将来妹が鬼に殺されるかもしれないので絶対阻止したいお兄ちゃんの話 作:シグル
「──うん。経過は良好ですね。距離感も掴めているようですし、流石一宮さんです」
明日からは任務に出ても大丈夫ですよ。
そうにこやかに告げてきたしのぶ嬢に小さく頷く。
目が覚めてから数日。初日に感じていた倦怠感もなくなり、既に傷口も塞がっていた。ある程度片目での距離感も掴めていたからそろそろ復帰できるかと踏んでいたが、何も問題ないようで安心した。
身だしなみを整え、最後に黒い眼帯をつける。俺が眠っている間に紅葉が用意してくれたものでありがたく使わせてもらっているが、代わりにこれまでつけていた口面は外している。両方つけて不審者扱いされるのは流石に避けなければならない。それに口面は元々あまねとの関係を周囲に隠すためにつけ続けていたものだ。今回の件で実の兄妹だと殆どの隊員に知られた以上、つけておく理由はもうない。全てが終わるまで生家に足を踏み入れる事もないだろうと、自室の引き出しにしまうことにした。
「まっすぐ空屋敷にお帰りですか?」
「いや、竈門たちのところに顔を出そうと思ってる」
「そうですか」
竈門や我妻、嘴平は現在蝶屋敷を拠点にしているらしい。鍛練をこなしながら合間に任務を受ける日々を送っているようだと紅葉が教えてくれた。ついでに竈門と鋼塚殿の騒動も軽くだが聞いている。刀に罅が入って折れる一歩手前にしたからと、両手と頭に合わせて四本の包丁を装備した鋼塚殿に竈門は一晩中追いかけ回されたのだとか。最後に使ったのは煉獄だという主張は通らなかったらしい。40近いというのにいつまでも若いというか、刀にかける情熱が熱すぎるというか…。…俺も今回刀を駄目にしたが、里長殿も"万死に値する"とか思ってるんだろうか。まずいな。菓子折持って挨拶に行くべきか?いやでも絶対に「そんな暇があるならもっと多くの鬼を狩りや」って今度こそ尻を叩かれかねない。別の用事も作って改めて挨拶に行けばいいか。
そう結論付けて治療の礼を告げようと先程からずっと視線を注いでくるしのぶ嬢に目をやる。が、あまりにも俺の顔を熱心に見つめている様子に、予定していた言葉が俺の口から出ることはなかった。
「…しのぶ嬢、見すぎだ」
「あら、失礼しました」
いつも以上ににっこりとした笑顔で返される。珍しい色合いと口面をつけていた事も合わさって誰かに凝視される事はよくあるのだが、それなりに付き合いの長い相手に、というのはあまりない。まあ今回は単純に物珍しさからだろうとあまり気にしていなかったのだが…。
「いえね、色気が増したなぁと思いまして」
「…は?」
思わぬ感想につい反応が遅れてしまった。
ふふ、と楽しそうに笑うしのぶ嬢に、本音だろうが戯言だろうがとりあえず揶揄われたのだと悟る。ついため息を漏らした俺にまた綺麗に笑って、一言。
「その眼帯、とってもお似合いですよ」
礼の言葉が大分おざなりになったのは、許される事だと主張したい。
「伊之助くんは昨日から任務に出ていて不在です。炭治郎くんと善逸くんも今日任務を言い渡されたようですから、早めに顔を出してあげてくださいね」
というしのぶ嬢の言葉に従い、柔らかな日差しが射し込む廊下を一人進んでいく。太陽が天辺に差し掛かった今、蝶屋敷には全体的にのんびりとした穏やかな空気が流れていた。
数日前に死闘を繰り広げたとは思えないくらいには平和な時間だと、束の間の平穏に身を預けていればそんな暇なぞ存在しないと言わんばかりの汚い悲鳴が前方から聞こえてきた。
本当に束の間だったな、と思いながらのんびり足を進めていく。この騒ぎでは出発までまだ掛かるだろうと判断出来るくらいには、この耳をつんざくような鳴き声は聞いたことがあった。
