将来妹が鬼に殺されるかもしれないので絶対阻止したいお兄ちゃんの話 作:シグル
前編
初めは、ただの任務対象だった。鬼の情報を得やすくするために、俺自身が出した条件を満たしていただけの相手。繋がりが絶たれないよう耳触りのいい言葉を吐いて、小さな約束をひとつした。
今から思えば、わざわざ約束なんてしなくてもただ一言「また来る」と言えばそれで済んだ話だった。その発想がなかったのは、単に彼女に対して既に情が湧いてしまっていたからに他ならないだろう。ほんのひとときの会話だったとしても、彼女──鯉夏とのやり取りは楽しくて声に出して笑ってしまう程には気に入ってしまったから。
いつからだろうか。ふとした時に鯉夏の事が頭に浮かぶようになったのは。
町中を歩けば鯉夏に似合いそうな小物や髪飾りが良く目に入るようになった。食事をしているときも、この味付けは鯉夏が好きだろうなと自然と口元が緩むし、なんなら一緒に食べたいとすら思う。夜空を見上げて自然と月の欠け具合を確認する自分に気づいたときは思わず笑ってしまったものだ。
今鯉夏は何をしているだろうか?あと何日で彼女に会える?──俺が渡したお守りは、きちんとその役割を果たしているだろうか?
"会いたい"と"触れたい"に交じるようになった底知れない不安は、今も変わらず俺の内側にとぐろを巻いて居座っている。
今後消えることがないだろうそれをそのままに、外の様子を窓枠に頬杖をつきながら覗き見た。眩いばかりの光源と賑やかしい声。どこか浮ついた雰囲気の場に混ざる、独特な緊張感は
故に、誰も気付かない。この吉原で起こっている惨劇を余所に、それぞれが一夜の夢を求めていた。
「失礼いたします」
襖の向こうから聞こえる弾んだ声音と気配に、残された右目が自然と緩む。自身の纏う空気が柔らかさを増したのを自覚しながら呼び掛けに応えれば、すぐに襖が開き俺の最愛が姿を現した。
「やあ、鯉夏。こんばんは」
「こんばんは、あかね様」
柔らかな響きでもってここでの俺の名を呼ぶ鯉夏は、嬉しそうに顔を綻ばせながら静かに襖を閉めて近寄ってきた。近くに座した彼女の髪に飾られた鼈甲の簪が目に入り、言いしれぬ満足感を覚える。
「下で顔を合わせた女将に呆れられてしまった。明後日には身請けなのにって」
「まあ」
口元に手をやり小さく笑う鯉夏はややあってから「私は」と口を開いた。
「貴方のお越しを心待ちにしていましたよ」
今日は朔の日ですもの。
大切なたからものを胸に抱くかのように言葉にする鯉夏に、俺も小さく笑って応える。いつだかの、小さく紡がれた童歌が脳裏を過った。
「もう四年か。早いな」
「ええ、本当に」
当時はこういう関係に落ち着くとは夢にも思っていなかったから、きっと今の俺を知ったらあの頃の俺は驚くだろうな。いや、寧ろなんの冗談だと眉を顰めるかもしれない。
ふ、と小さく笑いを溢せば鯉夏が不思議そうに俺を見つめてくる。なんでもないよという意味を込めて緩く首を振れば、丁度良く部屋の外から食事を届ける声が聞こえた。
その後はいつも通りだ。
隣に座る鯉夏にいくつか土産を手渡し、酒は断りつつも他愛ない会話を楽しみながら食事を摂り、お互い気になることがあればより詳しく聞いていく。任務中ではあるものの、それは確かに穏やかで優しい時間だった。
和やかに進んでいた空気が変わったのは、それぞれの話に一区切りついて小さな沈黙が流れたときだった。
「──須磨ちゃんが、いなくなってしまったんです」
瞳を伏せて呟く鯉夏の声は、僅かに震えている。
「男の人に逆上せてる素振りもなかったのに、日記には足抜けするって書いてあったようで…。でも私は…」
「…そうは思わない?」
言葉を詰まらせた鯉夏は、きゅ、と口を引き結んで小さく頷いた。
一年程前、俺がうっかり鯉夏への想いを吐露してしまったあの夜以降。知りたい情報があるのだと言ったからか鯉夏はそれまでよりも細かく、そして広く話題を集めて教えてくれるようになった。その中でも誰某が姿を消した、という話は遊女たちの間で話題に上がりやすいようで、これまでもそれなりの頻度で俺に話して聞かせてくれていたのだが…。
その声音がいつもに比べてか細く頼りないことから、鯉夏と須磨殿が友人としてかなり親しくしていたのだろうことを察した。
雛鶴殿と須磨殿の木札に異変があってから今日で3日。ついにまきを殿の花も萎れてしまった。全員生きてはいるが、状況は決して芳しくない。なにしろ居場所が全く割れていないのだから。
隣に座る鯉夏を見やる。
顔を伏せてしまっているからその表情を伺うことはできない。けれど、きつく握られた己よりも小さな拳が、彼女の心情をなによりも正確に伝えていた。
そっと手を伸ばし上から覆ってやれば、ぴくりと反応した後ゆっくりと強張りが溶けていくのがわかる。
己の体温が鯉夏の手に移っていくのを感じながら周囲の気配を探り、
