将来妹が鬼に殺されるかもしれないので絶対阻止したいお兄ちゃんの話 作:シグル
前編
「あおいは、結婚とかは考えていないのかい?」
竈門禰豆子についての報告を上げに産屋敷邸を訪れ、そのまま泊まり込んだ日の夜。唐突に切り出されたのはそんな話題だった。
純粋に珍しいな、と思った。耀哉からこういった話題が振られるのは初めてだったから。
質問に質問で返すのもどうかと思いつつ素直にそう聞けば、俺の反応を伺っていた耀哉は僅かに揶揄いの混じった笑みを浮かべながら答えてくれた。
「君のところの隠が"気にかけている相手がいるようだ"と言っていたから気になってね」
思わぬ言葉に目を見張る。どっちが言ったんだそんな事。
「前にあまねと"女子会"と称して色々話し込んでいたのが聞こえたんだ」
結構盛り上がっていてね、と続ける耀哉は終始楽しそうだ。
というか、そうか。美鶴殿か…。
「それで、実際のところはどうなのかな?」
美鶴がそう感じる何かはあったんだろう?
そんな副音声が聞こえる問いに、美鶴殿がその結論に至った理由を改めて考えてみる。
気にかけている相手、ねぇ…。俺の周りにいる女性と言えば美鶴殿以外だと胡蝶姉妹と珠世殿と、あとは鯉夏くらいか?珠世殿の事は話していないし胡蝶姉妹はただの同僚だから必然的に鯉夏の事になるんだろうが…。はて。
共に暮らしているし別に疚しい事もないため、四人には遊郭に定期的に通っている事を話していた。特に隠である紅葉と美鶴殿には情報共有の必要もある。しかしだからといって"気にかけている相手"に繋がるかと聞かれると…あ。
「…馴染みの花魁に渡すものを相談した事はある」
「じゃあそれかな」
「いやなんで」
「だってあおいが個人的に、それも女性に贈り物をするなんて珍しいどころの話じゃないだろう?」
「俺だって差し入れくらいするぞ?それに白金殿に口面を渡した事もある」
「それは"贈り物"というより"手向け"だよ、あおい」
正論過ぎてぐうの音も出ない。
反論できずにいる俺は明らかに眉間に皺が寄っているだろうに、そんな事関係ないと言わんばかりに耀哉は笑っている。
「…楽しいか?この話題」
「うん、凄く」
そんなうきうきした顔しないでくれ。
「…言っておくが、期待されても何も話せないぞ」
俺のその一言にぱちくりと一つ瞬きをした耀哉は、静かな笑みを湛えて相槌を打った。
「そう」
「ああ。…結婚も、今のところ考えた事はないしその予定もない。一宮の両親も何も言ってこないしな」
いずれは考えなければならないのだろうが、今は柱として役目を果たす事を考えていたい。
刀を握る右腕は、鬼殺隊のため。自由な左腕は、鬼に怯えるひとのため、そして俺の大切なものを守るためのものだ。そこに
それに、俺には目的がある。妹と友人、そして可愛い姪っ子たちを死なせない事。
誰にも言ったことのない、俺が鬼殺隊に入ろうと決意した最初の理由。
明確な時期も、あの場にいた鬼の正体も分からない今、守るものを増やすのは悪手と言う他ない。
…脳裏にふんわりとした笑顔が浮かんだが、それを打ち消すように言葉を続ける。
「急いだところで相手が降って湧くわけでもない。仮にそういう話が出たとしても俺自身が前向きに考えていない以上相手に失礼だ。…何せ、相手の将来を縛るんだから」
嘘偽りのない本心だった。
なのに耀哉は寂しげに眉を下げてから、ゆっくりと上空を見上げる。視線の先には淡く光を放つ三日月が浮かんでいた。
「──人は、矛盾を抱えて生きている」
囁く声は、静かな水面に広がる波紋のようによく響く。
「今の言葉は確かにあおいの本心なんだろうね。けれど私には、一欠片の想いがそれを否定しているようにも見えるんだ。…認めようとしないのは、君の剣士としての意志が強すぎるからかな」
月からこちらに視線を戻した耀哉としっかりと目が合った。
「私もね、矛盾した想いを抱えているんだ。──君にこれまで通り皆を支えて鬼殺に励んで欲しいという思いと…添い遂げる誰かを見つけて幸せに生きて欲しいという願い」
