――長い、長い旅をしてきた。その中で、何度も助けられ、何度も立ち上がり、そして何度も世界を救ってきた。
それが藤丸立香だ。それが私だ。
――けれど。
「じゃあ皆、今日はこの辺で! ネモは私とまだ少し話があるけど、立香ちゃんとマシュは休んでいいよ。ホームズも出来れば残って欲しいけれど」
「ああ、大丈夫だ。レディたちは先に休んでいてくれたまえ」
「はいっ、ありがとうございます! 先輩、行きましょう」
「そうだね。じゃあ皆、お先に失礼します!」
シャドウ・ボーダーの中、割り振られた部屋へとマシュと共に向かう。マシュは廊下を挟んで向かい側。いつでも何かあれば呼んで下さいといつものように言って、マシュは部屋の扉を閉めた。それを確認して、私も自分の部屋へと赴く。ドアノブがいつにも増して重い気がするのを、ただの気のせいだと考えの中から振り払った。
私たちは、世界を壊す旅をしている。一つひとつ、丁寧に。そこに住んでいる人々ごと、粉々に。それは、私たちの世界を取り戻すためという大義名分があるとはいえ、私には、実はそこまで割り切れていないのだ。
だって、そこには文化があった。だってそこには歴史があった。だってそこには住民がいた。だってそこには笑顔があった。それらを一つずつ知って知って知って知って、そうして壊すことを、どうやったら割り切れるというのだろう。
(誰か教えて欲しい、この吐き気を抑える方法を)
扉を開けて、閉める。入った部屋は、かつてサーヴァントたちがくれたもので満ち溢れている。それでなお、ベッドの周りは整っていて、きっと誰かが私のためにそうしてくれたのだと実感する。多分、ダ・ヴィンチちゃんか、マシュか、それとも他のサーヴァントか。その優しさが、酷く、
(
そう、痛い。優しくしないで欲しい。仮にも世界を壊して犯して殺し続けている自分に、与えられるものなどあってはいけないだろうと吐き気がする。誰かが言う。サーヴァントがやったことだと。誰かが言う。これは大義名分があるからと。誰かが言う。だから君は大丈夫だと。
――
……勿論、そんな態度はおくびにも出さない。周りに望まれているのは強いマスターだ。承知している。そんなものはずっとずっと頭にあった。それこそ、カルデアが爆破され最後のマスターになったその時からずっと。だからずっとずっと、強いマスターとして在り続けてきたのだ。たとえそれが、身を守る殻だとしても。
吐き気が止まらない。頭痛は止まない。考えが纏まらない。急に地面がぐらりぐらと揺れるような感覚がして足元が覚束ない。這うようにベッドへと辿り着き、ろくに布団もかけず、倒れるようにして横になる。ぎゅうと目を瞑る。早く夢の中へと辿り着きたい。せめて、良い夢を見ていたい。その一心で、目を瞑り続けた。
いきていたかった。みんなといっしょがよかった。ずっとずっとへいわだとしんじていた。
誰かの声が聞こえる。誰か、ではない。私はもう、その声の主を知っている。
いきていたかった。みんなといっしょがよかった。ずっとずっとへいわだとしんじていたのに――。
一人の声じゃない。数多の声が、合唱のように響き渡る。それは願いであった。それは希望であった。そしてそれは、藤丸立香という名の人間により破壊され怨嗟の声となって響き渡っているだけの呪いそのものだった。
(そうだね、私のせいだ。私の……)
どろどろとした手がどこからか伸びてくる。それは無数の手のひらで、多分自らが奪ってきた命と同じくらいあるのだろうと、ぼうと思った。夢に逃げてもこの通りだ。私にはどこにも安寧などないのだと目を閉じる。もうどうにでもなってくれと、どうせ夢なのだからと、無数の手にされるがままになる。周りはいつの間にか暗転していて、もう何も光のひとつも見えない。そのまま――。
「馬ッ鹿じゃないの?」
どこからか声が聞こえ、物理的に蹴飛ばされた。
■■■
気が付くとベッドから上半身が落ちており、足がギリギリベッドの脇に引っ掛かかっているという、散々たる目覚めだった。立香をそんな風にした張本人――オベロン・ヴォーティガーンそのひとだった。瞳はいつもよりも漆黒に染まり、まるで忌々しいものを見ているかのように立香を見下していた。
妖精王オベロン。またの名をオベロン・ヴォーティガーン。
妖精國ブリテンで縁を結び、何もかもを気持ちが悪いという名目であらゆるものを滅ぼした諸悪の根源。その対象は異聞帯だけでなく汎人類史にも及び、カルデア一行とも一戦を交えた『奈落の虫』。白くふわふわとした王子の殻は、カルデアへ召喚されてから殆ど着ておらず、どちらかといえば本性であるヴォーディガーンの服――黒く刺々しい衣装と手足を見せることが多い。そんな彼にどうやら蹴飛ばされたのだ、腰の辺りが痛い、と立香はその辺りをさすりながらおはよう、とオベロンへひとまず挨拶をしてみる。
「は? 起きて一言目がそれ?」
「いや、普通だと思うけど……」