…うん、これなら話しても大丈夫だろう。このあとの頼みごとの内容を鑑みれば、彼女の不安を少しでも取り除いてやりたい。
そう思ってしまった時点で"公私の切り替えが得意"なんてもう言えないなと自嘲しつつ口を開いた。
「須磨殿は生きているよ」
「え…」
予想外の言葉だったのだろう。勢いよく向けられた瞳は大きな丸を描いていて、水気を含んでいるのかいつもよりきらきらとしていて綺麗だと場違いにも思う。
「居場所は不明だが生き死にくらいはわかる。須磨殿は間違いなく無事だ」
「ぶじ…ほんとうに…?」
「ああ、ほんとうに」
「そう、ですか…ぶじ…──…よかった…っ」
暫く呆然としていた鯉夏だったが、俺の言葉の意味を理解した途端、安心したように表情を崩した。そんな彼女の様子に僅かに首を傾けながら口を開く。出てきた声は存外、柔らかなものだった。
「お前は、俺の言葉を疑わないな」
ただの出鱈目だと思われてもなんらおかしくないのに、鯉夏は疑うことなく受け入れてくれる。俺の言葉全てが本当でなかったことを知っているにも関わらずだ。
だから余計に、俺に対する無条件の信頼を感じ取って嬉しくもあり、同時にむず痒くもある。
そんな感情を声に乗せながら呟けば、ぱちくりと音がしそうな瞬きをひとつふたつして、鯉夏は「ふふ」と静かに笑った。
「貴方について知らないことは多いけれど、知っていることだってたくさんあるんですよ?」
人の話をきちんと聞いてくれること。静かに笑うことが多いのにたまに子どもみたいな表情をすること。人を甘やかすことが上手で、逆に甘えるのは少し苦手なこと。早起きが得意なこと。甥っ子さんと姪っ子さんたちが作る白あえが好きで、朝焼けの色が好きなこと。少し危険なお仕事をしていること。身体をしっかりと鍛えてらっしゃること。愛情深いこと。
そう、俺について知っていることを指折り数えて教えてくれる鯉夏は楽しそうだ。いくつか自分が自覚していないものもあるから気恥ずかしくはあるが、止める気はあまり起きない。
「それから、言葉を大切にしていらっしゃること」
ね?と柔らかな表情で俺をまっすぐ見上げる鯉夏はどこか得意気で、なんとなく眩しく感じる。
「言葉でも態度でも、貴方はいつだって"私"に対してまっすぐあってくれました。そんな方を疑うなんて、私にはできません」
鯉夏は、これまでの俺の言葉すべてが真実ではないと知っている。それでも尚俺に対して向けられる信頼が、ひどく嬉しくて仕方がない。
「…ただ」
「ん?」
「その…須磨ちゃんとは、いつお知り合いに…?」
形よく整えられた眉尻を下げながこちらを見上げる鯉夏の瞳は僅かに揺れていた。
俺は鯉夏の上客であり身請け相手だ。だからこそ他の花魁と知り合う機会はないし、親しげに名前を呼ぶなんてあってはならないことだろう。
「…」
これは所謂"悋気"というやつか。
思い至ったことに思わず顔が緩みそうになるが、そんなところを見せれば機嫌を損ねてしまいかねない。何年か前に近所の八百屋で勃発した痴話喧嘩を思い出し、顔面を取り繕う。
「須磨殿は、俺の可愛い一番弟子の大切な奥方だよ。つまり仕事先の関係者だ」
「お弟子さんの奥様…」
俺の言葉にほっと息を吐いた後、考える様子を見せた鯉夏はそう時間をかけずに再び顔を上げた。
「あかね様と同じ、ですか…?」
こちらの反応を伺うように首を傾げる鯉夏に、俺は小さく笑うことで是と示した。
といっても、須磨殿は今回のみの情報収集担当だし正式に鬼殺隊に属しているわけではないんだが。まあ、そういった細かい部分もすべてが終わってから話せばいいだろう。
「──俺が追っていた相手だが、簡単に言えば人攫いのようなものだ」
囁くように落とした声は思いのほかよく響く。外に漏れることはないが、隣に座る鯉夏には十分な声量だっただろう。
自然と、お互い向き合う形に座り直す。先程までの柔らかな空気が霧散し、緊張感が俺たちの間に漂うのがわかった。
「どうやって攫っているのか、誰を狙っているのか、どこに身を潜めているのか。それなりの期間探っていてもなかなか尻尾を掴ませてくれなかったんだが…」
一度言葉を切り、意識的にゆっくりと瞬きをする。
「これまでの傾向から、次に標的になるであろう人物を絞り込むことができた」
正面から小さく息を飲む音がする。元から大きかった瞳は更に大きくなり、膝に揃えられていた手は指先に力が込められていた。
「まさか…」
「ああ。──お前だ、鯉夏」
その言葉に、鯉夏は呆然と俺を見上げるだけで何も言わない。当たり前だ。こんなこと、急に言われてすぐに理解できる方が稀なのだから。
彼女に仕事関係の話をするのはここを出てからだと、身請けを申し出たときから決めていた。中途半端に情報を与えて無駄に恐怖心を煽るくらいなら、いっそ全ての情報を遮断した方がいい。そう判断してのことだった。
