続きは一ミリも書けてない
キックオフは、チームWから始まった。
(チームVとWには明確な戦力差がある。向こうの警戒すべき駒は鰐間兄弟だけ。対してこっちは俺と凪は勿論、機動力に優れた斬鉄、そして―――)
視線を向けると、気づいた哀神がニコリと玲王へ笑みを返してくる。先程の買収騒動は、彼女の異質さが垣間見える事件だった。元から怪しい人物ではあったが、今回のは明確に、その得体の知れない存在感を際立たせた。何者なのか分からない。目的も、価値観も、女子でありながら異様に高いその身体能力も。
だが今はとにかく、試合に集中だ。作戦通り玲王が弟をマークし、他が兄に一斉にプレスを掛ける。どちらかを封じてしまえば、この鰐間兄弟の連携は止まる。不気味なくらい上手くいった。特に兄へのプレスはガチガチで、前向きのドリブルとパスを封じる2名がいつでもプレスできるよう比較的近くから様子を窺い、更に2名が近くも遠くもない絶妙な位置に居座り、横からのパスをカットしたり他選手が接近しての連携ができないよう牽制している。正直、弟を封じるのに失敗してもどうにかなってしまうくらいだ。
その兄へのプレスを掛けているのは、ランキングワースト4の面々。第一試合以降、チームVは哀神派閥と玲王派閥に分かれていた。前者は哀神と彼女が施しを与えた4名からなり、後者はその他のチームメンバーからなる。しかし、両派閥は決していがみ合っているわけではない。
哀神は特に彼らを纏め上げているわけではないし、ただ4名が彼女を慮って行動しているだけだからだ。特に何を言わずとも、自然と彼女をサポートするように動いている。別に玲王を敵対視しているわけではないし、他のチームメンバー同様、玲王の指令に従って動く。寧ろこの4人は絆でも生まれたのか、練習により連携練度がそこそこ高くなっており、一塊として動かしやすい。それは玲王にとっては不気味でもあったが、しかし有用なことには違いない。
「お兄の方に数を割き過ぎだぜ? ここは俺を置いて先に行け、とお兄は言ってる!」
「くっ!?」
鰐間弟は、元より他者のサポート、連携力に優れている。兄がその恩恵を最も活かせるというだけで、弟個人の能力は兄なくては何もできないというほどではない。
気がつけば、チームWからも3名ほどが玲王の周囲に展開していた。鰐間兄へ差し向けた4人組とは違って、これは玲王に対するマークではない。彼を突破し、鰐間弟からマークを離すための
「はっ、みっともねえディフェンスラインだ!」
チームWが、チームVの防御を容易く食い破っていく。チームVの一人一人の実力は、チームWを上回っている。だが、兄に数を割きすぎたせいでディフェンスが足りない。兄のマークついでに左サイドは手厚くカバーできているが、その分右が薄い。更に奥に侵入されると、途端に左も薄くなる。人数不利の隙を、チームWは突いた。
0-1。チームWが先制する。
「玲王、何か今日はらしくないよ?」
「ああ、分かってる凪。チームW、鰐間兄弟以外は雑兵だと舐めすぎた。4人は流石にやりすぎたな」
どうにも調子が狂う。あれら4人組に干渉するのが怖く、できれば一塊で制御したい、そういう気持ちが足を引っ張っていた。加えて、哀神。あの女に命令を下すことは憚られた。いや、言うことは聞いてくれるのだろうが、何故か駒として扱う気になれない。それ故、自然と10人で戦っているようなものだった。
あの4人組を、あの女を、理解したくない。
(――――ッ駄目だ、何を恐れている!)
