というわけで最終話です。
クソ長いので注意。
『「結束バンドだよ」』
無音の世界に突然響く声。一つだけのはずが、何故だか重なって聞こえた。
前にいるお客さんたちが振り返る。やけにゆっくりと時間が流れていく中、その隙間から見えたのは見慣れた青と金の髪だ。
『結束バンドって言うんですね! 』
『はい! 今は8月のライブに向けて練習中で! またちゃんと決まったらSNSで告知しますね! あ、これが広報用アカウントです、フォローよろしくお願いします!』
金の髪、虹夏ちゃんが長い茶髪のお客さんにすかさず宣伝している。愛想良くお客さんに営業する様からは、私に対する怒りや不信の感情は見受けられない。
『絶対見に行きます! えーと…?』
『あ、私、ドラム兼リーダーの伊地知虹夏って言います! で、こっちがベースの山田リョウ。あとここには居ないんですけど、この広報アカウントを使ってるギターの喜多ちゃんって娘がいて、それで──』
お客さんが言い淀んだのを察したのか、虹夏ちゃんがテキパキとメンバーを紹介していく。喜多さんまでいったところで、隣にいる青い髪のリョウさんが台詞を遮り、こちらを指差した。
身体中から汗が噴き出て、ドクンと心臓が一際大きな音を立てたような気がする。
私は────何?
「そこで路上ライブしてた酒飲んでない方が、
『そうなんですね! もう私すっかりひとりちゃんのファンになっちゃって! 覚えて帰ります!!』
「よろしく」
足元が覚束ない。そうか、私は。
一員でいいんだ。
『今度は結束バンド
『楽しみにしてまーす!!』
普段なら舞い上がるようなお客さんの一言も、今は意識が向かなかった。
お客さんたちが帰っていく。それと同時に、私の足から完全に力が抜けた。
『ぼっちちゃん!!』
崩れ落ちた私に虹夏ちゃんが飛びついてくる。女子高生らしい良い香りが朦朧とした私の頭に届き、堪えていたものが決壊した。感情が溢れ、目からこぼれ落ちる。
「う、ぐす、に、虹夏ちゃん、リョウさん、わたし、本当にすみません」
「早く帰ろう? 探すの疲れたし」
『リョウ! 一番心配してたくせに…もう、素直じゃないなー』
虹夏ちゃんがリョウさんを咎めているようだけど、涙で視界が滲んで何も見えない。ああ、本当に不便だ。
目元に何か当てられた。ハンカチだ。虹夏ちゃんが涙を拭いてくれている。
しばらくされるがままになって、ようやく涙が収まると、虹夏ちゃんが改めてこちらに向き直る。
『ごめんね、ぼっちちゃん。リョウから色々聞いた。不安にさせちゃったんだよね?』
虹夏ちゃんの言ったことに、私は少なくない衝撃を受けた。何せ、それは私の内心ほぼ全ての要約だ。
リョウさんが私の難聴のことやその原因を話していたとしても、そこから心情を察することができるかはまた別の問題のはず。
実際私は、この
じっと私を見つめるその大きな瞳に、吸い込まれそうになる。虹夏ちゃんの目は充血し、そして僅かに震えていた。
『ぼっちちゃんは、私たちとじゃ、嫌?』
「っそ、そんなこと!!! あり得ません! でも…」
嫌なわけはない。それはだけは強く否定する。
しかし、私の行動が伴うかは別だ。私は自分を、自分だからこそ信用できないんだ。
「私、きっとまた怖くなって、踏み出せなくなって、逃げます」
「いいんじゃない?」
「え…?」
どうしようもない私の弱音に、間髪入れずリョウさんが呟いた言葉が耳に届いた。
私が唯一聞こえる落ち着いた声は、驚いて顔を向けた私に、普段通りの平坦なトーンで、当たり前のことを言うように続ける。
「次からは一人ぼっちじゃないわけだし。めんどいけど、背中押すくらいならしてあげるよ」
押すだけならタダだし。
僅かに口角を上げ、冗談めかしてリョウさんはそんなこと口にする。
思わず唖然としてしまう私に、虹夏ちゃんは明るく笑った。
『そうだよ! ぼっちちゃん、迷惑かけてるー、だなんて思わないの! いいんだよ、頼って』
「逃げられてギター再募集するの面倒だし」
『山田ァ!!』
「嘘」
リョウさんの言葉を虹夏ちゃんが咎める。でも、それが冗談だなんてことは直ぐに分かった。リョウさんの声色もそうだけど、雰囲気が二人とも柔らかい。
でも、それでもしつこくネガティブな感情が心に浮かんでくる。
こんな手間をかけて貰ってまで私が求められる? そんなことあり得るんだろうか?
