それに気がついたのは偶然。
ヴェラの年齢を確認するために、
会ったばかりのときは、まだ
宿って、一月くらいだろうか。
だが、あのときは、あえてそれを
なるようになるだろう。
あのときはその程度の、どうでもいいものとして認識していた。
子をおろすことになろうと、子を産むことになろうと、深く関わるつもりがなかったともいう。
変わったのは、ヴェラという盗賊の
川原を
捌いた食材を調理して、食べる方法を教わった。
調理したあとの料理を毎日、
人間の食事が体感、数百年ぶりだったのもある。
教わった分の恩、与えられた分の恩を返すべきだと思ったのは。
二月目。
子を産むのに
と、私は決めた。
住みやすいところを求め、仮の拠点としていた谷底の洞穴を出発する日。
ヴェラは『何か忘れている』と、首を傾げていた。
あれは、いま思い返せば、月のものが来ないことを疑問に思っていたのかもしれない。
三月と半分ほど。
人の
今日、ヴェラに胎の子を産むならいい環境で産んだほうがいい、ということを
そろそろ、腹の
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ギリギリ、家屋で呼べるものができるまで一週間かかった。
岩を積んで作ったから、壁も天井も分厚く、外から見る分には
が、それは見た目だけであり、
ちなみに床はあえて
一つは、
もう一つは、
出入口には、縁側に上がるための階段も設置した。
それに、まだ岩がむき出しの風呂と反対側に
使わないときは、ホコリ
縁側から直接、水を
「マジであたし、ママになるんすねぇ……」
はぇー、とまぬけな顔をするのは、やっと現実を受け入れ始めたヴェラだ。
ここ一週間ずっと、青い顔で震えて腹をさすっている姿は正直、
「いまからでもおろせるが……」
「ほんとっすか?!」
が、最近のヴェラの様子を見れば、必ずしもそうではないのだとさすがに理解した。
いかんな。
前世は長らく鬼だったせいか、命に対する認識が
産めるなら産んでおいたほうが得だろう、というようなことを考えていた。
誰が父親であろうとも。
「いや、でも……。産みますっす、この子」
「いいのか?」
「はいっす……」
これまでついぞ見なかった、ひどく
とりあえず、家は完成。改装は
現在は、
なんといっても、熱水湖を探す最中に
場所は、熱水湖をさらに東に行った岩石地域。
オオトカゲとオオグモがいる地域。
むき出しの
塩があれば食事が美味くなる上に、
干し魚や干し肉に塩をまぶしたり。
保存期間を大幅に
まだ、動ける内に動く、ということで保存食作りはヴェラが請け
ある日、岩塩に続く新たな
ここは大樹に穴を空けて巣にしている蜂の群れ――ビッグツリー・ビーズが頂点に
そう、私が今回、調達しようと思ったのはハチミツである。
ここを探索したときから気になっていた。
あのときは、護らなければならない者がいる状態で全方位から襲い来る無数の蜂を相手にするのは
しかし、内心はハチミツを手に入れるために走り出したい衝動に襲われていたのだ。
身体が栄養として
衝動の
だが、前世の私はいかに
そこで私は自分の状態を
――甘いものを求めるこの衝動は、身体の本来の主のものである、と。
この身体に
それは、ヴェラと初めて
それ以前にも、盗賊の
罪なき者、悪でない者をむやみに
ハチミツなどの糖質や味覚情報的に
仮に私の人格がこの身体を
ならば。
――
――砂漠に、
土には土に合った植物が
いかに前世に積んだ“私”としての経験が強くても、記憶が
である以上は、この身体から発生するあらゆる欲求や心象は無視することができない。
この身体で生きていく以上は、私の心理や性質が変化していくことも、また、
(――ハチミツがほしい)
(――甘いものがほしい)
たったこれだけのことだが、あらためていまの自分のことを見直す、いいきっかけになってくれたな。
(――つまり、甘いものは正義!)
最近、たまに変なことを考えている自分を、なんとか受けいれて、私は
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
高原に家を作っておおよそ、四ヶ月くらい。
訪れた冬は、今のところは手に
一日だけ、高原全体をうっすら
高原の草が
現在はおおむね
ヴェラの腹は、誰にでも一目でわかるくらい膨らんでいる。
あらためて実感するのだろう。
「ほんとにママになるんすねぇ」と、ヴェラはよく言葉にする。
寒くなってきてからは
意識しているのか、意識していないのか。
そうしている姿を見ると、ああこの女は母になるのだなという実感が湧く。
会ったばかりのときの、落ち着きがない娘という印象からは想像もできない姿だ。
「どんな女でも子ができれば、母になるものなのだな……」
暖炉で
「失礼っすねぇ。『どんな女でも』って、どんな女だと思ってたんすか、あたしのこと?」
「すきあらば、欲にかられて、裏切る女」
「ぐぬっ! 否定できないっすけど……?
いや、必要以上にため込もうとまでは考えないっすよ?」
「たとえばここに、不老長寿のくすりが一本だけ――」
「あたしのもんっす!」
「………………」
「………………」
パチパチ。
カッ、カッ。鍋をかく音がする。
フスッ、とヴェラにもたれ掛かって寝ているビビンバの鼻息が聞こえた。
「あ……悪魔のゆうわく、ってやつっすね。ただの人間のあたしには
「……まぁ、人とは、持つべくして欲を持ってうまれるものだからな……」
欲に
仕方ないことだろう。
「それで悪魔さん、いいにおいしてるっすけど、これ」
「あぁ、高原の
「取引?
