将来妹が鬼に殺されるかもしれないので絶対阻止したいお兄ちゃんの話   作:シグル

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鬼殺隊の最古参の柱はこの度ようやく自覚した
前編


 左眼球の損傷と肋骨の骨折。上半身の打撲や裂傷、そして頭部を強打したことによる脳震盪。

 以上が蟲柱があおいに下した診断だった。怪我の見本市か。喉元の手形も痛々しいことこの上なかったし。…まあ最も、顔にも喉にも──服で隠れて見えないが腹部にも──包帯が巻かれている為、"痛々しい"なんて表現では片付かない姿をしているのだが。本当に、稀に見るボロボロ具合だ。

 上弦の参の討伐は速やかに関係者に通達された。百年余り成されなかった偉業に、多くの者がぎこちなくも喜びを噛み締めている。

 …純粋に喜べないのは偏に、今回の功労者の一人で一番の重傷者であるあおいが蝶屋敷に搬送中意識を失ったからだろう。空柱(・・)の負傷及び意識不明という現状は、鬼殺隊内外問わず小さくない動揺を与えていた。

 そしてここにも、他の者たちとは違う意味で動揺している男が一人。

 

「一宮さんの刀が刃こぼれした、だと…?」

 

 ひょっとこの面を被っているのにその表情がありありとわかる声音で衝撃を受けている目の前の男は、暫く固まったあと徐に動き出し、あおいの刀を手に取った。

 すらりと丁寧に、けれど素早く刀を抜くとまじまじとその美しい色合いの刀身を眺める。

いつも思うけど、面をつけててよく見えるな。視界は悪くないのだろうか。

 

「そっかそっか刃こぼれしたかぁ。連絡を貰った時はまさかと思ったけど…いやでも確か炎柱の刀は折られたんだよね?それを考えると刃こぼれだけで済んだのは流石里長の刀…いや、一宮さんの常日頃の手入れも加味するべきだよね。いっつも丁寧な仕事するなぁって思ってたし、そこを怠ればいくらいい刀でもいつかは折れてしまうし。けどそっかぁ、刃こぼれしたかぁ…。あー、うん。取り敢えずこれは回収して。はいこれ、新しい刀ね」

 

 里長どんな反応するのかなぁ、怖いなぁ。

 そうぶつぶつと刀から視線を外さずに呟く様はとても怖い。夜に見たら人によっては夢に出るんじゃなかろうか。

 そんな、どこで息継ぎしてるんだと聞きたくなる勢いで話しているこの男は、あおいの担当鍛冶師ではない。何でも、最初の一振りを持ってきてから定期的な状態確認と手入れを担当してくれているのだという。

 あおいの刀を鍛えているのは里長である鉄地河原鉄珍様だ。おいそれと里を離れるわけにはいかないから代理を立てているのだとか。

 そしてあおいも、基本的に任務で忙しい身の上であるため直接里に出向く事はない。けれど一度だけ、柱に就任した際に挨拶に行っていたのを覚えている。残念ながら俺は他の仕事が残っていたため同行しなかったし、あおい自身も任務が入っているからと挨拶だけしてとんぼ返りで戻ってきたわけだが。

 帰って来たあおい曰く「何べんも顔合わせなくてもその人となりは戻ってきた刀を見れば十分に分かるし、そもそも、そんな暇があるなら少しでも多くの鬼を斬りや」と言われたそうだ。「男だったからかな」とあおいは笑っていたが、果たしてその通りなのかはわからない。けれど、当時の状況を考えるとその限りではないんじゃないかと俺は思うんだ。

 柱に就任してすぐで慌ただしく、かつ色々と気苦労も絶えない頃だった。周りに実力を示し認めさせなければならなかったし、他にも煩わしい事も多くあった中、定期的に里に赴き挨拶だけして帰るというのは些か負担も大きかっただろう。どうせあおいの事だから温泉に浸かってゆっくり疲れを癒すという発想もなかっただろうし。