不信から形作られた言葉がそのまま飛び出す。
「…け、欠陥だらけで、演奏も下手で。そ、そんな私でもですか?」
『うん!』
即答だった。
笑顔でなんの陰りもなく、虹夏ちゃんは私のことが必要なのだと言う。
『演奏下手でも、耳が聞こえなくても、それが治らなくても。私は、ぼっちちゃんが良い』
どうしよう。
嬉しすぎて、一度は止まった涙がまた溢れ出しそうになる。
『だって私、ぼっちちゃんのギターも、ぼっちちゃんのことも好きだし!』
「うぇっ?!」
しかしその涙も衝撃発言の前に引っ込んでしまった。
受けたことがないストレートな好意に思わず顔が赤くなる。
え、す、すす好きってあああああのあのあの
虹夏ちゃんは自分の発言に何も思うところはなかったようで、特に表情が変わることもない。こ、小悪魔…! 私の純情を手玉に?!
『それに、下手っていうのはさっきの演奏聴いててちょっと思うところもあったしねー!』
「うん。オーディションもその調子でよろしく」
「え? あ、はい…」
いやあの、あれはお姉さんが超絶技巧で私に合わせてくれたからなんです…なんてことは当然言えず。
リョウさんはともかく、虹夏ちゃんが期待の目でこっちを見ている。やばい、初めて会った時の喜多さんと同じだ…
あれ、喜多さんといえば、姿が見えない。
「あ、あの、喜多さんはどうしたんですか? や、やっぱり私が難聴だって知って怒っちゃいましたかね…?」
『あー、喜多ちゃんは、ねー…』
「今は虹夏の家で寝てる」
「寝てる?」
「気絶した」
「き、気絶?!」
ど、どういうこと?! 私が逃げ出したことと喜多さんの気絶に関連性が見られないんですけど…
虹夏ちゃんが私に上着をかけ、ついでに吐瀉物で汚れたジャージを火バサミでビニール袋に回収している。準備がいい、お、お母さんかな?
『その辺は喜多ちゃんが起きたら聞こっか。ぼっちちゃんを追いかけてきたとはいえ、気絶した喜多ちゃん置いてきちゃったわけだし。というわけで、一旦STARRYに帰ろー!』
「帰ろ帰ろ」
「あ、はい」
気絶してたとはいえ、動けない喜多さんを置いてまで探しにきてくれたんだ…少し申し訳なくなると同時に、とても嬉しくなる。
そういえば、虹夏ちゃんは追いかけて来たと言ってたけど、どうやって場所が分かったんだろう? 私も結構な時間ここでライブしてた訳だし、総当たり? いや、それにしては早すぎる。
『あ、廣井さん、今回はありがとうございました!』
『いーよぉ、先輩によろしく言っといてねぇ』
「え、っと、どういうことでしょう…?」
『ぼっちちゃんの居場所、廣井さんがお姉ちゃん経由で教えてくれたんだよ』
「い、いつの間に!」
『あたしSTARRYの店長と知り合いなんだよね。で、ひとりちゃんがあそこで活動してるって言ったからさぁ、一応連絡入れといたんだー』
お姉さんが画面の割れたスマホを軽く掲げて見せる。あ、もしかしてライブ前にスマホいじってたのって、そういう…
何だろう、すごく、スマートだ…!! わ、私もお礼しないと。
「お姉さん、今日は、その、あ…ありがとうございました!」
『あはー、また一緒にセッションしようねー。あ、あたし新宿で活動してるから、ライブ見に来てくれると嬉しいなー』
「も、もちろんです!」
お姉さんはヒラヒラと手を振る。やっぱりバンドマンって、かっこいいなぁ…
そんなことを思っていると、リョウさんがずずいとお姉さんの前に出る。
「あの、SICKHACKのベースの方ですよね! 私、ライブ見に行ったことあります!!」
『えー君ィ見る目あるねー!』
「飲酒パフォーマンス最高でした! 酔っ払って観客に酒吹きかけたり、顔面踏みつけられたのもいい思い出です!」
『あはははは!! 新宿ありがとー! カスどもサイコー!! マザー〇〇〇〇!!!』
かっこ、いい…?
