将来妹が鬼に殺されるかもしれないので絶対阻止したいお兄ちゃんの話 作:シグル
前編
耀哉から緊急の呼び出しを受けたのは、年が明けて暫く経った頃、つまり弟弟子が出来たと知った天元が奥方たちを連れて突撃してから二月程経った頃だった。
…あれは夜にやって来た派手な烏が"明日空屋敷に帰る"というなんとも急な報告をして飛び去って行った事から事態は始まっていたと俺は確信を持って言える。早朝とも言えない、日の出まであと半刻はあるだろう時間に「可愛い継子が帰ってきたぞ!」という爆音を響かせながら帰って来た天元は正しく任務帰りで感情が高ぶっていたのだろう。普段祭りの神だなんだと言っている天元だが、お館様へは当然のこと、俺や悲鳴嶼といった目上の人間への礼儀は弁えている。一見感情的に見える行動も、その実理性的に物事を捉えた上での行動であることがほとんどな男だ。
…だからまあ、任務で鬼を斬った後で血が騒いでいたとか、初めての弟弟子にわくわくが止まらないとか、そういった事情があったのだろうと察することは出来た。出来たのだが、こちとら鍛練やら任務やらの疲れを取るための貴重な睡眠の真っ只中だ。いくら早起きが習慣付いている俺でも緊急事態でない限り太陽が顔を出す頃までは寝ていたい。加えて件の兄弟は成長期。質の良い睡眠は必須である。
よって、ばかわいい元継子の後ろでおろおろしながら「天元様、まだお休みになっているかも…」「もう少し声量を落とした方が…」「近所迷惑ですよぅ」と口々に言っている奥方たちを横目に形のいい頭に一発入れて黙らせても仕方のない事だし許される事なのだ。寧ろそれで終わらせた俺に感謝すべきだろう。
話が逸れた。
ふう、とあの日の騒ぎを脳内の隅っこに移動させて気持ちを切り替える。
俺は今、産屋敷邸の一室、梅の間に向かうために足を進めていた。
屋敷の中でも奥まった場所に位置するため、所謂密談をするにはうってつけのその部屋はしかし、使用頻度は決して高くはない。最後に使ったのも珠世殿捜索を依頼された時だからもう三年は前だ。
そんな部屋に緊急で呼び出すなんて今度は一体どんな"内緒話"なのかと思考を回しながら、目当ての部屋に既に待ち人がいる事を確認して躊躇なく襖を開ける。
予め人払いされていたのだろう。ここに来るまで誰ともすれ違わなかった。それでも念のため、後ろ手に音を立てぬよう襖を素早く閉めて外の気配を探る。特に異常が無いことを確認して、部屋の中央に座す待ち人──耀哉に向かって一つ頷いた。
ちらりと俺を見上げた耀哉はそのまま無言で座るよう促してくる。いつにないその行為に、やはり余程の事があったんだなと改めて思う。とはいえそんな事、常ならば"数日以内に"の文言が"すぐに来い(意訳)"だった時点で分かっていた事なんだが。
「これを。今朝急ぎで届いたんだ」
その言葉と共に手渡されたのは一通の手紙。差出人の名前を見れば"鱗滝左近次"と書かれていた。
確認を込めて耀哉を見れば読むよう目線で促されたので遠慮なく内容に目を通す。
時勢の挨拶から入り突然の手紙を詫びた後に書かれていた本題に、知らず知らずの内に声が漏れた。
「…これは」
にわかには信じがたい内容に眉間に皺を寄せ、正面に顔を向ける。
「耀哉。俺は彼と面識がない。…この手紙は信じられるのか?」
「…少なくとも、嘘や冗談の類いは言わない御仁だよ。特に鬼に関することならね」
「…そうか」
──鬼になった直後に人も食わず、鬼殺隊士から肉親を守ろうとした。
「もしこの話が本当なら。前にあおいが言っていた"小さな変化"になりうるかもしれない」
静かに言葉を紡ぐその口元には、俺の知るどの笑みも浮かべられてはいなくて。その代わりに、真っ直ぐに俺を射抜く視線には隠しきれない感情が強く込められていた。
「だからね、あおい。私の代わりに確かめてきてほしいんだ」
竈門禰豆子が、私たち鬼殺隊の利になるか否か。
その言葉に、俺は頭を下げる事で是と示した。
さて、鱗滝左近次は元水柱で現在は育手をしている御仁だ。鱗滝錆兎及び冨岡義勇は彼の弟子にあたる。ということはつまり、紅葉の師匠でもあるという訳で。
