アンゼリカにとって、ラファエラは可愛い妹分だった。
自分よりひとつ年下の女の子。
長いミルクティー色の癖っ毛は、いつも綺麗にハーフアップにされていて、白夜の瞳は長いまつ毛に縁取られていて。
お嬢様。まさにその言葉が似合う子だった。
まぁ、それは見た目だけの話で。
いざ互いの親が政治の話を始め、別室に隔離された途端、彼女は本性を現した。
「ねぇ、一緒に街に行かない?」
「……え?」
「アンじぇ……アンゼるぃ……うん、長い。年上よね?じゃあ、アン姉! ここにいても暇でしょ。行こ!」
鍵の壊れた窓、すぐ下にハンモックを張ったベランダ、外に通じるダクト。
カイエン邸は彼女の抜け道だらけだった。
アンゼリカの手を取って街に抜け出した後のラファエラは、それはもうお転婆で、兵士の目を盗んで街道に出るわ、街の子供達に混じって遊びまわるわ、やりたい放題だ。
そんな彼女の性格が、アンゼリカは大好きだ。
突飛で、明るくて、何もかもを照らすようなあの子が。
たとえそれが、この5年の旅路で沈みかけになったとしても、あの子の本質は変わっちゃいない。
自分も、パトリックも、ユーシスも。あの子の暖かさに触れて引き摺り出されたのだ。
だから────こんなのは、知らない。
機甲兵のカメラアイ越しに、蒼い光が花火のように爆ける。
《V》の放つガトリングの弾丸を弾き落としながら、彼女は楽しそうに笑っている。
自由に空を舞って、自分の持つ力を全部、何もかも使って。
「オラオラオラ!! そんなもんかお嬢さん!!」
「馬鹿言ってんじゃねェ、まだまだこれからだよ!!」
「クク────なら、全力見せてみろや!!」
いつの間にこんなに楽しそうに戦うようになったのだろう。
あの棒切れを振り回すだけ振り回して、街道に出て魔獣の遭遇しても逃げの一択だった、あの子が。
ラファエラの指先がぱちんと鳴らされる。
彼女の背後に無数の蒼い剣を模した"力"が現れ、真っ直ぐ《V》へと向かっていく。
しかし、巨漢は軽々と得物であるガトリング砲を振るい、剣を全て打ち消した。
間髪入れずに切り掛かった天使の剣を、再びガトリングで防ぐ。
そのまま押し返し、銃口が向けられる。何の躊躇もなく放たれた無数の弾丸を、彼女は飛び上がって避けた。
「狙いのつけ方が甘いんじゃねェの!?」
「悪ぃな、飛び回る人間の相手は初めてなんだよ!!」
「はじめてに決まってらァ!! ンなもんあたしと怪盗Bくらいしかいないんだからさァ!!」
戦いは続く。
この黒竜関の周り、全てが戦いのフィールド。中々動かない固定砲台であるヴァルカンも撃ちながら移動していったところに─────
『……アンゼリカ』
父が、現れた。
『父上……』
『まったく、ラファエラ嬢は相変わらずだな。生きて帰れたら説教せねばなるまい』
『フフ、確かにいつも私たちを叱るのは父上でしたね』
『クロワールは娘に甘すぎるのだ』
ヘクトル。大型の、重量系機甲兵。
自分の乗るドラッケンと比べれば明らかにあちらのほうが耐久は上で、破壊力も上。
剣は持っていない。
『構えろ、アンゼリカ。ハイデルを抑えてここまで来たのだ────私を超えて見せろ』
『望むところだ────父上!!』
せっかくの、実の父からの一騎打ちのお誘いだ。
乗らねば損というものだろう。
背後の賛同してくれた兵や、先に事件屋たちに制圧されていた砦の兵たちは野次馬のように声援を飛ばしてくる。
ラファエラのそれより、ちょっと肉体言語だが。
同じ親子喧嘩の真っ最中。勝利を彼女に捧げるために、アンゼリカは機甲兵の拳を握りしめた。
アンゼリカが盛大に親子喧嘩をしている、反対側。
女は日陰のそこで、ヴァルカンに剣を突き付けていた。
お互い満身創痍。ヴァルカンは火傷に切り傷が全身を刻んでいるし、ラフィの体も何度か銃弾を受けて、"力"で防御しても打ち身やら火傷やらを負っていた。
「どーだ」
「いや、見事。仲間が居ねぇとはいえ、ここまでやられるたぁ思っていなあった」
「パンタグリュエルの時しか見てないだろ、お前」
じとりと白夜に戻った瞳で睨む。
ヴァルカンとしては確かにその通りだ。なにせ、彼女の戦うところを見るのは、なんだかんだあのカタコンベぶりだから。
ヴァルカンはどさりと地面に大の字で寝転がり、ガトリングを手放す。
