蛇寮の獅子   作:捨独楽

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暗雲立ち込める光陣営。
一方の闇陣営も順風満帆というわけではなく……。

今回は原作の闇の呪文の三種の神器のうちいまいち影が薄いクルシオについて掘り下げようと思います。


この世で最も愚かな選択

 

 魂を破壊され、己の本当の名も記憶も失った魔女。アグリアス・ベオルブ改めメリアドールは、レストレンジという小柄なブロンドの魔女と親しくなっていた。アグリアスはマルフォイ邸の地下に与えられたレストレンジの部屋で、ハーブティーを馳走になっていた。

 

 メリアドールは知らないことではあるが、その魔女……レストレンジは、ベラトリクス・レストレンジやロドルファス・レストレンジの親戚ではない。彼女はアウラという指名手配中の魔女である。アウラはベラトリクスの下につけられ、彼女からレストレンジとしての偽名と、様々な雑用を押し付けられていた。

 

 いわば、お互いの本当の名前を知らない名無しの魔女同士。彼女達は闇陣営にあって奇妙な友情を構築していた。

 

「ふむ……ベラトリクス様はまた新しい魔法使いの拷問に躍起になっておられると?」

 

「ええ。……拷問にかけられている方も、早く諦めて帝王様に屈して欲しいと思っています。そうすれば苦しまずに済むのに……」

 

 メリアドールはハーブティーに口をつけると、それが当然というふうに話す。今ではメリアドールは、一刻も早く魔法使いがヴォルデモートへと頭を垂れることを望んでしまっていた。

 

 メリアドールは闇陣営に拉致されたヒーラーとして、不本意ながらも闇陣営の治療にあたっていた。闇陣営のデスイーター達もオーラーやオーダー相手に無傷で生還できるわけではなく、最悪の(英国魔法界にとっては最良の)場合は帰ってこず、ヒーラーとして最悪の場合は遺体となって、或いは大怪我をして帰還する。

 

 遺体となったデスイーターは、魔法界の葬儀会社によって厳粛に式が執り行われる。

 

 そういう仕事とは別にメリアドールが心を痛めている、否、魂を傷つけていることがあった。

 

 闇陣営の拠点としているマルフォイ邸において、日夜行われる拷問である。

 

 拷問は主にクルシオ(磔)によるものだ。人間が死に至るであろうあらゆる痛みを精神と魂へと与え、肉体には一切の傷を残さない。それはマグルが見ればカースによる肉体的な不可逆の変容に比べれば優しくに見えるかもしれない。

 

 しかしクルシオの本質は、魂の殺人である。人は、苦痛には耐えられない。それが死の苦痛なら尚更である。クルシオは、死に至るまでの過程を追体験するような地獄の魔法なのだ。

 

 強靭な精神を持ち、訓練した人間ならば、戦闘の最中に放たれたそれに耐えることはできるだろう。しかし、一瞬の苦痛に耐えることができたとしても、それが終わりなく折れるまで続けられたときはどうであろう。その苦痛が、毎日毎日何時間も続けられたら。その痛みに果てがないとしたら?

 

 ……人は、以前のような精神状態でいることはできない。

 

 アグリアス・ベオルブという一人の魔女が己の人格や記憶全てを放棄してしまうように。フランク・ロングボトムとアリス・ロングボトムが己の尊厳全てを放棄してしまうように。人間が耐えられる苦痛には許容量があるのだ。

 

「……ベラトリクス様はなぜあの様になさるのでしょう……」

 

 メリアドールは、前線に出ることが叶わないベラトリクスが己の憂さを晴らすためにマルフォイ邸にて日夜拷問を繰り返していることを知っていた。思わず口から出た本音にはっとする。

 

 まだ成人してもいないマグルの女子供、訓練された闇祓い、魔法省の職員や家族、老人。マグルや魔法族を問わず行われる拷問に、メリアドールは顔を背けた。しかし彼らの悲鳴から耳を逸らすことはできず、彼らの受けた魂の苦痛を和らげることはヒーラーの魔法でも叶わない。

 

 しかしその嘆きがベラトリクスの耳に入れば、ベラトリクスは拷問の矛先をメリアドールに向けるだろう。分を弁えない部下を、闇陣営最強の魔女は許さない。絶対に。

 

「……妾であれば、レストレンジ様の前では表情を消しますが」

 

 金髪の同輩は、メリアドールと同じく闇の印を与えられてはいない。そのため、メリアドールとは話を合わせていた。

 

 闇陣営は階級社会である。ヴォルデモートを頂点とした集団は、上の者が下の人間を虐げることによって存続する封建主義社会の悪癖を体現している。そういう環境においては下の階級の人間の団結による叛乱を防ぐために、同輩達の間でも蹴落としあい、時には密告をさせ互いに疑心暗鬼を誘発して反乱できない環境を作り上げるのが常である。

 

 しかし、アウラにもメリアドールにも反乱の意思など無かった。アウラにとってはそのメリットがなく、メリアドールには反乱を考えられるような精神的な余裕などなかったからだ。

 

「表情を?」

 

「ベラトリクス・レストレンジ様は、貴女が心を痛め苦痛に歪む顔を見て楽しんでおられると妾は思うのです。貴女が拷問で傷ついた魔法使いを治癒していることを知って、ベラトリクス様は益々熱を上げておられるご様子で」

 

「……まさかそのようなことが……あのベラトリクス様に限ってある筈もありませんが。心に留めておきます。ありがとうございます」

 

 メリアドールにも思い当たる節はあった。これまで肉体的拷問によって傷付いた魔法使いや魔女を、彼女はヒーラーとしての技術を駆使して治癒してきた。その際にメリアドールはヒーラーでありながら闇陣営に属する裏切り者として罵倒を受けたし、治癒した人間から直々にもう自分を治癒しないでくれと懇願されもした。

 

 ベラトリクス・レストレンジを始めとしたデスイーター達がそんなメリアドールや屋敷に招かれた人さらいの姿を一種の娯楽として見ていたことは間違いない。

 

 悲惨なのは、メリアドールが怪我人を治癒し優しい言葉をかけることで、心が折れて闇陣営に膝を屈する魔法使いもいたことである。死に至るまで苦痛を加えられるだけの人生に比べれば、苦痛を与える側に回るほうがマシだという判断で。メリアドールは自分が闇陣営を増幅するシステムの一部となっている現実を認識して、しかし、もうどうにもならなかった。

 

 

 ベラトリクス・レストレンジに限らず、デスイーターは総じて例外なく卑劣である。弱者に対しては容赦がなく、弱者を虐げることで己の立ち位置を確保する人間の集まりである。

 

 そしてメリアドール自身、自分もそんなデスイーターと何ら変わりはないと考え、心が折れ諦めていた。クルシオによって魂と記憶を喪失し自己のアイデンティティすら曖昧な彼女にとって、記憶とは闇陣営によって重ねた治療行為、すなわち『悪事への加担』にほかならない。メリアドールという人格が発生してから、彼女はベラトリクスから拷問され、デスイーターに加担しヒーラーとしての任務に従事した記憶しかない。無垢な赤子が悪事に携わり続けたようなものであった。

 

「……では……私は患者の治療に戻らせていただきます。招いてくださってありがとう」

 

「お待ちなさい」

 

 と、レストレンジはメリアドールの手を取った。レストレンジの手には皺が刻まれており、厚化粧では誤魔化すことのできない年齢を感じさせていた。

 

「メリアドール。貴方は近頃は根を詰めて働き続けていたのでしょう?もう少しだけ、妾の質問に付き合うという体で身体を休めることも必要ですよ。患者が途切れることはないけれど、貴女の身体は一つだけなのですから」

 

 まるで母親のような優しい笑みで、レストレンジはメリアドールへと着席を促す。メリアドールは断らなかった。

 

「私に聞きたいこととは?」

 

「昨夜、デスイーターの皆さまが帰還されました。ヤクスリー様を含めた数名しか帰らなかったとデスイーターの皆さまが噂をしておられます。貴女、何かご存知ではありませんか?」

 

「……いえ……私は何も存じません」

 

 そう言ってメリアドールははぐらかそうとする。しかし、そんなメリアドールの瞳には動揺が走る。

 

(……!!!)

 

 レストレンジは、メリアドールの瞳に浮かんだ恐怖心を見逃さなかった。レストレンジの脳裏に、昨晩メリアドールが見た光景が詳細に浮かび上がる。

 

 レストレンジことアウラは、レイブンクロー出身の魔女であった。彼女は知的好奇心が強く、知るべきではない知識にすら手を伸ばしてしまう危うさがあった。

 

 その危うさのせいで、育てた子供に裏切られアズカバンへと投獄された過去を持つ魔女は、己の好奇心に打ち勝つことは出来なかった。レイブンクロー出身者が必ずしも学習能力……すなわち、己の過ちを顧みて反省する能力……が高いとは限らない。アウラはアズカバンに放り込まれてなお、その欠点を消すことは出来なかった。

 

***

 

 メリアドールは昨晩、いつものようにデスイーターの拷問によって傷付いたマグルの治癒にあたっていた。

 

 そのマグルは、魔女と結婚したまだ二十代後半になったばかりの男性であった。彼はマグルの社会では若くして起業し、一定の成功をおさめた成功者であった。社会的地位と経済力のある新進気鋭の男は、自分と付き合い始めた女性が魔女であるとわかっても気にしなかった。マグルか魔女かより、自分にとって大切と思える人間かそうでないかが男が配偶者を選ぶ基準であった。男と魔女が恋仲から婚約に至り式を挙げるまで時間はかからなかった。

 

 その男はベラトリクスの拷問により、片手の爪を全て剥がされ、もう片方の手は小指を無残に折られていた。ヒーラーが使用する治癒魔法によって治療されたとき男の目に浮かんでいたのは、魔女という存在に対する絶対的な恐怖であった。

 

「……私が悪かった。わ……私が間違っていました。……もう……もう……魔女に関わろうなんて思いません。で、ですから……私だけでも解放してください。お願いします、お願いします……」

 

 メリアドールは男の頼みにに答えられない。男が解放される日など来ないことを知っていた。男は単にベラトリクスのお遊びで生かされているだけである。

 

 男の配偶者はとても優秀な魔法生物学者だった。結婚を機にキャリアを引退したが、男を人質にすることで無理矢理闇陣営に協力させているのだ。

 

(む……これは……ベラトリクス様が言っていたゲームの玩具の男か……)

 

 メリアドールは知らぬことではあるが、レストレンジことアウラは男が人質として囚われ、ある余興の玩具になっていることを知っていた。他ならぬベラトリクス自身から聞いたのである。

 

 配偶者の魔女に対して、種馬の男を人質に取ることで、闇陣営に従わせる。闇陣営の仕事に加担させ、魔女が罪を重ねて後戻りができなくなったところで、心がへし折れた男をその魔女の前に出す。

 

 心が折れ、魔女が怪物にしか見えなくなった男の言葉を配偶者の魔女に聞かせた後で、男を殺害する。そういう陰湿極まりないゲーム。一種の娯楽のためだけに生かされているだけで、男には解放され、妻や魔女のことなど忘れて自分の人生を歩むという未来は存在しないのだ。

 

 アウラにとってはそんなゲームに意味は感じられない。が、ベラトリクスの機嫌を取るために追従している。拷問に加担するとベラトリクスは機嫌を良くするので、マグルの存在には感謝していた。

 

(まぁどうでもよいことであるな!所詮腐るほどいるマグルじゃし!)