そんな心の隙を見透かされたのか。
「作戦を変えたところで、指令塔のお前を潰せばお前達のチームは機能不全、とお兄は言ってる!」
「チッ」
鰐間兄からマークを減らすと、それを読まれて今度は玲王の周囲にいたチームWが彼をブロックする。これにより、鰐間弟をフリーにしてしまう。そして鰐間兄弟のコンビネーションが存分に発揮されてしまえば、玲王による統率を失ったチームVでは防ぎようが無かった。
「何だ、あの女も大口叩いた割りに大したことねえな!」
「ああ! こいつら連携がガタガタだ、チームWの敵じゃないぜ!」
あっさりと2点目を許し、前半20分にして試合は0-2とチームWがリードする。
「くそっ」
チームWの守備には余裕ができている分、玲王だけではなく凪へのマークも激しい。玲王から凪への直接のパスコースを防がれているだけではなく、第三者を介した迂回路まで封じられていた。
斬鉄が玲王に対して非協力的であるのも手伝って、攻守の連携は更に細い。現状、玲王は凪を使わない勝ち方というビジョンを見据えていない。だが当の凪はサッカーに対してまだ乗り気ではなく、その真価を腐らせたまま。
何もかも上手くいかない状況に、玲王は苛立ちを隠せない。
「……素晴らしい」
そんな中、パチパチパチ、と拍手の音がピッチに響き渡った。
通常有り得ないその異音に両チームは固まる。特にチームWは、警戒と困惑が同居する気味の悪さを覚えた。
「素晴らしい連携です! 言葉を交わさずとも互いの意思を読み呼吸を合わせる、まさに以心伝心。兄弟愛の為せる技ですね!」
これまでサッカーに触れてこなかった哀神は、生まれてこの方、サッカーにおける優れた連携というものを見た事が無かった。初めてみるその鮮やかな手際に彼女は心の底から感激した様子で、鰐間兄弟を称えた。
「そ、そうか?」
「……ふん」
敵とはいえ、世界一と言っても過言ではない美少女にこうも正面から褒められると、鰐間兄弟とて悪い気はしない。弟は動揺して赤面し、兄は照れ臭そうに鼻を鳴らした。
「ま、まあお前になら、とっておきのを見せてやってもいいぜ、とお兄も言ってる」
形勢は完全にチームWのものだ。あっさりとボールを奪った彼らは、鰐間兄弟へとボールを集める。
気を良くした兄弟は、恰好良く3点目を決めようとする。
「―――だからこそ惜しい。それを、
チームVのディフィンスの隙間を縫うようにして行き交う、兄弟間のパス。突如、そのホットラインが途切れた。
「なっ……!?」
蹴りだしに即反応して、普通なら絶対に飛び出さない位置からの化け物染みた長距離跳躍によるパスカットに、鰐間弟は目を剥いた。
すかさず哀神はチームVの中心地である玲王の周りを固める味方へボールを渡す。
「よし、いいぞ! 凪に繋げろ!」
チームVがカウンターのチャンスに息巻く。敵陣深くに入り込んでいたチームWは慌てて切り返そうとするが、守備的なマークはまるでできていない。フリーになった玲王が中継地点となり、攻撃の連携が機能し始める。
パスは無事繋がり、前線で凪がボールを受ける。シュートにはまだ少し遠い位置だが、彼であればどうとでも突破できるだろうと、玲王は確信していた。
「!?」
だが、凪は斬鉄へのパスを選んだ。凪の期待を受けた斬鉄は、その加速力を活かして敵陣を突破する。
「お前のドリブルなら計算済みなんだよぉ!」
チームVの連携は見事だったが、チームWの献身的な守備により前線、鰐間兄弟の帰還が間に合う。およそ決まった型というものが存在しない哀神や凪と違って、斬鉄の脅威は試合前から予測できており、対策も容易だった。
プレスを掛けてシュートを誘発し、更にシュートコースを狭めてしまえば、カーブシュートを得意とする彼の長所は低減する。斬鉄のシュートはキーパーによって弾かれ、絶好のチャンスを逃してしまった。
「おい凪! なんで斬鉄にパス出した!?」
先程の判断と連携を巡って凪、玲王、斬鉄の三者が揉める。
一方で鰐間兄弟は冷静に反省し、次の戦略を決める。まるで攻略の糸口を掴めていないチームVへの油断もあったとはいえ、彼らは哀神のことを完全に舐めていた。女子でブルーロックに参加しているのは、相応の能力があるからなのだ、と理解する。不覚を取った彼らは、もう油断しない。
