料理とか、お散歩とかしのぶ様がお休みの時に誘ってみます!」
「アオイさんとカナヲさんも!」
きゃいきゃいと話をする三人を眺める。この子たちがいれば、きっとこの屋敷も陰鬱な空気にはならないだろう。これで胡蝶が回復していけば文句なしだ。
また改めて見舞いに来ると約束し、彼女たちに別れを告げる。そのまま空屋敷に帰ろうと歩みを進めていると、玄関付近で背後から静かに名を呼ばれた。
「一宮さん」
「…しのぶ嬢」
彼女の顔は俯いていて見ることは叶わない。けれどその雰囲気は重く、俺の知っている姿とはかけ離れたものだった。…姉を殺されかけたのだ。無理もないと思う。
「姉さんを助けてくれて、本当にありがとうございました」
そう言って深く下げられた頭に手を伸ばして、数回弾ませる。…先程も思ったが、正直、その礼を素直に受け取るのは心苦しいものがある。俺は、鬼と胡蝶の間に割り込んだだけだから。薬を与えて血鬼術を消し去ってくれたのはあの猫で、その命を繋ぎ止めて回復に向かわせているのはこの蝶屋敷の住民──胡蝶の家族たちだ。俺は本当に必要最低限のことしかしていない。代わりに鬼を狩ることすら出来なかった。
しかし、これを言ってもどうにもならないし、むしろ困らせてしまうだろう。だから俺は、何も言わない。ただ無言でしのぶ嬢の頭に手を伸ばし、数回弾ませて頭を上げさせた。
「一宮さん」
されるがままだったしのぶ嬢からもう一度名前を呼ばれる。
「姉さんを襲った鬼の特徴を、教えて下さい」
予想していた言葉だった。
胡蝶の治療に当たっていたしのぶ嬢がここにいるということは、彼女が出来ることは粗方終えたのだろう。そして、傍を離れても問題ないと判断した。
しのぶ嬢の場合、少し心に余裕が出来れば、安心と共に沸き上がってくるのは果てしない怒りだろうと、そう思っていた。そしてその怒りは、周りが完全に取り除いてやるのは難しい代物だ。実姉である胡蝶ですら微妙なところだろう。だから俺は、すみなほきよに"いつも通り支えてやってほしい"と頼んだんだ。少しでもその怒りと憎しみが和らぐように。彼女にとっての
けれど同時に、俺は上弦の弐についての情報を秘匿することは出来ない。鬼殺隊士として、そして柱として、下の者に注意喚起の意味も込めて周知させねばならないからだ。
故に俺は、彼女への情報提供を惜しむつもりは一切ない。が、それは今でなくともいいだろう。
「数日以内に、緊急の柱合会議が開かれる。おそらくお前も、胡蝶についての報告のために呼ばれるだろう」
「はい」
「上弦の弐についてはそこで話す。お前もついでに聞いていけばいい。だから今は、何も考えずに胡蝶の傍に居てやりなさい」
「…はい」
ようやっと見えたその顔は、安堵と怒りと、少しの恐怖が入り交じった複雑なもので。ついもう一度、そのまろい頭に手が伸びそうになった。
「それじゃあまた今度な。次は見舞いの品も持ってくる」
「…ええ。ありがとうございます」
またな、としのぶ嬢と別れ帰路につく。そしてあと少しで屋敷に着くというところで、諸々の事後処理を終えた紅葉と偶然一緒になった。
「…」
「…」
無言が空間を支配する。遥か上空から響くトビの鳴き声と互いの足音しか聞こえないこの状況は、えも言われぬ居心地の悪さを感じさせた。
「…怪我の具合は」
暫く無言が続いていたため、いきなりの問いかけについ
「あ、ああ。軽い凍傷と切り傷だけだ。一部縫いはしたが、自宅療養でも問題ないと言われた」
「そうか…」
ほう、と心底安心したように息を吐き出す紅葉を見て、自然と口から言葉が溢れた。
「ありがとう、心配してくれて」
隣から僅かに怪訝さを含んだ視線が向けられる。
「そこは普通"ごめん"じゃないのか」
「そんなこと言ったら余計怒るだろう、お前」
「…ははっ。まあな」
僅かに顔を向けて答えれば、一度ぱちくりと目を瞬かせてからからと笑う。その笑顔にはもう、先程までの張り詰めた様子はない。余程心配をかけてしまったらしいと、少し申し訳なくなる。しかし同時に嬉しいとも感じてしまうからもうどうしようもない。
口面の下で苦笑していると、そうだ、と思い出したように紅葉が言う。
「預かった羽織な、指示通りにしておいたぞ。ついでに上から箱も被せたからまず間違いなく日には当たらない」
念には念をってな。
特に詳細を聞いてくるわけでもなく、頼んだこと以上のことをしてくれるこの男にはいつも頭が下がる思いだ。
「…本当に、俺の隠は優秀で助かる」
屋敷に着き、戸を開く紅葉の背中を眺めながら無意識に溢れ落ちた。