────────────────
「おっはようございまーす!」
いつも通りSTARRYのドアを開け放って元気よく挨拶。開店前のホールには、伊地知先輩と愛しのリョウ先輩が椅子に腰掛けて雑談していた。
伊地知先輩はともかく、リョウ先輩がもういるのはちょっと珍しいかも。いつも大体私の方が早いのに。
「リョウ先輩、伊地知先輩、おはようございます! リョウ先輩、今日は早いですね!!」
「うん。虹夏に早く集まれって言われたし」
「遅刻されたら堪らないしねー。ていうか、喜多ちゃんにも連絡入れたよ?」
「本当ですか? すみません、見てませんでした」
スマホを確認すると、伊地知先輩に言われた通り結束バンドのトークルームと個人宛の両方に連絡が入っていた。
…入っていたが、何故かその文字だけがぼやけて見えない。
「あれ、見えない…? えっと、なんで早く集まったんですか?」
「今後の方針について話し合おうと思ったんだよ」
「今後の方針…? ああ、ライブのオーディションが近いからですか?」
「それもあるんだけど…まぁ、とりあえず全員揃ったし、ミーティング初めよっか」
伊地知先輩はどこか複雑そうな表情で言う。て、え? 全員揃ったって、まだ後藤さんの姿は見えない。またどこか狭いところに隠れているんだろうか。
「伊地知先輩? 後藤さんがまだ来てませんけど…?」
「え? …郁代が言うの、それ」
その言葉に反応して顔をこちらに向けたのは何故かリョウ先輩だった。眉根を寄せて険しい顔をしているのは、見間違いではなさそうだ。でも、私にはリョウ先輩がなんで怒っているのか分からない。
「ええっと…喜多ちゃん?」
「な、何ですか?」
伊地知先輩が苦笑いして私を呼ぶ。そういえば、用事がない時は放課後いつも後藤さんと一緒に来てるはずなのに今日はいなかったっけ。あれ? 今日って何曜日? 学校ある日だっけ。そもそも、私はどうやってSTARRYまで…
「ぼっちちゃんならバンド辞めちゃったじゃない?」
思考が止まる。
「というか、喜多ちゃんがぼっちちゃんに『耳が聞こえないのにバンドやってる人なんていない』とか言ったんじゃなかったっけ?」
「…私は、郁代のことまだ許してないから」
「いや、ちがっ」
「何も違わないでしょ? 耳が聞こえないぼっちちゃんにあんなこと言って。傷つかないわけないよ」
「そのせいで、ぼっちはバンド辞めた」
「そんな、わたし」
そうだ。私が後藤さんに酷いこと言ったんだ。
いや違う、そんなつもりは無かった。私は冗談のつもりで。
でも後藤さんは本当に難聴だった。じゃあ私の言葉はどう聞こえた? どう考えても致命的な一打になっただろう。
足がふらつく。
世界が歪む。
先輩たちの姿が黒く染まる。
「いや…」
もはや黒い輪郭しか分からなくなった先輩たちから、私を咎める声が次々と投げかけられる。
耳を塞いで蹲るけれど、意味をなさなかった。まるで声が頭の中に直接響いているかのようだった。
傷ついて
可哀想に
「いやああああああああああああああ!!!!」
「ああああああああああああ!!!??」
叫び、思い切り上体を起こした。…え?
両手には掛け布団が掴まれている。状況が掴めない、さっきまでSTARRYにいた筈で…
「あ。ゆ、め?」
そうだ、私は。
リョウ先輩に後藤さんの事情を伝えられて、目の前が真っ暗になって、そして…そこから記憶がない。
もしかして、気絶していたんだろうか。
「私…」
思い出し、吐き気が込み上げる。
今のは夢だった。でも、最低なことを言ってしまったという事実は消えない。
アレが夢で終わってくれる保証なんて何もない。
(後藤さんが、辞める?)
全身が冷え込み、思わず体を両腕で抱きしめた。
怖い。
震えが、涙が止まらない。
そこまで来てようやく、自分が考えていたよりもずっと、後藤さんのことを大事に思っていたことに気づいた。
(だって、仕方ないじゃない)
音楽にそこまで興味のなかった私でも心を動かされるほどカッコいいギターの実力を持っている、同い年の女の子。
そんな子がつきっきりで、メリットなんて殆ど無かっただろうに、自分の時間を削って私のためにギターを教えてくれた。
きっと考えているよりもっと前に、後藤さんは私にとって特別な存在になっていたんだ。
最初はギターの先生で。
段々と大事な友達になって。
自業自得で窮地に陥っていた私を救ってくれた、
(謝らなきゃ)
後藤さんに謝りたい。しかし、私の発言を
許してくれないかもしれない。もう友達とは言って貰えないのかもしれない。そう考えると怖くて堪らない。
(いや、だなぁ)
傷つきたくない。傷つけたのは私のくせに。
…私がこのバンドを抜けたら、丸く収まるだろうか。それは逃げでしかないと分かっていても、そんなことを考えてしまう。
(怖い。でも、逃げたくない)
ここで逃げれば、きっと後藤さんと会うことはもう二度とない。そう思えば、竦む足も前に出せる。
涙を拭う。頭の中をミキサーにかけたみたいにぐちゃぐちゃだけど、後藤さんを探しているうちに少しは落ちつくかな?