「ビビンバもそうだが、魔力をおおく宿す生きものは頭がいいことがおおい。
だから、取引をこころみた」
「へぇ~。そんなこと出来るんすねぇ~」
かき回していたさじを持ち上げると、白い液体がとろりと
ハチミツを混ぜて
牛乳だ。
「なんこうしたが、ビビンバを連れていって――」
「
「フスッ?!(寝息)」
「――
「草食っすもんね、あのウシ」
「フスゥ……(寝息)」
「肉食なら、そもそも連れていってないが……。
みずうみに生える薬草と交換で、これからも交換できる」
「おお! それはよかったじゃないっすか! ますます、ご飯がおしくなるっすね!」
「フスッ(寝息)」
今日は、いもと山菜、牛乳とハチミツを煮込んだシチュー。
冬になり、比較的外で活動する生きものが少なくなってからは、食事の用意は当番制になった。
このような環境での出産だ。
子が産まれるまでにできるだけ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さらに半月。
ヴェラがかぜを引いた。
もう、子が産まれるまで一月あるかないかという時期のかぜ。
子も母も命が危うい。
食事は、いもと山菜をハチミツで煮た
のどが
など、気を使ったが、上手くできたとは思えない。
「なんか、焦ってる悪魔さんを見ると幼児いじめてるみたいで、変な罪悪感湧いてくるっす」
そんなうわごとを漏らされた。
いま言うようなことじゃあ、ないだろうに。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
加えて、半月。
もう、いつ産まれてもおかしくないことは、
しきりに胎を
「膨らんだおなかとか、好きなんすか?」
「? 好きもなにも、子をはらめば腹はふくれるだろう……」
「いやぁ、あぁ。今の反応でわかったっす」
「??」
「盗賊に
「断じてちがう。胎のなかの子を見ていただけだ。さいきん、よく足をかくようになったから」
「そんな早口で言わなくても……。
えっと、わかるんすか? そんなこと? おなかの中にいる赤ちゃんが足動かしたとか。
あたしはわかるっすけど」
「わかる……。そうだな、見る、に近いが。わかる、という言葉のほうが適切か」
「マジっすか。なんか、久しぶりに悪魔さんが悪魔らしいところを見た気がするっすぅ」
ヴェラはとても珍しいことに恥じらったよつで、布をかけただけだった腹を、布団の中に隠した。
冬だからか眠っていることが多いビビンバの頭を撫でさする。
ヴェラの体調は
かぜを引いてからずっと、体に力が入らない様子。
一日のほとんどを布団の中で過ごしている。
昼間、外の空気を吸いに一度、起き上がれるだけマシだろうか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今日か、今日かと、毎日、気構えしながら、半月。
思った以上に産まれるのが遅くなった今日。
その日が来た。
湯を。
飲み水を。
寝床の暖を。
などなど、にわか知識で慌ただしく動き回って、ついに。
うまれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「いや~……。マジで、死ぬかと、思ったっすね」
「笑いぐさにもならない」
「フスッ」
「ご心配おかけしましたっす」
ふぅ、と額の汗をぬぐう。
らしくもない、人間らしい
一時は、心臓が止まることさえあったのだ。
死にかけたというのは、全然大げさな話ではない。
むしろ、何度か死んだ、といってもいい。
過酷な出産だった。
息が止まれば魔力を流して肉体を操作し、無理やり呼吸を維持した。
心臓が止まれば魔力を流しこみながら胸を叩いて、血流を維持した。
頭の血管が詰まったのを見て取って、血液を操作して血管を
五度は死線を越えたと断言できる。
これまでかと、何度も思った。
結果はこのとおり。
現在、産後半月。
「いつかの
「いま、聞こうか?」
「やめとくっす。言わなかったから生きれたのかもしれねぇっすし」
「
「でも、生きてるっす。死ぬときは何しても死ぬっすよ。しぶとく生きあがけたのは、
「そんなものか」
「そういうもんっす」
死ぬときは死ぬなら。
最期の言葉を遺そうとしても、遺そうとしなくても、けっきょく死ぬときは死ぬということじゃあるまいか。
とかなんとか、これ以上は話がややこしくなるからやめよう。
ヴェラが言うことではないが、今現在、生きていることがすべてだ。
「
「飯の話っすか? じゃあ、ヘビの肉がいいっす。無性にヘビが食いたい気分っす!」
「フキを採ってくる。消化しにくいものはいま少し、ひかえたほうがよかろう」
「え~」
「フスッ、フスッ」
「ほら、ビビンバもヘビの肉がいいって言ってるっす」
「私にはなにを言ってるのかわからん。――行ってくる」
「行ってらっしゃいっす」
「フスゥ……」
今日の朝。
小川に水を汲みに行くと、野花がチラホラと花を咲かせていた。
冷えた水をかき分けて
春が近づいていた。
サブタイトルの理由はいずれ。
作者は上弦の陸の鬼が嫌いじゃなかったんです。