「当たり前だろう?」
その言葉を拾った紅葉が得意気な顔で振り返る。
「何たって俺は、お前に背中を任された身だからな」
言うだけ言って中に入っていく紅葉を追いかけながら大きく息を吐き出す。
「…格好いいなぁお前は」
意図的に小さくした声は、今度は誰にも拾われることなく静かに空気に溶けていった。
*****
「すまないね、あおい、しのぶ。二人とも疲れているだろうに」
そう俺たちの前方で申し訳なさそうに眉を下げるのは、我らが鬼殺隊当主のお館様だ。そして左右に二人ずつ、現柱である岩柱、音柱、水柱、風柱の四人がそれぞれ座している。
ここは産屋敷邸の一室。予想通り、上弦の弐と会敵した翌日の今日、緊急の柱合会議が執り行われた。俺が重症であれば何日か先だったのだろうが、幸いにも軽傷だったからな。なるべく早いほうがいいと判断してのことだろう。しのぶ嬢には少し酷かとも思ったが、彼女にとっても有益であるはずだから目を瞑ってもらいたい。とは言え、緊張やら何やらでやはり気を張っているのだろう。普段と比べて表情が硬い。
「いいえ。こういった情報共有はなるべく早い方がいい。気になさらないで下さい」
代表して俺が答えると、お館様は微笑みを湛えて一つ頷いた。
「ありがとう。…では、まずはカナエの容態を聞こうか。しのぶ」
話を向けられたしのぶ嬢は、一度瞳を閉じて深呼吸をする。そして再び開いた時には、医者としての顔つきに変わっていた。
「はい。まず切り傷ですが、四肢に細かいものが多数と、右脇腹から左胸にかけて大きく斬られていました。この胴体の傷が一番深く、放置すれば致命傷となっていたでしょう。発熱も見られましたが、これらの傷によるものなので時間が経てば平熱に戻ると思われます。また、両手の指先と左前腕辺りには凍傷が出来ていましたが、何れも軽傷で収まっています。ただ…肺胞の一部が壊死しているため、今後も隊士でいることは不可能だと思われます」
例の薬で血鬼術は消し去ったが、それまでに侵食された部分は流石に治らなかったか…。
しのぶ嬢の言葉に空気が重くなっていく室内に、お館様の落ち着いた声が染み渡る。
「そう。命に別状はないんだね?」
「はい」
「ならば、一先ずは安心だね。ありがとう、しのぶ。後日改めてお見舞いに行かせてもらうよ」
「えっ、あ…は、はい!ありがとう、ございます」
予想外の言葉だったのかわたわたと礼を述べているしのぶ嬢にほんわかとした空気が流れた。
しかし、それもほんの僅かな間だけだったが。
「さて…。では次にあおい。詳細を頼むよ。上弦の弐はどんな鬼だった?」
その一言で、緩んだ糸が再び張り直されたように空気が正された。この場にいる全ての視線が俺に集まる。特に隣からの視線が痛い。
様々な想いが乗せられた視線を受けつつ、俺は脇に伏せていた紙を手に取った。
「まずはこれを。隠に書いてもらった人相描きです。後で花柱が目を覚ましたら一度確認してもらいますが」
お館様に一枚。左右の柱たちには二人で一枚を見てもらい、最後の一枚を瞬きもせずに俺を凝視しているしのぶ嬢に渡す。
紙は逃げないからちゃんと瞬きしなさい。
俺から紙に視線の向き先が変わったことを確認し、追加の情報を落としていく。
「血を被ったような髪模様に虹色の瞳。鋭い対の扇を持っており、それでも攻撃が可能なようです。俺の腕を扇で取ろうとしていましたし。おそらく花柱の切り傷もこの扇によるものかと」
昨日の戦闘の様子を頭に思い描きながら話を進めていく。
「扱うのは氷の血鬼術です。元水柱、白金瑞乃の証言と花柱の症状からの推測になりますが、おそらく氷の粒子を空気中に散布しそれを吸わせることで、肺を傷つけ呼吸を阻害するものと思われます。他にも冷気を纏った煙幕を出したりしていましたが、申し訳ない。他の術を出させることが出来なかった」
「いいや。むしろ十分すぎるほどの情報だよ。ここまで上弦の情報を得られたことは鬼殺隊の歴史においてないからね。本当にありがとう」
「勿体ないお言葉です」
「他に、何か気になったことはあるかな?」
その問い掛けに、一度閉じた口を再び開く。
「"男には興味ない"と言っていた割に俺には興味を持ったようで。何度か名前を教えてくれとせがまれました。まあ教える義理もなかったので答えませんでしたが。無いとは思いますが、奇襲してくる可能性もあるので暫くの間合同任務は避けた方がいいかもしれませんね」
しんと静まる部屋に突き刺さる視線。俺が一体何をした…いや何もしていないからか…?