だが狙われる可能性が出てきた以上、流石にそうも言ってはいられない。
俺を支えたいのだと、そう言ってくれた彼女を思い出す。俺がこれから言うことは、彼女のその優しい心を利用することになるんだろう。
それでも俺は、空柱だ。
鬼を滅する為ならば使えるものはなんでも使う。冷静に、感情に流されることなく。たとえそれが、俺自身の最愛であり妻となる相手だろうが関係ない。鬼殺隊にとって最善であるなら、いち柱として俺は決断する。
──鬼の首に手をかけられるのなら、尚の事。
「鯉夏」
迷いを断ち切るように一度瞼を閉じてから、鯉夏の瞳をまっすぐ見つめた。
「協力してほしい」
詳しく説明しないまま巻き込む俺を許してほしい、なんて言うつもりはない。
なんなら引っ叩かれるのも受け入れるつもりだ。絶対に手を痛めるだろうから推奨はしないが、お前が望むなら大人しく身を差し出すよ。
そんな俺の内心なんて知らないだろう鯉夏は、一度深く呼吸をしたあとゆっくりと口を開いた。
「──はい」
全てを包み込む柔らかさを孕みながら、芯を一本通したような、そんな覚悟が含まれた声音だった。加えてその瞳に喜色が滲んで見えるから、こちらもつい静かに笑ってしまう。
「なんでそこで嬉しそうな顔をする?」
「だって貴方のお仕事に関われるんですもの。こんなに嬉しいことはないわ。それに…守ってくださるのでしょう?」
いつもと変わらず柔らかな笑みで、声音で、言葉が紡がれていく。
「貴方が。他の誰でもない貴方自身が。私にそう誓ってくださいました。ならば、どこに心配する要素がありましょうか」
貴方は約束を守ってくださる方です。
そう締めくくった鯉夏はこちらを覗き込むように顔を近づけて「それに」と続けた。
「前にもお伝えしましたが、貴方から頂けるならそれが痛みであっても、私はいとおしく思うのですよ」
ふふ、と笑いながら両手を俺の頬に添えて柔く下に引いた鯉夏は、そっと俺の眼帯にその唇を押し当てた。
ふわりと香る甘い芳香に、腹の底で大人しくしていた筈の熱が存在を主張する。
その熱に押し流されないよう宥めすかしてやり過ごそうとして──少しだけ、欲に従うことにした。
離れていこうとする鯉夏の項に手を回し引き止める。
「ひゃっ…んっ」
急な接触に驚いた声を上げる小さな唇を、自身のそれで素早く塞いだ。
柔らかくて離しがたい感触に、もっととせっつく心を制して優しく、怖がらせないよう唇を触れ合わせていく。
「ん…ふぁ…っ」
「は…、」
角度を変え、戯れで鯉夏の唇に舌で触れたり食んだりして。
縋るように伸びてくる鯉夏の手に、時折小さく跳ねるその身体に、嫌悪感や恐怖心が宿っていないのを確認しながら耳の裏を指で引っ掻いた。
「ひぅっ…、」
僅かに開いた隙間に舌を差し込みたい欲を抑え唇を離し、華奢な首元に顔を埋める。
「ぇ、あ…、っ」
甘く香り立つ首筋に舌を這わせて舐め上げれば、大袈裟なまでにびくりと鯉夏の肩が揺れた。宥めるように背中に回していた手を二度程跳ねさせてから、抱き込むように体勢を変える。
まだ正式に身請けしたわけではないから痕はつけられない。ともすれば強く吸い付いてしまいそうになるところを優しく触れて、時折戯れに舌で擽って。
荒い息遣いと布擦れの音が、徐々に薄暗い室内の雰囲気を変えていく。
「んぅ…」
理性が焼き切れる寸前に顔を上げ、最後にもう一度だけ唇を重ねてから鯉夏を解放する。
「は、っぁ…あかね、さま…」
大きく乱れた呼吸を必死に整えようとする鯉夏に熱が再び首をもたげるが、すぐに腹の底に押し戻した。
「急にすまなかった。…大丈夫か?」
「はい…、びっくりしましたけど、その…決して嫌では、ないので…」
むしろ嬉しいと言いますか…。
耳どころか首まで淡く染め上げながらそう呟く鯉夏は、俺のことをどうしたいのだろうかと妙に冷静な頭が疑問を抱く。
その発言はもちろん、潤みきった瞳とか、きゅっと握り込まれたままの俺の羽織とか、とにかく鯉夏のすべてが俺に刺さるから、なんというか本当に、勘弁してほしいのが本音だったりする。
とはいえそんな余裕のない姿は晒したくないので、腹の底の熱を宥めすかしながら少し下にある目尻にひとつだけ口付けを落とした。
「可愛いなぁ、鯉夏」
それでもどうしたって、自重することはできそうになかった。
「そ、れで、あの…協力と仰っていましたが、私は一体何をすれば…」
項に添えていた手を頬に移動させ手慰みに目尻を撫でたり耳朶を転がしたりしていれば、落ち着きをなくした鯉夏が話を戻して尋ねてきた。
耳と首が先ほどよりも濃く色づいていることを嬉しく思いながら、袂に手を伸ばし目的のものを取り出すと同時に、鯉夏の頬をするりと一撫でして話をするのに適切な距離を取る。
「まずは、このお守りと
それ、と鯉夏の帯に差し込まれている木札のお守りを指差す。
