11月に入っていた。気温もぐんぐんと下がってきて、冬の気配が耳の後ろくらいにまで到達していた。
ホグワーツの周りに張り詰めた湖は、ガラス越しでも見るからに冷え切っていて、彼が「今泳いだら、結構冷たいかもなあ」などと呟いたものだから、周りで聞いていた者たちは急いで暖炉のそばに集まった。
地下室に作られた談話室には、大きな窓が三つ設けられている。
ホグワーツを囲む湖に面したその窓からは、揺らぐ水草や群れをなす魚たち、そしてたまに、大イカがその三つの大窓を右から左へ横切る姿を眺めることができた。
「よくあの黒い湖に体を浸そうだなんて考えられるな」
ブレーズは、全部の窓を眺められる位置の三人がけソファに、ひとりで腰掛ける彼へ背後から声をかけた。
周りの肝を一瞬で冷やし切ってしまったことになど気づいていないのか、振り返った彼は、「やあ、ブレーズ。おはよう」と言って片手をあげる。
「大イカを捕まえてみたいんだ。一緒にトーストを食べながら、湖でぷかぷか浮かべたら、楽しそうだと思わないかい?」
「……全く。
「水中人だって僕らと仲良くしたいと思ってるんだよ。それに、可愛い子がいるかもしれない」
「あのな、顔が良ければいいってもんじゃ無いんだ。一生を水中で添い遂げるのはごめんだね」
呆れたように、ブレーズが頭を振った時だった。遠く――寝室の方で、バンと何かがぶつかるような音が聞こえて、二人は目を見合わせる。
「今の音は?」
「僕たちの皇帝が目を覚ましたのかも」
聞いて、ブレーズは両手を上げた。視線をぶれさせないまま、一歩一歩後ずさる。
スリザリンの談話室は、一つ所に立てば、そのほとんどを見渡せてしまう。つまり、寝室と談話室との境目だ。
ブレーズはそこからの景色を頭の中に思い浮かべながら、ちょうど体が隠れる壁のそばへにじり寄った。
「おはようの挨拶をしていきなよ」
「今朝もあの愚痴を聞かされるぐらいなら、オレは毎日の紅茶に砂糖を入れなくたって構わない」
ハロウィーンのトロール騒ぎは、その後寮で引き続き開かれたパーティーで幾分か楽しさの上塗りがされたようで、もう誰もその話をしているものはいない。
最近のみんなの話題は、もっぱらクィディッチについてだ。
何より、あのハリー・ポッターがクィディッチの最年少シーカーに抜擢されたという
ドラコひとりだけが、ハロウィーン前に巻き戻ってしまったかのように、
どんどんどんと、荒々しい足音を立てながら、大窓から差し込んだ光にひとり照らされている彼の元へ近づく。
「おはよう、ドラコ。……ちょっとは落ち着いたらどうだい」
「落ち着く? ああ、落ち着いているさ、これ以上ないぐらいね」
向かいのソファに、ドラコがどかりと腰掛けた。
彼が杖を振る。テーブルの上に行儀よく並んだ紅茶入りのカップたちをみて、ドラコはようやく、喉に詰まっていた息を全て吐き出した。
「ミルクは?」
「いらない」
答えて、シュガーポットの中から取り出した角砂糖をどぽどぽとカップの中に放り込む。
「溶けなくなるよ」
彼の言葉が右から左へ素通りする。
ドラコが取り合わないことに立腹したのか、彼はふらりと立ち上がって、ドラコの視界から消えた。
機嫌を損ねたのだろうか。
心の中に生まれた不安感を流してしまうように、カップの中の紅茶を勢いよく煽る。
彼の言った通り、溶けきらなかった砂糖が、ジャリジャリとした不快な食感と共に舌の上に残った。
ドラコはまた、胸の中にむしゃくしゃした思いを募らせる。苛立った考えが次から次へと、頭の中に溢れ出すのだ。
元はと言えば、あのハリー・ポッターが退学にならず、クィディッチの最年少シーカーなんかに抜擢されてしまったのが間違いなのだ。
ポッターがシーカーならば、僕もシーカーになるべきだった。
彼だって僕の態度に腹を立てるなら、そんな原因を作ったポッターにこそ、腹を立てるべきだった!
