将来妹が鬼に殺されるかもしれないので絶対阻止したいお兄ちゃんの話   作:シグル

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鬼殺隊の最古参の柱は本来の流れに抗い未来を変える
前編


 

 お月さまのようなあの方と想いが通じ、身請けが決まった夜からもう何ヵ月経っただろうか。

 私は花魁だから、身請けが決まってすぐにここを出られるわけではない。諸々の手続きをしなくてはならないし、これまでのお客様にご挨拶をする必要があるからだ。

 身請け予定日がちょっとずつ近づいてくるのを楽しみにする反面、私は今、少しだけ困った事になっていた。

 

 

 

 

「花魁!あかね様いらっしゃったよ」

「そう。教えてくれてありがとうね」

 

 私にとても懐いてくれている禿の子にお礼を言い、鏡を覗き込む。

 髪飾りは曲がっていないか、化粧は崩れていないかなど確認する事は多い。

 お慕いしている人が相手なのだ。少しでも綺麗に見られたいと思うのは当然の事だろう。

 右に左にと顔を動かし、鏡に映る自分の姿に一つ頷いてから部屋を出る。

 今日は朔の日だ。

 月に一度、お月さまが姿を隠してしまう日。そして代わりに、私だけのお月さまがここを訪ねてくださる日。

 一度泊まってしまえば抵抗がなくなったのか、あの日からあかね様──あおい様はここで一晩過ごす日を作るようになっていた。といってもお仕事と重なっていない日限定だから、そう多くはない。

 私が言う事ではないけれど、一般的なお仕事ではないのだろうなと予想をつけている。

 どんなお仕事なのだろうと色々想像してみるけれど、どれもいまいちしっくりこない。

 それでも、ここを出たら教えてくれると約束したから不安に思う事などないのだ。だって、あの方は一度した約束は守ってくださるから。

 …それが、私が今困っている原因でもあるのだけど。

 

「失礼します」

 

 辿り着いた部屋の前で声を掛ければすぐに返事が返ってきた。

 声を聞いただけなのに、なんとなくそわそわしてしまう。はやる気持ちを抑えてゆっくりと襖を開けば、視界に入ってくるのは真っ白な髪を持つ愛しい人。上質な布のように柔らかなそれに、初めて触れたのはいつ頃だったか。さらさらしていて痛みもない綺麗な髪だったから、つい「どうやってお手入れしてらっしゃるんですか?」なんて聞いた事があった。その時のきょとんとした顔が大変可愛らしく、緩みそうになる顔を必死に耐えたのを覚えている。

 

「何かいいことでもあったのか?」

 

 当時の記憶を思い出しながら隣に座れば、様子を伺っていたのだろうあおい様にそう聞かれた。

 知らず知らずのうちに頬が緩んでいたのかと両頬を押さえれば、くすくすと笑いながら「雰囲気が弾んでいたから」と教えられる。

 気持ちが漏れていた事に羞恥を覚えるけれど、それ以上に雰囲気だけで気づいてくれた事がとても嬉しい。

 それはそれとして、思い当たる理由は一つしかないので答えるために口を開いた。

 

「…貴方に会えたから」

 

 思ったより声が小さくなってしまったが、あおい様には問題なく届いたらしい。僅かに見開かれたその瞳を見つめ返して再度告げる。

 

「貴方に会えるだけで、私は嬉しくなるし幸せな気分になれるんです」

 

 もうずっと前からそうなのだと、この方に少しでも伝わればいい。そしてあわよくば、いつかの夜のように心を乱してくれれば。

 そんな想いを込めて私よりも上にある端正なお顔を見上げる。あおい様は数拍固まっていたが、その後すぐにゆるりと目元を綻ばせて、こちらを覗き込むように小首を傾げてから一言紡いだ。

 

「俺と一緒だな」

 

 …本当にこの方は、私をどうしたいのだろう。少しは動揺してくれたかと思ったのに、その倍以上の衝撃をこちらに返してくるのだから堪ったものではない。

部屋に入ってからずっと存在を主張している心臓が、更に力強く拍動していく。

 頬に熱が集まるのがわかった。意識的に口をきゅっ、と閉じ、顔を伏せる。そうでもしないと勢いのままにとんでもない事を口走ってしまいそうだった。

 ここ数ヵ月、あおい様と過ごしていると無意識に彼の唇に視線を向けてしまう事がある。

 それだけじゃない。もっと触れたいと、触れてほしいと、はしたなくも思ってしまうのだ。

 あおい様が「籍を入れるまで手は出さない」と約束してくださった時は本当に嬉しかった。私の身体が目的ではないのだと言外に示してくださった気がして、大事にしようとしてくれているのだと実感できたから。

 だからこんな事、思ってはいけないのに。気づけばあおい様に視線が向いてしまっている。

 酒器を持つ大きな手。伏せられた瞳に長い睫毛。お猪口の縁に寄せられる唇。何かを口に含む度上下する喉仏。

 線が細いのにしっかり筋肉が付いている事を、私はもう知っている。抱き締められた時の体温も、力強さも、落ち着かなさも──それを上回る安心感も。私は既に知ってしまっているのだ。