そして、天使による裁きの剣を、今か今かと待っていた。
「……」
「………」
だが、女はじっと男を見下ろして。
剣を鞘に戻した。
「……今のは殺す流れだろ」
「やだ。目が気に入らない」
「あぁ?目だァ?」
上半身を起こした男を見て、ラフィは不機嫌そうにため息をついた。
「クロウと同じ目してる。生きる気力のない、死に場所を探してる目」
「……クク、リーダー殿と、か」
「他人に殺されることを待ちやがって。殺す方の気持ち考えたことあんのか」
「そこは普通、残された方とかだろ」
ヴァルカンの指摘に、女はきょとんと眼を丸くした。
「だって、お前が残された方じゃん」
「────!?」
ぞわり、とヴァルカンの背中を寒気が走った。
いつ知った。《C》か《S》に聞いたのか。
いや、二人は口が堅い。自ら語る以外に、知られるなんてこと────
「……あ。悪ィ、見えちまったんだ」
「見え、た……」
「この天使サマは見せつけてくるんだよ。未来だとか、過去だとか」
制御はまだできてねェから、ごめんな。
そう気まずそうに後頭部を掻くお嬢様に、ヴァルカンは呆れてものも言えなくなった。一体どこまで規格外なんだか。
「とにかく。あたし、オマエ、殺さない」
「じゃあどうすんだ。生きたままなら、俺ぁお嬢さんがブリッジ半分吹き飛ばしたあの船に帰るぜ」
「一回正規軍に捕まってもらう」
「……なんだと?」
思わず聞き返せば、彼女はこほん、と咳ばらいをした。
「内戦終わったら出しに来る。だからさ、私の手伝いしてよ」
「お嬢さんの?」
「そう。私、この内戦が終わったら家継ぐつもりだから」
「そりゃあ、カイエン公が負けりゃお嬢さんが継ぐことになるだろうがよ」
「領邦軍、確実に軍備縮小されるじゃん。そうなるとちょっと困るのよね」
女は、大男に手を差し伸べた。
「その命、捨てるくらいなら私のために使って」
つまり、内戦後に
なんと傲慢だろう。なんと無防備だろう。寝首を掻かれるとは思わないのだろうか。
彼女の父は、そりゃあまぁ立派な領主だった。だが、同時に油断しない人だった。
妄執のために人を利用することはあっても、信じることはしなかった。
だが────その娘は、人を疑うことを知らないお人よしらしい。
「……そりゃあ、依頼か」
「そう取ってもらってもいい」
「いくら出せる」
「公爵家直属の領邦軍、それも隊長クラスって言ったらわかるでしょう?」
お給金もガッポガポ、と女が指と指をくっつけてミラ硬貨を表す。
その仕草に毒気を抜かれ、男は思わず、腹から声を出して笑った。
「いいだろう、面白ぇ!!」
「交渉成立ね」
「あぁ。ちゃんと迎えに来いよ? お嬢サマ」
「もちろん。空の女神に誓って」
女の小さな手をつかむ。
引っ張り上げられた、その先で。
影は途切れて、冬の寒さを溶かす、暖かな日差しが男を照らした。
「まさかヴァルカンまで引き込むとは思わなかった」
雪の降るユミルの里の、中央にある足湯。
ルーレ寄港日に、モノレールひとつで来れると聞いて家族みんなでやってきた所に、同じくモノレールで上がってきたリィンがそう言った。
「なんかノリでいけちゃった」
「ノリで猟兵を誑し込めたら苦労しないぞ」
「本当に君って裏稼業特攻というか」
「嫉妬か? 肩の力抜けよ」
「わかってるなら……んむっ」
唇をつんと尖らせたメルキオルの口に、ふざけながらユミル饅頭を突っ込む。
柔らかいそれにガブリと食らいつき、メルキオルは黙り込んでしまった。
「姉ちゃんの人たらしなんていつものことじゃん」
自分の分をユミル饅頭を飲み込んだイクス。
そして、横でずっと沈んだ顔をしているヨルダの口元へ運ぶ。
「ほら、ヨルダ。機嫌直せって」
「……」
珍しく兄らしい対応をするイクス。
ヴァルカンを誑し込んだ経緯を聞いてからずっとこうだ。
イクスの言葉もあまり聞こうとしないし、ラフィとは顔を合わせようともしない。
まぁ、こうなるだろうな。リィンは対岸でぱちゃぱちゃと足湯を跳ねさせて遊ぶラフィをじとりと睨んだ。
「早く言わないからだぞ」
「わかってるよ。でも、こうなるから言いたくはなかった」
ここまで連れてくるのも苦労したのだ。イクスが手を引かないとまともに動こうともしないから。
仲がいいはずのアルフィンやフィーが話しかけて、ようやく少し声を漏らすほどに。