 

 とはいえ、アウラにマグルを助け出す気は欠片もない。

 

 アウラにはメリアドールのような良心はない。拷問され傷付く人間を捨て置けず治療するようなことはしない。ましてやマグルなどもってのほかだ。単純に、アウラにとってはマグルには研究素材としての価値がない。アウラにとっては生かす意味もとくにないのだ。

 

 メリアドールが男の治癒を終え、別の患者……両親のもとを拉致されたマグル生まれの魔女の少女……が閉じ込められた牢屋に足を運んだとき、別の牢屋に入れられた老人がメリアドールを罵倒した。それに呼応するかのように、牢屋に閉じ込められた者達の中でまだ気力が折れていない人間達もメリアドールを罵倒した。

 

「さっさと殺すがいい、デスイーターめ……」「くたばれ、偽善者が……」

 

 メリアドールがそんな声を意に介さず治療行為を行おうとしたとき、大声でメリアドールは呼びつけられた。。

 

「ドール!ドール!!どこにいる!私の人形(マイドール)!!来い!!今すぐに来い!さもなくば殺す」

 

 要請の中に殺害予告が混じるより遥かに早い段階で、ほとんど反射的にメリアドールは反応し、くるりと踵を変えて声のもとへと足を運ぶ。恐怖によって訓練された身体は、ヒーラーとしての使命感よりも闇陣営の不興を買わぬよう行動してしまうのであった。

 

(……うむ……これは。治癒の意味はないのう。その分の時間で眠ったほうが効率的じゃ……)

 

 メリアドールの視点を追って、ベラトリクス・レストレンジが待つマルフォイ邸のホールへと走ったアウラは(アウラは足が短く、おまけに年齢の問題で追いつくのに時間がかかった)、目の前に地獄を見た。

 

 メリアドールが必死の形相で治癒にあたっている人間は、もはや生きているとは言えない存在であった。

 

 四肢は赤黒く焼け落ちて炭となり、骨が見えてしまっている。

 

 顔の皮膚は焦げ落ち、喉は焼け爛れてしまっているだろう。火傷によって死ぬ寸前の人間が魔法使いなのか魔女であるのかすら、アウラには判断できなかった。

 

(全身を覆う火傷の呪い。死んた方がマシというほどの火力じゃな。カースでもこうはなるまいて。闇の魔術に焼かれたのじゃろうなぁ……)

 

 昨夜、マルフォイ邸にもたらされアウラが知った情報は一つ。ドラコ・マルフォイの指揮によって実行されたダンブルドア暗殺計画は見事成功した。ダンブルドアは、セブルス・スネイプの手で葬られた。それだけだ。その情報で屋敷は歓声に包まれた。

 

 しかし、一夜明けてみれば明らかに屋敷に居るべきデスイーターの姿がない。

 

(これは…………うむ。悪魔の護り(プロテゴ・ディアボリカ)使いのハリー・ポッターに焼かれたのじゃろうなぁ……)

 

 アウラはここで、一つ大きな誤解をした。

 

 ハリー・ポッターが強力な闇の魔法使いであり、彼はプロテゴ・ディアボリカを使う。そういう噂が闇陣営の間では広まっていた。噂を広めたのが誰であるのかはわからないが、ハリーにはドロホフを殺害した実績があった。そのため、噂は説得力を持って信じられていた。

 

 アウラは研究者ではあるが、燃焼系の魔法に精通しているわけではない。悪魔の護りによる燃焼と、悪霊の炎(ペスティス・インセンディウム)の違いなどわかるはずもない。ましてや当時その場所にいたわけでもない。

 

 ゆえに、アウラが誤解するのも無理からぬことであった。真実は、その魔女自身が放出した悪霊の炎をオーダーの魔法使い、ビル・ウィーズリーがお返ししたというだけなのだが。

 

 

(……もしやデスイーターの皆様が戻らなかったのは、ハリー・ポッターの手によって殺害されたのでは?)

 

 彼女はまさかそんな、と思いつつも馬鹿馬鹿しい想像が一瞬頭をよぎる。

 

 闇の魔法使いが闇の魔術の撃ち合いで学生に負けるということは本来あり得ない。研究者としては、別の可能性を考慮するべきところである。しかし、人は先入観によって目を曇らせてしまう生き物であり、それはアウラも例外ではなかった。

 

 メリアドールの必死の治癒も虚しく、運ばれてきた魔女……アレクト・カロー(やかましく呼びかけ続けるベラトリクスのお陰で彼女だとがわかった)はまさに生命を落とそうとしていた。

 

 そんなとき、ふわりとアレクトの身体が浮かび上がると、彼女は銀色の光に包まれた。銀色の光はまるで繭のように、アレクト・カローの焼け爛れた全身を覆っていく。

 

 

(な、なんじゃこれは……何が起きておる!?)

 

 アウラの表情と、ベラトリクスやメリアドールの表情が一致する。

 

 銀色の光に包まれたアレクトの身体が少しずつ露わになっていく。

 

 アレクト・カローという魔女の生命は本来そこで終わる筈であった、とアウラは断言できる。

 

 アウラは専門のヒーラーではないが、魔女や魔法使いがどれだけの怪我によって死に、生きるかの区別はつく。自らの実験によって他人の生命を奪ってきたからだ。無駄に頑丈な魔法族であるため死への時間が先延ばしになっていただけで、数時間もせずにアレクトは生命を落としていたはずだ。

 

 しかし、アレクトの肉体は、魔法によって創り出された銀色の身体となって蘇っていた。

 

 焼け落ちた筈の四肢は銀色の、どこか蛇を思わせるようなしなやかな肢体へと変わっていた。アレクトはこれは現実なのかと信じられない面持ちで己の顔を、腕を触り、次に手足を見ると、呆けたように立ち尽くしていた。

 

「……嗚呼……これは……我が君……!」

 

 アレクトは涙を流しながら、その魔法の使い手である主君……ヴォルデモートへと平伏した。あまりの奇跡に立ち尽くしていたベラトリクス、メリアドールも慌ててアレクトに続いて平伏する。治療のための薬品を運んできたマルフォイ家のハウスエルフは、薬品を落とさぬように細心の注意を払いながら這いつくばった。その姿を見て、アウラはまたしても驚愕した。

 

(な、なんじゃと!?リハビリすら必要ないと言うのか!?)

 

 魔法界の常識を遥かに超える高度な魔法によって、アレクト・カローは死の淵から蘇った。そして、何の休息もなく、リハビリすら必要とせずに動いてみせたのである。

 

(ふ、震えが止まらぬ……帝王様は常識で推し量れる方ではないっ!!)

 

 アウラは魔法族として、否研究者として、ヴォルデモートが現代の魔法族の何世代も先をいく天才であると確信した。アウラだけではなく、この場の誰もがそうだろう。

 

 ベラトリクスが恐れによって、アレクトが生きながらえた感動とこれから自分に対して行われるであろう拷問に対する恐怖によってそれぞれ震えるなかで、アウラはメリアドールの膝下に水滴が落ちているのがわかった。

 

 メリアドールは、涙を流していた。

 

 

***

 

 メリアドールの記憶を読み取ったのは、現実世界では一瞬にも満たない。しかし、卓越したレジリメンス使いであるアウラであれば、一瞬のうちにこれほどの情報を読み取ることができた。

 

(わかる。貴女の気持ちはよくわかります、メリアドール……これからも二人、それぞれベラトリクス様のイビリに耐えながら頑張っていきましょう。……でも捕虜の治療は辞めたほうがいい。若さと時間の浪費だから)

 

 アウラは目の前の魔女に親近感を感じていた。ヴォルデモートの持つ魔法の偉大さ、その圧倒的な力を思えば感動によって打ち震えるのは当然のことである。既に頭デスイーターになっていたアウラは、目の前の魔女も自分と同じであると信じて疑わなかった。

 

「私は本当に何も知らないのです。ですから、貴女の期待に沿うことはできません。申し訳ありません……」

 

「そう……なら仕方ないわね。けれど、言いたくなったら言って下さると嬉しいですよ。ごきげんよう、メリアドール」

 

「ええ……また。」

 

 心の底から済まなさそうに言うメリアドールに、アウラは鷹揚に笑って返した。

 

 

***

 

(……察されなかっただろうか……)

 

 メリアドールはレストレンジの部屋を去ったとき、自分の本心が悟られなかったかと恐怖に震えた。

 

(……もしも私の考えていることが誰かに知れたら、私の生命はない……)

 

 メリアドールは思わずベラトリクスに対して批判的な言動をした自らを戒めた。

 

 ベラトリクス・レストレンジは残酷な魔女である。クルシオによって骨の髄までその恐怖を刻みつけられているメリアドールには、ベラトリクスが不敬とみなせば、あっさりと自分を殺すという確信があった。そしてその確信はけして外れてはいない。

 

 それ以上にメリアドールが恐れているのは、ヴォルデモートに対して抱いた感情だった。

 

 ヴォルデモートの魔法によってデスイーターのアレクトが復活したとき、メリアドールの全身は興奮に震えた。

 

 ああ、何ということだろう。現代の義手義足を遥かに超える精度のものを、目の前の人は作り上げられるのだ。一瞬で!!なんの素材もなく!!何の代償もなく!!

 

 それがこの魔法界においてどれほど規格外であるか、記憶はなくともヒーラーであるメリアドールには理解できた。メリアドールは感覚的に、自身がヒーラーとしてはまだまだ二流の存在であるという確信があったが、それでも他の魔法使いにヴォルデモートと同じことが可能とは思えなかった。自らの持つ知識を総動員しても、同じことをするために必要な要素が見つけられなかったのだ。

 

 今すぐ跪いてヴォルデモートから教えを乞いたい。そんな欲望が頭から湧き上がり、そして次の瞬間には、あまりにも残酷な事実にうちのめされた。

 

 目の前の人はこれだけの知識と魔法力がありながら、人を殺すという道を選んでいるのだ。

 

 純血主義。純血思想。それをベラトリクスから強要され叩き込まれたメリアドールではあるが、そんなものに一片の価値も感じてはいない。メリアドール自身が己の出自すらわからないのに、どうしてその思想を信じられるだろうか。

 

 ヴォルデモートには、純血かそうでないかなどどうでもよい程の能力がある。その力を持ってヒーラーになれば、すぐにでもヒーラーの歴史に名を残せる偉大さがヴォルデモートにはあった。

 

 それなのに、純血主義という思想に任せて人を殺戮しているのだ。ヴォルデモートという人間は。

 

 いったい何をやっているのだろう。

 

 何という愚かで、無駄なことをやっているのだろう。

 

 そう思ったとき、メリアドールは涙を流していた。メリアドールはその瞬間は、目の前の生命が救われたことによる感動ゆえの涙であると思い込んだが、今は違うと確信できた。

 

 この魔法世界で最も才能に満ち溢れた、おそらくは二度と現れないかもしれない存在が。

 

 この世界で最も愚かな行為。殺人という選択(それが肉体に対してか、魂に対してかは問わない)を、何のためらいもなく行使できてしまうのだ。

 

 そしてその最悪の行為とは真逆のことが、否、恐らくは魔法族が望むことのほとんどはできるというのに、ただ己のためだけに他者の尊厳を冒涜し、己以外の全てを下に置かなくては気が済まないのだ。

 

 何ということだろう。あまりにも無益なことのために、あまりにも多くの生命が失われている。その悲しさゆえにメリアドールは涙を流したのだ。

 

 そんな不敬極まりないことを考えていると知れればメリアドールの生命はない。ゆえに、メリアドールは心を閉ざしながら、闇陣営のヒーラーとして生命を繋いでいた。

 

***

 

「さて……セブルスよ。私がなぜ君に拷問の魔法をかけているか……君は答えられるかね?」

 

 メリアドールが束の間の休息を楽しんでいた頃。

 

「ぐ……」

 

 光陣営の巣窟、ホグワーツから帰還したセブルス・スネイプは、主君の手によって床に転げ落ちていた。セブルスの周囲には髑髏の面をつけたデスイーター達が集っている。二十名にも満たないデスイーター達の中には、デスイーターではないにも関わらず同席を許された魔女、ナルシッサの姿もあった。

 デスイーター達は床に這いつくばるセブルスを見て、嘲笑した。

 

 デスイーターの中で若い男……ドラコ・マルフォイは、皆に追従して嘲笑しつつ、一瞬だけ良心に耐えきれずセブルスから目を逸らした。

 

(……僕は……これは僕のせいではない。僕のせいではない……)

 

 ドラコはセブルスに借りがあった。

 

 セブルスは、ドラコに代わってダンブルドアを殺害した。ドラコの功績を掠め取った、と言える。それを警戒してドラコはセブルスとの接触を絶っていたのだ。

 

 しかし、セブルスがいなければドラコはどうなっていたかわからない。夜が明け、冷静になった頭で考えるとドラコにとってセブルスは命の恩人に他ならなかった。

 

 ホグワーツに突入したデスイーターのほとんどは戦死した。そう、捕縛ではなく戦死である。セブルスが咄嗟の機転を活かしてダンブルドアを殺害していなければ、ドラコはハリーの手で殺されていたに違いないという確信がドラコにはあった。

 

 ハリー・ポッターの追撃からドラコを庇い、セブルス自身はハリーとの戦闘によって負傷しながら帰還させてくれた。ベラトリクス・レストレンジからセブルス・スネイプは信頼に値しない、マルフォイ家の地位を掠め取ろうとしていると吹き込まれているドラコでも、セブルスに恩義を感じないわけではない。

 

 一方、ヴォルデモートによって与えられた銀色の肉体を持つアレクト・カローは、セブルスに対して心配そうな素振りを見せた。肉体には火傷による後遺症はないが、心臓は死の直前であるかのように嫌な鼓動を奏でている。

 

(ど……どうする……私はスネイプには恩がある。利子がつく前にここでさっさと返しておくべきだが……。庇うか?しかしスネイプを?あの信用ならない男をか……?そこまでする価値があるか?)

