将来妹が鬼に殺されるかもしれないので絶対阻止したいお兄ちゃんの話 作:シグル
自慢の嫁たちが遊郭に潜入して暫く。鬼の尻尾は掴めないまま、しかし情報だけは順調に集まっていた。
失踪しているのは遊郭でも指折りの美人と評判の遊女たち。好い相手や身請け先が決まっている遊女も多いようだ。金が払えなかったり身請け先が気に入らなくて足抜けしようとする場合も珍しくないから、元々いい隠れ蓑だったんだろう。他にも訪れた客や商人、下男なんかも姿を消しているらしいが、こちらは圧倒的に数が少ない。食事を見られたか、正体に勘付かれでもしたのだろう。
中に潜ったからといってすぐに鬼の所在が割れるなんて考えはやはり甘かったかと反省しつつ、届けられた手紙に再度目を通す。
雛鶴の手本のような流れる字も、まきをの角ばった字も、須磨の丸みを帯びた字も、それぞれの顔や声を彷彿とさせるから堪らない。怪しまれるわけにはいかないから書面でのやり取りに限定しているが、そろそろ会いたいものだ。屋敷が静かで仕方ない。尤も、そう感じる瞬間は意外と少ないのだが。
嫁たちが潜入している事を知っている空屋敷の面々が定期的に食事に誘ってくるのはきっと、俺が一人で食事をしないようにとの気遣いからだ。継子時代もそうだったから間違いない。それに加えて最近では時透兄弟や煉獄、胡蝶姉妹までもが声を掛けてくるから俺の様子は相当分かりやすいのだろう。…まあ、しのぶに関してはここぞとばかりに蝶屋敷の力仕事を押し付けてくるから体よく使われているだけのような気もするが。
つい先日も実行された
──奥方たちに渡したものと対になってる。
彼女たちに何かあればすぐに変化が現れるが、どうする?
そう言ってあおいさんが差し出してきたものを、俺は迷うことなく受け取った。他の奴が言うなら俺は真っ先に話の信憑性を疑うだろう。だが目の前にいるこの人は間違いなく俺たちが知らない不思議な力を持っている。過去や未来を見るのだってそうだし、柱に就任した際に渡されたお守りだってそうだ。なにより、産屋敷邸を囲っているもの。あれを何て表現すればいいのか分からないが、強いていうなら神社の境内と同じ類いのものだと思う。敷居を跨ぐ度に外と音が変わるから気付いたが、おそらく柱のほとんどは気づいちゃいないだろうな。…ああいや、悲鳴嶋さんは気づいてるか。あの人はその辺の感覚が鋭いから。あとは煉獄も先代の炎柱からなにか聞いているかもしれない。
とまあ、そんな訳で素直に受け取った木札だが、嫁たちが潜入してから暫く経った今でも特に変化は見られない。にも拘らず無意識の内に手に取って眺めている現状を考えれば、手紙だけのやり取りだったらやきもきしながら日々を過ごしていたんだろう。これを渡してくれたあおいさんには感謝しかない。
このまま無事に、かつ可及的速やかに鬼とその
「──…」
神なんてものを信じているわけではない。…いや、あおいさんの様子を見るにいるにはいるんだろう。だがそれは、決してそれぞれの人生に干渉して幸せを運んでくれるなんて生易しい存在ではない筈だ。じゃなきゃ、俺たちは今ここにはいない。
だから、そう。これは神頼みでもなんでもない。俺の自慢の嫁たちと、あいつらの最低限の状況を知る術を与えてくれた己の師匠を信頼しての行動だ。
──一時の感情に呑まれるなよ、天元。
「わかってるよ、あおいさん」
今、俺と同じくらい感情を揺さぶられているであろう人を思い浮かべる。数日前に会ったばかりのあの人は、流石と言うべきか空柱たり得る振る舞いを俺にしてみせた。