以前俺が贈った、厄除けのお守り。彼女の手に渡ったその時から、遺憾なく効果を発揮してくれた俺の力作だ。
「まあ。先ほどあの子たち用にと預かったものとお揃いですね」
両手で受け取った鯉夏は顔を綻ばせて手元を見つめる。
ころりとしたお守りは、普段隊員たちに渡しているものと違い今後の良縁を願って作ったものだ。気に入ってくれたようでよかった。
渡したお守りを胸元に仕舞い込んだ鯉夏は、そのまま帯から木札を取り出すと俺に「どうぞ」と差し出した。
「ありがとう」
あとはこの木札を処分すれば加護は完全に彼女から外される。そうなったら鬼は彼女を見つけるだろう。
手元に落としていた視線を正面に戻せば、こちらを伺っていた鯉夏と目が合った。どちらからともなく笑いが溢れ、ありきたりな言葉ではあるが幸せだという感想が浮かぶ。
「なあ、鯉夏。守るよ。俺の生涯を懸けて、必ずお前を守ってみせる。約束だ」
明日はそのための、第一歩になる。
✽✽✽✽✽
「一度持っている情報を整理しようか」
藤の花の家で音柱たちと合流し、何かあって意識を落とされていたであろう我妻と嘴平を竈門が文字通り叩き起こして、今夜吉原に向かう五人の着替えと化粧が済んだところで改めて情報共有と相成った。吉原の地図を中心に円を描いて座る俺たちの様子は、端から見たら異様な圧があるのだろう。なにせ半分は白塗りの顔面に頬と唇を真っ赤に染めているのだから。真菰は綺麗に仕上がっているから余計、残り三人の異様さが際立っていた。
ちなみに音柱の素顔を初めて見た我妻は一頻り騒いだあと呪詛でも吐きそうな顔でかの男を睨みつけている。当の音柱は我関せずといった様子で地図を静かに見つめているが。
「吉原は四方を塀と堀に囲まれている。大門から入ってすぐの通りが仲之町通りで、奥に裏門があるんだ。ここの通りから伸びた路地の先にも非常門が左右でそれぞれ三つずつあるから、数だけ見れば脱出経路はある程度確保されていると言える」
指で指し示しながら説明していけば、よく見ようと吉原に馴染みのない真菰、竈門、我妻、嘴平の四人が地図を覗き込む。…うん、やっぱり圧が強いな。
「思ったより出入り口があるんですね」
「でもこの非常門って、普段は閉じてるんですよね」
「ああ。出入り口として使うなら、跳ね橋も下げる必要がある」
「それ、動かせるものなんですか…?」
「何言ってんだ紋逸。上げられるんなら下げられるだろうが」
「物理的なことを言ってるんじゃないんだよなぁ」
やいのやいのと交わされる言葉が途切れた隙に口を開く。
「吉原にいる全員を事前に避難させることは現実的じゃない。事が起こってからの行動も逆に危険だ」
「そこでだ!大規模での避難が難しいなら、一部だけ動かせばいいって結論になった」
俺の言葉を引き継いだ音柱がつ、と地図の一角を指差した。
「ここら一帯だが、建物の老朽化を理由に全て取り壊すことにした」
「は?」
「既に大半は更地だ。残った建物にも人は住んでいない。鬼と戦うには派手に適してる」
「確かにそうかもしれませんけど…騒ぎが起きれば人も集まると思うんです。その場合はどうします?」
ぽかんと口を開けてこちらを凝視する新人たちを尻目にはい、と手を挙げた真菰から質問が飛ぶ。
もっともな疑問だとひとつ頷いてから、音柱と入れ替わるようにして地図に指を走らせた。
「対角の、この辺りで花火を打ち上げる予定だ」
「花火、ですか?」
「ああ。吉原でも有名な花魁の身請け直前だからな。演出の一環で騒ぎ倒してもまあ、不自然ではない」
「みうけ?」
「簡単に言うと、相手の借金を肩代わりする代わりに嫁として貰い受けるという事だ」
初めて聞く単語だったのか首を傾げる竈門に軽く説明をする。同じく知らないであろう嘴平は特に興味も無いようで追加の饅頭を口に運んでいた。
「身請け…花魁を、身請け…?」
ぶつぶつとついに呪詛を吐き始めた我妻は無視するに限る。身請け相手が俺だって知られたら煩いだろうな。黙っておこう。
「さて、肝心の鬼だが。俺の嫁たちの調査結果と過去の報告書諸々を分析して見えたこれまでの傾向から、身請け直前の遊女が狙われやすいと見た」
音柱の声で僅かに緩んだ空気が引き締まる。
「鬼を確実に狩るために的を絞る。ときと屋の鯉夏花魁が数日後に身請けが決まっているから、彼女を囮に…」
「待ってください、囮にするんですか?」
説明を始めた音柱を遮って、竈門が声を上げた。珍しいな、とは思うが驚きはそこまで大きくない。竈門の性格的に嫌がりそうだと予想はしていたからだ。
ぴくりと眉を動かした音柱と視線を交わし、この案を提案した俺が言葉を引き継ぐ。
「罠を張って獲物がかかるのを待つ。狩りの常套手段だよ」
俺たちは
「でもそんな…。相手の方は知ってるんですか?」
「いいや?まだ何も話していないし、詳細を話す予定もない」