 

 アレクトの打算は、ここで恐怖へと傾いた。

 

(いや……それをして我が君から殺されない保証があるか……?)

 

 アレクトもまた、セブルスに対して借りがあった。アレクトはオーダーのビル・ウィーズリーに敗北し捕らえられた。そのままなら、間違いなくアレクトは死んでいた。

 

 しかし、スパイとしてオーダーに潜入していたセブルスが生徒を騙し、オーダーのふりをしてアレクトを回収したお陰で、アレクトはホグワーツから帰還できたのだ。

 

 アレクトの皮膚も声も、今では銀色の肉体によるものであって以前のそれではない。それでも生きながらえる事ができたのは、間違いなくセブルス・スネイプによる功績であった。

 

 ドラコとアレクト。二人とも間違いなくセブルスに対して借りがある。しかし、動けない。死の恐怖……ヴォルデモートの恐怖に打ち勝てる神経など、ない。

 

「わ……私は……貴方様から課された役目を果たすことが叶いませんでした……」

 

 

 セブルスは床に這いつくばりながら何とか立ち上がろうとしつつ、弁明を行なった。

 

「オーダーに潜伏し……私はオーダーの動向を探ってまいりました。しかしながら、ポッターが組織した生徒が私でさえ知らぬ力を持っていたとは想像だにしませんでした。魔法を、私は察知できませんでした……!全てはこの私の無能ゆえにです!!」

 

「その通りだ。そしてそれゆえに、私は我が友人たちを何人も喪った」

 

 ヴォルデモートの声がホールに冷たく響いた。

 

(……なるほど、セブルス・スネイプはホグワーツの教授であり、ハリー・ポッターの担任でもある。ポッターとその一味が何をしていたか把握できなかったことを責められるのは致し方ないことだが……)

 

 やり取りを聞いていたアレクト・カローは内心でこう考えた。

 

(……ドラコのフォロー。オーダーとデスイーター側双方に対するのスパイ活動。DADAの教授としての業務。これら全てをこなしつつ完璧を求めるというのはいささか無理があるのでは……)

 

 セブルス・スネイプ一人に負荷が集中しすぎているのは誰の目にも明らかだ。最も脅威度が低いと考えられる学生が危険な魔法を開発していたなど、気付けるとは思えない。ホグワーツの体制がブラックであることを知っていれば、アレクトならずともそう考えるだろう。

 

「セブルス、君は。同胞たちの生命を奪った魔法について何の心当たりもないと。そう申すのだな」

 

 ヴォルデモートの声は静かだった。ヴォルデモートはセブルスの返事を待たず、突如として声を荒げた。

 

「……これはあまりにも、許しがたい罪だ!!!」

 

 演技とは思えない特大の癇癪が爆発した。

 

「クルシオ・マキシマ(終わりなき苦痛)!!」

 

 セブルスが言葉を言い終えた瞬間、ヴォルデモートの最大出力のクルシオがセブルスの全身を襲う。

 

 はたから見れば、セブルスがまな板の上の魚のように跳ねているだけだ。しかしセブルスはこのとき、地獄の苦しみを味わっていた。

 

 全身が、何匹もの豚によって少しずつ齧られている。足首が、膝が、少しずつ牙によってえぐり取られ咀嚼される。豚が己の身体の側に迫り、生暖かく汚い息を吹き付けながら、己の身体を噛み、血を流させていく……。

 

 それなのに、セブルスは死ねない。痛みと苦痛は果てがない。己の肉体が少しずつ削られる拷問の痛みの後、セブルスは熱気と共に皮膚が、喉が、目が、己の全てが焼き尽くされる痛みを味わった。

 

 セブルスは、デスイーター達が味わったであろう地獄の業火の中にいた。クルシオはあらゆる苦痛を再現することが可能である。闇の帝王の手にかかれば、闇の魔術による苦痛を再現することすら造作もないのだ。

 

 セブルスの魂の、大切な部分。ホグワーツ魔法魔術学校で培った良心や心のゆとりらしきものが損なわれ、絶え間ない痛みによる怒りと憎しみだけが消えない傷となり、その苦しみは未来永劫消魂に刻まれる。

 

 デスイーター達は誰もが師事したデスイーターか、或いはヴォルデモート自らの手でクルシオの洗礼を受ける。拷問による恐怖によって力関係を示し、主従関係を明らかにし、反抗の意思を徹底的に削ぐのである。

 

 僅か数秒という圧縮された時間の中、セブルスは死へと至る苦しみと恐怖を文字通り骨の髄まで味わっていた。溺死、凍死。落下死。バジリスクの瞳を見たことによるショック死。

 

(これが……何だ。何だというのだ)

 

 セブルス・スネイプを繋ぎ留めたのは、怒りであった。

 

 リリーの居ない世界。この世で唯一心の底から慈しむべき人間が居ない世界。その世界に対する怒りだけが、セブルスの怒りだけが、己に意識を手放すことを許さない。

 

 セブルスにとっては永劫とも言える苦痛の時間が流れた後、クルシオ・マキシマが終わった。セブルスはほとんど正気を失いかけていた。狂気とも言える怒りをもってしても、セブルスは地に伏せて動けない。

 

 しかし、セブルスは気力によって半身を起こした。膝をついて、ヴォルデモートに対して平伏しようとする。

 

 ヴォルデモートはそんなセブルスの足元に近付いた。

 

 そして、セブルスの顎を蛇のような脚で蹴り飛ばした。

 

 先程までは笑っていたデスイーター達の顔は次第に青ざめていった。

 

 セブルス・スネイプに対する制裁は、いわばデスイーターへの帰還を祝福するための通過儀礼である。セブルスのことを快くは思わないデスイーターも、上司であるヴォルデモートから制裁を受けるセブルスを見れば溜飲も下がる。

 

 その理屈はわかる。しかし、単なるデモンストレーションに過ぎないと考えていたデスイーター達も、クルシオ・マキシマがセブルスに対してかけられた時、セブルスの死を確信した。そう思わせるほど恐ろしいのだ。

 

「……ほう、セブルスよ。君はこれほどの失態を重ねてなお、挽回の機会を望む。私に対して忠誠を誓いたいと、そう言うのだな?」

 

「私は……私の全ては、貴方様一人に捧げられたものです」

 

 セブルス・スネイプは顔を上げ、ヴォルデモートの瞳を見て言った。ヴォルデモートは満足そうに頷いた。

 

「よかろう、セブルス。……君の失態は本来ありうべからざることではあるが……功績もまた大きい。君に汚名返上の機会を与えようではないか」

 

 その瞬間、ベラトリクスを除いたデスイーターたちの間に安心したような雰囲気が浮かんだ。

 

 アルバス・ダンブルドアは、光陣営において最強の魔法使いであった。ダンブルドアを殺害する以上の栄誉などデスイーターには存在しないだろう。そんなことは誰でもわかる。

 

 失態を重ねたとはいえ、最大の偉業を成したセブルスが帝王の手で殺されたとすれば。

 

 そんなことが起きた日には、デスイーター達のモチベーションは皆無になる。

 

 ヴォルデモート自身それが解っていたからこそ、やりたくもない無駄なパフォーマンスまでして、大して有能でもないアレクト・カローを生かしたのである。魔法力を誇示し、他を圧倒する存在であることを定期的に示しておかなければ、デスイーターはいつ寝返るか分かったものではない。

 

 ヴォルデモートはデスイーター達に一切の友情や愛を感じてはいない。必要がなくなれば気分次第で捨てられる。その程度の存在でしかない。

 

 しかし、何十年とかけてデスイーター達の親や祖父の時代から偽りの友情を演じ、かき集めた蒐集物に対する執着はある。デスイーターの離反は、ヴォルデモートをもってしても癒えぬ怒りと傷を心に刻んだと言ってよかった。

 

 デスイーターが求めているのは戦いではない。拷問は単なる娯楽に過ぎず、求めているのは勝利であり、陣営の勝利によって自身や出身の一族に対してもたらされる利益である。

 

 セブルス・スネイプは立ち上がり、デスイーターの席に着こうとする。そんなスネイプに対して、アレクト・カローはデスイーターの象徴である髑髏の面と、漆黒のローブを差し出した。スネイプは髑髏の面をつけ、アレクトの隣の席についた。

 

 ヴォルデモートの声とともに、何事もなかったかのように会議は執り行われる。顔色の悪いセブルスに対して、ドラコは仮面越しにちらちらと視線を向けていた。そんなことを気にもせず、主の号令が下された。

 

「さて、会議を始めよう。入りなさい、グレイバッグ」

 

 ドラコはその言葉を聞いて、入ってきた人間に嫌悪感を悟られないように顔を背けた。しかしそんなドラコの努力も虚しく、甲高い悲鳴が上がった。

 

 ドラコの母にして元ブラック家の魔女。デスイーターでこそないが、闇陣営に属する魔女……ナルシッサ・マルフォイは、我が家に入ってきた薄汚いならず者に対して恐怖と嫌悪感を隠すことは出来なかった。

 

 大なり小なり、デスイーター達から嫌悪感が混じった視線が入ってきた男に向けられていた。

 

***

 

「は……はい帝王様……お申し付けに従い参上仕りました……フェンリル・グレイバッグでございます……」

 

 フェンリルはデスイーターのそれと同じ漆黒のローブを身に纏っている。しかし、髑髏の面と、デスイーターであることの証である蛇と髑髏の入墨……ダークマークを与えられてはいない。それは、フェンリルは利用価値があるから生かされているだけの、人攫いと同じ立場であることを示していた。

 

 

 部下のウェアウルフ達には決して見せない、従順な犬のような態度でフェンリルは平伏し主にへりくだる。フェンリルはホールに入る前から、ヴォルデモートの手で直々に拷問が下されていることをヴォルデモートの声によって知っていた。

 

(お……俺はけして嘘をついてはならない……。反論は論外だ。……主の言葉にははいと答え、迅速かつ素早く答える犬になれ……犬に……)

 

 フェンリルは必死であった。大きな功績を立てたであろうセブルス・スネイプが何故か拷問にかけられたことからして、クルシオによる拷問はもはや避けられないだろう。フェンリルはその苦痛に耐えた上で主への忠誠を示さねばならないことを察していた。

 

(そうでなければ……殺される)

 

 一方、闇の帝王……ヴォルデモートはフェンリルの思考をオクルメンシーによって覗き見ていた。ヴォルデモートは、グレイバッグが恐怖に震える姿を見て楽しんでいた。

 

 

 フェンリル・グレイバッグという男の中には恐怖心こそあれ、闇陣営を抜けるという思考は欠片もない。ヴォルデモートはそれを改めて確認すると、フェンリル・グレイバッグに問うた。

 

「さて、グレイバッグよ。君は私の頼みを聞き、我が友たちと共にホグワーツに突入した。友たちが焼け死んでいく最中、君はなぜ生き残ったのだね?」

 

「そ……それは私にもわかりません」

 

 正直に言うと、ヴォルデモートは無言で杖を振り下ろす。ウェアウルフの悲鳴とデスイーター達の嘲笑がホールへと響いた。

 

「なんと情けない。セブルスは詠唱済みのクルシオに耐えたというのに」「所詮ウェアウルフというのは獣の端くれのようだ。見ろ、あの姿を」「確かに犬のようでございますな」

 

 デスイーター達はグレイバッグの死を確信しているようであった。セブルスとアレクトが主の咎を免れ生き残った以上、誰かが代わりに死ぬことになる。デスイーター達はそう楽観視していたのである。

 

(愚か者共め。我々は生き残ったのではない!!生かされているに過ぎないというのに!!)