とにかく、今は行動しなければ。
…というか、そもそもここはどこだろうか? 私の家のベッドではないし…
そう思い、周囲を見回そうとして首を横に向けると。
「あ、その…だ、大丈夫ですか?」
今、一番会いたくなくて、一番会いたい人がそこにいた。
────────────────────────
Q.めちゃくちゃ顔がいい友達が急に抱きついてきて離れなかったらどうすればいいですか?
A.どうしようもない! 諦めよう!
私の頭の中にはそんな無能QAが駆け巡っていた。
待て、と、とりあえず状況を整理しなければ。
お姉さんとのセッションを終えた後、私たちはSTARRYに一旦戻ってきた。
で、虹夏ちゃんは買い出しに行き、リョウさんはいつの間にやら居なくなっていたので、私が気絶していた喜多さんを虹夏ちゃんの部屋で見守っていたのだが…
さっき突然喜多さんがガバッと起き上がった。しばらく泣いたり青ざめたりと忙しい様を黙って(錯乱した人に声をかけるなんてコミュ障にはできない)見ていたら、喜多さんがこっちを見て硬直した後、急に抱きついてきて、今に至る。
うん、状況を整理しても意味不明だった。誰か助けてください…
「あ、あの…喜多さん?」
『ごめんなさいごめんなさい本当にごめんなさいごめんなさい許してなんてもらえる訳ないのは分かってるでもせめて謝罪の言葉だけでも本当にごめんなさい後藤さん』
声をかけるが、一向に体勢が変わらない。一応、胸元から伝わる振動で喜多さんが何かを話しているのは分かるけど、口が見えない現状では何を言っているかはさっぱり分からない。な、何を言っているんだろう…分かる分からないはともかくとして、くすぐったいからそろそろやめて欲しい…
「(なんで皆抱きつくんだろうか…)き、喜多さん? お、落ち着きましたか…?」
『…』
やんわりと肩を押し上げると、抵抗は無く顔を上げてくれた。
しかし、沈黙の状態は続く。あ、あの、コミュ障に無言の時間は辛いので何か話して欲しいです…
「その、大丈夫でしたか?」
『…』
「えっと」
『…』
(ああああ間がもたないいいい)
それから5分ほど喜多さんは何も話さずに視線を下に向け、険しい顔をしていた。最初は私も間を持たせるために話題を振ろうとしたが、私とは真逆の性質を持つ陽キャの喜多さんにどんな話題を振っていいか分からずに、結局謎の緊張状態を保ったまま喜多さんの様子を見ていることしか出来なかった。
(うーん、顔を顰めているはずなのに可愛い…)
『後藤さん』
「はっ、はい?!」
黙っていた喜多さんが急に顔を上げて私に呼びかけ、反応が遅れた私は盛大に声が裏返ってしまった。やばいめっちゃ恥ずかしい。そしてそれまで喜多さんの顔を凝視していた手前、視線を外すこともしづらい…!
そんな動揺しまくっている私の内心には気付かなかったのか、喜多さんは袖口で目元を乱暴に拭い、充血した赤い目でずいっと近寄り、私と向き合った。
目と目が合う。
視界いっぱいに広がる、喜多さんの決意の籠ったその表情があまりに真剣で、そして綺麗で。
いつもは目を見て話せない私も、この時はそんな考えすら浮かばなくなってしまった。
私の視線は喜多さんに固定され、喜多さんはそれを確認してから、ゆっくりと、はっきりと、大きく口を動かして言葉を紡ぐ。
『ごめんなさい』
「──」
『言い訳なんてできない。私は…あなたを最低な言葉で傷つけた。許して、なんて言える立場じゃないことは分かってる。でも、謝罪の言葉だけは言わせて欲しいの。本当に…本当にごめんなさい!!』
そう言って喜多さんは頭を下げた。
ごめんなさい。つまりは、謝罪。何について謝罪しているかは、流石に私でも分かる。
ただ、傷ついたとか、私の気持ちを考えろだとか、そんなことを言うつもりは毛頭なかった。そもそも喜多さんが悪いだなんて私は思ってもいない。むしろ謝るのは私の方なのに。そんなことを色々と頭に思い浮かべる。しかし、対人経験の少ない私には、頭を下げ続ける喜多さんにかける言葉が思いつかなかった。
それでも、何も言わないなんてこともできず、恐る恐る口を開く。
『…』
「…ないです」
「…」
「許すとか、許さないとか、その、無いです」
『…!』
喜多さんが頭を上げるが、その表情には困惑が浮かんでいる。それはそうだ、実際私自身も何言ってるかあんまり分かってない。あれ、な、何を言ってるんだろう私?!