ああ、耳に入る音全てが騒々しい。さっきから後ろもカラカラとうるさいし――カラカラ?
ドラコは振り返った。
背後に置いてあったいくつかの立派な地球儀を、特に楽しむ様子もなく回し続ける彼の姿が、そこにはあった。
「……何をしているんだ」
「あ、やっとこっちみてくれた」
ドラコが声をかければ、彼の手がぴたりと止まる。と同時に、回り続けていた地球儀たちも、同時に回転を停止させた。
「僕の気を引こうとでもしたのか? だったら――」
「ドラコの、気を引く? どうやったら気を引けるの?」
「だから今、何日分も地球を回転させていただろう」
「…………本当だ。無意識だったよ、癖なんだ」
いつも通りの飄々とした口調で、彼はそういった。
ぽんぽんぽんと頭から、怒りに任せた突飛な思考が吹っ飛んでいく音がした。ふう、とため息を吐く。
「紅茶、淹れ直してくれ」
「仰せのままに。僕になら、どんな愚痴でも話すといい」
「これが最後さ」
――来年は必ず、僕がシーカーになるのだから。
「僕の中の『ホグワーツにおける基本的生活』には、クィディッチの文字はないんだよ。――箒は大好きだけど」
一通りの話を聞き終えても、澄ました顔の彼に、「君もシーカーになりたくないのか」とドラコが問えば、帰ってきたのはこんな言葉だった。
ドラコは目を丸くかっぴらいて、顔の筋肉全てを用いて『ありえない』を表現する。
「クィディッチの無いホグワーツなんて、シロップのかかっていない糖蜜パイのようなものだ!」
「……驚いた。君がそこまで声を大きくするなんて、よっぽどクィディッチにご執心らしい」
彼は、サクサクとした食感だけのパイを思い浮かべて、初めてその表情をげんなりとさせた。
一度目の学校生活を思い返す。
クィディッチのシーズンは、一年の休暇を経て彼が6年生の時に復活した。
その時のシーカーも確か、ハリーと同じように、一年生が最年少シーカーとして抜擢されて――あれは、誰だったのだろうか。
箒で自由に飛び回る方が彼には向いていたのか、クィディッチの試合にはほとんど顔を出した記憶がない。
試合がある日は授業が休みなのをいいことに、少し遠くの方まで足を伸ばしていたぐらいだ。
競技場など、箒レースをする時ぐらいしか、まともに飛び回ったことは無いのではないだろうか。
確か、あの年優勝杯を手にしたのは、グリフィンドールだと聞いたような、そうでないような。
思い出そうとしている間に、ドラコが立ち上がった。
「わかった。来年を楽しみにしておけ。僕がシーカーになって、君に本物のクィディッチってやつを見せてやる」
「ああ、期待しているよ」
偽っている今の年齢と全く整合性が取れない話を、わざわざする必要もない。それに、披露するにはあまりにもあやふやな記憶だ。
今から来年のクィディッチの試合を夢想しているドラコが微笑ましく、彼は緩んだ笑みを隠すことができない。飛行訓練でのドラコの箒捌きはなかなかのものだし、彼がシーカーになる、というのなら少し待ち遠しくもあった。
飛行訓練――そういえば、と彼は思い出す。
「確か君は、マグルのヘリコプターを間一髪で避けることができたんだもんね。素晴らしい操縦技術だ」
「フン、当たり前だろう」
「ところでこの話、いつも避けれた――ってところで終わってしまうけれど、その後はどうなったの?」
ドラコはカップを傾けた。
***
「特訓をしよう、ドラコ!」
その日の夜だった。
夕食を終え、寮へと戻り、その扉を開くための合言葉を口にしようとしたところで、それよりも早く、彼がそう言った。
いつもよりも、数段声のトーンが上がっていて、とてもいいことを思いついたのだ、と言った様子の彼に、ドラコは抵抗する暇もなく手をひかれ、歩き始めた。