 

 そんなデスイーター達の中でも、ドラコ・マルフォイやヤクスリーといった一部の者達は笑ってこそいたものの内心は穏やかではなかった。

 

 自分達の命は帝王の気分次第であるとよく理解していたのだ。彼らは、同胞であるデスイーターたちを内心で罵倒しながら脳内で構築していた生存戦略を修正していく。

 

 とりわけヤクスリーにかかる重圧は大きい。今回の戦闘においてヤクスリーは命からがら生き延びたとはいえ、戦果らしい戦果はない。闇の帝王の殺害リスト上位にランクインしたことは間違いないのだ。

 

 デスイーターになる最大のメリットは、最悪でも組織内での孤立と主からのDVで済むことである。しかし、デスイーターの資格なしとみなさればその特権は剥奪され、主から緑の閃光を受けることになる。

 

 ヤクスリーやマルフォイのように、保身に知恵を巡らせるのは人として正しい在り方である。

 

 ヤクスリーの中にも、状況次第でルシウスと同じように闇の帝王を見限るだけの損得勘定と理性はある。

 

 そもそも闇の帝王にとって、自分達デスイーターとは純血コレクションというだけの価値しかないと気付くのに時間はかからない。考えるのも馬鹿馬鹿しいほど、魔法力に差がありすぎたのだ。

 

(馬鹿馬鹿しい。それほど強大な力をお持ちで、お山の大将がやりたいと申されるなら。どこか私の預かり知らぬところで勝手にやってくれ)

 

 と、帝王様がお隠れになった後誰もいない事実でついぞ漏らした本音はある。それもまた、ヴォルデモート敗北後に魔法省に寝返ったデスイーター達の嘘偽りない真実である。

 

 しかし、何の間違いか帝王が復活してしまった以上は、己と一族と家族の平和のためにそれ以外の全てを冒瀆するより他に道はないし、その作業に全力を尽くさない理由もないのだ。

 

 ヤクスリーが己の保身について考えを巡らせている間、ベラトリクス・レストレンジは悠然と主へと進言した。

 

「恐れながら申し上げます、我が君。『焼け死んだ』ということは、悪魔の護りか悪霊の炎を敵が用いてきたことは明らかでございます。……昨晩目にしたアレクトの傷からも、それは明らかです」

 

「ち……ちが……」

 

(いや……何か違う気がする。思い出せ、思い出してくれ俺よ……!!)

 

 弁明をしようと試みるフェンリルではあるが、呂律が回らない。

 

「ヤクスリーの証言も得ています。忠実なるデスイーター達が戦死したにも関わらず、その男は地獄の業火の中で生き残ったと。敵に忠誠を誓い取引を行なっていたことは明らかです!!」

 

 忠義心の篤いベラトリクスは、声の調子をサディスティックに高めていく。彼女は明らかに怯えるフェンリルを見て嗜虐心を満たしていた。

 

「リーマス・ルーピンというウェアウルフと密かに内通し!いずれは帝王様に牙を向ける目論見であったに違いありません!!処刑の前の拷問ならばこの私にお申し付けください!!必ずや帝王様の御心に従い、この男の全てを暴いてご覧に入れます!!」

 

 それだけは嫌だ、という恐怖がフェンリルの全細胞を活性化させ、彼は記憶の奥底を魔法によって洗い出す。

 

 己が意識していない無意識の領域で、フェンリルが死ぬ筈だったあの瞬間。誰かが確かに魔法を詠唱した。

 

 ……しかしその魔法は、プロテゴ・ディアボリカでもペスティス・インセンディウムでもない。

 

「サ…サペレ・アウデ……!!」

 

 フェンリル・グレイバッグは答えを絞り出した。

 

「敵の使用した魔法は、サペレ・アウデでございます、我が君……!な、なぜわ、わたくしめに効かなかったのかは存じません!ですが、私は、帝王様を裏切るようなことは致しません!この杖に誓ってー」

 

「下郎が。穢れた狼風情が杖に誓ってだと……?」

「全く持ってその通り。ミセス・レストレンジの仰る通りですな」

「生き残りたいがために適当なことを言っているのではあるまいな」

 

 まるで魔法使いであるかのようにヴォルデモートへと杖を捧げるフェンリルを見て、ベラトリクスは侮蔑の言葉を吐き捨てた。追従するかのように何人ものデスイーターが賛同の意を示す。

 

 彼女がこれほどまでに辛辣なのは、無論彼女が純血主義者であり、人狼を嫌悪しているというよりはこの世に存在すべきではないと認識しているからであるが、それ以上に、妹ナルシッサのためでもあった。

 

 ベラトリクスは身内に向ける愛情そのものは深いのである。妹がウェアウルフが屋敷に足を踏み入れることを厭うのであれば、その願いを叶えてやるのも姉である自身の役目であるとベラトリクスは考えていたからこそ、主へと進言したのだ。

 

 

(……ここしかないか……)

 

 ベラトリクスの発言の直後、デスイーター達がベラトリクスに追従しそうになる。そうなる前に、機先を制してヤクスリーが発言した。

 

「恐れながら申し上げます、ご主人様。私もサペレ・アウデという単語を耳にしました。魔法を発したのは、オーダーではない少年でございます」

 

 ヤクスリーは意を決して、ベラトリクスではなくフェンリルを庇った。少年によってデスイーターが惨殺されたという情報に、デスイーター達の間で少なくない動揺が広がる。ベラトリクスでさえ、表情を変えずにヤクスリーの証言に耳を傾けていた。

 

「……グレイバッグの肩を持たれるのですか?」

 

 差別的な視線をドラコから向けられても、ヤクスリーは意に介さなかった。

 

「私にそのような意図は存在し得ません。ただただご主人様のため、事実を申し上げているまで。グレイバッグは、炎の中無傷でしたが、オーダーの一員を確かに倒しました。これも事実でございます」

 

(……こちらを見るな、グレイバッグ……)

 

 ヤクスリーは困惑した目で自分を見てくるグレイバッグとは目を合わせなかった。

 

 ヤクスリーにしてみれば、これで十分である。

 

 この後自分が帝王に惨殺される可能性は消えていない。しかし万が一生き残ったとき、グレイバッグには一つ貸しができる。グレイバッグと親しいわけではないというスタンスを崩すことさえしなければ、デスイーターの中で孤立はせずに済むし、グレイバッグに背後から撃たれる可能性は減る。

 

 今は自分達が生き残れるかどうかの瀬戸際なのに組織内政治で命綱を殺されてはたまったものではない、とヤクスリーは内心で思ったが、口には出さない。ヤクスリーは魔法省でも勤務経験があり、組織が政治の都合、もとい役職者たちの個人的感情に振り回されることに慣れていた。

 

「ふむ。よい、ベラ、ドラコ。ヤクスリーとグレイバッグの発言に嘘はない。つまり、この私の忠実なる友は……僅か10代の少年にすら劣るほど儚くか弱く。グレイバッグはその代償を払って死にかけた……ということだ」

 

 ヴォルデモートの発言は、デスイーター達にとっては死刑宣告に等しかった。

 

「考えられる可能性は幾つかある。最も考えられるのは、その魔法が『魔法使い』を標的とし、グレイバッグのようなウェアウルフを対象としない魔法であるという可能性だ」

 

 ヴォルデモートは魔法についての考察を披露していく。ヴォルデモートが発言を重ねる度に、デスイーター達の間で絶望が広がる。

 

「しかしこの考えには穴がある。なぜか分かるかね、ドラコ?」

 

「そ……それほどの魔法ならば、自分や仲間を巻き込んでもおかしくはないかと」

 

「そうだ。だからこそ、ベラトリクスはプロテゴ・ディアボリカである可能性を疑ったのだからな。しかし、使用者である少年やその周囲の子供は無傷であった。これはつまり」

 

「サペレ・アウデとは……我が友のみを標的とした魔法である可能性が高いということだ」

 

 ヴォルデモートの声には、何の感情も含まれてはいなかった。まるでお前たちにはもはや何の期待もしておらず、何の価値も見出してはいないとでも言いたげなその言葉は、デスイーター達の絶望を更に掻き立てた。

 

(そ……そんな……そんな。デスイーターにだけ効く魔法だと……?そんな事が許されるのか……!!)

 

 ドラコ・マルフォイの思考は、絶望の中に沈み。あのベラトリクス・レストレンジでさえ憤怒の表情を抑えきれなかった。

 

「これは由々しき事態だ。そうではないか?友よ。想像してみるがよい。未だオーダーやオーラー達はこの魔法の存在を知らなかったのだろう。しかし、知った暁には誰もがこれを使い、わが友を焼き尽くそうとするわけだ」

 

 もしも、サペレ・アウデという魔法がオーダーや、魔法省のオーラー達。或いは、魔法省の職員の間に広まれば。

 

 デスイーターはマグル産まれを狩る側ではなく、ただただ社会から狩られるだけの存在に成り下がるのだ。

 

 それはベラトリクス・レストレンジにとっては耐え難い屈辱であった。同時に、闇陣営内部でのデスイーター達の立場を危うくするものであった。

 

 魔法族は、魔法を使い生きる種族である。

 

 何をするにしても魔法か、魔法にまつわる技術によって生計を立てる。魔法を使わず後方から指示を出すだけの人間というのは、たとえそれがアルバス・ダンブルドアであったとしても、現場の人間からは支持されず、命令にも背く。

 

 ようは舐められるのだ。

 

 後に残らない暴力……クルシオによって力関係を示したところで、人攫いや巨人族、ウェアウルフたちのほうが数は多い。

 

 巨人族やウェアウルフ、ディメンター達は帝王に反旗を翻すことこそないが、デスイーターに対しては違う。これまで虐げてきた者達からの下剋上を、デスイーター達は何より恐れた。

 

 そして。

 

「……おかしな話ではないか?セブルス・スネイプ」

 

 激怒しながらも、ベラトリクス・レストレンジは冷静な頭でセブルス・スネイプへと問いかけた。その声は静かであり、噴火寸前の休火山を思わせた。

 

「……サペレ・アウデ(思い知れ)という魔法を学生が使った。学生どもはその魔法を知っていたということだ。ハリー・ポッターが知らない道理はない」

 

 緊張感がデスイーター達の間に広がる。しかし、セブルスは落ち着き払っていた。

 

「ハリー・ポッターとダフネ・グリーングラスにとっては、誰より憎い殺害対象が目の前にいたではないか。なのにどうして、貴様はおめおめと生きながらえているのだ?」

 

「よもや貴様……サペレ・アウデを知っていて報告しなかったのではあるまいな」

 

 デスイーター達は緊張した面持ちで視線をセブルスへと集中させる。

 

「それでは、ミセス・レストレンジは帝王様のお言葉が間違っていたと仰るのですか?」

 

「そうは言っていない。都合の悪い事柄から話を逸らすな、スネイプ。なぜポッターは貴様にサペレ・アウデを撃たなかった?私は貴様が、生き長らえるためにハリー・ポッターらと共謀し、再びこちらに潜り込んだのではないかと言っている」

 

 セブルスとベラトリクスは単純に相性が悪かった。ベラトリクスはセブルスに対する疑いを晴らすことはなく、恐らくは一生粘着し続けるだろうという確信を、居並ぶデスイーターの一人、マクギリス・カローは抱いた。

 

「ミセス・レストレンジの仰る通りです。セブルス・スネイプの行動には不審な点が数多くあります」

 

(セブルス・スネイプ。……ここで始末されたほうが光陣営にとっては得だろう)

 

 マクギリスは、ある意味ではベラトリクスによって命を拾った男だった。密かにシリウス・ブラックと接触し内通者となっていたマクギリスではあったが、サペレ・アウデを受けたとき死ぬか、或いは死なずに生き延びることによって自分がスパイであることを露呈してしまうかのどちらかであったからだ。

 

 マクギリスは常識的な範囲でベラトリクスに追従しつつ、注意深くセブルス・スネイプの返答を見守った。

 

 マクギリスは光陣営とも内通している。マクギリスから見たセブルスは闇陣営のデスイーターであり、光陣営の最終的な勝利のために排除しなくてはならない駒であった。

 

(ああ……もう……なぜ!どうして纏った話を蒸し返すの、ベラ!!)