どう伝えようかと脳内に積まれた段ボールの山を漁るが、適切な言葉は見つからず、結局まとまらない考えをそのまま喜多さんに話した。
「確かに、言われたときは、あ、頭が真っ白になって、思わず飛び出して。『耳が聞こえない人がバンドやるなんてありえない』って思い知らされた気がして」
それを聞かされた喜多さんは再び俯いてしまう。ああ、なんでこんなに説明が下手なんだろう。そんな顔をさせたい訳じゃないのに。
「で、でも、その言葉に傷ついたから逃げた、訳じゃないんです」
『え?』
最初はショックを受けた。でも、それはきっかけだ。私が逃げ出さなきゃいけなかった本当の理由は。
「り、リョウさんから聞いてるかもしれないんですけど…私、前に難聴が知られたせいで居場所を壊してしまったことがあるんです。なので、難聴がバレた今、私がいたら、ま、また周りの人に気を使わせてしまうって。私が居続けたら結束バンドも壊してしまうんじゃないかって思ったんです」
結束バンドは、本当に居心地のいい、私の宝物だ。もう今後一生こんな居場所が手に入ることはないだろう。
だからこそ私は怖かった。耐えられなかった。私のせいでバンドが無くなってしまうなんて認められなかった。だってそれは、難聴の私がバンドに参加すると判断したこと自体、間違いだったということになってしまう。
そして、無意識のうちに、答えから遠ざかるために逃げ出したんだ。
まぁ結局、自分で気づいてしまったけれど。
「も、もしかしたら壊れないかもしれない。私が何食わぬ顔で戻ったところで、喜多さんも虹夏ちゃんも、これまで通り接してくれるかもしれない。でも、わ、私は、確かめられませんでした。そんな勇気は、ありませんでした。ただ少なくとも、私がいなくなれば結束バンドは元通りになる。だって結束バンドに私は元々いませんでしたから」
『…』
「どうしても嫌で、怖くて。それでその、逃げたんです。喜多さんが悪く無いっていうのは、許すとか許さないとか無いっていうのは、そういう意味です」
喜多さんは何も悪くない。そもそも罪がないのに、許すも何もない。きっかけなんて、それこそ些細なものだ。今回は偶々喜多さんが私の地雷を踏んだだけで、これが無くてもそのうち誰かが踏んでいただろう。私が自爆していた可能性だってある。そして、それまでに私が自己申告出来ている可能性は…ここまでの日々を見るからに明らかだろう。
そう言うと、喜多さんは黙ってしまった。こんな、一歩踏み出すこともできない弱い私に、喜多さんは失望しただろうか。
喜多さんが私を頼ってくれていたことは知っている。最初は承認欲求を満たすために、喜多さんにギターを教えていた訳だし。
再び沈黙。処刑が決まった死刑囚のような、焦りと諦念が混ざり合った不快な感覚が私を包む。
心臓がうるさい。喜多さんに聴こえてないと良いのだけれど。
『後藤さん。ううん、ひとりちゃん』
「…は、はい、えっ?」
しばらくお互い何も言わない時間が続いていたが、喜多さんが私に声をかけ、と、というか、な、名前? えっ?! 別の意味で心臓がうるさくなってる…!?
そしてそのまま喜多さんは私の手を両手で取った。ちょっまっ?!
『ありがとう』
「!」
名前を呼ばれ、手を取られ。そして突然の感謝の言葉に体が硬直する。
『私たちのこと、結束バンドのこと、大事に思ってくれて本当にありがとう』
『ひとりちゃんが走り去った後、私、もしひとりちゃんがバンド辞めたらって考えたら、すごく怖かったの。もう私、ひとりちゃんがいない結束バンドなんて考えられない』
『だから、お願い。いなくなるなんて、言わないで…』
段々と声が震え、最後には喜多さんは泣き出してしまう。
私は手を喜多さんに取られたまま、身じろぎ一つすることもできなかった。喜多さんの言葉が、あまりに衝撃的だったから。夢、じゃないよね?