矛盾しているだろう?と言う友の笑顔はどこまでも優しさを含んでいる。
「あおい。確かに君は柱だ。その立場に相応しい働きをもう何年もしてくれている。けれどね、常に空柱として生きなくていいんだよ。"一宮あおい"という個人を、君の中で生まれたその想いを、殺す必要はどこにもない」
「どうか、君の心の赴くままに」
「"自分のために生きている"と言うのなら、尚の事」
ふと目を開ける。
日が昇る前特有の静けさの中、俺は横になったまま片手で目元を覆った。
「──ゆめ…」
一年と少し前の記憶をなぞるような夢は、寸分違わずあの夜の会話を再現していた。
こういうのは多少の脚色が為されるものじゃないのかとため息と共に身を起こす。いつもより早い時間ではあるが、目はすっかり覚めてしまっていた。
「…矛盾、ね」
耀哉の言っていた言葉が脳内を巡り、僅かな笑みと共に表に出る。苦笑と言っても差し支えないそれは、端から見ればなんとも情けない顔に見えることだろう。
あの時の耀哉の言葉が実感を伴って胸に刺さる。
鬼殺隊空柱も、ただの一宮あおいも、どちらも自分自身だ。なのにこの相反する想いはなんなんだろうな。
(耀哉もこんな気持ちだったんだろうか)
一年前ではなく、もっと前。耀哉があまねと見合いをする事になったと伝えてきた時。巻き込むかもしれないと、申し訳なさそうに謝ってきた事があった。
産屋敷家の嫡男として血を絶やしてはならないという使命と、自身の宿命に俺の妹を付き合わせてしまう罪悪感。その二つの感情に板挟みになっている姿を、俺は見ていたくなかった。だからあの時"謝るくらいなら巻き込む覚悟を決めろ"と言ったんだ。
「──…」
ああ、そうだ。俺は確かにそう言った。
木の葉がその身を染め始めた頃。他の誰でもない唯一の友に、そう告げたんだ。
普段よりものんびりと着替えを終えて部屋を出る。僅かに冷気を孕んだ風が頬を撫で去っていくなか、頭に浮かぶのは華やかな着物を身に纏った一人の女性。
鯉夏と縁を結んで、もう何年になるだろう。
長い間鬼に関する事で大半が占められていた心の内に、俺は気づけば彼女の居場所を作っていた。出掛ける度に好みに合いそうな菓子を探したり、渡せもしないくせに簪を買っていたり、欠けていく月を見て訪ねるまでの日にちを無意識に数えたり。
少しずつ少しずつ、俺の中で彼女の存在は大きくなっていった。
それはまるで、一粒の種が根を張り芽吹いていくようで。
「まいったなぁ」
ちちち、と朝の訪れを告げる鳥の声を聞きながらひとりごちる。
いい加減腹を括りなよ、と楽しげに笑う友の声が聞こえた気がした。
*****
遊郭の鬼は存外知恵が回るらしい。
あの日、天元から話を持ち掛けられた時。そういえば過去に何度か隊士が派遣されていたなと産屋敷家の記録を確認しに行った事がある。流石に一日では終わらなかったので数回に別けたが。
ざっと二百年ほど遡って遊郭に関する記録を探した結果、分かった事は2つ。
まず、資料には吉原だけでなく根津、島原、新町などの名前も確認できたこと。
そして被害が出るのは一度につき一ヶ所のみで、加えて数十年間の空きがあること。
これらの事から推察するに、鬼は定期的に"餌場"を変えているんだろう。そして年数と順番的に次は吉原だ。だからこそ天元もそこに的を絞り店を選んでいる。
「──お疲れ様です、一宮様」
「ああ、お疲れ。あとは頼んだ」
「はい」
鬼を狩り終わり、隠に後の事を任せて帰路につく。その道中、考えるのは遊郭に潜む鬼の事だ。
調査を始めた頃に比べてここ数ヶ月、少しずつではあるが足抜けする遊女が増えてきた。全部が全部鬼の仕業とは言えない。しかし疑わしいものもある。とはいえ決定打に欠けるのもまた事実。何より、吉原のどこにも人が食われた痕跡がないのも気になる。
ああいう閉ざされた場ではすぐに噂が広がるから、何かしら起これば分かると思っていたんだが…。紅葉と共に昼間にぶらついても、暁に情報収集を頼んでも、鬼の姿は愚か血の臭いもしない。
(わざわざ場所を変えているのか…?)
