(無言の土下座)
「貴方は本当に...先生なんですか?」
「えっ....」
私の投げかけた疑問に対して返ってきたのは蚊が鳴くような声だった。
優しい目つきから一転して怯えるように2つの瞳が私を捉えながら揺れ動く。大切なものを取り上げられた子どもみたいに、どこか信じられないような視線が向けられている。
「...あっ!」
そこでようやく自身の愚行に気づき、慌てて自分の口を手で押さえたがもう全てが手遅れだった。
「僕は...」
目の前で動揺している彼を見て全身がキュッと締まり、ドクンと心臓が大きく鳴る。
本人に対して決して言ってはならない言葉を吐いてしまった。記憶を失い、自己認識も危うい相手に対して存在そのものを疑う発言なんて、失態なんて言葉では到底片付けられるようなものではない。
やってしまった。
このままでは取り返しのつかない事態になってしまう。各学園が、ユウカちゃんが託してくれた役目なのに最悪の結果で返してしまう事になりかねない。
「せ、せん....えっと....その.....」
なのに“先生"という単語が喉の奥に引っかかって口から出てこなかった。この期に及んで目の前にいる彼が先生なのか疑っている自分がいる。
パンク寸前になっている脳を必死に回転させ、この場をやり過ごす言葉を模索するがどう取り繕っても『手遅れ』という無慈悲な答えが弾き出されるだけだ。
もはやまともに会話すらできていない私と無言のまま動かない彼。助け舟も期待できない地獄のような状況が更なる焦りを生む。
「ノア」
名前を呼ばれて僅かに逸らしていた視線を彼の方へと戻す。
その人は────穏やかな笑顔だった。
「悪いけど今日はここまでにしよう」
「えっ....」
彼の言葉に今度は私が蚊が鳴くような声を上げる番だった。私にとっては死刑宣告のような一言に冷や汗が止まらなくなる。
私は間違えてしまった...許されない間違えを犯してしまったんだ。間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた。
「君の言葉について少し考えたいんだ。」
「あのっ...先程の発言は....」
「ノア」
何とか取り繕おうとするが名前を一言呼ばれただけで制された。
彼は依然として穏やかな笑みを浮かべている。いつも見ていたはずの笑顔なのに、底冷えするような恐ろしさを感じるのは私が負い目を感じているからなのか。それとも本当にその笑顔の裏に何か思惑が隠されているからなのか。
「一人にして欲しい」
「ぁ.....」
もう何も言えなかった。銃口を額に突きつけられた時のようにその場で固まってしまう。
カチカチと時計の針が進む音だけが耳に入り、その音よりも早い速度で心臓がドクドクと波打っていた。
「っ...!」
もうダメだ。全てが終わった。
気がつけば私は部室から飛び出して非常階段を全力で駆け降りていた。
『失礼します』その一言すらも言い忘れて。
☆☆☆
数時間後
〜ノア自室〜
あれからどうやって帰ったのか覚えていない。
ただいつの間にか玄関の前に立っていた私は乱暴に扉を開け、制服から着替えることもせずにベッドの上で膝を抱えていた。
やってしまった。どうしよう。
その2つの言葉だけが頭の中で反響し、時間が経つほど余計に私を追い込もうとしてくる。無論、答えは出てこない。
どうしてあんな発言をしてしまったのか。言ってはならないと分かっていたはずなのに、かつての先生を追いかけるあまり今の彼を否定する自分を抑えきれなかった。
もし過去に戻ることができるのなら、あの時の私を殴ってでも止めたい。
「なんて事を...っ、どうして私はっ...!」
頭を掻きむしりたくなる衝動を何とか抑え込むが、それ以上に後悔の念が私の心を押し潰してくる。今まで体験したことのないくらい頭と心がぐちゃぐちゃに掻き乱されていた。
自分は完璧な人間じゃない。だから失敗したことなら今まで何度もあった。その度に反省して次に活かせるように努力する。人というのは失敗してもそこから学び、成長していくものなのだから。
でも、今回は失敗を許される状況じゃなかった。最悪の場面で最悪な選択肢を自らの意思で引いてしまったのだ。許されない失敗を犯した自分を許せない。
自分に託してくれた各学園を裏切った、信頼してくれたユウカちゃんを裏切った、そして何よりも彼に対してあんな言葉を吐いてしまった自分が憎い。
もうこのまましばらく何もしたくない。その感情を現すように膝を抱えていた腕に力を込める。