ありがとうなんて。こっちのセリフだった。私だって辞めたくなんて無かった。
「喜多さん」
『何…?』
「私、コミュ障で、陰キャで、…耳が聞こえなくて。それでも、結束バンドでギター、やりたい、です。い、いいですか…?」
『いっ…良いに決まってるじゃない!! 難聴なんて関係ない、ひとりちゃんがいいの!』
「あ、その。これからもよろしくお願いします…あわわっ」
同時に喜多さんが抱きついてくる。あ、あ、だ、だからその場合の対処の仕方がわからないんですって…!
でも、じわりと、胸が暖かくなる。もちろん抱き付かれてるからって訳じゃない。心がだ。
…喜多さんの気持ちを聞いて、酷く安心した。喜多さんが最後だったけれど、誰か一人でも嫌がるなら、私は辞めるつもりだったからだ。
「そ、それにしても、良かったです。喜多さんがそう言ってくれて」
『柔らかい落ち着く匂いがするなんでこんなに柔らかいのかしら本当に同じ生き物なの私にもちょっと分けて欲しい…え?』
私の胸に頭を埋めていた喜多さんが顔を上げる。ちょっと赤くなってるけど大丈夫だろうか…?
「あ、安心しました。喜多さんが反対するなら、私は辞めようと思ってましたから」
『言わないわよ、そんなこと…。ていうか、私が嫌って言ったらってことは、私のことをそんなに重要視してくれたってことよね!!』
「あ、いえ、喜多さんが最後だったので」
そう言った瞬間、暖かかった喜多さんの雰囲気が急変した。笑顔のままのはずなのに圧が凄い。抱きしめたままだった腕が万力のように私の胴体を絞り上げる。
『……は?』
「ひぃっ?! いいいいいだだだあだだだっだききき喜多さんやめやめ辞めてくださささ」
『ちょっと詳しく話してくれる? 私が最後って、どういうこと?』
「あああああ話します話します話しますからいったんうでを解いてててて」
恐ろしい笑顔で迫ってくる喜多さんに、私はSTARRYに戻ってくるまでに起きたことを話すのだった。
──────────────────
日付が変わって翌日。
今日からは、週末のオーディションに向けて練習を詰めていくことになっている。
まだ日曜日の午前中なのでお客さんはいない。いつも通り適当な席に座っていると、STARRYの扉から風が吹き込む。誰かが新たに来店してきたようだ。
『おはようございまー…す?』
「あ、おはようございます…」
『おっはよー』
「…おはよ……ぐぅ」
『ほら起きろー揃ったよー』
扉を開けたのは喜多さんだった。知ってた。というのも、他のメンバーは全員揃っているからだ。
ところで、いつもの休日練習は午後開始になることが多い。まぁ上階が家になっている虹夏ちゃんやこの辺に住んでいるリョウさんや喜多さんに対し、私だけ来るのに二時間かかってしまうから午前に開始できないだけなんだけど…。
ただ、今はまだ昼には程遠い時間。普通ならこの時間にSTARRYに来ようとすれば5時起きでもギリギリな私が、何故喜多さんよりも先に来れたかと言うと…
『ひっ、ひとりちゃん?! 昨日伊地知先輩の家に泊まったってホント?!』
「え? あ、は、はい。そうですけど…」
『大丈夫だった? 変なことされてない?!』
『するか!』
「だ、大丈夫でしたよ。そ、それに、ご飯も頂いてしまって…」
昨日私が虹夏ちゃんの家に泊まったからだ。喜多さんが起きた後、もう夜も遅かったので家が遠い私は急遽泊まることに。それは良かったのだが、LOINEで家族にバンド仲間の家に泊まると連絡したら、やたら存在を疑われた。バンドやってることは伝えてるはずなんだけど、も、もしかして信じられてない…?