理由はわかっていた。
ラフィが、家を継ぐと言ったからだ。
公爵家の当主になる。つまり、事件屋をやめることになる。
ずっと三人────メルキオルを入れれば4人で事件屋を続けていくと思っていた矢先に、この仕打ち。幼い少女がすねるには十分な理由だ。
「なァ、ヨルダ」
「……」
「別に、今生の別れってわけじゃない。ミルディーヌが成人すればあたしはお役御免だ」
そう、あくまでもあの優秀で頭の回転が異次元な従妹が成人するまでの間。
彼女が世間体的に当主として就任できないまでの繋ぎ。
それがラファエラ・ド・カイエンだ。
「あたしは確実に事件屋のほうが性に合ってる。あいつが当主になったら帰ってくるさ」
「……やだ」
「え」
鼻水を啜って、ヨルダが震えた声で言う。
「やだ。ちょっとでもお姉ちゃんと離れたくない」
「ヨルダ……」
「お姉ちゃんのおかげで、わたしは普通になれるの。お姉ちゃんがいないと普通になれないの」
立ち上がって、じゃぶじゃぶと歩き、ラフィの前に立つ。
そして、ぼろぼろと涙をこぼしながら、妹はぎゅうと姉に抱き着いた。
「やだぁっ!!いかないで、お姉ちゃんっ!!」
────うちの子がこんなにもかわいい。
思わず姉は天を仰いだ。妹にここまで必要とされてうれしくない姉などいまい。
リィンがあきれた目で見てくるが気にしない。いったんセミのように抱き着いた妹をそっと下ろし、寒いであろう裸足を足湯につける。
まだぐすぐすと泣く彼女の頭をゆっくりと撫で、姉は妹との対話を始めた。
「そんなに姉ちゃんと離れるのが嫌か?」
「……ん」
「じゃあ、活動拠点をオルディスに移すか?」
「それも、や。あの家がいい」
「可愛いわがままさんだなぁ」
隣に座ったヨルダは、ラフィのパーカーに潜り込むように抱き着く。
「いつでも会いにくればいい。余裕がありゃ、あたしからも会いにいく」
「……暗殺者を公爵様に会わせるわけがないじゃん」
「あの家じゃ通すか通さないか決めるのはアデリナだぞ?」
11月中、ずっと行動を共にしたうえで、"あの"アデリナに排除されていない。
それが、カイエン公爵邸での双子の扱いそのものだ。
うるんだ瞳が姉を見上げる。
「婆やが二人を追い出すと思う?」
「……んーん」
「だろ? だから大丈夫。あたしたちはいつでも会える」
妹は、姉の肩に頭を擦り付けながら、ぎゅ、と歯を噛み締めた。
それでも、ずっと一緒だと思ったのに。
オルディスの特別実習のあの日、離れるなと言っていた人が、自分から離れようとするなんて。
一緒に居ようと言ったのはお姉ちゃんなのに。
それでも、ヨルダの冷静な部分は、姉が離れなければいけない理由もわかっていた。
何度か帝国貴族の暗殺を依頼された時。結構な確率でバラッド・カイエンの名前を見た。暗殺されるような貴族の大半と繋がっている男に、公爵家を継がせるわけにはいかないのだろう。
「じゃあ、お姉ちゃん」
「ん?」
「内戦が終わるまで……甘やかしてね」
「ふふ、もちろん。思う存分姉に甘えてくるがいい!」
「なんかいつもとテンションちがくね?」
「……やっぱカシウスさんの真似はキツイか……」
弟の指摘に、ラフィは少し恥ずかしそうに頬をぽりぽりと掻く。
その様子を見ていたリィンは、内戦が始まってからあまり見せていなかった笑顔を見せた。
「カシウス師兄って、そんな人なのか」
「うん。子煩悩で、成り行きってやつ? が口癖で。それでいて、すげェ頼りになる人」
成り行きでこんなことになってたまるか。エステルと何回そう叫んだことか。
「剣聖、ね。リィンもいずれなるのかい?」
「そうなろうと思って成れるものじゃないさ」
「でも中伝、授かったんでしょう。なら、夢じゃないよ」
リィン、強いし。
語外にそう言ったメルキオルを、ライノ色がまるくなってじっと見つめた。
ラフィも、驚いて白夜を見開いている。
「……な、何さ」
「いや……お前も人を認めることあるんだなァって」
「あるよ。失礼しちゃうな。まさかリィンも」
「あ、あぁ。まさかメルキオルに認められるとは」
「二人とも僕のことなんだと思っているんだい」
頬を膨らませたメルキオルのそれを、リィンが笑いながら人差し指で押した。
ぷすー、と空気が抜ける。
17歳達は、ぷっと吹き出して、あはは、と笑った。