 里長様はその点を考慮してくださったんじゃないかと俺は思ってる。…まあ、あおいの言う通り男だったから、という可能性も否定できないが。

 未だぶつぶつ何事かを呟いている鍛冶師をよそに、渡された日輪刀を見つめる。

 あおいの刀は蟲柱や恋柱のように特殊なものではなく、ごくごく普通の刀だ。とはいえそれは形状のみの話で、細かい所を見ていけばあおい専用に調整が為された刀である事は持ってみただけですぐにわかる。

 刀身や柄の太さ、重心の位置、刀の重量等々。挙げれば本当にきりがない程調整された刀を、あおいは毎回丁寧に手入れをして使っていた。

 だからどうか、どうか、どこぞの鍛冶師のように「刀に傷を付けるなど万死に値する」といった事態にはならないでほしいと心底思う。

 …いや、里長様はそんな狭量なお方ではないと思ってはいるが、目の前の鍛冶師の雰囲気がとても怖いので。加えて炭治郎が実際にそう言われて包丁両手に追いかけられているのをこの目でしっかり見てしまっているのもある。あれはやばい。思わず身体に力が入り、受け取った刀から音が鳴った。

 そういう経緯があるから、どうかこれまでのあおいの刀に対する敬意と誠意を見込んで今後も刀を鍛えてほしい、と思ってしまうのだ。

 だって──あおいにまだ、守るための刀(・・・・・・)が必要なのだから。

 

 

 

 

 

 

 上弦の鬼との戦闘から五日が経った。あおいは未だ眠ったままで、いつ目を覚ますのかはわからないそうだ。

「…流石に、休みすぎじゃないか」

 

 ぽつりと呟いた声が静かな病室に虚しく響く。

 いつもならここぞとばかりにもっと休めと言うところだが、今はとてもそんな事を言う気分にはなれなかった。それでも落ち着いて待っていられるのは、あおいの状態が安定しているのとその寝顔が穏やかだからだろう。あとは本人が「少し休むだけ」と言ったのもある。

 とはいえ心配なのに変わりはないから、なるべく早く目を覚ましてほしい。空屋敷に美鶴と二人だとふとした瞬間に心にすきま風が通るし、話したい事も山程あるんだ。

 お前の見舞いに沢山の人が来てる。現役隊員だけじゃない。既に引退した元柱の古風様や煉獄様だって顔を出してくれた。

 炎柱は既に復帰している。お前に比べて浅い傷がほとんどだったとはいえ、検査入院含めて三日の療養で復帰するとか相変わらず人間やめてると思うんだが、お前はどう思う?

 炭治郎たちは機能回復訓練が始まって毎日頑張ってるよ。お前と炎柱の動きについていけなかったのが堪えたんだろうな。焦りは感じないけど"強くなるんだ"っていう気迫が凄い。

 蟲柱が、「以前相談した事で進展があったから早く報告したいのにまだ起きない…」ってぼやいてたぞ。俺は詳細を知らないけど、お前が彼女に紹介した炭治郎の同期の事らしい。確か風柱の弟だったか。いい報告だっていうから、早く起きて話を聞いてやれ。

 以前三人で漬けた野菜がそろそろ食べ頃なんだ。まだ味見していないけど、いい感じに仕上がってると思う。

 それから──宇髄の奥方たちが、遊郭に潜入することが決まったよ。やはり外からだけじゃ決定打に欠けるから、中から探ることにしたと報告された。宇髄のあの様子を見るに、言い出したのは奥方たちだろう。そして見事に押しきられた、と。こんな状況でなかったら「尻に敷かれてるな」って笑ってやったんだけどな。

 …ほら。少し考えただけでもこんなに話題が出てくる。だからさっさと起きろ、あおい。朔の日だって近いんだ。お前の嫁さん(予定)が待ってるぞ。

 そんな想いで包帯の巻かれた寝顔を眺めていれば、病室に近づいてくる気配を感じた。足音や気配を消す事に慣れていないその人物に当たりをつけながら立ち上がる。

 

「──失礼します」

 

 控えめな声とともに静かに開かれる扉。そこから覗く見慣れない()に、己の予想が当たっていた事を察した。

 

「お久しぶりです、あまね様」

「紅葉さん」

 