「二度はないぜ――ああ、分かってるよお兄! お兄も同じ考えだよな!」
今度は、もっと遠くからのパスを。ボールは、チームVのディフェンスの頭上を越えて兄の元へと向かう。ボールに注意が向いた隙をついて、鰐間兄がマークの裏に抜け出した。軌道を見ずとも落下点を予測できる鰐間兄だからこそできる動き出しについていけず、完全なフリーになることを許してしまう。
「と、止めろ! シュートコース塞げ!」
兄にボールが渡ることは避けられないと判断した玲王が、ディフェンスに指示を送る。
しかし、その必要は無かった。
空に描いたパスラインへ向けて、哀神が走り込む。
誰が見ても分かる。彼女はそのまま助走をつけて高く跳躍しようとしているのだ。
「いやいや、届かないだろ!?」
誰かがそれを見て叫んだ。
それは陸上競技の走り高跳びでよく見る、背面跳びだった。
哀神は世界記録を超す2メートル半程まで跳んで、そのままオーバーヘッドキックを決める。
「うわお」
ボールは狙い違わず、凪の胸元へ突き刺さるように飛んだ。常人なら対応できない突然の速球パスに流石の凪も驚いたが、恵まれたアドリブセンスとトラップテクニックで胸トラップに成功する。
「女の子って怖……」
明らかに凪なら受け取れると踏んで寄越したパス。その強かさと無遠慮さに、彼は軽く身震いした。
一方の哀神は、普通はマットに飛びこむように背中を打ち付けることになるのだが、あの姿勢からどうやってか綺麗に着地に成功していた。
「あ、え……? い、いや、チャンスだ! カウンターいくぞ!」
あり得ないものを見た玲王の思考が一瞬止まるが、すぐに冷静な判断を下す。
チームWのディフェンス陣の対応も素早いものだったが、囲まれた凪が再び斬鉄にチャンスを与えると、今度は見事なカーブシュートを決めてみせた。
2-2。だがそこには、単なる得点以上の絶望があった。
「ッ……」
鰐間兄は、先程の哀神の行動に隠された意図と技術に気付いていた。
鰐間兄がもし、あの威力と精度のオーバーヘッドキックを放てるなら、あそこから直接ゴールを狙うことだってできた。いや。そんな曲芸をせずとも、あの位置で空中トラップして着地できていれば丁度ゴールまでのコースががら空きで、ゴールキーパーと1対1。ゴールネットの斜め上をぶち抜いて、チームWの得点に繋がっただろう絶好のスポットだった。
それは哀神友が弟に同じ行動を要求した場合でも、兄よりも高い能力で返答できる証だ。
「あ、ありえない……」
そして弟もまた、理解する。
今の動きは、蹴りだしを見てからでは絶対に間に合わない。十分な助走をつけるための位置取りとタイミングが必要で、そのためには軌道を事前に知っている必要がある。つまり、鰐間弟がどこに蹴るかを――――鰐間兄の表情による要求を、分かっていた。
いや、それだけではない。どこに蹴るか、だけではなく、どういう軌道で蹴るか。そんなことは鰐間兄だって指定していないし、予測できない。宙を描くパスを出せ、という指定はあっても、具体的にどうするかはその時の相手ディフェンスの状況次第で弟が臨機応変に決める。つまり彼女の今の一連の行動は、兄だけではなく弟の考えすら予測する必要があった。
表情で意思を伝え、そしてそれを読み取る技術。哀神はその技術を、その才能を
だからここで学んだのは、表情だけでは伝達できない、兄弟が無意識の内に互いの思考を読み取って合わせている技術。つまり、二人の癖とでも言うべきか。
なんてことは無い。ただ彼女は、
鰐間弟の行動に鰐間兄よりも素早く反応して先回りし、鰐間兄には一生かけても実現できないパフォーマンスを発揮する。
その程度の、造作もないことだった。
試合はまだ終わっていない。にも拘らず、兄弟の足並みが不揃いに止まる。
「……」
「お兄の表情を全部読み取れるのは、俺だけの筈……俺だけじゃなきゃいけないのに……」
―――なら、
哀神は、その足を止めない。鰐間兄弟の視線の先には、常に彼女の背があった。
ピッチの上で両チームのプレイヤーが動けば、自然とそこに自分ならどう動くかを思い描いてしまう。棋士、というほど大層な人間でなくとも、将棋の盤面を見れば駒の利きを想像してどう動かすか考えてしまうように。それはもう、戦術や連携を常に考えてサッカーをプレイする者達にとっては、反射的な思考だった。