「いぃやぁぁぁ!行きたくないよぉ~!!」
「ち゛ゅん!!ちゅち゛ゅん!!」
駄々を捏ねるその様子に、かつて会った時も似たような声を上げていたなと懐かしく思う。初対面で「強い音がするよぉ~!!!」と叫んで桑島殿に一発貰っていたのが昨日のように思い出せ、つい遠い目をしてしまった。いや入隊して人が変わったように静かになっても心配だが、
「随分賑やかだな」
「一宮さん!こんにちは」
いの一番に俺に気づいた竈門が我妻を引っ付けたまま挨拶をくれた。
「ああ、こんにちは」
「ねえ、無視しないで??無視しないでよ炭治郎ぉ~!一宮さんはこんにちはぁ~!」
竈門の脚に縋りつきながら嘆きつつ、俺にも律儀に挨拶をしてくれる我妻は器用だと思う。
「相変わらず元気そうで安心した。これから任務か?」
「そうなんですよぉ!しかも一人で!伊之助は昨日からいないし炭治郎は俺とは別の任務だし…誰も俺を守ってくれないぃ~!!」
弱いからすぐ死んじゃうのに!とおいおい泣きながら訴える我妻に、呆れよりも先に感心してしまう。話には聞いていたが本当に自分が鬼を狩っているという自覚がないんだな。眠りながらの戦闘はかなり珍しいが、自己防衛なら下手に自覚させるのは悪手か。
なんにせよ、いつまでもここで騒いでいるわけにもいかない。先程から雀が黄色い頭をつついたり髪を引っ張ったりしている。このままではいつか禿げるぞ。
「いいか、我妻。俺たちが出会った頃に比べればお前の技の精度は格段に上がっている。もちろん回避率も受け身も上達したさ。柱である俺が保証するんだ、自信を持て。それにお前の働きで助かる命がある。だから行ってこい」
「結局行くことに変わりないじゃんかぁー!!!」
「善逸…」
ぎゃん!!と噛みつかれたが任務は任務だ。俺からは「行ってこい」としか言えない。
竈門の呆れたような、しょうもないものを見る目から逃れるように、我妻は未だ引っ付いている竈門の脚にぐりぐりと頭を押し付ける。そんな駄々っ子の頭に手を伸ばし数回跳ねさせれば、少しずつ落ち着いてきたのか最終的にすんすん鼻を啜りながらのろりと顔を上げてくれた。
「…前にも言ったが、恐怖を感じる事は別に悪い事じゃない」
未だ涙に濡れる瞳を見ながら思い出すのは、まだ髪色が黒だった頃の我妻だ。
修行が嫌で、お師匠が怖くて、そしてそんな風に思ってしまう自分自身が嫌いで、静かに涙を流していた子ども。たまたま居合わせたというだけで、俺はこの子と少しだけ話をした。
「逃げるもよし。態勢を立て直して再度挑むもよし。好機が来るまで堪え忍ぶもよし。お前の前にはいくつもの選択肢が広がっていて、そこから自由に選ぶ事ができる」
『隊士でなくて隠になる選択肢だってある。お前が本当に嫌だと言うなら桑島殿も無理強いはしないだろう』
なんなら俺からも言ってやろうか。
物陰で膝に顔を埋めながら肩を震わせていた子どもに、俺はあの時そう問い掛けた。隊士でも隠でもその聴力はとても有用で得難い戦力になる。だったら直接鬼と対峙する機会の少ない隠の方がこの子には向いているのではないか。そう考えての提案だった。
まだほんの数回しか会っていない相手にどこまで話してくれるかは正直賭けだったが、俺が思っていたよりもこの子は俺に心を開いてくれていたようで。
『…──』
その時の我妻の返答を思い出し、自然と口角が上がる。
「でも、
たまたま居合わせただけの俺に、涙で濡れたままそう言ったのを俺は未だに覚えている。
当時のやり取りを思い出しまた小さく笑えば、我妻は唇を引き結んでうろ、と目線をさ迷わせ、やがて小さく頷いてくれた。
「さて、では頑張る後輩たちにはこれをやろうな」
黄色い頭で再び手を弾ませてから、空気を入れ換えるように声を上げる。首を傾げる新人二人を視界の端に捉えつつ、袂から取り出したものを差し出した。