『い、一緒にお風呂入ったりとか?!』
『ウチのお風呂は二人で入れるほど広くないよ…』
「zzzz」
「りょ、リョウさん、起きてください…」
『そこっ! もう練習始めるよ!』
「っは…寝てない、寝てない」
『リョウ先輩の寝ぼけ顔…激写!!』
虹夏ちゃんがリョウさんを引き摺っていき、喜多さんがテンション高くそれに追従し、私もついて行く。
…何か、アレだ。私、戻って来たんだなぁ。
いつもの光景を見て、そんな実感が湧いてくる。色々あったのは昨日だが、今になって気持ちが追いついた感じがした。
『ひとりちゃん? どうかした?』
「あ、いえ。大丈夫です」
『本当? やっぱり伊地知先輩に何かされたんじゃ…』
『そこ、聞こえてるぞー。ぼっちちゃーん、喜多ちゃんの言うことなんて気にしなくていいからねー』
喜多さんが反応のない私を心配して声をかけてくれる。喜多さんも虹夏ちゃんも元々気遣い上手だ。特別私に気を遣っていた訳じゃなくて、二人はこれが普通なんだろう。息をするように周囲を見て、優しくすることができる、その人に合わせることができる。ただ、それだけ。
そうだ。そうだよね。
結局、昨日のことは全ては私の固定観念からくる杞憂だった。虹夏ちゃんや喜多さんは必要以上に私に気を使うなんてことは起こらないし、当然それが原因でバンドが崩壊することもない。
私が案じるまでもなく、この結束は弱くない。それをようやく私は理解できた。
コミュ障でも、陰キャでも、耳が聞こえなくても。
押入れじゃなくても、階段下謎スペースじゃなくても、路地裏じゃなくても。
息が合うんだか合わないんだかは分からないけど、皆と一緒なら。
私は自然体でいられる。
ここが、私の
『ぼっちちゃん? ぼーっとしてるけど、ほんとに大丈夫?」
「あ…はい」
練習機材の設置が終わった虹夏ちゃんが声をかけてくる。確かに少し考えてはいたけど、気分が悪い訳じゃない。むしろ──
「何だか…今日は行けそうな気がします」
肩にかけたギターの重さが心地良い。すーっと深く潜るような感覚。これは、良い流れだ。
「ひとりちゃん、なんかかっこいいわ!」
「エンジンかかった?」
「なら早速始めようか! いい? 行くよ!」
いつものようにスティックを叩いて虹夏ちゃんがカウントする。
そしていつもならそのカウントを食い入るように見ながらギターを鳴らすのだけど、今日はその必要はなさそうだ。
「──」
「「!!!」」
「?」
聞こえる。
ドラムの動きを見るまでもなく、聞いてギターでイントロを奏でる。
かといって走ることもなく、遅れることもない。これなら、もう少し主張してもいい…?
「暗く狭いのが好きだった──」
歌詞部分に差し掛かり、喜多さんの歌が聞こえてくる。
ああ、初めて聞いたけど、喜多さんはこんな声で歌うんだ。イメージしてたのとちょっと違って、でも凄くかっこいい。
そのインパクトに負けないように、歌がない部分ではしっかりと強調して音を飛ばす。
「かき鳴らせ──」
「っ」
サビでは歌を潰さないように、でもギターの主張が消えすぎないように。
音が聞こえるようになったことでいつもよりも気をつけることが増えるけど、不思議と今日は負担に思わなかった。
その難しさすら、面白い。一人でギターを鳴らしているだけでは一生味わえなかった感覚。
ああ、バンドって。
楽しい!!!
以前の練習ではここまでで終わっていた。ろくに合わせができず、この先まで進めなかったからだ。
実はここから先も、このまま合わなそうなら、サビをもう一度繰り返してそのまま曲を終えると言う話になっていた。
けど、今日の私なら!!
「っ!!」
「「!」」
「ぁ──!」
サビの終了直前にギターをかき鳴らし、ちらっと虹夏ちゃんにアイコンタクト。ソロパートへ移行する意思を見せる。
そんな急な転換にもリズム隊の二人はついて来てくれて、喜多さんは一瞬驚きながらも合わせてくれた。
「────!!」
リョウさんが考えてくれたこのソロパートは、全体的に難しい。でもそれも、私なら出来るって信じてくれたんだと考えれば嬉しく思う。
集中するにつれて背中が丸まる。目つきも悪くなっているかもしれない。
9小節目の速弾き、指が追いつかなくなりそうだ。
余裕は無い。けど、何故かここで失敗するイメージが浮かばなかった。
「! っふう────…」
何とかソロを超えた。
「私俯いてばかりだ」
喜多さんの歌がCメロに移る。この部分は、書いた当初はこうなればいいなという願望だった。でも今は違う。
「「それでいい」」
俯いたままでもいい。だって、私は。
「猫背のまま」
「虎になりたいから──!!」
「すぅぅぅぅぅぅぅ…フゥゥゥぅぅぅぅぅ」
無事に曲を弾き終わり、深呼吸で乱れた息を整える。本気になってギターを弾くとそれだけでエネルギーを使い、息が切れる。
で、でも、その甲斐あって、今までで一番良かったんじゃないかな? え、えへへへ
「「
「すぅぅぅぐふえええ!!??」
ゲホッごはっ、な、何事ぉ?! な、内臓飛び出る!!!