そんな私を嘲笑うように玄関の扉をノックと呼び鈴が聞こえてきた。
うるさい。聴き慣れている生活音なのに煩わしい。居留守なんて使いたくないが今は誰にも会いたくなかった。
「ノア? 戻ってきてる?」
聞こえてきた声に反応して顔を上げる。ユウカちゃんの声だ。
ふと携帯に目を向けると着信とモモトークの履歴が何件か入っていた。その送り主は全てユウカちゃん。
そうだ、今回からシャーレでの当番が終わったら報告するようになっていたのを忘れていた。理由はもちろんあの人の状態を把握し共有するため。
シャーレを飛び出してから既に数時間が経過し、順当に事が進んでいれば当番が終わっている時間だ。きっと報告がなかったからこうして様子を見にきてくれたのだろう。
「ノア? いないの?」
先程とは違い彼女の声に焦りの色が混ざっていた。連絡が取れておらずその上でいるべき場所にいないのだから、何かに巻き込まれたと勘違いし始めてしまっているのかもしれない。
「行かないと....」
自分に言い聞かせるように呟き、鉛をくくりつけられたように重い体を動かして玄関を目指す。その時、壁にかかっていた鏡に自分の姿が映り、チラッとそっちへ顔を向けた私は思わず目を見開いた。
いつの間に泣いていたのだろうか、鏡越しでもハッキリと見える涙の跡と充血した目。ところどころ跳ねてしまっている髪。部屋に戻ってきて数時間しか経っていないのに、普段の自分とはかけ離れた姿がそこにはあった。
「ユウカちゃん、少し待ってて下さい...!」
できるだけ平静を装い、扉越しにいる彼女にも聞こえるくらいの声で返事をしてから急いで洗面台へと駆け込む。
「こんなに酷い顔....」
まじまじと鏡に映る自分を見て独り言が漏れる。酷く落ち込んでいた自覚はあったが、ここまでハッキリと崩れてしまっているとは思わなかった。自分の顔なのにまるで別人を見ている気分だ。
とても他人に、ましてやユウカちゃんに見せられるような状態ではない。こんな姿で扉を開けたら余計な心配をかけてしまう。
愛用しているスタイリング剤を使って急いで髪を整え、いつの間にかあった涙の跡を化粧で隠す。
「こっちは...仕方ない...か」
最後に残ったのは充血した目。こればっかりは誤魔化しようがなかった。充血用の目薬を差してもすぐに治るわけじゃないし、隠そうにも眼帯なんてしたら心配されるのがオチだ。
とりあえず目薬だけ差して、ユウカちゃんに勘付かれてしまうような変な場所がないか入念にチェックする。
そして自分が満足するまで確認し、パタパタと玄関に駆け寄って扉を開けた。
「ごめんなさい、遅くなってしまいました」
開けた先には両手を腰に当てていかにも「怒ってます」アピールを身体で表現しながらも、心配そうな表情を浮かべているユウカちゃんの姿があった。
「もう、いるなら連絡くらいしてちょうだい。何かトラブルがあったんじゃないかって心配したんだから」
「ごめんなさいユウカちゃん。色々と気を遣って普段より疲れていたので、連絡に気付くことが出来ませんでした。」
「そう...ノアに負担をかけてるのはこっちだし、それなら仕方ないけど──────」
そこで言葉を区切ると、ユウカちゃんは距離を詰めてきて私の顔を覗き込むようにまじまじと見つめてきた。
何かを観察するように真剣な2つの瞳、シャーレでやらかした直後という事もあって、ユウカちゃんが相手なのに追い詰められているような感じがしてドキリと心臓が跳ねる。
「ユ、ユウカちゃん? そんなに近寄られて見つめられると少し恥ずかしいのですが...」
「ノア、やっぱり何かあったでしょ?」
「ぇ...?」
ズバッと斬り込んでくる一言に身体が硬直する。引っ込んだ冷や汗がまた背中から吹き出してきたような気がした。
でもそれは一瞬だけのことですぐに肩の力を抜き、いつも通りの私で彼女を見つめ返す。
「目、充血してるわよ。それに目元のコンシーラーが急いで塗ったみたい。ノアは普段から薄化粧だけどそんな雑な塗り方をするはずないもの」
「帰ったらメイクが崩れてしまっていたので、ユウカちゃんが来た時に急いで塗り直したんです。目にゴミが入って強く擦ってしまったので、充血と一緒にメイクも取れてしまったんだと思います。」
冷静にいつも通りに。心は未だに乱れてはいるけれど、ユウカちゃんに会えたことで少しは落ち着きを取り戻している。
意識して普段の生塩ノアを演じるだけだ。それっぽい理由を付けてこの場を切り抜けて彼女を帰せばいい。
「でもノア...」