特に感情を込めるわけでもなく淡々と話す俺に、竈門の眉間には皺が刻まれていく。
「…今ここで、より効率の良い現実的な策を提案できるなら一考してやろう。だが覚えておきなさい。感情だけで作戦は立てられないし、人も動かせない。現場の指揮官に必要なのは、知恵と知識とそれを実現できるだけの実力だ。一時の感情に惑わされて大局を見誤るなど言語道断。指揮官の器ではない」
個人の感情を優先して衝動的に作戦を立てるのはただの馬鹿がすることだ。それで全滅なんてしてみろ。目も当てられない。
感情を捨てろとまでは言わないが、確実に鬼を誘き出す方法があるならそちらを優先するべきだろう。
ぐっと押し黙る竈門に、眉を下げてこちらを見る我妻。静かに成り行きを見守っている嘴平と真菰。そして、俺の判断に何も言わずに同意してくれた音柱を順に見渡し口を開く。
「ときと屋の鯉夏花魁が身請けされる前夜。そこで遊郭に巣食う鬼を斬る」
決定事項なのだと全員に伝わるように、そう断言した。
「それから須磨殿の件を考えるに、やはり吉原のどこかに攫った人間たちを収容している巣があるはずだ」
「だな。この数ヶ月で行方を晦ませた人数から考えて、派手に広い空間か、あるいは複数箇所に分けてるかどっちかだろう」
地図に視線を落としながら呟く。正直、候補はいくつかあるがどうにもしっくりこない。やはり直接見たほうがいいか。
「とりあえず、お前らはそれぞれ俺の嫁たちの行方を探れ。真菰は対象の最終確認を頼む。何か分かり次第、ネズミを通して報告しろ」
「はぁい」
「わかりました」
「うぅ…潜入とか…俺今度こそ死んじゃう…!」
「おう!やってやるぜ!」
「あ、お前は声が太いから絶対喋るなよ。裏声もヘッタクソだからすぐ男ってバレるぞ。まじで」
「なんだと?!」
「はいはい、じゃれるのは後にしろ。──音柱」
「あん?」
「お前もまずは巣の捜索を。俺も探すが、お前の方が得意だろ」
「あおいさん…」
思わぬことを言われた、という様子の音柱は呆然と俺を見つめたあと、「わかった」と一言だけ返してきた。…言外に奥方たちの捜索にあたれと言っているのがバレたな。まあ、別に構わない。誰だって憂いがあれば刀も鈍る。元を断てるなら断つにこしたことはない。
「ではひとまず三日後の中間報告まで、各々気張れよ」
✽✽✽✽✽
とまあそんな流れで一度別れて、俺は昨夜ときと屋で一夜を明かしたわけだが。
「我妻が消えたか…」
昨晩遅くにネズミを通して受け取った真菰からの報告によれば、我妻は蕨姫花魁から折檻を受けて気絶。一度目を覚まして禿と会話をしたのを最後に忽然と姿を消したらしい。一瞬鬼の気配が強くなったが、それ以外は特に異変は見られなかったと。
俺も昨夜は一晩中窓の近くに待機していたが、悲鳴も血の匂いもしなかった。外で待機していた音柱も同様だろう。
となると、我妻はまだ生きている可能性が高い。それでもいつまでも無事でいる確証はないから早急に見つけ出さなくては。
大門を出て先日から世話になっている藤の花の家紋の家に急ぎ戻る。隊服に着替え、鯉夏に交換してもらったお守りを処分し再度吉原に向かった。
その道すがら、考えるのは今回追っている鬼についてだ。
京極屋の蕨姫花魁。
俺と音柱が鬼だろうと当たりをつけた人物。
彼女がやってきてから京極屋は規模を大きくし、彼女自身も京極屋一番の稼ぎ頭としてその地位を確立している。
他の妓楼に比べて怪我人や自殺者、足抜けする遊女の人数が際立って多い事で密かに噂になっていた。
そしてなにより。
──数十年に一度、とても美しい花魁が現れるのだとか。
──誰もが目を惹かれる美しさを持つ一方で…少々、気分屋なのだそうです。気に入らない事があると小首を傾げて、下から鋭い視線を送ってくると。
以前鯉夏から聞いた吉原に伝わる美しくも恐ろしい花魁の特徴と蕨姫花魁の特徴が一致しているのも、彼女を鬼と考える根拠の一つだった。
ただ、我妻が姿を消したであろう時刻には蕨姫花魁は客といたと確認が取れている。須磨殿に関しても、そもそも場所が離れている以上、外出に制限がかかる身の上ではそう簡単に拐えるものではない。
となるとやはり、何か特殊な移動手段を持っているのか。いや、そもそも鬼が一体とは限らないか。複数あるいは分身体がいると仮定して…それぞれの妓楼に常駐していればさすがに気づくからおそらく都度移動してきているのだろう。
(結局はそこに行き着くな…)
次第に堂々巡りしだす思考に一つ息を吐き出し、大門ではない適当な場所から塀を越え吉原に入る。そのまま屋根を伝って合流地点まで走り出した所でふと、何かが引っかかった。
「…?」
走る速度を落として引っかかった"何か"に集中する。合流地点はすぐそこだ。着く前に少しでもこの違和感を解消したい。
さて、俺は今何を考えていた?何を視界に入れた?何が気になって仕方がない?