左右からの同時衝撃により呼吸が中断されて咳き込む。あ、虹夏ちゃんと喜多さんが飛びついて来たのか、何が起こったのかと思ってしまった。
二人分の体重の乗ったタックルにもやしが耐えられるはずもなく、床に尻餅をついてしまう。あ、あの、抱きつかれてると身動きができないんですけど…
「げほ、ど、どうかしましたか?」
「どうしたもこうしたもないよ! 最高だった!!』
『やっぱり凄いわ! ひとりちゃん!!』
「あ、えへ、ふへへ、あああんまり褒めると、ちょ、調子に乗っちゃいますよ、うへへへ」
「あとはオーディションでそれができればね」
「あ、そうですね、ハイ」
二人からのベタ褒めでいい気分になっていたところにリョウさんから冷ますような指摘が入る。そ、そうですね、これまでの演奏を考えればマグレって事になるし…調子乗ってすみません…。
でも、まだオーディションまで数日ある。今までに比べたら大きな進歩だったし、あとは詰めていけばマグレじゃなくなる…と思いたい。
虹夏ちゃんが私を介抱しつつフォローしてくれる。
『もー今回くらいはいいんじゃない?』
「虹夏はぼっちに甘い」
『でも本当に良かったわ! 初めて私に教えてくれた時よりも、ずっと!』
「あ、ありがとうございます。き、喜多さんの歌も、初めてちゃんと聞けましたけど、凄くかっこよかったです」
喜多さんの歌、本当にかっこよかった。これまで一度もあれを聞かずに演奏していたんだと思うと、かなりもったいなく思う。
これから先、私の耳が良くなったら。普段の会話ももっと自由にできるようになるかな。
『!! 聞こえたの?!』
「あ、はい。も、もっと聞きたかったんですけど、今はもう何も聞こえませんね…やっぱり不便、ですね」
『〜〜! ひとりちゃん! 今すぐ二人っきりでカラオケでも何でも行きましょう!! いくらでも聞かせてあげるから!!!』
「あああいやそそそのしゅしゅしゅ集中しないと聞こえないのででで」
喜多さんに肩を掴まれてそのままガクガクと揺さぶられる。うう、気持ち悪くなってきた…
抵抗できずに顔を青くしていると、虹夏ちゃんが喜多さんを引き剥がしてくれた。
やばい吐きそう。
『ほーら、ぼっちちゃん死にそうになってるよー』
『あ、ごめんなさい! ちょっと興奮しちゃって』
「だ、大丈夫です…うぷ」
『ちょっと、全然大丈夫じゃないじゃん! これ! 袋!』
「あ、りが」
あ。
『ひ、ひとりちゃーん!?!?』
〜〜〜しばらくお待ちください〜〜〜
オーディション当日。
あれから練習を続け、私は皆との演奏の時は、一人の時と同じように集中できるようになった。
合わせ技術もずいぶん上達したと思う。あの日の練習のように完璧に、とは行かなかったけど。
でも、たとえあの時ほどの演奏ができなくても、合格が貰えるラインには到達したんじゃないか…、と言う希望的観測ができるくらいにはなった筈だ。あ、私が緊張して何も聞こえなくなった時は多分無理です…
『ひとりちゃん大丈夫?』
「深呼吸、深呼吸」
「あ、はい…」
既にチューニングは終わっていて、あとは虹夏ちゃんが呼びに行ってる店長さんたちが来たらオーディションスタートだ。
喜多さんとリョウさんが私を気にかけてくれる。そ、そんなにひどい顔してたかな…? つい顔をむにむにと揉んでしまうが、いつも通りの陰キャ顔をしていると思う。
ただ、自分で言うのも何だけど、今日は大丈夫な感じがする。
だってこんなにも──
「ひとりちゃん?」
「大丈夫です」
「!」
よく聞こえる。
暫くして、虹夏ちゃんが店長さんとPAさんを伴ってやってきた。
虹夏ちゃんがドラムを軽く叩いて最終確認をしているのを横目に、一度だけ深呼吸する。
ギターの重さが心地いい。
世界が自分を中心に回っているような感覚。
「じゃ、やる曲名、言って。あとバンド名も」
店長さんが肘をつきながら気怠げに言うが、よく見ればその目は鋭く、真剣だ。
でも、その程度ではもう怯まない。
「はい! 【青春コンプレックス】って曲、やりまーす!!」
虹夏ちゃんが元気よく宣言する。少し緊張しているみたいだけど、表情は笑顔だ。
リョウさんはいつも通り。既に自分の世界に浸っている。
喜多さんは、と視線を向けたところで、目が合った。
「!」
少し驚いていたけど、私にウインクしてくれた。余裕がありそう。
一瞬意識して目を閉じ、そして開く。
その時にはもう、世界はこれまでにないほど鮮明だった。
行こう。
「結束バンドで!」
これにて終わりです。
期間が空いてしまいましたが、待っていてくださった方々、お付き合いいただきありがとうございました。