「それと今日の報告書はこの後まとめて、明日シャーレへ向かう前にお渡ししますね。もし不在なら生徒会室に置いておきますので」
「ノア! 本当に何かあったなら相談くらい...!」
「ユウカちゃん」
食い下がってくるユウカちゃんの肩に手を置いて静止する。
きっと彼女は確信を持っているのだろう。具体的な内容まではわからなくても、今日1日で私と彼の間に何かトラブルが起きたという事に。
「心配してくれてありがとうございます。ユウカちゃんは優しいですね。少しだけ失敗しちゃいました。」
「ノアが失敗なんて珍しい...何があったの?」
「大したことではありません。ほんの少しだけ私が先生を混乱させてしまっただけですから。明日しっかり謝罪して、先生が記憶を取り戻す糸口を見つけてみせます。」
ユウカちゃんの表情は何とも表現し難いものだった。納得半分、不満半分といったところだろうか。
理由はきっと私が明確な理由を話さないからだろう。少し本当の事を話しただけだと彼女をしっかり納得させるのは難しいようだ。
でも、詳細まで話すつもりは無かった。
私が犯した過ち、それを知られてしまったらユウカちゃんはきっと自分を責めるだろう。私に重要な役目を負わせてしまった自分が悪いと。そんなユウカちゃんの顔なんて見たくない。
────いや、そんなのは都合のいい言い訳だ。
結局は私が怖いだけだ。自分の犯した大きな過ちを誰かに話すことが、事の重大さを再認識させられることが、怖くて怖くて目を逸らしても先回りして嫌でも映ってくる現実が。
「ほら、もう暗くなってきましたし冷えないうちに帰ってください。そ・れ・と・も〜、私の部屋にお泊まりしたいですか?」
「着替えなんて持ってきてないから無理に決まってるでしょ。とりあえず今日は帰るから...その...ノア」
「なんでしょうか?」
「...無理だけはしないでね」
去り際に振り返り、消え入りそうな声で呟いたユウカちゃんの言葉が嫌にハッキリと耳に突き刺さる。それ以上にその顔が脳に強く焼き付いてしまぅた。
「結局、辛そうな顔をさせてしまいましたね...」
自虐的に笑い、彼女が見えなくなったことを確認してから扉を閉める。
そしてそのままズルズルとへたり込んでしまった。
「ごめんなさい...ユウカちゃん...。私、とんでもないミスをしてしまいました。でも、宣言通り明日もシャーレに行きますから...。あの人に謝って...謝って...それで...」
膝を抱えながらブツブツと呟く。その言葉を向けるべき相手はもうこの場にはいない。
あの時素直に話していれば少しは楽な気分になれたのだろうか。きっとユウカちゃんなら、驚きながらも一緒に対応策を練ってくれただろう。もしかしたら『今すぐ謝りに行くわよ!』なんて言って、強引に私の手を引いてシャーレへ連れて行ってくれたのだろうか。
尤も、そんな妄想なんて無意味だ。私が自分自身の意思で“いつも通り”の仮面を貼り付けて、その可能性を手放したのだから。
☆☆☆
翌朝
〜D.U.シラトリ区〜
「そろそろ時間...ですね」
時計で時間を確認して溜め息を吐く。
正直このまま踵を返して帰りたかった。昨日あんなことを言った立場で、今更どんな顔をして会いにいけば良いのか。昨晩ずっとそのことだけを考えていたが、結局何も打開策を思いつくことは無く今日を迎えてしまった。
重い身体を動かしてゲートを潜り、エレベーターのボタンを押す。
珍しくエレベーターが屋上に止まっていたようで、嫌に長い待ち時間をただ点滅する階層ランプを眺めて過ごす。
「すぅーっ...はーっ...」
エレベーターを待っている間も、乗っている最中もひたすら深呼吸を繰り返して心を落ち着けようとするが、もうすぐあの人と再び会うことになると考えてしまい余計に身体が固くなってくる。
エレベーターから降りて、コツコツと自分の足音だけが聞こえる通路を歩く。少しだけ開いている部室の扉の隙間からは明かりが漏れており、あの人が既にそこにいることを示していた。
「っ...!」
意を決して扉をノックする。いつもより弱目のノックになってしまったのは、彼に対して負い目を感じているからなのかもしれない。
────しかし、10秒ほど待っても返事は帰って来なかった。
「あの、生塩ノアです。その...入ってもよろしい...でしょうか?」
もう一度控えめにノックをして、今度は来訪を自分の口でも伝えてみる。
しかし、またしても扉の向こうから返事がくる事はなかった。もしかしたら昨日の発言を根に持っているのだろうか?