 

 一方、冷ややかな笑みの仮面を被りながら内心でベラトリクスを罵倒するのは、ナルシッサ・マルフォイであった。彼女にとって、セブルスがこれ以上責任を問われることは気が気ではなかった。

 

 セブルスのフォローが後手後手に回る結果に終わったのは、ベラトリクスの言葉を鵜呑みにしたドラコがセブルスとの打ち合わせや情報共有を拒否したからである。ナルシッサはそれらの事情を知らないが、闇の帝王の気分次第でドラコが責任を問われる可能性が高いことは認識している。

 

 デスイーター達が戦死した責任を帝王はセブルスに問い、セブルスは義理を果たしてドラコではなく己の責任と言った。しかし、こちらがセブルスに対し何の対価も支払っていないのであれば、セブルスがいつまでもドラコに対して義理を果たしてくれるかはわからない。

 

 セブルスの献身に対して、現在のナルシッサやドラコでは返すものがない。セブルスがベラトリクスに対して意趣返しでドラコの失態を話せば、ドラコの扱いは『生き残った男の子』ではなく、『愚劣な作戦によって同胞をむざむざ死なせた無能』へと早変わりしてしまう。

 

(ベラ……貴女は、まさか)

 

 ナルシッサ・マルフォイはその時気がついた。ベラトリクスは、セブルスを通してルシウスに対する鬱憤を晴らしていることに。

 

 一度闇の帝王を、そしてベラトリクスを裏切った人間を、彼女の姉は絶対に許さない。この世に存在するマグルが全て根絶されたとしても、許しはしない。

 

(まさか……マルフォイ家には僅かな再興の芽も残す気は無いと?……)

 

 ナルシッサは姉の人となりをよく知っている。身内に対しては懐が深く情に篤く、面倒見がよい。若い頃は、社交界やホグワーツを問わず、その気質は外から見れば闊達で自信に満ち溢れ、頼もしいリーダーに見える。その気質に惹かれて何人もの魔女や魔法使いを引き連れていたのをナルシッサはよく覚えている。

 

 しかし、だからこそ。だからこそ、ベラトリクスは裏切り者に容赦をしない。

 

 姉のアンドロメダがブラック家を出奔し、あろうことかマグル産まれのテッド・トンクスと駆け落ちして勘当されたとき。

 

 ベラトリクスはブラック家の誰よりも怒り狂った。そして、狂ってアンドロメダを殺すためにあらゆる手を尽くした。

 

 ルシウスがナルシッサやドラコのために魔法省に与したことを、ベラトリクスは許してはいない。ナルシッサはベラトリクスがいる限り、マルフォイ家に安寧が訪れることは無いと察し凍りついた。

 

 ナルシッサとデスイーター達は緊張感を漂わせながらスネイプの返答を待った。スネイプは怒りを滲ませつつ、あっさりとベラトリクスへと返答した。

 

「私が?ポッターごときと取引?冗談もここまで来ると笑えませんな」

 

 セブルスが冷笑ではなく、怒りを見せるのは珍しかった。

 

「答えは明らかですが、あえて申し上げます。私がサペレ・アウデを受けなかったのは、私がハリー・ポッターよりも遥かに実力があった……というだけの話です。より正確に発言させていただけるならば」

 

 ベラトリクスが反論する前にセブルスは言葉を重ねた。

 

 セブルスの言動は、自分はハリーより強いと言っているに等しい。つまり、デスイーターきっての武闘派であったドロホフより強いと言っているに等しい。ベラトリクスはドロホフのことを何とも思っていなかったが、武闘派でもないのに帝王から一定の信頼を得ているセブルスが、武闘派よりも強いという事態は許し難かった。

 

「私はこの一年、DADAの教授という名目でポッターを観察する機会に恵まれました。ポッターの一派がサペレ・アウデを開発していたことに気付かなかったのは私の不徳の致すところですが……」

 

 ポーカーフェイスでデスイーターの面々に一礼するセブルスの表情には何も浮かんではいない。

 

「私はポッターの決闘術における癖を把握する機会がございました」

 

 この言葉はセブルスに関する疑惑を払底したわけではない。しかし、ルシウスを通してセブルス・スネイプについての話を聞いたり、セブルス・スネイプの学生時代を知るデスイーターはどこか納得していた。

 

 デスイーターになるような人間は大なり小なり偏執的な一面を抱えている。例えばドラコならば、本来あるべきマルフォイ家の権力に対する執着であり、ルシウスであれば一族の存続だ。セブルス・スネイプにとっては、学生時代から因縁のあったポッター家の子息なのだろう、とデスイーターの何人かは勝手に納得した。

 

「……ゆえに。ポッターごときが新しい魔法を習得しようと、使わせるような隙を与えるほど老いてはおりません」

 

「……それでは。ポッターと共にいたグリーングラス家の小娘が貴様にサペレ・アウデを撃たなかったのはどう説明する?」

 

 

 

「撃たなかったのではなく、撃てなかったのです。グリーングラスは私が受け持った中で最も愚劣な生徒の一人です。あの娘には主体性がなく、自らの意思で人を殺害する度胸など持ち合わせてはおりません」

 

「確かなのか、ドラコ?」

 

「は、はい。昔から……誰かの影にいる目立たない子でした」

 

 ドラコははい、と即答した。ドラコにとって接点のあるパンジーに比べても、ダフネはいつもワンテンポ遅く、ミリセントなどの方が会話していても楽しかった。

 ハリーたちと行動をともにして感化されたからといって、咄嗟の場面で訓練の成果を出せるような人間ではない。少なくとも、ドラコにもそう思えた。

 

「グリーングラスは激しい戦闘の最中に最適解が思い浮かぶような優秀な魔女ではありません」

 

(……それでいい。それでいいわドラコ。セブルスに対する借りはあまり長引かせず返済するのよ……!)

 

 デスイーター達の間に笑い声が広がった。ラドンが浮かばれませんな、と背の高いデスイーターの一人が言った。

 

「……だそうだ、ベラ。どうやらセブルスは君が思うよりは無能であり、君が思うよりも魔法使いとしては優秀であったらしいな?」

 

 ヴォルデモートはベラトリクス・レストレンジに対して皮肉を贈り、セブルスに対する追求はそこまでにとどまった。ナルシッサはほ、と安堵の吐息を漏らしたくなるのを堪え、内心で愛息子を賞賛した。

 

「とはいえ、皆がセブルスへの疑念を抱くのも仕方のないことではある。どうする、我が友セブルスよ。君はベラ達の疑念に対してどう答えるつもりだ?」

 

「私は……」

 

 セブルス・スネイプの返答は、デスイーターたちを驚愕させた。

 

 この日を境に、デスイーター達のパワーバランスは一変した。ヤクスリーは死の恐怖を打ち消すために、己にこう言い聞かせて魔法省打倒のための計画を実行に移した。

 

(これは……国盗りを賭けた一世一代の大仕事だと考えるのだ。帝王様に己の感情を悟られてはならない。恐怖のあまりボロを出し魔法省側に悟られてはならない。……そうだ。スリザリン寮に選ばれた時のことを思い出せ)

 

 ヤクスリーは幼い頃の夢を思い出して己を奮い立たせた。スリザリン寮に選ばれたヤクスリーは、同年代の何人かのスリザリン生がそう考えるように、いずれは歴史に名を残せるような偉大な魔法使いになりたいという夢を抱いていた。

 

 長じるにつれて自分の限界を知り、家庭の事情で闇陣営に与した。そして闇陣営に属した先でも、ヤクスリーは凡夫であった。ルシウスやベラトリクスという圧倒的才能ある存在がいる限り自分は裏方であり、英国魔法界の歴史に名を残すような夢は叶いそうになかった。しかし、今はそれが叶うかもしれないのだと己に言い聞かせていた。

 

 ヤクスリーには、確率は低いながらも勝算があった。

 

 マルフォイ邸を監視していたオーラーの一人、アンドリュー・クォーツはインペリオによって既に闇陣営の手の内である。マルフォイ邸が未だに魔法省の監視の目を掻い潜っているのは、内部に潜ませた傀儡によって偽情報を流しているからだ。

 

 ヤクスリーはクォーツを機転にして、魔法省を崩壊させるための策を密かに実行に移した。

 

(これが最も犠牲の少なくて済むやり方だ。……ルシウス……私もお前と同じ意見だよ。ベラトリクスのように無駄な拷問に時間をかけるより、金やインペリオで懐柔してしまったほうがよほどいい……)

 

 ヤクスリーはそんな最低な思考回路で己を鼓舞し、騙していた。

 

 インペリオによる策が成功すれば、インペリオによって従わせたオーラーや、二十年来の魔法省側の知人、友人は血を流さずに済むのだから。

 

***

 

 ホグワーツ特急が九とと四分の三番線に到着したとき、駅のコンパートメントにはオーラー達が待ち構えていた。年配の男性オーラー、ジョン・ドーリッシュが部下たちを指揮し、保護者や生徒達を誘導していた。

 

「……何だぁ、おい?何かあったのか……ん?待て皆。シリウスだ」

 

 皆何も言わずに戦闘態勢をとる。そんなとき、スーツを着たシリウスが怒りを顕にしながらホームへと現れた。シリウスは窓越しにホームの様子を観察しているロンを見つけ、手を振ってこちらへ来いと促していた。

 

「……シリウス……?いや。シリウスは……クリービー一家を送って行ったはずだ……」

 

「わけがわからねぇが、シリウスはかなりご立腹だ。どうするハリー?」

 

(……)

 

 ハリーは嫌な予感がした。シリウスが、オーダーの役目を放り出すほどの緊急事態が起きたのであろうか。

 

 ハリーはそっと傷跡を抑える。しかし。ハリーの傷跡は疼かない。それが不気味であった。

 

(悩んでいる暇はない……な)

 

「僕が行くよ。アズラエル、ロン。君たちも来てくれ」

 

 ハリーは2人と共にコンパートメントの外に出た。杖の死角となる右側面にアズラエルが、ハリーより背の高いロンがハリーの背後から駅のホームを進む。

 

「……レベリオ。仰々しい出迎えだね……シリウス」

 

 

 ハリーはシリウスに会うや否や、レベリオを使用した。シリウス・ブラックはポリジュース薬による変装ではなく、正真正銘の本人であった。シリウスは過密スケジュールの疲労を感じさせることなく言った。

 

「ハリー、いいレベリオだった。……俺自身たった今連絡を受けたところでな。急いでこちらに来た。ハリーにではなく、不義理をされたことに対して怒っている。……ルーファス・スクリンジャーが待っている。ハリーは俺と共に来てくれ。ブルーム、ロン。君達は皆と共にいてくれ」

 

 シリウスはこちらに対して敬礼しながら避難誘導にあたっていたジョン・ドーリッシュに対して剣呑な視線を向けたまま、ハリーを目的地へと誘導した。ロンは別れ際にこう言った。

 

「ハリー……何かあったら俺を呼べよ!」

 

「ありがとう、ロン」

 

 ハリーは裏の集会のメンバーに向けて要請できるように、宝石を持っている。ハリーはロンに対して左手を挙げて応えると、シリウスと共にホームの待合室へと進んだ。

 

***

 

「……魔法省大臣と会談……ですって?まったく悪いジョークですよねぇ……」

 

 アズラエルはロンに話しかける。が、ロンは話を聞いていなかったのか、返事をしなかった。

 

「……ロン。聞いていますか?」

 

「えっ、あっ悪い。何か言ったかアズ?」

 

 ロンははっとしてアズラエルに振り向いて答えた。

 

「別に構いませんよ。それよりどうしますか?一度コンパートメントに連絡を取って、皆をここに呼びつけますか?」

 

「いや……ここでハリーを待とうぜ。……大臣が待ってて、シリウスがいるなら滅多なことは起こらないだろうけど……」

 

 ロンは無念そうにちらちらと待合室の扉を見ていた。防御魔法によって待合室は厳重に遮られており、四十代くらいの、眉間に皺が刻まれたオーラーが扉ので立ち尽くし、周囲に目を光らせている。

 

(……ハリーが心配だから……ってだけでもなさそうなんですよねぇ……)

 

 アズラエルは周囲のオーラー達に愛想よく笑いながら、ロンの様子をそれとなく観察した。ロンは心配そうに待合室を見ている。アズラエルは一つかまをかけてみた。

 

「……ハリーと同行したかったですか?もしもシリウスがテレポートしてこなければ、ロンが一緒に行くことになったかもしれませんが」

 

「えっ……いや!?そんなこと考えてねーし!」

 

 アズラエルはロンの少し慌てたような返答に、ロンはハリーと同行したかったに違いないと確信した。

 

