将来妹が鬼に殺されるかもしれないので絶対阻止したいお兄ちゃんの話 作:シグル
前編
時透兄弟を空屋敷に引き取ると決めた時、俺は二人に、鬼殺隊に入るかどうかは一旦置いておいてとにかく療養に専念するよう伝えていた。産屋敷家から勧誘されたことも当分の間は保留にするように、と。さすがに片腕を失った子どもとその片割れに、すぐに今後の事を決めろとは言えないし、言うつもりもなかったからだ。
とはいえ、無一郎は鬼殺隊に入ることには前向きだったようで、有一郎の状態が落ち着いた頃から隊士について聞いてくる事が増えていたし、紅葉や美鶴殿からも隠について話をねだられたとの報告もあった。体調が良い日には有一郎も一緒になって聞いているというから、これはもうほとんど決定かなと思っている。
隊士になるにせよ隠になるにせよ、鬼殺隊は万年人手不足だから正直ありがたい。
しかしそれと同時に、まだ若いのにとも思うのだ。こんな未来ある子どもが鬼殺隊士への道を歩むかもしれないことに、遣る瀬無い気持ちが湧いてくる。
…かつての幼い俺に接していた周りの大人たちもこんな気持ちだったのかと思うと、何とも複雑な気持ちになるのは俺も年を取ったということなんだろうか。
そんなとりとめもない事を考えていたある日。
朝餉を全員で食べ終え、のんびりとお茶を飲んでいた時のことだ。午前の内に昨夜の任務の報告書を仕上げなくてはと考えていた俺に、妙に緊張した様子の無一郎が話しかけてきた。
ちなみに有一郎はその横で片手を握りながら己の半身を応援している。
「どうした?」
無一郎に顔を向ければ一度大きく深呼吸しているところだった。目を瞑り、息を吸って、吐いて。いつもより些か表情が固いが、先程よりも緊張は解れたようで俺を真っ直ぐに見上げてきた。
「──僕に呼吸と剣技の稽古をつけて下さい」
二度ほど瞬きを繰り返し、今度は身体ごと無一郎に向き直った。
布擦れの音がしん、と静まり返る室内に響く。
「それはつまり、隊士になりたいということで相違ないな?」
「はい」
「では一つ聞こうか。何故隊士になりたいと願う」
俺の問いに、無一郎は目を逸らさずに答えた。
「…最初は、あまね様に僕たちが凄い剣士の子孫なんだって聞かされた時に、鬼に苦しめられてる人たちを助けたいと思った。…けど、今はそれだけじゃないくて。僕は、有一郎の腕を奪った鬼が赦せない」
きゅっと眉間に皺を寄せて無一郎は更に続けた。
「みんな、普通に暮らしたいだけなのに。鬼がそれを奪ってく…僕は、それが赦せない。僕が隊士になることで一人でも多くの人たちが助けられるなら、この決断にはきっと意味があると思うんだ」
そこで初めて無一郎は俺から視線を外した。その先にいるのは、この子どもにとって唯一の肉親だ。
「…それに、有一郎が言ってくれたから」
──無一郎の無は"無限"の"無"。無限の力を出せる、選ばれた人間なんだ。
「だからあおいさん。僕に呼吸を教えてください。鬼を倒せるだけの力を、与えてください」
畳に手を付き深く下げられた頭を見つめる。
「分かった」
ばっと勢いよく上げられた上体に思わず口元が笑みを作った。
「自分なりの動機があるなら俺は反対なんかしないよ」
「あおいさん…ありがとう」
「ああ」
瞳を煌めかせて礼を言う無一郎に場の空気が一瞬緩んだ。
「無一郎。改めて言うが、鬼狩りというのは常に死と隣り合わせだ。油断をすればこちらが食われるし、何より己の手で救えるのは本当に極一部のみ。寧ろ守れない事の方が多いだろう。それは分かっているな?」
「うん」
事も無げに頷いてみせるその様に本当に分かっているのかと若干の不安を抱くが、その瞳に浮かぶ覚悟は確かなもので。
ならば俺がしてやれるのは、この子が早々に逝ってしまわないよう只管鍛えてやるのみだ。
「俺の修行は厳しいぞ?」
にや、と煽るように伝えれば、無一郎も負けじと笑みを返してくる。
「望むところだよ」
その返答に更に口角を上げた俺は、つい、と今度は有一郎に視線を向けた。
「お前はどうする?」
己の片割れに向かって拳を作り応援していた有一郎は、ぱちりとひとつ瞬きをすると静かに口を開いた。
「…俺は、隠になります。隠になって、無一郎を支える。片腕しかない俺に出来ることなんてたかが知れてるけど。それでも──」
残された右手に視線を落とし、一度ぎゅっと強く握る。無一郎と同じようで少し違う顔をまっすぐとこちらに向け、自身の想いをのせて再度言葉を紡いだ。
「無一郎を、独りにはさせない」
強い意思の籠った眼差しが俺を貫く。
「…そうか」
ここ最近ずっと悩んでいる様子だったから心配していたんだが、もうその必要もないだろう。