「ありがとうございます!お守り、ですか?」
なんの変哲もない、普通のお守り。強いて言うなら神社仏閣で授与されるものより手作り感はあるかもしれない。
こっちは禰豆子と嘴平の分、と言いながら更に二つ竈門に差し出す。
「入院中、手合わせしてくれただろう?その礼だよ。いいことがある、かもしれないお守りだ」
「かもしれない…」
「お守りとは存外そんなものさ」
何年も前に粂野と交わした会話を思い出して口元が勝手に弧を描いた。俺が寝ている間に師匠の古風殿と見舞ってくれたと紅葉から聞いている。また近いうちに顔を見せなくては。
「ちゅん!」
会話に一段落着いたと判断した我妻の鎹雀が元気よく鳴いた。そろそろ出発の時間らしい。
「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げつつも先程までのように泣き叫ぶ事もなく、我妻は震える足で立ち上がり外に向かって歩き出した。よく"生まれたての小鹿"と表現するが、我妻の場合は"足腰の弱った爺さま"だな。心なしかヨボヨボしているし、見かねた竈門が手を引いてやっているのが余計に介護を彷彿とさせる。
普段より時間は掛かったものの、表に出る頃にはもう我妻の調子もすっかり戻っており禰豆子への愛の言葉を元気よく叫んでいた。そんな同期に冷静な言葉とともに冷たい視線を浴びせている竈門は正しく"兄"だと思いつつ、そろそろ出発するよう二人を促す。いい加減上空を旋回する鳥たちから催促の言葉を掛けられそうだった。
途中まで道程が重なるという事で仲良く隣り合って進む後輩たち。その背中を見送り、俺も帰路につくため踵を返す。その直後、バサリという羽音と共に右肩に重みが増した。
「待たせたな、暁」
「カア」
指先で擽るように撫でながらそう言えば、すり、と頭を擦り付けて返事を返してくれた。
さて、今日はこの後どうしようか。夜は見回りに行くとして、今はまだ昼過ぎだから時間がある。音屋敷に顔を出そうかとも思ったが天元は任務に出ていて帰りは明日になるらしい。奥方たちの潜入はその後を予定していると、紅葉伝いで報告を受けている。…いくら外からでは限界があるとはいえ、本当に酷な選択をさせてしまった。
怪しい妓楼と遊女を見つけても、確固たる証拠がないと俺たちは突入できない。とはいえ大っぴらに動けば動くほど奴らが俺たちに気づく可能性は上がる。正直、内部に潜入するのは色々な意味でも危険度が高い選択肢だ。だから本来ならそれは最終手段になる、が。
(上弦の一角が欠けた以上、何がなんでもこちらの首を獲りにくるだろうな)
奴らに仲間意識があるのかは甚だ疑問だが、上弦の参を斬った事で鬼舞辻から何らかの指示が出されていると考えるのが妥当だ。おそらく、必ず柱を殺し鬼殺隊の戦力を削げとかそんなところだろう。
では、柱を誘き出すにはどうするか。簡単な事だ。──より多くの犠牲者を短期間に出せばいい。
「上弦がどこにいるのかが分かれば一番いいんだがな…」
現在、最有力候補として挙がっているのが吉原遊郭だ。そしてこの予想はきっと間違っていない。過去に遊郭に派遣された柱の人数はそう多くないし会敵せずに任務を終了している場合も中にはあったが、行方が分からずそのまま死亡扱いになっている柱も確かに存在する。
俺たち柱は、怪我はすれどそんじょそこらの鬼に殺される程弱くはないし油断もしない。それは時代が違っても変わらない事実だ。つまり、柱が苦戦もしくは死亡するのは、相手が上位の鬼だった場合のみ。
だからこそ俺たちは遊郭にいるのは上弦である可能性が高いと見ているし、奥方たちは