「特訓、だって? 一体何の……君も箒に跨りたくなったか?」
「クィディッチのじゃない。まあ、君に特訓してもらうのも、とても楽しそうだけれど……それは来年まで取っておこう、せっかくだしね」
寮の扉が遠ざかっていく。
どこを目指して歩いているのかに気づけたのはしばらく経ってからのことで、彼の足はどうやら、時計塔の方へ向かっているようだった。
完全に、他の生徒たちの流れに逆行している。
このまま、消灯の時間を過ぎてしまったらどうしようか――まあ、彼と共にいれば、フィルチも、ミセス・ノリスもピーブズすら、恐れるものではないか。
彼の足取りは軽く、どこか浮き立っているように見えた。
食事中に思いついたのだろうか。いつもより、口数が少なかった気も、しないでもない。
時計塔の入り口へと辿り着いて、彼の歩みはそこで止まった。生徒の姿も、教師の姿もない。二人が来たことで舞い上がった細やかなほこりが、中庭から差し込む月明かりを反射してキラキラと光っている。
部屋の中央では、大きな振り子が右へ左へと揺れていた。頭をぶつけるほどの高さではないが、その迫力はなかなかのものだ。
ドラコはその振り子を、少し大きく回り込んで避けながら、開けた場所へ進んだ彼の後を追う。
「杖十字会はあるのかな。ないなら僕が作ってもいい、ルーカンの理念をきっちり受けつごう。特別で非公式だ、絶対に楽しいよ、君も気にいるはずさ」
辺りを見渡しながら、嬉しそうに彼は言った。
聞き慣れない団体名に、ドラコは首を傾げる。
「杖十字会? なんだそれは」
「聞いたこともないか、残念だな。招待制の決闘クラブだよ」
「知らなくて悪かったな」
「君を責めたわけじゃない。名が轟いていないことが、少し寂しかっただけさ。……いや、一応
彼の言葉運びがつかみきれず、ドラコは顔を顰めた。
「本当は、もっと大々的に――広く人数を募って、密かに開きたいものなんだけど」
「矛盾して無いか?」
「まだ僕たち、一年生だしね。他の学年まで話を広げるのは、僕たち自身がもう少し学年を重ねてからの方が良さそうだ」
僕
「まあ、まずは一年生だけでも構わない。ほら、彼らはクィディッチの試合に出られないだろう? 選手たちが練習に費やす時間を、呪文の研鑽に費やしたって良い」
そもそもはその
トーナメントを駆け上る清々しさを共有したくもあるけれど、まずは決闘という形式を、一年生の子どもたちに馴染ませるところからだろうと、彼はひとりで頷く。
最終的に目指すところは、一年生の範疇とやらの底上げなのだから。
ドラコは、辺りを見渡す。
大きな通り道から見える中庭。少し前まではハロウィーンの装飾がされていたが、すっかり片付けられていた。
そこから真っ直ぐ反対側を見れば、きらびらかなスタンドグラスに彩られた壁が、ずいぶん高くまで伸びている。
「ここが競技場に?」
「ああ。それなりに広くて、足場がしっかりしていて、教師たちが通りがかりにくい。あと――」
言いながら、彼は杖を取り出して、ドラコから離れたところへその先を振るった。
杖先から閃光が飛び出したかと思えば、空気を切るような音がして、着弾した壁が弾けるように焼ける。壁はシュウ、と煙を吐き出したかと思うと、焦げ跡は周囲からみるみる修復され、何事もなかったように元の――綺麗とまでは言えないが、埃で薄汚れた――壁へと戻っていた。
「――基礎攻撃呪文ぐらいじゃ、痕跡すらも残らない。下手に森で炎でも出してしまったら、教師方に大々的に宣伝することになってしまうしね。……まあ、この強度は、ホグワーツじゅうどこへ行ってもこうなんだけど」
「なるほど。君の言いたいことは理解した。それで、尋ねたいんだが」
「構わないよ、なんでも聞いて」
「僕たちに、どうやって決闘させるつもりなんだ?」
