だからこそ、進むことができた。
そう思っていた、だけどそれは果たされない。
いつだって、思いは届かないから。
どうしてこんなことになったのだろう、私は夜の街角で天を仰ぐ。晴れ渡る冬空は星が瞬き、その光は祝福に溢れている。
なのに、でも。どうにもならない思いを抱え、ただ拳を握って押し黙るしかない。上を向いていて尚、涙は止めどなく溢れて星空を歪めていく。
何故、どうして。私たちの間には、確かに絆があったはずなのに。お互い憎からず思っている、そう感じていたのに。
ああ、ああ――どうしてこうなったのか。
いつだって後悔は先にたたない、そんなのは分かっている。
だからこそ、辛い。
こんなに辛いのなら、こんなに苦しいのなら、……好きになんかならなければ良かった。なったとしても、言わなければ良かった。
どうしていつもこうなんだろう、いつだって私の願いは叶わない。
冬の風に吹かれながら、ただ慟哭に暮れる。無意味だとわかっていても、尚。
大喜くんが歯医者に行ったと由紀子さんに聞いて、なんとなく玄関前で佇んでいた私。特に意味はないけど、でも少しだけ期待をしていた。これくらいの時間なら、二人で居ても問題ないだろう。適当な理由をつけて、一緒に歩きたい。
そんな私の小さな思いを知ってか知らずか、帰ってきた大喜くんは申し出を快諾し、二人一緒に夜のお散歩と相成った。
向かう先は別にない、ぶらぶら近所をそぞろ歩くだけの時間。それでも楽しいのは、きっと私が大喜くんを、……好きだからなんだろう。
気になっているなんて段階はもう過ぎて、私は自分のなかにある強い想いを自覚している。そしてそれは日増しに大きくなり、胸を引き裂かんばかりになりつつあった。
もう、良いのではないか。
告げてしまうべきではないか。
蝶野さんは、告白をした。それでも大喜くんは、彼女と付き合ってはいない。断ったのか保留したのかは分からないけれど、でも
久しぶりに二人きりで出歩いたせいか、気持ちはどんどん上擦っていく。
気が付けば大喜くんの手を握り、そのまま私は俯いたまま小さく呟いていた。
好きです、と。
取り返しのつかない事をした、という小さな後悔。そしてそれ以上に大きい満足感に包まれ、私は顔を上げた。
そこには大喜くんの笑顔があると、信じて。
でも。
だけど。
「――どうして、そんな事を言うんです」
大喜くんの目には困惑の色が浮かび、その顔は僅かに青ざめていた。まるで
永遠にも思える、でもきっと僅かな時間。大喜くんは黙ったまま、動かなかった。
その沈黙は重く、そして苦しい。
そしてそれは、更なる痛みによって破られた。
「俺は、先輩に憧れています。あんな風になりたい、と思っています。でも、……
一言一言に、胸がキリキリと痛む。大喜くんが何をいっているか理解できないのに、その奥にある
大喜くんが私に抱く感情は、私が大喜くんに抱く感情とは全く別なのだ。知りたくない部分だけが、大写しになっていく。
「で、……も。私を嫌いじゃない、よ、……ね。な……ら、それは……」
切れ切れにしか出てこない言葉で食い下がろうにも、大喜くんはまるで私を恐れるように一歩下がった。ジャリっという足音が、何故か変に不快な音に聞こえてしまう。
「ええ、だからこそです。俺は千夏先輩と付き合うとか、そういう事はしません。これ以上千夏先輩に、逃げて欲しくないんです」
処刑宣告に切り刻まれ、私の心は血を流す。そして沸き上がるのは、醜い怒りの念。
「逃げ、って……。私が大喜くんを好きになるのは、そんなんじゃない!」
私は恋をした、それが罪だとでも言うのか。
この気持ちは嘘でも逃げでもない、真剣な想いだ。
なのに、――なのに。
尚も声を上げようとした私はでも、大喜くんの視線に気圧される。
「自分じゃ分からないでしょう、でも傍から見てたら気付きます。最近の千夏先輩はバスケに集中してない、俺ばかり見てるじゃないですか」
それは、……そうかもしれない。大喜くんが気になり出して、少しずつ私は変わりつつある。