継子時代に言われ続けたその言葉。鬼を追い詰めその首を落とすために最善手を選ぶ独善的なまでの決断力。冷静で合理的で、冷徹とも取られかねないほど感情を抑え込み、かつ取り繕うのが派手に上手い。幸いにも俺は付き合いが長いからある程度の感情を読み解くことはできるが、そこらの一般隊士ならそうはいかないだろう。だから関わりが薄い奴らに感情が読めないって地味に怖がられるんだ。…話が逸れた。
とっ散らかる思考を纏めようと深呼吸をひとつ。
…本当に、酷な選択をさせてしまったと思う。本当ならこんな手段、取りたくはない。あおいさんだけでなく俺だってそう思う。だが、確実に鬼を仕留める為にはその出現場所と的を絞らねばならない。
──これは、空柱としての判断だ。
記憶の中のあおいさんが言う。
その声音には勿論、俺をまっすぐ見据える硝子玉にも、表情にも、心拍数にも、あの人の感情は何ひとつとして乗っていなかった。
あおいさんが空柱として下した決断。──鯉夏花魁を囮として、吉原遊郭に巣食う鬼を誘き出す。
もしこの判断を罪だというのなら、決断させた俺も同罪だろう。現状を鑑みてその選択肢しかないと、他でもない俺自身がそう思っていたのだから。
ぐ、と拳に力を込める。
継子時代に毎日嗅いでいた藤の花の匂いが、手元の木札からほんのりと香った。
俺にとってもあおいさんにとっても、悪い結果にならなければいい。嫁たちを回収して、遊郭に巣食う鬼を斬って、あおいさんは鯉夏花魁と結婚して。うん。ド派手に大団円だ。
…考えたくはないが最終的に破談にでもなったらどうしようか。
身請け予定日まであと10日という中、ふと浮かび上がった懸念事項に俺は人知れず静かに頭を抱え込んだ。
「これは特殊なお守りでな、所有者によって色が変わるんだ。日輪刀と同じような仕組みだが、個人を識別するために色が変わるだけだから、色自体に意味はないよ」
そう言って笑うあおいさんから、俺の嫁たちはそれぞれ木札を受け取っていた。
掌に収まる大きさの木札に彫られた流水紋と花。それぞれ違う品種ということはわかるが、生憎と俺はそういった方面に疎いから何の花かはわからない。
雛鶴は紫、まきをは赤、須磨は青。それぞれが木札を手に取った瞬間、鮮やかな花となり木札を彩る。それがあまりにも現実離れした光景で、日輪刀で見慣れているはずなのに全員で派手に見入ってしまった。そんな俺たちを見て控えめに笑うあおいさんもどこかいつもと違う雰囲気を纏っていて、今自分たちがどこにいるのか一瞬わからなくなる。
「天元」
いつもと同じ声が俺を呼んだ。す、と差し出された三枚の木札は、先程嫁たちに渡していたものとよく似ている。
「奥方たちに渡したものと対になってる。彼女たちに何かあればすぐに変化が現れる仕様だ」
「変化?」
「ああ。負傷、あるいは体調を崩したら花の色がくすんで、意識を失えば花が萎れる。勿論、回復すれば元通りだ」
「死んだ場合は」
「花が散る」
…なるほど、
「お前が受け取らないならまとめて俺が管理しておくが、どうする?」
ちなみに俺は俺で持っているよ。
首を傾げながらそう言われて、自分自身の口角が上がるのがわかった。「どうする?」なんてそんなの、あんただって答えはわかりきってるだろうに。
──そんなこんなで俺の手元にやってきたあいつらの
そうして集まった情報を元にあおいさんと的を絞り、
「──は…、」
昨夜まで元気に咲いていた青い花が萎れていた。慌てて残りの二枚も確認する。
「雛鶴…っ」
鮮やかな紫色だった雛鶴の木札が、今ではくすんでしまっていた。心做しか元気がない。
最悪の可能性が頭を過る。
鬼の仕業か。だとしたら二人は無事なのか。どこで怪しまれた。二人が標的になったということはまきをは。今は無事でもいつ危うくなるか。──二人はちゃんと、生きているのか。
そこまで考えて大きく舌を打つ。