 あおいが運び込まれた当日、お館様とともに現れた彼女は以降毎日時間を作って蝶屋敷を訪れているという。

 あいにく俺とは時間が合わず、ここで顔を合わせたのは初日以外で今日が初めてだ。

 

「お忙しいのに、ありがとうございます」

「いえ!俺がやりたくてやってるんです。公私共に支えると誓っていますから。それに…あおいがいないと静かすぎるので」

 

 一人欠けると、それだけで屋敷がとても静かになる。昔は二人で暮らしてたんだけどな…と苦笑いとともに呟けば、ふふ、と控えめな笑い声が漏れ聞こえた。

 

「兄もよく紅葉さんや美鶴さんのことを話してくれるんですが、同じような事を言っていました。あの屋敷で一人でも欠けると静かすぎる、と」

 

 似た者同士ですね。

 そう言って口元に手をやり笑う姿は美しい。そして、そういう貴女こそよく似ているとこういう時に思う。笑い方は全然違うのに、纏う雰囲気というか、ちょっとした表情や仕草があおいとそっくりだった。

 初め、あまね様がお一人で見舞いに来ているのを目撃した者たちは酷く驚いたらしい。これまで負傷者の見舞いに来ることはあっても全てお館様と共にだったため、一人で、それも毎日も見舞う様子に何か特別な関係なのではと勘繰った奴らもいたほどだ。お館様とあおいが長年の付き合いで、現柱の中でも最も信頼されていることは鬼殺隊の者なら新人か余程対人関係に難がない限り知られていることだ。

 そんな関係の二人がすわ修羅場かと一瞬ざわめいたが、そんな話もすぐに流れた。

 普段口面をして顔半分を隠しているため気づかれなかったが、あおいとあまね様はよく似ていらっしゃる。当たり前だ。だって双子の兄妹なのだから。その事実を知り、あまね様が毎日見舞い、甲斐甲斐しく世話をする理由を皆が悟った。

 未だ眠り続けるあおいと、その様子を心配そうに伺うあまね様を視界に入れつつ、なんとはなしにあおいが鬼殺隊に入った理由について思考が回る。

 身内を鬼に殺されたわけではない、と公言しているからか、その理由を尋ねる者は少なくない。だが誰が聞いてもあおいは決してその詳細を語る事はしなかった。

 "鬼"と"鬼殺隊"を知ったきっかけは知っている。幼い頃、己の直感に従った結果鬼を見つけ、襲われていた人物と逃げている時に鬼殺隊士に助けられたのだと、以前何かの折りに話していた。

 けれど、それはただのきっかけに過ぎない。多くの隊員のように近しい者を鬼に殺された訳でもないのに、何故あおいは鬼殺隊士を志したのか。きっとあおいを知っている者なら一度は抱く疑問だろう。かくいう俺も、直接聞いたことはなかったがその疑問を抱いた一人だった。

 とはいえ、今ではある程度の予測もつくというもので。おそらくあおいの持つ先見の力が関係してるんだろう。誰かしらの行く末を見て、その結末を阻止するために鬼殺隊に入った。そしてそれは、あおいが生家を出る決意をする程の人物だ。そんな人、俺は一人しか知らない。

 

「──あまね様」

「はい」

「花瓶の水を変えてくるので、少し席を外します」

「わかりました。ありがとうございます」

 

 恋柱が持ってきてくれた花瓶を片手に病室を出る。宣言通り水を変えて、花も少し整えるとしよう。それから炭治郎たちの様子も見に行って、なんだったらそのまま鍛練に付き合うのもいいな。今日はまだ時間があるから多少遅くなっても問題はない。

 

(…俺がいちゃできない話もあるだろうし)

 

 心の内で呟いた言葉は、もちろん誰の耳に届くことなく己の内に消えていった。

 

 

 

✽✽✽✽✽

 

 

 

 優しく笑う母と、厳しくも凛とした父。しっかり者の長兄と、明るく人の機微に敏い次兄。そして、誰かの為に行動できる、優しくて不器用な私の半身。

 神職の家系の生まれではあったけれど、私にとっては極々普通のありふれた家族だ。いつか私がお嫁に行くまで、誰一人欠けることなく過ごしていくのだとそう信じて疑わなかった。だけど、現実はそう上手くはいかなくて。