隠に関しては俺よりも紅葉と美鶴殿に任せた方がいいと、後方で俺たちの会話を聞いている二人に視線をやれば心得たと言わんばかりに頷かれた。心強いことこの上ない。
しかしいきなり有一郎を隠の仕事に同行させるわけにもいかないと思考を巡らせる。
片腕しかない分、咄嗟の時に重心が取れないのは痛手だろう。ある程度動けるように身体を作っておく必要があるな。
ふむ、と一つ頷き今後の方針を決める。
多少任務の調整が必要になるが、最近は柱も増えてきているし少しくらい仕事を回しても問題はないだろう。耀哉にも二人の事を報告しなければならないし、近い内に産屋敷邸に赴かなければ。
まあでも、まずはそうだな。
「有一郎も無一郎と共に呼吸を身に付けようか」
軽く言い放った俺に困惑した様子で有一郎が応える。
「え、いや俺、隊士にはならないけど…」
「隊士が使うのとはまた違う呼吸だよ。あれは鬼を斬るために使うが、俺が言ってるのは基礎体力を上げるためのものだ。肺を鍛えて大きくして血流を上げるだけだから、鍛えれば誰でも出来るようになる」
隠も隊士と変わらず体力勝負なところがあるから出来ていて損はない。流石に全集中・常中は習得しなくても良いが、ある程度持続できればやれることは多いはずだ。
「片腕がないなら他のもので補え、有一郎。欠けたものは戻らないが、だからと言って周りより劣っていると考える必要はない。お前はお前の出来ることを。きっと呼吸はその助けになる」
そう告げれば困惑した表情を真剣なものに変えて了承を示した。無一郎は有一郎と共に鍛練が出来ると嬉しげである。
「とはいえ、まずは二人とも体力を付けるところから始めないとな」
「…確かに、前は薪とか背負って歩いてたけど最近何もやってない」
「俺もずっと寝てた…」
「そう落ち込むな。二人にとって必要な時間だったんだから」
お互いに顔を見合せて眉を下げるその様子に苦笑を溢す。
「取り敢えず、今日から軽く始めてみよう」
流石にいきなり山は駄目だろうから、手始めに敷地内を走らせればいいかな。
「屋敷に沿って庭を、そうだな、五週してきなさい。休憩はするなよ」
「「はい!」」
「やる気に満ちてて大変結構。体力配分には気を付けてな」
「わかった」
「いってきます」
さて。二人が走ってる間に報告書と耀哉への手紙を書いてしまわないと。
紅葉たちに一言声を掛け私室に戻る。
報告書の紙面に筆を走らせながら考えるのは時透兄弟の事だ。
本来、柱が隊士でもない子どもに稽古をつけることは滅多にない。鬼を狩ることが仕事の鬼殺隊士にそんな時間はないし、そもそも隊士の卵を鍛えるのは育手の仕事だ。
けれど、これらはあくまで一般論。あの子たちに当てはまるかと聞かれたら、俺は間違いなく首を横に振る。
耀哉は、二人が隊士になることを期待していた筈だ。でなければわざわざ直接勧誘なんてしないし、何度も足を運ばせたりもしないだろう。
始まりの剣士の子孫。剣の腕が血筋に影響されるのかは分からないが、それでも鬼舞辻を追い詰める一手になる可能性はある。
そう考えれば耀哉の事だ。なんの事情も知らない育手に無一郎を預けるようなことはしないだろう。となると預け先は補佐役の父上殿か、面識のある胡蝶姉妹か、現在進行形で預かっている俺か。
「…まあ、俺かな」
自惚れでもなんでもなく、時透兄弟は俺たちに懐いてくれている。安全な場所だと認識し、心を許してくれている。ならわざわざ新しい環境に移すなんて事はしないだろう。
という予想を立てつつも、二人に稽古をつけることの許可を貰うために今度は手紙を認めていく。
それと同時に大まかな鍛練内容を考えるが、二人はまだ12の子どもだ。筋力もつけなければならないが、身体が十分出来上がっていない段階で鍛えすぎても効率が悪い。
ならやはり、優先すべきは体力か。あとは平行して回避訓練と、無一郎には素振りもやらせよう。それからある程度体力がついたら山を走らせて肺を強くして、最後に瓢箪割りだな。それが済んだら無一郎に型を教えなくては。
庭から響く子どもたちの悲痛な声に苦笑を溢しながら、暁に書き終わったものを託すために俺は襖を開いた。
*****
珠世殿たちと協力を取り付けて数ヶ月が経過した今日この頃。俺たちの関係は文通のみで交流していた頃より大分良好になっていた。特に珠世殿は俺に対するほんの僅かな警戒心がすっかり無くなり、俺と直接会う際にも緊張することが無くなった程だ。
…正直、信用してくれているのは嬉しいんだがここまで警戒されないのもどうかと思う。
だって鬼殺隊の柱だぞ?日にもよるが訪問日と任務が重なれば日輪刀だって所持しているのだ。多少の警戒心は持っていていいと思う。いやまあ、いつまでも警戒し続けるのも疲労が溜まるし研究の事を考えれば非効率なのも分かるんだが…。