周囲に目をやり、記憶を遡る。
鬼の移動手段、蕨姫花魁、我妻、須磨殿、鯉夏──。
「壁から猫…」
そうだ。鯉夏に逸話を聞いたあの日。どこから入り込んだのか壁の中から猫が出てきたのだと、いつもの雑談で彼女が話していた。日によって別の階から鳴き声が聞こえるから場所の特定に苦労したのだと。
「あ、一宮さん!」
「遅かったな白髪頭!」
合流地点には既に竈門と、何事かを身振り手振りで訴えている嘴平がいた。音柱と真菰の姿はない。
「朝早くから元気だな、お前たち。そんなに騒いでどうした」
「俺んとこに鬼がいるんだよ!こういうのが!」
うねうねと腕やら指やらを動かして表現している嘴平曰く、まきを殿の部屋から"ぬめっとした気持ち悪い感じ"がしたそうだ。
「確実に鬼だと断言できなかったのか」
「ああ。だがあれは絶対に鬼だ!邪魔が入って逃げられたが…」
「逃げた…壁の中を伝って?」
「!中かはわからねぇが、屋根裏から壁を伝って下に行ったのは確かだぜ」
「そうか…」
鬼と断言できなかったという事は、荻本屋にいたのは本体じゃないな。
「一宮さん、何かわかったんですか?」
「推測の域を出ないがな。ひとまず、音柱たちが来るのを待とう」
「そうですね、善逸と真菰もまだ来てないですし」
「我妻は…──」
「善逸はこない」
我妻が消息を絶ったこと、竈門たちは知らなかったな。
そう思って伝えようとするが、背後に気配が増えたのを感じて口を閉ざした。代わりにやってきた音柱が静かに事実を告げていく。平常時より雰囲気が張り詰めた真菰もそれに続いた。
「昨日の夜、禿の子たちと話したのを最後に姿を消しちゃったの」
ばっとこちらに顔を向ける竈門と嘴平に小さく頷く。
「お前たちには悪いことをしたと思っている。俺は、嫁を助けたいがためにいくつもの判断を間違えた。聞いた通り善逸は今行方知れずだ」
静かに、音柱が言葉を繋いでいく。ゆっくりと言い聞かせるようなそれには、確かな激情が隠されていた。
「お前らはもうここから出ろ。階級が低すぎる。ここにいる鬼は十中八九上弦だ。お前たちには荷が重い。消息を絶ったものは死んだと見做す。あとは俺たち三人で動く」
「いいえ宇髄さん、俺たちは」
「恥じるな」
「っ」
「生きてる奴が勝ちなんだ。機会を見誤るんじゃない」
竈門が食い下がるのも突っぱねたその様子に、ため息を一つ零しながらその背後に回る。立ち去る為に膝が曲げられたのを確認しながら手を振り上げ──。
すぱーんっ!
「痛ってぇ!」
本当は背中を叩きたかったんだが、こいつの場合刀があるからなぁ。
それにしても存外いい音がすると半ば感心していれば、それまで静かだったのが嘘のように荒々しく名前を呼ばれた。
「っあおいさん!」
「──焦りは禁物だよ、
「!」
はたいた頭に再度手を伸ばし、今度はそのまま強めに撫でる。
「ほら、深呼吸」
珍しくされるがままになっているこの男は、自身の呼吸が僅かに浅くなっていたことに気づいているのだろうか。
「須磨殿とまきを殿は意識不明だし雛鶴殿は体調を崩しているが、まだ生きてる。我妻も同様にな。あまり自分自身を追い込むな。──ここには今、誰がいる?」
「…あおいさんと、真菰と新人二人…」
呆然と呟かれたそれらの言葉に、自然と口角が上がっていく。
「ああ、そうだ。ここには俺も、真菰も、お前が連れてきた竈門も嘴平もいる」
宝石があしらわれた額当てに、左目を彩る赤い花火。いつも通りのド派手な色男を真っすぐ見据え、かつて贈った言の葉を紡ぐ。
「『一人で抱え込むな。周りを頼れ。お前に手を差し伸べる奴は必ずいる。これまでいなかったんなら、その分これから大勢現れるさ。だから、独りにはなるな』」
少なくともさっきお前が突っぱねた新人二人は、あの程度の拒否で引き下がるほど大人しい性格はしていないぞ。きっと黙ってついてくる。なら、上手く使ってやらないと。
「下の者が実力を発揮できるよう道を示してやるのも、上の者の役目のひとつだぞ。
「──…」
陽の光を受けて、大きく見開かれた赤い瞳がきらりと煌めく。
一度、二度とゆっくり瞬きが繰り返され、それに併せて呼吸も平時のものに近づいていった。
「…そうだな。すまねぇ、あおいさん」
さっきまでの張り詰めてばかりで余裕のない様子と打って変わって、冷静さの増した音柱に小さく笑い静かにこちらを伺っていた三人に向き直る。
数日前のように全員で顔を突き合わせて、各自が持っている情報を共有していく。
「荻本屋にはもう鬼はいないだろうな」
音柱のその言葉に真っ先に反応したのは、その荻本屋に潜入している嘴平だった。
「なんでだよ?」
「十中八九、まきをは鬼に攫われてる。あいつを攫った以上、他に獲物がいない限りそこに留まる理由はない」
「一つの妓楼で立て続けに人が消えたら、それこそ騒ぎになりますもんね」
真菰の言葉に"確かに…"という顔で頷く竈門と嘴平を視界に入れながら口を開く。
「壁の中に通路があると思うんだ」
「通路ですか?」
「ああ。少なくとも、猫が通れるだけの幅はある」
複数の妓楼から被害が出ていること。鬼と思しき花魁は人攫いが起きた時刻に、その姿が所属先の妓楼で確認されていたこと。近くにいても鬼の気配が掴みにくいこと。
これらを総合的に考えると、導き出される結論はそう多くない。