(……まぁ。ダンブルドアが高く評価していたのはハーマイオニーで。スラグホーン教授も、ハリーやザビニ以外には目もくれませんでしたしねぇ……)

 

 この一年は、明暗が別れたと言ってよい一年であった。

 

 ハリーやザビニ、ハーマイオニーは教授と校長から高い評価を受けた。ダフネなどは不自然に持ち上げられることは好まないだろうが、ロンは違う。友人達が高い評価を受けているのに自分は違うとなれば、ロンの自尊心には少なくない傷がついたのは間違いない。

 

「ですよね。ハリーが心配って気持ちはよく分かります。僕も君と同じ気持ちですよ、ロン」

 

 アズラエルは内心でロンの気持ちにあたりをつけつつ、明言は避けた。何となくこうではないかと考えても、違っている可能性だってある。口に出さず確定させないほうが良いことだってある。特に、ロンのプライドのためにも。

 

「あまり深く考え込まない方がいいですよ。大臣の話って言ったら100%厄介事です。ぶっちゃけ、僕達の領分を超える無茶振りに決まってますから。ハリーだってシリウスに丸投げしてるに決まってるじゃないですか」

 

「シリウスさん……いや。なぁ?アズラエル」

 

 ロンはそこで、アズラエルに対して過去一番不安そうな顔をした。

 

「シリウスさんって……ぶっちゃけ政治家と話が合うと思うか……?むしろ、ずばっと政治家が言われたくないど正論ととか言いそうなタイプじゃないか?」

 

「……言われてみれば。いや、でもさすがにシリウスさんも合わせるんじゃないですか?そりゃあ……今までそれなりに無難にやってこれたじゃないですか」

 

 アズラエルは若干不安になりかけたが、ロンほど悲観してはいない。

 

「だと、いいんだけどよ。今はオーダーも……魔法省だって、余裕とかねー状態だろ?魔法省がこっちの足元を見て変な要求を出してきたら、シリウスさんも普段通りに無難に、とはいかないんじゃないかって……」

 

 アズラエルは絶句して、一瞬、ロンの発言に答えられなかった。魔法省とオーダーという組織は共に光陣営ではあるが、その実態は足並みを揃えているとは言い難い。アルバス・ダンブルドアという光陣営の象徴が倒れたあとで、その結束力の弱さという弱点を露呈しないとは言い切れなかった。

 

「君は大臣の人となりについて、お父様から何か聞いていますか?」

 

「……昔、マルフォイ邸の捜索を親父が根回ししたときに、ルーファス局長もゴーサインを出したらしい。一本筋の通った人だってのが親父の話だった。一本筋の通ったところがあるって聞いてる」

 

「だからこそ不安だと、ロンはいうのですね?」

 

「ああ。ハリーもシリウスさんも頑固だからな。……変な話になってねぇといいんだが」

 

(た、頼みますから無難に終わらせてください、ハリー。……君だけが頼りですよ)

 ロンと共に待つアズラエルは胃が見えない手に掴まれたかのような痛みを与えてくるのを感じていた。

 

 オーダーの総力では、デスイーター達の全てを相手にすることはできない。それがアズラエルの認識であった。アズラエルはどこまでも常識的なのだ。

 

 オーダーは寡兵だ。実態はダンブルドアのカリスマの下に集まった自警団に過ぎないと、アズラエルは無意識に過小評価をしていた。魔法省側の兵力がなければ、デスイーターや巨人族、ディメンターやウェアウルフといった軍団からハリーを護り、ヴォルデモート打倒を成立させることなど到底不可能だと考えながら、アズラエルは杖を持つ手に力を込め直した。

 

***

 

「……ついに魔法省は僕を捕まえようとしたのかな。そうだとしても驚かないけど」

 

「気にするな。これは政治的なパフォーマンスだ。君は魔法省の庇護下にある、というメディア向けのアピールに過ぎない。明日のデイリー・プロフィットにはその手の記事が載っているだろう」

 

「冗談じゃないね」

 

 シリウスの誘導に従い、九と四分の三番線ホームの待合室の扉をノックし、ハリーは足を踏み入れる。すると、ハリーとシリウスは異空間に招かれていた。

 

 異空間の中には、先客が二人。獅子のような髪型で、杖をついて足を支えている老齢の魔法使いが一人。その傍らには、背が高くハンサムで、髪を短く刈り上げた、鋭い眼光の魔法使いが一人。

 

 

 魔法省大臣のルーファス・スクリンジャーである。

 

 ルーファスの側に立った魔法使いは、ハリーにとっては最も尊敬する先輩の一人、セドリックだった。

 

 ハリーは先輩に対してではなく、ホストに対して深々と頭を下げた。

 

「……ハリー。そして、シリウス。よくぞここに来てくれた。急な呼び出しであったがゆえにどうやら行き違いがあったようだが、許してほしい。まずは席に着いてくれ」

 

 

 ハリーは、シリウスに視線を送り、背中を預けた。

 

(信頼してる)

 

 ハリーは促されるままに席についた。スクリンジャーを護るようにセドリックが、ハリーを護るようにシリウスがそれぞれの側に立った。

 

***

 

 ザビニ、ハーマイオニー、そしてダフネは三人でホームに残された。人々の視線が自分たちに向けられるのがこそばゆく、三人はマフリアート(耳塞ぎ)によって自分達の会話が周囲に漏れないようにしてハリーたちの帰りを待つことにした。

 

「ハリーのこと、怒ってるよな、ハーマイオニー」

 

「怒ってなんかいないわ」

 

(あー、まぁそうだろうな)

 

 私怒ってますという雰囲気を漂わせているハーマイオニーに対して、ザビニはどうしたものかと考えた。

 

 ハーマイオニーは明らかにハリーに対して怒りを溜め込んでいる。怒りの原因はあからさまに邪悪な闇の魔術を開発し、行使したことである。

 

 皆で話し合ってセクタムセンプラを使用しないと決めた裏で、ある意味で悪霊の炎よりも邪悪な魔法を開発していたと言うのだから、怒らないほうがおかしい。ハーマイオニーの怒りは友に対する怒りとしては正常なものだった。

 

「ミスタ・ザビニ。貴方は何を笑っているの?笑い事ではないと思うのだけれど……」

 

 防音魔法のお陰でコンパートメントの外にザビニ達の会話が漏れることはない。しかし、念のためにザビニは会話の詳細をあえてぼかした。

 

「いや。ハリーのために本気で怒ってくれてるってことが嬉しくてな」

 

「ミスタ・ザビニ。あまりハーマイオニーを刺激しないで」

 

 ダフネが懇願するが、心配するなとザビニはウインクした。この手の感情は溜め込むよりは一度吐き出しておいた方がよいのだ。

 

「……本気でハリーのことを想って、ハリーにこれ以上手を汚してほしくない。ハーマイオニーがそう思ってくれているのは俺にだってわかる。けど、こうも真心を無視され続けたらいい加減うんざりするよな?」

 

 ザビニはハーマイオニーのプライドを護る選択をした。ばつが悪そうな表情でダフネは反論する。

 

「待って。ハリーの代わりに弁明をさせて頂戴。ハリーはきっと……罪を問われれば否定はしないわ。でもハリーのしたことは全て」

 

「……リーダーとして、皆を護るためにやったこと」

 

 ハーマイオニーはダフネの言葉を引き継いで言った。

 

「そうだ。それでハーマイオニーが怒ってるのも、ハリーのダチとして……いや、一人の人間の考えとして正しいって俺は思うぜ。誰だって友達に手を汚させたくはねぇし、心配を無視されて都合のいい時だけ頼られたくはねーよ」

 

 ザビニはここでハーマイオニーの肩を持った。

 

「本当はハリーともっとちゃんと向き合って話したいんだよな。ハーマイオニーは頭がいいから、俺やダフネが言ったことなんか、言われるまでもなくわかってる。だから柄にもなく黙って怒りを溜め込んでたんだろ」

 

「……でも……どうすべきかはわからないわ」

 

「実際それでうまくいったっつーか、仲間の犠牲がコリンの足とダンブルドア先生だけで済んだからな」

 

 ザビニはダンブルドアへの敬称を忘れなかった。ダンブルドアがたとえこの世を去ったとしても、ダンブルドアからかけられた言葉と向けてくれた愛をザビニは忘れるつもりはない。

 

「そうよ。ハリーは……ミスタ・ベオルブもだけど……もっと褒められたっていいと思うわ」

 

 ダフネは刺々しい声で言った。

 

「戦争なのだから。誰もが望んだような結果になるのは不可能よ。綺麗事だけで何もかも上手くいくなんてこと、あるわけがない。……そうよ、あるわけがないもの……」

 

 ハーマイオニーはダフネの言葉が強がりであると見抜き、すかさずそこを突いたことを言おうとして、踏みとどまった。ハーマイオニーの脳裏に浮かんだ言葉は鋭利なナイフよりも鋭く、一瞬で全ての友情を崩壊させかねない言葉の棘であった。

 

(本当にそう思っている?自分のお父さんやグリーングラス家の親戚の誰かをハリーが殺害したとして、貴女はそれに耐えられるの?ダフネ)

 

 ……間違っても、ダフネに対して言ってよい言葉ではない。デスイーターとなった母親を目の前で喪ったザビニへとかけていい言葉でもない。

 

「ハーマイオニーには実際俺も感謝してるんだ。俺はハーマイオニーみてぇに、悪いと思っててもそれを言うのって無理だしな」

 

 スリザリン生らしいことをザビニは口にした。

 

「……自分の正しいと思ったことは貫くべきよね。たとえ……対立したとしても」

 

「そうだな。だけど俺みたいな奴は、分かってても口に出せるほど強くはねぇんだ。……だからこそ、本当に凄くて優しい人なんだよ、ハーマイオニーは」

 

「ハウスエルフの時もハリーの時も、皆がなぁなぁで妥協して見て見ぬふりをして、それで済ませちまったことを諦めきれない。自分の理想に対して真摯で、目的のためなら手段を選びきる誠実さがある。俺が知る中で一番高潔な魔女だ」

 

 ザビニの言葉はハーマイオニーにとっては少しの救いであった。ハーマイオニーにとって、ハリーを責めかねないことを考えていることに対して負い目もあったのだ。

 

(ミスタ・ザビニ……この調子でトレイシーを含めた何人もの女子たちを誑かしてきたのね……)

 

 ダフネは改めて、目の前のザビニを信用ならない男リストにランクインして格下げした。心が不安定な時期に優しい言葉をかけてくる異性は信用してはならないのである。

 

 

「実際俺は、ハリーみたいに……人殺しまでは出来ねぇと思う。せいぜい薬で無理矢理敵に情報を吐かせるとかくらいだな。汚れ役をハリーや他の出来る奴に押し付けてるって自覚はある。……改めて聞きたいんだけどよ、どこまでなら許容できる?」

 

 

 

(……はっ)

  

 この瞬間のダフネは、今までで最も冴えていたかもしれなかった。

 

「……生命の危機にある状況以外で、闇の魔術の行使はできない。でも今は……特に貴女のようなマグル生まれは、闇の魔術で自己防衛しても罪に問われる可能性は限りなく低いけれど……」

 

 それとなくハーマイオニーを誘導する言葉を紡ぐ。スリザリン生らしい小賢しさを発揮した瞬間であった。

 

 

「自分のメンタルに問いかけてみて、どこまでなら卑劣な行為を見過ごせる?こっから先は護ってくれるダンブルドアはいねーんだし、改めて自分の中で決めといた上で、ハリーと話しといた方がよくねぇか」

 

「それは……普段からやっていたことよ、ザビニ」

 

「それでもだ。お互いの話が噛み合わなくて、ぶっちゃけスタンスも違うとして。無理矢理合わせるんじゃなくて、互いに干渉しねーようにするとか。決め事をしとくとか。そういう『幸福な別れ方』ってのはあるだろ」

 

 ザビニの考えは、恋愛経験によって培ったものであった。

 

 ザビニは何人ものスリザリン寮の女子や、他の寮の女子と付き合った事がある。大抵は自然に関係が消滅したが、一部は円満な別れ方では済まなかったこともあった。

 

 円満に後腐れなく別れられたときは、大抵はザビニの側から話を切り出したときだった。

 

 ザビニには人生における哲学がある。こと、考え方が合わず合わせることにすらストレスを感じ始めたならば、一度関係を解消したほうが互いのためになる、というものだ。

 