「今日、お館様の元に鱗滝左近次殿から手紙が届いた」
産屋敷邸から戻ってすぐ、仕事の話をするという名目で紅葉を自室に呼んだ。実際いくつか確認したいことがあったので嘘ではない。
粗方確認事項を片付けたところでさっさと本題を切り出した。
「鱗滝さんから?」
「ああ。鬼となった妹を連れた兄を弟子にしたらしい」
「…は?」
ぽかんと口を開けてこちらを見つめる紅葉により詳しく話していく。
というかやはり知らなかったか。まあそうだろうな。これは、弟子である紅葉よりもまずお館様に報告するべき内容なのだから。そして鱗滝殿の元へ向かわせた張本人である冨岡は勿論、鱗滝もわざわざ紅葉に知らせたりはしないだろう。何せ、紅葉は空柱付きの隠だ。たとえ弟弟子からだろうと"鬼を保護した"と聞かされたらまず間違いなく俺に報告、というか相談してくる。どんな事情があるにせよ、絶対に。そんな確信を抱かせる程には俺たちの付き合いは長い。
そんな俺の隠は、混乱も程々にすぐにいつもの調子に戻ると極めて冷静に問い掛けてきた。
「斬るのか?」
兄弟子にしては冷たいと思われるかもしれないが、紅葉は直接会っていないし、そもそも鬼殺隊の関係者なら正しい反応と言える。
「確かめてきてくれ、と言われたからまだどうするかは決めてない。場合によってはその場で斬るが…まあ、報告が正しいならその必要はないな」
「そうか」
鱗滝殿の言葉に嘘はないのだろうが、俺としてはやはり直接見てみないと最終的な判断はできない。何せ身体を弄っている珠世殿と愈史郎でさえ、少量の血液が必要だと言うのだから。ならば何の処置も施していない今、竈門禰豆子が凶暴化して人を襲わないと断言することは不可能だ。
加えて、今回は耀哉の名代として出向くのだ。となれば尚のこと慎重にならなければ。
「出発は明朝。俺はその日の内に帰宅するが、お前はどうする?」
ここ数年帰ってないだろう。
そう問えば紅葉の視線は考えるように下を向いた。
「そう、だな。新しい弟弟子もいることだし、全員に顔を合わせてから帰るよ」
ありがとな、とにっと紅葉が笑ったところで近づいてくる気配が二つ。
「あおいさん、紅葉さん」
「ご飯出来たって!」
元気のいい双子の呼び声に返事をして腰を上げる。
取り敢えず、三人には任務が入ったと伝えればいいかな。
*****
明朝、狭霧山に向けて出発した俺たちだったが、それなりに距離もあったため目的地に着いたのは正午を回った頃だった。
「お初にお目にかかる、鱗滝殿。俺は一宮あおい。お館様より空柱の名を賜っています」
出迎えてくれたのは天狗の面をつけた初老の男だった。元柱に相応しくその出で立ちには隙がない。…狐面じゃないんだなと思ったのは秘密だ。しかし紅葉は気づいたようで、楽しげに細められた瞳に全力で気づかない振りをする。
通された先には竈門炭治郎はおろか、手伝いをしていると言っていた鱗滝もいない。おそらく例の山で鍛練でも積んでいるのだろう。
「もう既に察しておられるだろうが、今日は貴方からの報告にあった"鬼"について、お館様に代わり様子を見に来た次第です」
鱗滝殿の背後にある閉ざされた襖。その奥から僅かに気配がする。普段接しているものとはかなり違うが、人ではないのは確かだ。
「そちらの襖の向こう側にいますね。会わせて頂きたい」
静寂が場を包む。そして数拍の後、俺から視線を外すことなくじっと見つめていた鱗滝殿が声を発した。
「…一つよいか」
「何でしょう」
「儂はあの子の保護者──竈門炭治郎からあの子を預かっている身だ。任されている以上、何も知らぬお主に首を斬らせるなどもっての他」
「人を食らうかもしれなくても?」
「そうなる前に、儂が首を斬り落とす」
「…ほう?」
「炭治郎がこの場にいない今、直接任された儂が斬るのが道理。…どうか、ご理解頂きたい」
この御仁はきっと、俺が彼からの報告を完全に信用していないと気づいている。だからこその牽制だろう。部屋に入った瞬間、俺が"鬼"の首を斬らないよう釘を刺した。
そういえば、道中で紅葉が言っていたな。鱗滝さんは鼻がいいから相手の感情が匂いで分かるんだ、と。