かつて共に暮らしていた賑やかな三人を思い浮かべる。てんでばらばな性格だが、意志が固いところも天元を支えたいという想いもそっくりだった。きっとこちらが何を言ってもその決意が揺らぐ事はない。いや、旦那である天元が止められなかったのだから俺に止められるわけないのだが。
それはそれとして彼女たちにはお守りを用意しておこう。先程竈門たちに渡した物とはまた異なり、今回は少々特殊な作りになる。作成に必要なものは揃っているから帰宅したら早速取り掛かるか。
ああ、それから。鯉夏にも一つ渡しておこう。俺が側にいない間も彼女を守れるように。…彼女が狙われる可能性だって、十分過ぎるほどあるのだから。
✽✽✽✽✽✽
任務に復帰して暫く。今日は朔の日だ。
以前腕に包帯を巻いて行ったら楼主には酷く驚かれ、鯉夏には心底心配そうな顔をされた。故に今回も似たような反応だろうと予想していたのだが、目の前の惨状にその認識は甘かったのだと痛感させられている。
「ふ、藤宮様…!そのお怪我は?!」
俺の顔を見るなり大声を上げて駆け寄ってきた楼主は、わたわたと手を動かし視線を彷徨かせ…まあ、端的に言うならば大変動揺していた。
「事故に巻き込まれまして。うまく回避出来なくてこの様だ」
軽くそう返せば声にならない悲鳴を上げられた。続いて「そんな…」だの「綺麗な顔に傷が…!」だのといった言葉が漏れ聞こえてくる。…いや、楼主殿。男に向かってその台詞はどうなんだ。というか、似たような台詞をどこかで聞いたような気がするが、どこだったか。最近だった気がするんだが。
楼主を宥めながらそんな事を考えていれば、今度は女将が顔を出してきた。騒ぎを聞き付けたらしい。女将に小突かれて漸く冷静さを取り戻した楼主が、こちらの様子を伺っていた下男に俺の案内を言いつけた。手を引いて案内しようとする下男の申し出を丁重に断り、淀みなく歩みを進める。
そうして辿り着いた一室でいつかと同じように待っていれば、見知った気配の慌ただしい足音が近づいてきた。襖の前で立ち止まりいつもよりも性急に、けれど静かに開かれた襖から鯉夏が姿を現す。
「…っ」
俺の姿を認めた瞬間、息を飲む音が聞こえた。
どこかの部屋で男女の笑い声が響く。その声がやけに遠くに聞こえる程度には、今この場は静まり返っていた。
「鯉夏」
ぴくり、とその華奢な肩が揺れる。
「おいで、鯉夏」
誰に対するものよりも柔らかくなる己の声音に、もう末期だなと前にも思った事が頭を過りつつも右側の畳を叩く。
きちんと襖を閉めてから、先程とは打って変わってゆっくりとした足取りで鯉夏は俺の隣に腰を下ろした。
「あおい様…」
悲壮感漂うその様子に苦笑を滲ませる。やはり心配をかけてしまったな…。
躊躇いながらもゆっくりと俺の顔に伸ばされた手を受け入れれば、眼帯の縁部分にそっと労るように白い指先が走る。
「お仕事、ですか?」
空気に溶けるような、吐息混じりの問いだった。
「ああ」
俺も小さく
「視力は…」
「眼球そのものを摘出してるからな」
もう見えない、と言外に告げれば鯉夏は唇をきゅ、と強く引き結んだ。
「きちんと処置して貰ったから平気だよ」
だからそんな顔をするな、と続けようとした言葉はしかし、眼帯と皮膚の境目をなぞっていた細い指先がぴたりと止まった事で表に出る事はなかった。ゆらゆらと水を湛えたまま眉間に力が込められ皺が生まれる。そんな見慣れない鯉夏の表情につい口をつぐんだ。
「そんな事、仰らないで」
怒っているようにも、泣いているようにも聞こえる声音だった。
「怪我をしないでくださいとは言いません…いえ、本音を言うなら勿論しないで欲しいですけど、でも、難しいのでしょう?」
断定に近いその問い掛けに、頷く事で肯定を示す。
「ならばせめて、大したことないとか平気だとか、笑って言わないでください」