 あの日、兄さまが夢見が悪かったのだと顔色を悪くさせていた日。両親との話し合いが終わってすぐに、兄さまは家を出ると私たち兄妹に向かって宣言した。

予想だにしない言葉だったから、数瞬の間の後に「なんで」「どうして」と問い詰めたのは仕方のない事だと思いたい。引き止めるのに必死で、最後なんて二人して泣いていたのは今ではいい思い出だ。

 ずっと一緒だったから、離ればなれになったらどうなるのか私にはわからなかった。だから繰り返し行われた説得に渋々ながら折れはしても、私の気持ちがすぐに落ち着くことはなく。兄が家を出る前日まで、私はいつも以上に兄にくっつく日々を送るのだった。

 

──表面上お前とは赤の他人になるけれど、俺がお前の、お前が俺の片割れであることは変えようのない事実だ。

 

 この言葉に私がどれだけ安心したか、兄はわかっているだろうか。ふとした時に喪失感が生じても、一人でいる夜に寒さを感じても、この言葉を思い出すだけで私は少しだけ強くなれた。

 毎日家族それぞれで祈りを捧げて、兄の無事と多くの人が還れるよう(・・・・・)祈りを捧げる日々を過ごし、次第に一人屋根に登って星を眺める事もなくなった頃、私に見合い話が舞い込んできた。

 お相手の名前は産屋敷耀哉様。13歳という年齢でありながら既に当主としてその手腕を発揮しているというお方。

 急な話ではあったけれど、私たち家族は冷静に見合い話を受け入れた。なにせ、産屋敷家は代々神職の家系から妻を娶っている一族として私たちの界隈では有名だったから。15の時にその事実を知らされて、加えて私以外に年が近い娘が他にいなかった時点である程度の覚悟は決めていた。とはいえ、まさかその産屋敷家があの(・・)鬼殺隊の関係者──それも当主一族だとは夢にも思わなかったし、当日の同行者が兄だと知らされた時には、私を含めて我が家は暫くそわつく事となったが。

 兄が身を置く組織の最高権力者。一体どのような方なのだろう。与えられた情報から分かるのは、まだ幼いとはいえ当主足りうる器と判断される程の実力の持ち主という事だけ。とんでもない体躯の持ち主だったらどうしよう。私の周囲には細身の男性しかいないから、溢れんばかりの筋肉の持ち主だと圧倒されてしまいそうだ。それか相当頭が切れてお腹の中にタヌキを飼っている系の方かもしれない。多くの人を束ねる立場であるのだから、可能性としてはこちらの方が高いか。

 この見合いが破談になる事はきっとない。どんな相手だろうと嫁ぐ以上、立派に妻としての務めを果たすつもりではあるが、だからこそ色々な想像が頭の中を駆け巡った。

 そうして迎えた見合い当日に現れたのは、細身で柔和な笑みを浮かべるまだ少年と呼んでも差し支えない方だった。筋肉達磨説が絶ち消えた瞬間である。

お見合いの定番とも言える「あとはお若いお二人で」という言葉により部屋に残された私たちだったが、二人だけという空間であっても不思議と居心地の悪さを感じることはなかった。それは偏に、産屋敷様──耀哉様の心地のいい安心感を与える声のおかげかもしれないし、私の半身が心からこの方を慕っているのが見てとれたからかもしれない。

 どちらにせよ過度に緊張することなく話をする事ができたのは、私にとっても耀哉様にとっても重畳だった。

 色々な事を話した。

 自分の事、家族の事、昔の兄の事。あちらも同じようにご自身の事や身近な方たちの事、そして私の知らない兄の事を教えてくれた。その中にはもちろん鬼殺隊の事も含まれていて、この時点ではまだどこか遠い世界の話のように感じていたのを覚えている。それでも私なりに自分の内に落とし込んで、気になった事は都度質問して可能な限りこの方と、そして兄が見ている世界を知ろうとした。