「それぞれの妓楼を繋げて自由に移動できるようにしてるってことか。加えて本体とは別に動ける何かがいる」
「本体とは別…分身か、そもそも鬼が複数いるってことですか」
「おそらくな」
分身ならまだいいんだが、複数いる場合が厄介だ。まあ今回は柱二人に甲一人、庚が二人──我妻が合流すれば三人いる。慢心はしないが、悲観もしない。ただ目の前にいる悪鬼を斬る。それだけだ。
「鬼の誘導は俺がしよう。音柱と真菰は巣を見つけ次第救助を隠に引き継いでこちらに合流。場合によってはそのまま現場に直行しろ。竈門、嘴平はそれぞれ援護を頼む」
それぞれを見渡してそう告げれば全員から了承が返って来る。うん、いい表情だ。
四方に散っていく気配を感じながらお館様への簡易報告書を暁に託し、今回協力してくれる花火師や隠たちと段取りの確認のために移動する。
藤の花の家紋を下げていなくても、俺たち(鬼殺隊)の存在を知っている者はそれなりにいる。
今回の花火師もその一人で、以前鬼に襲われていたところを助けてから個人的に懇意にしている御仁だ。今回のことを相談したら、花火の準備から当日の打ち上げまで快く引き受けてくれたのだから本当に感謝しかない。
俺たちの花火に魅せられない奴ぁいねぇよという大変頼もしい言葉とともに激励を貰い、他にも細々とした用事を片付けてからときと屋に戻る。といっても、向かうのは正面ではなく鯉夏の私室なのだが。
周囲の意識が俺に向いていないのを確認してから窓から忍び込む。有事でもないのに土足で畳に立つことはしたくないので履物は脱いだ。
がらんとした室内はどこかひんやりとしていて少し寂しい。今朝はあんなに暖かかったのに、というらしくない感想が浮かんだことにひとつ息を吐き出した。柄にもなく緊張してるのか、いつもより雑念が多い。
かさり、と懐から音が鳴る。今日のために愈史郎に譲ってもらったものだ。あの二人も茶々丸も、それこそ建物だって隠せるんだから俺だっていけるだろう。
もうじき日が暮れる。出来ることはやった。あとはその時を待つだけだと、予定していた屋根裏に身を隠して暫く待機していれば鯉夏と禿たちが戻ってきた。
鏡台の前に座る彼女は普段通りを装っているがどことなく気配が揺らいでいて、まあそうだろうなと目を伏せる。
警戒を緩めることなく周囲を伺っていれば、不意に下方の会話が耳に入ってきた。
「鯉夏花魁だいすき!」
「わっちもだぁいすき!」
「ふふ。はいはい、私も大好きよ」
春の陽だまりのような会話だった。暖かくて、自然と口が緩むようなそんな優しいやり取り。
すぐに二人は夕餉を食べに小走りで去っていったけれど、彼女たちによって作られた空気はそのまま残されていた。
そんな中、近づいてくる気配が一つ。覚えのあるそれにまさかと思っていれば案の定だった。
「鯉夏さん」
まさか竈門が接触してくると思わなかった。どうやら潜入中の食事代諸々を返したかったようで、鯉夏に託すことにしたらしい。まあ確かに、鯉夏なら確実に届けるだろうな。
あとは純粋に心配したとか世話になったから挨拶をとか、そんな動機だろう。律儀な子だが、今来るか。まあ鯉夏の緊張が解れたようだから大目に見よう。
それにしても、と二人のやり取りを上から見て思う。
彼女の観察眼が優秀だったのか、純粋に竈門の女装が拙かったからなのか。いずれにせよ鯉夏には色々とバレていたらしい。
どうしてわかったのか今度聞いてみるか。女装して潜入なんて早々ないが、後学のためにも知っておいて損はないだろう。
──そのためにも、まずはこの地に巣食う鬼の首を斬らなければ。
竈門が去った直後にやって来た、重く禍々しい独特な気配。ここ暫く、鯉夏は
身軽な格好の、女の鬼。その髪に挿さる簪は間違いなく遊女が使うもので、頬と額に描かれた花の模様が妙に目につく。
「そうねぇ。忘れないように食っておかなきゃ。あんたは今夜までしかいないから。──ねぇ、鯉夏?」
その一言とともに、女鬼はその腹を覆う帯を操り鯉夏に伸ばした。
なるほど、帯か。確かにそれなら屋根裏だろうが壁の内側だろうが問題なく通れるし、日が出ていようと関係なく獲物を攫うことができる。
厄介だな、と内心呟きながら女鬼と鯉夏の間に降り立った。
懐に入れていた紙は下りる直前に破ったから、今俺の姿は隠されていない。いきなり現れた男に驚愕で見開かれた瞳に刻まれた"上弦"と"陸"の文字を見つめながら、こちらに伸ばされていた帯を斬り刻んだ。
「、っ」
背後から息を呑む音が聞こえた。
「鯉夏、立てるか」
無茶を言っている自覚はある。
人攫いの次の狙いは自分だと言われ、実際に不審者が侵入してきて、挙句の果てには自分の身請け先の男が刀を片手に屋根裏から降ってきたのだからそりゃあ驚きもする。事前に知らされていたとはいえ関係ないだろう。
流石に難しいかと思っていれば、僅かな布擦れの音とともに鯉夏が立ち上がる気配がした。少し足元が覚束無い様子だったから、左腕を彼女の腰に回してその華奢な身体を抱き寄せる。
「…──」
小さな声だった。
きゅ、と羽織を握り込んで、俺の胸元に顔を埋めて。吐息のような声で俺の名前を呼ぶ鯉夏に、彼女の腰を抱く腕に力が籠もる。
今右手で刀を握っていなければ、両腕で抱きしめたものを。
そんなどうしようもないことを思いつつ、せめてと
肩下にある頭頂部に自身の頬を一度だけ擦り寄せた。
「鬼狩り…来たのね」
