とある蝉様(絆10)とのカルデア物語   作:蝉様ファンクラブ

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第三十五話『ぐだ子は兄に会いたい』

赤兎馬の広く逞しい背中へ寝転び、ぐだ子は青空をぼんやりと眺めていた。

 

 春風が頬を撫で、どこまでも平和な空気が流れている。

 

 世界は救われた。

 

 人理は修復され、異聞帯は消滅し、終章では異星の神すら打ち倒した。

 

 全てが終わった世界。

 

 それなのに――。

 

「お兄ちゃん、大丈夫かなぁ〜……」

 

 ぽつりと漏らした言葉は、誰に届くこともなく風に溶けていく。

 

 原因は、あの胡散臭い老人だった。

 

(なんかゼルレッチとかいう、よく分かんないおっさんが『君はお兄ちゃんが存在しない並行世界へ行ってもらう』とか意味不明なこと言ってたけど……)

 

 キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。

 

 魔法使いだか何だか知らないが、自称「カルデアの重役」。

 

 兄とカルデアで合流するはずだった自分を勝手に連れ出し、「少し手伝ってくれ」と言われるまま歩いていたら――気付けば別世界だった。

 

 それだけ。

 

 本当に、それだけである。

 

「いや意味分かんないでしょ……」

 

 思い返しても理不尽極まりない。

 

 高額バイトに釣られてカルデアへ来たら、兄とは別行動。

 

 そのまま並行世界送り。

 

 説明もなし。

 

「次に会ったら、赤兎馬で轢き殺そう。」

 

「ヒヒィィィン!」

 

 赤兎馬が元気よく鳴く。

 

 どうやら全面的に賛成らしい。

 

「うんうん。やっぱ君は分かってる。」

 

 ぽんぽんと首を撫でる。

 

 この世界は、自分の知る世界ではない。

 

 兄もいない。

 

 自分がいたカルデアとは微妙に違う。

 

 人理修復の記録も、異聞帯攻略の歴史も、この世界では既に終わった出来事になっていた。

 

 そして何より奇妙なのは――。

 

「みんな覚えてないんだよねぇ……」

 

 マシュも。

 

 ダ・ヴィンチちゃんも。

 

 職員たちも。

 

 誰一人として、本来の記憶を持っていなかった。

 

 まるで全てが最初から存在しなかったかのように。

 

 世界は修正され、あるべき姿へ戻った。

 

 記憶だけではない。

 

 カルデアで育て上げた数百騎のサーヴァントたちも、契約も、戦いの歴史も。

 

 全て消えた。

 

 ……ただ一騎を除いて。

 

「君だけだよ。」

 

 ぐだ子は優しく赤兎馬の首へ抱きつく。

 

「私のところに残ってくれたの。」

 

 赤兎馬は嬉しそうに鼻を鳴らした。

 

「ヒヒン。」

 

「やっぱり愛かな?」

 

 真面目な顔で頷く。

 

「私の赤兎馬愛が世界の修正力すら上回ったんだよ。」

 

 もちろん根拠はゼロである。

 

 しかし本人は大真面目だった。

 

「だって他に理由ないもん。」

 

 カルデア最強クラスまで育成したサーヴァントたちは全員消えた。

 

 それなのに赤兎馬だけ残るなんて、もう愛以外説明がつかない。

 

「……いや、それよりさ。」

 

 ふと現実へ戻る。

 

「私さ。」

 

 ゆっくりと起き上がった。

 

「世界、救ったよね?」

 

 人類史を守った。

 

 何度も死にかけた。

 

 睡眠不足なんて日常茶飯事。

 

 精神なんて何度砕けたか分からない。

 

 それでも最後まで戦い抜いた。

 

「なのに。」

 

 沈黙。

 

「給料。」

 

 さらに沈黙。

 

「未払いなんだけど?」

 

 拳が震える。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 青空へ向かって絶叫した。

 

「いいわけねぇだろぉぉぉ!!」

 

 鳥たちが一斉に飛び立つ。

 

「世界救ったからチャラ? そんなわけあるかぁ!!」

 

 ガンッと地面を叩く。

 

「労基どこ!? カルデアって労働基準法あるの!? 残業代!? 休日出勤!? 危険手当!? 全部ゼロじゃん!!」

 

 赤兎馬が少し引いている。

 

「ヒヒ……」

 

「しかもだよ!」

 

 ぐだ子は涙目になりながら叫ぶ。

 

「私、レベル百二十サーヴァント大量所持の歴戦最強マスターだったのに!」

 

 元の世界なら英雄王も冠位も神霊も従えていた。

 

 だが、この世界では違う。

 

 サーヴァントはいない。

 

 世界だけが救われている。

 

 なのに、自分だけがその戦いを覚えている。

 

「これ完全に私だけ異物じゃん……」

 

 世界から見れば、自分は異常存在。

 

 いつ時計塔に見つかってもおかしくない。

 

「封印指定とか普通にありそうなんだけど……」

 

 顔が青ざめる。

 

「嫌だよぉ……実験台とか絶対嫌だよぉ……」

 

 そのまま赤兎馬へ抱きついた。

 

「うわぁぁぁん!」

 

 赤兎馬は困ったように鼻を鳴らしながら、それでも優しくぐだ子を受け止める。

 

 唯一、自分を知る相棒。

 

 その温もりだけが、今のぐだ子の心を支えていた。

 

「早く終章終わらせてよぉ……」

 

 涙声で空を見上げる。

 

「お兄ちゃん遅すぎるでしょ……」

 

 拳を握り締め、最後に思い切り叫んだ。

 

「マジで早く迎えに来てぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 その悲痛な叫びは、どこまでも青い空へ吸い込まれていった。

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