 そんな私に対して相も変わらず穏やかな声音と表情で、耀哉様は現時点で考えうる限りの懸念も含めて包み隠さず告げてくれた。

 きっと試されていたのだと思う。話を聞いただけで怯んでしまうのなら、お互いの為にも白紙に戻した方がいい。中途半端な覚悟で関わっていい事柄ではないのだと、そう暗に告げていたのだろう。

 なんの根拠もないただの直感だけれど、その勘がまったくの検討外れだったとは今でも思っていない。

 

「貴女が嫌なら私からこの話は断ります」

 

 そう言って話を締めくくった耀哉様は私に視線を向けて静かに返事を待っていた。

 恐ろしいとは思う。神社(・・)で生きてきた私は刀だって見たことはないし、血だってそうそう目にする事はない。これまでの生活とはまったく違う血生臭い世界が、人の命が簡単に散っていくその世界が、私は心底恐ろしいと思う。

 ──でも、だからどうしたというのだろう。

 実際にその世界に生きている人たちがいる。それぞれの事情を抱えて、その身を危険に晒してまで成し遂げたい想いがある。耀哉様だけじゃない。まだ見ぬ隊員たちも──兄さまも、私の知らない理由があって鬼殺隊入りを志願したのだから。

 ならば私も、私なりの理由でその世界に身を投じよう。純粋な優しさだけではなかったかもしれない。それでも私の身を、立場を案じて言葉を掛けてくださったこの方の支えになりたい。

 そう強く思った時点で、私の覚悟は既に決まっていた。

 

 

 

 

 

 

 産屋敷家に嫁いで確かに私の生活は一変したけれど、その変化は想像していたものよりもずっと穏やかだった。

 毎日の家事に加えて鬼殺隊当主の妻としての仕事も任されてはいたが、補佐役であり兄の養父である一宮様と分担しての作業だった為、特に大きな混乱に繋がる事もなく。加えて定期的に兄が屋敷を訪ねてきて仕事を手伝ってくれた事もあり、精神的な負担もそこまでではなかった。

 何年も続けていた禊祓の方法を、祈る内容に合わせて変えてから暫く。多くの出会いと、別れがあった。自ら隊を離れる方もいれば、鬼との戦いで儚く散っていった方もいる。そこにはもちろん、柱と呼ばれる方も含まれていた。

 私の大切な、"産屋敷あまね"となって初めてできたお友達。お墓が出来てすぐに供えられていた黒い口面は、暫くの後、お焚き上げだと兄自らの手によって燃やされていたけれど、きっとあの人の事だから喜んで着けてくれていると思う。

 心に空いた小さな穴が塞がる事はないけれど、時間が経つと共に楽しかった記憶を思い出す事も辛くなくなってきた。五人の可愛い子どもたちにも恵まれ、家事に育児に仕事にと更に忙しなく日々を過ごして、今。

 鬼殺隊員専用の治療所である蝶屋敷の一室で、寝台に身を預けて静かに呼吸を繰り返す兄を見つめる。

 

「…これまでいったい、どれだけの命をこうして(・・・・)救ってきたのです?」

 

 問い掛ける形ではあるけれど、別に明確な答えがほしいわけではなかった。

 兄は、誰かの為に命を賭けられる人だ。守るために刀を振るい、その身を捧げ、そうして果てる覚悟もとうにできているだろう。私とは違って、それだけの力と確かな実績がこの人にはある。

 だからこそ、いつまで経っても私の心には言い知れぬ不安が巣くっていた。いつか兄が、誰かの代わりに命を落とすのではないか、と。──だって、何事にも対価は必要なのだから。

 寝具に力なく投げ出された手を握る。細かな傷と固くなった皮膚は、兄が多くの人を守ろうとした証だ。その"証"を両手で持ち上げ、額に押し当てると同時に目を瞑る。

 

「兄さま。私、こうなる事を知ってたんです…知っていて、黙っていました」

 

 見る方法は違えど、私も加護を与えられた身だから。

 上弦の参の討伐で兄が意識を失うほどの大怪我を負うと、私だけは知っていた。…いや。より正確に言うなら、その流れに途中から変わったのだけれど。

 そもそも、当初見ていた予知夢では兄はこの任務にあたっていなかった。そして上弦と対峙するのは炎柱である煉獄杏寿郎様お一人のみ。列車の乗客200名と後輩たちを守り抜いて、彼は命を落とす。それが謂わば"本来の流れ"だった。