いや、私は『根に持つ』なんて言えるような立場では無い。あれは私の失態なのだから。
「っ...昨日の発言については申し訳ありません。私が未熟だったために心のない言葉を...厚かましいことは重々承知ではございますが、どうかもう一度機会を与えて頂けないでしょうか?」
それでも反応は無かった。
何かがおかしい。違和感のようなものが自分の中でグルグルと渦巻いて大きくなってくる。
「開けますよ...?」
返事が来ない事を半ば確信しながらも遠慮がちに尋ね、ゆっくりと扉を開けた。
「えっ...?」
開けた先にはよく知るシャーレの風景。机の上にはペンと一緒に書類があるし、スマホもコーヒーカップも置いてある。
ただ当の本人がいなかった。
「お手洗いでしょうか?」
失礼だとは思いながらも化粧室へと足を運んでみる。
しかし、施錠はされておらずもぬけの殻だった。どこかに隠れているような気配すらもない。
違和感が徐々に嫌な予感へと変わっていく感じがした。
そこからはもう手当たり次第だった。
オフィス内だけでなく居住区、先生がよく通っているコンビニにも顔を出して、そこでいつも働いている子にも尋ねてみた。
「まさか...そんな...」
結果的に1時間近くかけて捜索したが成果は0に等しかった。
得られた情報はあの人が2時間前にコンビニで買い物をしていたという事だけ。
少なくとも私が来る前にはシャーレにいたのだろう。しかし、その後の足取りが全く分からなかった。本人のスマホはシャーレに置きっぱなしだったから連絡を取ることもできない。
“失踪”の単語が頭をよぎり、嫌な予感がブクブクと大きくなる。
「とりあえず...ユウカちゃんに連絡を...!」
もしそうだとするならば私のせいだ。私のあの言葉があの人を傷つけ、結果的に失踪を招いてしまったとするならば...。
どんな手を使ってでも先生を探し出さなければならない。後でどんな罰を受けることになったとしても、原因である私1人が背負えば良い。そのためにはもう1人で何とかしようとしている場合では無い。
覚束ない手つきでスマホを取り出して連絡帳を開く。
その時、大きな違和感が私の脳内を掠めた。
「そういえば何故、エレベーターが屋上に...?」
私が来た時、エレベーターは屋上に止まっていた。屋上に立ち寄るとするならば先生か生徒か、作業点検の業者くらい。
生徒はまだこの時間は私くらいしか来ないはずだ。作業点検もスケジュールではまだ先だったはず。
そうなると屋上へ向かった人物は1人しかおらず、その答えに辿り着くと同時に私の中である可能性が浮かび上がった。
「────っ! まさか!?」
全身から汗がブワッと吹き出してくる。頭と心臓が締め付けられ、喉が閉まるような感覚と共に罪悪感と焦燥感、吐き気が同時に込み上げてくる。
それは絶対にあってはならない最悪の未来。
操作途中のスマホをポケットにしまいこみ、私は無我夢中でエレベーターへ向けて駆け出した。
大変長らくという次元じゃないレベルでお待たせしてしまい申し訳ございませんでした。
もはや待っていた人の方が少なかったとは思いますが、ノア編は完結までのプロット自体は出来ているので修正追加しつつ投稿しようと思います。
一応更新しなかった理由と言う名の醜い言い訳は活動報告に記載させて頂いています。
久しぶりの投稿なので拙い文章になっている気がしますが、まずは最低限ノア編を完結させて、それからまた何を書くか等を改めて決めていこうと思います。