そう仮定したら、痕跡が一切残っていない事への説明もつく。
とはいえ、だ。もし仮にここで食っていないとして。
(場所はどこだ)
悲鳴はもちろん争った跡さえない。どうやって
そこまで考えて思考を止める。
推測の域を出てないんだ、これ以上は時間の無駄だろう。天元に話すとしてももう少し穴を詰めておきたい。
「…どうするかな」
ときと屋の馴染みになった時点で他の見世に通う選択肢はない。他所の遊女について聞くのもあまり得策とは言えないだろう。
…いっそのこと直接聞いてみるか。
聞き方に気を付ければ相手に害が及ぶ事もない。となれば誰にどう話を切り出すか。
遠くに浮かぶ月を眺めつつ歩みを進める。有明月と呼ばれるそれは、遊郭を訪れる日が近い事を無言で告げていた。
*****
人が何人消えようと、ここ吉原の賑わいに変化はない。
相も変わらず艶美な雰囲気を醸し出す見世を横目に、通い慣れたときと屋の敷居を跨ぐ。俺を視認するや否やにこやかな笑顔を浮かべ歩み寄ってくる楼主に、こちらも同じく笑顔を返した。いつものやり取りだ。
俺と二、三言葉を交わした楼主が近くにいた下男に部屋まで案内するよう指示を出すのも、それを受けた下男が案内を開始するのもそう。
唯一違ったのはその後の事。
──ねえ聞いた?また足抜けした子がいるんですって
──どこかの店じゃあまた自殺者が出たみたい
──やっぱりあの噂、本当だったのかしら
──こわいわぁ
どこかの部屋から聞こえてくる少女たちの会話。
そちらの方に顔を向ければあまり客には聞かせたくない話題だからだろう、案内人の下男が誤魔化すように話し掛けてくる。それに緩く笑みを作り、袂に手を入れ目的のものを幾つか取り出す。下男の手を取り掌に握らせればチャリ、と金属音が鳴った。
「え、いやあの、藤宮様…」
「俺はなにも聞いていないから、あまり彼女たちを叱らないでやってくれ」
俺の顔と手元の間を忙しなく行き来していた視線が固定され、ややあってから首肯される。
その様子を見届けてから、その代わりと言ってはなんだが、と小さく続けた。
「自殺者がどこで出たのか教えてもらっても?」
努めて優しく、それでいて隠しきれない好奇心を乗せて囁く。滅多にない"非日常"に野次馬根性が疼いていると思われるように。
「ああ…京極屋です」
僅かな躊躇いの後、告げられたその名に笑みを深める。
それは、かつて天元が告げた"鬼がいる可能性のある五つの店"のひとつだった。
トクトクと注がれる人肌に温められた酒は、飲めば腹の底にじんわりとした熱を灯らせる。滑らかな味わいのそれに舌鼓を打ちながら、隣に座る鯉夏の話に耳を傾けた。
彼女の元に通い始めてすぐに始めた「何か変わった事はあったか?」という質問。回数を重ねる毎に気にしてくれるようになったのか、話のネタが尽きることはなかった。
少し前から風に金木犀の香りが満ちてきた事、どこから入り込んだのか壁の中から猫が出てきた事、禿の子たちをついつい甘やかしてしまって女将に叱られた事。
なんでもない日常でも特別なもののように話す鯉夏は見ていて微笑ましい。…いや、壁から猫はなかなか無いか。
「あかね様は、何か変わった事はおありでしたか?」
「んー、そうだなぁ…養い子たちが独り立ちしたくらいかな」
「養い子、ですか?」
大きな瞳を更に丸くして鯉夏は驚きの声を上げた。
「ああ。少々事情があって引き取ったんだが、つい先日屋敷を出て行ってね」
「まあ…それは寂しくなりますね」
その一言にふ、と口角を上げる。
「俺は嬉しかったよ。互いに支え合ってようやっと一歩踏み出せるような子たちだったのに、気づけばそれぞれの足でしっかり走り回れるようになってたんだ」
二人だけの狭い世界に俺たち三人が入り、耀哉とあまねが入り、天元とその奥方たちが入った。
鬼によって傷つけられた心身を癒し、自分たちで身の振り方を考えて決断し、今じゃ立派な柱と柱付きの隠だ。誇らしいに決まってる。…とはいえ。
「独り立ちしたと言っても近場に住んでるし、顔も見に行ける、んだが…ここ数年賑やかだったからなぁ。お前の言うとおり、寂しいものは寂しい」
ははっ、と笑う俺の脳裏には数年前に空屋敷を出た天元たちが浮かんでいた。あの時も暫くの間、屋敷が静かに感じられたものだ。
子を持つ親の気分を味わっていると、そうでしょうとも、と小さく笑いながら鯉夏が寄り添ってくれた。左側から感じる人肌が気持ちいい。