馬鹿野郎が。冷静になれ。
あおいさんはなんて言っていた。
──負傷、あるいは体調を崩したら花の色がくすんで、意識を失えば花が萎れる。
二人の木札の状態を見れば雛鶴は怪我か体調不良、須磨は意識を失っていると見ていいだろう。少なくとも、今はまだ死んでいない。
その事実に僅かばかりの安堵が広がる。
…とはいえ、だ。
あおいさんは任務で遠方に行ってる。烏によると対象の鬼は討伐済み。あおいさんも木札を持っているからこちらの状況は把握してると考えていい。帰るのは数刻後といったところか。それまで待つか。いや、そうこうしている間にあいつらが殺されたらどうする。生きているうちに回収しねぇと。
こんな事になるならあの時もっと派手に反対しておけばよかった。
「…っ」
ちがうだろ。
あいつらの、雛鶴とまきをと須磨の覚悟を、他でもない俺が受け止めなくてどうする。危険は百も承知だった。その上で俺たちは選択した。考えろ。この状況で全員無事に生きて帰る方法を、手段を考えろ。
遊郭は言うまでもなく女の園。男が立ち入れる場所ではない。夜ならまだしも昼間は目立ちすぎる。丸一日は探れない。なら、やはり
心当たりは一人。何度か合同で任務に当たった事がある、水の呼吸を扱う女。階級は甲。有事の際には手を貸すよう予め話は通していたし、予定日周辺は任務が入らないよう手回しはしていた。吉原に一番近い藤の花の家に至急来るよう要請を出すか。
とはいえあいつ一人で二人の捜索は不可能。あと最低でも一人は欲しい。が、思い当たるのはそう多くない。ましてや現時点で任務についていないとなれば大分限られてしまう。
「…いや」
いたな、条件に当てはまる奴。加えて誰かに許可を取る必要もない。階級が低いだろう事が気がかりではあるが、人探しならまだ任せられる筈だ。
己の師匠が聞いたら真顔で沈めてきそうな思考である事は見ない振りをして目的地を目指す。蝶の名を冠する姉妹が仕切る、隊士たちの診療所。──蝶屋敷。
可能な限りの速さでもって目的地までひた走る。
しのぶは確か任務で不在だったはず。胡蝶はどうだろう。屋敷にいたら地味に厄介だ。できれば不在にしていてほしいが、果たして。
努めて冷静に、現状を把握しながら今後の動きを考えていく。心の臓が冷えるような感覚はもはや誤魔化しようがなく、じわじわと俺を蝕んでいた。それでも思考を回せているのは偏に己の師匠の言葉のおかげだった。
どくりどくりと脈打つ音を耳元で聞きながら、たどり着いた先で気配を探る。
案の定、しのぶは不在。そして有り難いことに胡蝶もいないらしい。連れて行くなら今しかない。
忍時代に身につけた技術を遺憾なく発揮し音もなく屋敷内に侵入して、そして──。
「きゃーっ!!」
「人さらいー!」
「アオイさんを離してくださいー!!」
「派手に人聞きの悪い事言ってんじゃねぇ!俺は任務で女の隊員がいるからこいつを連れて行くんだよ!継子じゃねえ奴はしのぶの許可を取る必要もない!」
「だからって強制的に連れてくことないでしょ!」
「一宮さんに言いつけてやるんだからー!」
俺にしがみついてわーきゃー叫ぶちみっこたちに顔を顰める。子ども特有の甲高い声が耳に響いてうるさいったらない。後ろに引っ張られる感覚からして栗花落も加勢しているのだろう。さっきから脇に抱えている神崎もじたばたしてるし。っとにめんどくせぇ。
「は、はなして…!」
「地味に抵抗してんじゃねぇぞ。俺は上官だ。平の隊員が柱に逆らうな」
「っ、だからってこんな…!そもそも私はもう任務には…」
か細く聞こえた声に動きを止める。
「──じゃあ、何だってお前は未だに隊服を着てるんだ」
「…ぇ」