 その流れが変わったのは、煉獄様が無限列車の任務に向かう数日前の事。柱合裁判で兄が例の鬼連れの隊士の記憶を見たと言っていたから、その時に未来視もしていたのだろうとすぐに察した。

 本来、その"流れ"を他者に告げる事はおろか、変えることも推奨されてはいない。未来は無数の選択の先にあるもので、介入する事でどんな影響を与えるのかその時点で判断なんてできないのだから。

 それでも兄は──兄さまは行動に移した。どういう想いからそう決断したのか誰も知らないけれど、きっと我が兄の事だ。知ってしまったのなら無視することはできないとか、そういったところだろう。

 誰かの為に行動できる、優しくて不器用な私の半身。そんな貴方を誇らしく思っているし、これからもその事実は変わらない。だけど──。

 

「──何よりもまず自分自身を大切にしてほしい、なんて、私がそう思っている事を知ったら…貴方は幻滅しますか」

 

 

 

✽✽✽✽✽

 

 

 

 声が聞こえる。

 直前まで聞いていた、性別も年齢も判別できないような曖昧な声ではない。誰かに赦しを乞うような、血を吐くような後悔の声音。

 それが半身のもので、僅かながらに怯えの色も含まれている事に気づいた時、俺の意識は一気に覚醒した。

 掌に感じる温もりを確かめるように力を込め、目を開く。何かに引っ掛かって片方しか開かない上に、唯一残された視界が霞むのについ眉が寄った。数度瞬きを繰り返してようやっと晴れたその先で、目に入るのは可愛い妹の驚いた表情。

「おはよう、あまね」

「お、はようございます…兄さま…」

 

 若干声が掠れているが、まあいいか。

 ただでさえ大きな瞳を更に大きく見開き俺を凝視するあまねに思わず顔が緩む。こうも分かりやすく感情が表に出ているのは久しぶりだった。

 繋いでいた手を離して起き上がるために腹部に力を入れる。途端感じる引きつった痛みに、そういえば脇腹の肉を持っていかれたなと思い出した。なるべく傷に障らないようゆっくりと身体を起こせば、すかさずあまねが背を支えてくれる。寄りかかれるよう調整された枕にそのまま身を預ければ、無意識に詰めていた息が口から漏れ出した。横から差し出された湯飲みを受け取り更に一息。

 

「兄さま、お加減は」

「脇腹が少し痛む程度だ。あとは寝すぎたせいか身体がだるい」

 

 安心させるよう笑みを浮かべながらそう告げるも、あまねの眉は下がったままだ。それに苦笑を返しながら形のいい頭に手を伸ばす。綺麗に纏まった髪を崩さないよう二度ほど跳ねさせれば、下がった眉はすぐに元の位置に収まった。

 

「人を呼んで来ますから、待っていてください」

 

 そう言って立ち上がったあまねの腕を掴むことで引き留める。

 ああいや、呼びに行くのは構わないんだがちょっと待て。すぐ終わるから。

 

「あまね」

 

 早く人を呼びに行きたい様子のあまねの意識をこちらに向けさせる。

 人が来る前にこれだけはどうしても言っておきたかった。どうせこの後は検査や報告でしっかりと時間は取れないのだから。

 

「幻滅しないよ」

 

 ひゅ、とあまねが息を飲んだ。その様子に痛くならない程度に腕を掴む手に力を込める。

 

「たとえお前が、夢で見た未来を誰にも伝えずとも、そしてその結果誰かが命を落とす事になっても。…たとえ、産屋敷あまね(おまえ)空柱(おれ)に何を願ったとしても。幻滅なんてしない」

 

 そう断言しても、あまねはきっと自分を責めるのだろう。思いやりと責任感に溢れた妹の事だ。産屋敷家当主の、ひいては鬼殺隊当主の妻としてあるまじき願いだと思っているに違いない。その表情を伺い見れば、この予想がそこまで大きく外れていないとすぐにわかった。

 ならば俺は何度でも言葉を重ねよう。お前が安心して、何にも囚われることなく()の無事を願えるように。

 