でもそれは悪いことじゃない筈だ、大喜くんの前で輝きたいから私は歯を食い縛って頑張ってきた。大喜くんがいるから、強くなれている。
むしろ恋が、私を成長させているんだ。
殴りかかりそうになる拳を制し、私は大喜くんに向き直る。
きっと大喜くんは、戸惑っているだけだ。ちゃんと話せば分かってくれる。
思えば私は少し先走ったかもしれない、話を急ぎすぎたんだ。
息を整え、私は回りの悪い頭を総動員して言葉を組み立てていく。落ち着け、大丈夫だ。ゆっくりちゃんと、話し合おう。
「聞いて、大喜くん。今すぐ付き合うとかそういうのは、そりゃ早いよね。でもさ、私は――」
「そうじゃないんです。今とかこの先とか、そんなんじゃないんです」
そんなんじゃない、そんなんじゃないとはなんだろう。私はもうすぐウインターカップだし、来夏にはお互いインターハイで全国制覇を目指す。その合間に色気付こうというのも、考えてみると難しい話だ。
そうじゃないと言うのは、まさか。……まさ、か。
「イヤだ。私は、そんなのイヤ!」
導き出された結論を、力尽くで頭の奥へと封じ込める。そんなのあり得ない、あって欲しくない。
大喜くんだって私を、好きなはずなんだ。私を何度も救ってくれた優しさは、そういう想いから来ているはずなんだ。
なのに、どうして。
なにかがおかしい、全てがおかしい。
「俺は千夏先輩に、もっと上へいって欲しいんです。余所見なんかしないで、進むべき道をいってください。俺は、――後ろから応援してますから」
違う。私が進むべき先は大喜くんのいる所。
違う。大喜くんには、私の隣に居て欲しい。
違う。私は何もかも犠牲にするほどストイックじゃない。
私は小さくて弱くて、だから誰かに寄り添って欲しい。
好きになってくれなくても構わない、もうそれで良い。だけど、恋をしたこと自体を否定しないで。
「大喜くんがいてくれたら、私は頑張れるの! まだ早いって言うなら、暫く我慢する! 今は私が大喜くんを好きだってことだけ、それだけ……」
「――それが、良くないって言うんです」
怒りを噛み殺したような大喜くんの声に、ゾワリと背筋が粟立つ。
もう、疑いようがない。
好きにならないで欲しい、とそう言っている。その事実が私の胸を貫いていくのが分かった。
「ごめんなさい、千夏先輩。でも何を言われても、俺は変わりません。尊敬しているし憧れています、でも
好きだけど好きだから付き合えない、異性として見ない。
私の耳には、大喜くんの言葉はそう聞こえていた。
それは余りにも重く辛い、分断の宣言。確固たる線を引いた、絶対に越えられない溝を掘った。
私はもう、何も言えない。言えるものか。
遠ざかる背中は涙に歪み、形をなさなくなっていく。
ああ、ああ――どうしてこうなったのか。
身体が動かない。凍り付いたように全身が固まり、星を見上げたまま私は泣き続けている。
このまま涙と共に命の全てが枯れてくれたら、どんなにか良いだろう。
ここで私の全てが終わってしまってくれたら、どんなにか良いだろう。
だけど、そうはならない。どんなに辛くても苦しくても、私は死を選べる程強くないから。
だから帰らなければならない、猪股家へ。私が誰よりも好きな、でも決して私を好きになってくれない大喜くんがいる場所へ。
「わすれ、よ?」
そう自分に言い聞かせ、私は叶わぬ身体を僅かに軋ませる。そうだ、忘れよう。あの日大喜くんに忘れて欲しいと言ったように、私もこの想いを忘れよう。
私は狡くて弱くて、自分に嘘を吐くのが得意なのだから。心を凍らせて、全て無かったように振る舞う。できるはずだ、私なら。
何もかも忘れて、猪股家の食客に戻ろう。ただの同居人、ただの先輩になろう。特別な感情なんか持たない、そんな空気のような存在に。
でもせめて今だけは、この涙が止まるまでは。
「大喜くん、好き」
「私は大喜くんが。好き、です」
「好きになってくれなくても、好きです」
溢れる涙が顔を汚していく、それを感じながら譫言のように呟く。
誰にも届かない、叶わない虚しい行為の先には何もない。
それが分かって尚、泣きながら私は無意味な愛の言葉を垂れ流し続けた。