「隊士としてあれないなら、潔く隊服を脱ぐべきだろう。いつまでも地味に縋ってんじゃねぇ」
顔を青くしてはくはくと声を出そうとしている様を無表情に見つめる。
別に、恐怖を抱くのは悪い事ではない。むしろそれは人としての立派な生存本能だ。
俺が気に入らないのは、決断せずにいつまでも中途半端な立場でいる事の一点のみ。
胡蝶姉妹は何も言わないだろう。刀を握る事を望んでいた栗花落を隊士にする事にだって渋っていた程だ。というか、あそこはしのぶが隊士を続ける事についても一時揉めていたのだから、家族のように思っている相手に鬼狩りを強要する訳がなかった。
脳裏に思い浮かぶ、一人の隠。己の師匠をずっと支え続けているあの人は、最終選別で遭遇した鬼に抱いた恐怖心が拭えず、隠に転身した過去がある。そしてその過去を隠していない。
そう。前例があるのだ。隊士としてやっていけないとしても他の方法で、立場で、鬼殺隊に貢献する事はできるという確かな前例が。他でもない空柱付きの隠である紅葉さん自身がそれを証明している。
それなのに何故。看護師だって地味ではあるが必要な存在だ。負傷した隊士を癒し、また前線に送り出す。間違いなく鬼殺隊に貢献しているというのに、なにをそんなに縋ってる。
なんの為にあの人が自分の過去を隠すことなく後輩たちに話していると思ってる。
そんな思いを腹の中でぐるぐると抱えながら神崎から視線を外した。このまま顔を見ていれば意図せず言葉に出してしまいそうだったし、何より馴染みのない気配がこちらに向かってきている。出方次第では相応の対応をしなきゃならない。面倒な。
「女の子に何してるんだ!手を離せ!」
いつぞやの柱合会議で聞いた鬼連れの隊士の声がその場に響く。俺と竈門炭治郎の、二度目の邂逅だった。
「…、…?」
ちみっこ共に群がられてる俺を見て戸惑ったようだが、「人さらいですー!」という叫びに事情はわからないながらも状況は把握したらしい。生意気にもこの祭りの神に頭突きしようとしやがった。
挙げ句の果てには「お前を柱とは認めない!!」なんて宣いやがる。何が"むん!"だ。しかも地味に二人増えてるし。きのこかよ。
両脇から現れたやる気満々猪野郎とぶるぶる震える金髪派手野郎。なんだこいつら。
「今帰ったところだが、俺は力があり余ってる。行ってやってもいいぜ!」
「アァァァアオイちゃんを離してもらおうか!たとえあんたが筋肉のバケモノでも、おれはっ、ひぃ…!」
おいこら。人様に向かって指を差すなと教わらなかったのか。あおいさんの前でやってみろ。突き出した指握り込まれてにっこり笑顔で逆方向に折り畳もうとしてくるから。ちなみに俺は既に経験済みだ。あの人、多少のやんちゃは笑って見逃してくれるけど礼儀に関しては派手に厳しい。
まあこいつの指が折られかけようが自業自得だし毛程の興味もないうえに今は本当にどうでもいいのだが。
若干脇に逸れた思考を戻しつつ例の三人組に視線をやる。さて、こいつらは使い物になるのか否か、どっちだろうな。
そう長くない時間だったが相手にとってはそうでもなかったらしい。怯んだように唾を飲み込む音が聞こえる。それでも目を逸らさないところは褒めてやってもいいが…。…まあ、女装させればいいか。男なら多少雑に扱っても自力でなんとかするだろ。
「あっそう。じゃあ一緒に来ていただこうかね。ただし!絶対に俺に逆らうなよお前ら」
これ以上のやり取りは時間の無駄だと判断し、三人の同行に許可を出した。
階級の面で不安は残るものの、一度上弦とも対峙していると報告を受けているから動き方はわかるだろう。それに討伐自体は最悪
遥か後方から三人分の気配が追いかけて来ているのを確認しつつ、俺は遊郭に向けてひたすら足を動かした。