…ならば伝わるのも無理はないか。
「いいでしょう」
今回俺はお館様の名代で来ているから必然的に拒否される事はない。が、今後の為にも遺恨を残す事は避けたいところでもある。そこを提示された条件を飲むだけで会えるというのなら何の問題もない。
「そも、今回俺は見に来ただけだ。目の前で人に害を成すならまだしも、何もしていないのに斬るようなことはしませんよ。ご安心を」
「…最古参の柱にしては随分と甘いな」
俺の言葉に嘘はないと分かったのだろう。若干の呆れが含まれていた。
まあ確かに、自分でも甘いなとは思う。鬼殺隊士ならば、柱ならば、鬼は例外なく斬るべきだ。そこに躊躇いを抱いてはいけない。
けれど俺は、"人を食わない鬼"が存在することを知っている。志を同じくする者たちがいることを、知っているんだ。
「…俺はね、鱗滝殿。鬼を滅するためには我々にも変化が必要だと思うのですよ」
かつて、始まりの剣士が鬼殺隊に教えた呼吸のように大きなものでなくていい。ともすれば見落としてしまうような、小さなもので構わない。数が揃えば、それらはきっと大きな影響力を持つ筈だから。
「今、鬼殺隊にはいくつかの"小さな変化"が起きています。新しい風が吹いているんです。風向きが変われば戦況も変わる。この長い戦いにも終止符を打てるかもしれない」
これは俺の願望に過ぎませんが、竈門禰豆子もその"小さな変化"になればいいと思っていますよ。
静かな室内に溢されたのは、嘘偽りない俺の本音だった。
通された部屋にいたのは、布団に寝かされている一人の少女。
「この家に来てすぐ眠りについた。それ以来一度も目を覚ましていない」
「一度も…」
鬼って寝るのか…という紅葉の呟きを背後で聞きながら布団の傍らに片膝をつく。
竹筒を咥えている以外、その辺にいる子どもとそう変わりはない。
警戒は解かないまま首に手を当てて脈を確かめる。正直、こういった形で鬼の身体に触れたことがないから何が正しいのかも分からない。事前に珠世殿に聞いておけばよかったな…。
只の眠っている子どもに見えるが、僅かに捲った布団から覗く鋭く尖った爪に確かに彼女が鬼なのだと思わされる。きっと瞳を開けばその瞳孔は縦長に変化しているのだろう。
彼女の手元から視線を顔に戻す。
…鬼舞辻は配下の鬼の視界や思考を監視していると珠世殿が言っていた。意識がない今なら、悟られる事なく何かしらの情報を得られるかもしれない。
「…少し見てみるか」
竈門禰豆子の額に己のそれを近づける。様子を伺っていた鱗滝殿から動揺が伝わってくるが、きっと紅葉が上手いこと説明してくれるだろうと構わず額同士を合わせた。目を閉じて集中し、数拍置いて顔を上げる。
「空柱様」
どうだった、と紅葉が言外に問い掛けてくるので首を横に振って否と答える。
過去も未来も、何も見えなかった。彼女の意識がないからか、はたまた鬼だからかは分からない。意識が戻れば検証することも可能だが、どのみち今は無理だな。
溜め息を一つ溢すが、こればかりはどうしようもない。彼女が目を覚ますのを待つとしよう。
その代わりにと言っては何だが、血を少量頂いて帰ろうかね。
「鱗滝殿」
「…何だ」
「詳しく検査をしたいので、彼女の血液を少量頂いても構いませんか」
鬼化直後に人を食わなかったのも、睡眠を必要としているのも、俺の知っている鬼とはまるで違う。検査に回せば分かることもあるかもしれないと念のため注射器を持ってきたのだ。
構わないと頷いたのを確認してから紅葉に場所を譲る。
今回使うのは珠世殿から預かっている注射器ではなく、隠が応急処置のために蝶屋敷から支給されているものだ。
紅葉が淡々と血を採取しているのを見つめながらふと思った。
…そういえば紅葉にも珠世殿の事を話していなかったな、と。
口面に覆われた口元に手を持っていき考える。
これを機に話してもいいかもしれない。丁度胡蝶を紹介しようと思っていたところだ。ついでに紅葉も連れていくか。
今後の予定を決めたところで処置が終わったらしい。ちらりと見れば小さな傷は既に塞がっている。
