きっと毎年、そう思う。
まあそれはそれで、楽しいもの。
善き日をすごせ、若人よ。
もうすぐあの日が来る、と思うと毎年何処と無く落ち着かなかった。縁の無い行事なのに、なんとなくザワザワしてしまう。
でも今年は違う、落ち着かないどころじゃない。心臓が張り裂けそうで、気が気じゃない。
どうせ無いだろ、とは理解しているけどそれでも期待してしまう自分がちょっと嫌になる。
万が一億が一くらいの可能性かもしれないけど、僅かながらに希望は持ってしまう。
ひょっとして、もしかしたら。――千夏先輩から、チョコを貰えるかもしれないのだから。
バレンタインデーまであと数日、俺は今日も眠れない夜を過ごしている。
先月の末、俺の人生は大きく変わった。憧れていた千夏先輩と
いや、いやいや。いやいやいやいや、待て待て。色々と待て、おい。
千夏先輩がうちに来る、二年間一緒に暮らす。そんなの、有り得るか。
まだ普通に話せるようになったばかりなのに、同居って。リトルリーグからいきなり大リーグに行くようなもんだぞ、無茶すぎる。
そりゃ嬉しいと言えば嬉しい、でも色々と持たないかもしれないんだよな俺。嫌われたくないし、変なことしたりはしないけど。
でも、だ。もうすぐやって来るバレンタインデーに期待するくらいなら、ギリギリ許されるんじゃないだろうか。
まだ距離感は測りかねてるけど、顔も名前も覚えてもらえた。朝練のついでに世間話の一つくらいもするようになったし、ちょいちょい手続きやら何やらで放課後うちに来てるから、それもあって結構打ち解けられた気もしている。それでバレンタインデーにチョコ、なんてのは飛躍しすぎかもしれないけどさ。
例年は母さんから一つとクラスの女子がバラ撒くのが幾つか、あと去年は雛のやつが大きいのくれたっけ。パッケージにデカデカと「義理」って書いてある、如何にも人をからかった感じだったな。
チョコの数なんか気にしないけど、でももし先輩から貰えたら凄く嬉しいな。無いだろうけど、うん。
そして当日は来た、来たけれども。朝練からこっち、何事も起きないまま時間だけが過ぎていく。考えてみれば、朝練以外では校内で喋る事自体がまず無いんだよな。まさか高等部の校舎をウロウロするわけにいかないし、先輩も先輩でこっちに来る用事はないだろう。ちょっと分不相応な事を考えてしまった、そんな自分がちょっとだけ恥ずかしい。
「よっす大喜ー、今年も雛様が義理チョコをくれてやろうぞー遠慮無く受け取りたまへー」
恩着せがましい台詞で突き出してきた包みを、とりあえず感謝の意を示しつつバッグへと仕舞い込む。まったくこのバカと来たら、単純で羨ましい。
――と。良く見たら、どうも包装が拙い感じがした。雛が自分で包んだのか、ってまさか手作りだったりするのかな。
まあ、無いか。俺をからかおうとしてるんだろ、コイツの事だし。
雛とは中学に入って以来の付き合いで、だからもうすぐ三年くらい。いつもバカやって笑いあう間柄だけど、この時期だけは実感する。コイツもまた、女子なんだと。いつかは雛も大人になって色気付き、誰かに本命チョコをあげたりするようになるんだろうか。そんな日は遠そうだけど、その内。
まるで保護者みたいな事を考えていると、「アンタ今すごい失礼な事考えてない!?」と握り拳を振り上げられてしまった。ええい、なんなんだ。
殴られたら堪らない、と駆け出す俺。
待てやコラ逃げんな、と追ってくる雛。
俺たちは今日も、通常運転だ。
「あ、大喜くんおかえりなさい。お疲れさま」
いつも通りに帰宅して、それなのに千夏先輩が出迎えてくれた。なんだか一気に非日常感が襲ってきたけど、俺はどうにか理性を繋ぎ止める。落ち着け俺、別に千夏先輩は俺に会いに来た訳じゃない。産まれたときからずっとここに住んでいる俺には良くわからないけど、引っ越しするとなったら考えないといけない事が多いらしい。なにしろついこないだまでは今学期で栄明を去る予定だったのをひっくり返したんだし、それに書類上のあれこれが複雑なんだとか。
だけど今日は、日付が日付だ。
もしかしたら、と思いはするけれど。するけれど、そんな事は無いんだ。世の中は、そこまで都合良くできていない。
「じゃあ私、帰るね。また明日、ね」
ああ、やっぱり。千夏先輩は俺の隣をすり抜けて、玄関を出ていってしまった。勿論何も渡してなんかくれない、当たり前だけど。
わかってはいたけど、少しだけガッカリ来てしまうな。まあ、良いんだけど。
とりあえずクラスの連中や雛から貰った戦利品を冷凍庫に放り込んで、俺は気持ちを切り替えるべく自室へと向かう。今日は気疲れしたけど、筋トレして気分をリフレッシュしよう。また明日から、いつも通りの毎日が始まる。
「ん、……あれ?」
バッグを床に投げ出して、そのまま腹筋ローラーを手に取ろうとしたその時。俺の視界に、見慣れないものが写りこんだ。
机の上に、なにかある。なにかと言うか、これは。
「……なんかの……包み?」
綺麗にラッピングされた、小さな箱らしきもの。それが、机の上にポツンと置かれていたのだ。
母さんからのチョコかな、いや違うな。あの人こんなんじゃない、果てしなく雑だ。なにしろ俺の親だし、わざわざこんな手が込んだことするもんか。
そうなると、そうなると……まさか。
思い当たった可能性を脳内で反芻しつつそれを持ち上げると、下になってたらしい紙が一枚ひらりと舞う。そこに有ったのは、綺麗な字で書かれた一文。
『大喜くん、これからよろしくね。千夏より』
その文字列を脳が理解した瞬間、ブワッと毛穴から火を吹きそうなほど体温が急上昇してしまったのが感じられた。
だって、だって。これは千夏先輩からの、俺へと向けた――バレンタインチョコなんだ。これで興奮せずにいられるもんか。
特別な意味だとは思わない、同居人への付け届けみたいなもんかもしれない。むしろその可能性が極めて高い、ただの挨拶みたいな感じで。中身がチョコである保証もない、あんまり嬉しがると糠喜びになるかもしれない。
それでもそれでも、嬉しくて仕方ない。ああ、全く俺って単純バカだな。
にしても、そうなると……だ。
「そういや前貰ったキットカットも、まだ冷凍庫に仕舞ってあるんだよな……。どうしよ」
食べてしまえば無くなってしまうし、だけど仕舞いこんだままでは空しい。それにお礼もしなければ、でもこういうのってどうすれば良いんだ。雛のアホ相手なら適当に昼飯奢るなりすればいいけど、先輩だしなあ。
しかし、チョコ一つで俺はこんなになってしまうんだな。この先仲良くなったり、罷り間違って
そんなことを考えながら俺は、ベッドへと倒れていく。
まあ――良いか、まだ考えなくて。ホワイトデーまでは一ヶ月もある、その間にどうにか考えよう。
これから過ごす日々の事も、なにもかも。
ちなみに扇町さん、冷凍したチョコが好きです。プリンやヨーグルトも冷凍します。
美味しいですよ、フローズンプリン。