顔に触れていた手が下がり俺の羽織をく、と引く。
…怒り、とはまた違うか。どちらかというと悲しいとか悔しいとか寂しいとか、そういった色合いの方が強い。
ゆらゆらと揺れる瞳から目が離せないまま、そういえばここまで素直に感情を表に出してくれるのは始めてだと、場違いながら思った。
「貴方の痛みを少しでも分けてください。そして心配くらい、させてくださいな。私は…──旦那様となる貴方の支えになりたいのです」
小さな願いだった。小さくて真っ直ぐで、健気な願い。
それを聞いた瞬間、言い様のない感情が沸き上がってくる。
ずっと、俺が守るのだと思っていた。鬼殺という物騒な世界に引きずり込むのだから絶対に守りきらなければ、と。今でもその決意に変化はないけれど、そうか。俺たちはこれから"夫婦"になるんだよな。
「──鯉夏」
「はい」
「抱き締めても?」
「え?ぁ…どうぞ…?」
俺の急な申し出に、鯉夏は戸惑いながらも了承してくれた。真面目な空気が一気に霧散していくのを内心で謝りながら手を伸ばす。
片目での感覚に慣れたとはいえ万に一つでも傷を付けたくない。不自然にならない程度に慎重に距離をはかり、その柔らかな身体を腕に抱き込んだ。
「…俺は、上に立つ人間だ。俺の言動一つが全体の士気に影響を与える。だからそう簡単に弱った姿は晒せないんだ…俺からしたらこれでも随分と甘えてる方だし、お前の存在は支えになってるよ」
俺よりも低い位置にある頭に軽く頬を寄せながらそう伝えれば、僅かな身動ぎの後、背中に両腕が回され僅かにあった隙間が埋まった。
「まだ、足りないです」
「そうか」
ぽそりと落とされた否定の言葉に音もなく笑ってしまう。俺を支えたいのだと言ってくれるこの可愛い
「痛みはもうないんだが、やっぱり不便でな」
距離感や平衡感覚はもちろん、間合いの修正も既に済んでいる。目が覚めてから隊員たちに散々付き合ってもらったおかげだ。特に悲鳴嶋には世話になった。任務もこれまでと勝手は違うもののこなせているし、そこは特に言う事はない。
では何が問題かというと、日常生活の方で大いに支障が出ているという一点に限る。こればっかりは慣れるしかないんだが、如何せんふとした時に湯飲みは割るし物を取るときは一度空振るしと、不便で仕方がない。
思うに、屋敷の中では気を抜いているから無意識にこれまでと同じような感覚で過ごしてしまうのだろう。任務中は文字通り命がかかっているから、強制的に修正されるんじゃなかろうか。
そんな事を所々ぼかしながら鯉夏に告げれば、もぞりと身動ぎして俺を見上げてきた。それに合わせて腕を緩めればこちらを見つめる大きな瞳と目が合う。
そ、と伸ばされた両手を拒む事はしない。柔く頬を包まれ、乞われるまま顔を近づける。
「──…」
香とは違う甘やかな香りが鼻先を擽った。寄せられた温もりを眼帯越しに感じながら、残された右目を静かに閉じる。
後悔はない。俺たちは俺たちにできる最善でもって鬼に対峙し、結果百年余り続いていた均衡を崩すことができた。この傷も、多くを守りぬく事ができたという証だ。次があったならばもっと上手くやるが、それでもきっと
──それでも、今この瞬間抱いてしまった想いもまた、間違いなく俺の本音なのだろう。
狭まった視界を開けば、目の前には花のような笑顔が似合う俺の最愛がいて。
彼女を両の目で見る事が叶わなくなった事実が、ただ純粋に惜しく感じた。
・色んな人に心配をかけた人(27)
この度義眼&眼帯デビュー。色気が増したと隊内でも評判になる、かもしれない。
眠っている間「これ以上顔に傷をこさえるな」と誰かに小言を言われたような気がするが夢なので起きたら記憶は朧気。幼い頃に妹と遊んでいた時に聞いた声と似ていたような…。