その言葉に、チッと盛大にオベロンは舌打ちをした。やはり、妖精王の殻を被っていたあの頃とは全く違うと、ぼんやりしながら立香は何とか体制を立て直し、やっとこさと冷たい床に座り込む。
「きみさあ、どこまで阿呆な訳? あのまま夢を見続けてどうなるか解ってた?」
「ええと……普通の夢じゃなかったの?」
「……マジか。こんなのがマスターとはね。俺も大概くじ運悪いよなァ」
ボリボリと髪をかき乱しながら、口悪く首を回してみたり肩を竦めたりするオベロンに、立香はこう聞いてみた。
「あれって、良い夢だったの?」
「……そうだね、とっても良い夢だったとも。起こして悪かったかい?」
にっこりと、どこか口が引きつった顔で王子様スマイルをしてみせるオベロンに、立香はようやく得心がいった。
オベロンは、嘘を吐く。それは意図してそうしているのではなく、彼のクラス、プリテンダーというところに帰結する。自らを隠す殻。それ故にその言動は嘘であり、しかし本当かもしれないという曖昧さを持つ。何もかもが捻じ曲がるそれは、彼にもどうすることも出来ない。そもそも、自分自身すら偽っているのだ。それはそうだろうなと立香は思う。
故に。立香はオベロンのことを、どこか近しいと感じていた。
「そうか、悪い夢だったのか……ごめんねオベロン。わざわざ起こしてもらって」
「……」
オベロンは相変わらず光のない目でこちらを覗き見ている。無表情に近く、どこか人形のようにすら感じられるそれに見つめられ続け、立香は居心地が悪い。せめて何か喋ってくれたらと思ったその刹那、オベロンがようやく口を開いた。
「どうして夢の中で目を閉じた?」
「え……」
立香はその言葉に目を見開いた。確かに、夢の中で自分は瞳を閉じて、無数の手にされるがままになっていた。どうしてそれを知っているのだろう。そこまで考えて、彼もマーリンと同じく夢の中を覗き見ることが出来ることにようやく思い至った。
「もしかして、夢の中にいた?」
「答えろよ、藤丸立香。どうして目を閉じたんだ」
オベロンに疑問をぶつけてみたとて、いとも簡単に跳ね返される。それは答えたくないものなのか、それとも心底どうでもいいことなのか解らなかったが、オベロンは同じことを繰り返し問う。
「どうしてって……」
「あのまま呪いの中に沈んでいくつもりだった? それとも自己犠牲精神か? ああすれば何もかも許されるとでも本気で思ったとか?」
笑わせる。オベロンはしかし、頑なに表情を変えず、唾棄するように言葉を吐いていく。
「ああ、気持ちが悪い。何が『人類最後のマスター』だ。何もかも気持ちが悪い。怖気が走る。そんな称号を大層丁寧に抱え込んで、一体何の得になるって言う訳?」
「……オベロン」
「笑える。これが喜劇ってやつか? その重い称号を抱え込んだまま呪いの中に沈んでいくんだ。誰の手も取らないで、たった一人で死んだような笑みでさあ」
「オベロン」
「何だよ『マスター』? 反論があるなら、」
「もしかして。夢の中で助けてくれようとしていたの?」
「――は、」
立香の頭の中である仮定が組み上がっていく。どうして目を閉じたことを責められているのか。どうして沈んでいこうとしたのか。要は、ひっくり返せば良い。目を開ければ良かった。抗えば良かった。たとえそれが、夢であったとしても、と。
「はは、馬鹿だなあ私」
立香は一人力なく笑う。オベロンの顔が、今は見ることが出来ない。
「ごめんねオベロン。助けてくれようとしてくれていたのに、無為にしてしまって」
「は? 何言ってんの」
「ごめん、ごめんね……」
「……気持ち悪っ……何勝手に謝ってんだか」
しかし言葉とは裏腹に、呆れたようなため息を立香は確かに聞いた。仕方のないやつだと言わんばかりのそれに、肩の力が抜ける気がした。
■■■
――酷い悪夢だと、オベロンは思った。悪ふざけの要領で入った夢は、おぞましさを煮詰めたような色と、空気と、匂いがした。常人ならば発狂してもおかしくないそれに、夢の主はさてどこにいるだろうと目を凝らす。すると、夢の遥か下、うぞうぞと虫のように動く何かに引っ張られるように、立香は更に下へと堕ちていく。近付くにつれ、それらは無数の人の、獣の、そして妖精たちの手であることに、オベロンは思わずゾッとした。気色が悪いにも程がある。だがどうして。
「……何でそんな顔、してる訳?」
夢の主、藤丸立香は安堵したように、良い夢を見るかのように微かに微笑み瞳を閉じていた。もう助けなど来ないと知っているかのように、それが当然だとでもいうように。そんなただの少女の姿にオベロンはヂリと心が焼けるような想いをした。それが何と呼ばれる感情なのか、オベロンは知らない。気持ちが悪い以外の感情を手にしたことがまるで無いからだ。ただ、何もかもを諦めているようなその姿かたちに苛立ったのは解った。
これは夢であるが呪いそのものでもある。どうして少女はそんな簡単なことに気付かないのだろうと舌打ちをして、オベロンは急遽夢から抜け出し、現実世界の少女の背を思い切り蹴飛ばしたのだった。