といった内容の事を定期訪問の際に伝えれば、珍しくころころと笑いながらはぐらかされてしまった。いつもは上品に笑う珠世殿のその貴重な笑顔に、横にいた愈史郎から感謝と憎悪が入り交じった複雑な視線を貰ったのでまあいいかと思考を放棄したのはつい先日の事だ。
俺は今でも変わった血鬼術を扱う鬼の血を採取しては茶々丸に頼んで届けてもらっているし、あちらはあちらで素人の俺にも分かりやすいように研究の進捗具合を教えてくれている。
愈史郎も、最近では俺が訪ねると悪態を付きながらも珠世殿のついでとして紅茶と洋菓子を出してくれるようになった。もしかしなくても大分気を許されていると思う。
こうした現状と研究の進捗具合を鑑みても、そらそろ次の段階──共同研究に進んでみてもいいんじゃなかろうかと歩き慣れた道を進みながら考える。
胡蝶姉妹にも珠世殿と同じように鬼の血を採取する度に渡してはいるが、やはり鬼舞辻の血が薄いせいだろう。上弦の弐の腕を所持している珠世殿たちに比べれば研究の進みは遅い気がする。代わりにしのぶ嬢の毒の品質は向上の一途を辿っているが。
今から思えば、しのぶ嬢が胡蝶の研究を手伝うと言ったあの日に上弦の腕について話しておけばよかったんだ。そうすれば腕の一部を渡す事ができて二人の研究も今以上に捗っただろうに。
しかし、あの時のしのぶ嬢は下手をすると即座に腕を日の元に晒して灰にしていたかもしれない程の怒りを抱えていた。
胡蝶の研究に協力すると言ってはいたが、やはり鬼への怒りや憎しみはそう簡単に消えるものではなかったらしい。笑顔で任務先の鬼をいたぶっていたと当時たまたま見掛けた天元が教えてくれた。
上弦の腕は言わずもがな大変貴重だ。万が一にも灰にされたら困る。だから黙っていたんだが…。
最近の彼女の様子を見て、もうその心配はいらないと判断した。
相も変わらず怒ってはいるが、あの頃に比べて感情を抑えることが出来ている。特に柱になってからはそれが顕著だ。姉である胡蝶を見本に常に笑顔でいることが増えたが、前に「感情の制御が出来ないのは未熟者の証です」と話していたから彼女なりに模索した結果なのだろう。
話すならば、今だと思う。
珠世殿の方も胡蝶姉妹同様少し行き詰まっているようだし、新しい視点が入るのはお互いに良い刺激になる筈だ。
…といっても、この構想は俺と耀哉との間でしか話していないから、それぞれへの説明から始めなくてはならないのだが。
先に珠世殿と胡蝶を会わせてからしのぶ嬢を紹介した方がいいかな。胡蝶ならいい具合に二人の緩衝材になってくれるだろうし。
うんうん、と内心頷きつついくつもの店が並ぶ通りを歩く。
ここは俺の担当警備地区の一つだ。今は昼間だが、夜だけでは分からない事もあるからたまに日が出ている時にも巡回は必要だと、俺が柱になった際に古風殿が教えてくれた。
だからこうして、不審に思われない程度にぶらぶらと練り歩き、 適当に目についた店を覗きつつ周囲の噂話に耳を傾けているのだ。
とはいえ、先程立ち寄った茶屋でも藤の花の家の主人からの話でも特に気になる内容のものはなかった。暁にも動物たちから話を聞いてくるよう頼んだが、そう大きな問題はないと見ていいだろう。
そう大まかな判断を下したところで、一つの鼈甲の簪が目に留まった。落ち着いた色合いでいて細かく透かし彫りがなされたそれを手に取りじっと眺める。
自然と思い浮かんだのは一人の女性。そういえば、そろそろ花魁になれるのだと丁度一月前に言っていた。何か贈ろうかと聞けば「そのお気持ちだけで十分です」と袖で口元を隠しながらふんわり笑っていたのを思い出す。大きな瞳をゆるりと緩め、澄んだ声がこちらの鼓膜を揺らすのだ。
ふ、と笑いが漏れたところで我に帰る。
(…いや、贈るわけでもないのに手に取ってどうする)
贈るにしても菓子がそこらだろう、痕跡は残せないのだから。
溜め息を吐きつつ簪を元あった場所に戻そうと手を動かす。
「…」
動かした、のだが。
なんとなく。本当になんとなくだ。このまま手元に置いておきたいと、そう思ってしまった。
ならばもう仕方がない。 買ってしまおう。折を見てあまねにでもやれば簪もきっと浮かばれる。
そんなどこか投げやりな思考で簪を購入し店を出た。別の店で鯉夏に渡す菓子を買い、情報収集も済んでいるだろう暁と合流するため表通りに背を向け脇道に逸れた。
歩みを進めつつ簪の包みを入れた懐付近を指でなぞる。店で手に取った際、無意識の内に頭に浮かんだ己の欲に自嘲めいた笑みが溢れ落ちた。
「まいったなぁ…」
──いつか俺が贈った簪を挿しているところを見たい、だなんて。
そんな