「今ここにいるのは俺たちだけだ。お前は俺の妹で、俺はお前の兄。それ以外の関係性は必要ないだろう?」

 

 可能な限り柔らかい表情を意識する。左目が疼いたが構うものか。

 

「それにな。この怪我はお前のせいで負ったものではないんだ。そんなに気に病む必要はない」

「ですが」

「お前は約束を守っただけだよ。俺だって見た未来は誰にも告げてない。まあ、勘づかれる事もあるがな」

 

 否やを告げようとするのを遮り事実だけを伝えていく。

 

「この怪我は俺の実力不足の結果だし、そもそも元を正せば鬼のせいだ」

 

 だからお前のせいじゃない。

 そう続ければ、ややあってからあまねはゆっくりと頷いてくれた。まだ納得はしていないのだろうが、この様子ならもう大丈夫だろう。

 ずっとそばにいるからか、段々と耀哉の頑固さが移ってきている気がしてならない。

 そう思いつつまた二度ほど手を跳ねさせれば、今度こそあまねは人を呼んでくると部屋を出ていった。

 自分と同じ髪色の、自分より小さく華奢な背を見送りゆるりと目を閉じる。

 心配を掛けるのは本意ではない。だが鬼との戦いで"絶対"など存在しないから、約束もできない。それはあまねも重々承知しているから"自分自身を大切にしてほしい"と願いはしても"怪我をしないでほしい"とは願わなかった。

 …あまねが禊祓を毎日欠かす事なく行っているのを、俺は知っている。身を清め神に祈るその行為が、嫁いで来てから始めた習慣でない事も、あまね一人によるものでない事も察している。

 何故今でも俺に加護が与えられているのか。本来なら血を纏った時点で…いや、神籬の姓を捨てた時点でこの力は失われている筈だった。

 俺たちは過去や未来を見たり結界や浄化を行えるが、別に神籬の血を引いているから無条件に扱える訳ではない。この力は、御祭神より加護を与えられたという証だ。だから血縁者でなくても嫁入り、あるいは婿入りして神籬の一員と認められれば何かしらの加護は与えられるし、逆に家を出て不必要であると判断されれば加護は外される。外に嫁いでいった親戚たちは、俺が知る限り全員加護を外されているからそれは確かだろう。

 だからこそ、俺が未だにこの力を扱えるのには訳があるのだと思った。あの日、生家を出る前に立てた誓い故か、肉親たちが祈ってくれているが故か。…真相はまさしく神のみぞ知る、だな。

 そんな風にぼんやりと思考を回していれば、複数人がこちらに近づいてくる気配を感じた。あまねと紅葉と神崎と、あとはしのぶ嬢か。大所帯だな。

 目を開き、扉を見つめる。

 包帯が巻かれている左目は、きっともう何も写さないのだろう。今後の事を考えると少しばかり億劫だが、まあ慣れればいいだけの話だ。視界が制限されるなら、その分他の感覚を研ぎ澄ませればいい。俺が刀を置くのは、少なくとも今ではないのだから。

 先程の、罪悪感と自責の念に苛まれていた妹を想う。

 俺には俺の、あまねにはあまねの役割がある。あまねに出来ないことは俺が。俺に出来ないことはあまねがやればいい。今までだってそうしてきた。俺たちは御霊を分けた半身同士で、二人揃って漸く全てが揃う。だから、あまねが鬼を斬れない分俺が斬るし、呪いの浄化も俺がする。代わりに耀哉と常に共にあるのはあまねだし、結界だって今ではあいつが一人で支えている。互いに欠けているものを補い合って、そうして一つ一つ未来を選択していけばいい。

 とはいえ、その結末があの流れ(・・・・)になるというのは全くもって受け入れがたいが。

 …そう。決して、受け入れられないんだ。

 たとえそれが最善であるとあいつらが判断しても、決して。

 

──何よりもまず自分自身を大切にしてほしい

 

「…そんなのはむしろ、こちらの台詞だよ」

 

 ぽつりと呟いた言葉は、がらりと開かれた扉の音に紛れて誰に聞かれるでもなく散っていった。

 

 

 

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