 

「そんなに見られると穴が開きそうだ」

 

 あまりにもじっと見つめすぎていたからだろう。

 あおい様は静かに笑いながらそう溢し、お猪口を膳に置いてから改めて私に目を向けた。

 

「俺のいない間の話を聞かせてくれ、鯉夏」

 

 毎月恒例のこの問いは、私たちの関係が変わってからも続いている。

 知りたい情報がある、と聞いたときはその事について話そうかと思ったのだが、あおい様には無理に情報を集めようとしなくていいと言われてしまった。

 なんでも、内密の仕事だから相手に調べていると悟られたくないのだとか。「だから積極的にお前が動く必要はないよ」と微笑みながら言われてしまえば、私からはもう何も言えない。

 加えて、少し恥ずかしそうに「鯉夏の話は聞いていて和む」と伝えられれば尚更だ。

 思い出すのは、思わず私への気持ちを吐露してしまったお疲れのあおい様。あれ以来そんなうっかり(・・・・)は起きていないけれど、私の話を聞いて気持ちが解れてくれるのならこちらとしても嬉しい限りだと、そのままとりとめもない話をし続けている。

 あおい様も日々の何でもない話をしてくれるようになったため、この時間は穏やかに、けれど会話が途切れる事なく進んでいく事がほとんどだった。

 

「──鯉夏」

 

 あおい様が私の名前を呼んだのは、話が一段落着いて会話が途切れた頃だ。

 それまでとは違って僅かばかりの固さが含まれたその声音に、身体を半分隣に向けてあおい様を見上げる。

 同じようにこちらを見下げていた淡い色合いの瞳は、私を視界に入れると安心させるようにふわりと微笑んだ。

 

「実は近いうちに、厄介な仕事が入りそうでな」

「厄介なお仕事、ですか?」

「うん。片付くまで少し…時間が掛かるかもしれない」

 

 言葉を探しながらそう告げてきたあおい様に思わず眉根が下がる。

 時間が掛かるという事は、もしかしたら来月はここにいらっしゃれないのかもしれない。

 残念だし寂しいけれど、お仕事ならばこちらがわがままを言う訳にもいかないだろう。私はこの方の負担にはなりたくないのだ。

 だから物分かりのいい振りをして、その旨を伝えようと口を開く。

 けれど声を発する前に伸びてきた手によって、私は再度口を閉じる事となった。

 そっと頬に触れてきたその手は、先ほどまで呑んでいたお酒の影響かぽかぽかと暖かい。

 

「そんな顔をするな。ちゃんと会いに来るよ」

 

 片手で私の頬を覆えてしまうくらい大きな手。そこから伝わる熱が心地よくてつい意識が向きそうになるが、寸でのところで踏みとどまる。

 

「けれど、忙しくなるのであればこちらにいらっしゃるのは負担になりませんか…?」

 

 しっかりと自宅で休んで疲れを取ってほしい。私との約束を守ったが故に身体を壊した、なんて事にはなってほしくない。

 そう伝えれば、あおい様は想定外の事を言われたというように瞬きを数回繰り返していた。

 …年上の男性に思う事ではないかもしれないけれど、その様子もまた可愛らしいなとぼんやり考えてしまう。

 思考の一部をそんな事で埋めていれば、頬に添えられていた掌に動きがあった。

 親指で目元を控えめに撫でられたかと思えば、耳朶の感触を確かめるように指先で触られる。

 これまでになかった触れ方に、びっくりして大きく見開いた目であおい様を見上げた。

 

「お前と会うのに負担になんてなるわけないだろう」

 

 緩く下がった目尻に上げられた口角。それだけならばいつもの微笑みなのに、その瞳には優しさ以外の感情が込められている気がして。この方から初めて感じられるその()に、緊張と歓喜が同時に沸き上がってきた。

 

「"言霊"というものがある」

「言霊…」

「言の葉に力が宿り、いずれ現実になるという考え方だ」

 

 言葉には気を付けろと幼い頃はよく言われたよ。

 そう静かに笑うあおい様は、今何を考えているのだろう。

 

「だからもう一度、約束がしたい。二度口にした言葉を俺が守り通せるように」

 

 まるで祈るように、あおい様は小さく小さく言紡ぐ。

 

「身請けするまでの間、朔の日には必ず逢いに来る。約束だ」

「…はい。心より、お待ちしております」

 

 この方のお仕事を、私は知らない。多くを語らないその様子から、きっと一般的なものではない上に守秘義務などがある類いの職業なのだろうと勝手に推測している。

 もしかしたら以前仰っていたように、人には言えないものなのかもしれない。

 それでも構わなかった。たとえどんな仕事だろうと、この方の隣にいられるのならなんだっていい。だってこんなに誠実で、まっすぐな愛を向けてくれる人、この方以外に私は知らない。

 頬に添えられていた暖かい手を両の手でしっかりと握る。擦り寄るように頬を寄せ、口元に私ができる最上級の笑みを乗せて、一言。

 

「お慕いしております、あおい様」

 