どうやって、と聞かれて、彼は首を傾げた。
それはもちろん、トーナメント形式で、要望があるならば複数人でグループを組んで、パートナーと共に優勝を目指すのだ――彼はセバスチャン・サロウやナツァイ・オナイとパートナーを組んで決闘に参加した思い出を振り返り、目を細めた。
当時、闇の魔術に対する防衛術の教授を務めていたダイナ・へキャットに促され、知り合ったばかりのセバスチャンから『特別で非公式な秘密の決闘クラブ』についてを聞いた時の、あの高揚感が、胸を撫でる。
三つ子の魂百までなんて言葉はまるっきり、彼の性質を表していた。結局のところ、人は一度味わった昂ぶりを、そう簡単には忘れられないのだろう。
規則の隙間を縫って集まり、教師の目を盗み、勝敗の行方に一喜一憂する――それこそが彼の『ホグワーツにおける基本的生活』に、堂々と書かれたうちの一文で、ほんの少しの危うさが、妙に胸を躍らせる魅力そのものだった。
「口伝えの噂話で広がっていくのが理想的だね。誰にも言ってはいけないが、特別に君にだけ伝えよう。秘密の決闘クラブがあるらしい――なんて、とても惹かれるだろう?」
「じゃあ試しに……クラッブとゴイルは、僕が声をかければついてくるだろうな。セオドールは……まあ一回ぐらい誘ってみるか。女生徒の方にも広げたいなら、ブルストロードあたりを呼んでみたらいい」
「ブレーズは?」
名が挙がらなかった残りひとりの同室者のことを、彼は少し考えた。
ドラコはかぶりを振る。
「あいつは興味ないだろう」
「そうかな?」
「僕に」
彼はただ、両手を上げた。
***
その日のドラコは、朝から過剰に前のめりだった。
珍しく、同室の誰よりも早く目覚めていて、起きたばかりの彼の腕を引いて大広間に向かっては、皿の上に存分に持った朝食を平らげた。
機嫌がいいのか、それともむしゃくしゃして暴食に走っているのか、彼には見分けがつかない。
どう言うわけか、辺りを見渡すと、みんながみんなソワソワとしていた。
「みんな、どうしたんだい? 今日って何か、楽しいことでもあったっけ」
「……僕はもう、君の興味の失せように感心すら覚えるね」
声を潜めて問いかける彼に、ドラコは呆れ顔で答えた。
「今日は、あのポッターが無様に箒から落ちるのを鑑賞する日さ!」
ああ、なるほど、と彼は頷く。
気づけばもう、スリザリン対グリフィンドールのクィディッチが行われる日になっていた。
十一時ごろ。彼はドラコにガッチリと片腕を固められ、あれよあれよと言う間にクディッチ競技場まで辿り着いていた。
周囲の熱気は凄まじく、観客席にぎゅうぎゅう詰めになっているのはどこの寮も同じだった。皆が一番いい席で、一番いい位置で眺めようと動くせいで、一箇所にとどまって観戦できるような生徒はいないとすら思える。手に双眼鏡を携えているものも何人もいた。
彼は、広々と座る教師たちの席を見て、いっそのことネックレスを外し、正体不明の来賓としてあそこに並びたいと考えていた。
グリフィンドールの観客席では、『ポッターを大統領に』の旗がいろんな色で光りながら点滅していた。
両チームの選手たちが並ぶ。マダム・フーチの笛で、みんな一斉に飛び上がった。
試合開始だ。すぐさま、実況の声が会場全体に轟く。
「さて、クアッフルはたちまちグリフィンドールのアンジェリーナ・ジョンソンが取りました――なんて素晴らしいチェイサーでしょう。その上かなり魅力的であります」
「ジョーダン!」
「失礼しました、先生」
マイクを握っているのは、グリフィンドールの三年生、リー・ジョーダンだった。
あの入学式の日、けむくじゃらのタランチュラを汽車に持ち込んでいた少年だ。何度か、言葉を交わした記憶がある。