「終わりましたよ」
「ああ、ありがとう」
紅葉から諸々の荷物を受け取り立ち上がる。今夜中に珠世殿に検査を依頼して、胡蝶と紅葉の事を話さなくては。
愈史郎から盛大に睨まれるのを想像して内心苦笑を浮かべつつ鱗滝殿に向き直る。
「鱗滝殿、俺は現状竈門禰豆子を斬る方向では考えていません。が、彼女が目を覚ましたら連絡を頂きたい。改めて会いに来ます」
「承知した」
「ありがとうございます。では俺はこれで。…ああ、紅葉」
「うん?」
既に隠装束の頭巾を脱いでいた紅葉と目が合う。
「明日は非番だから時間は気にしなくていいぞ」
「りょーかい」
じゃあなと振られる手に返してから鱗滝殿に改めて暇を告げる。
外に出れば日は大分傾いており、このまま真っ直ぐ帰ればいい時間に珠世殿の屋敷に辿り着けるだろうと俺は足に力を込めて地を蹴った。
「こんばんは」
「一宮さん」
急な来訪だったにも関わらず、珠世殿はいつもと変わらない上品な笑みを携えて俺を出迎えてくれた。…その背後に、こちらを鋭く睨み付ける愈史郎を引き連れて。
「何をしに来た。折角の珠世様との時間を邪魔するつもりか?」
「はは、用が済んだらすぐに帰るさ」
予想が当たった事に笑いつつ手に持っていた荷物を珠世殿に差し出す。
「今日はこれの分析を頼みたくて」
「分析、ですか?」
手元の注射器に入れられた血液を見て珠世殿は首を傾げた。いつもと手順が違うから不思議に思ったのだろう。愈史郎は真剣な表情で彼女を見つめている。おそらく"首を傾げる珠世様はこの世の何よりもお美しい"とでも思っているのだろう。いつもの事だ。
そんな二人の様子を眺めながら更に言葉を重ねる。
「鬼になって尚、人を食らう事のなかった少女の血です。今日採らせてもらいました」
小さく息を飲む音が、静かな屋敷に響いた。
「先日報告を受けて会いに行ったんです。もっとも、少し前に眠りについて以来一度も目を覚ましていないそうですが」
俺の言葉を受けて珠世殿は自身の手元に視線を移す。じっと注射器を見つめる彼女の頭では今、数多の仮説が脳内を巡っているのだろう。
「…基本的に、鬼舞辻の呪いは絶対です。自然に解けることはあり得ません。そして鬼に変貌した瞬間から酷い飢餓状態に陥り、本能のままに人を食らう」
考えを纏めるように話し出した珠世殿はそこで一度言葉を切り、俺を見上げた。
「ですが、その方は耐えてみせた。…直接診ていないのであくまでこれは仮説ですが、眠る事に何か意味があるのかもしれません。通常鬼に睡眠は不要ですから」
「なるほど、意味か…」
竈門禰豆子の様子を脳裏に思い描いて考える。あいにく俺に医療の知識は皆無なので"ただ眠っていたな"という結論にしか至らないのだが。
「ふんっ。鬼狩りなのだからすぐに首を刎ねてしまえばよかったものを」
「愈史郎!」
それまで黙って珠世殿を観察していた愈史郎がおもむろに口を開いた。なんだ、ちゃんとこちらの話も聞いていたのか。
「確かに、鬼殺隊士ならそうすべきだったな。…だが俺はそうしなかった」
「…」
無言のまま先を促すそれぞれの目を見て口を開く。
「前に言っただろう。負の連鎖を断ちきるためにはこれまでとは違う方法を試みなければならない、と」
初めて直接会った時、何故珠世殿と手を結びたいのかと問われた際に言った言葉だ。俺の考えはその時から何も変わっていない。
「もし彼女が今後も人を食うことなくあれるなら、他とは決定的に違う"鬼"になるだろう。そうすれば、鬼を人に戻す薬の手掛かりになるかもしれない」
俺の目的を達することが出来るなら、俺はその"鬼"でさえ利用してみせる。
「…分析が終わったらすぐに茶々丸を遣いに出します」
「よろしく頼みます」
僅かに期待の籠った瞳をこちらに向ける珠世殿に大きく頷いた。
さて、本日の主目的が終わった所でもう一つの用事も済ませてしまおうか。
「近々人を紹介したいんだが、都合のいい日はありますか?」
「はあ?!」
ぱちくりと瞬きをする珠世殿と、つり目を更に吊り上げて声を荒げる愈史郎に、俺はにっこりとした笑みを浮かべるのだった。