「…」
「…お館様?」
「あおい」
「はい」
「暫く、警戒は怠らないようにね」
「承知致しました」
了承とともに頭を下げる。そして視線をお館様に戻せば、その顔はいつもの微笑みではなく苦笑に変わっていた。
「君のそういう顔を見るのは、瑞乃が逝ってしまったとき以来だ」
…流石にばれるか。伊達に十年以上友人をやっていない。
「…切り替えますよ」
「そこは心配してないよ」
ふ、と吐息のような笑いを洩らす。そしてすぐに表情を戻し、真っ直ぐ見つめられた。
「あおい。改めて礼を言う。また間に合ってくれて、カナエを守ってくれて。そして何よりも、生きて帰ってきてくれて。本当にありがとう」
──間に合ってくれたよ、あおいは。ちゃんと、瑞乃の最期を見届けてくれた。
かつて耀哉に言われた言葉を思い出す。…ああ、そうだな。ちゃんと間に合って、命を繋ぐことができた。失わずに、家族の元に帰すことができた。
「──はい」
こちらこそ、その事実に気づかせてくれてありがとう、耀哉。
柱合会議が終わり、耀哉は上弦の弐についての情報を隊士たちに回すからと出て行った。広間には柱としのぶ嬢、つまり今日呼ばれた者が全員そのまま残っている。
「あの、一宮さん」
「ん?」
「瑞乃さん、という方は…」
隣に座るしのぶ嬢からの控えめな質問に、周囲の柱の気配がぴくりと揺らいだ。その素直な反応に僅かに口角を上げて、質問に答えてやる。
「白金瑞乃。二つ前の水柱だ。五年前に上弦の弐と会敵し、俺が看取った」
「!」
息を飲む音が響く。立ち上がり、庭に面した障子を開ければ、柔らかな陽光と共に熱を孕んだ風が室内に入ってきた。そのまま空を見上げて言葉を紡ぐ。
「"対の扇"と"氷を吸ってはいけない"という情報は、彼女が遺したものでね。俺が直接託されたんだ」
だから叶うならば、俺がこの手で首を狩りたかった。まあもう過ぎたことだが。
「…それにしても、厄介なのに目をつけられたな」
名前を聞かれたと言ってたときには派手に驚いたぜ。
天元が両手を後ろにつきこちらを見上げて感心したように言う。
「まあ、長く柱をやっていればこういうこともあるだろうよ」
「生きて情報を持って帰ったのはいいがなァ。あんたのことも向こうで共有されてんじゃないかァ?」
「否定は出来ないな。一応使う型も限定したんだが、流石に手を抜くことは出来なかったし。けどまあ、鬼殺隊についての情報は一切漏らしてないから、そこは安心してくれ」
「お前に限ってそのようなこと、あるわけがないだろう」
ジャリジャリと数珠を鳴らす悲鳴嶼は相変わらずの泣き上戸だ。
「(周りからの信頼が)厚いな」
「あァ?暑いなら羽織を脱ぎゃあいいだろォ」
「?何を言っている?」
「あ゛ァ?」
冨岡も相変わらず口下手だな…。そして今のやり取りだけで不死川との相性が悪いことは分かったよ。
そのまま不死川が突っかかり、富岡が斜め上の受け答えをするという混沌とした会話が繰り広げられ、最終的に俺と悲鳴嶼によって打ち止めとなった。天元としのぶ嬢は呆れながらも我関せずを貫いており、その態度に互いに妙な親近感を抱いたらしい。目を離した隙に何やら話し込んでいた。毒だの嫁だの聞こえたが、まあ、天元だし大丈夫だろう。