雷の兄弟弟子とは育手にいた頃からの付き合い。といっても実際に会ったのはほんの数回。たまにどこかひねくれた文章の手紙が届けられる。
鯉夏の言葉を受けて、この度ようやっと"夫婦になる"と自覚した。
・心配しつつずっと信じて待ってた隠(30)
そのうち起きて何事もなかったかのように任務に出るんだろうって分かってたけど、ここまでの怪我は久しぶりだったから肝が冷えた。オリ主が眠っている間毎日時間を作って見舞ってた。もちろんちゃんと仕事もしてる。
目が覚めてからたった数日で復帰したオリ主に「あ、こいつもやっぱり柱だわ」って遠い目をする。
・この数日間"公"と"私"に挟まれてた人(27)
鬼殺隊当主の妻として時に非情にならねばならない時もあると覚悟はしてた。最初の頃は難しかったけど、数年も経てば取り繕う事は可能に。それでもやっぱり身内にはばれる。
特定の隊員に肩入れするのは良くないし、それが身内なら余計な軋轢を生むだけだと人目がある場ではお互い徹底して"公"の立場で接していた。でも今回はお館様から「私の分も見舞いに行ってほしい」と背中を押してもらった事もあり、短時間だけでも毎日蝶屋敷に様子を見に行っていた。いつまで経っても目を覚まさない兄についぽろりと本音が口から出てしまった。
・ずっと思っていた事をやっと言葉にできた人(19)
前に怪我をした時も「大したことない」って言ってたけど、怪我は怪我なんだからもっと自分を大切にしてほしいってその時からずっと思ってた。勢いで口にした感は拭えないけど、この人はちゃんと受け止めてくれるという信頼からの行動でもある。
守ろうとしてくれてるのは知ってる。でも夫婦になるんだから私だって支えたいし力になりたい。よってまずは手始めに、片目が見えなくなったオリ主に"あーん"する権利を勝ち取らねばとやる気満々。結果は押して知るべし。
・夢の中で苦言を呈した幼い頃の遊び相手
"綺麗なもの"が大層お好き。容姿は勿論その魂や生き方なども含む。
この度お気に入りの子どもの顔に傷ができてちょっとおこ。つい夢に出て小言を言ってしまった。
神社で育った一族の子どもたちは、その幼少期に程度は違えど遊んでもらった過去があるとかないとか。
──たとえ姓が変わろうと、その身が血に染まろうと、かわいい愛し子である事に変わりはない。故にかつて立てた誓いがいきている限り、その身に我が加護を刻んでやろう。
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以下補足&あとがき
お久しぶりです。
今回は無限列車編と遊郭編の間と言いますか、いわゆる閑話というやつです。相変わらず原作どこ行った?と言わんばかりの捏造具合ですね。そして視点がころころ変わるという不親切仕様。一応紅葉→あまね→あおいの順になります。
本文にあった通り、紅葉はあおいが鬼殺隊を目指した最初の理由に見当がついています。でもそれを誰かに言ったり本人に直接確認したりはしていません。別にお互いの事情を全て把握してなきゃ駄目ってわけでもないですし。紅葉はただ、あおいは誰かを守るために刀を握ったんだって漠然と思っているだけです。
初のあまね様視点!お館様とのお見合いでのやり取りなんて分からん!というか普通どこかの料亭でやるもんじゃない?って書いてて思いましたが、まるっと見なかった振りをしました。だってもう"先方の家でやる"って2話で書いちゃってたし…。仕方ないよ、うん。
実際あまね様ってどこまで知ってたんでしょうね。時透兄弟勧誘時はいつも一人だったのに無一郎を保護した時は子どもたちを連れていたから、二人が襲われる夢とか見たのかなって判断したんですけど…。まああまり気にせず読んでいただければ。二次創作なんで!