その、現在進行形で兄弟が思い描く連携を。背中に心を読む目でも付いているのか、ついには哀神はチームV達と言葉も交わさずに即席で連携を再現し、チームWを翻弄する。
表情や立ち位置、動きだけで他人に意図を伝える。相手のやりたいこと、意思、果ては思考の癖を瞬時に読み取って絶好のポジションを取る卓越したオフザボールの動き。それを、彼女は相手を選ばずにチームVの面々をとっかえひっかえしながらやってみせた。まるで催眠術にでも掛かったかのように、彼らは知らず知らずのうちに哀神の相棒にされていく。そして、それら全てのレベルが兄弟の連携を超えていた。
それからは、鰐間兄弟はもう、ピッチの上を夢遊病者のようにゆっくりと動き回って、ボールの在処を遠くから眺めるだけの木偶と化した。
実質2人が欠けたチームW相手に、哀神が決めるまでもない。チームVは無慈悲に得点を重ねていく。
だが哀神が決める時は、決まって見せつけるかのように鰐間兄弟のイメージを再現していた。いや、それどころか、まるで教師が添削するかのようにブラッシュアップした改良案を見せつけてくる。兄弟の妄想を超えた理想的な動きで、彼女はフィールドを支配した。
「も、もういい! もう分かった! 十分だ! 止めてくれっ……!」
限界だった。
前半終了のホイッスルと共に、鰐間弟は悲鳴を上げた。
「いいえ、分かっていません。
「ッッッ――――――!!」
冷たく言い放たれた哀神の言葉に、鰐間兄弟は総毛立つ。
「私が、貴方よりお兄さんの意思を早く読み取ったから、傷ついているのでしょう? 私が、弟さんの行動に的確に応えたから傷ついているのでしょう?」
「あ、あ」
「でも、それが間違いなんです。それはつまり、まだ貴方達の心には、他人に劣ることを悪だと捉える思考があるということ」
哀神は慈愛に満ちた表情で、優しく語り掛ける。その瞳は、まるで小さな女の子がプラスチックでできた邸宅の中に居並ぶ人形を見ているようだった。
「いいんですよ、こんなものは単なる技術ですから。技術は人を豊かにするものであって、競いあうためのものではありません。例え私がお兄さんの意思を見抜けた所で、弟さんがお兄さんの表情を読めることに変わりはない。大事なのは、貴方達兄弟の心が繋がっていること。ええ、それはきっと、貴方達が幼少の頃から仲良く育ってきた証。素晴らしいではないですか!」
それは、痛い程の正論。否、痛いだけの正論だった。
口で言うのは簡単だが、人の心はそう簡単に受け入れられない。
最初は、彼らの兄弟愛はこういう形ではなかったのかもしれない。しかしサッカーを通じて、連携を通じて結束と絆を高めてきた彼らは、いつしか互いが互いにとってのベストパートナーであることが兄弟愛を確かめ合う手段となり、証明となっていたのだ。
故に彼女の所業は、まさにその根幹を揺るがすものであった。
「これからは競うことはやめて、ただ自らを誇り、他者を称えましょう!」
明るく諭すその言葉に、傍から見ていた玲王は全身の毛穴から汗が噴き出すような不快感を覚えた。
そんな生き方ができる人間がどこにいる?
心の片隅で、誰を誰とも比較せず、僻むことも妬むこともなく生きられる人間がどこにいる?
表面上は隠せたとしても、無理をして取り繕い、気持ちを押し込めて生き続ければ心が持たない。鬱にだってなってしまうだろう。そんな生き方が、はたして幸せだろうか?
およそ、人間の生き方ではない。玲王は、彼女の言葉に同じ上に立つ者のソレとして異質さを覚える。それはもう、行動を支配し隷属を強いる王制とは違う、思想を縛る啓示や教義に近い。
「う、うああああああっ!?!?」
「計助っ!」
鰐間弟が、泣き叫びながらピッチの外へと逃げ出す。兄は珍しく声を出して弟の名を呼び、その後を追いかけて行った。
「お、おい! どこいくんだよ!?」
「まだ試合中だぞ!」
残されたチームWが彼らを呼び止める。だが結局、鰐間兄弟は二度と帰ってこなかった。
舐岡了は、運の良い方だった。寧ろ、鰐間兄弟の方が
「痛みを伴った甲斐があれば良いのですが……」
誰よりも人の心