そう感じた自分にまたふ、と笑みを溢し、さも今思い出したと言うように次の話題を切り出した。
「そうだ、知り合いからの頼まれ事があったんだ。鯉夏、何か遊郭に伝わる逸話を知らないか」
「逸話、ですか?」
「うん。言い伝えやら逸話やらを調べている人でね。俺が遊郭に馴染みの花魁がいると知って是非とも聞いてみてくれと頼まれてな。もし何か知っていたら教えてもらいたいんだ」
もちろん嘘である。そんな知り合いはいない。けれどこういう閉鎖的な場所に伝わる話は、案外馬鹿に出来ないものが多い。他にもその地に伝わるわらべうたも調べる価値がある。
(…誠実でありたいのに、上手くいかないな)
そう内心苦く思いながら考え込んでいる鯉夏の横顔を見つめる。
「…私がここに来た時に噂話として聞いた話なので少し曖昧なのですけど」
そう時間を掛けずに再度口を開いた鯉夏から語られたのは、遊郭に伝わるある花魁の話だった。
「数十年に一度、とても美しい花魁が現れるのだとか」
「ほう」
「誰もが目を惹かれる美しさを持つ一方で…少々、気分屋なのだそうです。気に入らない事があると小首を傾げて、下から鋭い視線を送ってくると」
「それはまた…噂話として残るくらいだから、相当恐ろしい顔だったんだろうな」
それこそ、鬼のように。
「あかね様?」
不思議そうに問い掛けてくる鯉夏に笑って誤魔化し、代わりに礼を伝える。
「ありがとう、鯉夏。助かった」
「大した内容ではありませんでしたが、大丈夫ですか?」
「ああ、もちろん。少しの情報から自分で調べていくのが好きな人だから問題ないよ。ありがとう」
すまなかったな、いきなり変な事を聞いてしまって。
そう言う俺に鯉夏はゆるりと首を横に振った。
「いいえ。あかね様のお役に立てたならよかった。……。」
そこでふと、鯉夏が瞳を伏せた。
「鯉夏?」
「あ、いえ…その」
「うん」
つい、と小さく袖が引っ張られる感覚に瞬きをひとつ。
「…あかね様も、気になりますか?その花魁の事」
「…気にならない、といえば嘘になる」
その言葉に、僅かに鯉夏の顔が陰った。緩みそうになる口元を必死で耐える。
「けどなぁ、今一等美しいひとが隣に居てくれるから、そこまでの興味はないよ」
ぱっと上がったその顔に手を添え、目元を親指ですり、となぞった。途端に耳や首もとまで染め上げる鯉夏に、今度は耐えることなく口角を上げた。
「…ふふ、真っ赤だ」
可愛いなぁ。
二人だけのその部屋に、その言葉はじんわりと染み渡っていった。
*****
月が爛々と照らしているのはもはや見慣れた産屋敷邸。
俺は丁寧に手入れが施されている庭に立って、眼前に広がる光景を何とはなしに眺めていた。
鞠をついてわらべうたを歌うひなきとにちか。それを室内から心底愛しそうに見つめている耀哉とあまね。
──ああ、これはあの時の予知夢だ。
そう気づいたのは、どこか見覚えのある洋装の男を視界に捉えたからだ。以前と唯一違うのは、耀哉が包帯まみれでも床に臥せっている訳でもない健康体であるところだろうか。
初めて"鬼"という存在を認識した日に見た予知夢。ただの直感だったそれが確信に変わったのはいつだったか。少なくともここ数年の話ではない。産屋敷耀哉という個人を知り、産屋敷一族唯一の汚点を知った今、耀哉が取るだろう行動は想像に難くない。
そう。だからこそ、この後起こる事も容易に分かってしまって──。
ドォンッ!!
金縛りにあったかのようにその場から動くことも出来ず、俺はただ目の前が炎に包まれるのを呆然と見ているだけだった。
「──っ…!!」
かっと目を見開き一気に身体を起こす。枕元に置いてある刀に手を伸ばし掴んだところで現状を把握した。
ここは空屋敷の俺の私室。外はまだ暗い。冷雨が打ち付ける音に俺の荒く乱れた呼吸が混じるのが酷く不快で、どうにか抑えようと深い呼吸を繰り返した。
「…はぁ」
どくどくと煩く主張を繰り返していた心音が収まり、呼吸も平常時のそれに落ち着いたところで刀から手を離す。血流が末端まで巡った事により痺れていた指先に感覚が戻ってきた。
「くっそ…」
口汚く吐き捨てた後、汗が引いた事により冷えてきた身体に眉をしかめる。このままでいたとしても風邪を引く事などまずないが、不快感はどうしたって消えやしない。乱れた髪をかきあげて着替えるために立ち上がる。
今夜はもう眠れる気がしなかった。