少し前に、隻眼の魔女の後ろの抜け道を教えたら、ずいぶん喜んでくれたことを思い出した。確か、ドラコがハリーに嘘の決闘を仕掛ける、前の前の日のことだ。
過去、あの抜け道の存在を彼に教えてくれたのは、ギャレス・ウィーズリーだった。ギャレスの叔母であるマチルダの監視の目を掻い潜るため、彼が代わりにビリーウィグの針を取りに行ったのだ。
リーは、ロンの兄の双子――フレッド・ウィーズリー、ジョージ・ウィーズリーと仲が良いと聞く。
回り回って、ウィーズリーの名の下へ帰って行ったのかもしれないと、そんなふうに思った。
「見ろ! あれがクアッフルだ。ゴールを通ると得点になる! ああっ!」
ドラコは彼の隣で、クィディッチの説明を盛んにしていた。指先で示しながら、選手たちのポジションと、コート内を右へ左へ上へ下へと動き回るボールの名前を、彼に叩き込んでいく。
特別、クィディッチのルールについて無知なわけではなかったが、うんうんと頷きながら説明を聞く。ドラコが饒舌になるこのやり取りが、彼は随分お気に入りだった。
飛び交うクアッフルの奪い合い、チェイサー同士の追走、ビーターが打ったブラッジャーが、クアッフルを抱えたチェイサーにまっすぐ襲いかかる――スピーディな試合様相は、なるほど確かに、見ていてずいぶん面白いものがある。
アンジェリーナが投げたクアッフルが、キーパーの努力虚しくゴールの輪を通り抜けた。グリフィンドールの先制点だ。ドラコが大きく悲嘆の声をあげ、すぐさまスリザリンの観客席からヤジが飛び出す。
彼はコートの全部を眺めた。
双眼鏡でクアッフルの動きを追うのも楽しそうだが、全体を俯瞰して見れることも、高い場所に設けられた観客席の楽しみの一つだ。
ボールに触れていない選手も、自分の働きを全うしようと動き回っているのが面白い。それに、各々の動きに、寮の特色が出ている気がした。
また、グリフィンドールに得点が入った。これで20対0だ。ヤジや激励がブラッジャーに負けない勢いで飛び交った。
「くそっ、また取られた!」
「いいや、まだまだ。スニッチがまだ見つかってないよ」
ドラコは、おや、と片眉を上げた。いつの間にやら、彼が前のめりになっている。
コートの中をぐるぐると見渡して、何かを探しているように見えた。
いや、何か、なんて推測する必要はない。クィディッチの試合中に探すものなんて、たった一つに決まっている。
「あった!」
「ちょっと待ってください――あれはスニッチか?」
彼が声をあげたのと同時、リーの実況が響き、観客どころか選手まで、競技場にいる全員の視線が一箇所に定まった。
クアッフルを持っていたエイドリアン・ビュシーの左耳のすぐそばを、金色の閃光が凄まじい速度で通りすぎる。今が夜なら、流れ星と見間違ってもおかしくない。
金のスニッチだ。空高く飛んでいたグリフィンドールのシーカー、――ハリー・ポッターが、急降下してスニッチに迫る。スリザリンのシーカー、テレンス・ヒッグズもスニッチの行方を捉え、ハリーと一進一退の攻防を繰り広げ――
「わ」
驚いた彼の声を掻き消すように、一際大きなブーイングが、グリフィンドールの観客席から上がった。
スリザリンのキャプテン、マーカス・フリントのラフプレーだ。ハリーが大きく体勢を崩して、あわや落ちそうになる。
ギリギリ箒にしがみつき持ち直したハリーに、彼はヒュウと称賛の口笛を送った。
「すごい操縦技術だ! ハリーとレースできたら楽しいだろうなあ」
「フン、僕だったらあんな体当たりは避けて、とっくにスニッチを捕まえていたさ」
ドラコは面白くなくて、憎々しげにつぶやく。
グリフィンドールのペナルティー・シュートだ。アリシア・スピネットが投げたボールがまっすぐゴールして、みんなの視線がまたクアッフルに移る。