 その諦観は、母親が何人もの夫を殺害したという経験からもきていた。

 

 あまりにもスタンスが違い、お互いが、或いは一方が認められないのに無理矢理どちらかに合わせる。別れないというのは、むしろ互いを不幸にするだけなのだ。

 

「別れ方……って。私はハリーと付き合った覚えはないわ!」

 

「そうだな。でも、大昔にはそういう噂が立ったことあったんだぜ〜?な、ダフネ?」

 

 ダフネは無言で顔を背けた。女子たちの間でそういう噂が立ったことは一度や二度ではなかった。ハリーの周囲に起きる悲惨な事件のせいでそういう噂は次第に立ち消えていったが。

 

 ひとしきり怒ったあとで、ハーマイオニーはふぅ、と吐息を吐いた。先ほどまでの刺々しい雰囲気は少し緩和されている。

 

「……ハリーがどれだけ大勢の生命に対して責任を負っているかは私も知っているわ。けれど私は、ハリーがその責任の全てを負う必要はないとも思っている。……ハリーに、言ってあげないといけないことは山程あるけど……」

 

 ハーマイオニーは己のスタンスを変えるつもりはなかった。しかし、現在の情勢が不安定な状況で、ハリーが多くのものを背負っているという状況で、ハリーを責められるほど愚かでもなかった。

 

「状況が状況だしな。ハーマイオニーがそうしたいときに、ハリーと話をしてみなよ」

 

 ザビニはハリーとハーマイオニーとの間を繋ぎ止めるための接着剤ではなかった。

 

 むしろ、円満にその間を引き裂くための鋏の役割を果たすことにした。ザビニは自分を知っている。無理なものは無理だと諦めなくてはならないことがあると分かっているし、ホークラックス探索の旅の間中ギスギスとした雰囲気に耐えられるような器もないと自覚していた。

 

 ザビニから見て、ハリーとハーマイオニーとの友人関係はとうの昔に破綻していた。

 

 アズラエルはハリーとハーマイオニーが友人であり続けることを望んでいたが、それはハーマイオニーの気持ちというものを無視したものだとザビニはハーマイオニーの視点に立って思っていた。

 

 どう見ても対等とは言えず、ハーマイオニー自身が不満を抱えているから、ハーマイオニーばかりハリーに振り回される結果になるのだ。彼らには会話が足りていないし、ハリーには誠意が足りていない。

 

(……まぁ……世界は俺らの都合なんか考えちゃくれねーんだけどな)

 

 ザビニはウィーズリー・ウィザード・ウィーズで購入したトランプを机の上に出した。ハーマイオニー、ダフネ、ザビニはその後、七並べをしたり、魔法によってトランプ・タワーを作ったりしながらハリー達の帰還を待った。

 

***

 

 

 

 「ハリー、アルバス・ダンブルドアの件については……言葉に尽くせないほど恐ろしい悲劇だった」

 

 スクリンジャーは決然とした、しかし静かな口調で言った。獅子を思わせるような白髪交じりの髪の毛は、ハリーの目には心なしか萎びて見えた。

 

「そう言って下さることは……ダンブルドア先生の偉大さを知っている人達の慰めになると思います、閣下」

 

 ハリーは社交辞令としてスクリンジャーの言葉に頷いた。

 

 これは異常な光景であった。英国魔法界の大臣ともあろうものが、保護者を無視して成人していないハリーへと話しかけるのは間違いなく前代未聞の事態である。しかしシリウスは、ハリーに意見を任せていた。

 

(ハリー。大臣の話が何であれ、俺はハリーの判断に任せる。そうすべきだ……)

 

「聞いたとき、私は耳を疑った。改めて言う必要もないことだが……ダンブルドアは、大変偉大な魔法使いであった」

 

 そう言うとスクリンジャーはハリーから一旦視線を外し、シリウスを見た。シリウスはスクリンジャーの発言の直後、何か言いたそうに深呼吸をしたのである。直立不動で一切の自我を出さないセドリックとは対照的であった。

 

 

「省とダンブルドアとの間に見解の不一致があったのは知っての通りだ。しかし、魔法省の誰もがダンブルドアの発言に一致団結して耳を傾けられるほど強くはない。ハリー」

 

「君ならば、致し方ないことだと理解してもらえるだろう?」

 

 ハリーは魔法省大臣の発言に頷いた。シリウスは無言である。しかしハリーはシリウスが何かを溜め込んでいるのをひしひしと感じていた。

 

 

 「仰るとおりです。……大臣閣下はダンブルドア先生と親しくしておられたのですか?」

 

 ハリーは本題に入りたい気持ちを堪えていた。前置きはこれくらいでいいだろう、と思わないではなかった。しかし、ファッジとは違い危険のなかに身を置くことを決意した、いわば味方に対して失礼なことはすべきではない。

 

「いいや。ダンブルドアは……私にとって、仰ぎ見るしかない星のような男だった」

 

 スクリンジャーは微かに怒りを滲ませてそう言った。

 

「ダンブルドアに対して大臣に就任してくれと打診したのは一度や二度ではなかった。しかしアルバス・ダンブルドアにとって、英国魔法省大臣という椅子はどうやら小さすぎたらしい」

 

 セドリックにも、そしてハリーにもその言葉の裏に込められた屈辱はわからない。しかし、シリウスはこの時微かにではあるが、スクリンジャーの気持ちを、ほんの少しだけではあるが理解した。

 

(似合わない役を押し付けられた……とでも言いたげだな。いや或いは。大臣への就任当初は俺ならばもっとうまくやってみせると思っていたが、そうではなかったか?ルーファス)

 

 英国魔法省大臣は、言うまでもなく魔法省という組織のトップである。その座に就くことを人々から望まれ、期待され、支持され。それを固辞してなお名声が保たれるのはダンブルドアをおいて他にいない。

 

 例えば、ファッジが大臣を罷免されたとき。

 

 後任候補のアメリアは、既に闇陣営の手で殺害されていた。議会がアメリアの代役にと選んだのは、ルーファスであった。

 

 この時ルーファスが固辞すれば、人々はルーファスを臆病者とみなしただろう。それだけで済めばまだいいが、ルーファスは魔法省のオーラーたちのトップである。ルーファスが大臣就任を固辞するということは、魔法省のオーラー達全てが闇陣営とことを構える気がない臆病者だと言っているに等しい。

 

 世間体のためと言えば聞こえは悪いが、ルーファスには実際固辞するという選択肢などなかったのだ。それだけでも、シリウスにとってルーファスは尊敬に足る勇気ある人間ではあった。

 

 ただし政治家として、大臣としてのルーファス・スクリンジャーのことを、シリウスは好きではなかった。

 

 

「……ですが僕の目には、閣下はその重責を果たしておられるように見えます。亡くなった人々の大きさ、偉大さよりも、誇るべき己というものがあるのではないかと思います」

 

 ハリーの言葉は修飾された世辞ではあったが、オーラーや真っ当な魔法省職員に対する敬意を失ったつもりはなかった。このハリーの対応は、大臣のプライドを満足させたらしい。

 

 

 ルーファスもまた本題に入る気になったのか、急いで、気持ちが分かるというような悲しげな表情を作った。

 

 「君は途方に暮れていることだろう、ハリー。ダンブルドアの庇護を失った今、君を護れるのは我々魔法省しかいないと、私は考えている」

 

「……今の魔法界には、闇陣営に対抗するための新たな象徴が必要だ。君は、闇陣営に対抗するための手段を持っていると報告を受けている」

 

「……君に、魔法省に協力し人々を勇気づける柱になる気はないだろうか」

 

 それは、あまりにもストレートな要求であった。シリウスはついに口を挟んだ。

 

「その話は私からお断りをさせていただいたと思いますが、閣下」

 

 シリウスに口を挟まれたことに対して、ルーファスは明らかに不快そうな態度を隠しきれなかった。

 

「以前も君に対して話をしたが、シリウス。ハリーは既に多くのことを成し遂げている。私は君が成人していないからと言って、その人格や業績を過剰に評価するつもりはない。勇敢さ、闇陣営に対して与えた損害はもはや言うまでもないことだ」

 

「仰っている意味がわかりません、閣下。……私に象徴としての価値があるとは到底思えません。魔法界の人々は僕を遠ざけようとするでしょう」

 

 ハリーは本気で言った。闇の魔法使いを担ぎ上げるなど正気の沙汰とは思えない。思わずハリーはセドリックを見た。

 

 セドリック・ディゴリーは、驚いたことに大真面目にハリーに向けて親愛の顔を見せていた。

 

「そう、君は確かに……手段を選ばなかった。その手段については……不快に考える人間は多くいるだろう」

 

 ルーファスはハリーを懐柔するために、政治家としての側面を見せた。ハリーに対して、メリットを提示したのである。

 

「しかしだからこそ。我々は補い合って協力できると私は考える。我々は君の武力を取り込み、君は我々魔法省の手によって、権威と名声を得ることができる」

 

 権威と名声。今のハリーにとっては意味のないことであろう。

 

「権威と名声ですか」

 

 ハリーの声に気乗りしない雰囲気を感じ取ったのか、ルーファスは少しだけ間を置いたあと、ハリーに言った。

 

「君はそれを求めているように、私には思えるのだがね」

 

「どうしてそう思われたのか、理由を伺ってよろしいですか、閣下?」

 

「……君は、ドロレス・アンブリッジに与したと聞いた。あくまでも表面上のものであったが。なぜだ?と私は疑問に思った。君があの女に与するというのは、シリウスが省内で吹聴していた勇敢な息子像とはいささか食い違っていたからだ」

 

(えっ……えっ?)

 

 ハリーは思わず無言で振り返り、シリウスを見た。シリウスは誇らしそうにハリーに対して微笑んでいた。

 

「〜っ……」

 

 ハリーは生まれて始めて、見知らぬ人間の前で親が息子自慢をしたときの息子の気持ちを味わっていた。

 

 そして自分が、どれだけ多くの期待や信頼というものを裏切ってきたのかも。

 

「……アンブリッジは出身寮のOGであり、ファッジの駒でしかありませんでした。僕にとって彼女と敵対する意味はありませんでした」

 

 ハリーは仮面を付け直した。ルーファスにレジリメンスを使った形跡はないが、今ハリーが抱いた気持ちは隠し通しておきたいハリーの羞恥心であった。

 

「そう。君はあのとき、自分の庇護者であるダンブルドアよりも、自分の仲間や自分の学校での立場というものを優先したのだ。ディゴリーの話を聞いた私はそれを確信したとも」

 

 ルーファスの言葉は先ほどまでのお世辞とは異なる刃としてハリーの喉元に向けられた。セドリックはどうやら、ルーファスに対して5年生の頃のハリーの話をすることに躊躇いなどなかったらしい。

 

「ハリー。君は権威と権力によって、学内での学友を護ることを選んだ。それはグリフィンドール的ではないが、護るものを持っている我々のような大人には君の立場や心理というものを理解できる」

 

「……君は……仲間を護りたいのだろう?その為ならば、間違っていた魔法省に対してでさえ君は理解を示した」

 

 その言葉に、シリウスは無言で、しかし、確かな怒りを抱いた。

 

(……アンブリッジか……)

 

 ハリーはやや懐かしく思った。魔法省の役人という存在の名誉を棄損する存在であり、間違っても見本にすべきではなかった存在であったが、誰からも好かれていない彼女のことをハリーは嫌いでもなかった。

 

 ルーファスの言葉に対して、シリウスは卑劣さを感じた。

 

「閣下。閣下は皆にとって都合のよい英雄をお望みなのですね」

 

 ハリーの言葉にルーファスは焦れながらも、頷いた。

 

「そうだ。不本意なところはあるだろうが、それで君の友人たちの名誉は保証される。世間には、残念ながらデスイーターとの関わりを怪しむ声もあるが、君さえ従ってくれるならば世論を誘導し、カバーストーリーを作って君の友人達の名誉を護ることもできる……」

 

 ぴくり、とハリーの眉が動いた。

 

 ルーファスの言葉を聞き、ルーファスはハリーの友人達を人質に取って、彼らすらもハリーを縛るための道具にし、都合のよい言葉で雁字搦めにしてハリーを都合よく操るつもりだとシリウスは理解した。

 

 ルーファスとしては、ハリーに対して誠実にメリットを示しているつもりであった。

 

 この状況で名誉だの名声だのは、闇陣営に敗北すれば吹けば飛ぶ程度のものでしかない。しかし、ハリーが自分の学友たちからの孤立や、彼らからの失望を恐れているとルーファスは読んでいた。

 

 ハリーに対して、求めるものを与える代わりに仕事をさせる。ルーファスはハリーを未成年として扱ったつもりはなく、侮ったつもりもなかった。ハリーを未成年の少年ではなく一人の魔法使いとして、メリットを提示したに過ぎない。

 

(権力に溺れ、権力の味を知り、恥を忘れて腐ったか、ルーファス!!)