とはいえ、今目の前にいるのは上弦の鬼。流石に意識を鯉夏に割き続けることはできない。
「あんた、柱ね?それも白髪。猗窩座を斬ったでしょう」
首を傾げてまっすぐと俺を見据える女鬼は、不機嫌そうな表情を作ってこう続けた。
「あの後怖かったんだから!あの方、凄く怒ってたのよ?童磨なんてあんたを殺さなかったから頭潰されてたし」
「そのまま灰になればよかったものを」
話の流れからして"猗窩座"はおそらく上弦の参だろう。"あの方"は間違いなく鬼の頭領である鬼舞辻無惨。そして"童磨"は十中八九あの気狂い野郎だな。
血を被ったような髪色の、虹色の瞳を持つ鬼。白金殿の仇であり胡蝶の肺を駄目にした、かつて俺が
気狂い野郎、基、上弦の弐は鬼舞辻に頭部を潰されても生きているらしい。流石鬼。相変わらず意味が分からない。
ぼそりと感想を零したが、目の前の女鬼には届いていない。代わりに鯉夏には聞こえたようで、おずおずとこちらを見上げてくるのが気配でわかる。
それでも俺の発言よりも気になることがあったのか、視線はすぐに俺から外れた。
「童磨…?」
下方から戸惑ったような声音が届く。話の内容が分からない、というよりは思わぬ所で名前を聞いたというような、そんな音だった。
どこかで名前が出たのか。まさか客だったわけじゃないよな。
そんな疑問が湧き上がり、鯉夏には後で改めて話を聞こうと決意する。
「あんたのことを殺したら、きっとあの方は褒めてくれるわ。だからまずは、そうね…。その淡い色合いの瞳、綺麗ね?ほじくり出して食べてあげる。片目しかないのが残念だわ」
「俺を食べる、ね。随分と大きく出たものだ」
俺達の会話が耳に入った鯉夏の肩がぴくりと反応する様子に、彼女を抱いていた腕に力を込めた。
…こんな世界とは縁遠かった彼女には些か刺激が強かったか。
「──鯉夏」
腕の中で身体を固くする彼女の意識を浚うように。眼前の鬼より俺に意識が向くよう声をかける。
お前がその瞳に映す必要などないのだという想いを乗せて、その耳に染み込ませるように囁いた。
「大丈夫だ」
鯉夏がゆっくりとこちらを見上げてくるのが気配でわかる。視線をやりたいが、ここで鬼から目を逸らすのは得策ではない。
だから俺は彼女の顔を見ずにそのまま言葉を続けた。
「約束しただろう?」
──必ず、守るから。何があっても絶対に。
強ばった肩から力が抜ける。小さく、けれどもしっかりとした声で「はい」と返事をする鯉夏に口角が上がった。
「随分自信があるのね?まさか、生きてここから出られると思ってるの?」
「当たり前だろう?お前より俺たちの方が強い」
上弦の陸如きが、何を言っている。
嘲りを込めてそう言えば、女鬼は数秒呆けたあと額に青筋を浮かべてこちらを睨んできた。
瞬時に伸ばされた帯が眼前に迫ってきたが、所詮は布だ。鬼から切り離された帯は攻撃できないようだし細切れに斬ってしまえば特に問題はない。
「〜〜〜!!」
はらりと散っていく端切れの向こう側に、真っ赤になった顔でこちらを睨め付ける女鬼がいた。
少し煽っただけでこの反応。随分と感情的な鬼だ。これ以上室内で暴れられると被害が出るからさっさと外に出た方がいいな。
「鯉夏」
「はい」
俺の呼びかけに応えた声は、もう震えてはいなかった。
「仕事をしてくる。少ししたら美鶴という俺の仲間が顔を出すから、何かあれば迷わず頼れ」
「わかりました」
しっかりと頷いたのを感じ取り、ずっと支えていた腰から腕を離した。
「いってらっしゃいませ、旦那様」
「──ああ、行ってくる」
空柱らしくない声だ。でもきっと、これからはこれが日常になる。
上がった口角を元に戻し顔を引き締め、刀を一度鞘に収めた。そして脚に力を込めて一気に前方に向かう。腰に手を伸ばし刀を振り抜く──と見せかけて女鬼を窓の外に蹴り飛ばした。
「がっ…!」
予想外の攻撃だったのかまともに蹴りを食らったそれを追って自身も窓から身を投げ出す。鯉夏の気配が遠退くのと同時に、彼女の事は完全に意識から外した。今は目の前の鬼だ。これを狩らねばどのみち終わる。
女鬼が突っ込んだ事で土埃が舞っている部分から目を逸らすことなく懐に手を伸ばす。
呼吸はいらない。必要なのは、正確に刃に
指先に触れるのは音柱から譲ってもらった小さな火薬玉だ。鬼と接触した際、爆発させる事でそれを知らせる手筈となっている。
火薬玉を宙に放り刀で上空に押し上げる。キィンと金属音がして火花が散った。
ドォンッ!!
真っ直ぐ飛んでいった直後、眩い閃光と共に大きな爆発音が響く。
取り敢えず、合図はこれで問題ないだろうと爆発の衝撃で生じた風から目元を庇い、飛んで来た無数の帯を再度斬り捨てようとして──。
「一宮さん!」
その一部を、俺の後を追ってきた竈門が代わりに斬ってくれた。
「竈門」
「援護します!」
「──ああ、頼んだ」
まっすぐ告げられたその言葉に、迷うことなく頷いた。
「ふざっけんじゃないわよアンタ!女の腹を蹴るってどういうこと?!男の風上にも置けないわね!」
「鬼にそんな文句を言われるとは思わなかったな…」
土埃が晴れ、怒りを露わに目を吊り上げた女鬼が声を荒げる。思ってもいなかったその内容に隠すことなく本音を零した。
「殺す…!泣いて命乞いしても絶対に殺してやるんだから!そこの赤目のガキもね!」
「そうか。ならさっさとかかって来い。来ないなら──こちらからいくぞ」