彼の目は、まだハリーの姿を追っていた。体勢を立て直し、スレスレで迫るブラッジャーを避けたその時――突然、ハリーの箒が横にブレた。
まるで、コントロールを失っているようだ。
彼は息を呑む。
周りの喧騒をよそにやって、心の中で静かにつぶやいた。
(――レベリオ)
眼前が歪んで、魔力の痕跡がハイライトされるように、彼の視界に光って映る。
チラチラと凄まじい速度で動く黄色の光は、きっと金のスニッチだ。
これではない――彼は、視線を外してハリーの箒へ目を向ける。
赤い。
赤い光が、点滅するように箒に纏わりついていた。
光が一層強くなるたびに、箒がハリーを振り落とさんばかりに暴れ回る。
何者かが、ハリーの箒を闇の魔術で操っている。そう確信に至るに、十分な情報だった。
彼は、ハリーの姿を見ながら笑い声を上げるドラコの肩を叩いた。左側の口角が上がりきった顔が、彼に向けられる。やっぱり意地悪だな、と思いつつ、彼は尋ねる。
「ねえ、ドラコ。ここ百年で、ルールが変わったりした? 観客が箒に魔法をかけて良いとか」
「良いわけないだろう」
彼は視線を、観客席の方に向ける。
「――教師でも?」
「なんだ、それ。……まあ、よほどの惨事になったら、杖を振るうんじゃないか? ホグワーツではまだ、クィディッチで死んだやつは出てないって話だ」
「…………クィディッチって、人が死ぬような競技なのかい」
「……ものの例えだ」
あからさまに誤魔化している。
まあ確かに、危険な競技であることは見るからに間違いがなかった。
ドラコは、クィディッチが危険だとわかれば、彼は興味を失ってしまうとでも思ったのかもしれない。実際は、まさしくその逆だったのだが。
けれど、と彼は、教師席で赤く光るシルエットを見て、落胆する。茶々を入れてくる教師がいてしまっては、競技を最大限楽しめない。
観客たちの注目を一身に集めているハリーはかろうじてぶら下がっているだけで、今にも箒から落ちてしまうそうだった。
下で、フレッドとジョージが旋回して、ハリーが落下した時の準備をしている。マーカスがその隙に、一人で50点も稼いでいた。
彼はその様子を眺めてから、ハリーの箒の方へ、その意識を集中させた。瞬きをやめ、暴れる箒から視線を外さない。
静まり返り、緊張感にあふれた観客席で、杖を出すのも、呪文を発声するのも賢明ではなかった。
(――フィニート・インカンターテム)
赤い光が点滅をやめ、パチリとかき消えた。
箒がその動きを止める。ハリーは、箒の動きが完全に止まったことを理解したのか、もう一度、箒へ跨り直した。
また灯り始めた赤い光が、今度は直ぐに消え去る。彼は思わず、目をぱちくりさせた。どうやら、彼と同じように、反対呪文を唱えているものがいたようだ。
そういえば、光は何故か点滅していたことを思い出す。もう一人がいなければ、ハリーは早々に墜落していたかもしれないと、彼は身震いした。
突然、教師席の方の赤い光までもがかき消えた。周りの人混みに埋もれてしまったかのように、見えなくなる。
すぐさま、続くように今度は、赤い炎が上がった。
スネイプのローブの裾が燃えている。
「……観客が観客へ魔法を使うのは、オーケー?」
「試合に関係なければ、まあ、良いんじゃないか」
ハリーが持ち直したのが気に入らないのか、ドラコの声は酷く無愛想だ。
彼は軽く笑って、コートの方へ視線を戻した。
ハリーがぐんぐんと垂直に落下していた。けれども今度は、操られているわけではない。ネビルの思い出し玉をキャッチした時のような、鋭い急降下だった。地面スレスレでとどまったハリーは、自分の口を素早く押さえ――
――ハリーがスニッチを吐き出して、試合が終了した。