 

 シリウスがついに口を開きかけたその時。

 

「閣下。申し訳ありません、閣下。僕には、名誉をいただく義理がありません」

 

「……!!」

 

「……なっ」

 

 ルーファスは絶句し、言葉もない。セドリックは理解が追いつかないという困惑した目でハリーを見ていた。

 

 シリウスはよくぞ言った、とハリーを褒め称えたい気持ちに満たされた。

 

 どこの世界に、大臣に対してノーと言える青年がいるだろうか。

 

「ハリー!?何を言っている……いや、何を言っているんだ?」

 

 セドリック・ディゴリーが大臣の護衛という役目を放棄して、ついに口を開いてしまった。それほどの衝撃であり、ハリーが断るとは思っていなかったことがありありと表情に出ていた。

 

「ハリー。君が魔法省に対して思うところがあるのは僕もよく分かる。……君が本心を隠したくなる気持ちは分かる。けれど、真意を隠すのはよくないぞ。誰も彼もが嘘で騙し通せると思うのは不誠実だし、味方に対してすることじゃあない!」

 

 セドリックは元々寡黙で雄弁な性格ではない。しかし、だからこそ、その言葉には価値がある。セドリックは魔法省とオーダーが手を取り合って闇陣営打倒のために協力できると信じていることを雄弁に語っていた。

 

(……若いな……いや……違うか。昔の俺でももう少し疑り深かった。これは素の性格だな)

 

 シリウスはそんなセドリックの様子を見て、若さだと思った自分の考えを訂正した。

 

 セドリックにも欠点はある。それは王道を歩んでこれたがゆえの純粋さであった。

 

 ルーファスはセドリックに対して出しゃばるなと言おうとして、やめた。人は己よりも動揺した人間を見ると却って冷静になることがある。沸騰した頭で感情にまかせて発言すれば、醜態を晒しかねない。セドリックに一通り話させてからでも遅くはなかった。

 

「閣下を相手に交渉まがいのことを考えているなら、そんな思い上がりは止せ!閣下はこの一年、ほとんど休まずに英国民全てのために頭を下げ続けてきた。ファッジとは違うんだ!」

 

 セドリックの言葉は単なる努力のアピールに過ぎず、この場では何の意味もない。努力という過程は確かに重要なのだが、それは他人に言うものではない。ルーファスはよせ、とセドリックを止めようと口を開きかけた。

 

 無論セドリックにもそんなことはわかっている。報われない努力など星の数ほどある。そうでなければセドリックはトライウィザードトーナメントでハリーに負けたりはしない。

 

 それが解っていてなお、ハリーの『誤解』を解くためにセドリックは必死になってハリーへと語りかけた。

 

 セドリックの立場であれば、それも当然の話だった。自らの行動で自分の父を含めた魔法省職員や、魔法界全員の未来が左右されるのだ。本気で魔法界の未来を思うのであれば、それくらいはしなければならない。

 

(ううむ……)

 

 ルーファスはそんなセドリックの姿を見て、何か喉の奥にものが詰まったような、えもいえない感覚を味わっていた。

 

「……セドリック」

 

「君から見れば、閣下はほとんど接点のない他人かもしれないが……本当に誠実に仕事に向き合っている御方なんだ!」

 

 

 その言葉に、シリウスは口を開いた。

 

 

「ほう。魔法界を思っている人間は、無実とわかっている者を牢屋に放り込むことに長けているらしいな」

 

「えっ」

 

 呆けたようにシリウスに視線を向けるセドリックは、シリウスからの痛烈な批判に口を閉ざした。

 

「スタンリー・シャンパイク。反社との接点もなかった人間を逮捕して拘置所に送る。それは本当に誠実な仕事だと言えるのか?俺の目にはパフォーマンスばかりに躍起になっているように見えたが?」

 

(あ……)

 

 ハリーは内心でそうなるのか、と思い焦った。

 

 スタンリー・シャンパイクの存在を、色々あったハリーは失念していた。闇陣営との繋がりを匂わせるなど、ハリー視点で見れば理解できない存在であった。

 

(考えてみれば、怪しいというだけでダフネやザビニが逮捕されるようなものだ。シリウスだって冤罪をかけられた立場なんだ。本気で怒るのは当然だ……)

 

 ハリーの前では何でもないように振る舞い魔法省にも理があるようにと大人の建前を話していたシリウスも、魔法省に対しては思うところがあったのだ。

 

「権力と権威でハリーの名誉を守ると言うが、政治的な都合で左右される程度のものでしかない。そんなもので息子の生命を預けると、君達は本気で思ったのか?」

 

 この時セドリックではなく、ルーファス・スクリンジャーが怒りそうになったのをハリーは感じ取った。ハリーは思わず口を開いた。

 

「セドリック先輩。貴方の仰っている言葉の意味は僕もよく理解しているつもりです。シリウスの言っている言葉の意味も。僕は、自分の肉体以外の3つのものを魔法省へと提供する用意があります」

 

(これ以上はまずい。オーダーと魔法省との関係を破綻させるわけにはいかない)

 

 ハリーは使命感と共に杖を振って、空中に数式と、サペレ・アウデという文字をを描き出した。

 

「このサペレ・アウデはデスイーターやヴォルデモートに対して有効な魔法です。もっとも、ヴォルデモートを殺せるほどではないでしょうが」

 

 ハリーの言葉を聞いて、セドリックは微かに怯んだ。

 

「……この魔法を唱えれば、パトロナスに準じた炎が敵を焼却します。ですがデスイーターでなければ闇陣営に対しても効果はありませんし、インペリオで操られた敵に対しても無力となるように設計しています。この魔法を、僕の一存で大臣とセドリックに託します。どう使うかは貴方方にお任せします」

 

「そして次に……『アスクレピオス』」

 

 ハリーは自らのトランクを蛇語によって開いた。トランクの中からハリーが取り出したのは、錬金術によって錬成したサファイアであった。

 

「……この宝石を、セドリック先輩に対して提供します。神秘部所属の錬金術師であれば、これの価値がわかると思います」

 

「待て。詳細の説明は?先ほどのように数式を出してはくれないのか?」

 

 セドリックは尋ねるが、ハリーは首を横に振るしかない。

 

「それはできません。全てを説明するには半日かかります。そんな時間は閣下にはないでしょう」

 

 ハリーは宝石に関しては説明を投げた。錬金術に関する基礎知識がなければ説明しても意味はないが、ある程度の錬金術師なら意味はわかるはずである。

 

「……その宝石は、携帯していれば一度だけならカースクラスの呪いを防ぐ効果があります。そして最後に」

 

 ハリーは自分の髪の毛をディフィンドによって切り取った。前髪がはらりと束になって落ちる。ハリーはトランクの中の空き小瓶に髪の毛を詰め、セドリックへと渡した。

 

「……どうしても、僕が魔法省に対して協力的であるという事実が必要なのであれば、これを閣下へとお渡しします。どうか有効にお使いください」

 

 そしてハリーは、己の髪の毛を切り、テーブルの上へと置いた。

 

「髪の毛……」

 

 セドリックは思わず呟いた。ハリーを式典に出席させたり、護衛しているという体でおとりに使うならば、この髪の毛からポリジュース薬を作り、オーラーに飲ませて代役にすればよいだろう。

 

「……ハリー……」

 

 シリウスはハリーに対して、自らを安売りするのはやめろ、と言いたかった。

 

 一人でも内戦による犠牲者を少なくする。それはオーダーも魔法省も変わらない本音だ。そのためにハリーを利用したいという魔法省の思惑にまで譲歩して、ハリー自身の尊厳はどうなるのだろう。ジェームズやリリーの思いはどうなるのだろう。

 

 シリウスの中で、かつて思っていたことがブーメランとなって帰ってきた。罪のない人々のために、シリウスは死ぬべきだとかつてジェームズに語ったことがある。

 

 それで一人でも多くの生命が救われるなら、それでシリウスは構わなかった。

 

 だが、老いて親となった今。見知らぬ一人よりハリー一人を優先したいという思いがシリウスに芽生えかけてしまった。それは戦争に息子を送り出す親が持つジレンマであり、逃れることはできない苦痛であった。

 

 

 

「僕が閣下に対して提供できるものはこの3つです。……閣下。僕は貴方に対してこれらのものを提供させていただきますが、どう扱うかは閣下にお任せします」

 

「お招きいただいたにも関わらずご無礼を働き、誠に申し訳ございません」

 

 そしてハリーはルーファスに対して丁寧な、しかし、拒絶の意味を込めたお辞儀をした。

 

「ハリー……君はそこまでしながらどうして、僕らに君を護らせてくれないんだ?」

 

「……」

 

 セドリックは、ハリーから受け取ったものの意味と価値をよくわかっていた。サペレ・アウデによる火力も、ハリーの髪の毛も、宝石も、いずれもハリーが提供できる最大のものだ。

 

 しかしその中に、ハリー自身は含まれてはいない。

 

「……わかった。確かに受け取ろう、ハリー・ポッター。これ以上は君にとっても我々にとっても無益なやり取りだろう」

 

「一つ聞きたいのだが、構わないかね」

 

「何でしょうか、閣下」

 

「ダンブルドアは、君のなす事についてどう思っていたのかね」

 

 ハリーは翡翠色の瞳で老いた獅子を見た。グリフィンドールに相応しく勇敢な大臣は、注意深く探るような目でハリーを見ていた。

 

「一度もよい顔はされませんでした」

 

「違いない。どうやら君は、アルバス・ダンブルドアにとっては失敗作であったらしい」

 

 

「……感謝する。ありがとう、ハリー・ポッター。シリウス。時間を取らせて済まなかった」

 

 ルーファスは立ち上がり、己の杖にもたれながらハリー、セドリックに向けて一礼すると、セドリックに合図して応接室を出ていった。

 

 シリウスはハリーの肩を叩いた。

 

「……ルーファスの要求を、よく拒否した。あれでいい。後のことはルーファス達の役割だ」

 

「シリウス。……僕はシリウスが居てくれて良かったと思う。一人ならあそこまでスムーズにはいかなかったし」

 

 ハリーはシリウスに感謝した。

 

「僕のために、怒ってくれる人が居てくれてよかった」

 

 どれだけ感謝しても、足りなかった。シリウスはハリーに、少し疲れたな、と言った。

 

「……リーマスとトンクスの結婚式がある。またそこで……皆を祝おう、ハリー」

 

 ハリーは、シリウスの奥底で眠る本音の一端にまでは気付けなかった。

 

 シリウス・ブラックにとって、ハリー・ポッターは親友の忘れ形見であり、自分と同じく政治や魔法省の都合に振り回される人間であり、何より、共に戦いたい男でもあった。シリウスはその役目を、共に戦うという願いを、魔法省の人間に奪われたくはなかったのである。

 

***

 

「『外れ』か……」

 

 セドリック・ディゴリーは、ルーファス・スクリンジャーが呟いたひと言を聞き逃さなかった。ルーファスの声には、隠しきれない失望が滲み出ていた。

 

 

(……ハリー・ポッターはディゴリーの話から察するに、計算高い人間だと思っていた。しかしあの少年は……)

 

 ルーファスの中に、かつて逮捕し、法廷まで連行したデスイーター、クラウチや、様々な少年犯罪の加害者の姿が蘇った。

 

 虐待、或いはネグレクトされた少年。

 

 本音を押し隠し、取り繕うことに慣れてしまったまま大人になろうとしている少年。それが、ハリーと直接会談したルーファスがハリーに対して抱いた印象であった。




アバダケダブラ、クルシオ、そしてインペリオ。どれも直接的に肉体を傷つけることはない魔法です。
いずれも相手の魂と尊厳を否定する……みたいな共通点があると私は思います。
アバダとインペリオが雑に強すぎるだけでクルシオも危険なんです。

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