 言ってから途端に恥ずかしくなって、誤魔化すようにふふ、と笑いながら瞳を伏せる。それでも冗談などでは決してないから、指先に少しだけ力を込めた。あおい様から感じるように、私の想いも触れている場所から伝わってくれれば。

 そんな願いを込めながら更に頬を寄せていると、それまでされるがままだったあおい様に動きがあった。

 

「…あまり、煽ってくれるなと言ったろうに…」

 

 深い溜め息と共にぽつりと溢された言葉に目を開ける。その意味を完全に理解する前にぐい、と片手を引かれた。直前まで私が握り込んでいた筈なのに、気づかないうちに逆になっていたらしい。

 思わぬ行動に踏ん張りが効かない。加えて背中に回された腕にも力が込められてしまい、私は呆気なく膝立ちの体勢であおい様に引き寄せられてしまった。

咄嗟に目を瞑ったけれど想像していた衝撃はまったく来ず、むしろふわりと優しく抱き止められる。

 恐る恐る瞼を持ち上げれば、まず目に入るのはあおい様が着ていらっしゃるお着物で。次いで鼻腔を擽る香りだとか、いつもより少し高めの体温だとかを感じるが、それに何かを思う間もなく耳元に寄せられる熱に全てを持っていかれた。

 

「っ、あおい、様…?」

 

 ちう、と小さく音を立てて耳に触れるのは間違いなくあおい様の唇だ。

 先程の比でない接触に思わず名前を呼んでしまえば「あー…」と呻き声を上げて私の肩口に顔を埋めてしまった。

 両腕が背中に回され、より密着度が上がる。

 気づけばあおい様の足に囲われるようにして座っている事実に顔に熱が集まるが、それ以上に諸々の出来事が衝撃的でうまく思考が纏まらない。

 心臓が大きく音を立てている。

 これだけ密着していればあおい様にも聞こえているかもしれない。それがまたどうしようもなく羞恥心を掻き立てるが、そこでふと気づいた。

 自分が手を添えている、あおい様の胸元辺り。そこから掌を通して伝わってくるこの拍動は、間違いでなければ今、私を囲っている方のものだ。

 力強く、そして通常よりもずっと早いだろうこの鼓動の意味する事を理解して思わず息が止まる。

 だって、勘違いでなければあおい様も私と同じように緊張していらっしゃるという事。

 この方の緊張や動揺など片手で足りる回数しか見た事がないため、衝撃で直前まで感じていた羞恥や緊張が霧散する。しかしそれは本当に一瞬の事だった。

 肩口に顔を埋めていたあおい様がゆっくりと顔を上げる。下から覗き込むように目を合わせるその視線に、私の頬をするりと撫でるその仕草に、一気に意識を持っていかれた。

 

「…これは、手を出した事になるだろうか」

 

 いつもよりも格段に近い距離で囁くように問われる。

 その瞳の奥に宿る熱が、じわりじわりと私の身体にも熱を灯していく。

 顔が熱い。恥ずかしい。心臓が壊れてしまいそう。

 ──でも。

 

「な、らないと思います…」

 

 目を、逸らしたくなかった。

 

「──そうか」

 

 宿る熱をそのままに目元を緩め、小さく笑ったあおい様がゆっくりと近づいてくる。

 輪郭がぼやけ、唇に彼の吐息が当たり、そして。

 

「…っ」

 

 ふわり、と優しい感触がした。

 すぐに離れていってしまったけど、その柔らかさは鮮明に記憶に残っていて、思わず自身の唇に指を当ててしまう。

 ふ、と息を吐くように笑うあおい様につられて視線を上げる。

 その瞬間飛び込んできたのは、心底愛おしいと言わんばかりの表情だった。

 優しく理性を宿しながらも、その奥に火傷しそうな程の熱を燻らせているその瞳を見てしまうと、もう駄目だった。

 じわりと視界が羞恥で揺らぐ。

 顔が、身体が、熱くて仕方ない。

 あおい様が息を飲んだのが伝わってきた。

 きっと私は今、どうしようもなく女の顔をしているのだろう。

 ああ、なんてはしたない。けれど、それ以上にもっと、と願ってしまう自分がいるのもまた事実だった。

 

「…鯉夏」

 

 あおい様が私の名前を呼ぶだけで、"好き"が溢れて止まらなくなる。

 本当に、こんな事は初めてだ。自分が自分でなくなってしまったかのように抑えが効かなくなるなんて。

 片手をあおい様に伸ばす。男性特有の薄い頬をするりと撫でれば、どちらからともなく顔が近づいた。

 二度三度と触れてくる唇はとても軽いもので、ともすれば子どものじゃれあいだと言われるかもしれない。

 けれど私はこういう仕事をしているからこそ、想いが通じ合う事がどれだけ奇跡的な事なのか知っている。だからこれで十分幸せだった。

 それに、正直これ以上は耐えられそうにない。今だって心臓がばたばたと暴れているのに、この先に進んだらどうにかなってしまいそうだと本気で思っている。

 だから、もう暫くはこのままで。真にこの方と一緒になれるその日までに、きっと少しは落ち着いてくれると思うから。

 

 

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