それから毎朝の御祓について。このシリーズでは兄の無事を祈ってという理由から始まった習慣になります。当たり前のように捏造です。ただ最初から原作のように水を浴びるとかはしてなくて、嫁ぐまでは境内の掃除をして御祭神に祈りを捧げるとかそういった感じでした。嫁いだ後は水を浴びて身を清めてお祈りしてるという設定です。
普通に考えて大怪我負ってしばらく目を覚まさなかった人がこんなに早く回復するわけないんですけど、ほら、柱ってみんな人間やめてるから…。目が覚めて数日経てば傷口も塞がってるしなんなら激しい運動という名の任務もこなせるんじゃないかなと。きっといけるよ大丈夫だよ!という期待を込めさせてもらいました。
これまで鯉夏があおいに対して感情を見せなかったか、と言われるとそんな事は決してありません。むしろ嬉しいも楽しいも、好きという感情だって隠すことなく表に出していました。頬を赤らめて照れたり拗ねたりも普通にしてます。
ただ、悲しいとか悔しいとか、そういった負の感情はほとんど見せてきませんでした。その手の感情って表に出すのに凄く勇気がいると思うんですよね。心を晒しても大丈夫っていう信頼感が必要というか。鯉夏的にはあおいへの信頼感はずっと前から抱いているけど、少しだけ遠慮が残ってた感じです。そして今回の件で飛び越えたという。
遊郭編について考える度に思うんです。"鯉夏"って源氏名なんだよなぁって。でも名前変えるとそれこそ本当に誰?ってなっちゃうんでこのまま突き進んでいく所存です。
そういえばこのシリーズ全話読むのに10時間かかるって書いてあるんですけど、私そんなに長文書いてるの?いや書いてるね?だってそれぞれ一万文字はいってるもんね?って戦きました。
トータルでそんな時間をこのシリーズに割いてくれている方がこんなにいるなんて…と嬉しく思うと同時に下手なものは書けないな、と改めて思った次第です。
まだまだ先は長いですし、このペースで行くと完結まで何年かかるのか自分でもわからない状態ではありますが、今後もお付き合いいただければと思います。
お久しぶりです。大変お待たせしました、19話です。
最初はクリスマス付近に上げようと思っていたのに全然書き上がらなくて「もういい!せめて年内!31日に上げればセーフだよ!」と謎の開き直りをした作者です。生きてます。
今年はなかなか筆が進まなくてあまり上げられなかったにも関わらず、多くの人に読んでもらえて感無量でした。来年もちまちま書いていこうと思うので、気長にお付き合いくださいませ。
前話までの反応各種、本当にありがとうございます。今話も楽しんでもらえれば幸いです。
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以下読後推奨
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「…別に、恐怖を感じる事は悪い事じゃない」
お揃いだから、と涙を溢しながらそう言った子ども。その瞳に恐怖以外の感情を認めてしまい、ついそんな言葉が口から出てきた。
「…え?」
「"怖い"っていうのは、謂わば生存本能だ。適度な恐怖は感覚をより研ぎ澄ます。いつもよりよく見えたり、勘が冴えたりな」
お前の場合はよく聴こえるかもしれないが。
そう告げる俺を呆然と見上げてくるその子に、更に言葉を重ねていく。
「お前のそれは、とても得難いものだ。辛い事も多くあっただろうが、見事ものにしているとお前のお師匠からも聞いている。それと同じようにその恐怖を使いこなせるようになれ。少しずつでいい。御しきる事ができたら、もっとうまく動けるようになる」
「それが出来たら苦労しない…」
顔の中心に力を込めて恨み言を言う子どもからは、恐怖と苦悩と自己嫌悪が容易に伝わってくる。
「何か、絶対に譲れないものを作るといい。人でも物でも、とにかく死ねない理由を自分の中で明確にしろ。そうすればきっと、どんなときでも前を向けるよ」
そう締めくくった俺に、迷子みたいに自信なさげに眉を下げつつもやがてこくりと頷いてくれた。
自分の力を過信して傲るのはいただけないが、実力があるのに心で負けてしまうのは純粋にもったいない。これで少しでも強くあれるようになれればいいんだが…すぐには無理だろうな。こればっかりは時間を掛けないとどうにもならん。
「お前が隊士としてありたいと言うのなら、俺はその意思を尊重しよう。だから頑張れ──我妻」